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2011-09-04

未来を明るく照らす言葉/『重耳』宮城谷昌光


『天空の舟 小説・伊尹伝』宮城谷昌光
・『太公望』宮城谷昌光
『管仲』宮城谷昌光

 ・占いこそ物語の原型
 ・占いは神の言葉
 ・未来を明るく照らす言葉

『介子推』宮城谷昌光
・『沙中の回廊』宮城谷昌光
『晏子』宮城谷昌光
・『子産』宮城谷昌光
『湖底の城 呉越春秋』宮城谷昌光
『孟嘗君』宮城谷昌光
『楽毅』宮城谷昌光
『青雲はるかに』宮城谷昌光
『奇貨居くべし』宮城谷昌光
『香乱記』宮城谷昌光
・『草原の風』宮城谷昌光
・『三国志』宮城谷昌光
・『劉邦』宮城谷昌光

 宮城谷昌光が描く政(まつりごと)には人の息遣いがある。それを著者の創作として一笑に付すわけにはいかない。資料を通じて人間と人間とが出会うことは可能であるからだ。

 それにしても中国は凄い。重耳(晋の文公)は紀元前696-628年の人物である。卑弥呼(170年頃-248年頃)が生まれる800年前の時代に、これほどの君主を輩出していたのだ。

 中国の伝統は毛沢東の文化革命によって破壊されたと思われるが、いくばくか継承されているものはあるのだろうか? 気になるところである。

 19年間に及ぶ放浪は重耳を鋼(はがね)のように鍛え上げた。運命は容赦なく鉄槌(てっつい)を振り下ろした。

 飢渇(きかつ)も極限に近かったのであろう。重耳は馬車をその農夫に寄せ、声をかけた。農夫は黒い顔を上げた。重耳は車上で頭をさげた。農夫はしゃがみ、器らしきものに飯を盛り、ささげるようにもってきた。
「秬(くろきび)らしいが、ありがたい」
 重耳は車輪のかたわらにいる狐偃(こえん)にいった。狐偃がその器をうけとった。山と盛られているものをみた重耳は嚇(かっ)とし、鞭(むち)をふりあげて、馬車から飛び降り、農夫を打とうとした。
 ――衛(えい)は、君主も民も、わしを侮辱した。
 それにたいする怒りである。器に盛られていたものは、秬ではなかった。土であった。農夫は悪声を放って逃げようとした。重耳は鞭で足をはらい、ころんだ農夫のうしろえりをつかむと、曳きずってきた。
「公子」
 狐偃にしてはめずらしく明るい声であった。重耳は眉をひそめた。狐偃が静かに笑みをみせている。かれは高々と器をかかげ、
「これこそ、天の賜(たまもの)です」
 と、いった。なぜなら、民がこの土を献じて服従したのであるから、これ以上、求めるものがあろうか。天意にはかならず兆(きざ)しがある。公子が天下を制するのであれば、それはこの土塊を得たことからはじまる。狐偃はそういうと、農夫を重耳の手からはなし、群臣のまえに立たせ、みずからひざまずいて拝稽首(はいけいしゅ)をした。重耳ははっと気づき、狐偃にならうと群臣はみなその農夫にむかってぬかずいた。
 農夫は魂が飛んだような顔つきになり、この一団が去ったあとも、ぼんやり野面をながめていた。
 農夫から献じられた土は捨てず、重耳はだいじに車に載(の)せた。

【『重耳』宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(講談社、1993年/講談社文庫、1996年)以下同】

 拝稽首(はいけいしゅ)は最も重い礼で、両手を組んで地に頭をつけるというもの。この件(くだり)を読んだ瞬間に閃光が走った。

 狐偃(こえん)は土を通して未来を占った。しかも行きずりの農夫から小馬鹿にされた一事を反転させた上で、劇的な物語を描いてみせた。すなわち、未来を明るく照らす言葉こそが「占い」であり、ここに物語の原型(モデル)があるのではなかろうか。

「馬鹿にされた」と思えばそれまでの話だ。実際、そういう物語は我々の周りにいくらでも転がっている。事実のみを語るのであれば、言葉は死んでいるといってよい。新聞には死んだ言葉が並んでいる。それを活字と称するのだから皮肉だ。

 現実を客観視して笑い飛ばす力が英知であるとすれば、英知は強靭な否定に支えられている。それは現実を無視するという意味での否定ではなく、環境から自分に働きかけるマイナス作用に対する完全否定である。前を向いて強気で進めば、環境を引きずってゆくことができる。

 不況になると何かにつけ自分が否定されているような場面に出くわすことがあるものだ。しかし相手が否定しようとも自分で自分を否定しなければよい。どこまでも自分を信じながら、自分を否定した相手を否定すればいいのだ。身勝手な振る舞いを慎みながら、時を稼いでいると思えばストレスも溜まらない。

 物語とは展望でもある。視点が低ければ低い物語で終わってしまうことだろう。今がどんなに苦しくとも志だけは高く堅持することだ。貧しくとも富者(ふしゃ)のように振る舞うことは可能だ。

 自分で自分を占い、未来を明るく照らす言葉を紡ぐことが求められている。

 重耳は徳をもって人を治めた。

「信は国の宝である。信があってこそ、民の財を守り、身を守り、生命を守ることができる。たとえ原(げん)を得ても、民から信頼されなければ、なにをもって民を守ることができるのか。そうなれば、得るものより、失うもののほうが多かろう」
 と、いって、引き揚げ、原邑(げんゆう)から一舎離れたとき、重耳の信条をきいた原邑の民は門をひらいて降伏した。

 重耳より150年あとに生まれた孔子は「信無くば立たず」(『論語』)と教えた。孔子は兵や食よりも信を重んじた。

 では我々の政治はどうだろうか? 既に政治不信というキーワードは手垢まみれになっている。政治不信にすら不信を抱きたくなるような体たらくだ。放射能にさらされている人々がいる。生活保護の申請を拒まれている人々がいる。働きたいのに就職できない人々がいる。子供が欲しくてもつくれない人々がいる。

 政府を信頼している国民が少ないとすれば、この国は既に滅んでいるのだろう。国家のふりをしている領土で政治ごっこが行われているのだろう。

 たしかに民は義と信とを知った。が、それで充分というわけにはいかない。人が家族でまとまり、一族でまとまり、国でまとまり、中華でまとまり、というふうに、小さな存在が集合して大きな組織をつくり、人それぞれが協調して組織を動かしてゆくには原則があり、その原則の基(もとい)にあるものが礼なのである。礼はべつなことばでいえば、他者を尊ぶということである。自分が生きていることは、他者があってはじめて成り立つ。他者といっても、人とはかぎらない。水があり、火があり、というように宇宙を形成しているものも、人を生かしている。したがって礼を知るということは、宇宙の原則を知る、ということである。

 文化とはもともと礼楽(れいがく)を意味した。礼を弁(わきま)え、音楽を嗜(たしな)むところに人生の豊かさがあったのだ。孔子は作詞家でもあり作曲家でもあった。

 ストーリーにひときわ光彩を与えているのが晋から送られた刺客である閻楚〈えんそ〉と介子推〈かいしすい〉の闘いである。介子推は低い身分であったため、陰で重耳を守っている事実を誰も知らない。彼自身、黙して功績を語ることがなかった。

 後に重耳は閻楚〈えんそ〉から介子推の働きを聞かされる。が、論功行賞から漏れた介子推は既に去った後だった。

 言は身の文(かざり)なり。身まさに隠れんとす。
 いずくんぞこれを文に用いん。
 これ顕(けん)を求むるなり。

 介子推がこの世に残したさいごのことばである。
「ことばというものは身を飾るものです。これから身を隠そうとするのに、どうしてことばで飾る必要がありましょう。飾りは顕(あらわ)われるために求めるものです」
 そういったのである。

 介子推こそ真の忠臣であった。重耳は大いに恥じて介子推を探させたが見つかることはなかった。後世、中国の民は晋の文公以上に介子推を称(たた)えた。重耳の瑕疵(かし)とするにはあまりにも大きな過失であった。信賞必罰はかくも難しい。

