・『ホテル・ルワンダ』監督:テリー・ジョージ
・トイレの中に8人の女性が3ヶ月間も隠れ続けた
・『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』レヴェリアン・ルラングァ
・『なぜ、世界はルワンダを救えなかったのか PKO司令官の手記』ロメオ・ダレール
・『ルワンダ ジェノサイドから生まれて』写真、インタビュー=ジョナサン・トーゴヴニク
・『戦場から生きのびて ぼくは少年兵士だった』イシメール・ベア
・必読書リスト その二
ルワンダもの、2冊目。レヴェリアン・ルラングァが怒りにのた打ち回り、神をも裁いたのに対し、イマキュレー・イリバギザは大虐殺を通して信仰をより深めている。圧倒的な暴力にさらされても、人によって反応はこれほど異なる。どちらが正しくて、どちらが間違っているという類いの違いではなく、人間の奥深さを示すものだ。
冒頭に掲げられたこの言葉が、イマキュレーの立場を鮮明にしている。
もはや何一つ変えることが出来ないときには、
自分たち自身が変わるしかない
――ビクトール・E・フランクル
【『生かされて。』イマキュレー・イリバギザ、スティーヴ・アーウィン:堤江実〈つつみ・えみ〉訳(PHP研究所、2006年/PHP文庫、2009年)以下同】
幼い頃、彼女はフツ族とツチ族の違いすら知らなかったという。
フツとツチは同じキニヤルワンダ語を話し、同じ歴史を共有し、同じ文化なのです。同じ歌を歌い、同じ土地を耕し、同じ教会に属し、同じ神様を信じ、同じ村の同じ通りに住み、時には同じ家に住んでいるのです。
だが、植民地宗主国が既に“人種”という太い線を引いていた。
ドイツの植民地になった時、また、ベルギーがその後を継いだ時、彼らがルワンダの社会構造をすっかり変えてしまったということも知りませんでした。 それまで、ツチの王が統治していたルワンダは、何世紀ものあいだ平和に仲良く暮らしていたのですが、人種を基礎とした差別的な階級制度に変えられてしまったのです。
ベルギーは、少数派のツチの貴族たちを重用し、支配階級にしたので、ツチは支配に必要なより良い教育を受けることが出来、ベルギーの要求にこたえてより大きな利益を生み出すようになりました。
ベルギー人たちが人種証明カードを取り入れたために、二つの部族を差別するのがより簡単になり、フツとツチのあいだの溝はいっそう深くなっていきました。これが、フツの人たちのあいだに絶え間ない恨みとして積み重なり、大虐殺の基盤になったのです。
大きな出来事が起こる前には必ず予兆があるものだ。しかし、よりよい社会を築く努力をした者ほど、努めて楽観主義であろうとする。イマキュレーの父親もそうだった。
「いいや、お前は大げさすぎるよ。みんな大丈夫さ。前より事態は良くなっているんだ。それにこれは、単に政治のことだからね。子どもたち、心配はいらない。みんなうまくいくさ。大丈夫」と、父は私たちをなだめました。
この一言が家族を地獄へと導いた。留学中の兄とイマキュレーを除いて全員が殺される羽目になる。
彼女は教会の狭いトイレの中で、7人の女性たちと共に3ヶ月間も隠れ続けた。凄惨な現場を見てないとはいえ、密閉された空間で同胞の殺戮を知ることは、極度のストレスにさらされる。それでも、彼女はあきらめなかった。満足な食べ物もなく、風呂にも入れない状況下で、彼女は英語を学ぶ。
私はただちにそれ(2冊の分厚い英語の本と辞書)を開きました。見慣れない言葉にワクワクしながら、まるで金で出来ているかのように扱いました。アメリカの大学から奨学金をもらったような気分でした。
祈りの時間は少なくなりましたが、でも、勉強しているあいだ、神様は一緒にいて下さるとわかっていました。
私は、他の女性たちが、眠っているか、ぼんやりしている時に、新しい宇宙を探検し、一日じゅう、祈りを唱え、真夜中過ぎまで窓から漏れるかすかな明かりで、もうこれ以上目を開けていられないというまで本を読み続けました。一瞬一瞬、神様に感謝しながら。
イマキュレーは希望を捨てなかった。だが、建物を一歩出れば、ツチ族は虫けらよりも酷い殺され方をしていた。
6月中旬、隠れてから2カ月以上が過ぎた時です。
私は、牧師の息子のセンベバが窓の下で友達と話しているのを聞きました。
その近所で最近あった殺戮について、目撃したり、あるいは誰かから聞いたりしたもので、その恐ろしさは今までに聞いた中でも最悪でした。
私は、少年の一人が、まるでサッカーゲームのことでも話しているような調子で身の毛のよだつような恐ろしい出来事を話すのを聞いて、吐いてしまいそうになりました。
「一人の母親が捕まえられたんだ。彼らは次々にレイプをした。その女は、どうぞ子どもたちを向こうにやって下さいと必死で頼んだ。でも、彼らは、その夫と3人の小さい子どもののどもとに大鉈を突きつけて、8人から9人がレイプするあいだ、彼らに見させたんだと。それで、終わった時に全部殺したんだ」 子どもたちは、より苦しんで死ぬように、足を叩き切った後、生きたままその場に放置され、赤ん坊は、岩にうちつけられ、エイズにかかっている兵士は、病気がうつるように10代の少女をレイプするように命令されたのでした。
この件(くだり)を読んだ時、私は「フツ族は全員死刑にすべきだ」と思わざるを得なかった。誤った歴史を吹聴され、誤った教育を受け、誤った情報に踊らされた民族は、これほど酷(むご)いことができるのだ。フツ族は隣人のツチ族を笑いながら大鉈で切り刻んだ。
フツ族の中には、親しいツチ族を匿(かくま)う者もいることはいた。だが、その実態はこうだった――
僕は、彼を藪に隠れながら引きずって、誰も僕たちを知らない場所の病院に運んだ。そうして、ローレンが僕たちをフランス軍が来るまでかくまってくれたんだ。
それは恐ろしいことだった。彼は我々をかくまって命を助けてくれた。でも、僕たちは生きていることが苦痛だった。ローレンは、毎朝、我々を起こしてお早うって言うんだ。それから出かける。何時間もツチ狩りをするためにね。僕の家族を殺した奴らと一緒にだ。
彼が夕方返ってきて夕食を作る時、洗い落とせなかった血が飛び散った跡が、手にも服にもついているのが見えるんだ。僕たちの命は、彼の手の中にあったから、何も言えなかったけれど。どうして、そんなことが同時に出来るのか、僕にはわからないよ」
こうなると、ツチ族を殺すことはスポーツであり、遊興と変わりがなかったことだろう。人間がここまで残酷になれる事実が恐ろしい。いかなる理由であろうとも、それが正当化されてしまうと、人は人を躊躇(ためら)うことなく殺せるのだ。
イマキュレーは、無事保護された後、トイレで学んだ英語を武器に国連職員となった。彼女が発する「許す」という言葉には、私の想像も及ばぬ呻吟(しんぎん)が込められているのだろう。だが、私のマチズモが彼女への共感を拒否しているのも確かだ。
それでも人は生きてゆかねばならない――これほど厳しい現実があるだろうか?