2015-04-16

極太の文体/『内なる辺境』安部公房


 べつに、すべての軍服が、ファシズムに結びつくなどと思っているわけではない。
 しかし、あらゆる軍服の歴史を通じて、やはりナチス・ドイツの制服くらい、軍服というものの神髄にせまった傑作も珍しいようだ。あの不気味に硬質なシルエット。韻を踏んでいるような、死と威嚇の詩句のリフレイン。実戦用の機能を、いささかも損なうことなく、しかも完全に美学的要求を満足させている。

【『内なる辺境』安部公房〈あべ・こうぼう〉(中央公論社、1971年/中公文庫、1975年)以下同】

 実は安部公房の小説を読み終えたことがない。丸山健二が評価していることを知ってから何冊か開いたがダメだった。本書もエッセイだからといって全部に目を通すつもりはなかった。ただ、熊田一雄〈くまた・かずお〉氏のブログで見つけた文章を探すためだけに読んだ。私は胸倉をつかまえられた。そのままの状態で結局読み終えてしまった。

 極太の文体である。太い油性ペンで書かれた角張った文字のような印象を受けた。目的の言葉は冒頭の「ミリタリィ・ルック」(1971年)にあった。


 と言うことは、同時に、ナチスの制服が、いかに完璧に彼等の素顔を消し去り、日常を拭い去っていたかの、証拠にもなるだろう。敗北が彼等から奪ったのは、単なる闘志や戦意だけではなかったのだ。彼等が奪われたのは、まさに制服の意味であり、制服の思想であり、制服を制服たらしめていた、国家そのものだったのである。
 この2枚の写真は、ある軍服の死についての、貴重な記録というべきだろう。それはまた、一つの国家の死の記録でもある。動物の死の兆候が、まず心臓にあらわれるように、国家の死の兆候は、こんなふうにして軍服の上にあらわれるのかもしれない。

 2枚の写真から制服のシンボル性を著者は探る。1枚はドイツ兵が戦闘に向かう場面で、もう1枚は白旗を掲げる写真であった。

 制服は秩序を象徴する。我々は無意識のうちに行動や思考を制服に【合わせる】。というよりはむしろ、TPOに応じた服装そのものによって自分の型(スタイル)を表現していると考えられる。軍服が示すのは他人を殺す意志と、他人に殺される覚悟であろう。意識が尖鋭化するという点では勝負服やコスチュームプレイも軍服に近いと思われる。それを着用する時、人は衣服に同化する。

 ともかく、どうやら、悲痛な異端の時代はすでに過ぎ去ったらしい。本物の異端は、たぶん、道化の衣裳でやってくる。

 学生運動が翳(かげ)りを帯びた頃、ミリタリィ・ルックが流行った。そして2~3年前から迷彩柄が流行している。ファッションとしてのアーミーは異端ではなく迎合である。「道化の衣裳」と聞いて私の貧しい想像力で思い浮かぶのは、花森安治のオカッパ頭とスカート、楳図かずおの紅白ボーダーライン、志茂田景樹のタイツなど。

「道化」という言葉に託されたのは具体性よりも、時代を嘲笑する精神性なのだろう。

内なる辺境 (中公文庫)

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