2012-02-11

ロジャー・スミス


 1冊読了。

 9冊目『血のケープタウン』ロジャー・スミス:長野きよみ訳(ハヤカワ文庫、2010年)/南アフリカ出身の作家によるノワール。中々面白かった。ギャンブルで身を持ち崩したアメリカ人が犯罪に手を貸すことを強いられ、挙げ句の果てに南アフリカへ逃亡する。悪徳警官のルディ・バーナードと夜警のベニー・マングレルが三つ巴となってメロディを奏でる。三人が三人とも追い詰められており、これが疾走感を生んでいる。逆説的ではあるがノワール(暗黒小説)は断固たる掟を描くことで、建て前としての法治国家を嘲笑する作品であることが望ましい。ストーリー上では判断ミスを巧みに設定できるかどうかが肝心で、これを登場人物のキャラクターに委ねてしまうと駄作になる。南アフリカではネックレスという処刑方法があるが、内側からの視点で書かれていて参考になる。

作家の禁じ手/『耽溺者(ジャンキー)』グレッグ・ルッカ


 ハードボイルドの文体は一人称が好まれる。三人称だと神の視点となってしまうからだ。もちろん創造者である作家は神として君臨するわけだが、リアリズムという大地を離れて作品は成立しない。その意味で本書は作家の禁じ手を犯したといってよい。

 アティカス・コディアック・シリーズの番外編で、ブリジット・ローガンが主役となっている。解説で北上次郎(目黒考二)が絶賛している。「ようやくブリジットに会えた! それが何よりもうれしい」と。金のために書かれたような文章だ。まったく信用ならない。鼻ピアスで身長が185cmのブリジットはシリーズ第1作に登場した時からやさぐれたキャラクターとして描かれている。そしてタイトルの「ジャンキー」とはブリジットのことだ。

 作家が登場人物を堕落させたり蹂躙(じゅうりん)することは最もたやすいことだ。そもそも私立探偵であるブリジットが囮(おとり)となって潜入捜査をする必然性があまり感じられない。過去の経緯(いきさつ)もさほど強いものではない。単純に考えればアティカスに頼んでやっつけてもらった方が手っ取り早いだろう。つまりリスクの選択自体に問題があるのだ。

 私に言わせれば、著者がブリジットを汚(けが)してしまっただけの話だ。このためアティカスの配慮が優柔不断にしか見えない。前巻でアティカスと関係を持ってしまったライザの身勝手さも実に底が浅い。大体、警護を生業(なりわい)とする者は果断に富んでいるのが当たり前で、善良な優柔不断さとは無縁であるはずだ。

 シリーズの寿命を延ばすためにブリジットを一度落としておく必要があったのだろうか? もしも今後の布石のためにブリジットに薬をやらせたとすれば、グレッグ・ルッカの大成は望めない。

 人間の行動には常にふたつの理由がある。
 もっともらしい理由と、真の理由が。
  ――J・P・モーガン

【『耽溺者(ジャンキー)』グレッグ・ルッカ:古沢嘉通〈ふるさわ・よしみち〉訳(講談社文庫、2005年)以下同】

 このエピグラフは著者にこそ突きつけられるべきだ。

 などとケチをつけたところで、文章がいいので読めてしまうんだよね(笑)。

 ヤクの夢はそんなに親切じゃない――それは感覚の狂喜であり、

 持たざることの利点のひとつは、散らかってもたかが知れていることだろう。

「創意工夫のかけらもないね」

「人生の黄昏どきに慈しむ思い出が欲しいのよ」

 どちらも声音の芯に同質の威厳がこもっていた。

「家族ってのは常に過大評価されるんだ」

 干上がったヤク中は右や左に、重力を打ち負かすほどの角度をつけて傾いている。

 もうそれ以上、ついてやれる嘘はなかった。

「じつに気高い行為だな、シスター」

「義憤のかたまりだ」

 次の作品がダメなら、グレッグ・ルッカには見切りをつける予定だ。

妊娠中絶に反対するアメリカのキリスト教原理主義者/『守護者(キーパー)』グレッグ・ルッカ
皮肉な会話と皮肉な人生/『奪回者』グレッグ・ルッカ
グレッグ・ルッカにハズレなし/『暗殺者(キラー)』グレッグ・ルッカ

耽溺者 (講談社文庫)

