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2016-03-26

「人類の法廷」は可能か?/『国民の歴史』西尾幹二


 ・白人による人種差別
 ・小林秀雄の戦争肯定
 ・「人類の法廷」は可能か?

『日本文明の主張 『国民の歴史』の衝撃』西尾幹二、中西輝政
『三島由紀夫の死と私』西尾幹二
『国家と謝罪 対日戦争の跫音が聞こえる』西尾幹二

日本の近代史を学ぶ

 しかし、ニュルンベルク裁判を可能にする正義の視点とはいったいなんであろう。諸国家を超えた正義の視点は、はたして成り立つのか。 Humanity に当たるドイツ語 Menschlichkeit は人道であると同時に「人類」の意味である。 humanity も humankind の意味であり、まさに「人類に対する罪」と訳されるべきだろう。本稿の冒頭に掲げた「人類の法廷は可能か」以下の一連の問いがまさにここで初めて大規模な形式で地上に提起されたのであった。
 しかしここで立ち停まってよく考えていただきたい。その正義の視点も、しょせんは戦勝国の力の結果であった事実は争えない。ドイツは力によって沈黙させられたのである。それが民主主義の勝利、理性と善の勝利であったなどというのは作り話であって、力が一定の効果を収めたあとの結果にすぎない。もし、ドイツが勝利していたなら、戦後の国際社会の正義のかたちと内容は、相当に大きく変わるほかなかったであろう。実際ソ連は、長いあいだ巧みに勝利者の顔をしつづけることができたため、スターリンの悪事はいまだに何%か正義の名前で隠されているのである。正義のフィクションをつくるだけでも、暴力なしでは成り立たないのだ。諸国家を超えた普遍的で絶対的な正義というのものは、はたしてあるのかという疑問がここから生じる。
 すなわち、私が本稿の冒頭で掲げた「人類の法廷」は可能か、人は人類の裁き手になりうるのかというあの問いは、しょせんなんらかの力を前提とした相対的な判定によって得られるものであって、そうなれば、それらの力を行使しえた特定の国々の基準が、人類の名において正義として通るという矛盾を100%排除することはできない。ニュルンベルク裁判は、そのような矛盾を抱えた裁判だった。それを和(やわ)らげたのは、歴史上類を見ないナチスドイツによるむごたらしい大量殺戮の数々のデータと歴史によるのである。

【『決定版 国民の歴史』西尾幹二〈にしお・かんじ〉(文春文庫、2009年/単行本は西尾著・新しい歴史教科書をつくる会編、産経新聞社、1999年)】

 敗者を裁く時、勝者は「人類」を名乗った。ニュルンベルク裁判で連合国はナチス・ドイツによるホロコーストを看過することはできなかった。そこで編み出したのが「人道に対する罪」と「平和に対する罪」であった。いずれも事後法である。

 この論理が東京裁判にも持ち込まれる。日本は有色人種であるため「文明」の名において罰せられた。ただし日本の場合、ヒトラーのような独裁者は存在しなかったし、大量虐殺もなかった。アメリカは広島・長崎の原爆ホロコーストを糊塗するために、日本軍の南京大虐殺をでっち上げ、死者数もほぼ同数の30万人とした経緯がある。

 第一次世界大戦で日本は勝った連合国側にいた。その後発足した国際連盟でも日本は最初から常任理事国であった。満州国建国を否定された日本が国連を正式に脱退するのは1935年のことである(※松岡洋右日本全権の国連演説「もはや日本政府は連盟と協力する努力の限界に達した」は1933年)。




 国連でケツをまくった松岡を「連盟よさらば! 連盟、報告書を採択し我が代表堂々退場す」と朝日新聞は報じ、国民は松岡の帰国を大歓声で迎えた。

「人類の法廷」を可能にしたのは白人の傲(おご)りであった。なかんずく第二次世界大戦後のアングロサクソンの増長ぶりは目に余る。敗れた日本は義務教育で英語を学ばされる羽目となった。

 日本の近代化そのものは奇蹟的な営みであったが、帝国主義の潮流に乗るのが遅すぎた。国家としての戦略も欠いていた。日清戦争における三国干渉(1895年)以降、国民の間には不満が溜まりに溜まっていた。

 歴史は実に厄介なものである。日本の場合、進歩的文化人や日教組を中心とするマルクス史観が学校教育で教えられ、大東亜戦争以前の歴史は暗黒史として長らく扱われてきた。もちろん連中はGHQが日本を骨抜きにするための戦略に乗っかっただけのことである。ようやく自虐史観から目覚める人々が現れたのが1990年代だった。北朝鮮による拉致被害や、中国・韓国の反日運動をきっかけに日本の近代史を見直す機運が一気に高まった。ところが中には単純な「日本万歳本」も少なくない。

 大東亜戦争は避けようがなかったとは思う。また日本が立ち上がったことによってアジア、中東、アフリカ諸国までもが独立に至ったことも間違いない。だからといって「大東亜戦争が正しかった」という結論にはならない。確かなことはGHQが日本から国家としての意志を剥奪(はくだつ)したという点である。日本は国体を死守するために他のすべてを犠牲にした。

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2017-02-14

共産主義者は戦争に反対したか?/『大東亜戦争とスターリンの謀略 戦争と共産主義』三田村武夫


『われ巣鴨に出頭せず 近衛文麿と天皇』工藤美代子

 ・目次
 ・共産主義者は戦争に反対したか?
 ・佐藤優は現代の尾崎秀実
 ・二・二六事件と共産主義の親和性

『軍閥 二・二六事件から敗戦まで』大谷敬二郎
『ヴェノナ』ジョン・アール・ヘインズ、ハーヴェイ・クレア
・『歴史の書き換えが始まった! コミンテルンと昭和史の真相』小堀桂一郎、中西輝政
・『日本人が知らない最先端の「世界史」』福井義高
日本の近代史を学ぶ

