2011-06-04

行間に揺らめく怒りの焔/『自動車の社会的費用』宇沢弘文


『記者の窓から 1 大きい車どけてちょうだい』読売新聞大阪社会部〔窓〕
『交通事故鑑定人 鑑定暦五〇年・駒沢幹也の事件ファイル』柳原三佳

 ・行間に揺らめく怒りの焔
 ・新自由主義に異を唱えた男

『交通事故学』石田敏郎
『「水素社会」はなぜ問題か 究極のエネルギーの現実』小澤詳司

必読書リスト その二

「生きた学問」は偉大なる感情に裏打ちされている。そのことを思い知った。宇沢は1964年にシカゴ大学経済学部教授に就任した人物。門下生の中にジョセフ・E・スティグリッツがいる(2001年ノーベル経済学賞受賞)。市場原理主義の総本山で、宇沢はシカゴ学派を批判した。気骨の人という形容がふさわしい。

 宇沢の怒りが青い焔(ほのお)となって行間で揺らめいている。本物の怒りは静かなものだ。熱い怒りは長続きしない。読み手はおのずから襟を正さずにはいられなくなる。

 しかし、このように歩行者がたえず自動車に押しのけられながら、注意しながら歩かなければならない、と言うのはまさに異常な現象であって、この点にかんして、日本ほど歩行者の権利が侵害されている国は、文明国といわれる国々にまず見当たらないと言ってよいのである。

【『自動車の社会的費用』宇沢弘文〈うざわ・ひろぶみ〉(岩波新書、1974年)以下同】

 文明が人間を押しのける。我々はテクノロジーの前にひれ伏す。昔であればきれいに舗装されたばかりの道路を歩くと、何となく遠慮がちになったものだ。

 日本における自動車通行の特徴を一言にいえば、人々の市民的権利を侵害するようなかたちで自動車通行が社会的に認められ、許されているということである。(中略)ところが、経済活動にともなって発生する社会的費用を十分に内部化することなく、第三者、特に低所得者層に大きく負担を転嫁するようなかたちで処理してきたのが、戦後日本経済の高度成長の家庭のひとつの特徴でもあるということができる。そして、自動車は、まさにそのもっとも象徴的な例であるということができる。

 これが本書のテーマである。社会的費用とは公害や環境破壊などにより社会が被る損失を意味する。

「低所得者層に大きく負担を転嫁するようなかたち」とは、国が税金でカーユーザーを経済的に支援してきたということであろう。

 ま、普通に道路を歩いていれば誰もが実感していることだ。歩行者優先は掛け声だけで、実際は邪魔だといわんばかりにクラクションを鳴らされる。

 近代市民社会のもっとも特徴的な点は、各市民がさまざまなかたちでの市民的自由を享受する権利をもっているということである。このような基本的な権利は、単に職業・住居の選択の自由、思想・信条の自由という、いわゆる市民的自由だけでなく、健康にして快適な最低限の生活を営むことができるという、いわゆる生活権の思想をも含むものである。このような基本的権利のうち、安全かつ自由に歩くことができるという歩行権は市民社会に不可欠の要因であると考えられている。
 近代市民社会の特徴はさらに、他人の自由を侵害しないかぎりにおいて、各人の行動の自由が認められるという基本的な原則が守られているということであるが、自動車通行によってまさにこの市民社会における最も基本的な原則を破られている。

 生活権という言葉に目から鱗(うろこ)が落ちる思いがする。そして、この国がいかに法の精神を蔑ろにしてきた実体がよく見えてくる。

 時折、真夜中にオートバイの爆音が聞こえると私は殺意を抱く。前もって来る時間がわかっていれば、バットか木刀を持って待ち受けるところだ。彼らは自分の好き勝手のために、病人や障害者に迷惑をかけている自覚すらないのだろう。っていうか、大体どうしてあんな騒音を撒(ま)き散らす物の販売が認められているのか? バイクショップやメーカーに規制をかけるべきだと思う。それから病人の生活権を守るために、オートバイの免許取得は30歳以上に引き上げるべきだ。

 カーユーザーの自由のために、他の人々の自由が損なわれている。その原因はどこにあるか?

