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2021-06-29

昭和天皇に御巡幸を進言/『田中清玄自伝』田中清玄、大須賀瑞夫


『日本の秘密』副島隆彦
『ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書』石光真人
『守城の人 明治人柴五郎大将の生涯』村上兵衛
『自衛隊「影の部隊」 三島由紀夫を殺した真実の告白』山本舜勝
『消えたヤルタ密約緊急電 情報士官・小野寺信の孤独な戦い』岡部伸
『日本のいちばん長い日 決定版』半藤一利
『機関銃下の首相官邸 二・二六事件から終戦まで』迫水久恒
『昭和陸軍謀略秘史』岩畔豪雄

 ・会津戦争のその後
 ・昭和天皇に御巡幸を進言
 ・瀬島龍三を唾棄した昭和天皇
 ・田中清玄の右翼人物評

『陸軍80年 明治建軍から解体まで(皇軍の崩壊 改題)』大谷敬二郎
『軍閥 二・二六事件から敗戦まで』大谷敬二郎
『徳富蘇峰終戦後日記 『頑蘇夢物語』』徳富蘇峰

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 ――『入江日記』によれば、お会いになったのは、1945(昭和20)年12月21日ですね。

 ええ。場所は生物学御研究所の接見室で、石渡荘太郎宮内大臣、大金益次郎次官、藤田尚徳侍従長、木下道雄侍従次長、入江相政侍従、徳川義寛侍従、戸田康英侍従らがご臨席でした。大金さんは「君が思うことをお上にお話ししてくれて結構だ。君は思うことをズバズバ言う方だから、その通りにやってもらいたい」と言われた。

【『田中清玄自伝』田中清玄〈たなか・きよはる〉、インタビュー大須賀瑞夫〈おおすが・みずお〉(文藝春秋、1993年/ちくま文庫、2008年)以下同】

 これほど面白い人物はそうそういない。小室直樹池田大作を軽く凌駕していると思う。元々は瀬島龍三の部分だけ確認するつもりで読んだ。ところが一気に引きずり込まれた。大言壮語や嘘がつきまとう人物だが、それを割り引いても圧倒的な面白さがある。

 それから私は三つのことを申し上げた。一つは、
「陛下は絶対にご退位なさってはいけません。軍は陛下にお望みでない戦争を押し付けて参りました。これは歴史的事実でございます。国民はそれを陛下のご意思のように曲解しております。陛下の平和を愛し、人類を愛し、アジアを愛するお心とお姿を、国民に告げたいと思います。摂政の宮を置かれるのもいけません」
 ということ。当時、退位論が盛んでしたから、摂政の宮をおけという議論もあった。もう一つは、
「国民はいま飢えております。どうぞ皇室財産を投げ出されて、戦争の被害者になった国民をお救いください。陛下の払われた犠牲に対しては、国民は奮起して今後、何年にもわたって応えていくことと存じます」
 ということ。三つ目は、
「いま国民は復興に立ち上がっておりますが、陛下を存じ上げません。その姿を御覧になって、励ましてやって下さい」
 というものだった。

 ――それに対する昭和天皇のお答えは。

「うーん、あっ、そうか。分かった」と。そりゃあ、もう、びっくりしたような顔をされて、こっちがびっくりするぐらい大きく頷かれたなあ。その後、これを陛下はすべて御嘉納になられて、おやりになった。

 田中清玄(きよはる)が本当に日本のことを考えていたことがよくわかる。しかも自分を大きく見せようとする姿勢が微塵もない。昭和天皇の御巡幸を日本国民は伏し目がちに迎え、声の限りを尽くして万歳を叫んだ。この陛下と国民との邂逅(かいこう)が復興の転機となるのである。


 ――昭和天皇のほうからは、どんなお話があったのですか。

 次々と御下問がありました。私の出身の会津藩のことや、土建業をおこして、戦後の復興に携わっていることなど、いろいろ聞かれ、「田中、何か付け加えることはあるか」とおっしゃった。それで私は「昭和16年12月8日の開戦には、陛下は反対であったと伺っております。どうしてあの戦争をお止めにはなれなかったのですか」と伺った。一番肝心な点ですからね。そうしたら言下に、
「自分は立憲君主であって、専制君主ではない。憲法の規定もそうだ」
 と、はっきりそう言われた。それを聞いて私はびっくりした。我々は憲法を蹂躙(じゅうりん)して勝手なことをやって、俺なんか治安維持法に引っかかっている。そんなにも憲法というものは守らなければいかんものなのかと(笑)。最初は20~30分ということでしたが、結局、1時間余りですかねえ。それで僕は、お話し申し上げていて、陛下の水晶のように透き通ったお人柄と、ご聡明さに本当にうたれて、思わず「私は命に懸けて陛下並びに日本の天皇制をお守り申し上げます」とお約束しました。そうしたら、終わって出てきてから、入江さんに「あなた、大変なことを陛下にお約束されましたね」って言われたなあ。それと「我々が言えないことを本当によく言ってくれました」とね。

 これまた重要な歴史的証言である。田中の率直な問いに、陛下は率直な答えで応じている。天皇が神であるのは、一切の人間らしさを捨てて原理に生きているためなのだろう。私は「人間ではない」という意味において天皇陛下は神であると受け止めている。

2020-08-21

満洲建国と南無妙法蓮華経/『化城の昭和史 二・二六事件への道と日蓮主義者』寺内大吉


『石原莞爾 マッカーサーが一番恐れた日本人』早瀬利之

 ・満洲建国と南無妙法蓮華経

・『石原莞爾と昭和の夢 地ひらく』福田和也
・『死なう団事件 軍国主義下のカルト教団』保阪正康
・『血盟団事件 井上日召の生涯』岡村青
『日蓮主義とはなんだったのか 近代日本の思想水脈』大谷栄一

 旧満洲国時代、「爆破地点」と麗々しく記念標識を線路ぎわにかかげながら、その地点から「柳条湖」という固有名詞を抹殺し、存在もしない「柳条溝」としたことは日本名に書き替えたにひとしい。それこそ侵略である。
 こうした身勝手さが、無神経ぶりが明治人間には旋毛のようにこびりついている。徳川300年の鎖国から由来する蛮性であるか。

【『化城の昭和史 二・二六事件への道と日蓮主義者』寺内大吉〈てらうち・だいきち〉(毎日新聞社、1988年/中公文庫、1996年)以下同】

 寺内は浄土宗の坊さんである。尚且つ戦前を黒歴史と認識しているところから左翼史観に毒されていることが判る。ま、1990年代までの知識人はおしなべてこのレベルで批判するのがリベラルと錯覚していた。大東亜戦争を批判するのは一向に構わないのだが、白人帝国主義という時代背景を見落としている人物が多すぎる。

 ところがである。この記念スナップは、ただ一点で世にも不可思議な装飾を撮しだしていた。画面の右端で天井から垂れさがる達筆な七文字であった。

 ――南無妙法蓮華経

 不気味とも異妖でもある上貼りセロファン紙の説明がなければ特定の宗教結社の集会を思わせる。それにしては軍服姿が多すぎる。
「これ……何でしょうねぇ」
 改作は写真部長に指で示した。無論セロファン紙のそこに注釈、説明はなかった。
「知らんのかいな。お題目やがな」
 ことなげに言い捨てて、かえりみようともしない。
「わかってますよ、それくらいは……でもなぜ、こんなものが会場にぶら下がっているんだろう」
 建国会議のスローガンにしては面妖だし、さりとて関東軍が日常にぶら下げていたとしら、いよいよ奇怪である。
「そやなぁ、改作よ。石原参謀は熱心な法華信者やさかい、あの人が持ちこんだんとちがうかいな」
 写真部長は相変らずの無関心ぶりである。(中略)

 日中両国の共存共栄が、満蒙三千万無産大衆の楽園が、石原莞爾にあってはナショナリズムを超越した南無妙法蓮華経からみちびき出されるということになる。だからこそ国旗も軍旗も飾らない会場を染め上げtあ七文字の題目であった。
「改作よ。思い出した」
 写真部長はあわてて補足しようとする。
「何ですか」
「関東軍ハンが言うとったな。この2月16日は日蓮聖人の誕生日なんやと」
 この関東軍ハンは大連支局長のことだ。彼は石原莞爾から教えられたのであろう。
 日蓮聖人の誕生日だからお題目を会場へかかげた……いよいよその無神経さが疑われるではないか。曲がりなりにも建国会議は国際会議である。これを世界へ訴えて日本に領土的野心が絶無なことを理解してもらおうと意図もしている。
 そこへ個人の信教を持ち出して、押しつけようとする。公私混同も甚だしく、国際感覚はゼロにひとしい。


 主人公の改作は尾崎秀実〈おざき・ほつみ〉をモデルにしている(『大東亜戦争とスターリンの謀略 戦争と共産主義』三田村武夫)。ソ連のスパイに身を落とした尾崎もまた獄に囚(とら)われたのち法華経に傾倒している。改作という名前は池田大作をもじったものか。

 石原莞爾〈いしわら・かんじ〉は国柱会(立正安国会)の信徒であった。「田中智学先生に影響を受けた人々」を見ると著名人が名を連ねている。田中よりも10歳年下の牧口常三郎は創価教育学会を立ち上げたが、これほどの影響は及ぼしていない。先が見えない動乱の時代にあって指導性を発揮し得た事実を単なるカリスマ性でやり過ごすことはできない。それなりの悟性が輝いていたと考えて然るべきだろう。

 一応私が過去に読んできた書物を列挙してみたが、やはり近代史の中で捉える必要があり、日蓮系の系譜に固執すると全体が見えなくなる。石原莞爾については大変面白い人物だとは思うが、昭和天皇ですら「わからない」と判断を留保した将校だ。小室直樹は「天才」と評価しているが、偏った傾向があまり好きになれない。岩畔豪雄〈いわくろ・ひでお〉の評価あたりが正確だと思われる。

2020-01-29

ジョン・ケネス・ガルブレイスの人種差別/『中国はいかにチベットを侵略したか』マイケル・ダナム


『不可触民の父 アンベードカルの生涯』ダナンジャイ・キール
『不可触民 もうひとつのインド』山際素男

 ・ジョン・ケネス・ガルブレイスの人種差別

 しかしそこに政治が介入してきた。
 ジョン・ケネス・ガルブレイス。新任の駐インドアメリカ大使で、ケネディの最も信頼する顧問の一人であり、チベット問題に公然と反対する人物であった。数々の肩書きを持ち、明らかに無視できない相手であった。即ちハーバード大学教授にして、経済学者、作家、テレビコメンテーター、雑誌「フォーチュン」編集委員、そしてケネディ一族と親交がある、といった具合だ。さらに重要なのは、アイゼンハウアー時代に培ってきたパキスタンとの友好関係を犠牲にしてでも、インドとより友好的な関係を結ぶのがアメリカのアジア政策に欠くことのできない必須条件だとするケネディ自身の意向を彼が反映していたという点である。ガルブレイスのチベット計画への反対は、チベットに対する個人的嫌悪感にまで達していた。曰く「チベット人は不愉快で野蛮であり、恐ろしく非衛生的人種だ」とまで決めつけていた。
 ガルブレイス・インド大使は、ムスタンであろうとチベット本土であろうと、いかなる補給物資の空中投下にも反対するロビー活動を強めていた(備忘録にガルブレイスは臆面もなく、CIAのチベットへの援助を直ちに止めるよう国務省に忠告した、と書いていた。そしてケネディに対する自分の影響力で、CIAのチベット援助を最小限度に抑えるのに成功したと豪語している)。大使がアメリカの外交政策を決めていたわけではないにしろ、インドに関してはケネディの目と耳であり、ケネディを通してムスタンへの空中補給に関する生殺与奪(せいさつよだつ)の権を行使していたことになる。  ネールの中共への迎合的態度からしてインドの協力的態度を望めなかったし、彼の右腕とされる親共的国防相クリシュナ・メノンは大のアメリカ嫌いであり、アメリカCIAの意向がケネディの新しい政策に受け入れられないことをつとに読んでいた。かくしてムスタンへの空からの補給は頓挫することになった。
 そればかりでなく、キャンプ・ヘイル関係者の多くは部署替えになった。ロジャー・マッカーシーは台湾担当となり、ケネディ-ガルブレイス-ネールの“いい仲”はその後も長くつづいてチベット特別チームもお仕舞いかと噂されるまでになった。
 もちろんムスタンのゲリラはアメリカの政策転換など夢にも知らず、ただただ生き延びるこに必死であった。

