2015-04-03

火星人の一人/『My Brain is Open 20世紀数学界の異才ポール・エルデシュ放浪記』ブルース・シェクター


・『放浪の天才数学者エルデシュ』ポール・ホフマン

 ・火星人の一人

 分厚い眼鏡をかけてしわくちゃのスーツをまとった小柄でひ弱そうな男。男は片方の手には家財一式を入れたスーツケースを、もう片方の手には論文を詰め込んだバッグを持って夜昼の見境なく訪問先の玄関をノックする。世界の数学者この非常識な訪問を50年以上もの間にわたって経験した。玄関先で「マイ・ブレイン・イズ・オープン!」と宣言するこの訪問者こそが、20世紀最大の数学者であり誰もが奇人と認めるポール・エルデシュである。
 家も仕事も持たず、身のまわりのことすらまともにはできないエルデシュを支えていたのは、寛大な数学者仲間と数学の魅力そのものだった。「誰が何と言おうと数(すう)は美しいんだ」――エルデシュはよくそう言った。

【『My Brain is Open 20世紀数学界の異才ポール・エルデシュ放浪記』ブルース・シェクター:グラベルロード訳(共立出版、2003年)】

ハンガリー火星人説」をご存じだろうか? ハンガリー人の桁外れの知性に驚嘆した人々が唱えた説だ。「1900年頃、確かに火星人の乗った宇宙船はブダペストに降り立った。そして出発するとき、重量オーバーのために、あまり才能の無い火星人たちをそこに置いてこなければならなかったんだ」とレオ・シラードは語った。火星人の嚆矢(こうし)とされたのは多分ジョン・フォン・ノイマンだろう。

週刊スモールトーク (第66話) 天才の世界II~歴史上の天才~
『異星人伝説 20世紀を創ったハンガリー人』天才たちの誕生の秘話。マルクス・ジョルジュ(著)


 ポール・エルデシュも火星人の一人である。そして火星人の多くがマンハッタン計画に参加した。

 エルデシュが発表した論文は1500篇にも及び、レオンハルト・オイラー(1707-1783年)に次ぐ数とされる。ただしエルデシュの論文の大半は共著であった。そこにこそ彼の人生の本領があった。論文が旅の記念碑にすら見えてくる。出会いと別れを繰り返しながらエルデシュは数学世界を大股で闊歩した。

 漂泊への憧れを抱いていた私にとってはエルデシュの人生こそ理想である。40代後半から身軽になることを目指し、着々と物を減らしている。ゆくゆくはバッグパックひとつで風のような日々を過ごしたい。そして野垂れ死にこそが人間に最も相応(ふさわ)しい死に様であると考えている。ベッドで死のうが、路上で死のうが大差はない。布団にくるまって死ぬよりも、歩きながら死にたい。

 単なる「わがまま」(我が儘)ではなく、「我の思うがまま」に生きて人と人とが結び合わされば、これにまさる幸せはないだろう。

 尚、読む順番は刊行年に準じただけで、どちらが先でも構わない。

My Brain is Open―20世紀数学界の異才ポール・エルデシュ放浪記

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