重耳(上) (講談社文庫)重耳(中) (講談社文庫)重耳(下) (講談社文庫)介子推 (講談社文庫)

2021-06-15

現代の小麦は諸病の源/『小麦は食べるな!』ウイリアム・デイビス


アメリカの穀物輸出戦略
『給食で死ぬ!! いじめ・非行・暴力が給食を変えたらなくなり、優秀校になった長野・真田町の奇跡!!』大塚貢、西村修、鈴木昭平
『ファストフードが世界を食いつくす』エリック・シュローサー

 ・現代の小麦は諸病の源

西田昌司×吉野敏明 参政対談 ・『病気がイヤなら「油」を変えなさい! 危ない“トランス脂肪”だらけの食の改善法』山田豊文
・『本当は危ない植物油 その毒性と環境ホルモン作用』奥山治美
・『危険な油が病気を起こしてる』ジョン・フィネガン
『うつ消しごはん タンパク質と鉄をたっぷり摂れば心と体はみるみる軽くなる!』藤川徳美
『シリコンバレー式 自分を変える最強の食事』デイヴ・アスプリー
『医者が教える食事術 最強の教科書 20万人を診てわかった医学的に正しい食べ方68』牧田善二
『医者が教える食事術2 実践バイブル 20万人を診てわかった医学的に正しい食べ方70』牧田善二
『DNA再起動 人生を変える最高の食事法』シャロン・モアレム
『サピエンス異変 新たな時代「人新世」の衝撃』ヴァイバー・クリガン=リード
『アルツハイマー病は治る 早期から始める認知症治療』ミヒャエル・ネールス
『反穀物の人類史 国家誕生のディープヒストリー』ジェームズ・C・スコット

身体革命

 わたしたちが日々食べているブランマフィンやオニオンチャバタなどに巧妙に形を変えているものは【かつての小麦ではなく】、20世紀後半に行われた遺伝子研究によって形質転換されたものです。現代の小麦が本物の小麦なら、チンパンジーは人間だと言うようなものです。
 50年代の運動をしないやせた人たちと、トライアスロン選手を含めた21世紀の太った人たちの違いは、穀類――もっと正確に言うと、遺伝子操作された現代の小麦と呼ばれるもの――の消費量の増加だとわたしは考えています。
 小麦を体に悪い食物だと言えば、ロナルド・レーガンを共産党員と言うに等しいことは、わかっています。伝統的な主食を有害食品呼ばわりするとは、ばかなことを言うと思われるでしょうし、非国民とさえ言われることでしょう。それでも、世界で最も人気のある穀物が世界で最も破壊的な食品成分であることは、これから証拠を挙げて説明していきます。
【小麦による人体への奇妙な影響】として、食欲増進、エクソルフィン(脳内麻薬のエンドルフィンと同等の外因性の物質)による脳の活性化、食欲と満腹のサイクルを繰り返す引き金となる血糖値の大幅な亢進、病気や老化の原因となる糖化反応、軟骨をむしばみ、骨を破壊する炎症やpHバランスの破壊、免疫反応疾患の活性化が記録されています。
 小麦を消費することで、セリアック病――小麦グルテンの摂取による破壊的な腸管疾患――から、さまざまな神経障害、糖尿病、心臓疾患、関節炎、奇妙な発疹、統合失調症のおぞましい妄想まで、さまざまな病気が引き起こされます。

【『小麦は食べるな!』ウイリアム・デイビス:白澤卓二〈しらさわ・たくじ〉訳(日本文芸社、2013年)】

 上記リンクの油本3冊は既に読んだのだが書評を書いてないため参考情報として挙げておく。一応言いわけしておくと、当ブログ内で書籍にリンクを貼ってあるものは、「既に読んだかこれから読むか」という作品に限っている。それが最低限の誠実さというものだ。

 大衆消費社会を先導するのは広告である。すなわち新聞・雑誌・ラジオ・テレビ、そしてインターネットとマスメディアは発達してきたわけだが、心理学や行動経済学を駆使して様々な仕掛けを施す。感情を操作し、欲望に点火し、消費という行動を促す。現代における幸福とは購買の異名である。

 個人的な話で恐縮だが私は宗教と科学についてはそこそこ知識がある。日本近代史はここ数年間、集中的に学んできた。近代とは西洋化の異名であるから世界史も参照せざるを得ない。経済の原理についてはいささか昏(く)いが、一般人よりは金融を知っている。そんな私でも、こと食べ物や健康に関しては素人同然で批判し得るだけの基準がない。「物は試し」の精神で臨んでいるが、知識や思考が身体に与える影響は決して少なくない。

 例えばこんなことがあった。随分前のことだがテレビで野口五郎が「卵の黄身を食べられない」と語っていた。それを聞いた私は、「馬鹿だなあ。白身だけじゃ栄養が少ないだろーよ」と思った。ところが数日後、目玉焼きの黄身を食べていたところ、突然気分が悪くなったのだ。頭に刺すような感覚が走り、胸が悪くなった。それ以降、しばらく卵の黄身を食べることができなくなった。今でも半熟は駄目だ。私は野口五郎のファンでもなければ教祖と崇めているわけでもない。それでも何気なく耳に入ってきた情報は体を変えることがあるのだ。

 もう一つ書いておかねばならないことは、現代人の不健康な食事を論(あげつら)う書籍は山のようにあるわけだが、寿命が伸びたことを無視しているような気がする。もちろん長寿の原因が幼児の死亡率低下にあることは明白だが、日本は2007年に超高齢社会となった。2030年には日本人の平均年齢は51.5歳になると予測されている。


 平均寿命と健康寿命の差分は「闘病あるいは要介護の期間」となる。1990年代後半から老老介護という言葉が表面化した(中村律子:PDF)。「1995年9月15日の読売新聞で鵜飼哲夫が佐江衆ー著『黄落』の評として用いており、1996年2月22日第136回国会衆議院予算委員会公聴会にて公述人として樋口恵子東京家政大学教授が質問に立ちこの語を用いた」(Wikipedia)。厚生労働省は2006年から介護殺人の件数をカウントしている。「2015年(平成27年)度までに247件、250人の被害者が出ている」(Wikipedia)。特に世間の耳目を集めたのは京都伏見介護殺人事件(2006年)であった。

 そして2006年真冬のその日、手元のわずかな小銭を使ってコンビニでいつものパンとジュースを購入。母親との最後の食事を済ませ、思い出のある場所を見せておこうと母親の車椅子を押しながら河原町界隈を歩く。やがて死に場所を探して河川敷へと向かった。

「もう生きられへんのやで。ここで終わりや」という息子の力ない声に、母親は「そうか、あかんのか」とつぶやく。そして「一緒やで。お前と一緒や」と言うと、傍ですすり泣く息子にさらに続けて語った。「こっちに来い。お前はわしの子や。わしがやったる」。  その言葉で心を決めた長男は、母親の首を絞めるなどで殺害。自分も包丁で自らを切りつけて、さらに近くの木で首を吊ろうと、巻きつけたロープがほどけてしまったところで意識を失った。それから約2時間後の午前8時ごろ、通行人が2人を発見し、長男だけが命を取り留めた。

「地裁が泣いた介護殺人」10年後に判明した「母を殺した長男」の悲しい結末 | デイリー新潮

 具体的な数字はわからないが、報道される介護殺人は情状酌量で無罪となるケースが多いように思う。確かによんどころない事情があるのはわかる。だが「無罪」はまずいだろう。これだと「介護で行き詰まったら家族が処理せよ」とのメッセージを放っているようにすら見える。例えば上記事件だと、生活保護を拒んだ役所の人間の責任ぐらいは問うて然るべきだろう。

 話が思い切り横道に逸れてしまった。健康寿命を伸ばすのは食事と運動である。あとは何でも語れる友達がいればいい。地域で新しい年寄りのコミュニティを作ることを数年前から思案中である。