 しかして、このマルクス・レーニン主義に従へば、資本主義国家の権力的支柱をなすものはその国の武力即ち軍隊である。したがつて、この資本主義国家の武力――軍隊を如何にして崩壊せしめるかが、共産主義革命の戦略的、戦術的第一目標とされる。そしてこの目標の前に二つの方法があるとレーニンは言ふ。その一つは、ブルジョア国家の軍隊をプロレタリアの同盟軍として味方に引入れ革命の前衛軍たらしめること、第二は軍隊そのものの組織、機構を内部崩壊せしめることである。つまりブルジョア国家の軍隊を自滅せしめる方向に導くことである。
 また、レーニンの戦略論から、戦争そのものについて言へば、共産主義者が戦争に反対する場合は帝国主義国家(資本主義国家)が、世界革命の支柱たるソ連邦を攻撃する場合と、資本主義国家が植民地民族の独立戦争を武力で弾圧する場合の二つだけで、帝国主義国家と帝国主義国家が相互に噛み合ひの戦争をする場合は反対すべきではない。いな、この戦争をして資本主義国家とその軍隊の自己崩壊に導けと教へてゐる。
 レーニンのこの教義を日華事変太平洋戦争に当てはめてみると、共産主義者の態度は明瞭となる。即ち、日華事変は、日本帝国主義と蒋介石軍閥政権の噛み合ひ戦争であり、太平洋戦争は、日本帝国主義と、アメリカ帝国主義及イギリス帝国主義の噛み合ひ戦争と見ることが、レーニン主義の立場であり、共産主義者の認識論であり、したがつて、日華事変及太平洋戦争に反対することはレーニン主義的で共産主義者の取るべき態度ではない――と言ふことになる。事実日本の忠実なるマルクス・レーニン主義者は、日華事変にも太平洋戦争にも反対してゐない。のみならず、実に巧妙にこの両戦争を推進して、レーニンの教への通り日本政府及軍部をして敗戦自滅へのコースを驀進せしめたのである。この見解は筆者の独断ではない。

【『昭和政治秘録 戦争と共産主義』三田村武夫:岩崎良二編(民主制度普及会、1950年、発禁処分/『大東亜戦争とスターリンの謀略 戦争と共産主義』自由社、1987年、改訂版・改題/呉PASS出版、2016年/Kindle版、竹中公二郎編)】

 これに続いて具体的にレーニン(1870–1924年)の「敗戦革命論」が縷々(るる)述べられている。その断乎たる主張を支えるのは天才的な狡知(こうち)である。自分たちの美しい理想を実現するために彼らは勇んで薄汚い破壊工作を行った。世界規模の工作活動は第二次世界大戦の命運を左右し、戦後レジームをも決定づけた。

 共産主義者は戦争に反対しなかった。それどころか戦争を後押しすることで国家破壊を目論んだのだ。日本ではリヒャルト・ゾルゲと朝日新聞記者の尾崎秀実〈おざき・ほつみ〉が大東亜戦争をソ連に有利な方向へと導いた。

2014-10-26

松原久子、佐藤優、夏井睦


 2冊挫折、1冊読了。

炭水化物が人類を滅ぼす 糖質制限からみた生命の科学』夏井睦〈なつい・まこと〉(光文社新書、2013年)/前著『傷はぜったい消毒するな 生態系としての皮膚の科学』(光文社新書、2009年)が売れたことに気をよくしたのだろう。「はじめに」で中年オヤジでも簡単にスリムになることができる方法を紹介しよう、と断っておきながら、スリムな男性は自分一人でいいので同年代の男性には読んで欲しくないと綴っている。本人は炎上マーケティングのつもりであったのかもしれないが読者を小馬鹿にしすぎている。その驕りに付き合う必要も時間も私にはない。

宗教改革の物語  近代、民族、国家の起源』佐藤優〈さとう・まさる〉(角川書店、2014年)/気合いのこもった一冊である。今時珍しい重厚なハードカバーだ。「まえがき」では作家人生を決めた井上ひさしとの出会いを綴っている。ただし本文には食指が動かず。キリスト教系ではR・ブルトマンの『イエス』を超えるものでなければ読む気がしない。

 80冊目『驕れる白人と闘うための日本近代史』松原久子:田中敏〈たなか・さとし〉訳(文藝春秋、2005年/文春文庫、2008年)/松原は日本人であるが原著がドイツ語のため翻訳モノとなっている。大番狂わせだ。本書の登場によって安冨歩著『生きる技法』は2位に転落してしまった。もちろん私の興味が日本近代史に向かっていたことも大きく作用している。私は北海道で生まれ育った。で、北海道はたぶん日教組が強い。記憶にある限りでは君が代を歌ったことは一度しかない。それも中学の音楽の時間で習った時だ。天皇陛下も遠い存在であった。上京してから天皇陛下のカレンダーを飾っているお宅を見てびっくりした覚えがある。旗日に日の丸を掲げるような家もなかったように思う。私が天皇陛下を初めて意識したのは東日本大震災の時である。生まれて初めて心の底から「陛下!」と思った。菅沼光弘や中西輝政を読み、近代史に蒙(くら)い脳味噌に少し明かりが射した。そして本書によって日本人であることに誇りを抱いた。松原の日本礼賛には多少偏りがあるかもしれない。しかし彼女はドイツで文筆活動やテレビ出演を通して日本の歴史を正しく伝えるべく孤軍奮闘している(現在はアメリカ在住)。時にはドイツ市民から暴力を振るわれたこともあったという。その生きざまに心を打たれる。右も左も、エホバも創価学会も、老いも若きも、日本人と名乗るべき人は全員が読むべき一冊である。

2018-08-07

東亜百年戦争/『大東亜戦争肯定論』林房雄


『獄中獄外 児玉誉士夫日記』児玉誉士夫
『日本人の誇り』藤原正彦

 ・東亜百年戦争

・『緑の日本列島 激流する明治百年』林房雄

必読書リスト その四
日本の近代史を学ぶ

 さて、やっと私の意見をのべる番がめぐってきたようだ。
 私は「大東亜戦争は百年戦争の終曲であった」と考える。ジャンヌ・ダルクで有名な「英仏百年戦争」に似ているというのではない。また、戦争中、「この戦争は将来百年はつづく。そのつもりで戦い抜かねばならぬ」と叫んだ軍人がいたが、その意味とも全くちがう。それは今から百年前に始まり、【百年間戦われて終結した】戦争であった。(中略)
 百年戦争は8月15日に終った。では、いつ始まったのか。さかのぼれば、当然「明治維新」に行きあたる。が、明治元年ではまだ足りない。それは維新の約20年前に始まったと私は考える。私のいう「百年前」はどんな時代であったろうか?(中略)

 米国海将ペルリの日本訪問は嘉永6年、1853年の6月。明治元年からさかのぼれば15年前である。それが「東亜百年戦争」の始まりか。いや、もっと前だ。この黒船渡来で、日本は長い鎖国の夢を破られ、「たった四はいで夜も寝られぬ」大騒ぎになったということになっているが、これは狂歌的または講談的歴史の無邪気な嘘である。
 オランダ、ポルトガル以外の外国艦船の日本近海出没の時期はペルリ来航からさらに7年以上さかのぼる。それが急激に数を増したのは弘化年間であった。そのころから幕府と諸侯は外夷対策と沿海防備に東奔西走させられて、夜も眠るどころではなかった。

【『大東亜戦争肯定論』林房雄(中公文庫、2014年/番町書房:正編1964年、続編1965年/夏目書房普及版、2006年/『中央公論』1963~65年にかけて16回に渡る連載)】

