2015-05-08

ロバート・B・パーカー、岡檀


 2冊読了。

 46冊目『生き心地の良い町 この自殺率の低さには理由(わけ)がある』岡檀〈おか・まゆみ〉(講談社、2013年)/数日前に読了。書くのを忘れていた。檀という名前を初めて見たが、意味は真弓と同じ。樹木の名である。期待が大きかっただけに辛口とならざるを得ない。正確な所感を記そう。悪くない。それだけである。徳島県旧海部町(かいふちょう)(現海陽町)は島部を除くと日本で最も自殺率が低い地域とのこと。岡は大学院生として4年間にわたる調査を行った。読み物としてつまらなくなっているのは、論文から派生した作品であるためだ。論文の書き方に触れることで結果的にテーマがぼやけてしまっている。実際の調査から導かれた岡の結論は実に素晴らしいものだ。しかし知識不足を否めない。写真を見る限りではそれほど若くは見えない。自殺の原因は統計では病苦となっているが実際は経済苦が一番多い(『自殺死体の叫び』上野正彦)。また日本人に自殺が多いのは世間という枠組みから考える必要がある。岡には養老孟司の『人間科学』(文庫版は『養老孟司の人間科学講義』)を読むことを勧めておこう。本書だけでは単なるレポートで終わってしまう。思想的、社会科学的に高めてもらいたい。

 47冊目『悪党』ロバート・B・パーカー:菊池光〈きくち・みつ〉訳(早川書房、1997年/ハヤカワ文庫、2004年)/まあ菊池の訳が酷い。とにかく酷いよ。誰も注意する人がいないのかね? 亡くなったことだし、いっそのこと全部新訳にしてはどうかと本気で思う。スペンサー・シリーズ第24作。amazonでの評価は高いがどこがいいのか? 理解に苦しむ。大体、命を狙われていることを知りながら、ジョギングに出かける設定がおかしい。スペンサーは瀕死の重傷を負う。車椅子で退院し、リハビリに1年を要した。スーザンの魅力もとっくに色褪せている。ま、ミステリ界のサザエさんと思うしかないだろう。スペンサー・シリーズは殆ど読んでいるが一番面白くなかった。

スコット・パタースン、パブロ・ネルーダ、クララ・ホイットニー


 2冊挫折、1冊読了。

勝海舟の嫁 クララの明治日記(上)』クララ・ホイットニー:一又民子〈いちまた・たみこ〉、高野フミ、岩原明子、小林ひろみ訳(講談社、1976年/増補・訂正版、中公文庫、1996年)/満を持して臨んだが150ページで挫ける。クララは明治8年(1875年)にアメリカから来日した。当時14歳。後に勝海舟の妾腹・梅太郎に嫁ぐ。梅太郎の生母は梶くま。くまの逝去後、梅太郎は勝家の三男として東京で育てられるが長じて梶姓を継ぐ。勝海舟には青い目をした6人の孫がいた。クララは曇りなき瞳で生き生きと明治の日本を綴る。取り立てて黄色人種を見下す視線もない。しかしながら宗教差別が凄まじい。キリスト教に洗脳された14歳としか見えない。福澤諭吉などの大物が次々と登場する。一級の資料といってよい。尚、勝海舟の部分だけであれば、下田ひとみ著『勝海舟とキリスト教』で間に合いそうだ。

ネルーダ回想録 わが生涯の告白』パブロ・ネルーダ:本川誠二〈ほんかわ・せいじ〉訳(三笠書房、1976年)/飛ばし読み。さすがに文章が素晴らしい。来日していたとは知らなかった。若きカストロやゲバラとの出会いが目を惹く。時代を吹き渡った社会主義旋風にいささか違和感を抱く。各章の合間に挿入された詩が美しい。

 45冊目『ザ・クオンツ 世界経済を破壊した天才たち』スコット・パタースン:永峯涼〈ながみね・りょう〉訳(角川書店、2010年)/著者はウォールストリート・ジャーナルの記者でこれがデビュー作。こなれた文章が秀逸で訳も素晴らしい。クオンツと呼ばれる天才数学者たちがサブプライム・ショック、リーマン・ショックで金融を崩壊させるまでをドラマチックに描く。個人的にはアーロン・ブラウンの登場にびっくりした。CDSの事情についても詳しく触れている。

2015-05-06

戦争まみれのヨーロッパ史/『戦争と資本主義』ヴェルナー・ゾンバルト


 近代資本主義の始めを考察し、それを誕生させた外的なもろもろの状況を思い浮かべるとき、十字軍の戦いからナポレオン戦争にいたるまでくりひろげられた永遠の係争と戦争に注目しないわけにはいかないであろう。イタリアとスペインの両軍は、中世後期には唯一の軍隊であった。英仏両国は14世紀から15世紀にかけての100年間にわたって戦った。ヨーロッパにおいて戦争がなかった年は、16世紀においては25年間、17世紀においてはただの21年にすぎなかった。したがって、この200年間に戦争があった年は、154年になる。オランダの場合、1568年から1648年までの間、80年が、そして1652年から1713年までの間は、36年が、戦争の年であった。145年のうち116年は、戦争の年であったわけだ。そしてついに、相次ぐ革命戦争の中で、ヨーロッパの民衆は、最終的な巨大な衝撃を体験する。ところで、そのさい戦争と資本主義との間になんらかの関連があるに違いなかったことは、ちょっと考えただけでも、確実だと思われる。

