ラベル スポーツ の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル スポーツ の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2021-12-19

恩讐の彼方に/『木村政彦外伝』増田俊也


『北の海』井上靖
『七帝柔道記』増田俊也
『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』増田俊也
『VTJ前夜の中井祐樹』増田俊也

 ・恩讐の彼方に

増田●もしヒクソンさんが木村先生の立場だったら、どう思いますか。

ヒクソン●ありえない。

増田●ありえないとは?

ヒクソン●私をフェイク(※八百長)の舞台に上げることは誰もできない。どれほどの大金を積まれても私がフェイクのリングに上がることはありえない。

増田●木村先生はフェイクの舞台、プロレスのリングに上がった時点で間違っていたと?

ヒクソン●そうです。私がそのようなことをやっていたら、もちろん自分のことを許すことはできないし、そのリングへ出た時点で格闘家として負けだと思います。

【『木村政彦外伝』増田俊也〈ますだ・としなり〉(イースト・プレス、2018年)以下同】

 プロ柔道からプロレスラーに転向した木村政彦が力道山にノックアウトされた動画を見た後のヒクソン・グレイシーの言葉である。父親のエリオ・グレイシーはグレイシー柔術の創始者で木村に敗れている。この時決めた腕緘(うでがらみ)をグレイシー柔術では木村に敬意を表して「キムラ・ロック」と呼んだ。

 一流の心は一流の人にしかわからない。そんな思いで増田はヒクソンにインタビューしている。北大時代の増田の後輩である中井祐樹がヒクソンと対戦していることも縁を感じさせる。

 結局は経済の問題なのだ。いざ食えなくなれば体を売り物にするしかない。男も女も一緒だ。肉体労働と性産業の違いがあるだけだ。近代社会は労働を売り物に変えた。あらゆるものが値段をつけられ売り物にされるのが資本主義だ。そうした厳しい現実に木村は晒(さら)されたのだろう。ヒクソンの言葉は正論だが、正論だけでは喰ってゆけない。

青木●でも結局みんなまともじゃないんで。「中井祐樹」がまともかって言ったらまともじゃないし、僕もまともではないだろうし。でも逆に「普通」って何なの? という話にもなりますよね。

増田●まともだったら、ある世界でトップを取るような存在には絶対になれない。一流の人は、持ってる秤(はかり)が狂ってる人ばっかりですよ。どの世界の一流の人と会ってもそれは思います。その秤の狂いこそ、一流の魅力なんです。そういう人に会うと僕は嬉しくなりますけどね。

 青木真也は「跳関十段」(とびかんじゅうだん)との異名をもつ柔道選手で後にプロ格闘家へ転向した。廣田瑞人〈ひろた・みずと〉の腕を折って勝った後、侮辱したポーズをとった試合はよく覚えている。私は格闘技で骨折に至るシーンを初めて見たので衝撃を受けた。

 増田の「秤(はかり)が狂ってる」という言葉は巧みな表現だ。指導や常識を重んじれば、ある枠に自分をはめ込む結果となる。

狂者と獧者/『小村寿太郎とその時代』岡崎久彦
狂者と狷者/『中国古典名言事典』諸橋轍次

岩釣●(木村)先生のトレーニングってとにかく半端じゃないんだよ。俺が(大学)1年の夏に60kgのバーベルを100回×2セット上げて、先生の前で胸張って「できました」って言ったら、先生が「君、何回やったんだ?」って言うから「100回できました」って言ったら、「僕は1時間それを続けたよ」って言われてさ。真剣な顔で。60kgを1時間続けてみてよ。全然パワーが違う。40代始(ママ)めの頃でもまだまだ強かった。

 あまりの凄まじさに笑い声をあげてしまった。柔道やレスリングの練習が厳しいのはよく知っている。高校生ですら桁違いの練習量だった。

岡野●今、いい背負いを見ることはないでしょう? 大体が膝を畳に着く。膝を着くということは体全体のパワーが使えないということです。背負いでもつま先、足首、アキレス腱、そして最後は親指の力、これ全部使うわけですからね。片膝着けばパワーが半分減る、両膝着いてしまえば、そこから下のパワーを自ら殺してしまう。やっぱり全身の力、特に親指から腰まで繋がる下半身の力は非常に重要ですよ。

 こうした体に関する技法の話がてんこ盛りで非常に嬉しい。ホリスティック(全体)とはこういうことを意味するのだろう。体の部分部分を鍛える筋トレは全体性につながらない。単純な自重トレーニングにも同様の陥穽(かんせい)がある。

岡野●どんなに立派な理想でも、それを長く維持するためには経営が大切なわけですから、その経営と中身の充実がバランスを取れてなくてはいけない。

 岡野の正気塾も牛島道場も長く続かなかった。それに対する自戒の言葉である。あらゆる団体に通じる話である。

増田●毎日9時間も練習すると、あのルスカでも痩せちゃうんですね……。ルスカが「私の柔道生活の中で最も苦しく厳しいものだった」と振り返っていたのはこいうことだったんですね。そんな苦しい稽古のために何度も日本に来て、岡野先生についていくルスカもすごい。ルスカのほうが3歳年上ですよね。よほど岡野先生の正気塾が魅力的だったのでしょうね……。ミュンヘン五輪でルスカが2階級を制覇したとき正気塾のジャージーを着て表彰台に上りましたね。自分は岡野先生の弟子だからって。

岡野●気を遣って表彰台に上ってくれたわけですよね。その思いやりが非常にうれしかったですよ。私はそのことを知らなかったからね。

増田●岡野先生はミュンヘン五輪のときは日本にいらしたんですか。

岡野●で。後で人づてに聞いたんです。

増田●国家を代表する最高の栄誉の場所で、母国のユニフォームを脱いで、外国のいち私塾のジャージーに着替えるということは、通常ありえないことです。正気塾のネームの入ったジャージーを着て表彰台に上がる、そういう気遣いをするようになったこと自体、きっとルスカが正気塾での修行、共同生活を通して、日本人の静かな感謝の仕方、武道的な心を学んだのではないでしょうか。

岡野●そうだと思います。

 ウィレム・ルスカ(オランダ)はミュンヘンオリンピックの無差別級・重量級の金メダリスト。「オリンピック同一大会で2階級を制覇した唯一の柔道家」(Wikipedia)である。1976年、アントニオ猪木と異種格闘技戦を行いTKO負けを喫した。

 正気塾のジャージ姿は画像で紹介されている。岡野功は東京五輪(1964年)の80kg級金メダリスト。著書の『バイタル柔道 投技編』(1972年)、『バイタル柔道 寝技編』(1975年)は世界中の柔道家に愛読され、今日もロングセラーを続けている。引退後も数多くのメダリストを育てた名伯楽である。

 半分ほどがインタビューだが、どれも実に面白い。面白さだけなら星五つである。怨念で綴った前著に続き、恩讐(おんしゅう)の彼方に見える風景は決して暗いものではない。「木村 vs. 山下」にこだわるところは子供っぽくて好きになれないが、嘘のなさが読者に訴えるのだろう。