 歴史を見据える小説家の眼が「東亜百年戦争」を捉えた。私はつい先日気づいたのだが、ペリーの黒船出航(1852年)からGHQの占領終了(1952年)までがぴったり100年となる。日本が近代化という大波の中で溺れそうになりながらも、足掻き、もがいた100年であった。作家の鋭い眼光に畏怖の念を覚える。しかも堂々と月刊誌に連載したのは、反論を受け止める勇気を持ち合わせていた証拠であろう。連載当時の安保闘争があれほどの盛り上がりを見せたのも「反米」という軸で結束していたためと思われる。『国民の歴史』西尾幹二、『國破れてマッカーサー』西鋭夫、『日本の戦争Q&A 兵頭二十八軍学塾』兵頭二十八、『日本永久占領 日米関係、隠された真実』片岡鉄哉の後に読むのがよい。「必読書」入り。致命的な過失は解説を保阪正康に書かせたことである。中央公論社の愚行を戒めておく。西尾幹二か中西輝政に書かせるのが当然であろう。(読書日記転載)

 目から鱗(うろこ)が落ちるとはこのことだ。東京裁判史観に毒された我々は【何のために】日本が戦争をしてきたのかを知らない。「教えられなかったから」との言いわけは通用しない。朝日新聞が30年にもわたってキャンペーンを張ってきた慰安婦捏造問題や、韓国が世界各地に設置している慰安婦像のニュースは誰もが知っているはずだ。少しでも疑問を持つならば自分で調べるのが当然である。その程度の知的作業を怠る人はとてもじゃないが自分の人生を歩んでいるとは言えないだろう。情報の吟味を欠いた精神態度は必ず他人の言葉を鵜呑みにし、価値観もコロコロと変わってしまう。

 林房雄を1845年(弘化元年)から1945年までを100年としているが、私は、マシュー・ペリーがアメリカを出港した1852年(嘉永5年)からGHQの占領が終った1952年(昭和27年)までを100年とする藤原正彦説(『日本人の誇り』)を支持する。更に言えば東亜百年戦争の準備期間として2世紀にわたる鎖国(1639年/寛永16年-1854年/嘉永7年)があり、日本人が外敵に警戒するようになったのは豊臣秀吉バテレン追放令(1587年/天正15年)にまでさかのぼる。

 つまりだ、15世紀半ばに狼煙(のろし)を上げたヨーロッパ人による大航海時代(-17世紀半ば)の動きを日本は鋭く察知していたのだ。帝国主義の源流を辿ればレコンキスタ(718-1492年)-十字軍(1096-1272年)にまで行き着く。モンゴル帝国が西ヨーロッパまで征服しなかったことが悔やまれてならない。

 こうして振り返れば西暦1000年代が白人覇権の時代であったことが理解できよう。そして大航海時代は有色人種が奴隷とされた時代であった。豊臣秀吉はヨーロッパ人が日本人を買い付けて奴隷にしている事実を知っていたのだ。その後日本は鎖国政策によってミラクルピース(世界史的にも稀な長期的な平和時代)と呼ばれる時代を迎えた。一旦は採用した銃を廃止し得たのも我が国以外には存在しない。

 戦前の全ての歴史を否定してみせたのが左翼による進歩史観である。「歴史は進歩するから昔は悪かった、否、悪くなければならない」という馬鹿げた教条主義だ。これを知識人たちはついこの間まで疑うことがなかった。鎖国も単純に閉鎖的な印象でしか語られてこなかった。武士という軍事力が植民地化を防ぐ力となった事実も忘れられている。

 世界史の動きや日本の来し方に思いを致さず、ただ単に大東亜戦争を侵略戦争だからという理由で国旗や国歌を拒否する人々がいる。しかも児童の教育に携わる教員の中にいるのだ。国家反逆罪で逮捕するのが筋ではないか。いかなる思想・宗教も自由であるべきだが国を否定する者はこの国から出てゆくべきである。

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林 房雄
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2017-02-20

二・二六事件と共産主義の親和性/『大東亜戦争とスターリンの謀略 戦争と共産主義』三田村武夫


『われ巣鴨に出頭せず 近衛文麿と天皇』工藤美代子

 ・目次
 ・共産主義者は戦争に反対したか?
 ・佐藤優は現代の尾崎秀実
 ・二・二六事件と共産主義の親和性

『軍閥 二・二六事件から敗戦まで』大谷敬二郎
『ヴェノナ』ジョン・アール・ヘインズ、ハーヴェイ・クレア
・『歴史の書き換えが始まった! コミンテルンと昭和史の真相』小堀桂一郎、中西輝政
・『日本人が知らない最先端の「世界史」』福井義高
日本の近代史を学ぶ

志士「青年将校」の出現――深刻な経済恐慌の中に芽生えたものが、資本主義の悪に対する認識であつたことは否定し難い事実である。濱口内閣の緊縮政策は、金融資本擁護の為にする特権政治だといふ非難と、一般国民の経済的現実を無視した財閥擁護だといふ攻撃が地方農村に急速に高まつて来た。事実濱口内閣による金輸出解禁を中心とした緊縮政策は、農産物価格の急激な値下りとなり、農村の不況は益々甚しく、殊に東北地方の農村は目も当てられなぬ惨状を呈すに至つた。
 こゝで注意したいことは日本軍隊就中陸軍の構成である。日本の陸軍は貧農小市民の子弟によつて構成され、農村は兵営に直結してゐた。将校も亦中産階級以下の出身者が多く、不況と窮乏にあえぐ農村の子弟と起居を共にし、集団生活をする若き青年将校に、この深刻陰惨なる社会現象が直接反映して来たのも亦当然である。こゝから所謂志士「青年将校」の出現となり、この青年将校を中心とした国家改造運動が日本の軍部をファッショ独裁政治へと押し流して行く力の源泉となつたのであるがこの青年将校の思想内容には二つの面があることを注意する必要がある。その一つは建軍の本義と称せられる天皇の軍隊たる立場で、国体への全面的信仰から発生する共産主義への反抗であり、今一つは小市民層及貧農の生活を護る立場から出現した反資本主義的立場である。従つて青年将校を中心とした一団のファッショ的勢力が共産主義に対抗して立つたのは共産主義の反国体的性格に反対したものであつて、共産主義が資本主義打倒を目的とするからけしらかぬといふのではない。即ち、日本軍部ファッショの持つ特殊の立場は、資本主義擁護の立場にあるのではなく、資本主義、共産主義両面の排撃をその思想内容としてゐたところにある。この思想傾向は後に述べる如く最後迄共産主義陣営から利用される重要な要素となっ(ママ)たことを見逃してはならない。

【『昭和政治秘録 戦争と共産主義』三田村武夫:岩崎良二編(民主制度普及会、1950年、発禁処分/『大東亜戦争とスターリンの謀略 戦争と共産主義』自由社、1987年、改訂版・改題/呉PASS出版、2016年/Kindle版、竹中公二郎編)】