2013-08-20

人身取引が横行、県内でも性的搾取 脅し、だまし、暴力で支配 【神奈川】


 人を脅し、だまし、暴力で支配下に置いて搾取する人身取引が、全国で横行している。県内でも少女が売春を強要される事件が発生。国内外で「人身取引の受け入れ大国」とも批判される中、撲滅活動に携わる関係者らは対策の遅れを指摘し、体制の整備や被害者支援の充実など幅広い取り組みを求めている。

「働く場所を紹介してあげる」。6月、県警少年捜査課と瀬谷署が暴力団幹部らを逮捕した児童福祉法違反事件は、その一言が始まりだった。

 家出中だった横浜市内に住む中学3年の少女は昨年9月、横浜駅で若い男に声を掛けられ、車で連れ去られた。その日のうちに暴力団幹部に引き渡され、さらに別の無職の男のマンションで生活させられながら、売春などを強要された。

 少女は「逃げたら家族にも迷惑が掛かる。覚悟しておけ」と脅され、わずか8日間に駐車中の車内などで15人ほどの客の相手をさせられた。別の暴力団組員が出会い系サイトで客を見つけていたという。

 警察庁によると、2012年の人身取引事件(売春防止法違反、入管難民法違反、職業安定法違反、風営法違反、刑法の人身売買容疑など)の摘発件数は前年に比べ19件増の44件。摘発人数は54人(前年比21人増)、被害者数は27人(同2人増)と、いずれも増加した。被害者の国籍で最多は日本の11人(同7人増)で、同数のフィリピンとそれぞれ4割を占めた。

 摘発の増加に対し、撲滅を目指す関係者は「氷山の一角」と口をそろえる。国際的な非政府組織(NGO)「反差別国際運動」の原由利子事務局長は「被害者の保護や支援の制度が不十分で、証言が得られにくい」などと摘発の難しさを指摘。「被害者の保護や支援を含めた包括的な禁止法を制定すべき」と訴える。

 国際社会も厳しい目を向ける。日本政府は10年の国連人権理事会で、人身売買罪の刑罰強化、地域的で専門的なシェルターの設置、「奴隷労働」とも批判される外国人研修・技能実習制度の監視強化など21項目の勧告を受けた。米国務省の年次報告書は、04年に「監視対象」国とするなど、10年以上「人身取引根絶の最低基準を満たしていない」国に位置付けている。

 関係する約30団体が加盟する「人身売買禁止ネットワーク」などは日本政府に対し、人身取引対策の政策を一元的に担当する機関の設置や被害者支援の充実など幅広い対策を求めている。

神奈川新聞 2013年8月18日

2019-10-25

病苦への対処/『死すべき定め 死にゆく人に何ができるか』アトゥール・ガワンデ


『生きぬく力 逆境と試練を乗り越えた勝利者たち』ジュリアス・シーガル
『往復書簡 いのちへの対話 露の身ながら』多田富雄、柳澤桂子
『逝かない身体 ALS的日常を生きる』川口有美子

 ・病苦への対処
 ・老人ホームに革命を起こす

『失敗の科学 失敗から学習する組織、学習できない組織』マシュー・サイド
『アナタはなぜチェックリストを使わないのか? 重大な局面で“正しい決断”をする方法』アトゥール・ガワンデ
『悲しみの秘義』若松英輔

必読書リスト その二

 超高齢者にとっての行き場所が火山に行く(※スピリット湖のハリー・トルーマン)か、人生のすべての自由を捨てるかの二者択一になってしまったのはどうしてなのだろう。何が起こったのかを理解するためには、救貧院がどのようにして今ある施設に置き換えられたのか、その歴史を辿る必要がある――そして、それは医療の歴史にもなっている。今あるナーシング・ホームは、弱ったお年寄りに悲惨な場所とは違う、よい暮らしを与えようという願いから始まったものではない。全体を見渡し、こんなふうにまわりに問いかけた人は一人もいなかった、「みなが知っているように、人生には自分一人では生活できない時期というのがある、だから、その時期を過ごしやすくする手段を私たちは見つけなければいけない」。このような質問ではなく、かわりに「これは医学上の問題のようだ。この人たちを病院に入れよう。医師が何とかしてくれるだろう」。現代のナーシング・ホームはここから始まった。成り行き上そうなったのである。
 20世紀の中ごろ、医学は急速な歴史的な変革を経験した。それまでは重病人が来たとき、医師は家に帰らせることが通常だった。病院の主な役割は保護だった。
 偉大な作家兼医師であるルイス・トーマスが、1937年のボストン市立病院でのインターンシップの経験をもとにこのように書いている。「もし病院のベッドに何かよいものがあるとしたならば、それはぬくもりと保護、食事、そして注意深くフレンドリーなケア、加えてこれらを司る看護師の比類ないスキルだ。生き延びられるかどうかは疾病それ自体の自然な経過にかかっている。医学それ自体の影響はまったくないか、あってもわずかだ」
 第二次世界大戦後、状況は根本的に変わった。サルファ剤やペニシリン、そして数え切れないほどの抗生物質が使えるようになり、感染症を治せるようになった。血圧をコントロールしたり、ホルモン・バランスの乱れを治したりできる薬が見つかった。心臓手術から人工呼吸器、さらに腎臓移植と医学の飛躍的な進歩が常識になった。医師はヒーローになり、病院は病いと失望の象徴から希望と快癒の場所になった。
 病院を建てるスピードは十分ではなかった。米国では1946年に連邦議会がヒル・バートン法を成立させ、多額の政府資金が病院建設に投じられることになった。法の成立後、20年間で米国全体で9000以上の医療施設に補助金が下りた。歴史上初めて、国民のほとんどが近くに病院をもつようになった。これは他の工業国でも同様である。
 この変革の影響力はいくら強調しても強調しすぎることはない。人類が地球に出現してい以来、ほとんどの間、人は自分の身体から生じる苦痛に対して自分自身で対処することが基本だった。自然と運、そして家族と宗教に頼るしかなかった。

【『死すべき定め 死にゆく人に何ができるか』アトゥール・ガワンデ:原井宏明〈はらい・ひろあき〉訳(みすず書房、2017年)】

 シッダールタ・ムカジーに続いてまたぞろインド系アメリカ人である。しかもこの二人は文筆業を生業(なりわい)とする人物ではないことまで共通している。ガワンデは現役の医師だ。

 長々とテキストを綴ったのは最後の一文で受けた私の衝撃を少しでも理解して欲しいためだ。人類が宗教を必要とした理由をこれほど端的に語った言葉はない。

 都市部に集中する人口や核家族化によって、年老いた親の面倒を子供が見るというそれまで当たり前とされた義務を果たすことができなくなった。手に負えない情況に陥ればあっさりと親は老人ホームや介護施設に預けられる。保険報酬と低賃金で運営される施設の介護とは名ばかりで、まともな客としてすら扱っていない。老人は籠の中の鳥として生きるのみだ。ま、苦労と苦痛のアウトソーシングといってよい。あるいは親を殺す羽目になることを避けるための保険料と言い得るかもしれない。

「自然と運、そして家族と宗教に頼るしかなかった」人類は病院と薬を得て人生の恐怖を克服した。家の中から死は消え去った。数千年間に渡って人類を支えてきた宗教は滅び去り、家族は小ぢんまりとしたサイズに移り変わった。そこに登場したのがテレビであった。核家族はテレビの前で肩を寄せ合い、団らんを繰り広げた。未来の薔薇色を示した情報化社会は逆説的に灰色となって複雑な問題を露見し始めた。校内暴力~親殺し~いじめ~学級崩壊~引きこもりは社会の歪(ひず)みが子供という弱い部分に現れた現象である。

 宗教を手放した人類はバラバラの存在になってしまった。もはや我々はイデオロギーのもとに集まることもない。ただ辛うじて利益を共有する会社に身を置いているだけだ。その会社が経費のかからない手軽な人材の派遣を認めれば、もはやつながりは社会から失われる。

 幕末の知識人はエコノミーを経世済民と訳した。「世を経(おさ)め民を済(すく)う」のが経済の本義である。ところが21世紀の経営者は低賃金を求めて工場を海外へ移転して日本を空洞化し、国内においては移民政策を推進して安い労働力の確保に血道を上げている。その所業は「民を喰う」有り様を呈している。所業無情。