2021-09-07

バイクを押して歩く/『健康で長生きしたけりゃ、膝は伸ばさず歩きなさい。』木寺英史


『病気の9割は歩くだけで治る! 歩行が人生を変える29の理由 簡単、無料で医者いらず』長尾和宏
『病気の9割は歩くだけで治る!PART2 体と心の病に効く最強の治療法』長尾和宏
『ウォーキングの科学 10歳若返る、本当に効果的な歩き方』能勢博
『ランニングする前に読む本 最短で結果を出す科学的トレーニング』田中宏暁
『サピエンス異変 新たな時代「人新世」の衝撃』ヴァイバー・クリガン=リード
『脚・ひれ・翼はなぜ進化したのか 生き物の「動き」と「形」の40億年』マット・ウィルキンソン
『アルツハイマー病は治る 早期から始める認知症治療』ミヒャエル・ネールス
『一流の頭脳』アンダース・ハンセン
『ウォークス 歩くことの精神史』レベッカ・ソルニット
『トレイルズ 「道」と歩くことの哲学』ロバート・ムーア
『「体幹」ウォーキング』金哲彦
『高岡英夫の歩き革命』、『高岡英夫のゆるウォーク 自然の力を呼び戻す』高岡英夫:小松美冬構成
『あらゆる不調が解決する 最高の歩き方』園原健弘
『あなたの歩き方が劇的に変わる! 驚異の大転子ウォーキング』みやすのんき
ナンバ歩きと古の歩術
『表の体育・裏の体育』甲野善紀
『「筋肉」よりも「骨」を使え!』甲野善紀、松村卓
『ナンバ走り 古武術の動きを実践する』矢野龍彦、金田伸夫、織田淳太郎
『ナンバの身体論 体が喜ぶ動きを探求する』矢野龍彦、金田伸夫、長谷川智、古谷一郎
『ナンバ式!元気生活 疲れを知らない生活術』矢野龍彦、長谷川智
『本当のナンバ 常歩(なみあし)』木寺英史

 ・バイクを押して歩く

『常歩(なみあし)式スポーツ上達法』常歩研究会編、小田伸午、木寺英史、小山田良治、河原敏男、森田英二
『スポーツ選手なら知っておきたい「からだ」のこと』小田伸午
『トップアスリートに伝授した 勝利を呼び込む身体感覚の磨きかた』小山田良治、小田伸午
『間違いだらけのウォーキング 歩き方を変えれば痛みがとれる』木寺英史
『「疲れない身体」をいっきに手に入れる本 目・耳・口・鼻の使い方を変えるだけで身体の芯から楽になる!』藤本靖

身体革命

 私は長年、スポーツ選手を中心にパフォーマンス向上のための動作改善を「歩行動作」を中心に指導してきました。また、江戸時代までの身体運動文化についても研究してきました。その指導や研究で明らかになってきたことは、現在ウォーキング教室などで指導されている「エクササイズウォーク」や「パワーウォーク」などはエネルギーのロスが大きく、特に中高年には無理がある「歩き方」だということです。これらの歩きは地面を蹴って膝などの関節を伸ばしながら歩きます。このような歩き方を「伸展(しんてん)歩き」と言います。しかし、江戸時代までの日本人が得意として歩きは、地面を蹴らずに膝を曲げて進む「屈曲(くっきょく)歩き」なのです。その「屈曲歩き」が剣術や柔術などの伝統的な動作を支えていました。

【『健康で長生きしたけりゃ、膝は伸ばさず歩きなさい。』木寺英史〈きでら・えいし〉(東邦出版、2015年)以下同】

 実は簡単なことほど難しい。健康であれば誰もが歩ける。だが、きちんと歩ける人は少ない。私が常歩(なみあし)を始めたのは5月のことである。既に3ヶ月以上経ったが、まだまだしっくりこない。膝を抜くことはできるのだが拇指球の蹴りを打ち消すのが難しい。ま、試行錯誤している間は成長の余地があるわけだから結構楽しい。

 ある日、突然思いついた。バイクを押しながら歩いてみようと。実は2年ほど前にエンジントラブルに見舞われ、数キロの距離を押して自宅まで戻ったことがあった。「あれを思えばどうってことはないな」と直ぐエンジンスイッチを切り、ギョサンで歩いた。案の定、ほぼ完璧な常歩(なみあし)だ。バイクを所有している人は直ぐ試してみるといい。もちろんリヤカーでも可能だ。我が原付バイクは80kgである。少し上り勾配があると尚更よい。拇指球に力を入れる余地はない。足裏全体を地面に押し付け、踵の摩擦力で前に出るのが一番楽だ。

「伸展歩き」では膝を伸ばして歩きます。すると、脚全体が内側に回ろうとします。さらに現代人はシューズを着用しています。すでにお話ししたように、一般的にはシューズのインソールはつま先よりかかと部が高くなっていますから、足関節(足首の関節)を伸展させます。足関節の伸展は膝関節の伸展を促しますので、脚は内側に回り、過剰回内の状態をつくり出すのです。現代人の8割以上が過剰回内であると言われています。(中略)
 外反母趾を発症している方はほぼ例外なく、過剰回内による「伸展歩き」をしています。さらに、過剰回内は下腿が内側にひねられていますから、足首や膝の障害を発症する危険性が高まります。

 伸展歩きで内旋するのは以前からわかっていた。大転子ウォーキングで気づいたことだ。足指が横一直線に並ぶような感覚があった。

 頭の中でまたまた電球が点(とも)った。時折閃きの神が舞い降りてくる。氷の上を歩くつもりで足を運ぶと脚は自然と屈曲する。早速やってみた。おお、これはいい。更に電球が明るさを増した。薄氷を踏む意識にまで高めるのだ。「俺って天才?」と心の底から思った瞬間だ。

 畳の上で生活する日本人は骨盤が後傾しやすい。年寄りの腰が曲がってくるのも骨盤の後傾から始まる。そして日本の国土は約75%が山である。普通に暮らしていれば伸展歩きになることはあり得ない。坂道の上り下りで腕を大きく振る人はいないだろう。まして昔の人々は荷物を持って移動することが多かっただろうから尚更である。

 膝を曲げた瞬間は自分自身では力を発揮している感覚がほとんどありませんが、大きな地面反力が得られます。つまり、膝の屈曲をうまく利用する「屈曲歩き」は地面を味方にした歩きなのです。