2012-02-10

白人奴隷とユダヤ人の奴隷商人

ガス室の問題 ロベール・フォーリソン













◎試訳:フォーリソン、大いに語る

文化でシオニズムへ対抗する イラン大統領と対面したデュードネ

2009年12月。フランスのお笑いタレント、デュードネは反シオニスト的発言によりユダヤイスラエルロビーの圧力で国内活動を妨げられていた。イラン大統領アフマディネ­ジャードはデュードネに映画製作の費用を提供した。



インディアンの羽


Native American Feathers


 逆光というアイディアが見事。太陽の下を飛ぶ鳥を見上げるような気分となる。

国家のクオリティはその国の報道のクオリティでも決まってくると思う

国家のクオリティはその国の報道のクオリティでも決まってくると思う。とすると、日本は表向きに報道の自由、表現の自由とか謳っておきながら、まったく時代遅れの共産主義国家並みに報道規制と圧力がかかっていて…それ以上に問題なのはそれでも日本は自由な国で平和だと刷り込まれた国民が多い事だ。
Feb 10 via TwitBird Favorite Retweet Reply

2012-02-09

女の叫び

顎を吹き飛ばされたシリアの少年


 閲覧注意のこと。


シリアの内戦

猪瀬直樹の差別観

野宿者排除が行われているさなかの副都知事のツイート https://t.co/gPtR3sbo QT @inosenaoki: こんな時間に起きている人は気質(かたぎ)じゃないね。イッパツ当てる山師か、ただの怠け者でゆくゆくは路上生活者か、歌舞伎町の人か、それとも大型トラックで高
Feb 09 via ついっぷる/twipple Favorite Retweet Reply


こんな時間に起きている人は気質(かたぎ)じゃないね。イッパツ当てる山師か、ただの怠け者でゆくゆくは路上生活者か、歌舞伎町の人か、それとも大型トラックで高速を疾走する運転手か、三交代の工場労働者か、病院や老人ホームではたらく使命感を生きる人か、惰性の受験生か、売れない作家か。
Feb 08 via web Favorite Retweet Reply

2012-02-08

関岡英之

1冊読了。

 8冊目『拒否できない日本 アメリカの日本改造が進んでいる』関岡英之(文春新書、2004年)/アメリカが日本に突きつける「年次改革要望書」を広く知らしめた一書。今読んでも内容は古くなっていない。アメリカが国益を実現するための仕掛けにメスを入れる。関岡は公開された情報で、ここまで切り込んでいる。日本はほぼ完全な属国であり、アメリカ国内の州以下の存在に貶(おとし)められている。結局、戦争に負けるとはこういうことなのだろう。終盤の「万人が訴訟する社会へ」は、TPPを予見する内容だ。日本を取り巻く政治力学を知るには格好のテキストだ。

2012-02-06

アニミズムという物語性の復権/『ネイティヴ・アメリカンの教え』写真=エドワード・S・カーティス


 昨日、色々と調べたところ「ネイティブ・アメリカン」なる言葉が政治用語であることを知った。

 全米最大のインディアン権利団体「AIM(アメリカインディアン運動)」は「ネイティブ・アメリカン」の呼称を、「アメリカ合衆国の囚人としての先住民を示す政治用語である」と批判表明している。

Wikipedia



言い換えに対する議論

 近年、日本のマスコミ・メディアにも見られる、故意に「インディアン」を「ネイティブ・アメリカン」、「アメリカ先住民」と言いかえる行為は、下項にあるように「インディアンという民族」を故意に無視する行いであり、民族浄化に加担している恐れがある。
 この呼び替え自体はそもそも1960年代の公民権運動の高まりを受けて、アメリカ内務省の出先機関である「BIA(インディアン管理局)」が使い始めた用語で、インディアン側から出てきた用語ではない。
 この単語は、インディアンのみならず、アラスカ先住民やハワイ先住民など、アメリカ国内の先住民すべてを指す意味があり、固有の民族名ではない。 
 また、「ネイティブ・アメリカン」という呼称そのものには、アメリカで生まれ育った移民の子孫(コーカソイド・ネグロイド・アジア系民族など)をも意味するのではないかという議論もある。

【同】

 というわけで本ブログも「アメリカ先住民」から「インディアン」へとカテゴリー名を変更した次第である。差別問題はかように難しい。わたしゃ、「インディアン」の方が差別用語だと思い込んでいたよ。

