2016-04-16

序文「インド思想の潮流」に日本仏教を解く鍵あり/『世界の名著1 バラモン教典 原始仏典』長尾雅人責任編集、『空の思想史 原始仏教から日本近代へ』立川武蔵


『空の思想史 原始仏教から日本近代へ』立川武蔵

 ・長尾雅人と服部正明
 ・序文「インド思想の潮流」に日本仏教を解く鍵あり
  ・秘教主義の否定/『アドラー心理学入門 よりよい人間関係のために』岸見一郎

『ウパニシャッド』辻直四郎
『バガヴァッド・ギーター』上村勝彦訳
・『神の詩 バガヴァッド・ギーター』田中嫺玉訳
スピリチュアリズム(密教)理解のテキスト

 ウパニシャッドは「奥義書」と訳されたり、「秘教」とよばれたりするが、その本来の意味は必ずしもはっきりしていない。語源的には「近く」(原語略)「坐る」(原語略)という意味があり、弟子が師匠に近座すること、こうして伝授される秘説、さらにその秘説を集録した文献を意味する、という解釈が一般に行なわれてきた。
 近来の学者は、それに対して次のような考え方を提示している。そのほうがより多くわれわれを納得せしめるようである。すなわちこの語は古くから「対照」「対応」の意味をもち、それはのちに述べる大宇宙と小宇宙との等質的対応の関係――究極的には宇宙の最高の原理であるブラフマンと、個体の本質としてのアートマンの神秘的同一化を説くウパニシャッドの内容に、よく符号調和するというのである。

【『世界の名著1 バラモン教典 原始仏典』長尾雅人〈ながお・がじん〉責任編集(中央公論社、1969年/中公バックス改訂版、1979年)】

 序文「インド思想の潮流」(長尾雅人、服部正明)に日本仏教を解く鍵がある。バラモン教の聖典ヴェーダは、サンヒター(本集)・ブラーフマナ(祭儀書、梵書)・アーラニヤカ(森林書)・ウパニシャッド(奥義書)の4部から成り、更に各部が四つに派生し、重ねて細密化し、絢爛(けんらん)たる思想のタペストリーを紡(つむ)ぐ。

 イエスがユダヤ教の論理に則ってキリスト教を説いたように、ブッダもまたバラモン教の論理を再構築・止揚するスタイルで教えを説いた。

六五〇 生れによって〈バラモン〉となるのではない。生れによって〈バラモンならざる者〉となるのでもない。行為によって〈バラモン〉なのである。行為によって〈バラモンならざる者〉なのである。

【『ブッダのことば スッタニパータ』中村元〈なかむら・はじめ〉訳(岩波文庫、1984年/岩波ワイド文庫、1991年)】

 言葉を自由に駆使しながら、バラモンを否定することなく、その階級制を撃破している。手垢まみれの表現を恐れずに使えば、ブッダはまさしく「言葉の天才」であった。そしてこの天才性に抗し切れず、額(ぬか)づくところに教義が形成される。

 インド仏教には二つの大きな流れがあり、上座部(じょうざぶ/いわゆる小乗・部派仏教・テーラワーダ)と大衆部(だいしゅぶ/いわゆる大乗)に分かれ、前者は南伝仏教(スリランカやタイ、ミャンマー)となり後者は北伝仏教(中国やチベット、日本)として伝わった。

 厳密にいえば大衆部=大乗ではなく、諸説があって定まっていない。学者ではない私が神経質になることもないのだが、やはり古本屋魂が許さないため、個人的には「初期仏教」「後期仏教」と表記する。

 インドの宗教史は、おおよそ以下の6期に分けることができる。

 第1期 紀元前2500年頃~前1500年頃 インダス文明の時代
 第2期 紀元前1500年頃~前500年頃 ヴェーダの宗教の時代(バラモン教の時代)
 第3期 紀元前500年~紀元600年頃 仏教などの非正統派の時代
 第4期 紀元600年頃~紀元1200年頃 ヒンドゥー教の時代
 第5期 紀元1200年頃~紀元1850年頃 イスラム教支配下のヒンドゥー教の時代
 第6期 紀元1850年頃~現在 ヒンドゥー教復興の時代

【『空の思想史 原始仏教から日本近代へ』立川武蔵〈たちかわ・むさし〉(講談社学術文庫、2003年)以下同】

 根本分裂はブッダの死後100年頃と考えられているので、中村元説を取れば紀元前283年前後となる。

 全くの私見であるが、後期仏教はバラモン教復興(「バラモン教からヒンドゥー教へ」の流れ)への対抗措置として生まれたと考える。一言で述べれば、双方が「信仰化」を図(はか)ったのだ。具体的には祭儀を求めた大衆心理に迎合する形で仏教が密教化していった。

