2015-12-10
藤原岩市、権徹
2冊読了。
165冊目『F機関 アジア解放を夢みた特務機関長の手記』藤原岩市〈ふじわら・いわいち〉(バジリコ、2012年/原書房、1966年『F機関』/原書房、1970年『藤原機関 インド独立の母』/番町書房、1972年『大本営の密使 秘録 F機関の秘密工作』/振学出版、1985年『F機関 インド独立に賭けた大本営参謀の記録』)/大東亜戦争の真実がここにある。藤原は33歳(当時少佐)でマレー(イギリス領マレーシア)、北スマトラ(オランダ領インドネシアの州)の民族工作を命じられる。わずか数名の部下を率いて、現地住民に国家独立を促し、白人のもとで戦う現地兵士を寝返らせることが任務であった。「F」とはフリーダム、フレンドシップ、藤原の頭文字からとったもの。藤原の熱情が胸を打ってやまない。ハリマオこと谷豊も藤原のもとに参じた。シーク族(シーク教徒か?)の秘密結社IILと連携し、次々と人心をつかみシンガポールを中心にマレイ、タイ、ビルマ、スマトラの広大な地域に拡大。遂にはインド独立の機運をつくり、チャンドラ・ボースにバトンを渡す。藤原は大東亜共栄圏の理想に生きた。だが大本営はそうではなかった。シンガポールでは日本軍が華僑を虐殺している。藤原は歯噛みをしながら上官に意見を具申する。高名な山下奉文〈やました・ともゆき〉陸軍大将の振る舞いもスケッチされている。英軍探偵局長(階級は大佐)の取り調べに対して藤原は堂々とアジア民族の共存共栄を語る。局長はイギリスが人種差別感情を払拭できなかった本音を吐露する。昭和36年(1961年)、F機関の慰霊祭が初めて挙行された。巻末の「慰霊の辞」を涙なくして読むことのできる者はあるまい。
166冊目『てっちゃん ハンセン病に感謝した詩人』権徹〈ゴン・チョル〉(彩流社、2013年)/良書。異形(いぎょう)をありのままに撮(と)っている。読み手に突きつけられるのは「目を背けたくなる現実」だ。てっちゃんの顔はアシッド・アタックの被害女性と変わらない。目も不自由だ。そうでありながらも彼は自由だ。権徹〈ゴン・チョル〉の写真はどれも素晴らしい。モノクロが光と影を見事にとらえている。日本の社会はハンセン病の実態がわかった上でも尚、彼らを隔離し続けた。親と会うことも許されなかった。ハンセン病患者を罪人扱いしてきた我々には、彼らの姿を記憶する義務がある。
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