2015-07-03

フルビネクという3歳児の碑銘/『休戦』プリーモ・レーヴィ


『アウシュヴィッツは終わらない あるイタリア人生存者の考察』プリーモ・レーヴィ

 ・フルビネクという3歳児の碑銘
 ・邪悪な秘密結社

『溺れるものと救われるもの』プリーモ・レーヴィ

 フルビネクは虚無であり、死の子供、アウシュヴィッツの子供だった。外見は3歳くらいだったが、誰も彼のことは知らず、彼はといえば、口がきけず、名前もなかった。フルビネクという奇妙な名前は私たちの間の呼び名で、おそらく女たちの一人が、時々発している意味不明のつぶやきをそのように聞き取ったのだろう。彼は腰から下が麻痺しており、足が萎縮していて、小枝のように細かった。しかしやせこけた、顎のとがった顔の中に埋め込まれた目は、恐ろしいほど鋭い光を放ち、その中には、希求や主張が生き生きと息づいていた。その目は口がきけないという牢獄を打ち破り、意志を解き放ちたいという欲求をほとばしらせていた。誰も教えてくれなかったので話すことができない言葉、その言葉への渇望が、爆発しそうな切実さで目の中にあふれていた。その視線は動物的であるのと同時に人間的で、むしろ成熟していて、思慮を感じさせた。私たちのだれ一人としてその視線を受け止められるものはいなかった。それほど力と苦痛に満ちていたのだ。

【『休戦』プリーモ・レーヴィ:竹山博英訳(岩波文庫、2010年/脇功訳、早川書房、1969年)】

 ヘネクという15歳のハンガリー人少年がフルビネクの面倒をみていた。ある日のこと、フルビネクが一言しゃべった。だが言葉の意味がわかる者は一人もいなかった。

 プリーモ・レーヴィの「見る」という行為は実に静かで淡々としたものだ。それは彼が化学者であったことに起因するのであろうか? わからない。ただその視線が自分の人生をも突き放して見つめることを可能にしたのは確かだ。


 フルビネクは3歳で、おそらくアウシュヴィッツで生まれ、木を見たことがなかった。彼は息を引き取るまで、人間の世界への入場を果たそうと、大人のように戦った。彼は野蛮な力によってそこから放逐されていたのだ。フルビネクには名前がなかったが、その細い腕にはやはりアウシュヴィッツの入れ墨が刻印されていた。フルビネクは1945年3月初旬に死んだ。彼は解放されたが、救済はされなかった。彼に関しては何も残っていない。彼の存在を証言するのは私のこの文章だけである。

 フルビネクという3歳児の碑銘である。書く営みは時に刻印となって永く世に残る。プリーモ・レーヴィの観察眼はアウシュヴィッツの日常を歴史化する作業であった。透明で硬質な美しい文体に惑わされて文学と思い込んではなるまい。大文字の歴史の中に小文字の歴史は埋没する。だが自分にとって大きな意味合いのある出来事は、自分の手で大きな文字を記せばよい。たとえそれが誰の目にも留まらなかったとしても、「書いた」事実こそが歴史なのだ。

『アウシュヴィッツは終わらない』の続篇だが、前作とは打って変わって苛酷な中にもユーモアが横溢(おういつ)している。思わず吹き出してしまう場面がいくつもある。個性的でユニークな群像が次々と登場する。レーヴィは650人のイタリア系ユダヤ人と共にアウシュヴィッツへ送られたが、生き残ったのはわずか3人であった。アウシュヴィッツは1945年1月、ソヴィエト軍によって解放された。プリーモ・レーヴィがイタリアへ帰国したのは10月19日のことであった。

休戦 (岩波文庫)

観ることでビンラディン暗殺に加担させられる/『ゼロ・ダーク・サーティ』キャスリン・ビグロー監督


 タイトルは「深夜零時半」の意味。米軍の軍事用語らしい。ウサマ・ビンラディン暗殺に至るCIAの暗闘を描いた作品である。観終えた後で女性監督と知り、ちょっと驚いた。しかもキャスリン・ビグローは美形で身重が182cmとのこと。元モデル、元ジェームズ・キャメロン監督夫人という過去の持ち主。主役の女性CIA分析官を演じるのはジェシカ・チャステインで、生まれたばかりの鳥みたいな顔をしている。監督が男性であれば、このキャスティングはなかったことだろう。彼女の風貌が強いリアリティを生んでいる。

 映画はアルカイダメンバーの拷問シーンから始まる。殴打と水責め。ウォーターボーディングについて「アメリカでは短期的な適用は身体的は損傷を起こさないため拷問ではなく尋問であると主張され、水責め尋問禁止法案が民主党主導で上下両院を通過したがブッシュ大統領が拒否権を発動して廃案となった」(Wikipedia)。その後オバマ大統領が禁止したために、CIAは法律を遵守(じゅんしゅ)すべく、グァンタナモ収容所など国外で拷問を行っている。もちろん中東での拷問も国内法は適用されない。

