2014-03-02

幼い日の風景が人間を形成する/『エリック・ホッファー自伝 構想された真実』エリック・ホッファー


 ・幼い日の風景が人間を形成する

『魂の錬金術 エリック・ホッファー全アフォリズム集』エリック・ホッファー

 不思議なことに、幼いころの記憶は曖昧である。7歳のとき、私は視力を失った。5歳のとき、母が私を抱いたまま階段から落ちている。それがもとで母は体をこわして2年後に亡くなり、その年私は失明した。しばらくの間は記憶もなくした。妻に先立たれ盲目の息子を抱えた父が、私のことを「白痴の子ども」と呼んでいるのを聞いたことがある。
 記憶のなかの母は小さくて、いつも何かにおびえていた。それでも大きくなった5歳の息子を抱きかかえていたくらいだから、たぶん私のことを愛していてくれたに違いない。いまでも時折、母の指が背中に触れている気がして、夜中にふと目を覚ます。

【『エリック・ホッファー自伝 構想された真実』エリック・ホッファー:中本義彦訳(作品社、2002年)以下同】

 エリック・ホッファー(1902-1983年)は独学の人であった。正規の教育は受けていない。季節労働者として働きながら図書館へ通い、大学レベルの物理学と数学をマスター。その後、植物学も修める。「沖仲仕の哲学者」と呼ばれ、39歳から始めた沖仲仕の仕事をこよなく愛した。1964年、カリフォルニア大学バークレー校の政治学研究教授となる。


 ホッファーは15歳で奇蹟的に視力を回復する。それから「目が見えるうちに」と貪るような読書が開始された。きっと世界を味わい尽くすような視線であったことだろう。今日のニュースで「読書時間ゼロの大学生が4割を超えた」と伝えられていた。本を読む読まないは自由だ。たとえ読書をしたところで本に読まれることも多い。本に接する態度は人間に接する態度と同じだ。浅い心で数をこなしてもしようがない。ただ、読んで後悔することよりも、読まずして悔いることの方が大きいのは確かだ。

 年が長ずるにつれて幼い日の風景が自分自身の深い部分を形成している事実に気づく。大人が何気なく発した心ない言葉が子供の胸に永く刻まれる。子供の精神は柔らかな木のような性質で、そこに大人が彫刻刀で喜怒哀楽を彫り込むのだろう。ホッファーの淡々とした文章が「母の指」という一語で色彩をガラリと変える。不幸が幸福を高める。本当の不幸を知らなければ幸福を味わうことも難しい。

 誰もが誰かに背中を支えてもらっている。その自覚を欠けば感謝の心を失う。幼いホッファーに愛情をそそいだのはマーサという女性であった。親戚であったのか家政婦であったのかはわからないと書かれている。この女性がホッファーの人生に決定的な影響を与えた。人は愛されることで初めて人間へと育つ。自分を肯定できなければ人を思うことはできない。

 ドイツ系移民であったホッファーに母語であるドイツ語と英語を教えたのはマーサであった。後年、ホッファーは勤務先のレストランで給仕をしながら、ある大学教授の手助けをした。ドイツ語で書かれた植物学の文献を翻訳したのだ。この人物がカリフォルニア大学バークレー校の柑橘類研究所所長であった。ホッファーは既に植物学にも精通していた。

 話は戻るが、視力を回復し書店に飛び込んだホッファーの目に止まったのはドストエフスキーの『白痴』であった。彼は幾度となく読み返すようになる。この読書体験が脚力となったことは間違いあるまい。父が放った言葉は引っくり返された。

 人間の記憶は曖昧なもので、時に書き換えることも決して珍しくない。昔の淡い記憶であれば尚更である。しかしその時の自分の反応だけは確かなものだ。子供に自信を与える大人が一人でもいれば、その子は救われる。別に親である必要はない。赤ん坊は大人が喜ぶ態度を自然のうちに繰り返すという。人間には生まれながらにして他人を喜ばせる本能があるのだ。それをなくした大人にだけはなるまい。

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