Before the storm -1906

 インディアンの思想はアニミズムである。精霊信仰だ。我々日本人にとっては馴染み深い考え方である。神社には必ずといっていいほど御神木(ごしんぼく)が存在する。

 科学的検証は措(お)く。人間社会は物語性がなければ枠組みを保つことができない。そしてグローバルスタンダードの波は、キリスト教世界――より具体的にはアングロサクソン人――から起こってアジアの岸辺を洗う。問題はキリスト教だ。

 キリスト教は人間を「神の僕(しもべ)」として扱い奴隷化する。そして神の代理人を自認するアングロサクソン人が有色人種を奴隷化することは自然の流れだ。例えばスポーツにおける審判に始まり、裁判、社外取締役などは明らかに神の影響が窺える。

 ヨーロッパはまだ穏やかだが、アメリカのキリスト教原理主義は目を覆いたくなるほど酷い。元々、ファンダメンタルズ(原理主義、原典主義/神学用語では根本主義)という言葉はプロテスタントに由来している。それがいつしかイスラム過激派を詰(なじ)る言葉として流通するようになったのだ。

 キリスト教世界は十字軍~魔女狩りと、神の命令の下(もと)で大虐殺を遂行してきた。魔女狩りを終焉させたのが大覚醒であったとする私の持論が確かであれば、虐殺の衝動はヨーロッパからアメリカへ移動したと見ることができる。

何が魔女狩りを終わらせたのか?

 つまり近代史の功罪はアメリカ建国の歴史を調べることによって可能となる、というのが私のスタンスである。

Edward S. Curtis - Red Hawk at an Oasis in the Badlands (1905)

 アングロサクソン人はアメリカ大陸に渡り、虐殺の限りを尽くした。インディアンは間もなく壊滅状態となった。なぜか? それはあまりにもインディアンが平和主義者であったためだ。人を疑うことを知らない彼らはアルコールを与えられ、酔っ払った状態で土地売買の契約書にサインをさせられた。文字を持たないインディアンはひとたまりもなかった。

 アングロサクソン人が葬ったインディアン。彼らの思想に再び息を吹き込み、その物語性を復興させることが、キリスト教価値観に対抗する唯一の方途であると私は考える。

安田喜憲

 われらは教会をもたなかった。
 宗教組織をもたなかった。
 安息日も、祭日もない。
 われらには信仰があった。
 ときに部族のみなで集(つど)い、うたい、祈った。
 数人のこともあった。
 わずか2~3名のこともあった。
 われらの歌に言葉は少ない。
 それは日ごろの言葉ではない。
 ときとして歌い手は、音調を変えて、
 思うままに祈りの言葉をうたった。
 みなで沈黙のまま祈ることもある。
 声高に祈ることもある。
 年老いたものが、ほかのみなのために祈ることもある。
 ときにはひとりが立ち上がり、
 みなが互いのために行なうべきことを
 ウセン(※アパッチ族における創造主。大いなる霊)のために行なうべきことを、語ることもあった。
 われらの礼拝は短かった。

  チリカワ・アパッチ族 酋長
  ジェロニモ(ゴヤスレイ)〈1829-1909〉

【『ネイティヴ・アメリカンの教え』写真=エドワード・S・カーティス:井上篤夫訳(ランダムハウス講談社文庫、2007年)以下同】

Tributo a Gerónimo (1829-1909)

Geronimo

Geronimo by Edward S. Curtis

ジェロニモ
『ヒトデはクモよりなぜ強い 21世紀はリーダーなき組織が勝つ』オリ・ブラフマン、ロッド・A・ベックストローム

 原始のよりよき宗教性が脈動している。宗教コミュニティはタブーを共有するところに目的がある。タブーを様式化したものが戒律だ。ところがインディアンの信仰には断罪的要素が少ない。このあたりも研究に値すると思われる。

 そして私が注目するのは「祈り」が願望を意味していない事実である。既成宗教なかんずく新興宗教は人々の欲望をくすぐり、財布の紐を緩くさせようとあの手この手で勧誘をする。あの世をもって脅し、この世の春を謳歌するのは教団のみだ。

 インディアンの信仰はコミュニケーションを闊達なものにしていることがわかる。真の祈りは、願いとも誓いとも無縁なものであろう。聖なるものに頭(こうべ)を垂れ沈黙に浸(ひた)るところに祈りの本義があると私は考える。