「日華事変の足どり」における事件だけピックアップしよう。

血盟団事件(1932年/昭和7年)
五・一五事件(1932年/昭和7年)
神兵隊事件(1933年/昭和8年)
埼玉挺身隊事件(1933年/昭和8年)
士官学校事件(1934年/昭和9年)
永田鉄山事件(1935年/昭和10年)
二・二六事件(1936年/昭和11年)

 日本が1933年に国際連盟を脱退したことを思えば、国内外の激動が理解できよう。一連の事件を「昭和維新」と呼ぶ。

 血腥(なまぐさ)い事件の背景には長く続いた不況があった。第一次世界大戦後、日本は戦勝国の一員として束の間好況に沸(わ)いたが、1920年の戦後恐慌(大正9年)~関東大震災(1923年/大正12年)~昭和金融恐慌(1927年/昭和2年)と立て続けに不況の波が押し寄せた。そこへ世界恐慌(1929年/昭和4年)の大波が襲い掛かる。しかも最悪のタイミングで翌1930年(昭和5年)から1934年(昭和9年)にかけて東北が冷害による大凶作に見舞われる(昭和東北大飢饉)。東北や長野県では娘の身売りが相次いだ。


 当時の情況を綴った漫画の傑作に曽根富美子〈そね・ふみこ〉作『親なるもの 断崖』(秋田書店、1991年/宙出版、2007年)がある(Wikipedia)。このような社会の矛盾に憤激したのが青年将校たちであった。

 夕食後同じ班の親友・福田政雄が話しかけてきた、
「どうだ、角(つの)、教官の説明と陸軍の主張を聞いて、お前はどちらが正しいと思うか、俺はどうも陸軍のやろうとしていることの方が正しいような気がするんだが」と言う。聞いても驚きはしなかった。昨日から何かもやもやした頭の中が「スッ」と晴れたようだった。故郷の農村の疲弊(ひへい)を思えば、このままの状態ではどうしようもない。それでも国には財閥貴族というものがあり、豊かな暮らしをしている。何とかしなければならない、それをする道を開くのが蹶起部隊である、と思っていた。
 陸軍内部の皇道派とか統制派とか言うのは、戦後知ったことである。
「俺もそう思うよ」と答えた。陛下に背くのではない、君側の奸を除くのである。
「では、やるか」「どうする」「明日にも現場に到着したなら、機を見て武器を持ったまま陸軍側に飛び込もうよ」(中略)

 今も、私はあれは間違っていなかった、と思う。あの人たちの手によって財閥解体、土地解放が行われたならば、その後の日華事変や大東亜戦争は怒らなくて済んだのではないか、

【『修羅の翼 零戦特攻隊員の真情』角田和男〈つのだ・かずお〉 (今日の話題社、1989年/光人社文庫、2008年)】

 二・二六事件に対する共感が窺える。

 日本の民主制は不平士族の反乱(明治初期)~自由民権運動(1874年/明治7年)に始まる。その後も薩長藩閥体制は長く影を落とし、現在にまで影響が及ぶ(『洗脳支配 日本人に富を貢がせるマインドコントロールのすべて』苫米地英人)。更に大日本帝国陸軍内部は皇道派統制派に分かれた。

 つまり実態は階級闘争であったと見てよい。二・二六事件で立ち上がった青年将校たちの心情は純粋で正しかった。だがその行動に対して昭和天皇は激怒した。陛下は軍装に身を整え討伐を命じた。青年将校と天皇陛下の心はあまりにも懸け離れていた。私は不可解な思いを払拭することができない。そして二・二六事件がエポックメイキングとなり大東亜戦争に至る。

 昭和維新の理論的支柱となったのは北一輝の思想で大川周明が深く関与した。二人とも国家社会主義者である。二・二六事件と共産主義には親和性があった。それをコミュニストが見逃すわけがない。天皇陛下を中心とする一君万民論にも社会主義的な色彩が感じられる。

 不況になると社会の矛盾が際立つ。バブル景気が崩壊し、失われた20年を経て、日本国内の非正規雇用は2015年に労働人口の40%を超えた。企業によるコスト削減の犠牲者といってよい。年収200万円以下のワーキングプアは2006年以降ずっと1000万人を上回っている。


 アベノミクスは有効求人倍率は上げたもののワーキングプアを解消していないし軽減もしていない。格差社会が叫ばれ、派遣切りが問題となった頃、突如として『蟹工船』(小林多喜二著)ブームが起こった。共産党の党員も一挙に9000人も増えた。不況は共産主義の温床となることを銘記すべきである。

 日本の左翼は安保闘争が失速するとベトナム戦争反対運動に乗り換えた。その後、ソ連のアフガニスタン侵攻(1978年)・中越戦争(1979年)によって左翼運動の正当性が失われ、東欧民主化革命(1989年)・ソ連崩壊(1991年)で命脈が絶たれたように見えた。ところが彼らは「レッドからグリーンへ」と環境運動に乗り換えていたのだ(『環境と文明の世界史 人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ』石弘之、安田喜憲、湯浅赳男)。そして現在の反ヘイトスピーチ運動、ポリティカル・コレクトネス、沖縄米軍基地反対運動へとつながるわけだ。実態は在日朝鮮人・キリスト教関係者をも巻き込んだ反日運動である。

 左翼の目的は天皇制打倒・国家転覆にある。いかに正しい運動であったとしてもそれは破壊工作である。不況は彼らの同調者を増やすことになる。政府与党は不況が国家を蝕む現実を知るべきだ。



暴力に屈することのなかった明治人/『五・一五事件 海軍青年将校たちの「昭和維新」』小山俊樹
二・二六事件前夜の正確な情況/『重光・東郷とその時代』岡崎久彦

2016-01-31

林房雄


 1冊読了。

 14冊目『大東亜戦争肯定論』(中公文庫、2014年/番町書房:正編、1964年、続編、1965年/夏目書房普及版、2006年/『中央公論』1963~65年にかけて16回に渡る連載)/歴史を見据える小説家の眼が「東亜百年戦争」を捉えた。私はつい先日気づいたのだが、ペリーの黒船出航(1852年)からGHQの占領終了(1952年)までがぴったり100年となる。日本が近代化という大波の中で溺れそうになりながらも、足掻き、もがいた100年であった。作家の鋭い眼光に畏怖の念を覚える。しかも堂々と月刊誌に連載したのは、反論を受け止める勇気を持ち合わせていた証拠であろう。連載当時の安保闘争があれほどの盛り上がりを見せたのも「反米」という軸で結束していたためと思われる。『国民の歴史』西尾幹二、『國破れて マッカーサー』西鋭夫、『日本の戦争Q&A 兵頭二十八軍学塾』兵頭二十八、『日本永久占領 日米関係、隠された真実』片岡鉄哉の後に読むのがよい。「必読書」入り。致命的な過失は解説を保阪正康に書かせたことである。中央公論社の愚行を戒めておく。西尾幹二か中西輝政に書かせるのが当然であろう。