 これは言い過ぎだ。反力とはランニングで得られるものであって歩行程度であるわけがない。そもそも膝を抜くのだから反力は得られない。

2021-08-02

こむら返りは自分で直すことができる/『スポーツ選手なら知っておきたい「からだ」のこと』小田伸午


『病気の9割は歩くだけで治る! 歩行が人生を変える29の理由 簡単、無料で医者いらず』長尾和宏
『病気の9割は歩くだけで治る!PART2 体と心の病に効く最強の治療法』長尾和宏
『ウォーキングの科学 10歳若返る、本当に効果的な歩き方』能勢博
『ランニングする前に読む本 最短で結果を出す科学的トレーニング』田中宏暁
『サピエンス異変 新たな時代「人新世」の衝撃』ヴァイバー・クリガン=リード
『脚・ひれ・翼はなぜ進化したのか 生き物の「動き」と「形」の40億年』マット・ウィルキンソン
『アルツハイマー病は治る 早期から始める認知症治療』ミヒャエル・ネールス
『一流の頭脳』アンダース・ハンセン
『ウォークス 歩くことの精神史』レベッカ・ソルニット
『トレイルズ 「道」と歩くことの哲学』ロバート・ムーア
『「体幹」ウォーキング』金哲彦
『高岡英夫の歩き革命』、『高岡英夫のゆるウォーク 自然の力を呼び戻す』高岡英夫:小松美冬構成
『あらゆる不調が解決する 最高の歩き方』園原健弘
『あなたの歩き方が劇的に変わる! 驚異の大転子ウォーキング』みやすのんき
ナンバ歩きと古の歩術
『表の体育・裏の体育』甲野善紀
『「筋肉」よりも「骨」を使え!』甲野善紀、松村卓
『ナンバ走り 古武術の動きを実践する』矢野龍彦、金田伸夫、織田淳太郎
『ナンバの身体論 体が喜ぶ動きを探求する』矢野龍彦、金田伸夫、長谷川智、古谷一郎
『ナンバ式!元気生活 疲れを知らない生活術』矢野龍彦、長谷川智
『本当のナンバ 常歩(なみあし)』木寺英史
『健康で長生きしたけりゃ、膝は伸ばさず歩きなさい。』木寺英史
『常歩(なみあし)式スポーツ上達法』常歩研究会編、小田伸午、木寺英史、小山田良治、河原敏男、森田英二

 ・膝を抜く
 ・こむら返りは自分で直すことができる

『トップアスリートに伝授した 勝利を呼び込む身体感覚の磨きかた』小山田良治、小田伸午
『間違いだらけのウォーキング 歩き方を変えれば痛みがとれる』木寺英史
『身体構造力 日本人のからだと思考の関係論』伊東義晃
『「疲れない身体」をいっきに手に入れる本 目・耳・口・鼻の使い方を変えるだけで身体の芯から楽になる!』藤本靖

身体革命

 そのようなとき、他人にたよるのではなく、けいれんを自分で直す方法があるのです。まずは膝(ひざ)を伸ばすだけで、けいれんして収縮がおさまらない腓腹筋(ひふくきん)が引き伸ばされます。(中略)下腿三頭筋のなかの腓腹筋は、足首と膝の二つの関節にまたがった部位なので、膝を伸ばせば腓腹筋は伸びます。これが、けいれんをおさめる第一段階です。
 次に、膝を伸ばした状態にして、自分で足首を曲げる筋肉である前脛骨筋に力を入れて、自分で足首を曲げるのです。そうすると、足首が曲がって、強烈に収縮していたふくらはぎの筋肉に「休め!」の指令がいき、けいれんしているふくらはぎの筋肉がスーッと軽減します。痛みが消えるその瞬間は、スイッチが切り替わったような、なんとも不思議な感覚です。

【『スポーツ選手なら知っておきたい「からだ」のこと』小田伸午】

 年をとると寝ている間にこむら返りが起こることがある。

「夜間のこむら返りを繰り返すような場合、こむら返りを引き起こす原因となる病気が潜んでいる場合があります。下肢静脈瘤、肝硬変、甲状腺機能低下症、脊髄疾患、多発神経炎、腎不全(血液透析)、糖尿病、不安定狭心症などが疑われます。胃切除術後のカルシウム不足、ビタミンD不足からくる骨障害として見られることもあります。利尿剤を服用しているために電解質異常を起こしているケースや、下痢による脱水があるケースもあります」(こむら返りについて|埼玉県さいたま市浦和区のアキ循環器・血管外科クリニック)。

 糖尿病の神経障害が原因の場合もある(糖尿病で足がつるのはなぜ?〜原因・対処法を分かりやすくまとめました〜 | H2株式会社)。

 いざという時に備えることが大切だ。備えとは構えでもある。

膝を抜く/『スポーツ選手なら知っておきたい「からだ」のこと』小田伸午


『病気の9割は歩くだけで治る! 歩行が人生を変える29の理由 簡単、無料で医者いらず』長尾和宏
『病気の9割は歩くだけで治る!PART2 体と心の病に効く最強の治療法』長尾和宏
『ウォーキングの科学 10歳若返る、本当に効果的な歩き方』能勢博
『ランニングする前に読む本 最短で結果を出す科学的トレーニング』田中宏暁
『サピエンス異変 新たな時代「人新世」の衝撃』ヴァイバー・クリガン=リード
『脚・ひれ・翼はなぜ進化したのか 生き物の「動き」と「形」の40億年』マット・ウィルキンソン
『アルツハイマー病は治る 早期から始める認知症治療』ミヒャエル・ネールス
『一流の頭脳』アンダース・ハンセン
『ウォークス 歩くことの精神史』レベッカ・ソルニット
『トレイルズ 「道」と歩くことの哲学』ロバート・ムーア
『「体幹」ウォーキング』金哲彦
『高岡英夫の歩き革命』、『高岡英夫のゆるウォーク 自然の力を呼び戻す』高岡英夫:小松美冬構成
『あらゆる不調が解決する 最高の歩き方』園原健弘
『あなたの歩き方が劇的に変わる! 驚異の大転子ウォーキング』みやすのんき
ナンバ歩きと古の歩術
『表の体育・裏の体育』甲野善紀
『「筋肉」よりも「骨」を使え!』甲野善紀、松村卓
『ナンバ走り 古武術の動きを実践する』矢野龍彦、金田伸夫、織田淳太郎
『ナンバの身体論 体が喜ぶ動きを探求する』矢野龍彦、金田伸夫、長谷川智、古谷一郎
『ナンバ式!元気生活 疲れを知らない生活術』矢野龍彦、長谷川智
『本当のナンバ 常歩(なみあし)』木寺英史
『健康で長生きしたけりゃ、膝は伸ばさず歩きなさい。』木寺英史
『常歩(なみあし)式スポーツ上達法』常歩研究会編、小田伸午、木寺英史、小山田良治、河原敏男、森田英二

 ・膝を抜く
 ・こむら返りは自分で直すことができる

『トップアスリートに伝授した 勝利を呼び込む身体感覚の磨きかた』小山田良治、小田伸午
『間違いだらけのウォーキング 歩き方を変えれば痛みがとれる』木寺英史
『身体構造力 日本人のからだと思考の関係論』伊東義晃
『「疲れない身体」をいっきに手に入れる本 目・耳・口・鼻の使い方を変えるだけで身体の芯から楽になる!』藤本靖