Edward S. Curtis.  Dancing to restore an eclipsed moon - Qagyuhl (The North American Indian; v.10)

 インディアンが羽根飾りを身につけているのは、
 大空の翼の親族だからだ。

 オグララ・スー族 聖者
 ブラック・エルク〈1863-1950〉

Edward S Curtis_1905_Dakota-Sioux-Man_Stinking Bear

 インディアンは誇り高い。彼らは「神と共に在る者」だ。彼らの言葉は具体性に満ちながらも高い抽象度を維持する。形而下と形而上を自在に往来する響きが溢れる。

 わたしは貧しく、そのうえ裸だ。
 だが、わたしは一族の酋長だ。
 富を欲しいとは思わないが
 子どもたちを正しく育てたいと思っている。
 富はわれらによいものをもたらさない。
 向こうの世界にもっていくことはできない。
 われらは富を欲しない。
 平和と愛を欲している。

 オグララ・スー族 酋長
 レッド・クラウド(マクピヤ=ルータ)〈19世紀後半〉

1904 - Yebichai War Gods - Edward S. Curtis - Photogravure - Past Present Gallery

「富よりも平和を」――我々が完全に見失った価値観である。富は社会をズタズタにする。富は人間をして暗い道へと引きずり込む。富は光り輝き、社会に影を落とす。

 古きインディアンの教えにおいて
 大地に生えているものはなんであれ
 引きぬくことはよくないとされている。
 切りとるのはよい、だが、根こそぎにしてはならない。
 木にも、草にも、魂がある。
 よきインディアンは、大地に生えているものを
 なんであれ引きぬくとき、悲しみをもって行なう。
 ぜひにも必要なのだと、許しを請(こ)う祈りを捧げながら。

 シャイアン族
 ウッデン・レッグ〈19世紀後半〉

 持続可能性のモデルがここにある。

世界中でもっとも成功した社会は「原始的な社会」/『人間の境界はどこにあるのだろう?』フェリペ・フェルナンデス=アルメスト

 変化の激しい社会は変化によって滅ぶ。

 それにしても彼らの相貌は力強い線で描かれたデッサンのような趣がある。眼光から穏やかな凛々しさを発している。

 インディアンの言葉を編んだ本はいずれも散慢なものが多い。それでも開く価値はある。人間が放つ光は神にもひけを取らない。彼らの英知と悟性が21世紀を照らしてくれることだろう。

Native American Edward Curtis Slow Bull's Wife

Swallow Bird-Apsaroke

Sigesh-Apache

9/11/2011 Curtis #89

12/26/2010 Curtis #716

Native American statue #2

ネイティヴ・アメリカンの教え (RHブックス・プラス)

「捏造、大衆操作の代名詞ベルナール=アンリ・レヴィ」アラン・ソラル





◎ベルナール=アンリ・レヴィ

「人道に対する罪に序列はない」ジャック・ヴェルジェス


◎ジャック・ヴェルジェス

仏作家アラン・ソラルに対しイスラエル活動家が暴力行為



ルワンダの子供たち 1994年


© Albert Facelly - Agence Sipa Press - 1994 Rwanda - Goma : le Génocide

ルワンダ大虐殺の爪痕
強姦から生まれた子供たち/『ルワンダ ジェノサイドから生まれて』写真、インタビュー=ジョナサン・トーゴヴニク

2012-02-05

貴志祐介、トレヴェニアン、鈴木一之、中村圭志

4冊挫折。

新世界より(上)』貴志祐介〈きし・ゆうすけ〉(講談社、2008年/講談社文庫、2011年)/文庫化されたので読んでみた。一行目で挫ける。「深夜、あたりが静かになってから、椅子に深く腰掛けて、目を閉じてみることがある」。「閉じて」と「みる」「ある」が混乱を招く。また、「深夜」は大抵静かなものだ。文体に贅肉がつきすぎている。

シブミ(上)』トレヴェニアン:菊池光〈きくち・みつ〉訳(ハヤカワ文庫、1987年)/ドン・ウィンズロウ著『サトリ』の前段階として読んだのだが面白くなかった。

景気サイクル投資法 裏バフェット型手法とは』鈴木一之(Pan Rolling Library、2008年)/現物だった。文章はよいのだが中身は薄い。

人はなぜ「神」を拝むのか?』中村圭志〈なかむら・けいし〉(角川oneテーマ21、2011年)/まず表紙の肩書きが気になる。「宗教批評家」。屋上屋を架すではないが、ダニの上に寄生するダニみたいなものか? そんな疑念を払拭できない。著者本人は「少しずっこけたトーン」(「おわりに」)のつもりらしいが、単なる軽薄の間違いではないのか? 二度目の「やれやれ」(15ページ)で完全に読む気が失せた。お前の投げやりな態度に付き合うつもりはないよ。ここのところ量産が目立つ中村だが、金輪際読むことはないだろう。