 こうした危機的状況を一気に変え、ネールをして一転、親チベット派に豹変させる大事件が発生した。1962年10月22日、中共がインドを侵略したのである。

【『中国はいかにチベットを侵略したか』マイケル・ダナム:山際素男〈やまぎわ・もとお〉訳(講談社インターナショナル、2006年)】


 先ほど流れてきたニュースを紹介しよう。

米下院、チベット支援法案を可決 中国の後継者選び介入をけん制

2020年1月29日 18:50 発信地:ワシントンD.C./米国

1月29日 AFP】米下院は28日、チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ(Dalai Lama)14世(84)の後継者選びに介入する中国当局者への制裁を許可する法案を可決した。

 法案によると米政府は、政府が承認する後継者の「特定や任命」に関与したことが発覚した中国当局者に対し、米国にあるすべての資産を凍結するほか、米国への渡航を禁止するという。

 議員392人が賛成し、反対票を投じたのは共和党議員21人と保守派の無所属議員1人の計22人だった。

 法案は上院で承認される必要があり、マルコ・ルビオ(Marco Rubio)議員(共和党)が通過に向けた動きを指揮すると約束している。法案はその後、ドナルド・トランプ(Donald Trump)大統領の署名を経て成立する。

 チベットを長年支持してきた民主党のナンシー・ペロシ(Nancy Pelosi)下院議長は、法案の目的は、10年前に決裂したダライ・ラマ14世の特使団との協議を中国政府に再開させることだと説明。

 また、「チベット仏教社会がダライ・ラマ15世を含む宗教指導者選出の独占権を有するとする米国の方針を正式に制定することで、われわれはチベットの人々の信教の自由や真の自治の権利を支持している」と述べた。

 公式には「無宗教」とする中国政府は、ダライ・ラマ14世の後継者を陰で操ろうとしていることを示唆しており、政府の言いなりになるチベット仏教指導者を仕立てることを目指しているとみられる。儀式的な後継者選びでは、僧侶たちは生まれ変わりの少年を探し出す。

 中国政府は1995年、チベット仏教第2の高位者パンチェン・ラマ(Panchen Lama)の後継者を独自に選出し、後継者に認定されていた6歳の少年を拘束した。人権団体は少年が「世界最年少の政治犯」になったとして政府を非難した。(c)AFP

 ジョン・F・ケネディは民主党の下院議員でアメリカ初のカトリック大統領だった(その後もカトリック大統領はいない)。半世紀前にチベットゲリラを見捨てた民主党が今頃になってダライ・ラマを担ぐのは政治利用以外の何ものでもない。そもそもアメリカは他国の内政に干渉しすぎる。「世界の警察官ではない」のだから引っ込んでろと言いたくなるのは私だけではないだろう。

 それにしてもガルブレイスの人種差別は凄い。我々日本人がこうした白人感情を理解することは不可能だろう。精神が病んでいる。単なる容共のリップサービスとは思えない。ロモノーソフ金メダルを授与されているのもきな臭い。

 創価学会の池田大作とも親交が深く、晩年には対談『人間主義の大世紀を わが人生を飾れ』(潮出版社、2005年)を編んでいる。どちらも親中派である。

 国際的には経済的な見返りを求めてチベット、ウイグル、台湾に目をつぶってきたのが親中派である。暴力団とのつながりは規制されるが中国とは大手を振ってつながるのが法治と呼ばれる不思議な体制である。

 人種差別感情から自由になれなかった人物は偉大なる経済学者であった。人間性は下劣でも金勘定が得意であったのだろう。

2019-01-09

若き日の感動/『青春の北京 北京留学の十年』西園寺一晃


 ・中国人民の節度
 ・若き日の感動

『幣原喜重郎とその時代』岡崎久彦

「我々は口ではどんな格好のよい事も言える。しかし、問題は実践だ。君達は準備討議の時、たくさん立派な事を言った。でも実際行動はまるで正反対だ。働けば疲れる。コヤシは臭い。臭くないと言ったら嘘だ。しかし、疲れるのを嫌がったり、臭い仕事から逃げるのは思想問題だ。それに、疲れる仕事、臭い作業も誰かがやらねばならない。僕はそういう仕事こそ進んでやるべきだと思う。それを一つの鍛錬の場と思い、喜んでやるべきだ。それでこそ進歩するんだ。口でいくら進歩すると言っても、結局は実践の中で努力して、初めて実現するんだ。口先だけの革命の本質は、不革命か反革命なんだ」

【『青春の北京 北京留学の十年』西園寺一晃〈さいおんじ・かずてる〉(中央公論社、1971年)以下同】

 35年前に読んだ本である。同じ頃に本多勝一著『中国の旅』(朝日新聞社、1972年)も読んでいる。1980年代はまだ進歩的文化人が大手を振って歩いていた。知識がなければ判断力が働かない。直接会えば声や表情から真実を辿ることは可能だが、読書の場合かなり難しい。例えば相対性理論に関する間違いだらけの解説書を読んでも素人には判別しようがない。特に大東亜戦争を巡る歴史認識は専門家たちによって長く目隠しをされてきた。

 若さとは「ものに感じ入る」季節の異名であろう。10代から20代にかけてどれほど心の振幅があったかで人生の豊かさが決まる。西園寺少年が直接見聞した中国の姿に私は甚(いた)く感動した。社会主義国の高い政治意識に度肝を抜かれた。

「あの店はあなた方、外国同志達のためにあるのです。私もあの店の洋菓子がおいしいことを知っています。でも今は食べません。もう少ししたら、我々は今の困難(100年振りの大災害による食糧不足)を克服して6億人民全部がいつでも好きなだけ、おいしい菓子を食べられるようになります。そうしたら食べます。その時は、おいしい菓子が一段とおいしく感じられるでしょうから、その時までとっておきますよ」
 と言って笑った。彼はその日、中国の笑い話やことわざについて色々と話してくれ、僕達を腹の皮がよじれるほど笑わして帰っていった。しかし、彼の前に出されたシュークリームはそのまま残っていた。僕達一家4人は、同じように手をつけなかった菓子を前に、妙に白けた気持ちになった。僕は苦いものを飲み込むようにそれを食べた。少しもおいしくなかった。

 これらのテキストは当時私がノートに書き写したものだ。他にもまだある。

 西園寺一晃〈さいおんじ・かずてる〉の父・公一〈きんかず〉が尾崎秀実〈おざき・ほつみ〉(『大東亜戦争とスターリンの謀略 戦争と共産主義』三田村武夫)の協力者でゾルゲ事件に連座して公爵家廃嫡となったのを知ったのは最近のことだ。公一〈きんかず〉は西園寺公望〈さいおんじ・きんもち〉の孫である。

 公一〈きんかず〉は真正の共産主義者であった。息子の一晃〈かずてる〉が同じ道を歩むのは当然だろう。とすると本書はただのプロパガンダ本ということに落ち着く。著者は嘘つきだったのか? その通り。西園寺は「大災害による食糧不足」としているが、実際は毛沢東が行った大躍進政策が原因であった。中国人が語った「今の困難」とは5000万人の餓死を意味する。まるで秋にやってくる台風のような書きぶりだ。左翼に限らず主義主張に生きる者は都合の悪い事実に目をつぶり、自分たちに都合のよいことは過大に評価する。

 若き日の感動は長く余韻を残しながらも、情報は書き換えられて更新されてゆく。今となっては嘘つきに騙された無念よりも、嘘つきに気づいた満足感の方が大きい。尚、親中派つながりで創価学会が組織を上げて本書を購入した経緯があり、後に西園寺は『「周恩来と池田大作」の一期一会』(潮出版社、2012年)という礼賛本を書いている。

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2018-04-21

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2017-12-11

少国民世代(昭和一桁生まれ)の反動/『ゴーマニズム宣言SPECIAL 天皇論』小林よしのり


『新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論』小林よしのり
・『新ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論 2』小林よしのり
・『新ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論 3』小林よしのり

 ・少国民世代(昭和一桁生まれ)の反動
 ・天皇は祭祀王

『戦争論争戦』小林よしのり、田原総一朗
・『ゴーマニズム宣言SPECIAL パール真論』小林よしのり
『世界史で読み解く「天皇ブランド」』宇山卓栄
『〔復刻版〕初等科國史』文部省

日本の近代史を学ぶ

 ところが本土においても、戦後のマスコミや左派知識人はこう言ってきた。

 戦前の天皇は「神」として君臨していた。国民は誰もが「現人神」(あらひとがみ)と教えられ、絶対神だと思っていて、「天皇陛下」の名前が出たら直立不動だった。

 天皇の名において戦争したのだから、天皇に戦争責任がある。
 だから戦後はGHQによって「人間宣言」をさせられた。

 天皇は戦後、人間になった。(中略)

 しかしどうやら上のように言う左派知識人たちは「少国民世代」の人たちなのだと、気づいた。

「少国民」(しょうこくみん)とは、昭和16年(大東亜戦争開戦の年)に「小学校」を「国民学校」に改称したのと同時に、「学童」を改称した名称である。
 ヒトラーユーゲントで用いられた「Jungvolk」の訳語らしい。

「少国民世代」を厳密にいうならば、「国民学校に行っていた世代」つまり「大東亜戦争中に小学生だった世代」ということになる。

 田原総一朗(終戦時11歳)
 筑紫哲也(当時10歳)大江健三郎(当時10歳)
 本多勝一(当時13歳前後)
 大島渚(当時13歳)井上ひさし(当時10歳)
 石原慎太郎(当時12歳)西尾幹二(当時10歳)
 この辺が「少国民世代」である。わしの母もこの世代に入る。

 少国民世代は、戦時中は大人たちから「日本は神国だ! いざとなれば神風が吹く!」…と教えられ軍人に憧れた者が多かった。

 戦後、その同じ大人たちが豹変して、「これからは民主主義の時代です。天皇は人間です。象徴に過ぎないんです!」…と教え始めた。
 その大人たちの露骨な態度の変化を見て、国家や天皇というものに懐疑的になった者が少国民世代には多いようだ。(中略)