2018-10-16

百田尚樹著『日本国紀』が予約開始でベストセラー1位に


 11月15日発売。西尾幹二著『国民の歴史』を超えるかどうか。空前のベストセラーになりそうな予感。西尾や中西輝政、伊藤隆といった大御所はもちろんだが、私が幻冬舎の社長であれば佐藤優、小林よしのり、宮台真司に書評を依頼する。

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2019-12-31

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 今年は稀に見る豊作であった。手にした本は500冊強。読了したのは180冊ほどか。読書日記が書けていないので多目に紹介する。いずれも必読書・教科書本で、特にベスト10については甲乙つけがたく僅差の違いしかない。6歳から本を読み始めて丁度半世紀を経たわけだが、本に導かれて歩んできた道が妙味を帯びてきた。尚、『悪の論理』は三度読み、他の倉前本は二度読んでいる。

『許されざる者』レイフ・GW・ペーション
・『運転者 未来を変える過去からの使者』喜多川泰
・『泣き虫しょったんの奇跡 サラリーマンから将棋のプロへ』瀬川晶司
『将棋の子』大崎善生
・『したたかな寄生 脳と体を乗っ取る恐ろしくも美しい生き様』成田聡子
『野菜は小さい方を選びなさい』岡本よりたか
・『オオカミ少女はいなかった スキャンダラスな心理学』鈴木光太郎
・『森林飽和 国土の変貌を考える』太田猛彦
『ペトロダラー戦争 イラク戦争の秘密、そしてドルとエネルギーの未来』ウィリアム・R・クラーク
・『人類の起源、宗教の誕生 ホモ・サピエンスの「信じる心」が生まれたとき』山極寿一、小原克博
・『医学常識はウソだらけ 分子生物学が明かす「生命の法則」』三石巌
・『宇宙は「もつれ」でできている 「量子論最大の難問」はどう解き明かされたか』ルイーザ・ギルダー
『「わかる」とはどういうことか 認識の脳科学』山鳥重
『アルツハイマー病 真実と終焉 “認知症1150万人”時代の革命的治療プログラム』デール・ブレデセン
・『やさしい図解 「川平法」歩行編 楽に立ち、なめらかに歩く 決定版!家庭でできる脳卒中片マヒのリハビリ』川平和美監修
『ベッドの上でもできる 実用介護ヨーガ』成瀬雅春
・『寡黙なる巨人多田富雄
・『56歳でフルマラソン 62歳で100キロマラソン』江上剛
・『走れ!マンガ家 ひぃこらサブスリー 運動オンチで85kg 52歳フルマラソン挑戦記!』みやすのんき
『あなたの歩き方が劇的に変わる! 驚異の大転子ウォーキング』みやすのんき
・『体の知性を取り戻す』尹雄大
『ウィリアム・フォーサイス、武道家・日野晃に出会う』日野晃、押切伸一
『月刊「秘伝」特別編集 天才・伊藤昇と伊藤式胴体トレーニング「胴体力」入門』月刊「秘伝」編集部編
『鉄人を創る肥田式強健術』高木一行
・『日本の弓術』オイゲン・ヘリゲル:柴田治三郎訳
・『1日10分で自分を浄化する方法 マインドフルネス瞑想入門』吉田昌生
・『戦争と平和の世界史 日本人が学ぶべきリアリズム』『経済は世界史から学べ!』『ニュースの“なぜ?”は世界史に学べ 日本人が知らない100の疑問』茂木誠
・『日教組』『左翼老人』『自治労の正体』森口朗
・『これでも公共放送かNHK! 君たちに受信料徴収の資格などない』小山和伸
・『誰が国賊か 今、「エリートの罪」を裁くとき』谷沢永一、渡部昇一
・『「よど号」事件最後の謎を解く 対策本部事務局長の回想』島田滋敏
・『忘却の引揚げ史 泉靖一と二日市保養所』下川正晴
『シベリア抑留 日本人はどんな目に遭ったのか』長勢了治
『評伝 小室直樹』村上篤直
『中国古典名言事典』諸橋轍次
『乃木大将と日本人』スタンレー・ウォシュバン
・『陸奥宗光』『重光・東郷とその時代』『吉田茂とその時代 敗戦とは』岡崎久彦
・『なぜニッポンは歴史戦に負け続けるのか中西輝政、西岡力
・『英霊の聲』三島由紀夫
・『自衛隊幻想 拉致問題から考える安全保障と憲法改正』荒木和博、荒谷卓、伊藤祐靖、予備役ブルーリボンの会
・『奇蹟の今上天皇』『アメリカの標的 日本はレーガンに狙われている』『韓国の呪い 広がるばかりの日本との差』『アメリカの逆襲 宿命の対決に日本は勝てるか』小室直樹

 10位 倉前盛通『悪の論理』『新・悪の論理』『情報社会のテロと祭祀 その悪の解析』『悪の運命学 ひとを動かし、自分を律する強者のシナリオ』『悪の戦争学 国際政治のもう一つの読み方
 9位 『徳の起源 他人をおもいやる遺伝子』マット・リドレー
 8位 『アルツハイマー病は治る 早期から始める認知症治療』ミヒャエル・ネールス
 7位 『失敗の科学 失敗から学習する組織、学習できない組織』マシュー・サイド
 6位 『あなたの体は9割が細菌 微生物の生態系が崩れはじめた』アランナ・コリン
 5位 『心を操る寄生生物 感情から文化・社会まで』キャスリン・マコーリフ
 4位 『遺伝子 親密なる人類史』シッダールタ・ムカジー
 3位 『死すべき定め 死にゆく人に何ができるか』アトゥール・ガワンデ
 2位 『アナタはなぜチェックリストを使わないのか? 重大な局面で“正しい決断”をする方法』アトゥール・ガワンデ
 1位 『ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来』ユヴァル・ノア・ハラリ

2017-02-16

佐藤優は現代の尾崎秀実/『大東亜戦争とスターリンの謀略 戦争と共産主義』三田村武夫


『われ巣鴨に出頭せず 近衛文麿と天皇』工藤美代子

 ・目次
 ・共産主義者は戦争に反対したか?
 ・佐藤優は現代の尾崎秀実
 ・二・二六事件と共産主義の親和性

『軍閥 二・二六事件から敗戦まで』大谷敬二郎
『ヴェノナ』ジョン・アール・ヘインズ、ハーヴェイ・クレア
・『歴史の書き換えが始まった! コミンテルンと昭和史の真相』小堀桂一郎、中西輝政
・『日本人が知らない最先端の「世界史」』福井義高
日本の近代史を学ぶ