シュロモー・サンド『ユダヤ民族がどのように創作されたか』執筆の経緯

2009年12月12月、パリ高等師範学校(ENS)での講演。




ユダヤ人の起源 歴史はどのように創作されたのか

ガザ攻撃 イスラエル兵が民間人殺害を認める



イスラエルはレバノン元首相暗殺を準備 ヒズボラが証拠提示

強姦から生まれた子供たち/『ルワンダ ジェノサイドから生まれて』写真、インタビュー=ジョナサン・トーゴヴニク


 ちょっと油断をしていたら、もう品切れになってしまった。2010年刊だぞ。そりゃ、ねーだろーよ、赤々舎(あかあかしゃ)さんよ。版元になければ、是非とも図書館から借りて読んでもらいたい。特に女の子を持つお母さんは必読のこと。(※その後、増刷された)

 ルワンダ大虐殺は私の人生を変えた。

『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』レヴェリアン・ルラングァ

 当時は3ヶ月で100万人が殺害されたと報じられたが、現在は80万人という記述が多い。本書は母と子の写真集である。しかしながら普通の親子ではない。強姦された女性と強姦から生まれた子供だ。

 ジョナサン・トーゴヴニクは声を掛けずにはいられなかったのだろう。静かにインタビューをすることで、彼女たちの苦悶(くもん)の声を拾い上げた。神に見捨てられた女性の叫びは、いかなる神の声よりも重い。決して解決し得ない不幸がルワンダのあちこちでとぐろを巻いている。トーゴヴニクは性的暴力から生まれた子供たちの中等教育を支援するために「ルワンダ財団」を立ち上げた。

 私は奥歯を噛み締めることさえできなかった。ただ、わなわなと震えながら、血管という血管を駆け巡る怒りに翻弄された。もし許されるのであれば、どんな残虐なことでもやってのける自信はある。

 ルワンダで殺人や性的暴力や傷害を犯したフツの民兵の多くは、コンゴ民主共和国や近隣諸国へ逃げた。彼らはいまもなお現地で大規模な暴力行為を繰り広げ、多くの少女や女性たちを暴行しているのである。驚くべきことに、世界はこの地域に対して何も新たな行動を起こそうとしていない。

【『ルワンダ ジェノサイドから生まれて』写真、インタビュー=ジョナサン・トーゴヴニク:竹内万里子訳(赤々舎、2010年)以下同】

 元々ルワンダの宗主国はベルギーであった。その後、フランスとイギリスが首を突っ込む。アフリカ諸国の殆どは英語圏とフランス語圏が入り乱れている。欧米諸国の複雑に絡んだ利権が暴力の温床となっている。兵器売買の流れを詳細に検討しなければ、アフリカの現状を知ることはできまい。

 ルワンダの国立人口局は、強制的な妊娠によって生まれた子供の数を、2000人から5000人と推定している。しかし被害者団体の情報によれば、その数は実際1万人からおよそ2万5000人に及ぶという。ルワンダはきわめて父権制的な社会であるため、子供は父親の一族と見なされる。つまり、内戦時の性的暴力によって生まれた子供は、その地域に暮らす大半の人々にとっては敵側の存在として受け止められるのである。彼らはしばしば「悪しき記憶の子供」とか「憎しみの子供」と呼ばれ、母親や地域の人々から「小さな殺人者」と言われることもある。それゆえ、母親が性的暴力の事実を明らかにした途端、家族から拒絶され、地域社会から何の支援も得られなくなってしまう。そこには、ジェノサイドが人々の心に残した深い傷がある。大多数の女性は当時まだ少女だったので、公的にも私的にも性的暴力の事実を認めてしまえば、結婚という将来の希望は打ち砕かれてしまう。(マリー・コンソレ・ムカゲンド)