身体革命

 二軸動作「常歩」に取り組んでいる大阪市立桜宮高校の陸上部顧問・山本幸治先生から、レポートをいただきました。本書を読んで、これから二軸動作「常歩」を覚えようとする人にとって、たいへん参考になると思いますので、以下に紹介します。(中略)

 まず、最初に取り組んだのが「膝の抜き」でした。この動作については、いまだ感覚として体得している選手は半数くらいだと思います。最初は、自分の動作は膝が抜けているのか、どれくらい膝が曲がるのかなど、選手自身ははっきりしない、不安な状態が続きました。
 そこで取り入れたのが坂道を利用した「おんぶ走」です。最初は、坂をあがることからはじめ、拇指球で地面を蹴って坂をあがるのではなく、着地したら下腿を前に倒して、膝頭を地面に押しつけるようにして坂をあがるよう指示しました。そのとき、支持脚の膝の上へ同側の腰が乗るように上体を前方向へ移動すれば、反対側の脚が自然と前に振り出されると説明したのです。その感覚が得られるように、ひたすら繰り返し練習しました。すると、この練習で半数の生徒が「膝を抜く」感覚を体得しました。
 逆に、坂をくだることも試みました。おんぶしながら「膝を抜く」ことで、坂をあがるときよりも体の重力落下の感覚を強く感じてくれるかもしれないという意図からです。これも、予想以上に感覚をつかんだ選手が多く、ブレーキをかけないよう坂をくだりながら「膝を抜く」感覚の獲得に重点を置きました。坂をくだるときにブレーキをかけないようにするには、体幹を斜面と垂直にして、足裏全体を同時に着地(フラット着地)するような感覚が有効です。坂をあがる練習では「膝の抜き」が感覚としてつかめなかった選手が、坂をくだる練習でつかめたというのは大きな収穫でした。選手に聞いてみると、のぼりとくだりを比較した場合、やはりのぼりの方が「膝を抜く」感覚がつかみやすいようです。しかし、これには個人差もありますから、両方あわせて行うようにしています。

【『スポーツ選手なら知っておきたい「からだ」のこと』小田伸午〈おだ・しんご〉(大修館書店、2005年)】

 必読書の量が多いため教科書本とした。常歩(なみあし)本ではない。二軸動作の総合的な概念を教える内容でスポーツ指導者は必読のこと。

 これはわかりやすい練習だ。重量を逃すために自(おの)ずから膝を抜くのだろう。ただし感覚を知るだけなら、おんぶする必要はない。既に書いた通り坂道の上り下りで膝を伸ばして着地することはできないため(膝への衝撃が大きくなるゆえ)。階段の上り下りでも同様だ。

 もっと簡単なのは小山田ウォークである。膝を抜くよりも腰を落とさせればよい。少し時間をかけて歩けばわかるが、脚全体の後ろ側の筋肉がつりそうになる。

「古武術式・縮地走法」も大変参考になる。


 小田本には必ず出てくる「疾走中の足首の最大屈曲角度と最大伸展角度」という画像がある。一瞥しただけで拇指球神話が崩壊する。

 カール・ルイスの足首は20度ほどしか曲がっていない。つまり踵で踏んで走っているのだ。

2021-07-30

踵を踏む/『常歩(なみあし)式スポーツ上達法』常歩研究会編、小田伸午、木寺英史、小山田良治、河原敏男、森田英二


『病気の9割は歩くだけで治る! 歩行が人生を変える29の理由 簡単、無料で医者いらず』長尾和宏
『病気の9割は歩くだけで治る!PART2 体と心の病に効く最強の治療法』長尾和宏
『ウォーキングの科学 10歳若返る、本当に効果的な歩き方』能勢博
『ランニングする前に読む本 最短で結果を出す科学的トレーニング』田中宏暁
『サピエンス異変 新たな時代「人新世」の衝撃』ヴァイバー・クリガン=リード
『脚・ひれ・翼はなぜ進化したのか 生き物の「動き」と「形」の40億年』マット・ウィルキンソン
『アルツハイマー病は治る 早期から始める認知症治療』ミヒャエル・ネールス
『一流の頭脳』アンダース・ハンセン
『ウォークス 歩くことの精神史』レベッカ・ソルニット
『トレイルズ 「道」と歩くことの哲学』ロバート・ムーア
『「体幹」ウォーキング』金哲彦
『高岡英夫の歩き革命』、『高岡英夫のゆるウォーク 自然の力を呼び戻す』高岡英夫:小松美冬構成
『あらゆる不調が解決する 最高の歩き方』園原健弘
『あなたの歩き方が劇的に変わる! 驚異の大転子ウォーキング』みやすのんき
ナンバ歩きと古の歩術
『表の体育・裏の体育』甲野善紀
『「筋肉」よりも「骨」を使え!』甲野善紀、松村卓
『ナンバ走り 古武術の動きを実践する』矢野龍彦、金田伸夫、織田淳太郎
『ナンバの身体論 体が喜ぶ動きを探求する』矢野龍彦、金田伸夫、長谷川智、古谷一郎
『ナンバ式!元気生活 疲れを知らない生活術』矢野龍彦、長谷川智
『本当のナンバ 常歩(なみあし)』木寺英史
『健康で長生きしたけりゃ、膝は伸ばさず歩きなさい。』木寺英史

 ・踵を踏む

『スポーツ選手なら知っておきたい「からだ」のこと』小田伸午
『トップアスリートに伝授した 勝利を呼び込む身体感覚の磨きかた』小山田良治、小田伸午
『間違いだらけのウォーキング 歩き方を変えれば痛みがとれる』木寺英史
『身体構造力 日本人のからだと思考の関係論』伊東義晃
『「疲れない身体」をいっきに手に入れる本 目・耳・口・鼻の使い方を変えるだけで身体の芯から楽になる!』藤本靖

身体革命
必読書リスト その二

 身体が前に出るということは、「踵(かかと)を踏む」ことです。前に出るのに「踵を踏む」と言われても、ピンとこないかもしれません。「つま先で蹴るのでは?」と思った人もいるでしょう。しかし、踵から接地してつま先(拇指球あたり)で蹴る動きは、中心軸感覚による走歩行の典型的な特徴です。実際に、剣道の打突や陸上競技など、スポーツの現場では、何の疑いも持たずに拇指球で蹴っている人が多く見受けられます。しかし、それは「つま先を蹴れば前に行ける」という先入観によるもので、実際はまったく逆の動きによって前に出ているのです。
 では、わかりやすい実験をしてみましょう。立った姿勢から、徐々に身体を前に倒してみてください。もうすぐ倒れるというギリギリの状態まで身体を倒し、そこで止めます。足裏の感覚を確かめてみてください。つま先で踏みとどまっていることがわかるでしょう。
 これは、基本的な人間の姿勢調節に関する話です。バスや電車に乗っていて、前に倒れそうになったら、踵を上げてつま先を踏み、後ろに居直ります。このつま先で踏むという動作は、重心の位置を、つま先より前へ越えないようにするためのものです。そうやって地面を前に蹴り、後ろへの反力をもらって姿勢を調節しているのです。このとき、身体は前傾しているように感じますが、重心点は身体を支える支持点(拇指球)の真上にあり、決してそれより前には出ていません。つまり、「つま先で踏む」ことは、前に行く動きにブレーキをかけているのです。速く走りたいのに、ブレーキをかける人はいないはずです。スピードを殺さずに走るためには、つま先で蹴る動作をなくし、ブレーキを最小限に抑えなければならないのです。

