2021-12-02

三月事件、十月事件の甘い処分が二・二六事件を招いた/『二・二六帝都兵乱 軍事的視点から全面的に見直す』藤井非三四


『五・一五事件 海軍青年将校たちの「昭和維新」』小山俊樹

 ・三月事件、十月事件の甘い処分が二・二六事件を招いた

『日本のいちばん長い日 決定版』半藤一利
『機関銃下の首相官邸 二・二六事件から終戦まで』迫水久恒
『陸軍80年 明治建軍から解体まで(皇軍の崩壊 改題)』大谷敬二郎
『昭和陸軍謀略秘史』岩畔豪雄
『軍閥 二・二六事件から敗戦まで』大谷敬二郎
『三島由紀夫と「天皇」』小室直樹

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 そこで民間同志を中心に金策に歩いたところ、つかまえた大口寄進者が尾張の徳川義親〈とくがわ・よしちか〉侯爵(福井藩主松平慶永〈まつだいら・よしなが〉の五男)で、30万円とも37万円ともいわれる大枚入手の見込みがついた。昭和3年、シベリア鉄道で橋本欣五郎と偶然乗り合わせて意気投合した日立製作所の創始者、久原房之助〈くはら・ふさのすけ〉からも援助の見込みがあったとされる。さらに不可解な話もある。桜会を裏面で支えたと思われる参謀本部第五課長だった重藤千秋〈しげとう・ちあき〉大佐の従弟で右翼浪人の藤田勇〈ふじた・いさむ〉が仲介して、橋本欣五郎が大本教(おおもときょう)の出口王仁三郎〈でぐち・おにさぶろう〉と接触し、全面的な協力が約束されたという話が残っている。この陸軍と新興宗教の結びつきは、内務省当局をいたく刺激して、昭和10年12月からの大本教弾圧へとつながった。

【『二・二六帝都兵乱 軍事的視点から全面的に見直す』藤井非三四〈ふじい・ひさし〉(草思社、2010年/草思社文庫、2016年)以下同】

 大本教弾圧の話は衝撃的だ。まったく知らなかった。また資金提供する人々がいたところを見ると、クーデターには民意が反映されていたと考えてよさそうだ。

 この計画が本当だったとすれば、桜会はその目的をより鮮明に、その行動をより過激なものにしている。三月事件プロヌンシアミエント(宣言)だったとすれば、この十月事件は政権への短切(たんせつ)な一撃、すなわちクーデターに発展したといえよう。また、満州事変と連動していると見れば、プッチ(一揆)としてもよいだろう。珍妙な閣僚名簿や警視総監まで決めていたことばかりに目が向いて、この十月事件の計画は杜撰(ずさん)で子供じみた企てとされてきた。しかし、よく見ると世界的にもオーソドックスなクーデター計画だった。日本独特な国家体制を活用している点など、むしろ巧妙といえるだろう。

 大東亜戦争敗戦の反動が学生運動であったとすれば、藩閥解消後の反動がクーデターと考えることは可能だろうか? あるいは大正デモクラシーや社会主義者の影響も少なからずあったに違いない。

 閣僚を皆殺しにするという物騒極まりない計画を立てて、血行まであと一歩というところまで行ったのだから、ふつうならば内乱予備や殺人予備で起訴される。ところがこの十月事件の首謀者は、ごく軽い処分で済んだ。身柄を拘束された12人は各地に分散して軟禁、その上で重謹慎、12月の異動で地方へ左遷ということになった。認知を勝手に離れ、騒ぎまくった長勇少佐だけは許されない、予備役編入だと決まりかけたが、第4師団の参謀長だった後宮淳大佐をはじめさまざま救いの手が差しのべられて現役にとどまれた。実働部隊の若手尉官は、目立った者が禁足という程度の処分だった。
 前に終戦時の職務を括弧で示したように、この十月事件の首謀者は、一時的に左遷されたものの、すぐに旧に戻って順調に栄進を重ねることとなる。これでは軍紀、風紀はないも同然だ。なにを仕出かしても憂国(ゆうこく)の至情(しじょう)さえあれば許されるとだれもが思うようになったのだから、二・二六事件が起きるのは必然だといえよう。

 岩畔豪雄〈いわくろ・ひでお〉の見解と同じだ(『昭和陸軍謀略秘史』)。身内に甘い文化はそのまま戦後から今日にまで受け継がれている。てにをはを変えて法律を骨抜きにした官僚や、死亡者が出ても「いじめはなかった」とする学校や教育委員会が責任を取ることはない。原子力発電にも多くの嘘があった。

 これは多分、江戸後期の切腹が形骸化し、詰め腹を切らされたりしたあたりに由来するのではあるまいか。法もさることながら道義において責任を取る者がいなくなれば、青少年の道徳心を涵養することは難しい。

 私は歴史や伝統とは無縁な北海道の地で生まれ育ったが、それでも尚、学童期にあって「可哀想だろう!」という惻隠の情が存在した。極端ないじめはなかったし、むしろいじめっ子が後でやり込められることも多かった。特に女の子たちの眼が鋭かった。泣いている子がいれば必ず誰かが寄り添った。「お前とは絶交だ!」と言っても次の日は仲良く遊んでいた。大人が正常に機能していたのだろう。

 昭和20年の若きエリートは特攻隊となって散華した。現代のエリートが汚職や天下りで富の獲得に余念がないとすれば、もはや選良の名に値しない。

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