 インド仏教は紀元前5世紀あるいは紀元前4世紀に生まれて、13世紀頃にはインド亜大陸から消滅したのであるが、この千数百年の歴史は初期、中期、後期の3期に分けることができよう。
 まず、初期とは仏教誕生から紀元1世紀頃まで、中期は紀元1世紀頃から600年頃までの時期を指す。後期とは紀元600年頃以降、インド大乗仏教滅亡までである。

 そしてインドで仏教が消滅した13世紀に鎌倉仏教が花開くのである。

 アルボムッレ・スマナサーラが日本仏教の特徴を「祖師信仰にある」(『希望のしくみ』アルボムッレ・スマナサーラ、養老孟司)と喝破している(『希望のしくみ』アルボムッレ・スマナサーラ、養老孟司〈ようろう・たけし〉、宝島社、2004年/宝島SUGOI文庫、2014年)。そして祖師信仰が座主(ざす)・法主(ほっす)・血脈志向を生んだ。ここにウパニシャッドの近座思想が垣間見えるではないか。

 日本仏教は梵我一如に染まり、大日如来久遠本仏を設定し、即身成仏を説くのである。その神格化と理論化がヒンドゥー教変遷の歴史と酷似している。

 言葉はコミュニケーションの道具である。すなわち言葉を通してブッダの悟りに迫ることが大切なのであって、言葉を崇(あが)め奉(たてまつ)るるところにブッダの精神はない。ブッダの教えは仏教へと変わり果てた。

 私は数年前にクリシュナムルティと出会い、ブッダの姿がくっきりと見えるようになった。また、アメリカインディアンに伝わる言葉の数々はアルハット(阿羅漢)を示すものと考えている。バイロン・ケイティジル・ボルト・テイラーも現代のアルハットであろう。

世界の名著 (1) バラモン教典 原始仏典  (中公バックス)空の思想史 原始仏教から日本近代へ (講談社学術文庫)

仏教学への期待:長尾雅人、上山大俊
中央公論社「世界の名著」一覧リスト

東京よりも広い沖縄の18%が米軍基地/『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』矢部宏治


・『本土の人間は知らないが、沖縄の人はみんな知っていること 沖縄・米軍基地観光ガイド』須田慎太郎・写真、矢部宏治・文、前泊博盛・監修

 ・米軍機は米軍住宅の上空を飛ばない
 ・東京よりも広い沖縄の18%が米軍基地
 ・砂川裁判が日本の法体系を変えた

・『戦後史の正体』孫崎享
・『本当は憲法より大切な「日米地位協定入門」』前泊博盛編著

 だからいま【「面積の18パーセントが米軍基地だ」と言いましたが、上空は100パーセントなのです】。二次元では18パーセントの支配に見えるけれど、三次元では100パーセント支配されている。米軍機はアメリカ人の住宅上空以外、どこでも自由に飛べるし、どれだけ低空を飛んでもいい。なにをしてもいいのです。日本の法律も、アメリカの法律も、まったく適用されない状況にあります。(中略)

 さらに言えば、これはほとんどの人が知らないことですが、【実は地上も《潜在的には》100パーセント支配されているのです】。
 どういうことかというと、たとえば米軍機の墜落事故が起きたとき、米軍はその事故現場の周囲を封鎖し、日本の警察や関係者の立ち入りを拒否する法的権利をもっている。(中略)

「日本国の当局は、(略)【所在地のいかんを問わず合衆国の財産について、捜索、差し押さえ、または検証を行なう権利を行使しない】」(日米行政協定第17条を改正する議定書に関する合意された公式議事録」1953年9月29日/東京)

 一見、それほどたいした内容には思えないかもしれません。【しかし実は、これはとんでもない取り決めなのです】。文中の「所在地のいかんを問わず(=場所がどこでも)」という部分が、ありえないほどおかしい。それはつまり、米軍基地のなかだけでなく、【「アメリカ政府の財産がある場所」は、どこでも一瞬にして治外法権エリアになるということを意味しているからです】。

【『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』矢部宏治〈やべ・こうじ〉(集英社インターナショナル、2014年)】


「面積の18%が米軍基地」と聞いてもピンと来ない人が多いことだろう。私も今調べて初めて知ったのだが、面積で見ると沖縄は東京よりも広い。都道府県面積の下位は以下の通りである。

44 沖縄県 2,281.00
45 東京都 2,190.90
46 大阪府 1,904.99
47 香川県 1,876.73(単位は平方km)

都道府県の面積一覧

 しかも東京都の場合は島嶼(とうしょ)部の405平方kmを含んでいる。


 大雑把だが八王子・町田・青梅を足しても16.5%にしかならない。東京23区から大田区・世田谷区・足立区を除いた面積が全体の約20%である。米軍基地の大きさが理解できよう。(東京都の市区町村の一覧と、人口、面積などのデータ