【『常歩(なみあし)式スポーツ上達法』常歩研究会編、小田伸午〈おだ・しんご〉、木寺英史〈きでら・えいし〉、小山田良治〈おやまだ・りょうじ〉、河原敏男〈かわはら・としお〉、森田英二〈もりた・ひでじ〉(スキージャーナル、2007年)】

 小田、木寺、小山田の3人で交わしたメールは7000~8000通にもなるという。それ自体がシナプスの発火や軸索の伸びを示している。人と人とのつながりは本来そうあるべきだろう。脳が活性化するような付き合いでなければ時間の無駄だ。

 踵を踏むことはさほど難しくはない。実際にやってみるとわかるが、拇指球の力を抜くことが難しいのだ。更に踵を残すという一連の行為ができるまでは時間を要する。長年にわたって染み付いた思い込みが体を束縛しているのだ。

 大衆がスポーツに熱狂するのは力と技を純粋に競い合うためだろう。社会は社会性を重んじるあまり実力勝負の場面が乏しい。出自や損得で動くことも決して少なくない。それどころか誰の紹介で入社したかで平然と差別がまかり通る。そのスポーツをも商業主義で地に貶めたのがオリンピックだ。もはやスポーツ選手を利用した金儲けの舞台に過ぎない。

 同じ行為の繰り返しが身体の機能を損なうとすれば、人間の体が不自由になったのは農業社会に移行したのが大きいと考えられる。その上、食生活が一変した(『反穀物の人類史 国家誕生のディープヒストリー』ジェームズ・C・スコット)。

 拇指球で蹴らない効用は直ぐ実感できた。ギョサンで5km以上歩いても足裏が痛むことがなくなった。それまでは滑り止めと思われるゴムの小さな突起で歩くのが厭(いや)になるほど痛くなった。たぶん部分的な負荷が消えたのだろう。

 もう一度常歩(なみあし)を確認しよう。

 腕の動きも外旋となる。上から見た場合、腕は逆ハの字に振る。しかも通常のパワーウォークと異なり、前方向への振りを意識する。ほんの少しボクシングのアッパーカット気味にすると感覚をつかみやすい。

 初めは着地脚の膝を曲げないことだけ意識すればよい。安来節(やすきぶし)の要領で構わない。大袈裟にやった方が動きの違いがわかりやすいだろう。

 常歩(なみあし)は誤った常識に縛られた体を解放してくれる。

2020-12-23

パラリンピックを3倍楽しむために/『目の見えないアスリートの身体論 なぜ視覚なしでプレイできるのか』伊藤亜紗


・『目の見えない人は世界をどう見ているのか』伊藤亜紗

 ・パラリンピックを3倍楽しむために

・『どもる体』伊藤亜紗
・『記憶する体』伊藤亜紗
・『手の倫理』伊藤亜紗
『ポストコロナの生命哲学』福岡伸一、伊藤亜紗、藤原辰史『悲しみの秘義』若松英輔

 けれど、同じことをしたとしてもやはりそこには違いがあるはずです。「視覚なしで走るフルマラソン」や「視覚なしでするダイビング」がどんな経験なのかが気になる。たとえば、ある中途失明の女性が、「走るっていうのは両足を地面から同時に離す快楽なんです」と興奮ぎみに話してくれたことがありました。視覚なしの生活になって、常に摺(す)り足をする癖がついていた彼女にとって、それは大きな解放感をもたらしたそうです。それまで、私は走ることを「両足を地面から同時に離す行為」と捉えたことなどありませんでした。こうした「同じ」の先にある「違い」こそ、面白いと私は信じています。
 それは感情ではなく知性の仕事です。私たちの多くがいつもやっているのとは違う、別バージョンの「走る」や「泳ぐ」。それを知ることは、障害のある人が体を動かす仕方に接近することであるのみならず、人間の身体そのものの隠れた能力や新たな使い道に触れることでもあります。「リハビリの延長」でも「福祉的な活動」でもない。身体の新たな使い方を開拓する場であることを期待して、障害スポーツの扉を叩きました。

【『目の見えないアスリートの身体論 なぜ視覚なしでプレイできるのか』伊藤亜紗〈いとう・あさ〉(潮新書、2016年)以下同】

 恐るべき才能の出現である。2冊読み、思わずBABジャパン社にメールを送った。直ちに伊藤亜紗を起用して日野晃初見良昭〈はつみ・まさあき〉を取材させるべきである、と。単なる説明能力ではない。柔らかな感性から紡ぎ出される言葉が音楽的な心地よさを感じさせるのだ。その文体は福岡伸一を凌駕するといっても過言ではない。

 街や家はあくまで私たちが生活する場。最低限の法律やルールは用意されているけれど、基本的には個人がそれぞれの目的や思いにしたがって自由に動き回っています。不意に立ち止まって写真を撮る人もいれば、立ち止まったその人をよけて小走りで先を急ぐ人もいる。お互いの配慮は必要ですが、思い思いの活動が許されています。
 それに対して、スポーツが行われる空間は、圧倒的に活動の自由度が低い空間です。管理されているのです。物理的な意味でも地面や水面が線やロープで区切られていますし、ルールという意味でも明確な反則行為が規定されています。
「自由度が低い」というとネガティブな印象を与えますが、近代スポーツとはそもそもそういうものでしょう。つまり、運動の自由度を下げることで、競争の活性を高めるのです。
 このような「生活の空間」と「スポーツの空間」の違いを、「エントロピー」という言葉で説明するならこうなるでしょう。生活の空間はエントロピーが大きく、スポーツの空間は逆にエントロピーが小さい空間である、と。
 エントロピーとは「乱雑さ」を意味する熱力学の用語です。分子が空間内をあちこち自由に動き回っている気体のような状態は、分子が整列して結晶構造を成している固体の状態に比べると、エントロピーが大きいということになります。(中略)
 グラウンドやプールに引かれた空間的な仕切りや実施上の細かなルールは、いわばエントロピーを調節するためのコントローラーのようなもの。コントローラーのツマミをどのように設定するかによって、その空間で行われる競技の内容は変わってきます。

 スポーツが「運動の自由度を下げることで、競争の活性を高める」との指摘自体が卓見であるが、更に続いてエントロピーの概念を引っ張り出すところが凄い。しかも正確な知識だ。エントロピーはしばしば誤って語られることが多い。

 障碍(しょうがい)は情報量を少なくする。眼や耳の不自由な人を思えば五感が四感になったと考えてよかろう。そんな彼らがエントロピーの小さな舞台で不自由な体を躍動させるのだ。障碍とルールという二重の束縛が競技を豊かなものにしていることがよく理解できる。

