2012-08-27

資本主義の害毒が明治を覆う/『緑雨警語』斎藤緑雨


縦横無尽の機知、辛辣な諧謔
・資本主義の害毒が明治を覆う

 きちんと論評する自信がないため、本文をどんどん紹介しよう。毒をもって毒を制するのが諷刺だ。その毒を味わい、堪能せよ。

 偏(ひとへ)に法律を以て防護の具となす者は、攻伐(こうばつ)の具となす者也。盾(たて)の両面を知悉(ちしつ)せる後にありて、人多くは高利貸となり、詐欺師となり、賭博師となり、現時の政治家となる。

【日刊新聞「万朝報」明治31年1月9日~32年3月4日(※送り仮名は適宜割愛した)/『緑雨警語』斎藤緑雨〈さいとう・りょくう〉、中野三敏編(冨山房百科文庫、1991年)以下同】

 文語調のオチは鋭角の度を増す。連中の面(おもて)は欲望の厚さで覆われている。

 智は有形なり、徳は無形なり。形を以て示すを得、故に智は進むなり。形を以て示すを得ず、故に徳は進むことなし、永久進むことなし。若有之(もしこれあり)とせば、そは智の色の余れるをもて、徳の色の足らざるを一時、糊塗(こと)するに過ぎず。

 陰徳積めども陽報なし。

 約言すれば社会の智識は、書肆(しょし)の戸棚也、戸棚の隅也、隅の塵也、塵の山也。

 古本屋の身に堪(こた)える。

 無鑑札なる営業者を、俗にモグリと謂(い)ふ。今の政党者流(せいたうしやりゆう)は、皆このモグリなり。鑑札無くして売買に従事するものなればなり。

 大抵の場合、首相で靖国神社に参拝しているのは右翼の票を買っていると見てよい。

 学問は宜しく質屋の庫(くら)の如くなる可からず、洋燈屋(らんぷや)の店の如くなる可し。深く内に蓄ふるを要せず、広く外に掲ぐべし、ぶら下ぐべし、さらけ出すべし。其庫(そのくら)窺知(きち)し難きも、其店の透見(とうけん)し易きも、近寄る可からざるは一(いつ)なり、危険は一なり。

 学者は営業マンに化け、広告屋へと堕した。

 官吏も商ひなり、議員も商ひなり、一(いつ)として商ひにあらざるは莫(な)し。商ひの盛んなるは、売買の盛んなるなり。売買の盛んなるは、金銭授受の盛んなるなり。要するに商業は金銭也。商業より金銭を脱離せよといふは、天下比類なく不法の註文也。況(いわん)や各自、商業の発達を企図しつつあるに於(おい)てをや。金銭重んずべし、崇(たつと)ぶべし、百拝(ぱい)すべし。日本は世界の商業国たらざる可からず。

 労働は本来「物を売る」ことを意味しなかったはずだ。資本主義が労働の意味を変えてしまった。労働は何と貧しくなったことだろう。

 恐るべきペストよ、恐れても且(かつ)恐るべきペストよ。来りて悪者(あくしや)を斃(たふ)せ、猶来りて善者を斃せ。人幾千万を斃したる時、金(かね)万能の世は少しく揺(うご)きて、其処(そこ)に微(かす)かなる信仰の光を認むるを得んか。

 緑雨は己の不遇を嘆いたわけではなかった。時代が軽佻浮薄へ流れる様(さま)に唾を吐き続けたのだろう。

 紳士とは服装の事なり、思想にあらず。車馬の事なり、言語にあらず。かくて都は楽土たり、人物の会萃(かいすい)たり、幾十百種の書の発行所たり。

【文芸雑誌「活文壇」明治33年1月10日】

 清水義範も同じようなことを書いていた。

笑いが止まらぬパスティーシュ言語学/『ことばの国』清水義範

 一攫千金、これ当代の呪文也。積むをおもはず、累(かさ)ぬるをおもはず、貯(たうは)ふるをおもはず、単に切に、拾はんことをおもへり。

【週刊新聞「太平洋」明治33年1月1日~22日、以下同】

 当たらぬ宝くじを夢見るのが多くの人生か。それにしても資本主義の害毒が30年ほどで日本を覆い尽くすとは。

 何人(なんぴと)の財布の裡(うち)にか、罪悪を潜(ひそ)めざるものある。財(ざい)の布(ふ)は罪(ざい)の府也。

 駄洒落炸裂。

 正義は呼号すべきものなり、印刷すべきものなり、販売すべきものなり。決して遂行すべきものにあらず。

 呵々(笑)。正義とは掲げるものゆえ掛け軸と変わらない。

 くれは即(すなは)ち、与へよの義なり。請求の声、天地に漲(みなぎ)るによりて、一年のくれとはいふとぞ。

 笑点の大喜利より面白い。

 世は米喰う人によりて形成され、人啖(く)ふ鬼によりて保持せらる。

 そして太平洋戦争に敗れた後、安保という仕掛けで鬼畜米英に支配される。

 おもふがまゝに後世を軽侮(けいぶ)せよ、後世は物言ふことなし、物言ふとも諸君の耳に入ることなし。

【日刊新聞「二六新報」明治33年11月25日~12月29日、以下同】

 思うがままに赤字財政を子孫に残せ。国家の赤字は一家の借金と異なるゆえ。

 按(あん)ずるに筆は一本也、箸(はし)は二本也。衆寡(しうくわ)敵せずと知るべし。

 最も広く知られた緑雨の名言。手厳しいメッセージが多いゆえ、激しく攻撃もされたことであろう。それを軽々と笑い飛ばすのが緑雨の流儀だ。

 人は鳥ならざるも、能(よ)く飛ぶものなり。獣ならざるも、能く走るものなり。されども一層、適切なる解釈に従はゞ、人は魚(うを)ならざるも、能く泳ぐものなり。

【日刊新聞「二六新報」明治35年2月2日~8月22日、以下同】

 今時は世間の波に溺れているのも多い。時流を味方にした者はどこか浅ましさが残る。

 奔走(ほんそう)するが故に、迅速を貴(たつと)ぶが故に、種々の事物を齋(もたら)すが故に、おそろしき声を立つるが故に、記者と汽車とは其音(そのおん)をひとしくす。共に轢殺(れきさつ)を目的とせざるも、然(しか)もしばしば轢殺のことあるは、更に重大の一理由なるべし。

 線路は続くよ、どこまでも。

 あゝわれ何の欠点かあらん。強(しひ)て求めば富豪岩崎を、伯父さんに持たざることのみ。

【日刊新聞「二六新報」明治36年5月11日~7月27日、以下同】

 これまた有名。貧しさを笑い飛ばすのがユーモアの底力だ。

 道理は強弱を判(わか)てど、曲直を判たず。畢竟(ひっきょう)強者のものなり、弱者のものにあらず。

 裁判所は権力の番犬なり。

 社会や時代に流されている人々には「流されている」自覚がない。斎藤緑雨が発する毒は、警世の響きを伴い、信号機の役割を果たしたことだろう。いつの世も異議を唱え、アラームを鳴らし、警鐘を乱打する人物を必要としている。

緑雨警語 冨山房百科文庫 (41)

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