 そして「地上も100%支配されている」事実が沖縄国際大学米軍ヘリコプター墜落事件(2004年)で明らかになる。



 事故直後、沖縄国際大学には米兵数十人がフェンスを乗り越えてなだれ込み、「アウト! アウト!」と叫びながら地元県民や記者を締め出した。米兵は現場を完全に封鎖し、消火活動に駆けつけた消防署員まで追い出した。


 運良く怪我人は出なかった。しかし仮に怪我人や死亡者が出たところで米軍の対応が変わるとは考えにくい。しかも日本政府のお墨付きである。これはもう「GHQの占領状態が続行している」としか判断のしようがない。つまり米軍基地周辺は現在も戦時中なのだ。

 もともと日本人はアメリカに対して親しみを感じていた。アメリカ側も万延元年遣米使節(1860年)がニューヨークのブロードウェイをパレードした際は50万人もの人々が集まり歓迎した。アメリカを代表する詩人ウォルト・ホイットマンが「ブロードウェーの華麗な行列」という詩を詠(よ)んだ(※尚、勝海舟や福澤諭吉が乗っていた咸臨丸はニューヨークへは行ってない模様)。

 日本が反米感情を抱くようになったのは二つの事件を通してである。一つは戦前の排日移民法(1924年)である。そして戦時中は「鬼畜米英」を叫びながら、原爆を2発落とされてもアメリカを恨むことがなかった日本人を怒り狂わせた事件が起きた。ジラード事件である。1957年(昭和32年)1月30日、群馬県の米軍演習基地で21歳の米兵が面白半分で日本人主婦を射殺したのだ。この事件は60年安保闘争という火に油を注ぐ事態となったことも見逃してはなるまい。

 二つの事件が風化し忘れ去られた頃、またしても事件が起きる。沖縄米兵少女暴行事件(1995年)だ。12歳の少女を拉致し、3人の黒人米兵が集団で強姦をした。アメリカ海軍は市民権目当てで入隊する者が多く、モラルの程度は極めて低い。この時、沖縄で武力闘争が起きても不思議ではなかった。

 日本政府が国民の生命と財産を守っていないのは明らかである。米軍にはお引き取り願って、強くてまともな軍隊を自前で用意するのが独立国の作法である。

日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか

目撃された人々 67


2016-04-14

日露戦争が世界に与えた衝撃/『世界が語る大東亜戦争と東京裁判 アジア・西欧諸国の指導者・識者たちの名言集』吉本貞昭


 ・日露戦争が世界に与えた衝撃

・『世界がさばく東京裁判』佐藤和男監修、江崎道朗構成、日本会議企画
日本の近代史を学ぶ

ファン・ボイ・チャウ(ベトナムの民族主義者)】
「日露戦争は私たちの頭脳に一世界を開かせた」

ネルー(初代インド首相)】
「アジアの一国である日本の勝利は、アジアのすべての国ぐにに大きな影響を与えた。わたしは少年時代、どんなにそれに感激したのかを、おまえによく話したことがあったものだ。(中略)いまでもヨーロッパを打ち破ることもできるはずだ。ナショナリズムはいっそう急速に東方諸国にひろがり、(アジア人のアジア)の叫びが起こった」

【ウ・オッタマ僧正(インドの独立運動家)】
「日本の隆盛と戦勝の原因は、英明なる明治大帝を中心にして青年が団結したからである。われわれも仏陀の教えを中心に、青年が団結・決起すれば、必ず独立を勝ち取ることができる。長年のイギリスの桎梏からのがれるためには、日本にたよる以外に道はない」

バー・モウ(初代ビルマ首相)】
「日本の勝利はアジアの目覚めの一歩」

レーニン(ロシアの革命家)】
「旅順の降伏はツァーリズム降伏の序章。革命の始まり」

【デュボイウス(アフリカ解放の父)】
「有色人種は日本をリーダーとして従い、人種平等・民族独立を達成すべきである」

【シーラーズ(イラン解放の父)】
「日本の足跡をたどるならば、われわれにも夜明けがくるだろう」

 以上の証言からも分かるように、この日露戦争の勝利は、単に日本と朝鮮半島の安全保障を確立しただけではなく、欧米列強やロシアの圧政に苦しむ人々に大きな影響を与えたことは確かであろう。(※証言者冒頭の数字を割愛した)