 実を言うと、天皇を心底「神」と思い込んでいたのは「少国民世代」だけなのだ。

【『ゴーマニズム宣言SPECIAL 天皇論』小林よしのり(小学館、2009年/平成29年 増補改訂版、2017年)】

「ゴーマニズム宣言SPECIAL」シリーズは『戦争論』で花火のように舞い上がり、『昭和天皇論』に至るまで鮮やかな色彩を空に描き、そして『新天皇論』で跡形もなく消えた。女系天皇容認を表明した『新天皇論』で小林から離れていったファンが多い。

 私が小林の漫画や著作を読んだのは最近のことで、よもやこれほどのスピードで転落するとは予想だにしなかった。元々自分自身を美化する小林の画風が好きになれなかった。甲高い声も耳障りだ。公の場で「わし」という言葉遣いも大人とは言い難い。それでも一定の敬意を抱いたのは早くから慰安婦捏造問題に取り組むなど、期せずしてオピニオンリーダーの役割を果たしてきたように思えたからだ。その姿は文字通り孤軍奮闘であった。

 一時期小林と親(ちか)しかった有本香は「先生」と小林を呼んでいた。かつてはそれほどの見識を持っていた。そして有本も小林の元から去っていった。

「昭和一桁生まれが戦争を知っていると語るのは誤りだ」という指摘は少なからず他にもある。だが「少国民世代」と名づけたのは卓抜なセンスだ。

 終戦後、「神も仏もあるものか」という言葉が人口に膾炙(かいしゃ)した。その一方で精神の空隙(くうげき)を埋めるべく雨後の筍(たけのこ)みたいに現れた新興宗教に日本人は飛びついた。これまた「反動」と言ってよい。大半の知識人が左傾化したのも同じ現象であろう。

 日本は戦争に敗れたもののまだ亡んではいなかった。だが国体を見失って経済一辺倒に走り出した時、この国は国家であることをやめたのだろう。敗戦から半世紀以上に渡って「愛国心」という言葉はタブーとされた。

 昭和一桁世代には不破哲三(昭和5年生まれ)や池田大作(昭和3年生まれ)もいる。戦後、大衆を糾合し得た共産党と創価学会のリーダーがこの世代であるのも興味深い。

2017-08-06

創価学会というフィクション/『小説 聖教新聞 内部告発実録ノベル』グループS


『カルト村で生まれました。』高田かや
『洗脳の楽園 ヤマギシ会という悲劇』米本和広
『カルトの子 心を盗まれた家族』米本和広
『ドアの向こうのカルト 九歳から三五歳まで過ごしたエホバの証人の記録』佐藤典雅
『杉田』杉田かおる

 ・創価学会というフィクション

『乱脈経理 創価学会 VS. 国税庁の暗闘ドキュメント』矢野絢也
『創価学会秘史』高橋篤史

 学会本部とともに、この“学会村”の中核をなす聖教ビルの最上階7階が、聖教新聞社社主でもある沼田太作専用の“貴賓室”として生まれ変わったのは、58年8月のことだった。
『本社では、来客用の部屋が古くなったため、改装工事を進めていたが、このほど新装なり、この日、社主である名誉会長も、その模様を視察した』
 当時の聖教新聞紙上には、“貴賓室”についてたったこれだけの記事でしか触れられていない。だからこれを読んだ一般の学会員は、応接間をちょっと改装した、という程度にしか思わなかったことだろう。
 しかし、実際には、ビル中央のエレベーターホールの東側にあった記念館をとりこわし、それまでの沼田の執務室とあわせて、7階の全フロア約300坪を沼田太作専用フロアに改装するための工事に、半年間も費やしたのである。
 わざわざイタリアから取り寄せて、壁一面に張りめぐらした大理石は、重厚な光沢をたたえている。
 欧風の執務室と大会議室には、壮大なシャンデリア。フロア全体には、思わず体が沈みこんでしまうような感触をおぼえる、ぶ厚いペルシャ製のシャギーとジュウタンがしきつめられている。
 特注のテーブル、椅子、サイドボード、記帳台……すべてが“一流”好みの沼田の趣向によるものばかりだ。
 記帳台ひとつとってみても、皇居で天皇がお使いになっているものを「はるかにしのぐもの」というふれこみの、1000万円もしたという高価なものだ。
 それだけではない。南側に面した執務室の隣と北西の角部屋には、白木をふんだんに使った最高級の和室になっていて、大きな掘りごたつも作られ、沼田がゆっくりとくつろぐための部屋になっている。
 空調設備も、7階だけはビル本体と切り離して、沼田の体質にあわせて操作できるように作り変えられていた。
 当初、この改装工事の見積もりは7億1600万円だったが、沼田好みの贅(ぜい)をつくすうちに、追加追加で2億円もオーバーし、たった1フロアを沼田専用に改装するために、総額9億円もの費用が投じられたのである。

【『小説 聖教新聞 内部告発実録ノベル』グループS(サンケイ出版、1984年)以下同】

 意外と知られていない書籍である。私も偶然知った。池田大作が沼田太作という仮名になっているが、登場人物の殆どがこんな調子で実名を少し変えただけの名前となっている。

「坊主丸儲け」とはよく言ったもので、税制を優遇されている宗教法人が贅沢(ぜいたく)三昧をするならば国民は課税を望むに違いない。創価学会員は真面目な人が多い。彼らが爪に火を灯すように蓄えてきたお金を喜捨し、教団トップが湯水のように散財する。まるで資本主義を絵に描いたような構図である。


 聖教新聞社に勤務する中堅幹部複数名が内部告発した体裁となっているがもちろん正体は不明だ。ただし詳細に渡る内部情報を鑑みると極めて妥当性が高い。他の関連本に引用されていないのが不思議なほどである。例えば上記テキストでも天皇に「陛下」という敬称を付けていないところがいかにも学会員らしい(笑)。

 沼田の原稿は、ふつう、下書きを専門にしている文書課の者が元になる原稿を書く。それを第一庶務(沼田の秘書室)を通して沼田に提出するのである。
 聖教新聞に随時連載している『忘れ得ぬ同志』をはじめ、月刊誌『潮』などに掲載される沼田の原稿は、その大半が文書課所属の編集メンバーの手によるものだ。
 沼田の原稿を代作する編集メンバーには、聖教新聞社別館の4階にある専用室が与えられている。専用室には、沼田がこれまでに“書いた”著作類がそろえられており、歳時記などの参考文献がズラリとならんでいる。すぐ下の2階、3階は聖教新聞の資料室だ。編集メンバーは必要に応じて、資料室から資料をふんだんに持ち出し、これまでの沼田の著作物との間に、内容や文体上、矛盾や違和感がないように心をくばりながら、執筆に当たるのである。
 こうして元原稿ができあがる。
 原稿の内容が核軍縮問題など、国際政治への提言といったようなものであった場合は、論説委員長の松原正がアンカー役としてチェック、そのうえで第一庶務に渡すのである。日常的な学会内部に関する原稿の場合は、編集局長の佐川祐介がアンカーを務めている。

 ゴーストライターの実態については更に詳しく述べられている。

 沼田の一般的な文章は、聖教新聞の文書課のメンバーがすべて代筆していたが、思想的なものや教学に関するものなどは、彼ら教学畑の人間たちがそのほとんどを代筆していた。
 昭和45年に沼田が出した『私の人生観』は、全文桐谷康夫の書き下ろしだったし、50年発刊の『法華経を語る』は、原山直と野川弘元と沼田の対話集という形になっているが、実際は、そのほとんどを野川が書いたものだ。そのくせ本の著作者は沼田一人だけになっている。
 また、沼田がこれまで自分の勲章のように自慢してきた、トインビー博士との対話集『二十一世紀への対話』も、実は沼田自身はまったくタッチしていないのと同じだった。
 沼田は47年にトインビー博士とたしかに対面はしたのだが、そこで出た話はほんのあいさつ程度。ところが、沼田としてはとにかく実際に合ったという事実をなんとか利用して、自分のステイタスを高めるPRのために使いたいと思い、桐谷に「対話集を作れ」と命じたのだった。
 しかし、トインビー博士と沼田太作の間には、つっこんだ“対話”など実際には行われてはいない。そこで桐谷は、長文の書簡をトインビー博士との間で交わし、それを対談形式にまとめあげたのである。
 もちろん桐谷とて、一人で世界有数の知性であるトインビー博士と“対等”に渡りあえるわけがない。実際には、これもまた野川と現在SGI(創価学会インターナショナル)グラフの編集長をしている麻生孝也、それに聖教新聞社会部長の吉田雄哉らが学会本部3階の一室に1年以上も閉じこもり、ぼう大な数の本や資料を参考にしながら書いたものを、桐谷がまとめて書簡という形にしたのだった。

 実際に池田が書いているのは句歌の類いのみという。こうなると大川隆法の霊言を嘲笑うわけにはいかない。過去にもゴーストライター説はあったが推測や風説でしかなかった。ここまで具体的に言及した例はない。尚、『二十一世紀への対話』は池田の代表的な著作でかつて東北のローカル紙が一面コラムで絶賛したこともある。

 一読して伝わってくる雰囲気は昭和期の創価学会が池田崇拝主義に陥っていない事実である。職員の間では平然と池田批判がまかり通っていた。ところが1979年(昭和54年)に会長を勇退した池田は、平成に入り日蓮正宗との抗争をテコに再び権力を手中にした。

 学会本部の中枢にいる幹部は当然こうした事実を知っていることだろう。とすると偽りの姿に目をつぶってもついてゆきたいほどの人間的な魅力があるか、あるいは何らかの見返りがあるのだろう。かつて諫言したことのある人物は元教学部長の原島嵩〈はらしま・たかし〉ただ一人である。

 創価学会が毎年財務で集める金額は2000~3000億円で総資産は10兆円に上る。学会員の経済的負担は1970年代後半から増大し始めた。書籍の購入や聖教新聞の多部数購読も目に余る。かつて「拝み屋」と呼ばれた学会員は現在、「選挙屋」「新聞屋」に変貌してしまった。

 創価学会というフィクションにはまだ力がある。しかしながらかつて「宗教革命」を標榜して世直しに挑んだ情熱は翳(かげ)りを帯びている。

小説 聖教新聞―内部告発実録ノベル
グループS
サンケイ出版
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2017-08-05

池田大作の実像/『杉田』杉田かおる


『幸福の科学との訣別 私の父は大川隆法だった』宏洋
『カルト村で生まれました。』高田かや
『洗脳の楽園 ヤマギシ会という悲劇』米本和広
『カルトの子 心を盗まれた家族』米本和広
『ドアの向こうのカルト 九歳から三五歳まで過ごしたエホバの証人の記録』佐藤典雅