 というのは、近代経済学の理論的支柱を形成しているのは新古典派の経済理論であるが、新古典派の理論的フレームワークのなかでは、一般に社会的費用を発生するような経済現象を斉合的に分析することは、その理論的前提からの制約によってすでに不可能であると言ってもよいからである。

 経済理論に穴が空いていたのだ。それでも人の健康や命に重い価値を置いていれば、賠償請求によって社会は軌道修正してゆくことができるはずだ。つまり、この国は人間を軽んじているのだ。それゆえ国策に乗じた大手企業は絶対に潰れることがない。原発や製薬会社を見れば一目瞭然だ。特に製薬会社は名前を変えて生き残っている。石井部隊の末裔(まつえい)は断じて死なない。

 自動車の普及のプロセスをたどってみると、そのもっとも決定的な要因のひとつとして、自動車通行にともなう社会的費用を必らずしも内部が負担しないで自動車の通行が許されてきたということがあげられる。すなわち自動車通行によって、さまざまな社会的資源を使ったり、第三者に迷惑を及ぼしたりしていながら、その所有者が十分にその費用の負担をしなくてもよかったということである。

 道路・信号・標識・横断歩道と排気ガス・騒音など。本来であれば、自動車税やガソリン税をもっと高くすべきなのだろう。結果的に自動車所有者が得をする仕組みになっていたわけだ。持てる者と持たざる者の間にアスファルトの道路が存在する。

 自動車の普及を支えてきたのは、自動車の利用者が自らの利益をひたすら追求して、そのために犠牲となる人々の被害について考慮しないという人間意識にかかわる面と、またそのような行動が社会的に容認されてきたという面とが存在する。

 利便性と所有欲が人間を犠牲にしてきたという指摘だ。そして車を所有できない人々は沈黙を強いられてきた。

 要するに、ホフマン方式によって交通事故にともなう死亡・負傷の経済的損失額を算出することは、人間を労働提供して報酬を得る生産要素とみなして、交通事故によってどれだけその資本としての価値が減少したかを算定することによって、交通事故の社会的費用をはかろうとするものである。
 このホフマン方式によるならば、もし仮りに、所得を得る能力を現在ももたず、また将来もまったくもたないであろうと推定される人が交通事故にあって死亡しても、その被害額はゼロと評価されることになる。また、こう所得者はその死亡の評価額が高く、低所得者は低くなることも当然である。したがって、老人、身体障害者などが交通事故にあって死亡・負傷したときにはその被害額は小さくなるのである。

 このような急速方法が得られるのは、人間をひとつの生産要素とみなすからである。労働サーヴィスを提供して、生産活動をおこない、市場で評価された賃金報酬を受取る、という純粋に経済的な側面にのみに焦点を当てようとする考え方が、その背後には存在する。この考え方はじつは、人間のもつさまざまな社会的・文化的側面を捨象して、純粋に経済的な側面に考察を限定し、希少資源の効率的配分をひたすらに求めてきた新古典派の経済理論の基本的な性格を反映するものである。

 蒙(もう)が啓(ひら)かれる。真の学問は光を発して周囲の世界を照らす。GDP(国内総生産)という発想も同様であろう。国家が最も必要とするのは労働者と兵隊である。生産要素とは納税者の異名でもある。すなわち国家は国民を搾取対象と見なすのだ。

 官僚が経済論を基準に法律を作成し、政治家が業界の意向を汲んで修正を加え、法律ができあがる。そこに人権への配慮はない。こうやって法の精神は魂を抜かれ、試験のために記憶するだけの条文と化すのだろう。

 法律が本当に機能しているのであれば、国家賠償訴訟などで世の中がよくなっているはずだ。しかしそんな気配は微塵もない。そもそも法律や憲法なんぞは宗教の教義みたいなもので、信じる人々の間で有効に働く程度の代物であろう。いつの時代にもアウトローは存在する。

 本当なら、大学が最後の砦(とりで)として世の中を正してゆくべきだと思うが、既に産学協同で大学は企業の下部組織となりつつある。「一緒にポーカーをやろうぜ」ってわけだよ。大学は優良企業へ就職するための通過点にすぎない。

 資本主義経済は人の命にまで値段をつけて差別をするのだ。経済学が欺瞞(ぎまん)の笛を鳴らし、国家はそれに合わせて踊るという寸法だ。世界経済を牽引(けんいん)するアメリカも中国も恐るべき格差社会となっている。極端な集中が崩壊の引き金となる。先行投資として社会保障を手厚くしておかなければ大変な事態に陥る。

 このままグローバリゼーションの波に乗っていれば、日本の優良企業や一等地はアメリカと中国に買われてしまうことだろう。

「パックス・アメリカーナの惨めな走狗となって」宇沢弘文

2011-06-03

須賀敦子、菊地信義、グレッグ・ルッカ


 2冊挫折、1冊読了。

 挫折22『遠い朝の本たち』須賀敦子(筑摩書房、1998年/ちくま文庫、2001年)/開くなり「調布のカルメル会修道女」と出てきてウンザリ。これだけで「敬虔なクリスチャン」という印象が黒々と浮かび上がってくる。強信(ごうしん)のブードゥー教信者とか厳格なムスリムだったら書けない。それだけでもずるいと思う。「わたくし、クリスチャンですのよ。オホホホホ」という忍び笑いが聞こえてきそうだ。エッセイを読んでいると、水で薄めたウイスキーみたいに感じて、パラパラとめくってパタンと閉じてしまった。