 今元気な人もやがて必ず医療・介護の世話になる。日本人の平均寿命から健康寿命を差し引けば10年となる。これが要介護年数の平均だ。スウェーデンは寝たきり老人ゼロ社会であるという(『週刊現代』2015年9月26日・10月6日合併号)。『欧米に寝たきり老人はいない 自分で決める人生最後の医療』という本もある。社会的コストを軽減するための形を変えた姥(うば)捨て文化なのだろう。もちろんそういった選択肢をする人がいてもよい。ただし老病と向き合う姿勢が忌避であることに変わりはなかろう。

 生き甲斐は現代病の一つである。生き甲斐という物語を想定すると「生き甲斐がなければ死んだ方がまし」と単純に思い込んでしまう。本当にそうなのか? そうかもしれないし、そうでないかもしれない。

 まずは介護環境を変えることから始める必要がある。保険報酬も予防に重きを置くべきだ。基本は食事療法と運動療法が中心となる。運動→武術→ヨガ→瞑想という流れが私の考える理想である。

 介護施設に関しては施設内のコミュニティ化・社会化を目指せばよい。実際に行うのは何らかの作業と会話であるが、コミュニケーションに最大の目的がある。誰かとコミュニケートできれば人は生きてゆけるのだから。

2016-04-02

日常生活における武士道的リスク管理/『父、坂井三郎 「大空のサムライ」が娘に遺した生き方』坂井スマート道子


『国民の遺書 「泣かずにほめて下さい」靖國の言乃葉100選』小林よしのり責任編集
『大空のサムライ』坂井三郎

 ・日常生活における武士道的リスク管理
 ・少女監禁事件に思う
 ・高いブロック塀は危険

『新編 知覧特別攻撃隊 写真・遺書・遺詠・日記・記録・名簿』高岡修編
『今日われ生きてあり』神坂次郎
『月光の夏』毛利恒之
『神風』ベルナール・ミロー
『高貴なる敗北 日本史の悲劇の英雄たち』アイヴァン・モリス

日本の近代史を学ぶ

 父は、事あるごとに「前後、左右、上下に注意しろ」と繰り返していました。外に出れば、危険はどこから来るか分からない。まさに「常在戦場」です。上から何が落ちてくるか分からないというのは、パイロットらしい立体的なものの考え方ではないでしょうか。
 歩いていて角を曲がる時でさえ、「内側を曲がらずに、大きく外回りをしろ」というのです。死角には、どんな危険が潜んでいるか分からないからです。そして、ひったくりや暴漢から身を守るために、爪でさえ武器になるのだから、伸ばしておけとも言われました。
 身の回りの道具一つをとってみても、そうでした。
 父の口癖は、「撃てないピストルはただの鉄くずだ。いつでも撃てるようにしておけ」。よく使う道具は、いつでもすぐに手に取れるように一つの箱にまとめ、手近な場所に置き、常に手入れを欠かしませんでした。それどころか、さらに使いやすくするため加工さえする徹底ぶりでした。

【『父、坂井三郎 「大空のサムライ」が娘に遺した生き方』坂井スマート道子(産経新聞出版、2012年/光人社NF文庫、2019年)】

 本書を読んでからクルマやバイクでアウト・イン・アウトすることをやめた。坂井は一人娘に徹底して武士道的な生き方を叩き込んだ。

 危機管理能力は一朝一夕で身につくものではない。何に対して危険を感じるか、どこに危険を見抜くかは、やはり子を保護する親の生き方から自然に学ぶものだろう。私の場合は5人の弟妹がいたため、それなりに危険を見抜く視点は持ち合わせていた。しかし坂井の足元にも及ばない。

 リスク管理という点で大切なことは「同じ過ちを繰り返さないこと」である。「気づく」ことは「変わる」ことを意味する。人は気づいた瞬間に変わっているのだ。時々、何度注意しても同じミスを繰り返す者がいる。周囲や時間に与える影響を理解していないのだろう。前頭葉に問題があるのかもしれないと本気で思う。

 世情を見るに現在は「平和な時代」ではない。戦時ではないものの、社会のあらゆる分野で争いが絶えない。世界に目を転じても、中東での戦争・紛争、中国における少数民族の虐殺、パレスチナに対するイスラエルの横暴など、戦禍といっていい情況が続く。

 ワーキングプア、老々介護、ブラック企業、パワハラ、セクハラ、学校でのいじめ、子虐待、ストーカー被害――これらは形を変えた戦争である。すなわち「殺される可能性が高い」。少しずつ時間をかけて扼殺(やくさつ)されているようなものだ。最初の接触で生命の危機を察知しない者は死と隣り合わせにいる。

 弱い者は殺される。強くなくても構わないが、せめて賢くあれ。



エキスパート・エラー/『新・人は皆「自分だけは死なない」と思っている 自分と家族を守るための心の防災袋』山村武彦

2019-08-21

ナチス・ドイツに先んじたアメリカの優生政策/『遺伝子 親密なる人類史』シッダールタ・ムカジー


『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』)ユヴァル・ノア・ハラリ
・『がん 4000年の歴史』シッダールタ・ムカジー

 ・ナチス・ドイツに先んじたアメリカの優生政策

・『ゲノムが語る23の物語』マット・リドレー
・『双子の遺伝子 「エピジェネティクス」が2人の運命を分ける』ティム・スペクター
・『遺伝子は、変えられる。 あなたの人生を根本から変えるエピジェネティクスの真実』シャロン・モアレム
・『生物進化を考える』木村資生
・『遺伝子「不平等」社会 人間の本性とはなにか』池田清彦
『若返るクラゲ 老いないネズミ 老化する人間』ジョシュ・ミッテルドルフ、ドリオン・セーガン

必読書リスト その五

 エマとキャリーは惨めな暮らしをしており、施しや、食料の寄付や、間に合わせの仕事で貧しい生活を支えていた。噂(うわさ)によれば、エマは金のために男の客を取り、梅毒に感染し、週末には稼いだ金を酒につぎこんでいるとされていた。その年の3月、彼女は町の通りで捕まり、浮浪罪か、あるいは売春をおこなったかどで登録され、地方裁判所に連行された。1920年4月1日にふたりの医師がおこなったぞないな精神鑑定によって、エマは「知的障害者」と判定され、リンチバーグのコロニーに送られた。
 1924年、「知的障害者」は最重度の白痴(idiot)、より軽度の痴愚(imbecile)、そして最軽度の魯鈍(ろどん/moron)の三つに分類された。白痴は最も分類しやすく、アメリカ合衆国国勢調査局によれば、「精神年齢が35カ月以下の精神障害者」と定義されているが、痴愚と魯鈍の分類はあいまいだった。論文上はより軽度の認知障害と定義されているが、そうした言葉は意味論の回転ドアのようなもので、内側に簡単に開いたかと思えば、売春婦、孤児、うつ病患者、路上生活者、軽犯罪者、統合失調症患者、失語症患者、フェミニスト、反抗的な若者といったさまざまな男女(精神障害をまったく患っていない者まで)をどっさり通した。要するに、その人物の行動、欲求、選択、外見が一般的な基準からはずれいる者ならば誰でも、痴愚や魯鈍に分類されたのだ。
 知的障害をもった女性たちは隔離のためにバージニア州立コロニーに送られた。女たちがこれ以上子供を産みつづけて、その結果、さらなる痴愚と魯鈍で社会を汚染することがないようにするためだった。「コロニー」という言葉は目的を表しており、そこは病院でもなければ、保護施設でもなく、最初から隔離施設として設計されていた。

【『遺伝子 親密なる人類史』シッダールタ・ムカジー:仲野徹〈なかの・とおる〉監修、田中文〈たなか・ふみ〉訳(早川書房、2018年/ハヤカワ文庫、2021年)以下同】