【『戦争と資本主義』ヴェルナー・ゾンバルト:金森誠也〈かなもり・しげなり〉訳(論創社、1996年/講談社学術文庫、2010年)以下同】

 原著刊行は1913年。第一次世界大戦が翌年に始まる。ヨーロッパの歴史は戦争の歴史であった。第1回十字軍(1096–1099)からナポレオン戦争(1803-1815) までは約700年を要する。ゾンバルトが触れているのはヨーロッパ中世盛期から近世に至るまでであるが、それ以前はゲルマン民族の大移動を中心とする民族移動時代で、これまた戦争・紛争の時代といってよい。

 環境史(『環境と文明の世界史 人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ』石弘之、安田喜憲、湯浅赳男)では寒冷化を戦争要因として挙げるが、ヨーロッパ史を動かしてきたのはキリスト教であり、宗教戦争の色合いが強い。三十年戦争(1618-1648)が終わるとドイツの人口は「1800万から700万に減ったという」(世界史講義録 第65回 ドイツの混迷・三十年戦争)。

世界の主な戦争及び大規模武力紛争による犠牲者数

 しかし、それでもなおかつ【戦争がなければ、そもそも資本主義は存在しなかった】。戦争は資本主義の組織をたんに破壊し、資本主義の発展をたんに阻んだばかりではない。それと同時に戦争は資本主義の発展を促進した。いやそればかりか――戦争はその発展をはじめて可能にした。それというのも、すべての資本主義が結びついているもっとも重要な条件が、戦争によってはじめて充足されたからである。
 とりわけわたしは、16世紀と18世紀の間にヨーロッパで進行した資本主義的組織の独自の発展の前提となった国家の形成について考えている。とくに説明する必要はないが、近代国家はひたすら軍備によってつくられた。それは近代国家の外面、国境線、またそれに劣らず内部の構成についてもいえることだ。行政、財政は、近代的意味において、戦争という課題を直接果たすことによって発展した。16世紀以降の数世紀においては国家主義、国庫優先主義、軍国主義は、まったく同一であった。なんぴとも熟知しているように、植民地は大勢の人々の血を流した戦闘によって征服され、防衛された。中近東のイタリアの植民地から始まってイギリスの大植民地にいたるまで、植民地は他国民を武力で駆逐することによって獲得された。

 戦争が莫大な需要を喚起した。カネがなければ戦争はできない。そして鉄と弾薬が工業を発展させる。

 間断なき戦争を遂行しながらヨーロッパは魔女狩りを同時に行った。帝国主義以降はアフリカ黒人を奴隷にし、アメリカ大陸でインディアンを大量虐殺する。

 思い切りのよい人殺しを可能にしたのは「正義」という病であった。病気をもたらしたのはもちろんキリスト教だ。「異民族は皆殺しにせよ」と神は命じた(『日本人のための宗教原論 あなたを宗教はどう助けてくれるのか』小室直樹)。

 もともとヨーロッパの植民地であった北米は第二次世界大戦を経て世界に君臨し、その後「経済政策としての戦争」を推し進める。戦争はインフラを破壊し(スクラップ)、再構築(ビルド)することで投資と雇用機会を生む。

 ヴェルナー・ゾンバルトマックス・ウェーバーと並び称される経済史家だが明らかに了見が狭い。戦争が資本主義の発達に大きな役割を果たしたことは確かだろうがそれがすべてではない。株式会社は大航海時代から誕生した(『投機学入門 市場経済の「偶然」と「必然」を計算する』山崎和邦)。また経済史という点では三大バブルも見逃せない。更に戦争経済におけるユダヤ資本の影響を考慮する必要があろう(『ロスチャイルド、通貨強奪の歴史とそのシナリオ 影の支配者たちがアジアを狙う』宋鴻兵)。

戦争と資本主義 (講談社学術文庫)

テリー・ヘイズ


 3冊読了。

 42~44冊目『ピルグリム 1 名前のない男たち』『ピルグリム 2 ダーク・ウィンター』『ピルグリム 3 遠くの敵』テリー・ヘイズ:山中朝晶〈やまなか・ともあき〉訳(ハヤカワ文庫、2014年)/2日で読了。ミステリ界に新星現る。テリー・ヘイズは脚本家で小説としてはデビュー作となる。テロもの。ドラマ『24 -TWENTY FOUR -』と同じ系統だ。9.11テロと9.11テロ後の世界。皮肉の効いた文章がいい。大河小説の趣がある。諜報員である「わたし」とテロリスト「サラセン」という2本の川が流れる。そして三つの事件が進行する。相棒のベン・ブラットリーやハッカーのバトルボイのキャラクターも際立っている。「死のささやき」と呼ばれる国家情報長官やアメリカ大統領はもう少し悪人として描いてもよかっただろう。山中訳は初めて読んだ。全体的にはいいのだが、巻頭部分で「わたし」が多すぎる。時々文章がおかしくなっているのは編集・校正の手抜きだろう。追って指摘する。『チャイルド44』トム・ロブ・スミスを超える面白さだ。

