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2021-01-28

アメリカ民主党の人種差別的土壌~アイデンティティ・リベラリズム/『アメリカ民主党の崩壊2001-2020』渡辺惣樹


『9.11 アメリカに報復する資格はない!』ノーム・チョムスキー
『エコノミック・ヒットマン 途上国を食い物にするアメリカ』ジョン・パーキンス
『アメリカの国家犯罪全書』ウィリアム・ブルム
・『コールダー・ウォー ドル覇権を崩壊させるプーチンの資源戦争』マリン・カツサ
『ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く』ナオミ・クライン
『マインド・ハッキング あなたの感情を支配し行動を操るソーシャルメディア』クリストファー・ワイリー

 ・利益率97%というクリントン財団のビジネスモデル
 ・アメリカ民主党の人種差別的土壌~アイデンティティ・リベラリズム

・『クリントン・キャッシュ』ピーター・シュヴァイツァー

必読書リスト その五

ヒラリー・クリントン アイデンティティ・リベラリズムの象徴 その一

 2016年7月26日、民主党は同年11月の大統領選候補にヒラリー・クリントンを正式指名した。本書でこれまで明らかにした疑惑の数々を知っている読者にとっては、なぜ民主党が彼女を選択したのかいぶかしく思うに違いない。その原因は、メディアにあった。
 CNNを筆頭にした米国主要メディアは、ネオコン系資本の支配下にあり、リベラル国際主義(干渉主義)を絶対善とする論陣を張った。彼らは、ヒラリーの疑惑をほとんど報じないか、報じても矮小化(わいしょうか)した。クリントン財団を利用した利益誘導外交は、本来であれば政権を揺るがす大スキャンダルであった。しかし、メディアはこの問題を深追いせず、次期大統領はヒラリーになると報道した。メディアの偏向については後述するが、そもそも民主党はなぜスキャンダルを抱えるヒラリーを選出したのだろうか。
 民主党は、19世紀半ばの時代、人種差別的政党であった。民主党の基盤は、南部白人層つまりコットン・プランテーション経営(奴隷労働経営)者層にあった。1861年に始まった南北戦争は、北部の商工業者の支持を受けた共和党リンカーン政権に対して、南部民主党に率いられた南部連合が離脱したことから始まった。南部連合は戦いに敗れ奴隷解放に応じたが、ナブ諸州の政治は、民主党が牛耳ったままであった。彼らは、南部白人の結束を訴え(ソリッド・サウス政策)、黒人隔離政策を推進した(ここでは当時の空気を正確に記すために、政治的用語であるアフリカ系とせずあえて黒人と表記する)。交通機関、トイレ、食堂なども肌の色で隔離する法律を次々と導入した。黒人に対するリンチも止まらなかった。これらは州の独自の権限(州権)に基づく州法であったため、連邦政府は口出しできなかった。黒人隔離(差別)の諸法律はジム・クロウ法と総称され、第二次大戦後も続いた。これが廃止されたのは1964年のことである。
 戦後になると、民主党の主たる支持層であった南部白人層が相対的に豊かになった。豊かさが人種差別的意識を希釈した。支持基盤の喪失を恐れた民主党は、「弱者のための政党」へカメレオン的変身を企てた。かつて、黒人を激しく嫌悪し、隔離政策をリードした首謀者でありながら、当時は【国全体が人種差別的】であった、と言い逃れをし、責任を他者に押し付けた。民主党の責任については洞ヶ峠(ほらがとうげ)を決め込んだ。
 弱者はどこにでもいた。かつて自らが差別していた黒人層、西部開拓の過程で白人に姦計(かんけい)を弄(ろう)され居住地を追われた原住インディアン、遅れてアメリカにやってきて嫌われたアジア系・ラテン系・東欧系移民、宗教的に阻害されてきたユダヤ系移民、職場でパワハラやセクハラを感じている女性層、性的嗜好マイノリティ層(LGBT)。探せばどこにでもいた。
 相対的弱者とされる層が必ずしも弱者と自覚しているわけではない。したがって、彼らを「票の成る木」に変えるには、「弱者であることを能動的に意識」させなくてはならない。その上で、強者(国家あるいはエスタブリッシュメント白人層)への怒りを煽(あお)る。いかなる国にも誇れない過去がある。理不尽であった過去の振る舞いは、先人たちの努力で十分とはいえないまでも矯正がなされてきた。しかし権力を奪取したい、あるいは維持したい民主党にとっては、矯正の歴史はどうでもよいことであった。対立、いがみ合い、非妥協の継続。それが票になった。
 民主党は、ターゲットとした弱者層に、「失われた」権利を回復しなくてはならないと訴えた。弱者であることを意識させることは難しくない。ほとんどのケースで、外見だけで弱者に所属していると自認できた。所属するグループ(黒人、移民、少数民族、女性など)を見渡せば、容易にわかった。この思想ともいえない権力を摑(つか)むための主張(戦術)が、アイデンティティ・リベラリズム(IL:Idetity Liveralism)である。
 ILの考え方の延長が「多様化礼賛」だった。いわゆる「多文化共生思想」である。社会的弱者にも優しくすべきだという主張は美しい。社会的優位にあった白人エスタブリッシュメントも白人中間層もその訴えに同意した。こうして弱者救済に政治が積極的にかかわるべきだとする運動(アファーマティブ・アクション〈積極的差別撤廃措置〉)が始まった。この言葉を初めて使ったのはジョン・F・ケネディ大統領(民主党)だった。大統領令10925号(1961年3月)は、求職の際に、人種(肌の色)、宗教的信条、出身国などによって差別されてはならないと規定した。そうした行動を雇用者が【積極的】にとるよう勧告した。それがアファーマティブ・アクションであった。
 次のリンドン・ジョンソン大統領(民主党)もこの施策を引き継いだ。ただ二人の主張は、「競争は弱者を差別することなくフェアに行なわれるべきだ」と勧奨するにとどまっていた。
 この主張に、法的拘束力をもたせたのはジョンソンに続いたリチャード・ニクソン大統領(共和党)だった。ニクソンは悪い意味で人種を強く意識した政治家だった。彼は、人種間には自然科学的な違いがあると信じていた。ユダヤ人を創造力に富むが倫理観に欠ける、黒人は白人よりIQは低いが身体能力は高い、アジア人は勤勉でなかなか頭が良い、などという「科学的」な決めつけが得意だった。
 ニクソンが人種差別的信条をもっていたことは間違いなかったが、皮肉にも、その彼が、大統領令11478号を発し、アファーマティブ・アクションに法的強制力をもたせた(1969年8月)。これにより、雇用均等委員会(1965年設置)が、政府および連邦政府資金で運営される組織全体(大学や研究機関など)の職員採用に少数派(主として黒人)を積極的に採用させる監視機関となった。その結果、1970年代初めになると、黒人男子大卒者の57%、女子の72%が公務員となった。
 アファーマティブ・アクションは次第に拡大され、政府の下請け企業の受注においても、マイノリティの経営する会社が入札なしで優先的に選ばれる制度(Set-aside)も生まれた。こうしてマイノリティ利権が制度的に確立していった。マイノリティの定義は当初想定していた黒人層から、女性、原住インディアン、あるいは遅れてきた移民層にまで拡大された。マイノリティに属していることが採用に有利になった。これが少数派利権の始まりだった。
 人種差別主義者であったニクソンがアファーマティブ・アクションを促進したのには訳があった。黒人隔離(差別)のジム・クロウ法が廃止されたのは1964年だと書いた。60年代は黒人公民権運動が吹き荒れた時代だった。1969年に大統領に就任したニクソンは、外交に専念したかった。「騒いでいる」黒人活動家の憤りを「ガス抜き」することで内政を落ち着かせたかった。それが、強制力をもたせたアファーマティブ・アクション導入の背景だった。

