2015-04-26

菅沼光弘、出口汪、福村国春、他


 9冊挫折、5冊読了。

心の病の「流行」と精神科治療薬の真実』ロバート・ウィタカー:小野善郎監訳、門脇陽子、森田由美訳(福村出版、2012年)/良書。専門性が高すぎて挫折。難しいからではなく時間を惜しんだため。統合失調症に関する一級資料と思う。

抗うつ薬の功罪 SSRI論争と訴訟』デイヴィッド・ヒーリー:田島治監修、谷垣暁美訳(みすず書房、2005年)/読み物としてはこちらの方が面白い。こちらも同様で時間がないため放り投げた。目安としては『クレイジー・ライク・アメリカ 心の病はいかに輸出されたか』を読んで、更に前へ進みたい人はこの2冊に取り組むのがよい。

ヒトの見方』養老孟司(ちくま文庫、1991年/筑摩書房、1985年『ヒトの見方 形態学の目から』改題)/飛ばし読み。余計な一言が多く、せっかくの主張が台無しになっている。冷笑が養老の悪癖だ。それでも尚、養老の著書を開くのは、私がテーマにしている「見る」ことと鋭い時間論が展開されているためだ。

新薬ひとつに1000億円!? アメリカ医薬品研究開発の裏側』メリル・グーズナー:東京薬科大学医薬情報研究会訳(朝日選書、2009年)/フォントが小さい告発本にはロクなものがないと思ってよい。数ページで挫ける。

オーウェル評論集』ジョージ・オーウェル:小野寺健編訳(岩波文庫、1982年)/二度目の挫折。ディケンズの文学評論が長すぎる。

未知の次元』カルロス・カスタネダ:名谷一郎〈なたに・いちろう〉訳(講談社、1979年)/後回し。

世界史の極意』佐藤優(NHK出版新書、2015年)/後回し。

プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』マックス・ウェーバー:中山元〈なかやま・げん〉訳(日経BP社、2010年)/待望の新訳。読みやすい。が、一筋縄ではゆかず。これも後回し。

すべては1979年から始まった 21世紀を方向づけた反逆者たち』クリスチャン・カリル:北川知子訳(草思社、2015年)/文章がいい。翻訳も優れている。ただ人選を誤っているような気がする。世界的に新自由主義が否定されつつある時にサッチャーを取り上げるとはね。

 32冊目『世界経済の支配構造が崩壊する 反グローバリズムで日本復活!』菅沼光弘、藤井厳喜〈ふじい・げんき〉(ビジネス社、2015年)/菅沼の新刊である。藤井厳喜が菅沼を師匠と呼んでいる。菅沼本は語り下ろしが多いが、これはしっかりした文章である。藤井の執筆部分も非常によい。

 33冊目『ブラック・プリンス』デイヴィッド・マレル:山本光伸訳(光文社、1985年/光文社文庫、1989年)/これは4度目くらいだと思った。やはり山本訳はいいね。マレルの作品では『ランボー』よりもこちらがオススメ。『モンテ・クリスト伯』や『スカラムーシュ』に連なる系譜の復讐譚である。文章も素晴らしい。

 34冊目『歴史の見方がわかる世界史入門』福村国春(ベレ出版、2014年)/一気読み。これはオススメ。世界史全体の流れがよくつかめる。気になる箇所がいくつかあったが、ま、細かいことは言うまい。2~3回続けて読めば、西洋史の時間軸を構築できそうだ。

 35冊目『出口式ロジカル・リーディング 読書で論理思考を手に入れよう』出口汪〈でぐち・ひろし〉(インデックスコミュニケーションズ、2009年)/小論文のカリスマ講師らしい。変わった名前でピンと来た人もいるかもしれないが、何と出口王仁三郎の曾孫。粗製乱造気味と見えて、一冊の本としては締まりに欠ける。

 36冊目『神国日本八つ裂きの超シナリオ』菅沼光弘、ベンジャミン・フルフォード、飛鳥昭雄(ヒカルランド、2013年)/おしゃべり本。大した内容ではないが菅沼ファンは読んでしまう。3人でトークショーも行っていたとはね。

2015-04-25

アブラハムの宗教入門/『まんが パレスチナ問題』山井教雄


神様:
ユダヤ教のヤハベ(エホバ)、キリスト教の神、イスラム教のアラー、みな同一の神様で、何を隠そう、私のことなんじゃ。でも、その頃は小さな部族集団だったユダヤ人の部族神でしかなかったんじゃ。「部族」というのは「民族」より小さい単位で、血がつながっていることを信じている人の集団じゃよ。