【『世界が語る大東亜戦争と東京裁判 アジア・西欧諸国の指導者・識者たちの名言集』吉本貞昭(ハート出版、2012年)】

 日本の近代史は実に厄介である。精力的に読み漁ってきたが、ボヤけたままの全体像がいつまで経ってもすっきりと見えてこない。もちろん私の眼が悪い可能性もあるが、この手の本は細部や部分に固執する傾向が強い。明治維新だけ考えてみても、アヘン戦争に敗れた清国の惨状と黒船襲来による危機感が大きな動機になっているが、攘夷派がコロリと開国派に転じた背景がわかりにくい。そもそも下級武士がどのようにしてカネや武器を動かすことができたのか? 孝明天皇の意志がどこにあったかもつかみにくい。偽勅(ぎちょく/討幕の密勅)だけで済ませては会津藩が浮かばれない。

 その後、日清・日露戦争~第一次世界大戦~第二次世界大戦と鎖国から帝国主義へ打って出たわけだが、意思決定すら不透明でよくわからない。関東軍の暴走(満州事変:昭和6年/1931年)、五・一五事件(昭和7年/1932年)、二・二六事件(昭和11年/1936年)を思えば、まともに統治された国家とは言い難い。確固たる権力が不在であった証拠といえよう。結局のところ「東亜百年戦争」は明治維新からの内乱を引きずった百年でもあった。官僚やマスメディアに巣食う痼疾(こしつ)の由来もここにあると私は考える。

 日露戦争(明治37年/1904年-明治38年/1905年)を「20世紀最大の事件」に挙げる人は多い。第二次世界大戦よりも歴史的な意義があるのは、数世紀にわたる白人支配に一撃を与えたためだ。日本の勝利が後のアジア・中東・アフリカ諸国独立の遠因となったのである。

 元を糾(ただ)せば日清戦争(明治27年/1894年-明治28年/1895年)もロシアの南下政策を防ぐ目的があった。更に義和団事変(1900年)におけるロシア兵の横暴・モラル欠如は目に余るものがあった。帝国主義時代において不凍港を獲得せんとするロシアと、遅れて世界に進出せんとした日本が衝突することは避けようがなかった。何にも増して日清戦争に対する三国干渉が全国民の不満となって鬱積していた。

 知識人の多くが主戦論を唱えた。非戦論者ではクリスチャンの内村鑑三や社会主義者の幸徳秋水が知られるが、単なる感情的なもので国家の行く末を踏まえたものではない。また当時の世界を見据える視点は、日清戦争に反対した勝海舟(『氷川清話』)よりも福澤諭吉に軍配が上がると思う。

 吉本貞昭は高校の非常勤講師をしながら本書を書き上げた。一読の価値ありと推すが、証言の詳細がないのが不備に映る。

世界が語る大東亜戦争と東京裁判―アジア・西欧諸国の指導者・識者たちの名言集

日露戦争に関しての発言など

2016-04-13

米軍機は米軍住宅の上空を飛ばない/『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』矢部宏治


・『本土の人間は知らないが、沖縄の人はみんな知っていること 沖縄・米軍基地観光ガイド』須田慎太郎・写真、矢部宏治・文、前泊博盛・監修

 ・米軍機は米軍住宅の上空を飛ばない
 ・東京よりも広い沖縄の18%が米軍基地
 ・砂川裁判が日本の法体系を変えた

・『戦後史の正体』孫崎享
・『本当は憲法より大切な「日米地位協定入門」』前泊博盛編著

 下の図の米軍機の訓練ルート(2011年8月の航跡図)を見てください。中央に太い線でかこまれているのが普天間基地、その両脇の斜めの線が海岸線です。普天間から飛び立った米軍機が、まさに陸上・海上関係なく飛びまわっていることがわかる。
 でも基地の上、図版の中央上部に、ぽっかりと白く残された部分がありますね。これがいまお話しした、米軍住宅のあるエリアです。ここだけは、まったく飛んでいない。
 一方、普天間基地の右下に見える楕円形の部分は、真栄原(まえはら)という沖縄でも屈指の繁華街がある場所です。そうしたビルが立ち並ぶ町の上を非常に低空で軍用機が飛んでいる。さらに許せないのは、この枠のなかには、2004年、米軍ヘリが墜落して大騒ぎになった沖縄国際大学があることです。
【つまり米軍機は、沖縄という同じ島のなかで、アメリカ人の家の上は危ないから飛ばないけれども、日本人の家の上は平気で低空飛行する。】以前、事故を起こした大学の上でも、相変わらずめちゃくちゃな低空非行訓練をおこなっている。簡単に言うと彼らは、アメリカ人の生命や安全についてはちゃんと考えているが、日本人の生命や安全についてはいっさい気にかけてないということです。
 これはもう誰が考えたって、右とか左とか、親米とか反米とか言っている場合ではない。もっとずっと、はるか以前の問題です。

【『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』矢部宏治〈やべ・こうじ〉(集英社インターナショナル、2014年)以下同】