 挫折23『樹の花にて 装幀家の余白』菊地信義(白水社、1993年/白水Uブックス、2000年)/菊地は装丁の第一人者。文章が巧みだ。上手すぎて鼻につく。見事なデッサンなんだが、どうも線が気に入らぬ。銀座の様々な表情が描かれている。


 34冊目『暗殺者(キラー)』グレッグ・ルッカ/古沢嘉通〈ふるさわ・よしみち〉(講談社文庫、2002年)/アティカス・コディアック・シリーズの第三弾。600ページ近いが一日で読了。やはり順番で読むのが正しい。サービス過剰のあまり冗長な部分もあるが、文章がいいので苦にならない。ブリジット・ローガンの使い方が実に上手い。登場しないことで存在感を際立たせている。巨大な煙草メーカーを告発する重要証人の警護を行う。この爺様が不思議な魅力を放っている。

2011-06-02

世界の構造は一人の男によって変わった/『「私たちの世界」がキリスト教になったとき コンスタンティヌスという男』ポール・ヴェーヌ


『聖書vs.世界史 キリスト教的歴史観とは何か』岡崎勝世

 ・世界の構造は一人の男によって変わった

『殉教 日本人は何を信仰したか』山本博文

 政治・経済・文化という次元で世界を理解しようと思えば、キリスト教を避けて通るわけにはいかない。欧米を中心とする世界基準はキリスト教であるからだ。思想的背景が異なると言葉の意味すら変わってくる。日本語で人間といえば同じ生き物としての平等性を感じるが、これが英語だと神の僕(しもべ)として何らかの役割を担っている雰囲気がある。

社会を構成しているのは「神と向き合う個人」/『翻訳語成立事情』柳父章

 ポール・ヴェーヌは古代ローマ史を研究する碩学(せきがく)とのこと。はっきりと断っておくが面白くない本である。にもかかわらず、私が長らく抱いていた疑問が解けた。それは「いつからキリスト教が西洋のスタンダードになったのか?」というものだ。

 で、犯人がコンスタンティヌスであることはわかっていた。問題は犯行の手口だった。

 西洋史、さらには世界史にあってさえ決定的だった出来事のひとつが、312年に広大なローマ帝国内で生じた。

【『「私たちの世界」がキリスト教になったとき コンスタンティヌスという男』ポール・ヴェーヌ:西永良成〈にしなが・よしなり〉、渡名喜庸哲〈となき・ようてつ〉訳(岩波書店、2010年)以下同】

 312年にコンスタンティヌスは西ローマ帝国を制覇した。で、歴史を揺るがす大事件とは何であったのか?

 ところが、その翌年の312年、およそ予測することも不可能だったひとつの出来事が生じた。すなわち、共同皇帝の別のひとり、この壮大な物語=歴史のヒーローであるコンスタンティヌスが(「おまえはこの徴(しるし)のもとに勝利するであろう」という)夢のお告げのあと、キリスト教に改宗したのである。当時のキリスト教とは〈帝国〉の人口(おそらくは7000万人)のわずか5ないし10パーセント程度でしかなかったと考えられている。だからこそJ・B・ペリーは、「312年、大多数の真価が考えていたことに挑戦し、これを軽蔑しつつコンスタンティヌスの成しとげた宗教革命はたぶん、かつてひとりの専制君主が敢行したうちでも、最も大胆な行為だったことをけっして忘れてはならない」と書いているのである。

 有名なエピソードである。キリスト教世界は夢のお告げから誕生したのだ。啓示、あるいは悟りと考えてよかろう。現在、世界の宗教人口はキリスト教33.4%、イスラム教22.2%、ヒンドゥー教13.5%、仏教5.7%となっている(百科事典『ブリタニカ』年鑑2009年版)。

 しかしながら、王の改宗自体は決して珍しいものではない。この時何が変わったのか?

