2014-07-13

語もし人を驚かさずんば死すとも休せず/『日本警語史』伊藤銀月


 3年前に読んだのだが書き忘れていた。書くのが不得手なため、どうしても読む量に追いつけない。多忙であっても読む時間は捻出するが、書く時間は失われる。限りある人生は優先順位によって進んでゆく。

 Google日本語入力に「警語」はない。やがては警句が死語になるのも時間の問題か。警語とは「人を驚かすような、奇抜な言葉」(デジタル大辞泉)である。「警」の字には「注意を与え、身を引き締めさせる。非常の事態に備える」(デジタル大辞泉)の意がある。類語には寸鉄(アフォリズム)など。

 伊藤銀月は萬朝報(よろずちょうほう)の記者をしていた人物で明治~昭和初期の小説家・評論家。

 語もし人を驚かさずんば死すとも休せず 何ぞ警語の日本史あらずして可ならんや

【『日本警語史』伊藤銀月〈いとう・ぎんげつ〉(実業之日本社、1918年/講談社学術文庫、1989年)以下同】

 今調べて初めて知ったのだが前段は杜甫の詩のようだ。

為人性僻耽佳句,語不驚人死不休。(わたしは人となりがすこしかたよった性質のようで、よい詩句を作ることにけんめいになっている。人を驚かすような良い語句を吐きだすまでは死んでも休まないということである)

春・春水 を詠う 律詩、絶句 : 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩 杜甫全詩集1500

 近代デジタルライブラリーに本書の画像がある。

近代デジタルライブラリー

 ある意味においての名物男某なる者ありき。欧米における軽薄なる方面の流行を模(も)して、ただ到らざらんことを恐れ、その人目(じんもく)に新たなる特徴として、元来短く出来たる頸(くび)に、極めて高き襟(えり)を着け、これがためにほとんど咽喉(のど)を締めて頤(あご)を突き上げられたるが如き痛苦(つうく)と不便とを感じつつも、ひとえに外観の犠牲となりて忍耐し、己(おのれ)の足許(あしもと)を見るべく要求する時には、面(おもて)を俯(うつむ)くること能(あた)わざるをもって腰を直角に曲げ、背後(うしろ)より呼びかけられたる場合にも、頸だけ廻らねば、くるりと全身の方向を転ずるの労力に甘んぜるを得ず。かくて、その着くるところの標識たる高襟(ハイカラー)は、同時にその人格の浅薄劣悪をシンボライズするところの標識となり、「ハイカラー!」の一語よく彼を冷殺(れいせつ)もし、時人(じじん)の嘲笑の的とも為し、ついには、彼をして社会に安住するの重量を失わしむるに及びて已(や)みぬ。
 否、この語の感伝力の強大なる、すでにその本来の目的を達するに到りてもなお已みしにあらず、さらに広布(こうふ)して、「ハイカラー」より転化したる「ハイカラ」となり、あるいは「灰殻」(はいから)という宛字(あてじ)によって変形せしめられ、あらゆる皮相の欧化者流を嘲笑する目的に供せられ、女性にしてその頭髪を洋風にする者もまた、「ハイカラ」の部類に編入せらるるを免れざるに到りたるが、広布の範囲大なるに随(したが)って、これに含まるる嘲笑味もまた稀薄とならざるを得ず、何時(いつ)しか、「ハイカラ」の称呼がこれを受けたる者を傷つくる力を失うを致せり。

 ね、面白いでしょ(笑)。文語体の罵倒には短刀のような鋭さがある。ネトウヨ諸君もかくの如き格調高い言説を試みるべきであろう。ハイカラも既に死語だ。私の世代がこの言葉を知っているのは子供の時分にアニメ「はいからさんが通る」が放映されていたためだ。


 時代は歩調を早めた。1900年頃は西洋かぶれを表したハイカラという言葉は、やがて進歩的・お洒落を意味するようになる。今、我々が読むと古い時代にしがみつくジイサンの戯言(たわごと)のように感じるのは、書き手の不明がわかっているからだ。

 ある一時両国の本場所における力士が、正々堂々の角抵(かくてい/相撲)を避け、褌(ふんどし)を緩(ゆる)くして敵の指し手を無効ならしめんことを試むるところの、卑劣なる計画の流行を来(きた)りしより、「緩褌」(ゆるふん)の一語もって軟骨陋心(なんこつろうしん)の政客(せいかく)を冷罵(れいば)するの目的に応用せらるるに到り、人をしてその婉曲(えんきょく)んしてしかも痛切なるに感嘆を禁ずる能わざらしめしも、またこの類にあらずとせざるなり。警語(けいご)とはこれ此(かく)の如きものを意味するなり。