 読書会にうってつけのテキストである。時の総理ですら知らなかった米軍基地と原発を巡る原理とメカニズムを明らかにしている。文章も意図的に砕けた調子で書いたのだろう。今日現在のamazonカスタマーレビュー数は209で、星四つ半という高い評価だ。時間があればインターネット上で読書会を開催したいところだが、如何(いかん)せんそれだけの余裕がない。

 面倒なので手の内を晒(さら)してしまおう。言っていることは正しいのにどうしても好きになれない人がいる。私の場合だと佐藤優、金子勝、池田信夫、内田樹〈うちだ・たつる〉など。嫌いな理由はそれぞれだが、ブログの読み手を不愉快にしてしまうので敢えて書かない。矢部宏治も同じ匂いをプンプン発している。彼はたぶん心情左翼で内田樹と同じ民主党改め民進党支持者なのであろう。天皇陛下を軽んじる記述から私はそのように判断した。それでも読み終えることができたのは、やはり知らない事実がたくさん書かれていたためで、勉強になることは確かである。

 以前、東京都下をクルマで走っていたところ、突然凄まじい轟音が響いた。「すわ、何事だ?」と思いきや、米軍機が上空を通過した。肝を冷やすほどの大音量と遭遇したのは横田基地付近であった。沖縄もまた窓ガラスがビリビリと震え、時には割れることもあると伝え聞く。劣悪な環境といってよい。昔、隣家のピアノがうるさいと一家が皆殺しにされた事件があった(ピアノ騒音殺人事件、1974年)。騒音は被害者からすれば日常的に暴力を振るわれているような心理に追い込む。ピアノが殺人に結びつくなら、米軍基地の周りでゲリラ戦が起こっても不思議ではない。

 だがその米軍機は米軍住宅の上空は飛ばないという。地図上部の白い部分である。なぜか?

 つまりアメリカでは法律によって、米軍機がアメリカ人の住む家の上を低空飛行することは厳重に規制されているわけです。それを海外においても自国民には同じ基準で適用しているだけですから、アメリカ側から見れば沖縄で米軍住宅の上空を避けて飛ぶことはきわめて当然、あたりまえの話なのです。
 だから問題は、その「アメリカ人並みの基準」を日本国民に適用することを求めず、自国民への人権侵害をそのまま放置している日本政府にあるということになります。

 つまり米軍は日米双方の法律を遵守しているというのだ。アメリカ側からすれば日米安保は長らく片務条約であったため、「俺たちが守ってやっている」くらいの思い上がりがあっても不思議ではない。いざとなれば命を危険にさらすのは彼らなのだから。

 一番の問題は戦後の矛盾を抱えたままの政治を、「仕方がない」と無気力に見つめる国民の姿勢にあるのではないか。

 GHQの大きな占領目的の一つは「日本を二度と戦争のできない国にすること」であった。敗戦という精神的空白期間を突いて、この任務は完璧に遂行されたと見てよい。日本は軍事力を完全に奪われ、長らく航空機の製造すら許されなかった。更にアメリカの余剰小麦を買わされ、学校給食にパンを採用。食糧安全保障も崩壊した。原発導入もエネルギー問題というよりは、むしろ安全保障に重きがある。日本の安全保障はアメリカからの要望でクルクルと変わり続けた。

 イラク戦争後、アメリカに軍事的な余裕はなくなった。現在も国防費は削減されている。米軍が沖縄から撤退するのは時間の問題であろう。米軍基地は確かに問題があるのだが、「では日本の安全保障をどうするのか?」といった議論がいつまで経っても成熟しない。平和憲法万歳という輩が多過ぎる。知性と危機意識を眠らせてきたツケはあまりにも大きい。

日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか

ワールポラ・ラーフラ、M・ミッチェル・ワールドロップ、アルボムッレ・スマナサーラ、村上譲顕、福島源次郎、マリン・カツサ、他


 5冊挫折、6冊読了。

漂流老人 ホームレス社会』森川すいめい(朝日新聞出版、2013年/朝日文庫、2015年)/精神科医らしいが妙な著者名の上、著者近影が正面を向いていないのを見てやめた。

河北新報のいちばん長い日 震災下の地元紙』河北新報社(文藝春秋、2011年)/『神戸新聞の100日 阪神大震災、地域ジャーナリズムの戦い』(神戸新聞社著、プレジデント社、1995年)の二番煎じか。もはや災害時に求められる情報は新聞ではないと思う。しかも被災者にとって切実な情報とは家族の安否というミクロ情報だ。新聞社は即時性のなさを自覚した上で、もっと特化した情報を発信すべきだろう。

無為について』上田三四二〈うえだ・みよじ〉(講談社学術文庫、1988年)/西尾幹二が、上田三四二の作品・人柄がもつ死生観に非常に大きな影響を受けたと最近知った。文学的なあざとさが前面に出ていて苦手なタイプの本だ。