 尾崎秀實は世上伝へられてゐる如き単純なスパイではない。彼は自ら告白してゐる通り、大正14年(1925年)東大在学当時既に共産主義を信奉し、昭和3年(1928年)から同7年まで上海在勤中に中国共産党上部組織及コミンテルン本部機関に加はり爾来引続いてコミンテルンの秘密活動に従事してきた【真実の、最も実践的な共産主義者】であつたが、彼はその共産主義者たる正体をあくまでも秘密にし、十数年間連れ添つた最愛の妻にすら知らしめず、「進歩的愛国者」「支那問題の権威者」「優れた政治評論家」として政界、言論界に重きをなし、第一次近衛内閣以来、近衛陣営の最高政治幕僚として軍部首脳部とも密接な関係を持ち、日華事変処理の方向、国内政治経済体制の動向に殆ど決定的な発言と指導的な役割を演じて来たのである。世界共産主義革命の達成を唯一絶対の信条とし、命をかけて活躍してきたこの尾崎の正体を知つたとき、近衛が青くなつて驚いたのは当然で、「全く不明の致すところにして何とも申訳無之深く責任を感ずる次第に御座候」と陛下にお詫びせざるを得なかつたのだ。

【『昭和政治秘録 戦争と共産主義』三田村武夫:岩崎良二編(民主制度普及会、1950年、発禁処分/『大東亜戦争とスターリンの謀略 戦争と共産主義』自由社、1987年、改訂版・改題/呉PASS出版、2016年/Kindle版、竹中公二郎編)以下同】


ゾルゲ事件
ゾルゲ諜報団
ゾルゲ事件
ゾルゲ事件の端緒をめぐる諸問題
ゾルゲ事件とは?(PDF)
ゾルゲと尾崎秀実を擁護する朝日新聞
東京新聞:伊藤律 告発の肉筆手記 ゾルゲ事件「スパイ説」冤罪

 ソ連にとってゾルゲ最大の功績はノモンハン事件(1939年)の不拡大方針と、その後日本が北進論から南進論に傾いた事実を逸(いち)早く察知したことであった。ソ連としては西側からドイツ軍が攻めてきているので、東から日本軍に攻撃されることだけは避けたかった。日本国内では三国干渉(1895年)や北清事変(1900年)を通してソ連に対する憎悪は高まっていた。陸軍参謀本部は北進論を主張したが、尾崎秀実〈おざき・ほつみ〉は南進論へと世論を誘導する。

「【私の立場から言へば、日本なり、独逸なりが簡単に崩れ去つて英米の全勝に終るのは甚だ好ましくないのであります】(大体両陣営の抗戦は長期化するであらうとの見透しでありますが)万一かゝる場合になつた時に英米の全勝に終らしめないためにも、日本は社会的体制の転換を以て、ソ連、支那と結び別な角度から英米に対抗する姿勢を採るべきであると考へました。此の意味に於て、【日本は戦争の始めから、米英に抑圧せられつゝある南方諸民族の解放をスローガンとして進むことは大いに意味があると考へたのでありまして、私は従来とても南方民族の自己解放を「東亜新秩序」創設の絶対要点である】といふことをしきりに主張しておりましたのは【かゝる含みを籠めて】のことであります」(尾崎手記。強調点は筆者による)


 大東亜戦争は尾崎が描いた青写真通りに進む。日本は長期戦を余儀なくされ、共産主義者は敗戦革命の図式をも視野に入れていた。もちろんゾルゲや尾崎が戦局を決定したわけではない。彼らは自分の役割を忠実に果たしただけなのだが時の流れが加勢した。日本が受けるダメージが壊滅的であればあるほど共産主義革命の実現が近づくと彼らは信じた。

 筆者はコムミニストとしての尾崎秀實、革命家としての尾崎秀實の信念とその高き政治感覚には最高の敬意を表するものであるが、然し、問題は一人の思想家の独断で、8000万の同胞が8年間戦争の惨苦に泣き、数百万の人命を失ふことが許されるか否かの点にある。同じ優れた革命家であつてもレーニンは、昂然と敗戦革命を説き、暴力革命を宣言して闘つてゐる。尾崎はその思想と信念によし高く強靭なものをもつていたとしても、十幾年間その妻にすら語らず、これを深くその胸中に秘めて、何も知らぬ善良なる大衆を狩り立て、その善意にして自覚なき大衆の血と涙の中で、革命への謀略を推進してきたのだ。正義と人道の名に於て許し難き憤りと悲しみを感ぜざるを得ない。

 革命の理想が犠牲を強いる。その後の社会主義国家が辿ったのは大虐殺・大量死の歴史だ。スターリンは2000万人、毛沢東は6000万人(※多くは政策ミスによる餓死)を死へと導いた。

 三田村武夫は重要な指摘をする。「かれ(※尾崎)の優れた政治見識と、その進歩的理論に共鳴し、彼の真実の正体を知らずして同調した所謂、同伴者的存在も多数あつたであらう。更に亦、全くのロボットとして利用された者もあつたであらう」。人は理想から導き出された美しい言葉に弱い。正しい響きには逆らい難い。目的を隠蔽した尾崎の言葉に心酔する者がいてもおかしくはない。そして同伴者は「自らの意志」で同じ言葉を語り始めるのだ。ここに恐ろしい落とし穴がある。

 当時、天皇制否定の主張を訂正した者は転向者と判断された。つまりイデオロギーを堅持した多くの人々が官庁に巣食っていた。彼らの影響も決して小さなものではないだろう。

 本書で初めて知ったのだが実は昭和13年の3~6月にかけて日華事変全面講和の動きがあったという。その舞台裏の詳細が生々しく綴られている。ところがあと一歩というところで講和は雲散霧消する。同盟通信の上海市局長をしていた松本重治〈まつもと・しげはる〉が国民政府の高宗武板垣陸相を会わせ、中華民国は戦意を喪失しており無条件和平を望んでいるとの偽情報を掴ませたのだ。近衛文麿も松本・高情報を信用した。ここから汪兆銘を中心とする新政権工作が始まる。

 三田村武夫は松本重治が共産主義者であるとは書いていない。ただし松本が著書で南京大虐殺を認める記述をしていることなどを踏まえると、中国やアメリカの手先となって動いた可能性は高いと考えられる。

 もし現代の尾崎秀実が存在するならばそれは佐藤優〈さとう・まさる〉を措(お)いて他にいないだろう。佐藤は「中間層が重要だ」と語っているが、彼が歩み寄るのはポリティカル・コレクトネス(政治的な正しさ)を重んじる国際主義者が多い。批判の矛先を向けるのは保守派といってよいだろう。天皇陛下には敬意を払っているようだが一種のポーズであると思う。