【『アメリカ民主党の崩壊2001-2020』渡辺惣樹〈わたなべ・そうき〉(PHP研究所、2019年)】

 これは『ニュース女子』#302「日米新外交関係で日本が取るべき進路は・牙を剥く中国の脅威」(1月26日)で武田邦彦や飯田泰之・江崎道朗〈えざき・みちお〉・門田隆将〈かどた・りゅうしょう〉らが指摘した発言を裏付けるテキストである。

「ポリティカル・コレクトネスは白人による人種差別を覆い隠すために編み出された概念」(『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン)という歴史を踏まえれば、差別の細分化~再生産を目的としているのだろう。

 ヒトは大脳新皮質を発達させて、200万年という長大な時間をかけて群れの領域を国家にまで拡大してきた。ザ・コーポレーションDVD)は国家を横断する経済規模に発展した。新型コロナウイルスは国家に強権の発動を許した。国民の移動を禁じる自粛要請や休業要請はたまた学校の休校措置はさながら「現代の空襲警報」といってよい。

 そして自由の象徴であったインターネット空間がビッグテックの完全支配下に降ろうとしている。twitterはトランプ大統領のツイートによってメインストリームメディアの嘘を明らかにした。にもかかわらず、twitter社はトランプ大統領を永久追放した。まるで中国共産党のような仕打ちである。シリコンバレーが民主党支持に傾いている事実を思えば、今後は共和党から大統領が選出されることはないだろう(『2025年の世界予測 歴史から読み解く日本人の未来』中原圭介)。

2020-06-22

沈みゆくアメリカ/『ペトロダラー戦争 イラク戦争の秘密、そしてエネルギーの未来』ウィリアム・R・クラーク


『超帝国主義国家アメリカの内幕』マイケル・ハドソン
『マネーの正体 金融資産を守るためにわれわれが知っておくべきこと』吉田繁治
『〈借金人間〉製造工場 “負債"の政治経済学』マウリツィオ・ラッツァラート
『紙の約束 マネー、債務、新世界秩序』フィリップ・コガン
『ロスチャイルド、通貨強奪の歴史とそのシナリオ 影の支配者たちがアジアを狙う』宋鴻兵
『通貨戦争 影の支配者たちは世界統一通貨をめざす』宋鴻兵
『タックスヘイブンの闇 世界の富は盗まれている!』ニコラス・シャクソン
『資本主義の終焉と歴史の危機』水野和夫
『ドル消滅 国際通貨制度の崩壊は始まっている!』ジェームズ・リカーズ

 ・大英帝国の凋落
 ・沈みゆくアメリカ

必読書リスト その二

 2001年9月11日、世界はもはや後戻りできなくなった。アメリカは脱皮できたはずだった。真に啓蒙された自由な諸国からなる西欧文明において確固たる地位を打ち立てられたはずだった。だが、望みは徹底的に打ち砕かれてしまったように見える。
 2003年3月19日、アメリカ率いるイラク侵攻によって、世界は再び一変した。早急に行動を起こさない限り、今世紀、アメリカが恐怖、抑圧、そして経済的衰退を目の当たりにするのはほぼ確実である。指導者たちは、共和党であろうと民主党であろうと、自滅的な行動を続け、国家本来の目的と約束を次第に顧みなくなっている。(「序文 イラク戦争以後 新世紀を方向づける最も危険な10年間」ジェフ・ライト)

【『ペトロダラー戦争 イラク戦争の秘密、そしてエネルギーの未来』ウィリアム・R・クラーク:高澤洋志〈たかざわ・ひろし〉訳(作品社、2013年/原書は2005年)】

 そして2007年にサブプライムショックがあり、翌2008年にはリーマンショックが続いた。更に現在、ミネソタ州ミネアポリスで黒人男性が白人警官に押さえつけられて死亡した事件をきっかけに各地で暴動が起こっている。民主党議員が選出された地域に限られているという話もあるが、その意外な脆弱さに驚かされる。