「パラリンピックを3倍楽しむために」というのは釣りタイトルであるが、明年のパラリンピックがあろうとなかろうとスポーツ観戦に興味がある人は必読である。

2018-07-18

昭和黎明期のバンカラ柔道部/『北の海』井上靖


『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』増田俊也
『七帝柔道記』増田俊也

 ・昭和黎明期のバンカラ柔道部

『VTJ前夜の中井祐樹』増田俊也
『木村政彦外伝』増田俊也

「稽古はそんなに烈しいですか」
「まあ、烈しいと言えましょうね。朝稽古、昼稽古、夜稽古」
「ほう、すると、勉強は?」
「勉強なんて、そんな余分なものはしませんよ。勉強しに学校へはいって来たんじゃないから」
「じゃ、何のためにはいったんです」
 遠山が訊くと、
「もちろん、柔道をやるためですよ。僕は今年入学して来た1年下の連中に言ったんです。学をやりに来たと思うなよ、柔道をやりに来たと思え」
「ほう」
 洪作は、ここでもまた“ほう”と言う以外仕方なかった。

【『北の海』井上靖(中央公論社、1975年)、新潮文庫、1980年】

『しろばんば』、『夏草冬濤』(なつぐさふゆなみ)、そして本書で自伝三部作となる。井上靖は明治40年(1907年)生まれだから、旧制四高(しこう/現金沢大学)に入ったのは昭和2年(1927年)である。私と同じ旭川出身だとは知らなかった。旧制中学に主席で入学したというのだから元々秀才だったのだろう。主人公の洪作は複雑な家庭環境で育ち、非常に冷めた性格の持ち主となる。ところが受験を控えた時期に蓮見と出会い、春秋の色合いが深まる。

「それにしても、たいへんな学校ね。よくそんなところへはいる者がいると思うね。勉強もしないで、柔道ばかりやって」
「そう思うでしょう。僕もそう思う。だから、考えたらだめなんですよ。考えたら、柔道なんて、やれません。別に柔道家になるわけじゃない。高専大会で優勝することだけが目当なんですからね。でも、練習量がすべてを決定する柔道というものを、僕たちは造ろうとしている。そういう柔道があると思うんです。そういう柔道があるかどうかは、僕たちが自分でやってみないことには判らない。それをやろうと思っている」

 洪作は四高受験を決めた。「練習量がすべてを決定する柔道」との言葉が胸の内に響き渡り、全身を震わせた。まず感心するのは柔道部のスカウト活動である。様々な地域に足を運び、柔道経験者を次々と寝技の餌食にし、「勝つために力を貸して欲しい」と熱弁を振るうのだ。共産党のオルグ活動や日蓮系の折伏といい勝負である。柔道部の人間関係も軍隊というよりは宗教的な次元に近い。二十歳前後の若者とは到底思えぬほど立派な振る舞いである。

 杉戸は説明してくれた。なるほど少し登ると折れ曲り、また少し行くと折れ曲っている。
「腹がへると、何とも言えずきゅうと胃にこたえて来る坂ですよ。あんたも、あしたから、僕の言っていることが嘘でないことが判る。稽古のひどい時には、この辺で足が上らなくなる。なんで四高にはいって、こんなに辛い目にあわかねればならぬかと、自然に涙が出て来る」
「ほんとに涙が出るんですか」
「そりゃあ、出る。1年にはいって、1学期の間は、毎日のように、この坂の途中で涙を出す。実際に足が上らなくなるんだから、涙だって出て来ますよ。だが、1学期が終ると、大体諦めてしまう。こういうものだと思ってしまう。僕などは、現在、そうしたとこへ来ている。鳶のように深刻に考えたりしない。たいしたことではない。3年間、捨ててしまうだけの話なんだ」
「鳶さんも1年ですか」
「そう」
「僕は2年生かと思いました」
「2年の部員はすじ金入りですよ。人間らしい血なんて、1滴も持たなくなる。さかさにして振っても、人間の血なんか1滴も出て来ない。出て来るのは汗ばかりだ。そうなると、みごとですよ。六高(※現岡山大学)に勝つことしか考えなくなる。親のことも、兄弟のことも考えなくなる。考えることは、六高に勝つことばかりだ。人生も、学校の成績も、落第も、及第も考えなくなる。全く、ねえ、変な学生があるものだ」

 バンカラという言葉はハイカラをもじったもので蛮カラとも書く。だが、ここまでくると野蛮そのものである。獣のように力だけが支配する世界のわかりやすさがヒトの古い脳を刺激する。我々の社会にはびこる悪知恵や誤魔化しは一切通用しない。

 読み進むうちに『七帝柔道記』との違いがわからなくなり、不思議な混迷に襲われる。時代は違えども彼らは全く同じ青春を生きているからだろう。

 余談ではあるが、井上が育った静岡の言葉が味わい深く、洪作の四高行きを知った人々が集まってくる場面では、田舎の人々が実にしっかりとした口上で挨拶をしており、失われた文化を思い知らされる。

しろばんば (新潮文庫)
井上 靖
新潮社
売り上げランキング: 6,635

夏草冬涛 (上) (新潮文庫)
井上 靖
新潮社
売り上げランキング: 27,760

夏草冬涛 (下) (新潮文庫)
井上 靖
新潮社
売り上げランキング: 48,882

北の海〈上〉 (新潮文庫)
井上 靖
新潮社
売り上げランキング: 76,013

北の海〈下〉 (新潮文庫)
井上 靖
新潮社
売り上げランキング: 78,479

2018-07-16

美しい青春/『七帝柔道記』増田俊也


『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』増田俊也

 ・美しい青春

『北の海』井上靖
『VTJ前夜の中井祐樹』増田俊也
『木村政彦外伝』増田俊也

 ひたすら苦しく辛い練習が続いた。
 北大キャンパスで柔道部の時計だけが進まなかった。遅々として進まなかった。たった一日の休みである日曜日が来るまでがあまりに長かった。あまりに苦しかった。拷問のような時間だった。
 いや、毎日の練習が終わるまでの数時間でさえ、それまで経験した時間の流れの100倍にも200倍にも感じられた。500倍にも1000倍にも1万倍にも感じられた。ときに乱取り一本の6分間が数百時間にも感じられた。毎日毎日、残りの本数を数えながら乱取(らんど)りを繰り返した。汗の蒸気のなかで寝技乱取りを繰り返した。道場には汗の蒸気とうめき声しかなかった。いったい引退までにこの乱取りを何万本こなさなければならいのか――。