 私は長らく民主党に好ましい感情を抱いていた。それは佐藤優のラジオ放送をよく聴いていたためだ。民主党が政権を担っていた頃、佐藤は具体的な議員名を挙げて民主党を擁護してきた。普天間基地移設問題に関する鳩山首相(当時)の「最低でも県外」(2009年)という発言には佐藤の関与があってもおかしくない。「沖縄で独立論を唱える者が現れた」という話を初めて知ったのも佐藤の番組であった。大城浩という創価学会員が琉球独立を公約に掲げて沖縄県知事選に出馬したのだ(2014年)。そして今、佐藤本人も沖縄独立に肩入れしている。挙句の果てには「ニュース女子」にまで噛み付く始末だ。


 次に以下の動画の冒頭部分で紹介されている佐藤優の講演に注目して欲しい。


 見事なアジ演説である。佐藤の本気が日本と沖縄を分断に導く。沖縄県民の感情に佐藤は理論的根拠を与える。これほど危険なことはない。私の目には尾崎秀実の姿と重なって見える。





『「知的野蛮人」になるための本棚』佐藤優
佐々弘雄の遺言/『私を通りすぎたスパイたち』佐々淳行
若き日の感動/『青春の北京 北京留学の十年』西園寺一晃
瀬島龍三を唾棄した昭和天皇/『田中清玄自伝』田中清玄、大須賀瑞夫

2019-02-17

「あげる」と「やる」/『日本人の矜持 九人との対話』藤原正彦


『妻として母としての幸せ』藤原てい
『天才の栄光と挫折 数学者列伝』藤原正彦
『祖国とは国語』藤原正彦
『国家の品格』藤原正彦

 ・「あげる」と「やる」

『夫の悪夢』藤原美子
『日本人の誇り』藤原正彦

藤原●彼らも一種のエリートなのですから、日本の期待を背負っているんだという気概を少しは持ってくれないと困りますね。

曽野綾子●私もそう思います。彼らを送り出すために、税金も含めて、さまざまな人がさまざまなバックアップをしてきた。それを自覚した人間になってほしい。
「自分を褒めてあげたい」(※筆者註:有森裕子の発言が誤って伝わったもの)なんて、誰が最初に言い出したのか。気持ちが悪い言葉ですね。ああ言われたら、こちらは「ああ、そうですか」と言い返すしかない。自分自身への評価は沈黙のうちにするべきことです。そもそも「褒めてあげたい」という日本語が間違っている。正しくは「褒めてやりたい」ですよ。「子供にお菓子をやる」のであって、「子供にお菓子をあげる」のではない。

藤原●いい齢した大人の使う言葉ではありませんね。

曽野●それと、いまの日本の教育で欠けていると思うのは、「人を疑え」ということですね。それは他人を拒絶せよ、ということではない。むしろ、人間を信じ、人間とかかわりを持つためには、まず疑わなくてはならないのです。たとえば、子供が知人に誘拐されたり、殺されたりする事件が起きると、必ず「人を信じられないとはなんと悲しいことでしょう」というコメントが登場しますが、人はもともと信じられないものなんです。

【『日本人の矜持 九人との対話』藤原正彦(新潮社、2007年/新潮文庫、2009年)】

 齋藤孝、中西輝政、曽野綾子、山田太一、佐藤優、五木寛之、ビートたけし、佐藤愛子、阿川弘之らとの対談集。どれも滅法面白い。佐藤優に冴えがないのは保守派の藤原を警戒したためだろう(笑)。五木寛之なんぞは自虐史観の持ち主だが、古い歌謡曲を巡るやり取りには阿吽(あうん)の呼吸すら感じた。

 記憶があやふやなのだが冒頭の「彼ら」とは多分オリンピック選手のことだろう。私が曽野綾子と接するのは実に『誰のために愛するか』(青春出版社、1970年)以来のことである。クリスチャンと左翼の親和性が高いのはつとに指摘されるところだが、曽野綾子は珍しく保守論客である。しかも多くの物議を醸(かも)してきた。あまり好きな人物ではないが藤原が選ぶのだからそれなりの理由があるのだろう。

 先程「誰々に物をあげる」という場合の「あげる」が「上げる」でいいのかどうかを調べていた。

人に物をあげるの、「あげる」にはどの漢字を使うのが正しいですか??上げる... - Yahoo!知恵袋

 で、ふと曽野の指摘を思い出したというわけ。読んだ時、ハッとした。意外と気づかないものである。その気づかないところに不明の不明たる所以(ゆえん)があるのだろう。

 私が長らく曽野綾子を敬遠してきたのは、まだ保守が右翼と思われていた時代背景の影響が強い。ま、注目を集めるために極論を述べることは決して珍しいことではない。また保守系女性論客は明らかに叩かれやすい傾向があり、普段は言論の自由を声高に主張する左翼どもが平然と言論を抑圧している。

「あげる」と「やる」という言葉遣いの狂いにも、戦後の悪しき平等主義が影を落としている。

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藤原 正彦
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2014-10-22

中国の経済成長率が鈍化/『この国の不都合な真実 日本はなぜここまで劣化したのか?』菅沼光弘


『日本はテロと戦えるか』アルベルト・フジモリ、菅沼光弘:2003年
『この国を支配/管理する者たち 諜報から見た闇の権力』中丸薫、菅沼光弘:2006年
『菅沼レポート・増補版 守るべき日本の国益』菅沼光弘:2009年
『この国のために今二人が絶対伝えたい本当のこと 闇の世界権力との最終バトル【北朝鮮編】』中丸薫、菅沼光弘:2010年
『日本最後のスパイからの遺言』菅沼光弘、須田慎一郎:2010年
『この国の権力中枢を握る者は誰か』菅沼光弘:2011年

 ・教科書問題が謝罪外交の原因
 ・アメリカの穀物輸出戦略
 ・中国の経済成長率が鈍化
 ・安倍首相辞任の真相

『日本人が知らないではすまない 金王朝の機密情報』菅沼光弘:2012年
『国家非常事態緊急会議』菅沼光弘、ベンジャミン・フルフォード、飛鳥昭雄:2012年
『この国はいつから米中の奴隷国家になったのか』菅沼光弘:2012年
『誰も教えないこの国の歴史の真実』菅沼光弘:2012年
『この世界でいま本当に起きていること』中丸薫、菅沼光弘:2013年
『神国日本VS.ワンワールド支配者』菅沼光弘、ベンジャミン・フルフォード、飛鳥昭雄
『日本を貶めた戦後重大事件の裏側』菅沼光弘:2013年