 アメリカ政府は大きく誤ることがしばしばある。かつて日本を締め上げて第二次世界大戦へと暴走させた。天皇陛下も軍部も最後の最後までアメリカ融和を図ったが敢えなく拒否された。しかもあろうことかソ連に手を貸し、戦後の冷戦の種を播(ま)いた。終戦から5年後には朝鮮戦争(1950年)でソ連・中国に勢いを与えた。1963年にはジョン・F・ケネディ大統領が衆人環視の中で暗殺され、1965年からベトナム戦争に本格な介入をする。そして1971年にドルショックが訪れる。第二次世界大戦を唯一無傷で終えたアメリカがわずか26年間でこの凋落ぶりである。1970年代以降は敗戦国であった日本や西ドイツに工業製品のシェアを奪われ続けた。

 たぶんキリスト教原理主義が瞳を曇らせるのだろう。思い上がった彼らが我が身を振り返ることはまずない。米国内でイスラエル左右の覇権争いがあり、更にはチャイナマネーがくすぶり続ける人々に燃料を与えている。我々が今目にしているのは沈みゆくアメリカの姿だ。


2020-01-29

ジョン・ケネス・ガルブレイスの人種差別/『中国はいかにチベットを侵略したか』マイケル・ダナム


『不可触民の父 アンベードカルの生涯』ダナンジャイ・キール
『不可触民 もうひとつのインド』山際素男

 ・ジョン・ケネス・ガルブレイスの人種差別

 しかしそこに政治が介入してきた。
 ジョン・ケネス・ガルブレイス。新任の駐インドアメリカ大使で、ケネディの最も信頼する顧問の一人であり、チベット問題に公然と反対する人物であった。数々の肩書きを持ち、明らかに無視できない相手であった。即ちハーバード大学教授にして、経済学者、作家、テレビコメンテーター、雑誌「フォーチュン」編集委員、そしてケネディ一族と親交がある、といった具合だ。さらに重要なのは、アイゼンハウアー時代に培ってきたパキスタンとの友好関係を犠牲にしてでも、インドとより友好的な関係を結ぶのがアメリカのアジア政策に欠くことのできない必須条件だとするケネディ自身の意向を彼が反映していたという点である。ガルブレイスのチベット計画への反対は、チベットに対する個人的嫌悪感にまで達していた。曰く「チベット人は不愉快で野蛮であり、恐ろしく非衛生的人種だ」とまで決めつけていた。
 ガルブレイス・インド大使は、ムスタンであろうとチベット本土であろうと、いかなる補給物資の空中投下にも反対するロビー活動を強めていた(備忘録にガルブレイスは臆面もなく、CIAのチベットへの援助を直ちに止めるよう国務省に忠告した、と書いていた。そしてケネディに対する自分の影響力で、CIAのチベット援助を最小限度に抑えるのに成功したと豪語している)。大使がアメリカの外交政策を決めていたわけではないにしろ、インドに関してはケネディの目と耳であり、ケネディを通してムスタンへの空中補給に関する生殺与奪(せいさつよだつ)の権を行使していたことになる。  ネールの中共への迎合的態度からしてインドの協力的態度を望めなかったし、彼の右腕とされる親共的国防相クリシュナ・メノンは大のアメリカ嫌いであり、アメリカCIAの意向がケネディの新しい政策に受け入れられないことをつとに読んでいた。かくしてムスタンへの空からの補給は頓挫することになった。
 そればかりでなく、キャンプ・ヘイル関係者の多くは部署替えになった。ロジャー・マッカーシーは台湾担当となり、ケネディ-ガルブレイス-ネールの“いい仲”はその後も長くつづいてチベット特別チームもお仕舞いかと噂されるまでになった。
 もちろんムスタンのゲリラはアメリカの政策転換など夢にも知らず、ただただ生き延びるこに必死であった。

 こうした危機的状況を一気に変え、ネールをして一転、親チベット派に豹変させる大事件が発生した。1962年10月22日、中共がインドを侵略したのである。

【『中国はいかにチベットを侵略したか』マイケル・ダナム:山際素男〈やまぎわ・もとお〉訳(講談社インターナショナル、2006年)】


 先ほど流れてきたニュースを紹介しよう。

米下院、チベット支援法案を可決 中国の後継者選び介入をけん制

2020年1月29日 18:50 発信地:ワシントンD.C./米国

1月29日 AFP】米下院は28日、チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ(Dalai Lama)14世(84)の後継者選びに介入する中国当局者への制裁を許可する法案を可決した。

 法案によると米政府は、政府が承認する後継者の「特定や任命」に関与したことが発覚した中国当局者に対し、米国にあるすべての資産を凍結するほか、米国への渡航を禁止するという。

 議員392人が賛成し、反対票を投じたのは共和党議員21人と保守派の無所属議員1人の計22人だった。

 法案は上院で承認される必要があり、マルコ・ルビオ(Marco Rubio)議員(共和党)が通過に向けた動きを指揮すると約束している。法案はその後、ドナルド・トランプ(Donald Trump)大統領の署名を経て成立する。

 チベットを長年支持してきた民主党のナンシー・ペロシ(Nancy Pelosi)下院議長は、法案の目的は、10年前に決裂したダライ・ラマ14世の特使団との協議を中国政府に再開させることだと説明。

 また、「チベット仏教社会がダライ・ラマ15世を含む宗教指導者選出の独占権を有するとする米国の方針を正式に制定することで、われわれはチベットの人々の信教の自由や真の自治の権利を支持している」と述べた。

 公式には「無宗教」とする中国政府は、ダライ・ラマ14世の後継者を陰で操ろうとしていることを示唆しており、政府の言いなりになるチベット仏教指導者を仕立てることを目指しているとみられる。儀式的な後継者選びでは、僧侶たちは生まれ変わりの少年を探し出す。