 すなわち、ローマの玉座がキリスト教になり、〈教会〉が権力になったということである。もしコンスタンティヌスがなかったなら、キリスト教はひとつの前衛的宗派にとどまっていたことだろう。

 これだよ、これ。権力の移行を伴ったことが最大の違いであった。見ようによっては、政治権力を政教という形で分散したようにも考えられる。本質的には政治が現実生活の枠組みを規定し、宗教が内面の物語を構成する以上、全く新しい「大文字の歴史」が誕生したといってよい。

 彼は自分の臣下たち全員がキリスト教徒になるのを見たいと心底願っていたにもかかわらず、彼らを改宗させるという不可能な任務に手を染めることはなかった。これは異教徒を迫害しなかったし、異教徒の発言を封じもしなかったし、異教徒の出世を不利にすることもしなかった。迷信家どもが身を滅ぼしたいというのなら、それは彼らの勝手だ、というわけである。コンスタンティヌスの後継者たちもやはり異教徒を強制せず、彼らの改宗の務めをもっぱら〈教会〉にゆだねたのであり、そしてこの〈教会〉も又迫害よりも説得を用いることになった。

 これは凄い。コンスタンティヌスはキリスト教を「公正なもの」に変えたのだ。すなわち、彼の「人間としての振る舞い」がキリスト教を世界基準にまで高めたのだ。コンスタンティヌスは命令よりも感化を選んだ。人間への限りない信頼によって、言葉の意味すら重みが増したことだろう。

 コンスタンティヌスは又、たとえ犯罪者であろうとも、キリスト教徒に罪を償わせる合法的な義務を免除してやった。当時、有罪者の一部は強制的に剣闘士として闘う刑に処されていた。ところが、聖なる〈戒律〉は「汝、殺すなかれ」と定めている。だから、剣闘士たちは久しく〈教会〉にはいることを認められていなかった。そこでコンスタンティヌスは、キリスト教徒には「受刑者が流血を見ることなく、自らの大罪の罰が感じられるように」と、闘技場での闘いの刑を鉱山や採石場での強制労働に代える決定をくだしたのである。この偉大な皇帝の後継者たちも以後、これと同じ法律を尊重することになるだろう。

 彼はまた、キリスト教を「法」へと高めたのだ。劇的なパラダイムシフトといってよい。完璧なソフトパワー革命だ。

 要はこうだ。コンスタンティヌスという人間の思考回路は時代を超越していた。ある日、夢が引き金となってシナプスの構成が一変した。彼はいまだかつてなかった常識と道理を政治レベルで示した。その瞬間、人々の脳の構造も変わった。かくしてキリスト教世界が生まれたわけだ。一人の脳内ネットワークがそのまま社会ネットワークと化した。

 コンスタンティヌスは最初のマグマだったのだ。312年に始まった噴火は中世まで続いた。そして全く新しい山脈が出来上がった。

 その後のキリスト教の歴史を見れば、キリスト教そのものに力があったとは思えない。世界の混乱の大半はキリスト教に原因があると私は考えている。神と人間、そして人間と動物の差別意識が征服や侵略を可能にしたと思う。

動物文明と植物文明という世界史の構図/『環境と文明の世界史 人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ』石弘之、安田喜憲、湯浅赳男

 とすると、コンスタンティヌスによるキリスト教の「扱い方」に最大の勝因があったのではなかろうか。それはそのまま「人間に対する扱い方」でもあった。

 世界の構造は一人の男によって変わったのだ。万人が納得し得る合理性こそがその鍵となる。



コンスタンティヌス家 Constantinus
コンスタンティヌス1世 (AD307-AD337)
キリスト教の創立者/コンスタンティヌス
映画『Zeitgeist(ツァイトガイスト) 時代の精神』ピーター・ジョセフ監督
欽定訳聖書の歴史的意味/『現代版 魔女の鉄槌』苫米地英人
サードマン現象は右脳で起こる/『サードマン 奇跡の生還へ導く人』ジョン・ガイガー
イエスの復活~夢で見ることと現実とは同格/『サバイバル宗教論』佐藤優

武田邦彦「日本社会は原子力という巨大技術を実施するポテンシャルがない」


 痺れた。数学的思考が具体的な答えを導き出している。

「私は原子力の技術に関しては絶対に大丈夫だと思っている。だけど日本社会は原子力という巨大技術を実施するポテンシャルがない。例えば非常に具体的に言えば東大教授を全員クビにして、天皇陛下の叙勲を全部なくして、官僚を全部教育し直して、万機公論(ばんきこうろん)に決するようにして、という条件がなけりゃダメだ」(武田邦彦)

『そのまま言うよ!やらまいか』 第14回「民主主義 part6」

世界は狭い


 世界は知覚で構成されている。つまり知覚の限界が世界の涯(はて)である。その意味ではいかなる世界であっても狭い。大切なことは世界を広げることよりも、狭い世界に対する自覚である。しなやかな精神の持ち主は、世界を柔らかに再構成してゆくことができる。