粗食のすすめ』幕内秀夫〈まくうち・ひでお〉(東洋経済新報社、1995年/新潮文庫、2003年)/単行本19ページに「この生徒の家庭は両親が離婚し、母親は水商売をしているような家庭環境の子どもだった」とある。職業蔑視もさることながら、因果関係の捉え方に明らかな問題がある。編集者も見過ごしたとすれば致命傷といってよい。「子供に問題があるのは親の責任だ」と私も思う。しかしそれが親の職業に由来するかどうかは全くの別問題だ。「書き間違えた」レベルの文章ではない。

金色夜叉』尾崎紅葉〈おざき・こうよう〉(新潮文庫、1969年)/初出は読売新聞の連載で、1897年(明治30年)1月1日~1902年(明治35年)5月11日に渡る。前編、中編、後編、続、続続、新続の6編から成るが未完で終わっている。言文一致運動の代表的作品らしいが、ルビがなければ歯が立たない。頑張れば読めそうだが、頑張るだけの気力が湧かず。「未(ま)だ宵ながら松立てる門は一様に鎖籠(さしこ)めて、真直(ますぐ)に長く東より西に横(よこた)はれる大道(だいだう)は掃きたるやうに物の影を留(とど)めず、いと寂(さびし)くも往来(ゆきき)の絶えたるに、例ならず繁(しげ)き車輪(くるま)の輾(きしり)は、或(あるひ)は忙(せはし)かりし、あるは飲過ぎし年賀の帰来(かえり)なるべく、疎(まばら)に寄する獅子太鼓(ししだいこ)の遠響(とほひびき)は、はや今日に尽きぬる三箇日(さんがにち)を惜むが如く、その哀切(あわれさ)に小さき腸(はらわた)は断(たた)れぬべし」とこんな感じだ。

 40冊目『コールダー・ウォー ドル覇権を崩壊させるプーチンの資源戦争』マリン・カツサ:渡辺惣樹〈わたなべ・そうき〉訳(草思社、2015年)/北野幸伯〈きたの・よしのり〉の本で紹介されていたと記憶する。著者はエネルギー産業に特化した投資ファンドマネージャーだ。非常に面白かったが、ポジショントークを割り引く必要があるだろう。ドル覇権を崩壊させるのは飽くまでもFRBの判断であり、プーチンが仕掛ける資源戦争は加速要因でしかないと思われる。FRBは多分ドル基軸体制を終わらせる判断を既に下している。

 41冊目『蘇生への選択 敬愛した師をなぜ偽物と破折するのか』福島源次郎(鷹書房、1990年)/福島は創価学会の青年部長・副会長を務めた人物で後に離反した人物である。間近で池田大作を見てきただけあって、批判にも並々ならぬ迫力が溢れる。長らく師と信じた人物の虚飾が剥がれた時、黙って見過ごすことはできなかった。池田に直接提出した諫言書も併録。かなり重要な指摘が散見されるが、他の創価学会本で引用されていないのが不思議である。

 42冊目『日本人には塩が足りない! ミネラルバランスと心身の健康』村上譲顕〈むらかみ・よしあき〉(東洋経済新報社、2009年)/村上は海の精株式会社の取締役である。「海の精 あらしお」が有名だ。マクロビオティック実践者でもある。判断の難しい本だ。参考になる所見はたくさんあるのだが科学的検証に耐えるかどうかは微妙な感じ。例えば長野県では30年以上も前から減塩運動に取り組み、男女共に平均寿命日本一となったがこれにはどう答えるのか? 健康本は宗教本と同じ匂いがする。

 43冊目『原訳「法句経」(ダンマパダ)一日一悟』アルボムッレ・スマナサーラ(佼成出版社、2005年)/『一日一話』より1ページあたりの文字数は多いが切れ味は劣る。切り文ではなく、きちんとまとめて編んでほしいところ。

 44冊目『複雑系 科学革命の震源地・サンタフェ研究所の天才たち』M・ミッチェル・ワールドロップ:田中三彦〈たなか・みつひこ〉、遠山峻征〈とおやま・たかゆき〉訳(新潮文庫、2000年/新潮社、1996年『複雑系』改題)/文庫化されたのを知らなかった。ハードカバーは3400円である。複雑性科学は本書から入るのがよかろう。サンタフェ研究所を舞台としためくるめく群像劇である。世界最高峰の知性に触れることができる。「必読書」入り。