 中国政府は1995年、チベット仏教第2の高位者パンチェン・ラマ(Panchen Lama)の後継者を独自に選出し、後継者に認定されていた6歳の少年を拘束した。人権団体は少年が「世界最年少の政治犯」になったとして政府を非難した。(c)AFP

 ジョン・F・ケネディは民主党の下院議員でアメリカ初のカトリック大統領だった(その後もカトリック大統領はいない)。半世紀前にチベットゲリラを見捨てた民主党が今頃になってダライ・ラマを担ぐのは政治利用以外の何ものでもない。そもそもアメリカは他国の内政に干渉しすぎる。「世界の警察官ではない」のだから引っ込んでろと言いたくなるのは私だけではないだろう。

 それにしてもガルブレイスの人種差別は凄い。我々日本人がこうした白人感情を理解することは不可能だろう。精神が病んでいる。単なる容共のリップサービスとは思えない。ロモノーソフ金メダルを授与されているのもきな臭い。

 創価学会の池田大作とも親交が深く、晩年には対談『人間主義の大世紀を わが人生を飾れ』(潮出版社、2005年)を編んでいる。どちらも親中派である。

 国際的には経済的な見返りを求めてチベット、ウイグル、台湾に目をつぶってきたのが親中派である。暴力団とのつながりは規制されるが中国とは大手を振ってつながるのが法治と呼ばれる不思議な体制である。

 人種差別感情から自由になれなかった人物は偉大なる経済学者であった。人間性は下劣でも金勘定が得意であったのだろう。

2018-10-31

アメリカが行ったベトナム・ホロコースト/『動くものはすべて殺せ アメリカ兵はベトナムで何をしたか』ニック・タース


『ベトナム戦記』開高健
『人間の崩壊 ベトナム米兵の証言』マーク・レーン

 ・アメリカが行ったベトナム・ホロコースト

・『ベトナム戦争 誤算と誤解の戦場』松岡完
『アメリカの国家犯罪全書』ウィリアム・ブルム
『ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く』ナオミ・クライン

必読書リスト その二


「アメリカが戦争に勝ってよかったと思う。日本が勝ったらアメリカ人に対してどれほど残虐なことをしたか知れない」「アメリカのお蔭で日本は民主主義になった」――20~30年前まではこう考える人々が多かった。日本人に対して戦争の罪を刷り込ませるGHQの宣伝工作(ウォー・ギルト・インフォーメーション・プログラム)は見事なまでに成功し、長期間にわたって日本人の精神を呪縛した。

 東京裁判では「平和に対する罪」というそれまでなかった概念を創作し、新しい基準を設けて過去の罪を裁くトリックまで行った。「平和に対する罪」を犯した人々がA級戦犯で25名中7名が処刑された。誤解している人々が多いが、ABCは罪のランク付けを意味するものではなく、A項・B項・C項の違いにすぎない。

 アメリカは日本に平和憲法を与えた。そのアメリカが第二次世界大戦後、朝鮮戦争(1950-53年)・ベトナム戦争(1955-75年)を行った。米兵はベトナムで何をしたのか。ご覧いただこう。

