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2019-01-29

天皇は祭祀王/『ゴーマニズム宣言SPECIAL 天皇論』小林よしのり


『新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論』小林よしのり
・『新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論 2』小林よしのり
・『新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論 3』小林よしのり

 ・少国民世代(昭和一桁生まれ)の反動
 ・天皇は祭祀王

『戦争論争戦』小林よしのり、田原総一朗
・『ゴーマニズム宣言SPECIAL パール真論』小林よしのり
『世界史で読み解く「天皇ブランド」』宇山卓栄
『〔復刻版〕初等科國史』文部省

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 日本人はほとんど無自覚に天皇と繋がっている。

 自覚なき天皇尊崇だからこそ、日本の歴史の中でこの長きに亘って存続してきたのかもしれない。

【『ゴーマニズム宣言SPECIAL 天皇論』小林よしのり(小学館、2009年/平成29年 増補改訂版、2017年)】

「天皇陛下はエンペラーに非ず」(『国のために死ねるか 自衛隊「特殊部隊」創設者の思想と行動』伊藤祐靖)の続きである。

 小林のペンが冴えている。ゴー宣シリーズは、まず『ゴーマニズム宣言』(全9巻)があり、『新・ゴーマニズム宣言』(全15巻)に続き、『新・ゴーマニズム宣言SPECIAL』(27巻)へと続く。その他にも10冊ほど刊行されているようだ(Wikipedia)。

 天皇陛下に対する小林の変化、なかんずく自然発生的に湧いた親愛の情が共感を誘う。私自身、日本人の血のようなものを自覚したのは数年前のことだ。「自覚なき天皇尊崇」が伝統や風習の各所に通い、流れているのだろう。

 古今東西に「国王」などの世俗的君主はあまた存在する。

 そして民を虐げ私利私欲に走った王の話もまた枚挙にいとまない(ママ)。

 そのような歴史の中で滅びた王制も数多い。

 しかし日本においては、「民」が「天皇」の存在を滅ぼそうとしたことは歴史上いまだかつてない。

 それは天皇が世俗的君主と異なり、祭祀を司る存在だからである。

 公のため、民のために祈る存在であり、私利私欲とは全く無縁だからである。

 世俗の行き着くところが経済と軍事である。世俗的君主は軍事力を背景にして酷税(こくぜい)を強いる。近代までは生殺与奪も好き勝手に行われていた。こうした人間の本能を思えば天皇という存在を継続し得た歴史はある種の奇蹟といってよい。

「公」よりも「私」。

 行き着く先は、米国・中国のようなウルトラ格差社会しかない。

「公」の心が失われたところには、安定した国家は築けない。

 国の中心に、公のために祈る無私の存在、「天皇」を置くというのは、国を安定させるために人類が考えうる最も賢明な策であり、他に類を見ない偉大な英知なのである。

 しかも天皇という存在の不思議は日本建国に先駆けている事実である。日本を日本たらしめている固有性がここに極まる。国家があって天皇がいるのではなく、初めに天皇ありきで後に国家が形成されるのだ。

 天皇はエンペラー(皇帝)ではない。

 祭祀王だ!(中略)

 天皇とは「祭祀王」であり、祭祀を行なうことこそが天皇の本質である。

 エンペラーは命令権者(司令)である。天皇陛下は祭祀を司る存在であり、その祈りは風のように国民を包む。不敬を恐れず申し上げれば天皇陛下は風呂敷のように柔らかく国民をくるむ。鎖の硬さはどこにもない。こうした「妙(たえ)なる関係性」こそ日本の伝統なのだろう。

「伝統」とは、歴史の積み重ねの中から醸成される「国民の安寧のための智慧(ちえ)・バランス感覚」のことであり、時代と共に柔軟に表現を変えながらも受け継がれていく「魂・エートス」こそが肝要なのだ。

 新嘗祭(にいなめさい)や大嘗祭(だいじょうさい)は古代から行なわれてきた祭祀であり、戦国時代以来、中断していたが、江戸時代、それぞれ復興し18世紀末の光格(こうかく)天皇が本格的に再興させた。

 その皇室祭祀の伝統を「明治に創られた」と言うのは完全に誤りであり、デマである。

 進歩史観の影響は絶大で払拭することが難しい。古代~中世~近代という区分けが脳に染み込んで離れない。人類の進歩や歴史の必然といった概念を我々は無意識のうちに前提としている。マルクス史観に基づけば大東亜戦争以前の日本の歴史は暗黒でなければならない。進歩の果てに社会主義が位置するわけだから闇が深ければ深いほど好都合となる。江戸300年の歴史は長らく貶(おとし)められ、封建時代は前近代を悪し様に表現する言葉となってしまった。