 今なら「八百長」あるいは「出来レース」か。緩褌は政治家の緊張を欠いた姿勢を衝(つ)くものだが、官僚のシナリオを演じる政治家には相応しくない言葉だろう。

 西大陸の植民新たに独立を企て、亜米利加(アメリカ)合衆国建設の萌芽(ほうが)を見るべき機運まさに到らんとせし際、衆心(しゅうしん)なおぎ疑懼(ぎく)の間にあり。このとき、火の舌と焔(ほのお)の気とをもって天より降(くだ)されたる革命の子パトリック・ヘンリーあり。狂的熱弁を揮(ふる)って同胞を鼓舞し、最後に寸鉄殺人的一句を添加して曰く、「未だ諸君の出ずる所何(いず)れに在るかを知らずと雖(いえど)も、予はただ予自身のために祈る。神よ、予に自由を授けよ、しからずんば死を授けよ!」と。自由にあらずんば死。なんぞそれ語の沈痛なる。これを聴く者ためにひとたび■然(しょうぜん/りっしんべん+束)として黙思(もくし)し、しかして後(のち)、頭脳破裂して血液併発(併はニンベンではなくシンニュウ)せるが如き喝采の声を併せたり。この声須臾(しゅゆ/わずかの時間)に波動を伝えて、すなわち、新大陸を震撼するの激浪洪濤(げきろうこうとう)となり、人として革命の歌に合唱を与えざる者あらざるに至りぬ。警語とはそれ此(かく)の如きものを意味するなり。

「自由を与えよ。然らずんば死を(Give me Liberty, or give me Death!)」との有名な言葉が劇的に綴られている。警世の言が人々の胸に突き刺さり、時代を動かした。
 警語は、時として熱語(ねつご)なることあり、冷語(れいご)なることあり、正語(せいご)なることあり、奇語(きご)なることあり、軟語(なんご)なることあり、硬語(こうご)なることあり、柔語(じゅうご)なることあり、豪語なることあり、温語(おんご)なることあり、痛語(つうご)なることあり、甘語(かんご)なることあり、苦語(くご)なることあり、倹語(けんご)なることあり、誇語(こご)なることあり、また、必ずしも毒語(どくご)、悪語(あくご)、邪語(じゃご)なるを妨げざることあり。要するに、これを発する場所と時機とに適応して寸分の過不及(かふきゅう)なく、凱切(がいせつ)にして徹底、人の胸を刺し貫いて、鋒尖(ほうせん)白く脊梁(せきりょう)に出ずるものなれば足れるなり。したがって、警語は如何なる場合にも決して冗漫なるを得ざるの約束に支配せらる。節の長短、調(ちょう)の緩急は、場合によりての手加減あるべしと雖も、必ず常に、十二分に鍛錬緊縮せられて、精髄を結晶せしめたるが如く簡潔純粋なるものならざるべからざるなり。

 結局のところラジオやテレビが警語を死なせたのだろう。そして新聞は官報と堕した。大政翼賛に加担することで新聞記者は筆を折り、戦後はGHQに屈する格好で更に筆を折ったのだろう。既にペン先しか残っていないがゆえに、彼らはキーボードに乗り換えたのだ。

 しかして、警語はある場合においては批評たり、ある場合において形容たり、ある場合において告白たり、ある場合において主張たり、ある場合において論詰(ろんきつ)たり、ある場合において断定たり。

 死んだのは警語ばかりではない。言葉そのものが死につつある。やはり政治や教育の影響が大きいのだろう。歌われるのは恋愛沙汰ばかりで人生そのものが不毛になりつつある。

 もう一つだけ紹介しよう。

 彼等(※江戸っ子)はややもすれば、「蹴飛ばした!」と云い、「蹴飛ばされた!」と云う。

 古今亭志ん生の落語で聴いたような聴かなかったような……。うっちゃったとか、ひっくり返したも使っていそうだ。東京の人の多さがひしひしと伝わってくる。

 なお、ミスター警語といえば斎藤緑雨(『緑雨警語』)であり、アフォリズムとしてはエリアス・カネッティ著『蝿の苦しみ 断想』を推す。

日本警語史 (講談社学術文庫)

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