 クアンナム省と同様クアンガイ省でも、すさまじい砲撃や空爆が加えられる一方、地上部隊による目を覆うばかりの残虐行為がくり広げられた。数年後、エスクァイ誌の記者、ノーマン・ポワリエが軍の記録をもとに、そうした恐ろしい出来事のひとつを生々しく再現した記事を書いた。このような残虐行為の詳細が雑誌に掲載されるのは、戦争中としては異例のことだったが、そこに書かれた民間人の受難は、少しもめずらしくない、むしろありふれたものだったのだ。
 ポワリエの記事によれば、1966年9月23日、海兵隊のある部隊がスアンゴック集落に降り立った。彼らの狼藉は、まず1軒の家に押し入るところからはじまった。家の主人はコメ農家兼大工のグエン・ルウという61歳の男性だった。海兵隊員たちはこの武器を持たない住人に殴る蹴るの暴行を加えた。ひとりの兵士が「このベトコン野郎め!」と叫んでいたという。彼らはルウの民間人身分証明書を破り、家のなかを荒らした。ルウの若い姪たちは恐怖のあまり悲鳴をあげた。70歳近い妻は手荒な扱いを受け、ルウの妹も容赦なく足蹴にされた。
 それからほどなく、38歳の農民、グエン・チュックの家の扉がさっと開いた。チュックの妻は5人の子供たちのもとへ駆け寄ろうとしたが、海兵隊員たちにつかまって外へ放り出された。そのあとチュックはさんざんに殴られ、立ち上がることもできなくなった。やがてふたりの兵士が彼の両脚をつかんで逆さ吊りにし、もうひとりが彼の顔を力いっぱい蹴りつけた。悲鳴とすすり泣く声が部屋に満ちた。
 何度もあがったその叫び声は、16歳のグエン・チ・マイの家まで聞こえてきた。彼女は母とおばといっしょに地下壕に逃げ込んだ。3人が身をすくめてしゃがんでいると、海兵隊員たちが上からのぞき込み、手招きで出てこいと指示した。母とおばは従ったが、マイは恐怖のあまり動けなかった。手が伸びてきて、片脚をつかまれ、彼女は引きずり出されてしまった。兵士たちは3人の民間人身分証明書を破り捨てた。アメリカ人のひとりがマイの首すじに手をあてがい、もう一方の手で彼女の口をふさいだ。すると別のふたりの兵士が彼女の両脚をつかんで地面に引き倒し、荒々しくズボンを剥ぎ取った。
 海兵隊員たちはこのようにしてさらに5~6軒の家に押し入って集落を恐怖に陥れたが、武器も禁制品も見つからず、敵に関する情報さえも入手することができなかった。彼らが次に襲ったのは、18歳のブーイ・チ・フォンとその20歳の夫、ダオ・クアン・ティンの家だった。ティンは農民で、病気のために兵役につけなかったのだ。ふたりは3歳の息子と、ティンの母、姉、その5歳になる娘といっしょに暮らしていた。海兵隊員たちは、ティンをベトコンと決めつけ、ほとんど意識がなくなるまで殴った。彼らはティンを外へつれ出し、家の前の壁にもたせかけておいて、その横に恐怖にすくみ上がった姉と母親とふたりの子供を立たせた。
 妻のフォンは家のわきへと引きずっていかれた。ひとりの兵士が彼女の口を手で覆い、ほかの者が両腕と両足を地面に押さえつけた。米兵たちは彼女のズボンを脱がせ、シャツを引き裂き、体をまさぐった。そして輪姦がはじまった。最初はひとりの兵士が、次に別の兵士が襲いかかり、合計5人で彼女を陵辱した。ティンは妻のすすり泣きを聞き、大声で叫んで抗議した。すると海兵隊員たちはまた彼を殴りはじめた。やがて銃が乱射され、その声がやんだ。次の一連射がティンの母親の嗚咽に終止符を打ち、さらなる銃撃が姉を黙らせた。まもなく、子供たちの声もフォンの耳に届かなくなった。パン!という音に続いて閃光が弾け、灼けるような痛みが走ったかと思うと、フォンはどっと倒れた。
 海兵隊員たちは、現場の「見栄えをよくする」ために手榴弾を爆発させ、無線で戦果を報告した。ベトコン3名を殺害した、と。だが指揮所に戻ると、彼らは中尉に、あらかじめ決めておいた待ち伏せ場所では銃撃戦が起こらず、誤って民間人を数人死なせてしまったと話した。中尉は隊員たちに集落へ案内させ、自分の目で事実を確かめた。
 中尉は部下が大量虐殺を犯したことにショックを受けたが、すぐに犯罪の隠蔽に取りかかった。ティンの遺体を、当初計画していた1キロほど先の待ち伏せ場所まで運んでいき、細工をして、そこで銃撃があったように見せかけた。彼らはスアンゴック集落の殺戮現場にも手を入れた。ティンの5歳の姪は血まみれになり、裸で倒れていた。その体を抱きあげたとき、いきなり彼女が泣きだした。死んでいなかったのだ。しかしジョン・ポッター上等兵が二度と生き返らないようにした。彼はほかの兵士たちにカウントしろと言い、ある隊員によれば、たっぷり時間をかけて「ライフルでぐしゃぐしゃにした」という。別の隊員はこう証言している。「わたしは、1……2……3……と数えました。すると上等兵は(ライフルの)台尻であの子を何度も何度も殴りつけたんです!」
 じつはブーイ・チ・フォンもまだ生きていたのだが、隊員たちは気づかなかった。彼女は銃で撃たれたあと、意識を失っていた。数時間後、激しい痛みを感じて目を覚ました。どこもかしこも血まみれだった。手当てをしてもらうため、村人のひとりがもよりの米国海兵隊基地まで彼女をつれていってくれた。そこでフォンはベトナム人通訳者に、自分がレイプされたこと、家族が惨殺されたことを話した。通訳はこのことを同情的なアメリカ人医師に伝えてくれた。医師はフォンを診察し、性暴力被害に遭った確証を得ると、大隊指揮官に犯罪行為がおこなわれたことを報告した。フォンが一命をとりとめなければ、そして海兵隊員たちが戻ってきたあいだも意識が戻らず、基地へ運ばれてから勇気ある通訳者に話をし、その人物がフォンのために働いてくれそうなアメリカ人士官を見つけてくれなければ、ほかの多くの大量虐殺事件と同様、スアンゴック集落の事件も闇に葬られていたことだろう。しかしフォンの証言に基づく公式の捜査が実施されたにもかかわらず、殺戮にかかわったアメリカ人9名のうち、3名は無罪となり、4名は短期の懲役刑を受けただけですんだのだった。

【『動くものはすべて殺せ アメリカ兵はベトナムで何をしたか』ニック・タース:布施由紀子〈ふせ・ゆきこ〉訳(みすず書房、2015年)】

 かような事実が300ページにわたって羅列されている。一片の罪もない婦女子や老人を暴行し、切り裂き、銃で撃ち、家屋には火を放ち、避難壕に手榴弾を放り込み、ナパーム弾で焼き尽くした。ありとあらゆる兵器が試され、白リン弾クラスター爆弾も投入された。白リン弾は破片が体内に刺さっても燃え続ける兵器で、クラスター爆弾は1発の爆弾に数百もの子爆弾が搭載され、金属片の飛散によって人間の手足を吹き飛ばしたり人体を切り刻む。意図的に殺傷能力を低くして多数の怪我人を出すことで社会機能にダメージを与える目的がある。

白リン弾
ローラ・ブシュナク: クラスター爆弾の破壊的な負の遺産 | TED Talk

「平和に対する罪」を規定したアメリカの残虐行為をどう考えればいいのだろう? きっと彼らが説く「平和」とは「アメリカに逆らわないこと」なのだろう。かつてアメリカ大陸を【発見】したヨーロッパ人は先住民インディアンを大量虐殺した(『インディアスの破壊についての簡潔な報告』ラス・カサス)。合衆国政府はインディアンの頭皮に懸賞金をかけた。インディアンは報復のために白人の頭の皮を剥(は)いだ。あろうことかハリウッドは映画作品を通して皮剥ぎの刑をインディアンの一方的な蛮行として描いた。自分たちの悪行を相手になすりつけるプロパガンダを行ったわけだ。日本に対して行われた戦後のイメージ操作もこれとよく似ている。

 白人なかんづくアングロサクソンの暴虐振りは人類史の中で際立っている。アジアは平和的であったがゆえに侵略されたのだろう。アジア人がボノボであれば白人はチンパンジーほどの違いがある(『あなたのなかのサル 霊長類学者が明かす「人間らしさ」の起源』フランス・ドゥ・ヴァール)。