 ・池田大作の実像

『小説 聖教新聞 内部告発実録ノベル』グループS
『乱脈経理 創価学会 VS. 国税庁の暗闘ドキュメント』矢野絢也

『月の砂漠』(ママ/正しくは『月の沙漠』)以来、身近で接することはあったが、いつも緊張していて、わたしは一言も話すことができなかった。そもそもこちらから声をかけるなど、とんでもなく畏れ多いこと、彼こそは雲の上の人であった。
 食事が始まった。その席上、最高指導者が、「男はうそつきだから気をつけろ」とか「先々代の最高指導者は金儲けが下手だった」とか、あまりにも俗っぽい話題を出すので、わたしは自分の耳を疑った。何かの間違いだろうとまで思った。
 が、そんな疑問など吹っ飛ぶような出来事が続いて起こった。デザートにメロンが出たのである。一皿に半月形に切ったメロンが載っていた。なんの変哲(へんてつ)もないメロンだと思って見ていた。すると、最高指導者がいった。
「このメロンは天皇陛下と私しか食べられない」
 はあ? という目でわたしはメロンを見た。そんなに貴重なメロンなんだ。と、彼はそのメロンをひとさじすくいとって口に含んだ。そして、「みんなにも食べさせてあげたい」といった。わたしは、同じメロンがみんなの前にも出てくるものと期待し、貴重なメロンをみんなと分かち合おういう彼の思いやりに心が動かされた。
 ところが、彼はその食べかけのメロンを隣の席の人に渡した。うやうやしく受け取った人は、同じスプーンで同じようにすくって口に入れた。そしてまた隣の人へ。スプーンをしゃぶるようにする中年の幹部もいた。
 悪夢のようだった。最高指導者にすれば、善意かもしれないが、わたしにはただ気持ち悪さが背筋を走った。その順番がわたしにも近づいてくる。どうしよう、どうしよう。動揺が顔に出てしまったらしい。隣の女性がわたしを睨(にら)みつけた。そうこうするうちに、ついにわたしのところへ恐怖のメロンが来た。もうほとんど食べつくされて、更には果汁がどろんとよどんでいた。
 わたしは覚悟を決めて、皮に近いところを少しだけすくった。ところが、スプーンがすべって、ほんのすこしのつもりが、結構な量がすくえてしまった。うまくいかないものだ。周囲は注目している。わたしは目をつぶって、味わわないように素早く飲み込んだ。
 お下げ渡しと称して、こんなばかげた不潔なことをさせるのが、最高指導者なのか。わたしの中で少しずつ不信感が芽生えていく。

【『杉田』杉田かおる(小学館、2005年)】

 過去に「『月の砂漠』(ママ)を歌いなさい」「ヘタクソだねえ。もう一度歌いなさい」というやり取りがあった。池田大作に心酔していた杉田は「それでも嬉しかった」と振り返る。

 私の世代だと杉田かおるはチー坊役で知られる。


 その後『3年B組金八先生』、『池中玄太80キロ』とキャリアを積み上げ、歌(「鳥の詩」)もヒットした。ヘアヌード写真集でも話題をさらった。2000年からはバラエティ番組にもよく登場した。傍(はた)から見ると順風満帆の人生だが実生活は異なっていた。

 ネット上では創価学会告発本として取り上げられることが多い著作だが驚くほど面白かった。詐欺を繰り返す父親との愛憎、精神を病んだ母親との確執。創価学会で一級の活動家となったものの、池田大作の実像に幻滅し脱会するに至る。そして24時間100kmマラソンでは奇しくも「自分の過去そのもの」と言ってよいコースを走る。

 誤読しやすいと思われるが創価学会批判に目的があるわけではなく、ただ忠実に自らの体験を書いている。『杉田』とのタイトルは父親の姓で既に戸籍も変えたという。中年に差し掛かった女性が過去への訣別を綴る。あけすけ過ぎてやや病的に思えるほどだが嘘の臭いはない。結婚という幸せに向かって本書は結ばれているがその後破局している。

 日蓮の遺文に「一代の肝心は法華経、法華経の修行の肝心は不軽品にて候なり。不軽菩薩の人を敬ひしはいかなる事ぞ。教主釈尊の出世の本懐は人の振る舞ひにて候けるぞ。穴賢穴賢。賢きを人と云ひ、はかなきを畜といふ」(「崇峻天皇御書」建治3(1277)年9月11日、真蹟曽存)とある。食べかけのメロンを下げ渡す振る舞いに「賢さ」はない。

 佐藤典雅著『ドアの向こうのカルト 九歳から三五歳まで過ごしたエホバの証人の記録』と併読すれば直ちにわかるが、姿勢としては杉田かおるの方が上だ。佐藤は被害者の立場に甘んじているが、杉田は自分の選択に責任を持っている。

 しかしながら、やはりエホバ信者には佐藤本が受け入れらないだろうし、創価学会員なら杉田本を拒絶することだろう。信仰は事実を歪める。もしも事実を認めれば別のフィクション(物語)が必要となる。

 尚、別の書籍によれば池田は北條浩第四代会長に対し、唐辛子で真っ赤にした蕎麦を「食べよ」と命じたエピソードもある。弟子の忠誠心を試すのは疑心暗鬼によるものか。

 それでも尚、数百万人もの信者が池田を敬愛している事実を軽んじてはならないだろう。創価学会が日本最大のマンモス教団となり得たのは「下位集団の社会化」に成功したためであろう。

2017-05-19

侠気と詭弁/『仮面を剥ぐ 文闘への招待』竹中労


『折伏 創価学会の思想と行動』鶴見俊輔、森秀人、柳田邦夫、しまねきよし

 ・侠気と詭弁
 ・夢野京太郎とは

『篦棒(ベラボー)な人々 戦後サブカルチャー偉人伝』竹熊健太郎

「自由な言論」はゆきつくところ、もの書く場を失っていく。

【『仮面を剥ぐ 文闘への招待』竹中労〈たけなか・ろう〉(幸洋出版、1983年)】

 コアなファンが多い竹中労だが元新左翼であることが見逃せない。左翼は元々暴力革命を標榜しているが、その既成左翼を批判し急進的な革命を目指すのが新左翼である。21世紀であれば立派なテロリストとして認定できる。その竹中が創価学会にエールを送る。創価学会が言論出版妨害事件(1960年代末-1970年代)や宮本顕治宅盗聴事件(1970年)を起こし、日蓮正宗宗門との紛争によって池田大作が会長辞任(1979年)に追い込まれた後のこと。創共協定(1974年)が事実上頓挫しこととも関係があるのかもしれない。

 竹中はその後『聞書・庶民烈伝 牧口常三郎とその時代』(全4冊、潮出版社、1983〜1987年)を月刊誌『潮』で連載するが、編集部の方針と相容れず中途半端な形で終わってしまった。

 読んでから10年近く経過しているためテキストを見ても文脈が思い出せない。どんどん紹介してしまおう。

 一方的な敵意をエスカレートさせるのみで、問題の本質に迫る論争が不在であるこのような力関係で、“勝敗”をきめるのは結局、物量の差でしかあるまい。
 ――「言論の自由」は、多数派工作で獲得される。それが、民主主義である。世論によって人々は判断し、善と悪とを弁別する。だが、その世論をつくるのはマス・コミュニケーション、大衆操作の力学である。圧殺されるマイノリティ、「自由な言論」は、ついに抵抗の手段を持たないのだ。

 更にこう続ける。

 中立公正を守ろうとすれば、そうした客観主義にジャーナリズムは純化していく。【そこに陥穽がある】。言論・思想の統制は、強権によるものとは限らない。言論と言論・思想と思想とが火花を散らして闘い、黒白を争うことを“表現の自由”というのだ。事実に是(これ)を求めて(実事求是)、主張を読者大衆に問うのが、ジャーナリズムの仕事(使命などとあえて言うまい)である。論理を失った感情のせめぎあい、根拠を持たぬ醜聞の氾【乱】と等しく、死灰のような自主規制は報道の頽廃である。

 旧ブログ(はてなダイアリー)に抜き書きをアップしていたのだが、『折伏 創価学会の思想と行動』との関連を考慮してこちらに移動した次第である。

 今読むともっともらしい詭弁に思える。また当時はインターネットがなかったことを考慮する必要があるだろう。1980年代には週刊誌が執拗に創価学会バッシングを繰り返していた。竹中の侠気(おとこぎ)は称賛に値するが、政党を有する750万世帯のマンモス教団を「マイノリティ」と同列に扱うのは無理がある。

 1980年代から90年代にかけての創価学会を巡る言論については以下のページが詳しい。

創価学会のこと(「創価学会批判」論序章)1

 時折、ジャーナリストが自虐的に売文業と自称することがある。新聞といえども商業ジャーナリズムであり、テキストは広告や金銭と交換される商品となったのが現実である。ゆえにジャーナリストは「書きたいこと」と「売れる商品」の間で揺れ、自分なりの折り合いをつけるしかない。

 ま、「ジャーナリズムは既に死んだ」と言っても差し支えないだろう。小さな範囲で取材をして、でかい顔をするのが連中の生態だ。

2017-05-17

大衆運動という接点/『折伏 創価学会の思想と行動』鶴見俊輔、森秀人、柳田邦夫、しまねきよし


『巷の神々』(『石原愼太郎の思想と行為 5 新宗教の黎明』)石原慎太郎
『対話 人間の原点』小谷喜美、石原慎太郎

 ・恵まれた地位につく者すべてに定数がある
 ・大衆運動という接点

『仮面を剥ぐ 文闘への招待』竹中労
『黒い手帖 創価学会「日本占領計画」の全記録』矢野絢也
『「黒い手帖」裁判全記録』矢野絢也
『乱脈経理 創価学会 VS. 国税庁の暗闘ドキュメント』矢野絢也

 学会の用いる折伏は、単なる説得ではない。一個の人格を社会的、経済的、心理的諸要素、それも主として弱点から攻撃し、批判し、いわば逆さにふって血も出ないところまで追いつめる激しさと執拗さをもっている。背後には確固とした対話の技術を準備している。
 このことは、伝統的に対話の習慣に馴れていない、“ものいわぬ”日本の民衆を、驚愕させ、呆れさせ、果ては反発させる。人生の途上に現れた異質の体験なのだ。(柳田邦夫)

【『折伏 創価学会の思想と行動』鶴見俊輔、森秀人、柳田邦夫、しまねきよし(産報ノンフィクション、1963年4月15日)以下同】

 古い書籍で――因みに私が生まれる3ヶ月前に刊行されている――創価学会員ですら読んでいる者が少ない。少し前まで入手困難であったため地元図書館にリクエストを申請し取り寄せてもらった。

 書き手の中心にいる鶴見俊輔(1922-2015年)は谷沢永一が「『ソ連はすべて善、日本はすべて悪』の扇動者(デマゴーグ)」と批判した(『悪魔の思想 「進歩的文化人」という名の国賊12人』)進歩的文化人の一人だ。

「鶴見氏は一九三七年に、一五歳でアメリカに留学して都留氏に出会って以来、『世界史の中の日本の動きについて、この七○年、時代の区切り目ごとに、私は都留重人から示唆を得てきた』」(季刊誌『考える人』二○○六年夏号)との文章を今見つけた。都留重人(1912-2006年)の妻は木戸幸一(1889-1977年)の姪(めい)で、木戸の戦争責任を回避するために暗躍したマルクス主義者である。

伊原吉之助教授の読書室:木戸幸一の保身

 上記論文で挙げられた書籍を私は一通り読んだ。確証を欠くのは確かだが状況証拠は揃っているように思われる。

 日本の近代史が今尚モヤモヤとしているのは左翼が果たした役割がまだ明らかになっていないためだ。GHQ内部の左翼は大半がニューディーラーであった。そもそもフランクリン・ルーズベルト(1882-1945年)大統領がソ連建国にエールを送り、スターリン(1878-1953年)と親しい間柄であった。ルーズベルトの周辺はコミンテルンのスパイだらけで、日本を戦争に追い込んだハル・ノートを起草したハリー・デクスター・ホワイト(1892-1948年)もその一人である。第二次世界大戦は左翼スパイが世界各国で暗躍した事実を忘れてはならない。