2015-05-03

オイラーは何の苦労もなく計算をし、やすやすと偉大な論文を書いた/『数学をつくった人びと I』E・T・ベル


「オイラーは、人が呼吸するように、ワシが空中に身を支えるように、はた目には何の苦労もなく計算をした」(アラゴのことば)とは、史上もっとも多産な数学者、当時《解析学の権化》と呼ばれたレオナルド・オイラーの比類ない数学的力量を語ることばとして、少しも誇張ではない。オイラーはまた、筆達者な作家が親友に手紙を書くのと同じくらいやすやすと、偉大な研究論文を書いた。その生涯の最後の17年間は、まったくの盲人であったけれども、彼の未曽有の生産能力は少しも衰えなかった。視覚の喪失は、オイラーの内部世界における認識力をかえって鋭くするだけであった。
 オイラーの仕事の量は、1936年の今日でさえも正確には知られていないが、彼の全集刊行のためには、大型四つ折り本が60冊ないし80冊いるだろうと推定されている。1909年スイス自然科学協会は、オイラーはスイスのみならず文明社会全体の遺産であるとして、全世界の個人や数学関係の団体からの経済的援助を得て、オイラーの四散した論文を集めて刊行しようと企てたことがあった。ところが、信頼性あるオイラーの原稿がペテルブルグ学士院(レニングラード)で大量に発見されたため、慎重に見積った経費の予想(1909年当時の金額で8万ドル)がみごとにひっくり返ってしまった。
 オイラーの数学的経歴は、ニュートンの死んだ年をもって始まる。オイラーのような天才にとって、これほど好都合な出発の年はなかったにちがいない。

【『数学をつくった人びと I』E・T・ベル:田中勇〈たなか・いさむ〉、銀林浩〈ぎんばやし・こう〉訳(東京図書、1997年/ハヤカワ文庫、2003年)】

レオンハルト・オイラーの偉業
愛すべき数学者オイラー、生誕300周年
天才計算術師オイラー
フェルマーの最終定理(2) 盲目の数学者オイラー

 一般的な表記は「レオンハルト・オイラー」である。「レオナルド」というのは本書で初めて知った。「Leonhard」(ドイツ語)が英語だと「Leonard」(レオナルド、レナード)になるようだ(「さらに怪しい人名辞典」を参照した)。

 E・T・ベルの名に聞き覚えのある人もいることだろう。10歳のアンドリュー・ワイズがフェルマーの最終定理を知ることになった『最後の問題』の著者だ(フェルマーの最終定理)。

『フェルマーの最終定理 ピュタゴラスに始まり、ワイルズが証明するまで』サイモン・シン

 我々凡人が天才の事蹟に胸躍らせるのは、彼らが真理の近くにいるためか。神の隣りに位置する彼らが神を超えるのも時間の問題だろう。もちろん彼らが神になるわけではなく、神の不在が証明されるという意味合いだ。

 天才の天才たる所以(ゆえん)は洗練されたシナプス結合にあると私は考える。これが脊髄とつながればスポーツの天才となる。才能といっても行き着くところは神経細胞のつながりに収まる。後天的な天才がいないところを見ると、幼少期に天才となる数少ないタイミングがあるのだろう。

数学をつくった人びと〈1〉 (ハヤカワ文庫NF―数理を愉しむシリーズ)数学をつくった人びと〈2〉 (ハヤカワ文庫NF―数理を愉しむシリーズ)数学をつくった人びと 3 (ハヤカワ文庫 NF285)

ホフマン、ジャンリーコ・カロフィーリオ、R・A・ラファティ


 3冊挫折。

昔には帰れない』R・A・ラファティ:伊藤典夫訳(ハヤカワ文庫、2012年)/「バカ」との記述が多すぎて辟易。ラファティを読むのは初めてのこと。

無意識の証人』ジャンリーコ・カロフィーリオ:石橋典子訳(文春文庫、2005年)/著者はイタリア人でマフィア担当の検事。これが初めての小説作品。主人公の一人称代名詞を「僕」としたのが失敗だと思う。そして驚くほど「僕」が多い。

砂男/クレスペル顧問官』ホフマン:大島かおり訳(光文社古典新訳文庫、2014年)/大島かおりは『モモ』を翻訳した人物。解説が素晴らしい。怪奇幻想作品らしいが、思わせぶりな書き出しについてゆけず。