 冒頭のエピグラフに村上春樹の『1Q84 BOOK1』が引用されていて驚いた。とにかく文章が素晴らしい。ポピュラーサイエンスが文学の領域にまで迫りつつある。私はかねてから論理的な解説や表現は日本人よりも白人の方が優れていると考えてきたがどうやら違った。シッダールタ・ムカジーはインド人である。すなわち論理の優位性は英語にあったのだ。私の迷妄を打ち破ってくれただけでも今年読んだ中では断トツの1位である。

 キャリー・バックは1924年1月23日にコロニーへ送られることになり、3月にヴィヴィアンという女の子を産んだ。精神疾患はなく、読み書きもでき、身だしなみもきちんとしていたが、なぜか「魯鈍」と判定された。コロニーの監督者はアルバート・ブリディという町医者だった。彼は「知的障害者には優生手術を受けさせるべきだ」という政治運動を展開していた。バージニア州の上院は優生手術を受ける人物が「精神科病院委員会」の検査を受けるという条件つきで州内での優生手術を許可した。ブリディは証人を集めてキャリーを知的障害者に仕立て上げた。卵管結索手術についてキャリーは「皆さんにお任せします」と答えた。ブリディはこれを裁判所に認めさせれば一気に悪い種を殲滅できると考えた。バック対ブリディ裁判はブリディの死後ジョン・ベルが引き継バック対ベル裁判として歴史に名をとどめた。1927年、アメリカの連邦最高裁判所は知的障害者に不妊手術を強制するバージニア州の法律を8対1で合憲と判断した。この最高裁の判断が7万人の断種に道を開いた。ナチス・ドイツがユダヤ人をゲットーに閉じ込めたのは1940年代のことである。

「民族自滅」や「民族荒廃」という神話に対置していたのは、民族と遺伝子の純粋さという神話だった。20世紀初頭に何百万人ものアメリカ人が夢中になって読んだ人気小説のひとつがエドガー・ライス・バローズの『類猿人ターザン』だ。孤児となり、アフリカのサルに育てられたイギリスの貴族を主人公とする冒険小説である。サルに育てられても、主人公は両親から受け継いだ白い肌や、ふるまいや、体格を保っていただけでなく、清廉さや、アングロサクソン人の価値観や、食器類の直感的な正しい使い方までも忘れていなかった。「非のうちどころのないまっすぐな姿勢と、古代ローマ最強の剣闘士のような筋肉」の持ち主であるターザンは「育ち」に対する「生まれ」の究極の勝利を体現していた。ジャングルのサルに育てられた白人ですらフランネル・スーツに身を包んだ白人の品(ひん)を保つことができるなら、民族の純度というのはまちがいなく、どんな環境においても、保持することができるはずだった。

 インディアンを殺戮(さつりく)し、黒人を奴隷にして栄えたのがアメリカという国家である。ナチス・ドイツに先んじたアメリカの優生政策は人種差別大国であることの証で、アメリカ国民全員がクー・クラックス・クラン(KKK)であったといってよい。イエロー・モンキーが住む日本に原爆2発を落とした程度で反省するわけがない。

2011-05-24

目的や行為は集団に支配される


 医療はどこに存在するのか? 病院だ。労働は会社に、教育は学校に、信仰は教団においてのみ存在する。おかしいと思わないか? 目的や行為が特定の場所にしかない実態が。人間と人間との間で機能してきた本来の営みが集団や組織に支配されているのだ。

「手当て」という言葉は、額に手を当てて熱を計ったり、患部をさすったり、傷を保護することに由来しているのだろう。ところが医学技術が発達した現在では、勝手な医療行為は法律で規制されており、例えばヘルパーなどには認められていない(救命措置を除く)。

 結局のところ、人間は国家というシステムに隷属せざるを得ないのだ。危急存亡の秋(とき)とあらば、国民は喜び勇んで国家の捨て石となる。その意味で国家とは「祖国のために死ね」と命ずる装置といえよう。

 目的や行為が集団に支配されるのは資本主義の末路と考えられる。全ての関係性が消費に収斂(しゅうれん)され、経済的な対価が求められるのだ。

 かつて国家が国民のものであったことは一度もない。その意味では民主主義を論じること自体が、国家を正当化する論調となってしまう。民主主義は単なる概念であって、現実には単なる多数決を意味する言葉だ。つまり政治は国会においてのみ存在する。

 宗教だともっとわかりやすい。入会を強要する行為が信仰であるはずがない。教えを広めるはずの布教が勢力拡大に堕している。これはマーケットの論理だ。大きな教団が多額の金を払ってメディアに広告を打つのも同様である。教勢拡張を狙ったプロパガンダにすぎない。

 資本主義が一切を消費対象に変え、人間関係を商行為に貶(おとし)めている。恋愛ですら、ドラマや流行歌の歌詞に合せようと精一杯の努力を傾ける。文明は生活を豊かにしたが、生き方を貧しくした。

民主主義の正体/『世界毒舌大辞典』ジェローム・デュアメル

2018-06-10

虐待死した5歳女児のメモ


「ママ遅いよ」
三郷幼児放置死事件 男児なお「ママ悪くない」

 ・虐待死した5歳女児のメモ

両親逮捕、暴行死の女児「パパ、ママゆるして」 メモ残す

 東京・目黒区で5歳の女の子が父親に暴行を受けた後に死亡した事件で、女の子の両親が警視庁に逮捕されました。自宅からは「パパ、ママごめんなさい。ゆるして」という女の子の悲痛なメモが見つかりました。

 保護責任者遺棄致死の疑いで逮捕されたのは船戸雄大容疑者(33)と妻の優里容疑者(25)です。

 2人は今年1月下旬から、目黒区の自宅で長女で5歳の結愛ちゃんに対して、十分な食事を与えなかったうえ、体を殴ったり水を浴びせたりする暴行を加えた後、病院に連れて行かず、死亡させた疑いが持たれています。5歳児の平均体重は20キロですが、結愛ちゃんは亡くなった際、およそ12キロしかなかったということです。

 また、結愛ちゃんは「しつけ」と称して午前4時ごろに起床させられ、体重測定やひらがなの書き取りをさせられていたということです。

 自宅には、結愛ちゃんが両親に宛てたメモが残されていました。

「もうパパとママにいわれなくても しっかりと じぶんから きょうできないことも あすはできるようにするから もうおねがい ゆるして ゆるしてください おねがいします パパママごめんなさい ほんとうにもう おなじことしません ゆるして きのうぜんぜんできてなかったこと これまで まいにちやってきたことをなおします これまでにどれだけあほみたいにあそんだか あそぶってあほみたいだからやめるので もうぜったい ぜったい ぜったい やらないからね ぜったい ぜったい やくそくします」(結愛ちゃんの両親へのメモ)

 絵を描くのが好きだったという結愛ちゃん。

「あしたのあさは きょうみたいにやるんじゃなくて いっしょうけんめいやるんだ あしたはぜったいやるんだ」(結愛ちゃんの両親へのメモ)

 取り調べに対し、2人は容疑を認め、優里容疑者は「虐待の発覚が怖くて見過ごしてしまった」と供述しているということです。

TBS NEWS 2018年6月6日

 5歳の女の子が敬語を使用している。それは生き延びるための必死の叫びだった。脳が十分に発達していない子供は、虐待されているという事実から原因を自分に見出してしまう。無論逃げることも難しい。「逃げる」という発想ができないのだ。彼女の「約束」も「決意」も虐待する両親の耳には届かなかった。

 私は悲しみよりも、腸が捻(ね)じ切れるような怒りに駆られる。同じ目に遭わせるだけではまだまだ足りない。生まれてきたことを後悔するほどの制裁が必要だろう。

 私が既成仏教に抜き難い胡散臭さを感じるのは五逆罪に子殺しがないためだ。そこに「恩」の思想があることは理解している。例えば20歳になるまで虐待されてきた息子が満を持して親を殺した場合はどうなるのだろう? 私なら可とする。正当防衛だ。むしろそんな親は殺されるべきではないのか。