ルーズベルトの周辺には500人に及ぶ共産党員とシンパがいた/『日本の敵 グローバリズムの正体』渡部昇一、馬渕睦夫

 一方、創価学会は元々保守主義・民族主義的色彩が強かった。


 牧口常三郎(初代会長/1871-1944年)と戸田城聖(二代会長/1900-1958年)は大日本皇道立教会(1911年創立)に参加している。上の画像の後列左端が牧口で、後列の右から二人目が児玉誉士夫(1911-1984年)である。創価学会は戦時中に治安維持法と不敬罪で弾圧されたが、決して反天皇制というわけではなく学会員の行き過ぎた折伏が招いた結果であった。

 ところが池田大作(三代会長/1928-)の時代になると左方向に大きく旋回した。平和主義・国際主義を前面に打ち出し、共産主義と全く同じ手法で組織拡張に成功した。池田は卓越したオルガナイザーであった。

グローバリズムと共産主義は同根/『国難の正体 世界最終戦争へのカウントダウン』馬渕睦夫

 本書刊行が1963年で、松本清張(1909-1992年)の仲介による創共協定(日本共産党と創価学会との合意についての協定)が結ばれるのは1974年のこと。松本清張は偶然の産物としているが、とてもそうは思えない。

 わたしはあるチンドン屋の娘を知っている。チンドン屋夫婦の子として生れ育ったかの女には大きな劣等感が渦巻いていた。頭もいいほうではない。学校にも行けなかった。貧困が家庭を破壊していたのだ。くわえてかの女は弱身で蓄膿症をはじめいくつかの病気をかかえていた。わたしはそんなかの女と、ときおりあう。かの女は女中のごとく家の中のこまごまとした仕事やチンドン屋仲間の飯づくりに多忙であったが、映画や小説が好きで暇さえあれば楽しんでいた。
 わたしがそういう映画の感想をきいても、批評はおろか感想もいえなかった。ただ読み観るというだけの話だった。強い意見があるわけでもないかの女にはそれが、他のふつうのひとたちと同様、とうぜんのことであった。
 しばらくわたしはかの女と会わないでいた。わたしはかの女の存在を忘却していた。ふつうの、平凡な、ありきたりの娘だったので、軽い同情があっても、忘れるのがあたりまえだ。ところがしばらく会わないでいると、かの女のほうから訪ねてきた。顔がいきいきとしている。さては、恋人でもできて劣等感から解放されたのかな、と思った。映画の帰りだという。そうしてペラペラと、その映画の批評をする。わたしはあっけにとられる思いでかの女をみつめた。かの女は、その映画の主人公の生き方を痛罵しているのである。わたしは愉快になって、ひとつふたつ反問すると、まえにはわたしの説明を素直にきいた娘なのにむきになって、反論して、自説を固く守る。それでいて、つっけんどんな調子はまったくなく、柔軟な口調である。わたしはますます驚いた。劣等感で口もきけなかったあの娘が、いま面前で、にこやかに微笑してい、自信をもって、映画批評をしている。ひらかれた瞳は、まっすぐにわたしの眼に注がれ、まばたきもしないのだ。
 かの女は、やがて平和であるとか、ふつうの日本人のまず口にしない言葉を平気で使いだした。使命というようなききなれぬ言葉も使った。そのときはそれでかの女は去っていった。わたしは間もなく、かの女が創価学会にすでに入会している信者であることを知った。入会前のかの女と、入会後のかの女の、その見事な変貌ぶりに、わたしはあらためて創価学会のちからを知った。まさにかの女は、ふつうの人から、信念の人に、かわったのである。
 自殺でもしなければよいが、とわたしは思っていた。そんなかの女が、見事に、自分を回復したのである。あの暗い、蔭のような存在であった日本の娘が、平和を説き、仏法を説くのである。わたしには仏法のことなど、どうでもいい、一人の日本の娘が、自分でちゃんと大地に立った、という事実が感動をあたえるのだ。(森秀人)

 これが「人間革命」の姿である。1960年代という時代背景を思えば左翼のオルグ活動と創価学会の折伏がぶつかることは珍しくなかったに違いない。例えば石牟礼道子のこんな証言がある。

石牟礼●国も行政も地域社会も担いませんから、全部引き受け直して自覚的になって、もうゆるす境地になられました。未曽有な体験をなさいましたが、もう恨まず、ゆるす。ゆるさないとおもうと、きつい。もうきつい。いっそう担い直す。人間の罪をみなすべて引き受ける。こう言われるようになったのです。これは大変なことなのです。今まで水俣にいて考えるかぎり、宗教も力を持ちませんでした。創価学会のほかは、患者さんに係わることができなかった。

【『石牟礼道子対談集 魂の言葉を紡ぐ』石牟礼道子〈いしむれ・みちこ〉(河出書房新社、2000年)】

 水俣病は1952年から1960年代にかけて被害者を出した公害病である。石牟礼は心情左翼あるいは同調者である。デビュー作『苦海浄土 わが水俣病』(講談社、1969年)が傑作であることは確かだが、石牟礼は後にフィクションを盛り込んでいることを白状している。「必読書」に入れてないのもそのためだ。チッソ株式会社が当時の法律を遵守していた事実を見失ってはならない。

 創価学会はその進軍の度合いにおいて既に左翼を凌駕していた。学会員も貧病争を克服するために必死であったのだろう。だが単なるご利益信仰ではなく、教学を通した人材育成が強靭な組織を築き上げた。左翼が親近感を抱いたのは大衆運動という接点によるものだ。

 邪教であろうとなんであろうと、創価学会のいうとおり信心すれば人間とその社会が幸福になるものならば、それはいいことだ。商人の口車にのって買った品物がよいものならばそれはそれでいい。そうして、現実に、創価学会に入って自信をもち、明るく、幸福そうになった多くの人間がいるのである。すくなくとも創価学会は、自殺王国の日本にあって、自殺者の数をできるかぎりすくなくした第一の団体であることに間違いはない。学会がファシズムにおもむくことを恐れるまえに、われわれは、われわれの喪失した人間の原理について、もう一度ふかく反省しなければならない。果してわれわれは、あの信者たち以上に生きているのであろうか。あの信者たちのように自信をもって、感動し、欲求し、行動しているのであろうか。人間としてどちらが、解放されているのであろうか。戸田城聖ではないが、勝負してみなければならぬだろう。そうして負けたと思ったら一度は創価学会に入るべきである。負けぬと思った者は、自分の考える〈創価学会〉を創るべきである。どちらでもない者は、黙って沈黙していればいい。それが自然の掟なのである。(森秀人)

 こういう視点が侮れない。知性とは事実をありのままに見つめることだ。激しい折伏は世間から反発を買い、創価学会は白い目で見られていた。実際の姿を見たとしても簡単に先入観を払拭できるものではない。学生運動は血なまぐさい暴力闘争に向かうが、創価学会には確かな明るさがあった。これほどの理解を示すところに左翼の懐の深さを感じる。

 なぜ日蓮宗(※北一輝、石原莞爾、宮沢賢治、妹尾義郎、立正佼成会、創価学会、日本山妙法寺など)だけが近代日本において、思想としての活力を保ち得たのか。その答えは、ほかの仏教諸流派とちがって、日蓮宗が、外国人であるシャカから日本人である日蓮に、崇拝の対象を移し、日本の問題を宗教的関心の中心にすえたことにある。日本をどうやって救うか、それが宗教としてのもっとも重要な問題とされた。正しい方向から政府がそれた時には、政府をいさめ正さなければならぬ。国家をいさめ正すことを宗教者の任務とし、そのことに命をかけたところに、日蓮の本領があった。そしてこれは、近代の市民の政治的権利の自覚ときわめて近しいものなのだ。(鶴見俊輔)

 私は「市民」という言葉を見掛けたら眉に唾をつけることにしている。鶴見の文章は典型的なプロパガンダで日蓮を左翼的視線で眺めているだけのことだ。森秀人の率直さが鶴見にはない。

 その後、創価学会が作った公明党が先導して日中国交回復(1972年)が実現する。池田大作の民間外交は緊張関係にあったソ連と中国をも融和させた。日本共産党がやりたくても出来なかったことを果たしたのだ。一方的な礼賛でもなく、浅はかな誹謗中傷でもなく、きちんとした評価と批判を行うべきだろう。

折伏―創価学会の思想と行動 (1963年) (産報ノンフィクション)
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レッドからグリーンへ/『環境と文明の世界史 人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ』石弘之、安田喜憲、湯浅赳男

2017-05-16

戦後に広まった新興宗教の秀逸なルポ/『巷の神々』(『石原愼太郎の思想と行為 5 新宗教の黎明』)石原慎太郎


『飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ 若き医師が死の直前まで綴った愛の手記』井村和清

 ・戦後に広まった新興宗教の秀逸なルポ

『対話 人間の原点』小谷喜美、石原慎太郎
『折伏 創価学会の思想と行動』鶴見俊輔、森秀人、柳田邦夫、しまねきよし
『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』内山節
『ローリング・サンダー メディスン・パワーの探究』ダグ・ボイド

悟りとは
宗教とは何か?

 私は昨年の暮、弁天宗(※辯天宗)教団の感謝祭に宗祖に面会し、長時間話を聞いたが、その時、家族に連れられて5~6歳の女の子供が来ていた。
 宗祖は談話の内に、その子供を指し、
「あの子供の話をしましょうか」
 と言って、宗祖とその彼女の期せぬ巡(めぐ)り合いについて話してくれた。
 昨年のある日、宗祖が東京支部の行事のために上京し、それをすませて大阪に帰るために東京駅から新幹線に乗ろうとした時、丁度、団体客か何かで混み合っていた八重洲側の中央改札口にさしかかった。
 見ると、母親連れの5~6歳の女の子が、人波にもまれてはずみで親と手が離れ、親の方は先に改札をすませて中へ入ってしまったが、子供のほうはまだ外にとりのこされている。
 親は内側で、「早くおいで」と招いて待ち、子供は親のいるところへいこうと改札口を入ろうとするが、混み合った大人の人波に入り切れず、二、三度入り口に近づいてははじき出される。
 それを見ていた宗祖が、子供に近づき、
「小母ちゃんと一緒にいきましょうね」
 とその手をとった。
 子供は言われるまま、こっくりして、その手を見知らぬ、優しそうな小母さんに預けた。
 そのまま少女は手を曳かれて無事に改札口を入った。
 待っていた母親が宗祖に礼を言ったが、相手が荷物を持っているので、
「ついでにこのまま上までお連れしますよ。お嬢ちゃん、小母ちゃんと一緒にいこうね」
 と、恐縮する母親の前で手をとり直して、そのまま上のプラットホームまで上った。
 手をつないで階段を上り切り、列車の前まで来て、
「それじゃここでさようなら。はい、いい子でね」
 と子供に言って頷(うなず)き、その手を離した。
 子供はこっくりと頷くと、宗祖の見ている前で踵(きびす)を返し、側で待っていた母親のところへ
「アキ子、あの小母ちゃんに、手を曳いてもろうた」
 言って駈け戻った。
 とたん、母親は仰天して腰を抜かした。
 その筈である。その少女は、生まれてから6年この方、薬石効なく、どう尽しても直(ママ)らなかった、生れながらの唖(おし)だったのだ。
 母親は、娘の手を曳いてくれた人が誰であるかを質し、その場で信者になったと言う。天王寺の下駄屋の母娘の実話である。

