2012-12-15

『20世紀SF』(全6冊)河出文庫

20世紀SF〈1〉1940年代―星ねずみ (河出文庫) 20世紀SF〈2〉1950年代―初めの終わり (河出文庫) 20世紀SF〈3〉1960年代・砂の檻 (河出文庫)

20世紀SF〈4〉1970年代―接続された女 (河出文庫) 20世紀SF〈5〉1980年代―冬のマーケット (河出文庫) 20世紀SF〈6〉1990年代―遺伝子戦争 (河出文庫)

レイ・ブラッドベリ


 1冊読了。

 70冊目『とうに夜半を過ぎて』レイ・ブラッドベリ:小笠原豊樹〈おがさわら・とよき〉訳(河出文庫、2011年/集英社、1978年/集英社文庫、1982年)/河出書房新社から復刊。20年振りに再読した。「読む官能」ともいうべき刺激に溢れている。やはり小説は年をとらないと読めないものだ。そこそこ面白かったと記憶していたが、そんなレベルではなかった。ダフネ・デュ・モーリア著『鳥 デュ・モーリア傑作集』、福永武彦著『廃市・飛ぶ男』、山本周五郎著『日日平安』、ちくま日本文学の『中島敦』、それに本書を加えて短篇集ベスト5としたい。467ページのどこにも隙(すき)がない。本が涎(よだれ)だらけになってしまった(ウソ)。

人が一番嘘をつくのは選挙の前だ


2012-12-12

ウゴ・チャベス 世界人権委員会批判・シリア国家主権尊重 2012年8月1日

ロン・ポール「イラン制裁は戦争行為 米国の干渉はシリアを解放しない」


 2012年8月1日。

シリア情勢 コフィ・アナン辞任 冷戦の様相 2012年8月3日

リチャード・E・サイトウィック、デイヴィッド・M・イーグルマン、片山一良、アルボムッレ・スマナサーラ


 4冊挫折。

脳のなかの万華鏡 「共感覚」のめくるめく世界』リチャード・E・サイトウィック、デイヴィッド・M・イーグルマン:山下篤子訳(河出書房新社、2010年)/リチャード・E・シトーウィック、改めリチャード・E・サイトウィックの新著。表記については山下があとがきで言いわけをしている。カラー図版が多く気合の入った作りだ。個人的な関心が低下してしまい読了できず。

月曜閑談』サント・ブーヴ:土居寛之訳(冨山房百科文庫、1978年)/ウェブで小林秀雄が書いた文章に目が止まり、直ぐ取り寄せた。最初っから「覚書と断想」しか読むつもりはなかった。わずか17ページではあるが十分お釣りがくる。小林が翻訳した『我が毒』も読んでみたい。

ブッダのことば パーリ仏典入門』片山一良〈かたやま・いちろう〉(大法輪閣、2008年)/後回し。中村本の後で読むことに。

沙門果経 仏道を歩む人は瞬時に幸福になる』アルボムッレ・スマナサーラ(サンガ、2009年)/これまた中村本の後に回す。仏典テキストは片山訳を採用している。六師外道の内容が詳しく書かれている。元々は「仏教以外の教えを説いている6人の高名な先生」との意味であるという。沙門果経はアジャータサットゥ(阿闍世王)とブッダの対話が基調となっている。観無量寿経と比較することで大衆部の政治的狙いが見抜けるようにも思う。

GDPに占める生活保護費の割合


2012-12-10

シリア情勢 ダマスカスの戦いが始まった 2012年7月19日

イスラエルにおける洗脳教育

外科医オーベルラン ガザの証言を出版


 パレスチナのガザ地区で爆撃による麻痺患者に手術を施すフランス人医師クリストフ・オーベルラン氏。著作『ガザの時評2001年-2011年』の出版に際して。

アイガー北壁のスピードクライミング

Eiger - North Face

Eiger North Face.

Eiger north face

 スイスの登山家、ウエリ・シュテック氏が、三大北壁と呼ばれる難関ルート、アイガー北壁(高さ1800mの岩壁)を2時間47分で登った時の映像






 スイスのガイド、Dani Arnold(27) が、アイガー北壁をヘックマイヤールート経由で、4/20 に 2時間 28分というタイムで登頂しました。これまでの記録はウエリ・シュテックが 2008年に出した 2時間 47分という記録でした。Dani は 4/20 の 9:05 に北壁の基部をスタートし、山頂には 11:33 に到達しています。北壁の登攀ルートとしてはメジャーなルートであることから、トレースが残っていたりと条件が良かったようです。彼は、パタゴニアの Torre Egger の冬期初登などの記録を持っています。