【『七帝柔道記』増田俊也〈ますだ・としなり〉(角川書店、2013年/角川文庫、2017年)】

 柔道の関連書として山口絵理子著『裸でも生きる 25歳女性起業家の号泣戦記』を挙げておく。七帝柔道(ななていじゅうどう/しちていじゅうどう)は高専柔道の流れを汲むもので寝技が中心である。異種格闘技で名を馳せるグレイシー柔術(ブラジリアン柔術)も同じ流れの中にある。一般的に知られるのは講道館柔道でかなりルールが違う。講道館ルールでは投げ技に続く寝技しか認められていないが、七帝柔道では引き込みが可能で、「待て」がなく、場外もなしで、勝敗は「一本」のみとなっている。関節技が決まっても「参った」をしない選手が多く、骨折に至ることが珍しくない。武道の中でも最も苛酷を極める。

 本書は増田俊也の学生時代を描いた自伝である。高校で柔道を経験した増田ですら悶絶するほどの苦しい練習だった。北海道警察への出稽古シーンなどはまさに修羅場といってよい。絞め技・関節技が中心で人体の限界を思わせるほどの壮絶さである。

 多くの人々がスポーツに魅了される理由は、彼らの苦行に秘密があるのだろう。ストイックな日々は修行そのものだ。のんべんだらりと毎日を過ごす我々は自分が見失った理想を彼らに見出す。宗教が色褪せたのは自らを苦しめる真剣さをなくしたためだろう。

 そしてこれだけの練習をしても北大は最下位だった。語り継がれる伝統と勝利への貪欲な責任感が宗教的な次元にまで高められ、その他の青春を全て犠牲にする。充実した青春は多いが美しい青春は稀(まれ)だ。




七帝柔道記 (角川文庫)
増田 俊也
KADOKAWA (2017-02-25)
売り上げランキング: 86,085

七帝柔道記 1 (ビッグコミックス)

小学館 (2014-12-26)
売り上げランキング: 63,473

七帝柔道記 2 (ビッグコミックス)

小学館 (2015-11-30)
売り上げランキング: 64,125

七帝柔道記 3 (ビッグコミックス)

小学館 (2016-05-30)
売り上げランキング: 64,334

七帝柔道記 4 (ビッグコミックス)

小学館 (2017-06-30)
売り上げランキング: 63,519

2016-10-13

東條英機首相暗殺計画/『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』増田俊也


『北の海』井上靖
『七帝柔道記』増田俊也

 ・『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』関連動画
 ・東條英機首相暗殺計画

『VTJ前夜の中井祐樹』増田俊也
『木村政彦外伝』増田俊也

『武術の新・人間学 温故知新の身体論』甲野善紀
『惣角流浪』今野敏
『鬼の冠 武田惣角伝』津本陽
『透明な力 不世出の武術家 佐川幸義』木村達雄
『石原莞爾 マッカーサーが一番恐れた日本人』早瀬利之
・『ヤクザと妓生が作った大韓民国 日韓戦後裏面史』菅沼光弘、但馬オサム
・『ナポレオンと東條英機 理系博士が整理する真・近現代史』武田邦彦
・『黎明の世紀 大東亜会議とその主役たち』深田祐介

日本の近代史を学ぶ

 もし暗殺が決行され、木村が東條とともに死んでも、牛島も間違いなく逮捕されて死刑になっていただろう。だから牛島は木村に仕事を押しつけたわけではない。決行するには若い木村の方が成功率が高くなると考えていたのだ。天覧試合時にも木村だけにきつい思いをさせることは絶対になかった牛島だ。全国民を守るため弟子の木村もろとも玉砕の覚悟だったのだ。
 勝負師牛島は、国の大事に、絶対に成功させなければならない計画に、自身が最も信頼する超高性能の“最終兵器”木村政彦を選んだのだ。もし内閣総辞職があと数日遅れれば、木村が東條暗殺を決行し、人間離れした身体能力と精神力で間違いなくそれを成功させたであろう。日本史は大きく塗り替っていたに違いない。

【『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』増田俊也〈ますだ・としなり〉(新潮社、2011年/新潮文庫、2014年)】

 第43回大宅壮一ノンフィクション賞、第11回新潮ドキュメント賞をダブルで受賞した作品である。『ゴング格闘技』誌上連載時(2008年1月号~2011年7月号)から話題騒然となった。ハードカバーは上下二段700ページの大冊である。単なる評伝に終わってなく、戦前戦後を取り巻く日本格闘技史ともいうべき重厚な内容だ。にもかかわらず演歌のような湿った感情が行間に立ち込めているのは、著者が七帝柔道の経験者であるためか。実際、増田は泣きながら連載を執筆し、「これ以上書けない」と編集者に弱音を漏らした。

 東條英機首相暗殺を計画したのは津野田知重〈つのだ・ともしげ〉少佐と木村の師匠・牛島辰熊〈うしじま・たつくま〉である。相談を受けた石原莞爾〈いしわら・かんじ〉が賛同した。東條英機は最悪のタイミングで首相となった。東條は陸軍大臣として対米開戦派であったが首相となって対米和平を強いられた。また性格に狭量さがあり敵対する人物を決して許さなかった。昭和天皇が後に「憲兵を使いすぎた」と東條を評したことも見逃せない。国家の舵取りが極めて困難な中で東條の負の部分が露呈したようにも感ずる。暗殺計画は青酸ガス爆弾を使うものだった。そして万一失敗した時に備えて木村政彦が用意された。言わば最終兵器といってよい。

木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか

 表紙に配されたのは木村が18歳の時の肖像である。一見してわかるが「見せるための筋肉」ではない。鍛錬に次ぐ鍛錬から生まれた肉体が人間離れしており異形といってよい。木村に特定の政治信条は見受けられない。ただ師匠の命に従ったのだろう。ところが暗殺計画は東條内閣の総辞職によって実行されることはなかった。

 尚、東條英機については武田邦彦が「ナポレオン以上の英雄」と位置づけている。また菅沼本では力道山や大山倍達と彼らの祖国である朝鮮にまつわる記述があり、こちらも関連書として挙げておく。動画ページを既にアップしているがリンク切れが多いので再度紹介しよう。



2014-03-06

敗れざる者たちへ/『「ありがとう」のゴルフ 感謝の気持ちで強くなる、壁を破る』古市忠夫


 震災前の私は、ごく普通のゴルフ好きの写真屋のおっちゃんでした。震災から復興して、またゴルフができるようになったとき、私は自然にコースに向かって一礼するようになりました。生き残って大自然のコースに立ち、球が打てる。その幸せに自然と頭が下がるようになったのです。もともとの積極的な心に、感謝の心が加わった瞬間です。ラウンドしていると、ときどき自分の実力以上のエネルギーを感じることがあります。20代のエリートに勝ち、プロテストに合格したときもそうですし、シニアツアーのシード選手になれたときもそうです。これは「ありがとう」の気持ちの賜や、と思っています。