 明治期に天皇を神格化したのは、憲法の基軸にキリスト教の代わりとなる絶対性を据(す)えるためだった(『日本国民に告ぐ 誇りなき国家は滅亡する』小室直樹)。この基軸を欠くゆえにアジア諸国の民主政は機能しないのである。

 進歩主義の根幹にはキリスト者以外は蒙昧(もうまい)とする思想が横たわっているように思う。明治日本は文明化を欧米にアピールすべく鹿鳴館(ろうめいかん)で夜を徹して踊りまくり、伊藤を初めとする政治家たちはキリスト教に改宗までした。

 天皇陛下がおわしますればこそ日本の存在がある。これを知悉(ちしつ)するがゆえに左翼は天皇制を破壊しようと試みるのである。

2017-12-12

田原総一朗の正体は反戦主義者/『戦争論争戦』小林よしのり、田原総一朗


『新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論』小林よしのり
・『新ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論 2』小林よしのり
・『新ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論 3』小林よしのり
『ゴーマニズム宣言SPECIAL 天皇論』小林よしのり

 ・田原総一朗の正体は反戦主義者

『「知的野蛮人」になるための本棚』佐藤優

 最近、私は、信頼する親しい大学教授や評論家たちから、「自分は真ん中よりやや左だったが、このところ右よりになってきた」という話をよく聞く。どう見ても左派の菅直人までが、朝鮮半島の有事の際には自衛隊の米軍後方支援を支持すると、自民党すらいわないことを口にするくらいだ。世の中は、どんどん右へ、右へと動いている。
 これは、やはり50年続いた戦後日本の世の中が、ひたすら「個」中心へと向かった結果、人びとが「国」や「公」の危うさに気づきはじめたということなのだろう。
 しかし、この前の戦争の末期を体験した私にとって、生きるということは、いってみれば、あのような戦争を二度と再び起こさないことだった。最近は、それが私の役割だとすら思えるようになってきた。そこで小林よしのりとは、さまざまな論点で激突し、徹底的に闘うはめになってしまったのだ。

【『戦争論争戦』小林よしのり、田原総一朗(ぶんか社、1999年)】

 田原総一朗の後書きを読んだ瞬間に私は悟った。「この男は単なる反戦主義者なのだ」と。疑問の雲が吹き払われた。田原の周囲に左翼およびシンパが多いのはその反戦主義が共鳴しているためだ。

 彼は必ず「ジャーナリストの田原総一朗です」と名乗る。やはり言論をプロレス化しただけのテレビ屋という自覚があるのだろう。テレビマン時代には衆人環視のもとで性行為をやってのけた人物である。映画監督にも作家にもなることができなかった劣等感を「過激さ」で撥(は)ね退けようとしたのだろう。

 田原に近い人物の一人に佐藤優がいる。佐藤は田原のラジオ番組で再三にわたって小林よしのりを批判してきた。また小林を攻撃する記事も幾度となく書いている。小林はこれに応じた。ほんの2~3年前までの出来事だ。ところが小林は女系天皇論を表明した後、先の総選挙では辻元清美や山尾志桜里を担ぎ上げるまでに大きく旋回した。その後の佐藤との論争を私はフォローしていないのだが、たぶん佐藤は小林批判を控えているのではないか。

 今から7~8年前に行われたシンポジウムで佐藤優が田原総一朗を痛罵する場面があった。会場から湧いた拍手を聞いて「ああ、田原が持てはやされる時代は終わったな」と感じた。


文字起こし:【佐藤優】田原総一朗は官僚支配を促進している

 ジャーナリストの田原総一朗氏は、「権力党員」である。「権力党」とは、民主党とか自民党という、既成政党と関係ない。「権力党員」とは、常に時の権力の内側にいて、事実上、国家の意思形成に加わっている人を指す。「権力党員」は時の政権の手先であるという単純な図式は成り立たない。むしろ時の政権とは、少し距離を置きつつも権力の内側にいて、建設的批判を行った方が「権力党員」としての影響力が拡大することがある。田原氏は、「権力党」の文法に通暁している。それだから、政府の顧問や諮問委員に就かないのだ。