 45冊目『ブッダが説いたこと』ワールポラ・ラーフラ:今枝由郎〈いまえだ・よしろう〉訳(岩波文庫、2016年)/今枝が精力的に本を出している。本書も目のつけどころがよい。ワールポラ・ラーフラはテーラワーダ仏教の僧侶で、セイロン大学に進み哲学博士号を取得。マハーヤーナ(いわゆる大乗)仏教の研究にも着手する。1950年代後半、パリ大学に留学。そこで著されたのが本書である。原書は英語で1959年間。仏教研究の泰斗であるオックスフォード大学のR・F・ゴンブリッジ教授が「現時点で入手できる最良の仏教書」と評価する。訳者解説に神智学協会が出てきて驚いた。今枝はブータンに生きた仏教を見出しているようだ。西水美恵子著『国をつくるという仕事』でもブータンは絶賛されているが、伝統と近代化の狭間で揺れている現状も窺える。少し検索してみたところ、ワールポラ・ラーフラがクリシュナムルティと対談した僧侶であったことが判明。こりゃグッドタイミングだ。『ブッダとクリシュナムルティ 人間は変われるか?』に収録されている。

2016-04-11

ブッダの教えを学ぶ


     ・キリスト教を知るための書籍
     ・宗教とは何か?
     ・ブッダの教えを学ぶ
     ・悟りとは
     ・物語の本質
     ・権威を知るための書籍
     ・情報とアルゴリズム
     ・世界史の教科書
     ・日本の近代史を学ぶ
     ・虐待と知的障害&発達障害に関する書籍
     ・時間論
     ・必読書リスト

「仏教」と呼んでしまえば教条主義(ドグマティズム)に陥る。仏教哲学というのもピンと来ない。やはり「ブッダの教え」とすべきであろう。仏教徒とは教団に額づく者の異名であり、仏教を行じる者は仏教者・仏法者を名乗るべきか。個人的には「ブッダの教えに耳を傾ける者」で構わないと考える。

シッダルタ (岩波文庫)
『小説ブッダ いにしえの道、白い雲』ティク・ナット・ハン
『ブッダは歩むブッダは語る ほんとうの釈尊の姿そして宗教のあり方を問う』友岡雅弥
『怒らないこと 役立つ初期仏教法話1』アルボムッレ・スマナサーラ
『怒らないこと2 役立つ初期仏教法話11』アルボムッレ・スマナサーラ
『ブッダの真理のことば 感興のことば』中村元訳
『ブッダのことば スッタニパータ』中村元訳
『原訳「スッタ・ニパータ」蛇の章』アルボムッレ・スマナサーラ
『スッタニパータ[釈尊のことば]全現代語訳』荒牧典俊、本庄良文、榎本文雄訳
ブッダ最後の旅―大パリニッバーナ経 (ワイド版岩波文庫)
『ブッダが説いたこと』ワールポラ・ラーフラ
ブッダとクリシュナムルティ―人間は変われるか?

2016-04-10

大東亜戦争の理想/『F機関 アジア解放を夢みた特務機関長の手記』藤原岩市


『たった一人の30年戦争』小野田寛郎
日下公人×関岡英之

 ・大東亜戦争の理想

・『革命家チャンドラ・ボース 祖国解放に燃えた英雄の生涯』稲垣武
日本の近代史を学ぶ

 私は同行の将校を一室に集めて、総長の意向を説明し私の決意を【ひれき】した。私は特に若輩未経験かつ不徳の者であることを皆にわびた。しかし、私はかねがね私が信念とする日本思想戦の本質を、万難を排し身をもって実践することを皆に誓った。そして皆に協力と補佐を願った。私は信ずる日本思想戦の本質を【じゅんじゅん】と説いた。「敵味方を超越した広大な陛下の御仁慈を拝察し、これを戦地の住民と敵、特に捕虜に身をもって伝えることだ。そして敵にも、住民にも大御心に感銘させ、日本軍と協力して硝煙の中に新しい友情と平和の基礎とを打ち建てねばならない。われわれはこれを更に敵中に広めて、味方を敵の中に得るまでに至らねばならぬ。日本軍は戦えば戦うほど消耗するのでなくて、住民と敵を味方に加えて太って行かなくてはならない。日本の戦いは住民と捕虜を真に自由にし、幸福にし、また民族の念願を達成させる正義の戦いであることを感得させ、彼らの共鳴を得るのでなくてはならぬ。武力戦で勝っても、この思想戦に敗れたのでは戦勝を全うし得ないし、戦争の意義がなくなる。なおこの種の仕事に携わる者は、諸民族の独立運動者以上にその運動に情熱と信念とをもたねばならぬ。そしてお互いは最も謙虚でつつましやかでなくてはならぬ。大言壮語したり、いたずらに志士を気取ったり、壮士然としたりするいことを厳に慎まねばならぬ。そんな人物は大事をなし遂げ得るものではない。われわれはあくまで縁の下の力持で甘んずべきだ。われわれは武器をもって戦う代りに、高い道義をもって戦うのである。われわれに大切なものは、力ではなくて信念と至誠と情熱と仁愛とである。自己に対しても、お互いは勿論、異民族の同志に対しても、また日本軍将兵に対してもそうでなければならぬ。そしてわれわれは絶対の信頼を得なければならぬ。最後に、お互いは今日から死生を共にする血盟の同志となり、君国のために働こう」と申しでた。一同は私の決意と所信に、心から感銘してくれたように見受けられた。