【『巷の神々』石原慎太郎(サンケイ新聞出版局、1967年/産経新聞出版、2013年『石原愼太郎の思想と行為 5 新宗教の黎明』)以下同】

 驚愕した。石原慎太郎といえば功罪の相半ばする政治家であるが教養人としても知られる。それにしても34歳前後で日本の新興宗教をここまで俯瞰できる能力は並大抵の代物ではない。しかも文学者でありながら科学的懐疑の精神で検証し、各教団の教祖とも実際に会って話をしている。注目すべきは創価学会に関する記述で、その近代的な組織のあり方や政治進出を積極的に評価している。石原が後に「悪しき天才、巨大な俗物」(『週刊文春』平成11年3月25日号)と池田大作を評したことを思えば隔世の感がある。ほんのわずかな誤謬は見受けられるが、全体的に記述は正確で独創性もある。まだ学生運動が激しい中で戦前戦後の新興宗教に目をつけたのは卓見といってよい。それぞれの教祖の神通力も日本的なアニミズム(先祖崇拝)を探る上で大変参考になった。「宗教とは何か?」「悟りとは」に追加。長らく絶版で古書価格も数千円から1万円という高値がついていたが産経新聞出版から再刊された。旧版は9ポイントほどの活字で上下二段450ページの分量である。(読書日記より)

「悟りとは」に入れたのはわけがある。それは新興宗教の教祖は一様に神懸(がか)りともいうべき体験をしており特異なためだ。敢えて「統合失調症タイプ」(『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ)と極言してもいいだろう。卑弥呼の延長線上に位置している。


 私が親だったとしても信者になるのは確実だ(笑)。奇蹟には逆らえない。宗教の基本は「病気を治す」ところにある。これがない宗教は絶対に広まらない。教祖と呼ばれる人々は必ず何らかの奇蹟を起こしていると考えてよい。奇蹟は瞬間的に死の不安を解消する。神通力とは言い得て妙だ。

 栄える宗教には、それなりの魅力があり、その指導者には人間の現実に及ぼす力がある。それはただうらやんでも、自らにそなわるものではない。その魅力その力が何故自らにはないか、と言うことを多くの坊主どもは知るべきだ。それは彼らが信奉する教えが、現代では古くなった、と言うことでは決してない。
 卑俗なたとえだが、人間と宗教との最初の結びつきは、蟻と砂糖のようなものだ。蟻は己の味覚触感で敏感に塩と砂糖をより分け、砂糖にしかたからない。
 人間でも、味の良い店と悪い店をより分け、旨(うま)い店は繁昌する。信徒も人間であり、人間は現金なものだ。
 人間は現実にいろいろな不幸を持つ。転んだり金を喪くしたり、病気したり。しかし転んで痛い膝はさすれば直(ママ)るし、喪くした金は、稼げばとり戻せる。
 しかし人間は誰でも、自分の注意や願望に反して、何故こんな不幸不運が起るのか、と思い疑う。
 それについて、転んだのはただの過失であり、不運は不運でしかない。その内に運も向くだろう、と言うのでは答にならぬし、人々も満足はしまい。
 そうした原因については、訳がある。その訳を極め、それを正せば、それから抜け出すことが出来る、と言うことで初めて、人間の求めている救いがある。
 宗教は、その訳を、即ち、眼に見えぬものの力、即ち、神、心霊の力に依るものであるとし、ジェイムズの言うが如くに、その力の秩序に順応することで、安心立命があり、救済がある、とする。
 その秩序への順応、即ち信仰と言っても、それにはいろいろな段階があろうが、その初めは矢張り、一つの体験によって、その力の秩序の存在を感じ、知ると言うことに他ならない。
 信仰と言うのは、或る意味であくまでも一つの観念操作だが、しかし、その基点となるものは、あくまでも一個の現実認識である。
 それを欠く信仰は、砂の上にかけた梯子のように、上るにつれ、足元がぐらついて来る。
 その、信仰の出発点、第一段階の基礎固めを、人間に与えることの出来ぬ宗教は、最も根源的な力を欠いていると言われるべきだ。

 石原はウィリアム・ジェームズ著『宗教的経験の諸相』(原書は1901年/星文館、1914年/警醒社、1922年/誠信書房、1957年/岩波文庫、1969年)を軸に各新興宗教を読み解く。何の先入観もなく、直接自分の目と耳で判断する姿勢にはある種の勇ましさが窺える。

 信仰を「一つの観念操作」と言ってのける鋭さが侮れない。認知科学的な視点すら垣間見える。

 私が石原慎太郎を見直したのは「小林秀雄を諌めたエピソード」(今だから話せるこの国への思い(後編) 石原慎太郎氏(作家)×德川家広氏)を知ったことが大きい。石原が『太陽の季節』で文壇デビューしたのは1955年(昭和30年)のこと。文士劇が1962年だったとすれば(文士劇)、小林(1902-1983年)が60歳で石原(1932-)は30歳である。小林は若い時分から遠慮を知らぬ男で、酔っ払って正宗白鳥(1879-1962年)に絡んだり、対談で柳田國男(1875-1962年)を泣かせたりしている。たぶん小林は若い石原に自分と同じ匂いを嗅ぎ取ったのだろう。

石原愼太郎の思想と行為〈5〉新宗教の黎明宗教的経験の諸相 上 (岩波文庫 青 640-2)宗教的経験の諸相 下 (岩波文庫 青 640-3)

2016-10-19

橘玲、海外投資を楽しむ会、菅沼光弘、但馬オサム、溝口敦、他


 3冊挫折、3冊読了。

世界を騙し続けた[洗脳]政治学原論 〈政「金」一致型民主社会〉へのパラダイム・シフト』天野統康〈あまの・もとやす〉(ヒカルランド、2016年)/分量が増えて2分冊となっている。前篇が『世界を騙し続けた[詐欺]経済学原論 「通貨発行権」を牛耳る国際銀行家をこうして覆せ』である。巻末の方に仏教とキリスト教の興味深い比較論あり。

省庁のしくみがわかると政治がグンと面白くなる 日本の内閣、政治、そして世の中の動きが一気に読める!』林雄介(ナツメ社、2004年)/非常に丁寧に書かれているのだが如何せん各トピックが平凡で読む意欲が湧いてこない。若い人にはおすすめできる。

対話 人間の原点』小谷喜美、石原慎太郎(サンケイ新聞社出版局、1969年)/『巷の神々』(『石原愼太郎の思想と行為 5 新宗教の黎明』)の後に出された対談集で、小谷喜美〈こたに・きみ〉は霊友会の第2代会長を務めた女性。創設者の久保角太郎が戦時中に死去していることもあって霊友会といえば小谷の印象が強い。後半は飛ばし読み。石原が政治家となったのは前年の1968年のこと。霊友会のバックアップを受けたことは広く知られているが、この時点で入信していたかどうかは不明だ。石原は30代後半だが単純に若いと思っては判断を誤る。大学在学中に芥川賞を受賞し、大物評論家として恐れられた小林秀雄に対して平然と意見をするような若者であったのだから。その石原が小谷を「会長先生」と呼ぶ。苛烈な修行をしてきた小谷は実に鷹揚で人柄に幅がある。当時67~68歳だろう。小谷の宗教性から私が学ぶべきものは一つもない。石原が魅了されたのはやはり人間性であったのだろう。

 151冊目『池田大作 創価王国の野望』溝口敦(紀尾井書房、1983年)/溝口の創価学会批判は悪意が強く、読み手のマイナス感情を煽る傾向が見られる。彼の風貌や話しぶりにも卑屈な性質を感じる。所詮、雑誌記事ライターと言ってしまえばそれまでだが、牽強付会な手法に疑問が残る。教団を好き嫌いのレベルで論じても仕方がない。

 152冊目『ヤクザと妓生(キーセン)が作った大韓民国 日韓戦後裏面史』菅沼光弘、但馬オサム(ビジネス社、2015年)/聞き手である但馬オサムの名前がないのは片手落ちである。しかも各章の解説まで書いているのだから。タイトルの「ヤクザ」とは在日ヤクザで、妓生(キーセン)とは韓国のインテリ芸者のこと。現在に至るまで日本の政治家もかなり籠絡(ろうらく)されている模様。日本語もペラペラとのこと。全斗煥大統領時代は芸能界もまるごと起用されたらしい。そういう歴史もあるせいか、韓国芸能界では現在も枕営業(性上納)が慣行となっていて時折自殺する女性が出てくる。「日本の近代史を学ぶ」に追加。『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』増田俊也を読んだ人は必読のこと。

 153冊目『世界にひとつしかない「黄金の人生設計」』橘玲〈たちばな・あきら〉、海外投資を楽しむ会編著(講談社+α文庫、2003年/海外投資を楽しむ会、メディアワークス、1999年『ゴミ投資家のための人生設計入門』を文庫化)/再読。かつて公明党が主導した「100年安心プラン」なるものの欺瞞がよく理解できる。本書は経済的自立を論旨としているが、税制のデタラメを炙(あぶ)り出すことで説得力を増している。今となってはやや古い印象を拭えないが、その発想に学ぶべきことは多い。政治的に眠らされている情況が自覚できる。『黄金の羽根』と差し替えたが、再び「必読書」に入れた。

2016-09-16

石原慎太郎、他


 2冊挫折、1冊読了。

体が硬い人のためのストレッチ』石井直方〈いしい・なおかた〉監修、荒川裕志〈あらかわ・ひろし〉(PHP研究所、2012年)/壁やテーブルを使ったストレッチが目新しい。最後の章はダイナミックストレッチを紹介している。大きい判型。

体を芯からやわらげる 健康ストレッチ』森俊憲、森和世(永岡書店、2011年)/女性向けか。巻末で症状別のストレッチを紹介。ペアで行うストレッチ法も。

 139冊目『巷の神々』石原慎太郎(サンケイ新聞出版局、1967年/産経新聞出版、2013年『石原愼太郎の思想と行為 5 新宗教の黎明』所収)/驚愕した。石原慎太郎といえば功罪の相半ばする政治家であるが教養人としても知られる。それにしても34歳前後で日本の新興宗教をここまで俯瞰できる能力は並大抵の代物ではない。しかも文学者でありながら科学的懐疑の精神で検証し、各教団の教祖とも実際に会って話をしている。注目すべきは創価学会に関する記述で、その近代的な組織のあり方や政治進出を積極的に評価している。石原が後に「悪しき天才、巨大な俗物」(『週刊文春』平成11年3月25日号)と池田大作を評したことを思えば隔世の感がある。ほんのわずかな誤謬は見受けられるが、全体的に記述は正確で独創性もある。まだ学生運動が激しい中で戦前戦後の新興宗教に目をつけたのは卓見といってよい。それぞれの教祖の神通力も日本的なアニミズム(先祖崇拝)を探る上で大変参考になった。「宗教とは何か?」「悟りとは」に追加。長らく絶版で古書価格も数千円から1万円という高値がついていたが産経新聞出版から再刊された。旧版は9ポイントほどの活字で上下二段450ページの分量である。