佐藤優の眼光紙背:「権力党員」田原総一朗氏と国民の真実を知る権利 2010年10月25日

 このシンポジウムに田原は遅れて登場したのだが、実はその前に元読売新聞大阪社会部の大谷昭宏も佐藤からの攻撃を受けていた。テレビで活躍する二人をこき下ろすことで佐藤は自分の株価を上げてみせた。結果的にというよりは意図的に行った可能性が高いと私は見る。

 少国民世代である田原が戦争を忌み嫌うのは理解できる。ただし個人の経験というミクロな視点で安全保障や外交を捉えるのは誤っている。日本が70年以上にわたって平和を享受し得たのは憲法9条によるものではなくアメリカの核抑止力に守られてきたからだ。近代国際法の道を開いたウェストファリア条約(1648年)も勢力均衡という思想に基づく。

 もしも日本が大東亜戦争で立ち上がっていなければ、白色人種による帝国主義(植民地主義)は数世紀も長く続いたはずだ。アジア、中東、アフリカ諸国が第二次世界大戦後に独立したのは日本が白人の土手っ腹に風穴を開けたからだ。これが歴史の事実である。

戦争論争戦―小林よしのりVS.田原総一朗
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2017-12-11

少国民世代(昭和一桁生まれ)の反動/『ゴーマニズム宣言SPECIAL 天皇論』小林よしのり


『新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論』小林よしのり
・『新ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論 2』小林よしのり
・『新ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論 3』小林よしのり

 ・少国民世代(昭和一桁生まれ)の反動
 ・天皇は祭祀王

『戦争論争戦』小林よしのり、田原総一朗
・『ゴーマニズム宣言SPECIAL パール真論』小林よしのり
『世界史で読み解く「天皇ブランド」』宇山卓栄
『〔復刻版〕初等科國史』文部省

日本の近代史を学ぶ

 ところが本土においても、戦後のマスコミや左派知識人はこう言ってきた。

 戦前の天皇は「神」として君臨していた。国民は誰もが「現人神」(あらひとがみ)と教えられ、絶対神だと思っていて、「天皇陛下」の名前が出たら直立不動だった。

 天皇の名において戦争したのだから、天皇に戦争責任がある。
 だから戦後はGHQによって「人間宣言」をさせられた。

 天皇は戦後、人間になった。(中略)

 しかしどうやら上のように言う左派知識人たちは「少国民世代」の人たちなのだと、気づいた。

「少国民」(しょうこくみん)とは、昭和16年(大東亜戦争開戦の年)に「小学校」を「国民学校」に改称したのと同時に、「学童」を改称した名称である。
 ヒトラーユーゲントで用いられた「Jungvolk」の訳語らしい。

「少国民世代」を厳密にいうならば、「国民学校に行っていた世代」つまり「大東亜戦争中に小学生だった世代」ということになる。

 田原総一朗(終戦時11歳)
 筑紫哲也(当時10歳)大江健三郎(当時10歳)
 本多勝一(当時13歳前後)
 大島渚(当時13歳)井上ひさし(当時10歳)
 石原慎太郎(当時12歳)西尾幹二(当時10歳)
 この辺が「少国民世代」である。わしの母もこの世代に入る。

 少国民世代は、戦時中は大人たちから「日本は神国だ! いざとなれば神風が吹く!」…と教えられ軍人に憧れた者が多かった。

 戦後、その同じ大人たちが豹変して、「これからは民主主義の時代です。天皇は人間です。象徴に過ぎないんです!」…と教え始めた。
 その大人たちの露骨な態度の変化を見て、国家や天皇というものに懐疑的になった者が少国民世代には多いようだ。(中略)

 実を言うと、天皇を心底「神」と思い込んでいたのは「少国民世代」だけなのだ。

【『ゴーマニズム宣言SPECIAL 天皇論』小林よしのり(小学館、2009年/平成29年 増補改訂版、2017年)】

「ゴーマニズム宣言SPECIAL」シリーズは『戦争論』で花火のように舞い上がり、『昭和天皇論』に至るまで鮮やかな色彩を空に描き、そして『新天皇論』で跡形もなく消えた。女系天皇容認を表明した『新天皇論』で小林から離れていったファンが多い。

 私が小林の漫画や著作を読んだのは最近のことで、よもやこれほどのスピードで転落するとは予想だにしなかった。元々自分自身を美化する小林の画風が好きになれなかった。甲高い声も耳障りだ。公の場で「わし」という言葉遣いも大人とは言い難い。それでも一定の敬意を抱いたのは早くから慰安婦捏造問題に取り組むなど、期せずしてオピニオンリーダーの役割を果たしてきたように思えたからだ。その姿は文字通り孤軍奮闘であった。

