2011-08-31

入矢義高、宮城谷昌光、高橋昌一郎


 1冊挫折、3冊読了。

 挫折『臨済録』入矢義高〈いりや・よしたか〉訳注(岩波文庫、1989年)/期待が外れた。その軽(かろ)き言、さながら天魔の如し。幻惑に目的があるとしか思えず。言葉遊びの感を抱いた。

 57冊目『晏子 第三巻』宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(新潮社、1994年/新潮文庫、1997年)/晏弱は死んだ。が、晏嬰の出番は少ない。斉(せい)の国の権謀術数を中心に描かれる。晏嬰は3年間にわたって喪に服す。編集者である池田雅延の解説は蛇足の謗りを免れない。

 58冊目『晏子 第四巻』宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(新潮社、1994年/新潮文庫、1997年)/晏嬰は道理の人であった。そしてその道理が忠孝に貫かれていたところに晏嬰の偉大さがある。三代の君公に仕え、断固たる諫言を惜しむことがなかった。孔子が晏嬰に遺恨を抱いたというエピソードも興味深い。池田雅延の解説は読者をコントロールしようとする企図が見え見えで嫌悪感を覚える。

 59冊目『東大生の論理  「理性」をめぐる教室』高橋昌一郎〈たかはし・しょういちろう〉(ちくま新書、2010年)/正確には東大一年生の論理である。高橋が非常勤講師として東大へ出向いた模様が描かれている。確かに東大生の優秀さは図抜けている。その発想の柔軟さが素晴らしい。あまりにも東大生の出来がいいため、論理学のテーマが少しぼやけてしまっているのが少々難点。

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