その頃は、各部族はそれぞれの部族神を持っていて、その部族神は土地や子孫の繁栄など、現世利益(りやく)を部族に約束するんじゃ。当然、土地をめぐって部族間で争いが起こり、負けた部族やその部族神は亡びるか、勝った部族に統合された。

キリスト教やイスラム教のような世界宗教の神としては、人類全体のことを考えなければいけないんだが、当時のユダヤ教の神としては、自分が選んだ民、ユダヤ人のことだけを考えていればよかったのじゃ。

【『まんが パレスチナ問題』山井教雄〈やまのい・のりお〉(講談社現代新書、2005年)以下同】

 アブラハムの宗教入門としてオススメである。「まんが」と題しているが、実際は「大きなイラスト」で、文章の殆どが科白(せりふ)として書かれている。

 もともと部族宗教であったユダヤ教から、キリスト教・イスラム教という世界宗教が生まれた。宗教人口はキリスト教が22.54億人(33.4%)でイスラム教が15億人(22.2%)、ユダヤ教が1509万人(0.2%)となっている(百科事典『ブリタニカ』年鑑2009年版)。米調査機関ピュー・リサーチ・センターによれば、2070年にはイスラム教徒とキリスト教徒がほぼ同数になり、2100年になるとイスラム教徒が最大勢力になると予測している(日本経済新聞 2015-04-06)。


 こうして一覧表にしてもらうと実にわかりやすい。日本人からすれば殆ど差はないように見えるが、それぞれの宗教が無数に分派している現実を思えば、教義に対する解釈論争の厳しさが浮かんでくる。

 アブラハムの宗教は啓典宗教である(『日本人のための宗教原論 あなたを宗教はどう助けてくれるのか』小室直樹)。神よりも言葉が重い。そしてその言葉の解釈を巡って争いが起こる。世界とは聖書世界を意味しており、神の存在証明を目指して西洋では学問が発展してきた。

 テキストを重んじることで宗教の機能は命令と禁止に転落した。複雑を極めたユダヤ律法に異を唱えたのがイエスであった。そしてイエスの弟子たちは同じ過ちを繰り返している。

まんが パレスチナ問題 (講談社現代新書)

2015-04-24

イラク日本人人質事件の「自己責任」論/『インテリジェンスのない国家は亡びる 国家中央情報局を設置せよ!』佐々淳行


『彼らが日本を滅ぼす』佐々淳行
『ほんとに、彼らが日本を滅ぼす』佐々淳行

 ・瀬島龍三はソ連のスパイ
 ・イラク日本人人質事件の「自己責任」論

『私を通りすぎた政治家たち』佐々淳行
『私を通りすぎたマドンナたち』佐々淳行
『私を通りすぎたスパイたち』佐々淳行
『重要事件で振り返る戦後日本史 日本を揺るがしたあの事件の真相』佐々淳行

 私が意見具申したのは、この事件は周囲の人が止めるのも振り切ってバクダッド陥落1周年というもっとも危険なときに、無謀にも現地入りをした本人たちの「自己責任」の問題であるということを前提に、
(1)善意のNGOを人質にするのは許しがたいとの日本政府の怒りの表明
(2)すぐ解放せよという要求
(3)自衛隊はイラク復興のためにサマワに派遣されたのであって、1発も撃っていない。老幼婦女子を殺しているという犯行グループによる非難は、まったく当たらないという、強い否定。
(4)したがって、撤退はしない
(5)だが日本政府は、人名尊重の見地からアメリカ特殊部隊の力を借りてでも人質は必ず救出する

 という5点だった。
 この意見具申の電話は、家内が後ろで聞いていた。また、私はすぐさま佐々事務所の石井事務局長にも内容を伝え、「官房長官はハト派だから、たぶんこのノー・バットの強硬な意見はボツだろうね」と話し合っていたところ、驚いたことに、この意見具申の12分後、福田官房長官が緊急記者会見を行い、順番まで私の言った通りに政府声明をテレビで発表したのである。

【『インテリジェンスのない国家は亡びる 国家中央情報局を設置せよ!』佐々淳行〈さっさ・あつゆき〉(海竜社、2013年)以下同】


(1分30秒から福田官房長官)