 一時期小林と親(ちか)しかった有本香は「先生」と小林を呼んでいた。かつてはそれほどの見識を持っていた。そして有本も小林の元から去っていった。

「昭和一桁生まれが戦争を知っていると語るのは誤りだ」という指摘は少なからず他にもある。だが「少国民世代」と名づけたのは卓抜なセンスだ。

 終戦後、「神も仏もあるものか」という言葉が人口に膾炙(かいしゃ)した。その一方で精神の空隙(くうげき)を埋めるべく雨後の筍(たけのこ)みたいに現れた新興宗教に日本人は飛びついた。これまた「反動」と言ってよい。大半の知識人が左傾化したのも同じ現象であろう。

 日本は戦争に敗れたもののまだ亡んではいなかった。だが国体を見失って経済一辺倒に走り出した時、この国は国家であることをやめたのだろう。敗戦から半世紀以上に渡って「愛国心」という言葉はタブーとされた。

 昭和一桁世代には不破哲三(昭和5年生まれ)や池田大作(昭和3年生まれ)もいる。戦後、大衆を糾合し得た共産党と創価学会のリーダーがこの世代であるのも興味深い。

2016-02-06

靖國神社/『国民の遺書 「泣かずにほめて下さい」靖國の言乃葉100選』小林よしのり責任編集


 ・靖國神社

『大空のサムライ』坂井三郎
『父、坂井三郎 「大空のサムライ」が娘に遺した生き方』坂井スマート道子
『新編 知覧特別攻撃隊 写真・遺書・遺詠・日記・記録・名簿』高岡修編
『今日われ生きてあり』神坂次郎
『月光の夏』毛利恒之
『神風』ベルナール・ミロー
『高貴なる敗北 日本史の悲劇の英雄たち』アイヴァン・モリス
・『保守も知らない靖国神社』小林よしのり

日本の近代史を学ぶ

 海軍大尉 植村 眞久 命
 神風特別攻撃隊大和隊
 昭和19年10月26日 比島海域にて戦死
 東京都出身 立教大学卒 25歳

 素子といふ名前は私がつけたのです。素直な、心の優しい、思ひやりの深い人なるやうにと思つて、お父様が考へたのです。私は、お前が大きくなつて、立派な花嫁さんになつて、仕合せになつたのを見届けたいのですが、若(も)しお前が私を見知らぬまゝ死んでしまつても、決して悲しんではなりません。
 お前が大きくなつて、父に會(あ)ひたい時は九段へいらつしゃい。そして心に深く念ずれば、必ずお父様のお顔がお前の心の中に浮びますよ。父はお前を幸せ者と思ひます。(中略)
 お前が大きくなつて私の事を考へ始めた時に、この便りを読んで貰ひなさい。
昭和19年9月吉日          父
植村素子へ

 追伸、素子が生まれた時おもちやにしてゐた人形は、御父様が戴いて自分の飛行機に御守り様として乗せてをります。だから素子は父様といつも一緒にゐたわけです。素子が知らずにゐると困りますから教へて上げます。

【『国民の遺書 「泣かずにほめて下さい」靖國の言乃葉100選』小林よしのり責任編集(産経新聞出版、2010年)】


 靖國神社で販売されている『英霊の言乃葉』の第1~9輯(しゅう)の選集。産経新聞出版社が小林に選者を依頼したという。その経緯については小林の「まえがき」に詳しい。戦時中の遺書といえば『きけ わだつみのこえ 日本戦没学生の手記』(日本戦没学生記念会編、1949年)が有名だが、CIE(GHQの民間情報局)の検閲が施されていることが判明した(日本経済新聞 1982年8月22日/戦後の風潮)。

 靖國に祀(まつ)られた英霊は神に位置づけられるため名前の末尾に命(みこと)が付く。名前「のみこと」と読む。数詞は「柱」(はしら)。ペリー来航(1853年)以降の戦没者などが祀(まつ)られていることから「日本近代化の犠牲者」と見ることもできよう。ただし祀られているのは政府軍側の人物に限られる。私は靖國神社を否定する気は毛頭ないが、ひとつだけすっきりしないのは「政府軍側」と天皇陛下の整合性である。具体的には戊辰戦争における会津藩を逆賊と位置づける歴史には加担できない。

 植村が娘に宛てた遺書は老境を思わせるほどの風格がある。我が子にキラキラネームをつけるような現代の馬鹿親とは何が違うのか? それはやはり「責任感」であろう。子の幸福を思う心の深さが異なるのだ。