2016-09-04

グループS、山本周五郎


 2冊読了。

 137冊目『艶書』山本周五郎(新潮文庫、1983年)/出来がよくない。全集に収められていない作品であるのも頷ける。通俗性が強く、読み手に迎合するような底の浅さを感じる。木村久邇典〈きむら・くにのり〉の解説もあらすじに終始しており、視点の高さを欠く。面白かったのは鼠小僧が登場する「宵闇の義賊」くらいか。恋愛ものが多い。

 138冊目『小説 聖教新聞 内部告発実録ノベル』グループS(サンケイ出版、1984年)/組織改革を試みる創価学会の良心派が池田大作の実像を告発する。体裁は小説だが実録ノベルの名に相応しく、登場人物は仮名であるが容易に見当がつく。しかし残念なことに所詮、官僚である。小市民的な良心が人々の心を動かすことはないだろう。続刊が出ないのがその証拠である。ただし資料的な価値はあって、課税されない数百億円のカネを湯水のように使う実態が描かれている。

2016-08-29

杉田かおる、エドワード・O ウィルソン


 1冊挫折、2冊読了。

 『道徳性の起源 ボノボが教えてくれること』フランス・ドゥ・ヴァール:柴田裕之訳(紀伊國屋書店、2014年)/著者の卑屈さが内容をなし崩しにしている。エドワード・O ウィルソンと内容が重なるだけに残念極まりない。理想的な思い込みが先にあり科学的な姿勢を欠く。牽強付会が捻じれば文章となってわかりにくい。

 133冊目『杉田』杉田かおる(小学館、2005年)/びっくりするほど面白かった。詐欺を繰り返す父親、精神の病んだ母親との確執。創価学会で一級の活動家となったものの、池田大作の実像に幻滅し、脱会するまで。そして24時間100kmマラソンが綴られている。誤読しやすいと思われるが著者は創価学会を批判するよりも、忠実に実体験を書いている。「杉田」とのタイトルは父親の姓で既に戸籍も変えたという。中年に差し掛かった女性が過去への訣別を綴る。不思議なことにマラソンで走ったコースは著者に縁のある土地であった。佐藤典雅著『ドアの向こうのカルト 九歳から三五歳まで過ごしたエホバの証人の記録』と併読せよ。姿勢としては杉田かおるの方が上だ。

 134冊目『人間の本性について』エドワード・O ウィルソン:岸由二〈きし・ゆうじ〉訳(思索社、1980年思索社新装版、1990年/ちくま学芸文庫、1997年)/何とか読了。難解ではあるが挿入されたエピソードはいずれも面白い。生物学者が利他性・道徳の起源を探る。「必読書」と「宗教とは何か?」に入れる予定。利他性という点ではフランス・ドゥ・ヴァールを先に読むべし。宗教だとニコラス・ウェイド著『宗教を生みだす本能 進化論からみたヒトと信仰』と併読せよ。

2016-08-27

谷本道哉、石井直方、七里和乗、佐々淳行


 3冊挫折、3冊読了。

本質を見抜く力 環境・食料・エネルギー』養老孟司〈ようろう・たけし〉、竹村公太郎〈たけむら・こうたろう〉(PHP新書、2008年)/地理的側面が強すぎて私の興味に合わなかった。

自律神経を整える「長生き呼吸」 なぜ呼吸を変えると病気が治るのか?』坂田隆夫(マキノ出版、2016年)/スカスカ本。医学的な説明が少し目を惹いた程度。呼吸法としての内容は乏しい。

キッチン日記 J・クリシュナムルティとの1001回のランチ』マイケル・クローネン:高橋重敏訳(コスモス・ライブラリー、1999年)/少し前に大野純一訳が出た。古書は法外な値がついていただけに喜んでいるファンも多いことだろう。何となく高橋訳を再読したのだが読むに堪えず。マイケル・クローネンは単なる追っ掛けであり、アイドルに肩入れする少女のような情熱の持ち主で、薄気味悪いこと甚だしい。ただしクリシュナムルティの日常を描いた点では評価できる。新訳も読む気がしない。

 130冊目『私を通りすぎたスパイたち』佐々淳行〈さっさ・あつゆき〉(文藝春秋、2016年)/「マドンナたち」よりは面白いが「政治家たち」には劣る。フレデリック・フォーサイスとの友情が描かれている。佐々は大変ダンディな人物である。

 131冊目『池田大作 幻想の野望 小説『人間革命』批判』七里和乗〈しちり・わじょう〉(新日本出版社、1994年)/著者は「宗教学者」としか記されていない。「江藤俊介や七里和乗なんていないんです!」との記事を見つけた。赤旗の引用が多いところを見ると、覆面をした共産党関係者の可能性がある。政教分離に関してはやや誤謬があるものの、それ以外は常識的な批判で特に鋭さは感じられない。小説『人間革命』に関する考察を深めれば紙価も高まったことだろう。

 132冊目『5つのコツで もっと伸びる カラダが変わる ストレッチ・メソッド』谷本道哉、石井直方〈いしい・なおかた〉(高橋書店、2008年)/ほぼ全頁カラーで1242円は破格。早速、実践している。石原結實〈いしはら・ゆうみ〉を必読書リストから外したのでこれを入れておく。

2016-06-29

核廃絶を訴えるアメリカの裏事情/『この国のために今二人が絶対伝えたい本当のこと 闇の世界権力との最終バトル【北朝鮮編】』中丸薫、菅沼光弘


『日本はテロと戦えるか』アルベルト・フジモリ、菅沼光弘:2003年
『この国を支配/管理する者たち 諜報から見た闇の権力』中丸薫、菅沼光弘:2006年
『菅沼レポート・増補版 守るべき日本の国益』菅沼光弘:2009年

 ・沖縄普天間基地は不動産の問題
 ・核廃絶を訴えるアメリカの裏事情

『日本最後のスパイからの遺言』菅沼光弘、須田慎一郎:2010年
『この国の権力中枢を握る者は誰か』菅沼光弘:2011年
『この国の不都合な真実 日本はなぜここまで劣化したのか?』菅沼光弘:2012年
『日本人が知らないではすまない 金王朝の機密情報』菅沼光弘:2012年
『国家非常事態緊急会議』菅沼光弘、ベンジャミン・フルフォード、飛鳥昭雄:2012年
『この国はいつから米中の奴隷国家になったのか』菅沼光弘:2012年
『誰も教えないこの国の歴史の真実』菅沼光弘:2012年
『この世界でいま本当に起きていること』中丸薫、菅沼光弘:2013年
『神国日本VS.ワンワールド支配者』菅沼光弘、ベンジャミン・フルフォード、飛鳥昭雄
『日本を貶めた戦後重大事件の裏側』菅沼光弘:2013年
『沈むな!浮上せよ! この底なしの闇の国NIPPONで覚悟を磨いて生きなさい!』池田整治、中丸薫

 北朝鮮も、小なりといえども核兵器を持つことによって、政治的な独立あるいは自主性、民族の尊厳を中国からも守れる。だから、そういう政治的な意味を込めて核実験をやったということは間違いない。
 しかし、これまた不思議な話で、当時、一般的に北朝鮮の最初の核実験は失敗だったと言われた。我々日本人は核兵器についての知識があまりないものだから、それを信じてきたが、どうもそれは的はずれではないかと考えられます。というのは、北朝鮮はプルトニウム爆弾をつくっているが、これは10年くらいたつと、劣化して処理しなくちゃいけない。今、「核の廃絶」とかみんな言っている。アメリカのオバマ大統領もこの前言いました。あれも、我々はただ単純に、これはいいことだと言っているが、あの裏を見ますと、もうそろそろアメリカの兵器もみんな劣化し始めているんです。これを廃棄するとものすごく金がかかるわけです。したがって、大義名分がないと金が使えない。ロシアも同じことです。だから、「世界から核をなくそう」という名目でどんどん減らしていくことになる。
 最近になって、北朝鮮はもっと早い段階で既に核兵器を持っていたんじゃないか、それが劣化してきた。この第1回の核実験というのは、劣化した核兵器処理ではなかったか。だから、あの実験の本質は何かということをもっと究明する必要がある。それから、第2回の核実験は何か。これは恐らく核弾頭を小型化する実験に成功したんじゃないのかとも言われているんです。

【『この国のために今二人が絶対伝えたい本当のこと 闇の世界権力との最終バトル【北朝鮮編】』中丸薫、菅沼光弘(ヒカルランド、2010年)】

 本書は第20回日本トンデモ本大賞(2011年)の候補作品となった。

 宇宙人や地底人と交信している中丸薫さんが、北朝鮮に招かれ、北朝鮮は素晴らしい国だと絶賛します。対談相手の菅沼光弘氏もそれに同調し、北朝鮮を批判する日本人を非難したりしています。こういう人が、元公安調査庁調査第二部長だったというのが、いちばんトンデモないことかも……。

山本弘

 ま、無責任な嘲笑目的の賞なので力を込めて反論するだけ無駄だろう。個人的にはやはり中丸薫の人脈は侮れないと思う。例えば池田大作の場合は創価学会というマンモス教団の組織力・財力・政治力が背景にあるが、中丸の場合は完全に一個人である。それでいて池田を凌駕するほどの国際的な人脈を持っているのだ。

 菅沼も中丸やベンジャミン・フルフォードが相手だと、かなり踏み込んだ発言をしている。自らトンデモ系に近づくことで読者に与える衝撃を和(やわ)らげようとしているのだろう。

 オバマ大統領はプラハ演説(2009年)で核廃絶を訴え、同年のノーベル平和賞を受賞した。


 これが世紀のペテンであったとすればハリウッド映画さながらの演出である。あるいは産業廃棄物をお花畑に変えるようなマジックか。

 オバマよ、あんたは核爆弾の中古品を処分する目的で広島を訪れたのか? 平和を売り言葉にして軍産複合体への利益誘導を図ったのか? 利用できると見込んで広島の被爆者をも利用したのか?