 佐々が伝えた相手は自民党国対委員長をしていた中川秀直だった。国家の危機管理という視点から見事なアドバイスが為されていると思う。だが佐々が提案した「自己責任」論は直ぐさま暴走を始め、人質となった3人に対して昂然とバッシングが行われた。まざまざと記憶が甦る。私も自己責任との言葉に乗せられた一人だ。テレビカメラ越しに見た彼らの印象がよくなかった。人質の一人(共産主義者であると自ら表明)が日本の空港で出迎えた両親と口論する様子まで報じられた(下の動画2分53秒から)。


 イラク日本人人質事件(2004年)はまず4月に高遠菜穂子〈たかとお・なほこ〉ら3人が解放され、同月さらに2人が解放された。しかし10月に1人が殺害された。インターネット上には斬首動画が出回った。遺族は「息子は自己責任でイラクに入国しました。危険は覚悟の上での行動です」との声明を発表した。

 後に高遠菜穂子がこう語っている。

 ちょうど新潟県中越地震が起きたばかりのときだったんですけど、「新潟の被災者とか、日本にも困ってる人はいっぱいいるのに、それを放っておいて外国で何をやってる」ということだったみたいです。でも、最初は意味がわからなくて。「うーん、でも私の身体は一個しかないし、今はイラクのことで忙しいので、じゃあすいませんけどあなたが新潟に行ってもらえますか」とか、真面目だけどかなりとんちんかんな返事をしてました(笑)。
 事件前から同じようなことは言われてたんだけど、私は「日本の中も外も同じ」みたいに思っていたから。事件後にものすごい剣幕でそう言われたときは、本当に意味がわからなかったです。

高遠菜穂子さんに聞いた その2

 当初から「これがアメリカであれば彼らは英雄として迎えられたことだろう」と言われた。日本のマスコミは彼らを袋叩きにした。「解放された人質3人の帰国を待っていたのは温かな抱擁ではなく、国家や市民からの冷たい視線だった」(ニューヨーク・タイムズ)。

 日本の共同体を維持してきた村意識にはリスクを嫌う性質がある。「出過ぎた真似をするな」というわけだ。善悪の問題ではなくして、こういうやり方で日本の秩序は保たれてきたのだろう。また「遠くの親戚より近くの他人」という俚諺(りげん)が人質となった彼らには不利に働く。日本人に深く根づく「内と外」意識は単純な理屈で引っくり返せるような代物ではない。

 もちろん自己責任は自業自得と同義ではない。自国民の救出・保護に全力を尽くすのは国家の責務である。日本政府としては、何としても人質を救出するぞという確固たる決意があった。

 国家の危機管理を行う立場からすれば、佐々が示した対応はほぼ完璧に近い。ただし自己責任論が予想以上の広がりを見せたことに苦い思いがあったのだろう。

 今年の1月、イスラム国で二人の日本人が殺害された。そして、またぞろ自己責任論がまかり通った。日本の民族的遺伝子には元々モンロー主義的要素があるような気がする。「君子危うきに近寄らず」「触らぬ神に祟りなし」と。

 佐々淳行や菅沼光弘の目の黒いうちに中央情報機関の設置を強く望む。特に最近、中国や韓国による歴史捏造は目に余るものがあり、日本にとって最大の危機といっても過言ではない。正確な情報できちんと反撃しておく必要がある。


2015-04-23

止観/『自由とは何か』J・クリシュナムルティ


 ・努力と理想の否定
 ・自由は個人から始まらなければならない
 ・止観

 そこで問題は、私たちの思考がそこいら中をうろついており、そして当然ながら秩序をもたらすことを望んでいるということです。が、どのようにして秩序をもたらしたらいいのでしょう? さて、高速で回転している機械を理解するためには、それを減速させなければなりません。もし発電機を理解したければ、それを減速させてから調べなければなりません。もしそれを停止させてしまえば、それは死物であり、そして死物はけっして理解できません。そのように、思考を排除、孤立によって殺してしまった精神はけっして理解を持つことはできないのですが、しかしもし思考過程を減速させれば、精神は思考を理解できるのです。もし皆さんがスローモーション映画を見れば、皆さんは馬が跳躍するときの筋肉の見事な動きを理解できるでしょう。筋肉のそのゆるやかな動きには美がありますが、しかし馬が急に跳躍すれば、運動がすぐに終わってしまうので、その美は失われるのです。同様にして、精神が、各々の思考が起こるつどそれを理解したいので、ゆっくり動くときには、思考過程からの自由、制御され、訓練された思考からの自由があるのです。思考は記憶の応答であり、それゆえ思考はけっして創造的ではありえません。新たなものに新たなものとして、新鮮なものに新鮮なものとして出会うことのうちにのみ、創造的な存在があるのです。