 私が胸を打たれたのは「お前が大きくなつて、父に會(あ)ひたい時は九段へいらつしゃい」との一言であった。九段とは靖國神社である。若き特攻隊員たちは「靖國で会おう」と口々に約し合いながら大空へ飛び立った。その聖地ともいうべき靖國が現在では政争の具とされている。

 敗戦から29年後に復員した小野田寛郎〈おのだ・ひろお〉は「天皇陛下万歳」と叫んだ。帰国後、検査入院を経て真っ先に靖國を参拝し、皇居を遥拝した。また政府からの見舞金100万円と義援金の全てを靖國神社に奉納している。マスコミは狂ったように「軍国主義の亡霊」と書き立てた。日本は変わってしまった。変わってしまった日本に耐えられなくなった小野田はブラジルへ去った(『たった一人の30年戦争』小野田寛郎、1995年)。

 植村の戦死から22年後の'67(S42)、愛児であった娘の素子は父と同じ立教大学を卒業。 同年4月に父が手紙で約束したことを果たすため、靖国神社にて鎮まる父の御霊に自分の成長を報告し、母親や家族、友人、父の戦友達が見守るなか、文金高島田に振袖姿で日本舞踊「桜変奏曲」を奉納した。 素子は「お父様との約束を果たせたような気持ちで嬉しい」と言葉少なに語ったという。

歴史が眠る多磨霊園:植村眞久

 死して尚、親の想いが子を育む。人の一念は時を超えるのだ。

 尚、靖国神社公式サイトの「靖国神社について > 今月の社頭掲示」では平成20年(2008年)以降のものが紹介されている。




国民の遺書  「泣かずにほめて下さい」靖國の言乃葉100選
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2015-11-17

左翼とサヨクあるいは反日を巡って/『新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論』小林よしのり


 ・左翼とサヨクあるいは反日を巡って

・『新ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論 2』小林よしのり
・『新ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論 3』小林よしのり
『ゴーマニズム宣言SPECIAL 天皇論』小林よしのり

・『ゴーマニズム宣言SPECIAL パール真論』小林よしのり

日本の近代史を学ぶ

【日本の】個人主義者は国家が嫌いである 権力も嫌いである

 そしてこの平和が自明のものであり 税金さえ払えば手に入るサービスだと思っている

 日本の個人はまるで消費者なのだ!!

【『新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論』小林よしのり(幻冬舎、1998年)以下同】

 漫画吹き出しのためテキストの改行は無視した。日本の古代が『古事記』というフィクションによって成り立ち(『官僚病の起源』岸田秀、1997年)、明治維新という擬装を通して近代化された(『明治維新という過ち 日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト』原田伊織、2012年)ことを思えば、この国はたぶん理念を欠いている。ただし四方を海に囲まれた地理的優位さが歴史と伝統の形成を可能にした。

 近代日本において左翼と右翼を定義することは難しい。江戸末期では攘夷派も開国派も尊王を標榜しており(『攘夷の幕末史』町田明広、2010年)、倒幕という運動性と残虐な急進性からすれば攘夷派は完全な左翼である。ところが右翼の原点は西郷隆盛の精神にあり、玄洋社(1881-1946年)が道を開いたのである。昨今では「過激な」右翼と「穏健な」左翼という顛倒(てんとう)した事態となっている。

 1922年(大正11年)に日本共産党が結成される。度重なる弾圧を経て、しばしば破壊活動を起こし、同党は敗戦の後に合法化される。これをもって「左翼とは『天皇制』打倒を目論み、日本文化を否定しかつ破壊へと導く思想・行動」と認められるか。

 スターリンが言い始めた「天皇制」(emperor system)とのキーワードは左翼用語であり、個人的には「いわゆる天皇制」(「いわゆる従軍慰安婦」に倣〈なら〉う)と表現したい。制度を導入したというよりは自然発生的であったと考えるためだ。文脈によっては「天皇制」と鍵括弧を付けることにする。

 わしは戦後180度転換したこの日本の「空気」をすべて疑う(中略)

 日本を覆うその「空気」とは…(中略)

 新聞のほとんどに彼らはいる

 テレビ 雑誌 マスコミ内に いる

 教育界にかなりいる

 司法関係者にいる

 国外にまで暗躍している

 この「残存左翼」に操られやすいのが「うす甘いサヨクの市民グループ」だ

 明確な左翼思想を持つわけでなく…人権・平等・自由・フェミニズム・反戦平和などの思想が彼らを突き動かす(中略)

「うす甘いサヨク市民グループ」の周りには 大多数の「うす甘い戦後民主主義の国民」がいるわけである

 つまり「人権」「自由」「個人」「反戦平和」などの価値を揚げれば「残存左翼から「うす甘いサヨク市民グループ」から「戦後民主主義者」まで大同団結できてしまう

 要するに戦後民主主義は「サヨク」なのだ!