 優秀な諜報員の執念がビンラディンの居場所を突き止める。同僚を殺害され、彼女は変貌する。CIAの上司にも歯向かう。確たる証拠がないため、彼女の情報は数年間にもわたって無視され続けた。

 正義はさほど感じない。ある集団の内部で一人の人間が感情に駆り立てられ、信念のまま突っ走り、願望を実現したというだけの物語である。冷めた目で見れば、悲しいまでにサラリーマン的な姿である。「相手を殺す」という目標だけ見れば、テロリストと完全に同じ次元で仕事をしていることがよくわかる。つまりテロリストの側にカメラを置けば――森達也監督『A』のように――まったく同じドラマを作成することが可能となる。

 観ることでビンラディン暗殺に加担させられる。そんな映画だ。



2015-07-02

ロビン・マッケンジー、宮城谷昌光、藤原正彦、中西輝政、他


 4冊挫折、5冊読了。

まんが 孫子の兵法』武岡淳彦〈たけおか・ただひこ〉監修・解説、柳川創造〈やながわ・そうぞう〉解説、尤先端〈ヨウ・シェンルイ〉作画、鈴木博訳(集英社、1998年)/注釈、漫画、解説の順で13章にわたる。注釈のフォントサイズが小さくて大変読みにくい。悪い本ではないが意図してビジネスに傾斜しており、読者の幅を狭めてしまっている。時間を要しすぎたので閉じる。

兵法孫子 戦わずして勝つ』大橋武夫(マネジメント社、1980年)/40版も重ねているということはロングセラーなのだろう。見返しにある大橋の顔は軍人そのものだ。これまたビジネスに翻訳しており、孫子の香りを台無しにしてしまっている。ただし私は序盤しか読んでいないため、本書の大部分を成す「孫子抜粋」は再読するかもしれぬ。

神を見た犬』ブッツァーティ:関口英子〈せきぐち・えいこ〉訳(光文社古典新訳文庫、2007年)/脇功訳よりこちらの方がいいと思う。が、挫けた。「天地創造」における神の矛盾に耐えられず。

東京裁判』日暮吉延〈ひぐらし・よしのぶ〉(講談社現代新書、2008年)/「著者には『東京裁判の忘却は危険だ』などと悲憤慷慨する趣味はないのだが」(9ページ)との一文に性根を見た思いがする。要は「学問的な趣味」で書かれた本なのだろう。致命的な軽薄さを露呈。

 74冊目『日本の「敵」』中西輝政(文藝春秋、2001年/文春文庫、2003年)/中西を保守思想家と見てきたのは間違いであった。彼の本質はリアリストなのだ。本書を読んでそう気づいた。15年ほど前の本だが内容は決して古くない。またいたずらに左翼を敵として糾弾するものでもない。これからも中西本を読むつもりだが、単行本215ページに見られるような「人間性の欠陥」があることを踏まえる必要があろう。

 75冊目『国家の品格』藤原正彦(新潮新書、2005年)/265万部の大ベストセラーを今頃になって読んだ。「国民の目を近代史に向けさせた一書」と言ってよいかもしれぬ。いやはや面白かった。一日で読了。講演が元となっているためわかりやすいが、随所に侮れない知見が光る。ゲーデルの不完全性定理の解説には目を瞠(みは)った。平和ボケの観念を常識で一刀両断にする。

 76、77冊目『子産(上)』『子産(下)』宮城谷昌光(講談社、2000年/講談社文庫、2003年)/わかりにくかった。主要人物のことごとくがわかりにくい。子駟(しし)もそうだし、子産の父の子国(しこく)もそうだ。それでも時折、短篇小説のような味わい深い光景が描かれる。解説によれば、宮城谷は物語性を抑えて史実に忠実であろうと心掛けたとのこと。子産は孔子が最も尊敬した人物として知られる。

 78冊目『自分で治せる!腰痛改善マニュアル』ロビン・マッケンジー:銅冶英雄〈どうや・ひでお〉、岩貞吉寛〈いわさだ・よしひろ〉訳(実業之日本社、2009年)/10日ほど前にぎっくり腰となった。数日前からマッケンジー法というエクササイズを励行している。読んでみると「なあんだ」と思う代物だが、やってみると実に効果がある。内容はたぶん100円のパンフレットにできる程度のもの。だが真実は単純の中にある。まだ少し痛みが残っているが、解消した暁には腹筋の鬼と化し、余生を正しい姿勢で送る決意である。