【『「ありがとう」のゴルフ 感謝の気持ちで強くなる、壁を破る』古市忠夫〈ふるいち・ただお〉(ゴルフダイジェスト新書、2006年)以下同】

 ソチ・オリンピックは見ていない。ただし男子フィギュアの100点超えと浅田真央のフリーだけは動画で視聴した。17歳の期待の星・高梨沙羅もメダルには手が届かなかった。マスメディアの調子はメダルを巡る悲喜こもごもが中心で戦争の戦果を報じる昔の新聞を思わせた。勝負は時の運である。敗北の味を知らぬ者がアスリートとして大成することはないし、人間の幅を広げることもできない。「 尺蠖(せっかく/シャクトリムシ)の屈するは伸びんがため」と故事にある通りだ。

 古市忠夫は60歳でプロゴルファーになった人物だ。

『還暦ルーキー 60歳でプロゴルファー』平山譲

 人は「失ったもの」が多ければ多いほど、「当たり前であること」や「ありのままであること」に感謝できるのだろう。古市が「コースに向かって一礼する」ようになったのはプレイスタイルなどといった表面的なことではない。生きる姿勢が変わった証拠だ。人間が本当に変わる時は「自(おの)ずから改まる」ものである。そこに他人の言葉や生きざまがあったとしても、それは触媒に過ぎない。

「ありがとう」の気持ちとは、「有り難い」現実への感謝である。復興に奔走した古市の偽らざる本音であろう。生それ自体に感謝できれば人は自由であり、人生は幸福といえる。

 しかし、私は思います。重要なのは、「どれだけ頑張ったか」ではないんとちゃうのかいなと。オリンピックに出場するような選手は、誰かて頑張っているでしょう。誰かて人知れず努力しとると思います。もちろん、頑張ることも大切ですが、それより肝心なのは、頑張れる環境そのものに対して「どれだけ感謝しとるか」ということではないでしょうか。
 同じ努力をして、同じ才能や技術を持っている選手が、僅差で勝ったり、負けたりするケースがたくさんあります。私には、金メダルと銀メダルの差は、そのまま心の差であるように思えてなりません。頑張らせてくれた社会、コミュニティ、家族があってこその自分と、心から思えたかどうか。勝利の女神は「頑張りました」という選手ではなく、「頑張らせてもろて、ありがとうございます」という選手に、微笑むような気がします。そやから、これからも私は、感謝の気持ちで闘わせてもらおうと思うとります。

 勝って奢(おご)る者がいる。敗れて腐る人も多い。勝ち負けで変わるのは商品価値であって人間ではない。五輪は終わった。過ぎてしまえばもう過去のことだ。もう次の戦いが始まっている。敗れても敗れても尚、起ち上がる精神にアスリートの魂がある。そして深き感謝の心が必ずや人生の勝利を決定づけることであろう。敗れざる者たちへ。今、万感の思いを込めて伝えよう。「ありがとう」と。

「ありがとう」のゴルフ―感謝の気持ちで強くなる、壁を破る (ゴルフダイジェスト新書)

「薯粥」(『一人ならじ』所収)山本周五郎

2013-07-31

極限状況で問われる死生観/『天才は親が作る』吉井妙子


 ・極限状況で問われる死生観

『リズム遊びが脳を育む』大城清美編著、穂盛文子映像監督

 これはダイノジ大谷が紹介していた一冊。さほど面白くはなかったが子育ての参考程度にはなるだろう。

 2002年夏、第51回大会(昭和44年)の決勝で2日間にわたって投げ合った松山商業の投手・井上明三沢高校の投手・太田幸司に、ある雑誌の企画で対談してもらったことがあった。松坂たちの甲子園も球史に残る熱闘だったが、40代以上の人たちならこの試合も記憶の箱からすぐに取り出すことが出来る。優勝旗を松山に持ち帰った井上は「その後の人生は余生だと思った」と言い、「野球があんなに恐ろしいものだとは思わなかった。恐怖で涙が出た」と述懐した。

【『天才は親が作る』吉井妙子(文藝春秋、2003年/文春文庫、2007年)】

 極限状況に追い込まれた人間心理が赤裸々に表現されている。過酷な鍛錬を経た者でなければ到達し得ない領域だ。




全編はこちら


 人は限界に直面すると気質があらわれる。実はここで問われるのが死生観に他ならない。井上選手が感じた恐怖はまさに「死の恐怖」であったのだろう。

 私が野球をしていたのは中学時代で札幌では優勝しているものの高校野球とはもちろんレベルが異なる。「もう二度と野球なんかやりたくない」と思うほど練習はきつかった。高校球児はその10倍くらいの練習量があることだろう。

 私は見た目とは異なり淡白な性格だ。敵地での試合は何とも思わないし、相手チームの応援が賑やかであればあるほど燃えるタイプだ。4番打者をしていたがピンチであろうとチャンスであろうと淡々と打席に臨んだ。自分にできることをやるだけのことだ。そのための準備はできていた。

 ま、そういうわけで「あの時こうしておけばよかった」という後悔が殆どない。できなかった事実をただ直視するだけだ。技術には限界があるのだから。だから私は敗れたチームが泣く姿を見るのが嫌で嫌でしようがない。彼らの姿はまるで「本当なら勝てたのに」と言わんばかりだ。運や不運は実力の後について回るものだ。

 しかし中学3年の私は最後の試合に敗れて泣いた。チームで一番最初に泣いた。それは負けた悔しさというよりは、「私の野球が終わった」という感慨の深さからであった。確かに「もっと練習できたはずだ」という思いもあったが、それは相手チームも同様だろう。

 死生観が生の彩(いろど)りを変える。恐怖は人生を抑圧する。誰人たりとも明日の命はわからないものだ。やがて必ず訪れる死を恐れるか、それとも今日の生に感謝できるか――死生観はこのあたりに着地する。朝目覚めるたびに「死んでみせるぞ」と生きてゆきたい。


天才は親が作る

2012-08-03

音楽はアスリートの「合法的な麻薬」、能力向上を研究で証明


 開催中のロンドン五輪の競泳などでも、選手がヘッドフォンで音楽を聴きながら競技の開始を待つ姿が見られるが、音楽にはアスリートの能力を向上させる効果のあることが複数の研究で明らかとなっている。

 スポーツ心理学者で、一流アスリートがどのように音楽を使用しているかを研究する世界有数の専門家であるCostas Karageorghis氏は、音楽は「アスリートにとって合法的な麻薬のようなもの」と表現する。

 スポーツ心理学の専門誌に掲載された研究では、米歌手マドンナや英ロックバンド「クイーン」などの曲をランナーに聴かせたところ、走る距離や時間が伸びたという。別の研究でも、走行距離が18%伸び、音楽には持久運動能力を向上させる効果があることが実証された。

 また、音楽にはアスリートを外部やネガティブ思考から遮断し、競技に集中させるという効果もある。Karageorghis氏は「思考はアスリートにとって最悪の敵」だとし、音楽は感情を効果的にコントロールする良い方法だと指摘した。

 Karageorghis氏によると、アスリートがトレーニングや競技前に音楽を取り入れるようになったのは、1970年代後半にソニーの携帯音楽プレーヤー「ウォークマン」が登場してから。「それ以来、音楽は爆発的に利用されるようになった」という。

ロイター 2012-08-03