 被害女性が今度は身内からの暴力にされされるのだ。ここに政治の本質が浮かび上がってくる。我々は常に「敵か味方か」を問わずにはいられない。敵の子を生んだ者は敵だ。たとえそれが強姦であったとしても。利益共同体は残酷さを発揮する。

 ユニセフによれば、ジェノサイドの際に性的暴力を受けた女性の70パーセントはHIVに感染している。ヒューマン・ライツ・ウォッチは、ルワンダで性的暴力によって生まれた子供たちの大半は、15歳になるまでに母親をHIV/エイズで失うことになるだろうと予測している。エイズは、女性たちの最大の死因のひとつであり続けている。(マリー・コンソレ・ムカゲンド)

 強姦された挙げ句に子供を生まされ、身内からは見放され、そしてHIVに感染する。この世界に神様なんていないことが証明されたといえよう。いるんだったら連れて来い。俺がぶん殴ってやるから。

 私は正直でなければいけません。私は、この子を決して愛してはいません。この子の父親が私にした行為を思い出すたびに、それに対する唯一の復讐は、その息子を殺すことだと感じてきました。でも、私は決してそれを実行に移しませんでした。この子を好きになろうと努力してきましたが、それでもまた好きになれずにいます。(ジョゼット)

 子供に罪はない。だがその子は罪から生まれた。これほどの矛盾があるだろうか? 愛せない子供を育てる彼女たちを思えば、イエスが背負った十字架なんぞ軽いものだ。

 ページを繰るためには勇気を必要とする。そんな本だ。

Joseline with daughter Leah

 ルワンダでジェノサイドが起こり、誰も経験したことのないような苦悩を私たちが経験したということを、あなたに世界へ伝えてほしいのです。ジェノサイドが残したものだけでも、それと共に生きてゆくのは非常に大変なことです。国際社会は私たちを助けなかったのですから、それを償うべきです。いまジェノサイドの後を生きている私たちを、助けにやって来るべきです。(ステラ)

 これは、あなたや私に突きつけられた言葉だ。我々は同じ世界にいながら、彼女たちを無視してきたのだから。

 私はいつも勝気だったので、その男は他の民兵たちに、私の身長を低くするように命じました。そこで民兵たちは私の脚を棍棒で殴りました。脚を切り落とすのではなく、粉々になるまで打ち砕いたのです。(バーナデット)

hm
(※本書とは別の写真でウガンダの女性、Heather McClintock撮影

 せめて男たちを同じ目に遭わせるべきだ。それをしておかなければモラルが成立しない。彼らには凌遅刑(りょうちけい)か石打ち刑が相応(ふさわ)しい。

 息子の未来について考えるたびに、私は何の確信ももてなくなります。それが一番の問題です。私がペンを買ってやれないので、一学期じゅう家にいることもあります。私をひどく苦しめるものがあるとすれば、それは息子の明日です。(バーナデット)

 嗚呼――言葉が出てこない。底知れぬ闇の如き沈黙に沈むのみ。

 いまでも、人々がセックスを楽しむと聞いても、セックスを楽しむということがどういう意味なのかわからないのです。私にとってセックスは拷問であり、苦しみと結びついています。(バレリー)

 暴力はここまで人間を破壊し得るのだ。

 私は家族というものに興味はありません。愛というものにも興味はありません。私の身に訪れるのは不意打ちであり、あらかじめ計画されたものではないのです。私には自分の将来が見えません。私はときどき、家族をもつ人たちと自分を比べます。そしてジェノサイドで死ななかったことを後悔します。ジェノサイドはなぜ私の命を奪わなかったのだろうかと。(イザベル)

 生きること自体が彼女にとっては業苦であった。ジェノサイドで死ななかったことを後悔します、ジェノサイドで死ななかったことを後悔します、ジェノサイドで死ななかったことを後悔します……。

 彼は大勢の男たちを連れて来て、私が脚を閉じることができなくなるまで次々と暴行させました。(ウィニー)

 その場を想像してみよ。

 私は、自分の子供たち全員が見ているところで暴行されました。最初の5人までは覚えています。その後、私はわけがわからなくなりました。私が意識を失った後もなお、彼らは私を暴行し続けました。正直に言えば、あのとき、あの教会にいた女性は、全員暴行されました。(オリビア)