【『F機関 アジア解放を夢みた特務機関長の手記』藤原岩市〈ふじわら・いわいち〉(バジリコ、2012年/原書房、1966年『F機関』/原書房、1970年『藤原機関 インド独立の母』/番町書房、1972年『大本営の密使 秘録 F機関の秘密工作』/振学出版、1985年『F機関 インド独立に賭けた大本営参謀の記録』)】

 日本の近代史にまつわる書物を取り上げる時、キーボードを叩こうとする指が宙で止まる。常に躊躇(ためら)いが付きまとうのは近代史に数多くの嘘が紛(まぎ)れているためだ。GHQの抑圧に対する反動、デタラメ極まりない左翼史観への対抗もさることながら、「過ぎたことは水に流す」「負け戦をあれこれ考えても仕方がない」といった日本人気質が混じり合って、混沌の様相を呈している。そのため、「必読書」に入れる近代史本は厳選しているつもりだ。

 藤原岩市は33歳の時(当時少佐)、大東亜戦争勃発に備え、東南アジアのマレイ・北スマトラ民族工作の密命を受けた。10人余りの陣容で出発し、後に現地で日本人をリクルートし30名の体制となる。F機関の「F」とは、フリーダム、フレンドシップ、藤原の頭文字を取ったものである。「アジア人のアジア」「大東亜の共栄圏」建設を目指した。

 机上の作戦だけで物事は進まない。そこには必ず実務を遂行する「人」がいる。F機関は藤原という人物を得て、八紘一宇(はっこういちう)の輝かしい足跡(そくせき)を残した。

 藤原が大東亜戦争を「思想戦」と捉えていた事実が興味深い。民族工作とは現地住民に国家独立を促し、白人のもとで戦う現地兵士を寝返らせる任務であった。後に「マレーのハリマオ(虎)」と呼ばれた谷豊もF機関に加わる。妹を惨殺された谷は復讐の鬼と化して盗賊団の首領に納(おさ)まっていた。サイドストーリーではあるが谷の短い一生(享年30歳)に涙を禁じ得ない。音信の途絶えていた日本の家族に藤原は谷の活躍を伝えた。


 F機関は、シーク族(シーク教徒か?)の秘密結社IILと連携し、次々と人心をつかみシンガポールを中心にマレイ、タイ、ビルマ、スマトラの広大な地域に拡大。遂にはインド独立の機運をつくり、チャンドラ・ボースにバトンを渡す。藤原は大東亜共栄圏の理想に生きた。だが大本営はそうではなかった。シンガポールでは日本軍が華僑を虐殺している。藤原は歯噛みをしながら上官に意見を具申する。高名な山下奉文〈やました・ともゆき〉陸軍大将の振る舞いもスケッチされている。英軍探偵局長(階級は大佐)の取り調べに対して藤原は堂々とアジア民族の共存共栄を語る。局長はイギリスが人種差別感情を払拭できなかった本音を吐露する。昭和36年(1961年)、F機関の慰霊祭が初めて挙行された。巻末の「慰霊の辞」を涙なくして読むことのできる者はあるまい。



 上の地図が戦前の領土である。海洋面積を見れば半分以下になっている。結局のところ明治維新当時に戻ってしまった。日本が帝国主義に敗れた現実がひしひしと迫ってくる。


 藤原岩市は大東亜共栄圏の理想に生きた。インド独立の影の功労者といっても過言ではない。だがそれは大東亜戦争の一部であったが全部ではない。同様にパール判事の主張や神風特攻隊の美しいエピソードを強調して大東亜戦争を美化することは戒めるべきだろう。歴史は細部の集合体ではあるが、細部にとらわれてしまえば全体を見失う。

 日本は戦争に負けた。本来であれば「なぜ負けたのか」「どうすれば勝てるか」というところから復興しなければならなかったはずだ。ところが現実の政治は国体護持のみに腐心して、経済一辺倒で進んでしまった。日本人の誇りも結構だが、この国にまず必要なのは「戦略」である。

 尚、本書の文章が粗(あら)く、平仮名表記が目立つのは、1947年(昭和22年)にシンガポールのイギリス軍刑務所から解放されて帰国し、一気呵成に認(したた)めたせいである。校訂の不備には目をつぶり、筆の勢いを味わうべきだ。

F機関‐アジア解放を夢みた特務機関長の手記‐