2014-03-12

「信じる」とは相関関係に基づいて形成された因果関係の混乱/『哲学者とオオカミ 愛・死・幸福についてのレッスン』マーク・ローランズ


 わたしたち人間のユニークさというのは単に、人間がこうした所説を語るという事実、しかも自分自身にこうした所説を信じ込ませることが実際にできる、という点にある。もし、わたしが人間の定義を一言で表現しよとするなら、次のようになるだろう。「人間とは、自分自身について自分が語る所説を信じる動物である。人間というのは、根拠なしに軽々しく信じやすい動物なのだ」と。
 昨今の暗い時代にあって、わたしたちが自分自身について語る所説が、ある人間と別の人間を差別する最大の源になり得る、ということを強調することはないだろう。信じやすい性質はしばしば、ほんの一歩で敵意に変わってしまうのだ。

【『哲学者とオオカミ 愛・死・幸福についてのレッスン』マーク・ローランズ:今泉みね子訳(白水社、2010年)】

 知識という知識は未来の予測を目指す。農耕という文明は食糧を蓄えるところに目的があったのだろう。人間と動物の差異に注目するのは欧米の文化だろう。我が国の場合はむしろ日本人と外国人の違いを巡る議論が多い。

 キリスト教では神に次ぐ位置にいるのが人間のため、動物を下等なものに貶(おとし)めることで神に近づけると思っているのだろう。その思い上がりが世界を混乱に導いている。

 信じる行為はコミュニティ化、社会化が進むに連れて広範な領域に及んだ。信頼関係があればこそ分業が成立するのだ。我々の生活は食べ物から乗り物に至るまで殆どを他人の手に委ねている。原子力発電も安全だと信じてきた。いまだに信じている人々も多いようだが。

 信じるという点では洋の東西に大差はない。「信じる」とは相関関係に基づいて形成された因果関係の混乱といってよい。「薬の効力を調べる場合、『使った、治った、効いた』という『三た』式思考法は危険なのだ」(『霊はあるか 科学の視点から』安斎育郎)。祈った、治った、効いたという思考法はいかがわしい健康食品の類いと一緒である。

 テンプル・グランディンが動物にも確証バイアスがあることを示した。私はここに宗教発生の源があると考えている(宗教の原型は確証バイアス/『動物感覚 アニマル・マインドを読み解く』テンプル・グランディン、キャサリン・ジョンソン)。

 我々が信じて疑わない最大級のものは宗教と国家であろう。そしてこの二つは憎悪生産装置として作動する。ウェブ上における信者の言動を見れば一目瞭然だ。彼らは罵倒・中傷・讒謗(ざんぼう)に生き甲斐を見出しているかのようだ。争え、争え。もっと争え。そしてさっさと滅ぶがいい。

哲学者とオオカミ―愛・死・幸福についてのレッスン

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