2013-12-10
ネット時代の読書法
昨日(「私のダメな読書法」)の続きを。
読書という大地は広大で、書籍の山はエベレストのように高い。やはり優れたガイドが必要だ。私にとっては向井敏〈むかい・さとし〉が頼りであった。そこに彗星の如く内藤陳が登場する。『読まずに死ねるか!』(集英社、1983年)シリーズはバイブルとなった。
あの頃(30年前)は音楽であれば月刊誌『ミュージック・マガジン』(中村とうよう編集)とNHK-FMの「クロスオーバーイレブン」で探すしかなかった。何という情報の乏しさだろう。レコード購入の選択ミスなどざらだった。
今はインターネットがある。その気になれば情報はいくらでも見つけることが可能となった。
私の経験から申せば、やはり若い時期は努めて濫読(らんどく)すべきだ。10年間で1000冊程度読めば、たどたどしいながらも自分なりの地図ができてくる。ここでガイドとすべきは自分と感性が近い人物だ。私は開高健や谷沢永一よりも向井敏に共感を覚えた。
自分が感動した本のタイトルで検索をする。徹底的に。書評ブログは数が多いようで実は少ない。私はamazonレビュワーまで追っ掛けているよ(笑)。情報はある程度の量がないと精度が上がらない。そして獲物を見つけたら、直ちにそこから別の本を辿るのである。自分の目に止まる本の数は極めて限られている。だから視野を広げる努力をするよりも他人の目を使った方が手っ取り早い。
で、googleも意外と当てにならない。書籍タイトルで検索するのはまだ初心者だ。私はテキストでも検索をかける。それでもダメなら複数キーワードを挿入する。ここに検索センスが求められる。
1000冊という最初の山を踏破した後は、カテゴリーやテーマを決めてまとめ読みするのが効果的だ。アインシュタインの相対性理論だって、10冊読めば何となく理解できるようになるし、20冊も読めばそこそこ語れるようになるものだ。概念を脳に定着させるためには反復が必要となる。関連書に共通する類似部分が理解を深めるのだ。
最初は興味本位でいいと思う。しかしある程度力を蓄えたならば、登るべき峰を自分できちんと設定することが望ましい。自分で高さを実感するからこそ眺望が開けるのだ。そこにはあなたにしか見えない景色が広がっている。
0 件のコメント:
コメントを投稿