 美しい言葉は感情を揺さぶる。そして我々は考えることをやめるのだ。オバマ万歳、広島万歳。めでたしめでたしである。

 政治は富の分配という本来の仕事を放棄して、明らかに富の誘導へとシフトしている。そもそも世界各国で莫大な量の金融緩和を行っているにもかかわらず、目に見えるバブルが発生していない。緩和マネーはどこへ行ったのか? 企業の内部留保の納まるような金額ではないと思うのだが。格差が拡大するとマネーは流動化を失い、持てる者に富が蓄積されてゆく。消費も低迷し、いつまで経ってもデフレを克服できない。

 情報公開と情報判断によって民主政は作動する。奇しくも核兵器廃絶と原発事故を通して我々は情報が秘匿されている事実を知った。そして我々にはロクな判断力がない。討論番組と称する言論プロレスを見て気勢を上げたり溜飲を下げる程度のレベルである。政府の予算を読み解くこともできなければ、法改正の意味も理解できない。本来であればそこにエリート(選良)が求められるわけだが、この国のエリートは官僚となっている(笑)。

 結局のところいい意味でも悪い意味でも、なるようにしかならないのだろう。安倍首相が真珠湾を訪問すれば、「アメリカと共に血を流す」覚悟を披瀝せざるを得なくなる。アメリカの軍産複合体にとっては一石二鳥というわけだ。

2016-04-13

ワールポラ・ラーフラ、M・ミッチェル・ワールドロップ、アルボムッレ・スマナサーラ、村上譲顕、福島源次郎、マリン・カツサ、他


 5冊挫折、6冊読了。

漂流老人 ホームレス社会』森川すいめい(朝日新聞出版、2013年/朝日文庫、2015年)/精神科医らしいが妙な著者名の上、著者近影が正面を向いていないのを見てやめた。

河北新報のいちばん長い日 震災下の地元紙』河北新報社(文藝春秋、2011年)/『神戸新聞の100日 阪神大震災、地域ジャーナリズムの戦い』(神戸新聞社著、プレジデント社、1995年)の二番煎じか。もはや災害時に求められる情報は新聞ではないと思う。しかも被災者にとって切実な情報とは家族の安否というミクロ情報だ。新聞社は即時性のなさを自覚した上で、もっと特化した情報を発信すべきだろう。

無為について』上田三四二〈うえだ・みよじ〉(講談社学術文庫、1988年)/西尾幹二が、上田三四二の作品・人柄がもつ死生観に非常に大きな影響を受けたと最近知った。文学的なあざとさが前面に出ていて苦手なタイプの本だ。

粗食のすすめ』幕内秀夫〈まくうち・ひでお〉(東洋経済新報社、1995年/新潮文庫、2003年)/単行本19ページに「この生徒の家庭は両親が離婚し、母親は水商売をしているような家庭環境の子どもだった」とある。職業蔑視もさることながら、因果関係の捉え方に明らかな問題がある。編集者も見過ごしたとすれば致命傷といってよい。「子供に問題があるのは親の責任だ」と私も思う。しかしそれが親の職業に由来するかどうかは全くの別問題だ。「書き間違えた」レベルの文章ではない。

金色夜叉』尾崎紅葉〈おざき・こうよう〉(新潮文庫、1969年)/初出は読売新聞の連載で、1897年(明治30年)1月1日~1902年(明治35年)5月11日に渡る。前編、中編、後編、続、続続、新続の6編から成るが未完で終わっている。言文一致運動の代表的作品らしいが、ルビがなければ歯が立たない。頑張れば読めそうだが、頑張るだけの気力が湧かず。「未(ま)だ宵ながら松立てる門は一様に鎖籠(さしこ)めて、真直(ますぐ)に長く東より西に横(よこた)はれる大道(だいだう)は掃きたるやうに物の影を留(とど)めず、いと寂(さびし)くも往来(ゆきき)の絶えたるに、例ならず繁(しげ)き車輪(くるま)の輾(きしり)は、或(あるひ)は忙(せはし)かりし、あるは飲過ぎし年賀の帰来(かえり)なるべく、疎(まばら)に寄する獅子太鼓(ししだいこ)の遠響(とほひびき)は、はや今日に尽きぬる三箇日(さんがにち)を惜むが如く、その哀切(あわれさ)に小さき腸(はらわた)は断(たた)れぬべし」とこんな感じだ。

 40冊目『コールダー・ウォー ドル覇権を崩壊させるプーチンの資源戦争』マリン・カツサ:渡辺惣樹〈わたなべ・そうき〉訳(草思社、2015年)/北野幸伯〈きたの・よしのり〉の本で紹介されていたと記憶する。著者はエネルギー産業に特化した投資ファンドマネージャーだ。非常に面白かったが、ポジショントークを割り引く必要があるだろう。ドル覇権を崩壊させるのは飽くまでもFRBの判断であり、プーチンが仕掛ける資源戦争は加速要因でしかないと思われる。FRBは多分ドル基軸体制を終わらせる判断を既に下している。

 41冊目『蘇生への選択 敬愛した師をなぜ偽物と破折するのか』福島源次郎(鷹書房、1990年)/福島は創価学会の青年部長・副会長を務めた人物で後に離反した人物である。間近で池田大作を見てきただけあって、批判にも並々ならぬ迫力が溢れる。長らく師と信じた人物の虚飾が剥がれた時、黙って見過ごすことはできなかった。池田に直接提出した諫言書も併録。かなり重要な指摘が散見されるが、他の創価学会本で引用されていないのが不思議である。

 42冊目『日本人には塩が足りない! ミネラルバランスと心身の健康』村上譲顕〈むらかみ・よしあき〉(東洋経済新報社、2009年)/村上は海の精株式会社の取締役である。「海の精 あらしお」が有名だ。マクロビオティック実践者でもある。判断の難しい本だ。参考になる所見はたくさんあるのだが科学的検証に耐えるかどうかは微妙な感じ。例えば長野県では30年以上も前から減塩運動に取り組み、男女共に平均寿命日本一となったがこれにはどう答えるのか? 健康本は宗教本と同じ匂いがする。

 43冊目『原訳「法句経」(ダンマパダ)一日一悟』アルボムッレ・スマナサーラ(佼成出版社、2005年)/『一日一話』より1ページあたりの文字数は多いが切れ味は劣る。切り文ではなく、きちんとまとめて編んでほしいところ。

 44冊目『複雑系 科学革命の震源地・サンタフェ研究所の天才たち』M・ミッチェル・ワールドロップ:田中三彦〈たなか・みつひこ〉、遠山峻征〈とおやま・たかゆき〉訳(新潮文庫、2000年/新潮社、1996年『複雑系』改題)/文庫化されたのを知らなかった。ハードカバーは3400円である。複雑性科学は本書から入るのがよかろう。サンタフェ研究所を舞台としためくるめく群像劇である。世界最高峰の知性に触れることができる。「必読書」入り。

 45冊目『ブッダが説いたこと』ワールポラ・ラーフラ:今枝由郎〈いまえだ・よしろう〉訳(岩波文庫、2016年)/今枝が精力的に本を出している。本書も目のつけどころがよい。ワールポラ・ラーフラはテーラワーダ仏教の僧侶で、セイロン大学に進み哲学博士号を取得。マハーヤーナ(いわゆる大乗)仏教の研究にも着手する。1950年代後半、パリ大学に留学。そこで著されたのが本書である。原書は英語で1959年間。仏教研究の泰斗であるオックスフォード大学のR・F・ゴンブリッジ教授が「現時点で入手できる最良の仏教書」と評価する。訳者解説に神智学協会が出てきて驚いた。今枝はブータンに生きた仏教を見出しているようだ。西水美恵子著『国をつくるという仕事』でもブータンは絶賛されているが、伝統と近代化の狭間で揺れている現状も窺える。少し検索してみたところ、ワールポラ・ラーフラがクリシュナムルティと対談した僧侶であったことが判明。こりゃグッドタイミングだ。『ブッダとクリシュナムルティ 人間は変われるか?』に収録されている。

2016-02-06

辨野義己、武田知弘、他


 12冊挫折、2冊読了。

児玉誉士夫 巨魁の昭和史』有馬哲夫(文春新書、2013年)/有馬哲夫の文章には面白味がない。

獄中獄外 児玉誉士夫日記』児玉誉士夫〈こだま・よしお〉(広済堂出版、1974年)/今ひとつ乗れなかった。びっくりしたのだが林房雄が巻末に「児玉誉士夫小論」を寄せている。

戊辰戦争の史料学』箱石大〈はこいし・ひろし〉編(勉誠出版、2013年)/会津・庄内両藩がプロイセンに蝦夷地もしくは日本の西海岸にある領地を売ろうとしていた。最新資料による研究所だが、史料学なので読み物としての魅力は皆無である。

からくり民主主義』高橋秀実(新潮文庫、2009年)/ただのエッセイとは思わなかった。解説は村上春樹。

つかめないもの』ジョーン・トリフソン:古閑博丈〈こが・ひろたけ〉訳(覚醒ブックス、2015年)/非二元(ノン・デュアル)を調べようと思ったのだが、つかみどころのない文章で放り投げてしまった。帯にある著者の顔写真も好きになれず。

アフリカの日々 やし酒飲み(池澤夏樹=個人編集 世界文学全集1-8)』イサク・ディネセン、エイモス・チュツオーラ:横山貞子、土屋哲〈つちや・さとる〉訳(河出書房新社、2008年)/どちらも有名な小説だが、どうも乗れず。『やし酒飲み』は再読するかも。

図書館のプロが教える〈調べるコツ〉 誰でも使えるレファレンス・サービス事例集』浅野高史編、かながわレファレンス探検隊(柏書房、2006年)/期待外れ。Googleの方が強力だ。

覚書 幕末の水戸藩』山川菊栄〈やまかわ・きくえ〉(岩波文庫、1991年)/左翼ぶりを遺憾なく発揮している。冒頭で「生瀬の乱」を紹介している。参照→『神無き月十番目の夜』飯嶋和一

忘れたことと忘れさせられたこと』江藤淳(文藝春秋、1979年/文春文庫、1996年)/どうも江藤の文章が肌に合わない。三島由紀夫の自決を「軍隊ごっこ」「病気」と評したことと関係しているのかもしれぬ。

新心理学講座 4 宗教と信仰の心理学』小口偉一〈おぐち・いいち〉編(河出書房、1956年)/戦後の新宗教各団体をスケッチしたような代物で、「心理学」を名乗るほどの高みに至っていない。本書では匿名になっているが池田大作と小泉隆の入信動機が紹介されている。

創価学会 その思想と行動』佐木秋夫、小口偉一〈おぐち・いいち〉(青木書店、1957年)/そこそこ誠実さはあるものの、如何せん左翼傾向が顕著で鼻白んでしまう。

オタクの息子に悩んでます 朝日新聞「悩みのるつぼ」より』岡田斗司夫〈おかだ・としお〉 FREEex(幻冬舎新書、2012年)/朝日新聞の週末別冊版「be」(ビー)に掲載された「悩みのるつぼ」を解説した本。昨今、岡田のゲス振りがネット上で露見しているが、やはりこの人は頭がよい。伝説と化した「父親が大嫌いです」との相談が冒頭で紹介されている。ただ、この人の文体についてゆけず。若者向けの芸風なのだろうが、軽薄な文体が鋭さを淡くしてしまっている。更に人生相談の種明かし的な姿勢は共感よりも嫌悪感を抱く人が多いのではないか。

あなたを天才にするスマートノート』岡田斗司夫(文藝春秋、2011年)/今まで読んできたノート本ではピカ一である。早速今日から実践している。私の場合はスマート(賢明)よりもセンス(感覚)を重んじる。右ページに記録をつけ、左ページは空けておく。若い人なら5行日記から始めるのがよかろう。

 15冊目『ヒトラーの経済政策 世界恐慌からの奇跡的な復興』武田知弘〈たけだ・ともひろ〉(祥伝社新書、2009年)/何とナチスドイツは高福祉国家であった。「必読書」入り。『ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く』、『ファストフードが世界を食いつくす』の後に読むのがよい。学術書ではないこともあって言いわけが目立つのが唯一の難点だ。

 16冊目『大便通 知っているようで知らない大腸・便・腸内細菌』辨野義己〈べんの・よしみ〉(幻冬舎新書、2012年)/腸内細菌入門。わかりやすい文章が頭のよさを窺わせる。便秘気味の女性は必読のこと。ウンコは黒いほど健康状態が悪く、黄色っぽいのがいいそうだよ。あと水に沈むのもよくないらしい。「大便をデザインする」という言葉に痺れる(笑)。