 中部経典には「アングリマーラ経」というのがあって、99人もの殺人に手を染めたアングリマーラという男がブッダと出会い、更生する様が劇的に描かれている。これもまた腑に落ちない。アングリマーラが本当に悟ったのであれば、自分の指を全て切り落とし、自殺するのが当然ではないか。ぬくぬくとブッダの傍で修行をしている場合ではないだろう。

 更に付け加えると私は少年犯罪に対しても殺人は厳正に処分するべきだと考える。チンパンジー社会でルールを無視した者はその場で撲殺される。これは群れ全体が崩壊することを避けるためのブレーキなのだろう。すなわち法の目的は社会を維持するところにあり、厳正かつ公正に行うのは当然だ。1969年、神奈川県川崎市のミッション系高校に通う学生が首切り殺人を犯した。被害者家族は音を立てるように崩壊した。一方、加害者の高校生はその後弁護士となって優雅な生活を送る(『心にナイフをしのばせて』奥野修司)。その上本人には悔悟の念が全くない。我々の社会はこれを許すのだろうか? 私は許さない。更生後の人生は被害家族のために捧げるべきだろう。

2011-10-09

恐怖で支配する社会/『智恵からの創造 条件付けの教育を超えて』J・クリシュナムルティ


 クリシュナムルティ本の翻訳はどれも評判が悪い。私の周囲でも「あんな悪文がよく読めますね」という声を聞く。その上、翻訳者が声高に自己主張を叫んでいる。これが大野純一、大野龍一、藤仲孝司の共通点だ。

 不思議なことだが酷い翻訳であるにもかかわらず、私は読むのに支障をきたすことがない。クリシュナムルティの静謐な精神に包まれているような心地がするのだ。

 翻訳は重要な事業である。鳩摩羅什〈くまらじゅう〉がいなければ鎌倉仏教も生まれなかったであろうし、小ブッダともいうべき人々が存在しなければ、部派仏教大乗仏教も誕生しなかったに違いない。

 その意味で翻訳は単なる言葉の置き換えではない。人々の脳内情報を書き換え、上書き保存するほどのプレゼン能力が求められる。仏典では文・義・意という考え方があるが、これは翻訳の原理を示したものといってよい。

 藤仲は文(もん)を重んじるタイプで、翻訳というよりは通訳に近い。それはそれで資料的価値がある。解釈というものは常に誤謬(ごびゅう)に満ちているものだから。

 本書には1933年から1967年に渡る講演が収められている。ところが古さを全く感じさせない。どんなに立派な人物であっても1970年代前半くらいまでは差別的な言辞や用語があるものだ。社会全体もそれを受容していた。

 今、中国の風潮を揶揄するネット言論が目立つが、高度経済成長が終わるまでの日本とさほど遜色があるとは思えない。

 クリシュナムルティにはそれがないのだから驚くべきことである。

 私たちは、目覚めさせてくれる人がほしいのです。啓発者がほしいのです。導き手がほしいのです。振るまい方を私たちに言ってくれる誰かが、ほしいのです。愛は何であるのか、何を愛するのかを私たちに言ってくれる誰かが、ほしいのです。私たちは自分自身では空っぽです。私たちは自分自身では混乱し、不確実で、悲惨です。ですから、私たちは、助けてもらい、啓発してもらい、導いてもらい、目覚めさせてもらえるよう、乞い求めて巡るのです。どうかこれに付いてきてください。それはあなたの問題です。私の〔問題〕ではありません。それはあなたの問題ですから、あなたはそれに向き合い、それを理解すべきです――来る年も来る年も、〔ついに〕混乱し全く迷って死ぬまで、それを反復すべきではないのです。あなたは、啓発者が不可欠である、または導師(グル)は必要である、と言います。何のためですか。導師(グル)は、あなたが真理と呼ぶもの――実在(the real)と呼ぶもの、神、自己実現――に導かれるために、必要でしょうか。理解できるでしょうか。あなたは導かれたいのです。これには幾つものことが含意されています。(マドラスでの講話4 1953年12月13日)

【『智恵からの創造 条件付けの教育を超えて』J・クリシュナムルティ:藤仲孝司〈ふじなか・たかし〉、横山信英、三木治子訳(UNIO、2007年)以下同】

 1953年だから昭和28年の講話(トーク)である。第二次世界大戦が終わってから10年経っていない。バブル景気が弾けた後なら、まだ理解のしようもある。クリシュナムルティの指摘は半世紀ほど先んじていた。

 サラリーマンは「よき上司」を求めるものである。我々現代人は何らかの形で組織や集団に所属している。皆が皆、「素晴らしいリーダー」を待望している。我々はそれを当たり前のように自然な気持ちとして考えている。だがクリシュナムルティはその実相を暴く。

 多くの人々は心理的な依存を求めており、よりよき方向へ自分を導いてくれる案内者を探している。つまり、「よきコントロール」を望んでいるのだ。

 主従(経済的関係性)、親子(家族的関係性)、師弟(教育的関係性)のいずれにおいても、我々はコントロールされている。会社の指示を聞き、親に従い、先生の言いつけを守ることが「正しい」と信じている。社会のありとあらゆる場面で、積極的な隷属を強いられている。そこで重んじられるのは智慧よりもセオリーだ。幼い頃から「ルールを守る」ことは教わっても、「誤ったルールを見抜き、変える」ことはただの一度も教わっていない。

「お母さん、明日の朝起こしてね」――これが我々の生きる姿勢なのだ。

Jiddu Krishnamurti

 次に紹介するのはラージガートの講話で聴衆は学生である。

 今朝私は〔できるなら〕、かなり難しそうな話題について話をしたいのです。ですが、可能なかぎり、それを単純で直接的にしようとするでしょう。知っているでしょうが、私たちのほとんどは何らかの恐れを持っていますね。君たちは、自分の特定の恐れを知っているでしょうか。君たちは、自分の先生を、保護者、親、大人たちを、または蛇や野牛、誰かの言うことや死などを恐れているかもしれません。一人一人が恐れを持っていますが、若者たちにとって恐れは相当に単純です。私たちが年を取るにつれて、恐れはもっと複雑で、もっと難しく、もっと微細になるのです。私は特定の方向で自己を充足したいのです。君たちは、「充足」とはどういう意味であるかを、知っていますね。私は偉大な作家になりたいのです。私は、もしもものを書けたなら、自分の生活が幸せになるだろうと感じます。それで、私はものを書きたいのです。しかし、私には何が(ママ)起きるかもしれません。私は余生の間、〔身体が〕麻痺してしまうかもしれません。それが私の恐れになるのです。それで、私たちが年を取るにつれて、様々な形の恐怖が生じます――ひとり取りのこされる〔恐れ〕、友だちがいない〔恐れ〕、資産を失う〔恐れ〕、どんな地位をも持たない恐れ、そして他の様々な種類の恐れ、です。しかし私たちは今、とても難しくて微細な種類の恐れには入らないでしょう。なぜなら、それらははるかに多くの思考を必要とするからです。
 私たちが――君たち若者と私が、この恐れという疑問を考慮することが、とても重要です。なぜなら、社会と大人たちは、君たちを行儀よくさせておくには恐れが必要である、と考えるからです。君が自分の先生や親を恐れているなら、彼らは君をもっとうまく制御できるでしょう。彼らは、「これをしなさい、あれをしてはいけない」と言えるし、君はまったく彼らに服従しなくてはならないでしょう。ですから、恐れは道徳的な圧力として使われます。教師たちは、たとえば大きな学級において、学生たちを制御する手段として恐れを使います。そうではないでしょうか。社会は、恐れは必要である、さもなければ市民たち、民衆たちは弾けて、むちゃなことをするだろう、と言うのです。こうして、恐れは人の制御に必要なものになったのです。
 知っているでしょうが、恐れはまた、人を〔文明化・〕教化するためにも使われます。世界中の〔諸々の〕宗教は、人を制御する手段として、恐れを使ってきたでしょう。彼らは、君はこの生で一定のことをしないなら、来世でそのつけを払うことになるだろう、と言うのです。すべての宗教は愛を説くけれども、同胞愛を説くし、人の和について話をするけれども、彼らはすべて、微妙にまたはひどく残忍に、粗雑にこの恐れの感覚を維持するのです。(ラージガートでの講話2 1954年1月5日、以下同)