 それが「空気」の正体である

 次に紹介するのはニコニコ大百科(仮)の「サヨク」という項目である。

 サヨクとは、本来の左翼思想と「人権・平等・環境」といった理念を振りかざす左翼シンパシー的な立場を区別する上で、用いられる用語である。

 現在はネット言論(2ch、ブログなど)において広く用いられている。レッテル・蔑称としても用いられる。

概要

 明確な定義について見解は分かれるが、一般的には左翼思想及び共産主義体制の近隣国家にシンパシーを示すが、正面からマルクス主義的な社会革命を標榜することはなく、「平和・国際協調・人権・民主主義・環境保護」といった口当たりのよいスローガンを掲げて活動する思想・立場のことを言う。

 カタカナ表記の「サヨク」は小説のタイトルとしてつかわれることもあったが、漫画家の小林よしのりによって、従来の左翼と区別される思想・政治的立場を示す語として積極的に用いられるようになった。小林は、「サヨク」という語を、イデオロギー的な議論を避け、表面的なスローガンに論点をすりかえる方法論を、カタカナ表記のフランクさによって揶揄する意味で用いたと考えられる。

「サヨク」の背景

 冷戦下の政治工作の一環として、共産主義陣営は資本主義国内部の批判勢力を組織・支援した。こうした工作はマスコミや「進歩的知識人」「市民団体」などを通して行われたが、このときに用いられたのが「平和・民主主義」といったスローガンであった。

 ソ連が崩壊し、マルクス・レーニン主義が失敗をみたことが知れ渡ると、イデオロギーとしての左翼は求心力を失ったが、これらの批判勢力は口当たりのよいスローガンに身を隠しつつ、活動を継続していった。

「サヨク」はこうしたイデオロギー的ルーツを表面に出すことなく(または自覚することなく)現在も根強く活動している。

ニコニコ大百科(仮)

 左翼はフランス革命の急進派(ジャコバン党)に始まり、共産主義・社会主義を経て、リベラル派への変態を辿る。日本においては東京裁判史観に基づく戦後教育が、昭和期に至るまでの伝統を消し去った。経済成長を遂げるにつれ武士道という節度も溶解した。愛国心は鼻で笑われ、国民は国体を見失った。

 日本の近代史は奥が深い。GHQによるウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(戦争贖罪意識洗脳プログラム)や薩長土肥によって綴られた明治維新以降は、飽くまでも「官軍の歴史」であると理解すべきだろう。

 佐藤優が小林を批判していた。気をつけなければならないことは佐藤の指摘は歴史認識としては正しいのだが、GHQによる占領政策から人々の目を逸(そ)らさせてしまう点にある。彼はそれを計算ずくで行っているのだろう。私としては小林の漫画は読むに堪(た)えないし、「わし」という言葉づかいが社会性を無視して鼻持ちならないが、小林の書籍や言動から少なからず影響を受けており、敬意を表するものである。

 民主制(※デモクラシーを民主主義とするのは誤訳)は情報公開(ディスクロージャー)によって作動する。私が民主制よりも貴族制を重んじるのは、あらゆる国家において100%の情報が公開されることはないと考えるためだ。

 左翼という政治性、サヨクという知的欺瞞、反日という民族嫌悪は平和という名の温室で栽培された。戦争は経済問題に起因する。そして経済は気温に左右される。すなわち地球の寒冷化が戦争を生むのだ。国内情勢を見るだけでも地球温暖化の嘘が知れよう。温暖で作物が豊富にとれれば人々は争わない。石油の確認埋蔵量も増えているからエネルギー確保が戦争要因となることも考えにくい。いずれにせよ2020年の東京オリンピックまでには明らかとなるに違いない。

新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論新ゴーマニズム宣言SPECIAL戦争論 (2)新ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論〈3〉

アンサイクロペディア:左翼
左翼有名人リスト
日本共産党が機関紙「赤旗」紙上で32年テーゼを発表

会津戦争の悲劇/『ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書』石光真人