 米軍が行ったベトナム民間人の大虐殺は「ベトナム・ホロコースト」と名づけるべきだ。日本に対して行った「原爆ホロコースト」や「東京ホロコースト」(東京大空襲)と同じく人類史に大書される歴史的蛮行である。やがて彼らの血に流れる暴力性によって自ら滅びる時が訪れることだろう。

 それにしても北ベトナムはよくぞアメリカの攻撃に耐えたものだ。私がベトナム戦争を意識したのは8歳の頃である。テレビで聴き、児童雑誌で見るたびにベトナム戦争は永遠に続くのだろうと思った。

 上記テキストの直後に韓国軍の残虐行為が描かれている。「1961年11月、クーデターにより政権を掌握した朴正煕〈パク・チョンヒ〉国家再建最高会議議長はアメリカを訪問するとケネディ大統領に軍事政権の正統性を認めてもらうことやアメリカからの援助が減らされている状況を戦争特需によって打開すること、また共産主義の拡大が自国の存亡に繋がるという強い危機感を持っていた為にベトナムへの韓国軍の派兵を訴えた。ケネディ大統領は韓国の提案を当初は受け入れなかったが、ジョンソン大統領に代わると1964年から段階的に韓国軍の派兵を受け入れた」(Wikipedia)。カネ目当てで投入された韓国軍は米兵同様、非道の限りを尽くした。韓国兵による強姦でライダイハンと呼ばれる子供が5000~3万人も生まれた。実際は犯された後で手足や頭部を斬り落とされる女性も数多く存在した。韓国は現在でも性犯罪大国でアジアの中では強姦犯罪率が突出している。そんな自分たちの残虐性を基準にして旧日本軍を見ているのだろう。従軍慰安婦にまつわる嘘の物語も韓国の似姿としか思えない。

 組織の理想型は軍隊であるが、どの軍隊も必ず嘘をつく現実がある。戦果を偽り、戦争犯罪を誤魔化し、平然と政治家や国民に対して嘘をつく。ここに軍隊の致命的な問題があるように思う。戦闘の最前線では何があるかわらかない。であればこそ「君命をも受けざる所有り」(『香乱記』宮城谷昌光)との孫子の言は重い。時にシビリアン・コントロール(文民統制)を無視する局面があってもおかしくない。ただし、軍という組織の暴走に向かう傾向を踏まえれば、軍法を厳しくするのが望ましい。

 私は心底驚いたのだが、クアンナム省もクアンガイ省も南ベトナムである。クアンガイ省にはあのソンミ村がある。ソンミ村虐殺事件を本書ではミライ事件と表記されているが、米兵に殺された500人以上の村人(男149人、妊婦を含む女183人、乳幼児を含む子供173人)は本来なら米兵が守るべき人々であった。この事件に関与した者も曖昧で中途半端な処分しか受けていない。

 ベトナム民主共和国は圧倒的な軍事力を誇る米軍にゲリラ戦で勝った。ナチス・ホロコーストはその量において圧倒したが、ベトナム・ホロコーストはその質において人類史上最悪の大虐殺といえよう。こう考えると、ジョン・F・ケネディ、リンドン・B・ジョンソン、リチャード・ニクソンら米大統領はヒトラーと肩を並べる十分な資格がある。

動くものはすべて殺せ――アメリカ兵はベトナムで何をしたか
ニック・タース
みすず書房
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2014-11-23

IAEA(国際原子力機関)はアメリカの下部組織/『この国の権力中枢を握る者は誰か』菅沼光弘


『日本はテロと戦えるか』アルベルト・フジモリ、菅沼光弘:2003年
『この国を支配/管理する者たち 諜報から見た闇の権力』中丸薫、菅沼光弘:2006年
『菅沼レポート・増補版 守るべき日本の国益』菅沼光弘:2009年
『この国のために今二人が絶対伝えたい本当のこと 闇の世界権力との最終バトル【北朝鮮編】』中丸薫、菅沼光弘:2010年
『日本最後のスパイからの遺言』菅沼光弘、須田慎一郎:2010年

 ・IAEA(国際原子力機関)はアメリカの下部組織
 ・日米経済戦争の宣戦布告
 ・田中角栄の失脚から日本の中枢はアメリカのコントロール下に入った

『この国の不都合な真実 日本はなぜここまで劣化したのか?』菅沼光弘:2012年
『日本人が知らないではすまない 金王朝の機密情報』菅沼光弘:2012年
『この国はいつから米中の奴隷国家になったのか』菅沼光弘:2012年
『誰も教えないこの国の歴史の真実』菅沼光弘:2012年
『この世界でいま本当に起きていること』中丸薫、菅沼光弘:2013年
『日本を貶めた戦後重大事件の裏側』菅沼光弘:2013年

(※GEによる増殖型の原子力エンジンの開発が上手くゆかず)結局、ウェスティングハウスの加圧水型軽水炉の採用が決まって、原子力潜水艦第1号ノーチラス号として結実することになりました。1955年のことです。
 この2年前の53年12月、アイゼンハワー大統領は「平和のための原子力(アトムズ・フォー・ピース)」という有名な演説を国連で行っています。この演説でアイゼンハワーは核物質の国際管理と核エネルギーの平和利用を強い調子で訴えました。それが後のIAEA(国際原子力機関)の設立へとつながっていくのですが、もちろんアメリカの真意は原子力の平和利用などというきれい事だけにあったわけではありません。
 演説のなかでアイゼンハワーは、再三にわたってソ連の核兵器開発のすさまじい勢いについてふれています。アメリカの核の独占体制がくずれ、敵対国であるソ連の無制限の核開発について脅威を感じていたのです。
 広島・長崎に原爆を投下したという「暗い背景」(アイゼンハワーの言葉)を持つアメリカが、いまや自分たちの頭上でいつ核爆弾が炸裂してもおかしくないという恐怖のもとにさらされている。かつての加害者は「報復の女神」の復讐によっていつ被害者となっても不思議ではない、と聖書は教えている。そんな事態だけはなんとしてでも回避しなければならない。それにはソ連の核開発をなんとか抑え込まなければならない。アイゼンハワーの狙いはまさにそこにありました。そもそも彼が提唱したIAEAという組織自体が、アメリカの意向にそって核の軍事利用を制限し、査察を行うための国際機関として考え出されたものなのです。