 あっと言う間に「恐怖」の本質を浮かび上がらせている。確かに社会や集団は恐怖で人々を支配している側面がある。法的な罰(ばつ)と神罰(しんばつ)仏罰(ぶつばち)は同根であろう。人間よりもコミュニティに重きを置いた眼差しだ。

 社会で罰の価値観が共有されると、「あいつを罰するべきだ」という主張が必ず生まれる。法律で裁けないなら俺たちの手で裁こう、というのが私刑だ。イタリアマフィアのオメルタの掟、やくざ者の指詰め、クー・クラックス・クラン(KKK)による黒人の処刑、関東大震災における朝鮮人虐殺も全部同じだ。

クー・クラックス・クラン(KKK)と反ユダヤ主義

 一人ひとりの権利を守るべきルールが、今度は人々の行動を束縛し抑圧する方向へと作動する。次々と生まれる新たな犯罪によって法律は細分化し、次々と発生する新たな事故や病気によって保険の約款(やっかん)は長くなる。

 組織が必ず統治されている以上、そこでは権力が機能する。権力は必ず服従を求める。組織内では服従の競争がまかり通る。これを「積極的奴隷性」と名づけよう。

 誰もが社会での成功を望んでいる。否、我々にとっての幸福とは「社会での成功」に他ならない。皆が皆、ひとかどの者になろうと悪戦苦闘している。だが、よくよく考えてみると、それ自体が社会の奴隷になることを促している。ビジネス書が披露しているのは「賢い奴隷になる方法」であろう。

 私たちのほとんどはとても保守的です。君たちは、その〔保守的という〕言葉がどういう意味であるのかを、知っていますね。「保守する」とはどういうことかを知っていますね――保つ、守るのです。私たちのほとんどは、〔尊敬されるよう〕体裁よくしていたいのです。それで、正しいことをやりたいし、正しい行ないに従いたいのです――それは、とても深く入るなら分るでしょうが、恐れの表示です。なぜまちがえていけないのでしょうか。なぜ見出さないのでしょうか。しかし。恐れている人はいつも、「私は正しいことをしなければならない。体裁よく見えなければならない。本当のありのままの私を公に知らせてはならない」と考えています。こういう人は基本的に、根源的に恐れています。野心を持っている人は本当は怯えた人物です。そして怯えている人は、どんな愛をも持ちません。どんな同情も持ちません。彼は壁の向こうに監禁された人物に似ています。私たちが若いうちに、このことを理解すること、恐れを理解することが、とても重要です。私を服従させるのは、恐れです。しかし、私たちはそれについて話し合い、ともに推理し、ともに議論し、考えることができるなら、そのとき私は、頼まれたことを理解して、できるかもしれません。しかし、私が君に怯えているからといって、私が理解しないことをやるよう私に強制すること、強いることは、まちがった教育でしょう。

 凄い指摘だ。野心を持つ者は臆病者だと言い切っている。組織が巨大になればなるほど、そこでは野心と思惑が働く。権力闘争といえば聞こえはいいが、所詮パン食い競争みたいなものだ。

 地位・名誉・称賛を求める人生に本当の幸福はあり得ない。なぜなら奴隷には自由がないからだ。知らず知らずのうちに「不自由な豊かさ」を幸福だと思い込まされている事実が恐ろしい。我々が望んでいるのは「豪華な牢獄」に他ならない。

 権力者を恐れ、権威に従うことは、群れの本能に基づいているのだろう。権威に服従すればコミュニティ内では得をする。

服従の本質/『服従の心理』スタンレー・ミルグラム

 相手を立場や所属で見つめる眼差しに人間の姿は映らない。我々は人間と向き合うことすら奪われてしまったのだろう。

 クリシュナムルティは宗教者に鉄槌を下す。

 恐れている人物は、けっして真理や神を見出せません。私たちの崇拝すべて、像すべて、儀式すべての裏には、恐れがあります。ゆえに、君の神は神ではなくて、それらは石なのです。

 もうね、ぐうの音も出ないよ。宗教は死、あるいは死後の恐怖を利用して信者を脅す。ただ脅すだけではない。必ず金を巻き上げる。地獄や祟(たた)りが彼らの常套句だ。先祖をオールスターで勢揃いさせて、恨みつらみを勝手に代弁する。霊の腹話術みたいなもんだ。しゃべってんのは、てめえだろーが。

 クリシュナムルティが示したのは「恐怖からの自由」であった。

智恵からの創造―条件付けの教育を超えて (クリシュナムルティ著述集)
ジドゥ クリシュナムルティ
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クリシュナムルティ「智恵からの創造」
恐怖からの自由/『自由への道 空かける鳳のように』クリシュナムーテイ
欲望が悲哀・不安・恐怖を生む/『子供たちとの対話 考えてごらん』J・クリシュナムルティ
恐怖なき教育/『未来の生』J・クリシュナムルティ
自由の問題 1/『子供たちとの対話 考えてごらん』J・クリシュナムルティ
宗教は恐怖と不安を利用する
死の恐怖/『ちくま哲学の森 1 生きる技術』鶴見俊輔、森毅、井上ひさし、安野光雅、池内紀編

2011-08-08

モンサント社が開発するターミネーター技術/『自殺する種子 アグロバイオ企業が食を支配する』安田節子


『給食で死ぬ!! いじめ・非行・暴力が給食を変えたらなくなり、優秀校になった長野・真田町の奇跡!!』大塚貢、西村修、鈴木昭平
『伝統食の復権 栄養素信仰の呪縛を解く』島田彰夫
『親指はなぜ太いのか 直立二足歩行の起原に迫る』島泰三

 ・モンサント社が開発するターミネーター技術

『タネが危ない』野口勲
『野菜は小さい方を選びなさい』岡本よりたか
『土を育てる 自然をよみがえらせる土壌革命』ゲイブ・ブラウン

 世界はカラクリで動いている。金融というゼンマイを巻くことで経済という仕掛けが作動する仕組みだ。そもそも資本主義経済は壮大なねずみ講といってよい。消費者に損をしたと思わせないために広告代理店がメディアを牛耳っている。テレビCMは五感を刺激し欲望を掻(か)き立てる。経済通は口を開けばGDPの成長を促す。生産と消費は食物摂取と排泄(はいせつ)みたいなものだ。あ、そうか、我々は無理矢理エサを食べさせられるガチョウってわけだな。

フォアグラができるまでアヒルのワルツver.

 ローマクラブが『成長の限界』で人類の危機を指摘したのが1972年のこと。これが椅子取りゲームの合図であった。エネルギーと食糧を先進国で支配し、発展途上国が豊かになることを未然に防ごうとしたわけだ。

世界中でもっとも成功した社会は「原始的な社会」/『人間の境界はどこにあるのだろう?』フェリペ・フェルナンデス=アルメスト

 先物相場で取引されるものをコモディティ(商品)というが、貴金属と非鉄金属以外は食糧とエネルギーである。元々生産者を保護するための先物相場は大阪の堂島米会所から始まったものだ。ところが現在は完全に投機の対象となっている。

 日本の食糧自給率はカロリーベースで40%、生産額ベースで70%となっている(2009年)。これは多分、アメリカの戦後支配によって誘導されてきた結果であろう。敗戦の翌年(1946年)、学校給食にパンが用いられた。アメリカ国内で小麦が余っていたためだ。

戦後の食の歴史を学ぶ:「日本侵攻 アメリカ小麦戦略」
現在のアレルギー性疾患増加は戦後の「栄養改善運動」と学校給食、そしてアメリカの小麦戦略によって作られた

 食糧とエネルギー、はたまた軍事に至るまで外国頼みである以上、日本が国家として独立することは極めて困難だ。

 そしてアメリカはTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)という新ルールを日本に課すことで、カラクリを一層強化しようと目論んでいる。

