・『チャイルド44』トム・ロブ・スミス
・『子供たちは森に消えた』ロバート・カレン
・自由のない国と信頼のない家族
・『グラーグ ソ連集中収容所の歴史』アン・アプロボーム
・『エージェント6』トム・ロブ・スミス
・『偽りの楽園』トム・ロブ・スミス
チト苦しい。ストーリーが破天荒すぎて、あちこちに無理がある。「初めに事件ありき」といった印象を受けた。
『チャイルド44』の続編である。それだけで期待は膨らむ。異様なまでに。過度な期待はおのずから厳しい眼差しとなる。傑作の後の駄作を許さないのは当然だ。
それでも「読ませる」のだから、トム・ロブ・スミスの筆力は凄い。
自殺も自殺未遂も鬱病(うつびょう)も――人生を終わらせたいと口に出すことさえ――国家に対する誹謗(ひぼう)中傷と見なされる。より高度に発達した社会には自殺もまた存在しえないものなのだ。殺人同様。
【『グラーグ57』トム・ロブ・スミス:田口俊樹訳(新潮文庫、2009年)以下同】
ソ連は何も変わっていなかった。理想と現実とは懸け離れ、その距離を嘘で埋めていた。社会主義国はバラ色でなくてはならない。たとえ現実が灰色であったとしても、人々は「バラ色です」と答えることを強いられた。
前作同様、家族がモチーフになっている。レオ・デミドフは二人姉妹の子を養子に迎えたが、姉のゾーヤはレオを憎んでいた。
ゾーヤはいまだにレオを保護者と認めていなかった。両親を死に追いやったレオを今でも赦(ゆる)していなかった。レオのほうも自分を父と呼ぶことはなかった。
レオがゾーヤの両親を殺したわけではなかったが、幼子の目にはそのように映った。自由のない国と信頼のない家族。二重の苦しみをレオはどう克服するのかが読みどころだ。
突然ソ連に変化が生じた。フルシチョフがスターリンを批判したのだ。
彼らが今耳にしているのは国家を批判することばだった。スターリンを批判することばだった。ラーザリはいまだかつてこのような形でこのようなことばが語られるのを聞いたことがなかった。恋人同士のあいだでさえ囁かれることのないことばだった。寝棚の囚人同士が囁き合うことさえ。そんなことばが彼らの指導者の口から語られたのだ。それも党大会で報告されたのだ。それらは書き取られ、印刷され、装丁され、こうしてこの国のさいはての地にまでたどり着いた。
この収容所が「グラーグ57」だった。ここから荒唐無稽な筋運びとなる。既に家出をしたゾーヤは悪党の一味に加わり、ハンガリー動乱の扇動を行うといったもの。
レオは前作と比べると明らかに老いが目立っている。本書ではレオという主人公の人物造形が凡人と超人の間で揺れており、それが物語を中途半端なものにしている。ゾーヤの落ちぶれようも救いがなく、全体のトーンが暗く明暗のアクセントを欠いている。
このシリーズは三部作で完結する予定らしいが、次の作品はじっくりと時間をかけて再び傑作をものにして欲しい。