【『自由とは何か』J・クリシュナムルティ:大野純一訳(春秋社、1994年)】

止観」(しかん)の意味がわかったような気がする。想念や思考を止めるのではなく、自分が止まって注意力を全開にしながら、ゆっくりと動き出す想念や思考を見つめればよいのだろう。


 鍵は「スローモーション」という言葉に隠されている。つまり、「全てに気づいた状態」は脳が超並列でフル回転した状態を意味する。馬の筋肉を馬自身は理解していない。理解するためには減速する必要があるのだ。たぶんスポーツ選手よりも、バレリーナや舞踊家の方が身体機能を理解していることだろう。

 現在の行為をひたすら実況中継するヴィパッサナー瞑想の原理もきっと一緒だろう。ただしクリシュナムルティは特定の方法を否定する。「ただありのままに見よ」としか教えていない。

 日本仏教(鎌倉仏教)は後期仏教(大衆部≒いわゆる大乗)のロジックにまみれているため、生の全体性を論理の中へ組み込んでしまうところに致命的な問題がある。初期仏教やクリシュナムルティの言葉は平易でありながらも深遠な哲理をはらんでいる。宗教という宗教が用語の中に埋没している事実をありのままに見つめる必要があろう。


八正道と止観/『パーリ仏典にブッダの禅定を学ぶ 『大念処経』を読む』片山一良

2015-04-20

ニューヨークを「人種の坩堝」と表現したイズレイル・ザングウィル/『プラグマティズムの思想』魚津郁夫


 こうした考えをドラマにしたのが、イギリス系ユダヤ人作家I・ザングウイル(Israel Zangwill, 1864-1926)の「ルツボ(The Melting Pot)」(1908年)である。
 物語のクライマックスで登場人物のデビッドとヴェラがアパートの屋上からニューヨークの街を見おろしながらいう。

「デビッド:ここに偉大なルツボが横たわっている。きいてごらん。君には、どよめき、ぶつぶつとたぎるルツボの音がきこえないかい。……あそこには港があり、無数の人間たちが世界のすみずみからやってきて、みんなルツボに投げこまれるのだ。ああ、なんと活発に煮えたぎっていることか。ケルト系もラテン系も、スラヴ系もチュートン系も、ギリシア系も、シリア系も。――黒人も黄色人も――。
ヴェラ:ユダヤ教徒もキリスト教徒も――。
デビッド:そうだよ。東も西も、北も南も、……偉大な錬金術師が聖なる炎でこれらを溶かし、融合させている。ここで彼らは一体となり、人間の共和国と神の王国を形成するのだ。……」

【『プラグマティズムの思想』魚津郁夫〈うおづ・いくお〉(ちくま学芸文庫、2006年/財団法人放送大学教育振興会、2001年『現代アメリカ思想』加筆、改題)】

 イズレイル・ザングウィルとの表記はWikipediaに倣(なら)った。イスラエルが人名になるとイズレイルと発音するのだろうか? 不明である。

 ケルト系はアイルランド・スコットランド系で、ラストネームに「マック」(Mac、Mc)の付く人が多い。McDonald(マクドナルド)やMcGREGOR(マクレガー)など。ラテン系は中南米(ヒスパニック、ラティーノとも称する)。スラヴ系はロシア、ウクライナ、チェコ、クロアチア、ブルガリアなど。チュートン系はゲルマン民族の一部。


 最近では「溶け合う」意味を嫌って「人種のサラダボウル」ともいう。私としては「坩堝」(るつぼ)に軍配を上げたい。ピルグリム・ファーザーズが求めた(信仰の)「自由」と、アメリカという国家を共同体たらしめる「正義」には、やはり坩堝の熱が相応(ふさわ)しいと思うからだ。

 生き生きとした言葉から時代の熱気が伝わってくる。アメリカは夢が実現できる国でもあった。多様な人々が共存するところにアメリカの強味がある。

 そのアメリカが新自由主義によって滅びつつある。物づくりをやめ、国民皆保険制度を失い、大統領は石油メジャーやウォール街に操られるようになってしまった。ソ連はアフガニスタン侵攻(1979-89)が原因で滅んだ。アメリカもまたアフガニスタン(2001-)を攻めて滅ぶ可能性があると思う。アフガニスタンは3000年以上も戦争や紛争に耐えてきた国だ。そう簡単には敗れない。

プラグマティズムの思想 (ちくま学芸文庫)