【『この国の権力中枢を握る者は誰か』菅沼光弘(徳間書店、2011年)】

 原爆はダモクレスの剣と化した。


 ドイツではなく日本に原爆を投下した理由は明らかになっていない。ま、黄色人種であったためと考えてよかろう。アメリカはキリスト教の論理に則って行動し、そのドグマによって怯(おび)えているのだ。宗教とは空想や妄想を現実化する力である。

 主要な国際機関の大半はアングロサクソンが作ったもので、背後でユダヤマネーが支えている。一種のソフトパワー戦略と見なしていいだろう。IMF世界銀行もアメリカの出先機関である。

「IAEAの査察も日独核武装封じ込めが出発点」(吉田康彦)であった。


 アメリカの都合に合わせる同盟関係はそろそろ見直すべきだろう。9.11テロがその警鐘であったと思われてならない。地政学的に考えても日本は韓国・北朝鮮・中国・ロシアと上手くやっていくしかない。とにかく日本には戦略がない。戦わずして敗れているのが現実だ。例えば中国の民主化運動を密かに側面から支援する。そうすればやがて中国は四つか五つくらいに分裂してしまうだろう。そこで友好関係を強化すればいい。

この国の権力中枢を握る者は誰か
菅沼光弘
徳間書店
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2013-12-04

ジョン・ル・カレ


 1冊読了。

 62冊目『寒い国から帰ってきたスパイ』ジョン・ル・カレ:宇野利泰訳(ハヤカワ文庫、1978年)/実は20代で一度挫けている。たった今読み終えた。感無量。宇野は明治生まれのため癖の強い表現が気になるが50ページくらい進むと慣れる。ジョージ・スマイリーの名が要所要所で登場する。初めてフリーマントルを読んだ時と似た感情が湧いてくる。原書は1963年の末に刊行されたというから、ジョン・F・ケネディ暗殺(11月22日)の頃だ。私が生まれた年でもある。ちょうど半世紀が経つ。米ソの冷戦はヨーロッパを東西に分断した。その象徴がドイツであった。主人公のアレック・リーマスはイギリス諜報部員で二重スパイとして東独の撹乱工作を命じられる。ところが乗りかかった船は思わぬ方向へ動き出す。リーマスは東独へ送られることとなった。冷戦時代はスパイの黄金期であった。イアン・フレミングはスーパーマンスパイ(ジェームズ・ボンド・シリーズ/1953年~)を創作した。そしてル・カレはスパイのリアリズムを描いてみせた。二人とも実際の諜報活動に従事していた過去を持つ。イギリスの作家ではサマセット・モームやグレアム・グリーンも元スパイである。リーマスがコミュニストのリズ(恋人)に対して共産主義批判をする。それは手駒として扱われる自分自身に突きつけられた言葉でもあった。国家や組織というメカニズムに翻弄される人間像を描いて、半世紀後に読んでも色褪せることのない古典となっている。1963年のゴールド・ダガー賞(英国推理作家協会が選ぶ最優秀長編賞)に輝く。それどころか同協会が2005年に発表したダガー・オブ・ダガーズ賞(歴代ゴールド・ダガー賞の最高峰)に選ばれた。1965年にはアメリカ探偵作家クラブ賞(MWA賞)最優秀長編賞も受賞。

2012-07-21

アドルフ・ヒトラーとジョン・F・ケネディの演説



 驚くべきことにヒトラーの演説は結論部分が、ケネディの大統領就任演説と一致している。

 だからこそ、米国民の同胞の皆さん、あなたの国があなたのために何ができるかを問わないでほしい。 あなたがあなたの国のために何ができるかを問うてほしい。

大統領就任演説(1961年) ジョン・F・ケネディ




 とすると第二次世界大戦後のアメリカとユダヤ資本はヒトラーの実績から多くを学んだ可能性がある。ジョン・F・ケネディの父親ジョセフ・P・ケネディやジョージ・W・ブッシュ大統領の曽祖父にあたるジョージ・ウォーカーはヒトラーを支持していた。

 私はノーマン・G・フィンケルスタイン著『ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』を読み、ヒトラーを悪の代名詞として扱う言説を一切信用しなくなった。尚、ヒトラーを生むに至るまでのドイツの情況については以下の書籍が詳しい。

文庫 アメリカはなぜヒトラーを必要としたのか (草思社文庫)
菅原 出
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ロスチャイルド、通貨強奪の歴史とそのシナリオ 影の支配者たちがアジアを狙う
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通貨戦争 影の支配者たちは世界統一通貨をめざす
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アメリカ経済界はファシズムを支持した/『アメリカはなぜヒトラーを必要としたのか』菅原出
ジョン・F・ケネディ
ガンジーがヒトラーへ宛てた手紙「我が友よ」

2011-07-16

この国を任せたい有名人:アクサ生命アンケート調査


 フランスの大手保険会社アクサ生命が1万人に行ったアンケート結果がこれ。いくつかの驚くべき事実が浮かび上がってくる。

 まず国会議員が小沢一郎ただ一人しかいない。アンケートの母数に年齢・地域・職業・性別などで偏りがなければ、1万という数は全国の平均を示していると考えてよかろう(アクサ生命のサイトに情報が上がっていないため何とも言い難いのだが)。

 そしてテレビを全く視聴しない私としては東国原英夫〈ひがしこくばる・ひでお〉に注目せざるを得ない。昔から色んな噂が耐えない人物だ。ひょっとしてあれか、宮崎県の知事選挙で「どげんかせんといかん」と連呼した声が、いまだに脳内で反響している人々が多いってことなのか? あるいは宮崎の営業マンとしての平身低頭ぶりを好ましく思っている人が多いのだろうか? 全く理解に苦しむ。