 更に想像を巡らせよ。

Intended Consequences: Rwandan Children Born of Rape @ Aperture Gallery

 結局、私の心が、長男を連れて行けと命じたので、その子を抱えて教会のドアへ向かって走りました。たくさんの人たちが走っていたので、私は転んでしまいました。息子をかばおうと、その子に覆いかぶさりました。人々は次々と倒れ、4段ほどに重なりました。民兵たちはその一番上から人々を切り刻んでゆきました。1段目、2段目、そして3段目となりました。自分は次だ、とわかりました。
 民兵たちが人々を殺していくにつれて、血が滴り落ちてきました。正直に告白しますが、私の口に血が落ちてきたとき、とても喉が渇いていたので、私はそれを飲みました。塩と血の混じったような味でした。そしてついに私の段に到達すると、民兵たちは言いました。「こいつはすでに死んでいると思う」。(オリビア)

 小説家が想像力を駆使しても、これほどの地獄は描けないことだろう。多くの死が彼女を救った。

 ジェノサイドが始まったとき、私は婚約していました。私の婚約者は、最初の3日間で殺された大勢のうちのひとりでした。私は、鉈(なた)で殺された彼の死体を見ました。その後、私は愛していないたくさんの男たちに暴行されました。その結果が、この子供たちです。私はもう二度と恋に落ちません。決してセックスを楽しみません。自分が母親であることや、子供をもつことに喜びを覚えることも決してありません。私はただ、それを引き受けたのです。(ブリジット)

 最後の一言があまりにも重い。苦しみ悶える彼女たちに「新しい物語」を吹き込む宗教は存在するのだろうか? それとも物語性から離れるべきなのだろうか? 人生に意味を求める思考回路が不幸を拭えぬものとしている。

 それは理解を超えているのです。動物でさえ、あの民兵たちのように振る舞うことはできないでしょう。(アネット)

 鬼畜と化した男どもは間違いなく動物以下の生き物であった。彼らが生きることを赦(ゆる)してはなるまい。

 娘は生き延びました。後になって、この子が私を暴行した民兵の子供であることを知ると、夫は娘の世話は決してできないと言いました。そして私たちがよい関係であり続けるために、この子を殺そうと言い出しました。私にはとても受け入れられませんでした。あるとき、彼は地面に赤ん坊が横たわっているのを見つけて、その上に自転車で乗りました。幸い、この子は生き延びました。またあるときには、夜酔っ払って帰って来た夫が、赤ん坊を壁に叩きつけました。娘の鼻から血がにじみ出ました。そのとき、私は娘の命を救うためにあと一歩で家出をするところでした。(ベアタ)

 二重三重の悲劇。被害者は何度も犠牲を強いられる。その運命に抗しようとすれば、プーラン・デヴィになるしかない。

両親の目の前で強姦される少女/『女盗賊プーラン』プーラン・デヴィ

 男たちは10人以上いて、私を暴行しました。ひとりがやって来て、その男が去るとまた別の男がやって来て、そして去っていきました。いったい何人だったのか、数えられません。ある男に暴行された後、私は喉が渇いているので水をもらえないかと頼みました。男はうなずき、一杯のグラスを持って来ました。口にすると、それが血だと気づきました。その男は言いました。「おまえの兄弟の血を飲んで、行け」。それが最後でした。(マリー)

 以下のブログでは「弟の血」となっている。

KazaLogue "写真のかざろぐ"

Rwanda, photographer unknown
(※本書とは別の写真)

 中にはこのような女性も存在した。

 そして自分にこう言い聞かせたのです。「この子を殺せない。愛そう」(イベット)

 生きることとは愛することであった。

 私たちを無視した世界には、あの悪事を働いた者たちを法の下で裁くのを助けてほしいと思います。(キャサリン)

 真っ当な要求だ。しかし世界はいまだに代価を支払おうとしていない。相変わらず無視したままだ。

 出産から2年間、私には自分と子供を養うすべがありませんでした。そこで売春をしたのですが、ひどいことにまた妊娠して子供を産みました。今度は性的暴力の結果ではなく、子供を育てるために行なった売春の結果として。(キャサリン)

 売春をしなければ生きてゆけない世界。これが我々の生きる世界なのだ。怒り、ではなく狂気が私の内側で吹き荒れる。

「ここでこいつを殺すな。俺が必ず苦痛で死なせてみせる」。男はコップを持って来て、そこに放尿すると、私に飲ませました。翌日食べるものを持って来ましたが、そこには石と尿が混ぜられていました。そういうことを、男は何日間にもわたって続けました。「おまえは俺のトイレだ」と言い、放尿したいときはには私の脚を開いて、私の性器にしました。コンゴの難民キャンプへ行ってからも、男は私を離さず、したいときにはいつでも拷問や暴行を繰り返したのです。(アリン)