中国、7.3%成長に減速 5年半ぶり低水準/7~9月、住宅販売不振で

 中国国家統計局は21日、2014年7~9月期の国内総生産(GDP)が物価変動を除く実質で前年同期に比べ7.3%増えたと発表した。成長率は2四半期ぶりに縮小し、リーマン・ショック後の09年1~3月期(6.6%増)以来、5年半ぶりの低い水準となった。全国に広がる住宅販売の不振の余波で投資や生産が停滞した。中国の成長鈍化は世界経済を揺らすリスクとなる。

 成長率は1~3月は7.4%、4~6月が7.5%と推移し、今回7.3%に鈍った。

日本経済新聞Web刊 2014年10月21日

第3四半期の中国成長率は7.3%に減速、約6年ぶり低水準

 中国国家統計局の盛来運報道官は、第3・四半期のGDP伸び率が鈍化したことについて、構造改革や住宅市場の不振、比較となる前年同期のGDP水準が高かったことが原因と指摘したうえで、成長率はなお「妥当なレンジ内」にあるとの認識を示した。

 中国は今年の7.5%成長目標を達成できない見通し。ただ、李克強首相は、労働市場が持ちこたえている限り、成長率が目標を若干下回ることは容認するとの考えを繰り返し示している。

ロイター 2014年10月21日

 いま中国共産党が政権を維持できているのは、あるいは民衆が中国共産党を支持している唯一の理由は、経済が成長しているからです。経済の成長こそが中国共産党政権の存在理由になっている。しかも、なんとしてでも8%以上の経済成長を続けていかないと、毎年毎年出てくる新しい労働力を吸収できないのです。それでも大変な数の失業者が出ています。
 その8%の成長率を維持するために、中国はこれから拡大政策に走って、たとえば日本に戦争を仕掛け、尖閣諸島を占領して海底油田の利権を独り占めしようとするかもしれないという不安の声も高まっています。

【『この国の不都合な真実 日本はなぜここまで劣化したのか?』菅沼光弘(徳間書店、2012年)】

 読み終えたばかりでこのニュースだ。吃驚仰天(びっくりぎょうてん)した。しかも目標自体が既に8%を割っている。中国共産党首脳にも限界が見え始めているのだろう。

「中国文明は衰退の局面に入っている」と中西輝政が指摘している(『日本人として知っておきたい外交の授業』)。黄河の水が涸(か)れつつあり揚子江の水もコントロールを失いつつあるという。文明の基(もとい)となる水が失われ、グローバル経済の煽りを受けてバブルが弾ければ中国が国家分裂することは避けられないとの主張だ。

 中国は王朝国家であり、革命思想の波に洗われてきた歴史がある。民の怒りが天の声となった瞬間に暴動が起こる。

 中国が日本やフィリピンの領海を侵犯するのも8%の経済成長を維持するためと考えればわかりやすい。彼らが強気で行動すればするほど、中国内部で不満のガスが溜まっていると見てよさそうだ。

この国の不都合な真実―日本はなぜここまで劣化したのか?
菅沼 光弘
徳間書店
売り上げランキング: 402,741

2015-08-02

セイラムの魔女裁判を脚色/『クルーシブル』ニコラス・ハイトナー監督


 原作はアーサー・ミラーの戯曲『るつぼ』(1953年)で舞台公開された。映画化はジャン・ポール・サルトルが脚色した『サレムの魔女』(1958年)が嚆矢(こうし)。アーサー・ミラーはマッカーシズム(赤狩り)を批判するためにペンを執った。一種の逆プロパガンダ作品でありプロテスト(抗議)行為といってよい。

 魔女狩りの情況が巧みに描かれていて一見の価値あり。セイラム魔女裁判(1692年)はプロテスタント社会における集団ヒステリーとして捉える傾向が強い。だがそれでは魔女狩りの全体像を見渡すことは難しい。


 私は脱魔女狩りが近代化の本質であったと考えている。

何が魔女狩りを終わらせたのか?

 魔女狩りについてはあまりいい本がない。やはり欧米の自己弁明圧力が働くためだろう。森島恒雄著『魔女狩り』がアウトラインを一番よくまとめている。


 魔女狩りがわかりにくいのは背景や原因が描かれていないためだ。そのキリスト世界を俯瞰するには外部からの眼が必要になる。ところが西洋は神が頂点に君臨しているため、その【上】に視点を置くことができない。

 この映画も同様である。物語性を高めるためにジョン・プロクター(ダニエル・デイ=ルイス)と17歳のアビゲイル(ウィノナ・ライダー)が不倫をしたという設定になっているが、実際のアビゲイルは12歳であった。プロクター夫妻は不貞を働いた夫と冷酷な妻でありながらも、後半ではイエスとマリアのような役回りとなっている。かようにキリスト世界では偽善が必要とされる。

 実は先日観た『ラスト・オブ・モヒカン』でダニエル・デイ=ルイスを知ったのだが特にいい俳優とも思えない。世間の評価が高いのは役作りを懸命にしているためだろう。本作品では「チャールトン・ヘストンの二番煎じ」といった顔つきだ。尚、妻を演じるのはジョアン・アレンで、その後『ボーン・スプレマシー』(2004年)のパメラ・ランディ役を務めた女優である。


 見どころは少女たちのヒステリー症状もさることながら、判事や魔女に詳しい牧師がパニックに拍車をかけ、不安を拡大させている点にある。つまり【専門家が時代をミスリードする】のだ。教会は宗教を司り、政治にも影響を及ぼした。さしずめ現代なら政治とメディアだ。

 魔女狩りは現代でも行われている。

Thieves Burned Alive in Kenya for Stealing Potatoes(※閲覧注意、18歳以上に限る。「CONTINUE」をクリック)

 魔女狩りはキリスト世界に限ったものではない。「祟(たた)り」を信じ、恐れる人々の暴力衝動が人間に対して火を放つ。

人間は人間を拷問にかけ、火あぶりに処し、殺害してきた

 日本では16世紀から17世紀にかけて4000人のキリシタンが虐殺された(『殉教 日本人は何を信仰したか』山本博文)。キリシタン狩りを一種の魔女狩りと捉えることも可能だろう。

 1回目の縛り首にやんややんやの喝采を送っていた大衆が2回目は静まり返る。アメリカ映画の不自然な演出はプロテスタントに由来するものと考える。

 尚、ヴェノナ文書によってジョセフ・マッカーシーの主張は正しかったとされているが、ソ連のスパイが多数いた事実とマッカーシー旋風は分けて考えるべきだろう。中西輝政の指摘はやや的外れであるように私は感じる。



クルーシブル [DVD]アーサー・ミラー〈2〉るつぼ (ハヤカワ演劇文庫 15)

セーラム魔女裁判で実際に行われていた魔女を見分ける10の方法
セイラム魔女裁判―清廉潔白のグロテスク