 手っ取り早く結論を述べよう。このアンケートはメガトン級の破壊力を持っている。なぜかといえば、外国人が二人も入っているからだ。

 少し精査してみよう。北海道大学医学部の名誉教授が次のように語ったことがある。「統計学的に見れば10人に1人はおかしな人間と想定される」と。では早速計算してみよう。

・1万人のうち1000人はおかしい=9000人
・カルロス・ゴーン+バラク・オバマ=288
・母数に対する割合=288÷9000=3.2%
・10位内に対する割合=288÷2711=10.6%

 ってことはだよ、日本人全体のうち、10.6%もの国民が外国人に自国を任せようとしていることになる。

 容易に想像できることではあるが、その中には当然次のようなアンケート回答があったはずだ。

・キム・ジョンイル(ネタです)
・やっぱ、カダフィでしょー。
・(任せることのできる=偉人、という脳内条件反射によって)ナポレオン
・(ジョン・F・ケネディが頭に浮かび、自動的に導かれたのが)ケビン・コスナー
・(任せる=最強、ってことで)プーチン
・(ただ何となく)アウンサン・スーチー

 おわかりだろうか。国家が独立している意味すら知らない国民が1割も存在するのだ。つまり、この国の10%は国家の態(てい)を成していないことになる。

 今尚続く戦後の枠組みの中で、日本はアメリカの属国に甘んじている。やくざ者に強姦され、その後情婦になったような関係性を我が国は維持している。米国の現大統領に自国を任せたいというのは、強姦したやくざ者を戸籍上の父親にするようなものだろう。

 日本の1割は完全に崩壊しているといってよい。

2008-08-16

エリ・ヴィーゼルはホロコースト産業の通訳者/『ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』ノーマン・G・フィンケルスタイン


 ・目次
 ・エリ・ヴィーゼルはホロコースト産業の通訳者
 ・誇張された歴史を生還者が嘲笑
 ・1960年以前はホロコーストに関する文献すらなかった
 ・戦後、米ユダヤ人はドイツの再軍備を支持
 ・米ユダヤ人組織はなりふり構わず反共姿勢を鮮明にした
 ・第三次中東戦争がナチ・ホロコーストをザ・ホロコーストに変えた
 ・1960年代、ユダヤ人エリートはアイヒマンの拉致を批判
 ・六月戦争以降、米国内でイスラエル関連のコラムが激増する
 ・「ホロコースト=ユダヤ人大虐殺」という構図の嘘
 ・ホロコーストは「公式プロパガンダによる洗脳であり、スローガンの大量生産であり、誤った世界観」
 ・ザ・ホロコーストの神聖化
 ・ホロコーストを神聖化するエリ・ヴィーゼル
 ・ホロコースト文学のインチキ
 ・ビンヤミン・ヴィルコミルスキーはユダヤ人ですらなかった

『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン
『ヒトラーの経済政策 世界恐慌からの奇跡的な復興』武田知弘

『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン
『ヒトラーの経済政策 世界恐慌からの奇跡的な復興』武田知弘

 これだけの告発を行えば、いつ殺されてもおかしくないだろう。ノーマン・G・フィンケルスタインの怒りは、収容所を生き延びた両親によって培われたものだった。嘘が人を殺す――ナチス・ドイツでもルワンダでもそうだった。大量虐殺を実行するには、嘘に踊らされる群衆が必要なのだ。著者は、その嘘を憎んだ。本書を執筆する動機がそこにあったことと察する。

 本書はホロコースト産業を分析し、告発するためのものである。以下の各章では、ザ・ホロコーストがナチ・ホロコーストのイデオロギー的表現であることを論証していこうと思う。大半のイデオロギーと同じようにこれも、わずかとはいえ、現実とのつながりを有している。ザ・ホロコーストは、各個人による恣意的なものではなく、内的に首尾一貫した構造物である。その中心教義は、重大な政治的、階級的利益を支えている。実際に、ザ・ホロコーストがイデオロギー兵器として必要不可欠であることは、すでに証明済みだ。これを利用することで、世界でもっとも強力な軍事国家の一つが、その恐るべき人権蹂躙の歴史にもかかわらず「犠牲者」国家の役どころを手に入れているし、合衆国でもっとも成功した民族グループが同様に「犠牲者」としての地位を獲得している。
 どちらも、どのように正当化してみたところで上辺だけの犠牲者面(づら)にすぎないのだが、この犠牲者面は途方もない配当を生みだしている。その最たるものが、批判に対する免疫性だ。しかも、この免疫性を享受している者はご多聞に漏れず、道徳的腐敗を免れていないと言ってよい。この点から見て、エリ・ヴィーゼルがザ・ホロコーストの公式通訳者として活動していることは偶然ではない。彼の地位がその人道的活動や文学的才能によって得られたものでないことは明白だ。ヴィーゼルが指導的役割を演じていられるのは、むしろ、彼がザ・ホロコーストの教義を誤りなく言語化しているからであり、そのことによってザ・ホロコーストの基礎となる利益を得ているからである。

【『ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』ノーマン・G・フィンケルスタイン: 立木勝〈たちき・まさる〉訳(三交社、2004年)】

 この本の主人公はエリ・ヴィーゼルだ。エリ・ヴィーゼルこそはホロコースト産業におけるトリックスターであり、司祭であり、裁判官だ。ミスター・ホロコーストはアメリカ・ユダヤエリートのシナリオ通りに演技をする人気タレントだ。人々から寄せられる同情がエリ・ヴィーゼルへの批判を封じ込めている。そして、ホロコースト産業が行っているのは世界規模での“恐喝”である。



ノーマン・G・フィンケルスタイン「ヒズボラは尊敬に値する」
アドルフ・ヒトラーとジョン・F・ケネディの演説