 願わくは私に男を処刑する権限を与えて欲しい。

Isabelle with son, Jean-Paul

 私はHIVと、この息子を負っています。しかし正直に言うなら、HIVは息子の人生ほど私を悩ませはしません。息子は私の人生そのものですから。あるとき、私は医療カードを受け取りに政府のジェノサイド生存者基金へ行きました。そこで息子の分のカードも尋ねると、私はこう言われてほとんど殺されかけました。「民兵の息子が政府のお金をもらうだなんて、いったいどうやったらそんなことが言えるんだ?」しかし私にとっては、息子は他の子供と同じ子供なのです――この子はどこに属しているのでしょうか?(エスペランス)

 家族の次は政府からも見放される。「死ね」と言われたに等しい。

 ジェノサイドについて語ろうとしても、十分な言葉が見つからないのです。(ウェラ)

 正真正銘の不幸は言葉にできない。それは「表現されること」を望まない。説明不可能な「状態」なのだ。

 司祭が私に、司祭長の家に隠れるようにと言いました。私がそうすると、司祭は自分の友人を呼び、「ツチの少女を楽しむ」機会だと言いました。こうして彼らは私を暴行しました。2人は司祭長の家で、それぞれ3回私を暴行しました。(クレア)

 聖職者という名のクズどもだ。キリスト教は人間を抑圧するゆえ、タガが外れると欲望まみれとなる。世界史の中で最も残虐ぶりを発揮してきたのがクリスチャンであることは間違いない。それは今も進行中だ。

 今日、私は大きな問題を抱えています。私は母親ですが、母親でありたくないのです。私はこの子を愛していません。この子を見るたびに、暴行の記憶がよみがえります。この子を見るたびに、あの男たちが私の両脚を広げるイメージが浮かびます。娘が無実だということはわかっていますし、娘を愛そうとしました。でも、できませんでした。普通の母親が子供を愛するようには、私には娘を愛せないのです。(中略)ときどき、自分はなぜ中絶しなかったのだろうかと後悔します。(フィロメナ)

 暴力から生まれた子供たちは愛されることなく育てられ、再び暴力の渦へと引き寄せられるのだろうか?

 最初の6年間、私は男性に近づくことすら耐えられませんでした。人々に通りすがりに、「ほら、あの娘をごらん。暴行されたんだよ」などと言われると、私の心はずたずたに傷つけられます。自分に何の価値もないような気持ちになります。だからそのことは考えないようにしてきました。人々は私たちを、民兵の性欲の食べ残しなのだと言います。そのことを考えるたびに、私は自己嫌悪に陥ります。それについては話したくありません。(デルフィン)

 噂話というセカンドレイプ。結局、フツ族もツチ族も一緒なのだろう。人間ってのは、下劣な生き物なのだ。さっさと滅んでしまった方がいいのかもしれない。

「マミー、どの子にもお父さんがいるよ。なぜ私にはお父さんがいないの?」(シャンタルの娘ルーシー)

jt

 読んでいて途中で気づかされるのだが、子供たちの瞳に撮影者のジョナサン・トーゴヴニクが映っている。だが実は彼ではない。それは「私」なのだ。通り一遍の同情を寄せるだけで、実際は何もしない私の姿が立ち現れる。彼らの目に映る世界を構成しているのは私である。その事実に打ちひしがれる。だが、絶対に暴行した男たちを私が許すことはない。

 私は君たちと共に生きよう。

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「写真の学校」第二回 写真から人を考える~『ルワンダ ジェノサイドから生まれて』/竹内万里子&カンベンガ・マリールイズ
ジョナサン・トーゴヴニク公式サイト(英語)
リレーエッセイ『ルワンダ ジェノサイドから生まれて』に寄せて
紛争が生んだ母子の肖像 写真展「ルワンダ ジェノサイドから生まれて」
ジョナサン・トーゴヴニク写真展「ルワンダ ジェノサイドから生まれて」
ルワンダの子供たち 1994年
ルワンダ大虐殺の爪痕
レイプという戦争兵器「絶対に許すな」ムクウェジ医師、DRコンゴ
1日に1100人以上の女性がレイプされる国 コンゴ
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