 因みにアウトドアブランドの「ザ・ノースフェイス」はアイガー、グランドジョラス、マッターホルンの北壁(三大北壁)に由来する。ロゴの右側に描かれている三つのドームがそれ。

the-north-face-logo

『神々の山嶺』夢枕獏

愚かさをありのままに観察し、理解する




Q――粗野な心も敏感になれるのでしょうか。

 質問を、言葉の裏の意味を聴いてごらんなさい。粗野な心も敏感になれるのでしょうか。私の心は粗野だと思い、敏感になろうとするなら、敏感になろうとするその努力こそが粗野なのです。どうかここを見てください。感心していないで、見てごらん。ところが、私が粗野であることを、変えたがらずに、敏感になろうとせずに認識したり、粗野とは何かを理解しはじめて、日々の生活でそれを――私の欲張った食べ方や人々と接するときの粗々しさ(ママ)、誇り、傲慢、習慣や思考の粗雑さを観察するなら、そのときはその観察こそが【ありのまま】を変革するでしょう。
 同様に、私は愚かなので、智慧を得なくてはならないと言うなら、智慧を得ようとするその努力はもっと大型の愚行にすぎません。なぜなら、重要なのは愚かしさを理解することだからです。どんなに智慧を得ようとしても愚かしさは残るでしょう。学問の表面的な洗練は獲得するかもしれません。本を引用したり、偉大な著者(ママ)の一節を反復したりはできるかもしれません。しかし、基本的に私は愚かなままでしょう。しかし、日常生活に表現される愚かしさ――私がどのように召使に対して振るまうか、隣の人、貧しい人、豊かな人や会社員をどのようにみなしているのかを見て、理解するなら、そのときはその気づきが愚かしさを断ち切ることになるでしょう。
 やってごらんなさい。自分が召使に話しているのを見つめ、知事と接するときのとうほうもない尊敬や、何も与えてくれるものを持たない人にはどれほど尊敬を示さないのかを観察するのです。そのとき、君は自分がどんなに愚かであるのか、見出しはじめます。その愚かしさを理解するところに、智慧や敏感さはあるのです。敏感に【なる】ことはないのです。何かになろうとしている人は醜く、鈍感です。それが粗野人なのです。

【『子供たちとの対話 考えてごらん』J・クリシュナムルティ:藤仲孝司〈ふじなか・たかし〉訳(平河出版社、1992年)以下同】



Q――「進歩」という言葉の意味は何でしょう。

 ほとんどの人々のように、あなたも理想を持っていることでしょう。おして、理想は事実や現実ではありません。それはある【べき】ものであり、何か未来のことなのです。そこで、私が言うのはこういうことです。理想は忘れてしまいなさい、そして、自分のありのままに気づいていなさい。あるべきものを追求せずに、【ありのまま】を理解してみなさい。実際のありのままの理解は、あるべきものの追求よりもはるかに重要です。なぜでしょう。なぜなら、ありのままを理解するところから、自然な変革の過程が始まるからです。ところが、自分がこうある【べきだ】と考えるものになっていくとき、そこにはまったく変化がなく、形を変えた同じ古いものの継続だけがあるのです。心が自分は愚かだと知って、その愚かしさを智慧に、すなわちある【べき】ものに変化させようとするなら、それはばかげているし、それでは意味も真実もありません。それはただ自己投影の追及で、ありのままの理解の延期にすぎません。自分の愚かしさを他のものに変化させようとうするかぎり、心は愚かなままなのです。しかし、心が「自分は愚かだと実感しているので、愚かしさとは何かを理解したい。それゆえに、愚かしさに立ち入ろう、それがどのようにして生じてきたのか観察しよう」と言うなら、そのとき、まさにその探究の過程こそが、根本的な変革をもたらします。(中略)
 進歩は時間を意味しているでしょう。というのも、牛車からジェット機に至るには何世紀もかかっています。そこで、私たちは同じように真実や神も時間をかければ見つかると考えます。私たちはここにいて、神を向こう側か、はるか彼方にあると考えて、その距離、間隔を埋めるには時間が必要だと言うのです。しかし、神や真実は固定していないし、私たちも固定していません。固定した出発点もなく、固定した到達点もないのです。私たちは真理的な安全という理由のために、一人一人に固定した点があり、真実もまた固定しているという考えにすがります。しかし、これは幻想です。事実ではありません。内的、精神的に進化したり、進歩する時間を求めたとたんに、私たちのしていることはもはや精神的ではないのです。なぜなら、真理は時間のものではないからです。時間に囚われている心は、真実を見つける時間を必要とします。しかし、真実は時間を超えていて、固定した点を持ちません。心は、意識的にも無意識的にも、すべての蓄積から自由でなくてはなりません。そのときにだけ、真理とは何か、神とは何かを見出すことができるのです。

ブッダの真理のことば・感興のことば (ワイド版 岩波文庫)ブッダの真理のことば・感興のことば (岩波文庫)子供たちとの対話―考えてごらん (mind books)

『子供たちとの対話 考えてごらん』J・クリシュナムルティ
本覚思想とは時間的有限性の打破/『生と覚醒(めざめ)のコメンタリー 1 クリシュナムルティの手帖より』J・クリシュナムルティ

2012-12-09

我々が弔う人間とそうでない人間、あるいは悼む人間とそうでない人間