中野剛志

 アグロバイオ(農業関連バイオテクノロジー〔生命工学〕)企業が、特許をかけるなどして着々と種子を囲い込み、企業の支配力を強めています。究極の種子支配技術として開発されたのが、自殺種子技術です。この技術を種に施せば、その種子から育つ作物に結実する第二世代の種は、自殺してしまうのです。次の季節にそなえて種を取り置いても、その種は自殺してしまいますから、農家は毎年種を買わざるを得なくなります。
 この技術は別名「ターミネーター・テクノロジー」と呼ばれています。『ターミネーター』という映画(1985年、米国)をご覧になった方もあるでしょう。(中略)次の世代を抹殺する自殺種子技術の非道さは、まさに映画の殺人マシーン〈ターミネーター〉と重なります。
 この技術の特許を持つ巨大アグロバイオ企業が、世界の種子会社を根こそぎ買収し、今日では、出資産業が彼ら一握りのものに寡占化されています。彼らは、農家の種採りが企業の大きな損失になっていると考え、それを違法とするべく活動を進めているのです。

【『自殺する種子 アグロバイオ企業が食を支配する』安田節子(平凡社新書、2009年)以下同】

 検索したのだが、創業者であるジョン・F・クイーニーの情報がネット上に見当たらない。完全支配の発想がユダヤ的だと思うのだがどうだろうか。種の生殺与奪を握る権限という考え方はアジアからは生まれそうにない。砂漠で生きてきた民族の思考に由来するものだろう。

 病的な発想だ。きっと宗教的な妄想に取り付かれているのだろう。こんな連中が世界を支配しているのだから、貧困がなくなるわけもない。というよりはむしろ、彼らによって貧困が維持されていると考えるべきだろう。

 途上国はおしなべて農業国といえるのですが、農業国でなぜ飢えるのか。それは世界銀行が指南してきた開発モデルに従い、債務を返済するために地場の自給農業をやめて、農地ではもっぱら先進国向けの換金作物を生産しているからです。バナナ、サトウキビ、綿花、コーヒー、パーム椰子などを生産し輸出する、穀物は米国やフランスなど先進国からの輸入に依存するという構造を押しつけられてきました。
 世界銀行やIMF(国際通貨基金)の「助言」に従って自給農業を犠牲にした結果、主食を金で買うしかない、こうした貧しい国々が穀物高騰の直接的影響を蒙ったといえます。

 世界銀行を知るには以下の2冊が参考になる。

世界銀行の副総裁を務めた日本人女性/『国をつくるという仕事』西水美恵子
経済侵略の尖兵/『エコノミック・ヒットマン 途上国を食い物にするアメリカ』ジョン・パーキンス

 世界銀行とIMFの仕事は発展途上国を債務超過にすることである。つまり借金漬けにした上でコントロールするのだ。これを親切に涼しい顔でやってのけるのが白人の流儀だ。

 経済とは交換(trade,swap)である。その取引(deal)においてインチキがなされているのだ。アフリカがいつまで経っても貧困と暴力に喘いでいるのは、ヨーロッパが植民地化し、アメリカが奴隷化した歴史のツケが回っているためだ。彼らは有色人種や異教徒を同じ人間とは見なさない。

 いまでは全米のトウモロコシの3割がバイオエタノール用に降り向けられた結果、食用向けが逼迫して高騰しました。トウモロコシが高値で取引されることから、農家は大豆や小麦の生産をやめ、トウモロコシへ転換するようになりました。生産量の減少で小麦と大豆も価格が上がりました。
 原油の値上がりもバイオ燃料ブームを引き起こした一因です。

 食べ物が工業用エネルギーに化けた。経済的合理性は利潤を追求するので、生産者はより高い作物を育てようとする。政治や市場はこのようにして人々の生活を破壊する。過当競争が終われば必要な物が不足している。

 特定の方向に傾きやすいのは不安に根差しているのだろう。これがファシズムの温床となる。アメリカの農業は既に工業の顔つきをしている。

 モンサント社は遺伝子組み換え技術を使った牛成長ホルモンrBST(recombinant Bovine Somatotoropin' 商品名「ポジラック」)を開発し、米国では1994年より大人の乳量増加のために使用されてきました。「ポジラック」を乳牛に注射すると、毎日出す乳の量が15~25%増えるうえに、乳を出す帰還も平均30日ほど長くなるといいます。(EUはrBSTに発ガン性があるとして輸入禁止。カナダ政府保健省はrBSTによって牛の不妊症、四肢の運動麻痺が増加すると報告した。日本には規制がないためフリーパスで入ってきた。)

 生産性を上げるためなら、こんな残酷な真似までするのだ。我々人類は。

家畜の6割が病気!

 日本の場合、屠畜上で検査されて、抗菌性物質の残留や屠畜場法に定められた疾病(尿毒症、敗血症、膿毒症、白血病、黄疸、腫瘍など)や奇形が認められることが頻発しています。その場合、屠殺禁止、全部廃棄、また内蔵など一部廃棄となるのですが、その頭数は牛・豚ともに屠殺頭数の6割にも達します(2006年度)。出荷される家畜の多くが病体であるという現実はほとんど知られていません。疾患のある内装は廃棄されるとはいいえ、その家畜の肉が健康な肉といえるでしょうか。
 私たちの身体は食べたものでできており、何を食べるかで健康は大きく左右されます。この意味からも、病体の家畜を大量に生み出す生産方式を問い直す必要があるのです。

 元々食肉業界は闇に包まれている部分が大きい。

アメリカ食肉業界の恐るべき実態/『ファストフードが世界を食いつくす』エリック・シュローサー

 ターミネーター技術とは、作物に実った二世代の種には毒ができ、自殺してしまうようにする技術のことです。この技術を種に施して売れば、農家の自家採種は無意味になり、毎年種を買わざるを得なくなります。この自殺種子技術を、「おしまいにする」という意味の英語 terminate から、RAFI(現ETC、カナダ)がターミネーターと名づけました。

 更にこの技術を進化させているそうだ。

 また業界はターミネーター技術をさらに進化させた、トレーター技術も開発しています。植物が備えている発芽や実り、耐病性などにかかわる遺伝子を人工的にブロックして、自社が販売する抗生物質や農薬などの薬剤をブロック解除剤として散布しない限り、それらの遺伝子は働かないようにしてあります。農薬化学薬品メーカーでもあるこれらの企業の薬剤を買わなければ、作物のまともな生育は期待できないのです。RAFIが、この技術を指す専門用語 trait GURT にかけて traitor (裏切り者)技術と名づけました。自社薬剤と種子のセット売りは、除草剤耐性GM作物の「自社除草剤と種子のセット売り」戦略と同じです。ターミネーター技術やトレーター技術を開発するのをみれば、アグロバイオ企業の真の狙いは種子の支配なのだと思わされます。

 最終的に彼らは太陽の光や空気も支配するつもりなのだろうか?

 遺伝子組み換え作物に導入した特性は、次世代にも引き継がれます。そのためモンサント社の種子を購入する農家は、特許権を尊重するテクノロジー同意書に署名させられ、どんな場合でも収穫した種子を翌年に播くことは許されません。毎年種会社から種を買うことが求められます。

 これをパテント(特許)化することで完全支配が成立する。実際に行われている様子が以下。

 2003年7月、市民団体が招いたシュマイザーの講演によると、北米で、農民に対してモンサント社が起こした訴訟は550件にも上るといいます。モンサント社は、組み換え種子の特許権を最大限に活用する戦略を展開しています。遺伝子組み換え種子を一度買った農家には、自家採種や種子保存を禁じ、毎年確実に種子を買わせる契約を結ばせます。そうでない農家には、突然特許権侵害の脅しの手紙を送りつけるというものです。農家の悪意によらない、不可抗力の花粉汚染であるなら、裁判では勝てると常識的に思うのですが、法廷に持ち込まれることはほとんどないといいます。農民は破産を恐れ、巨大企業モンサント社との裁判を避けるために、示談金を払うしかないのだそうです。

 こうしてモンサント社は訴訟をもビジネス化した。

 モンサント社は特許権を守るというより、損害賠償をビジネスとして展開しています。ワシントンにある食品安全センター(FSC)の2007年の調査によると、モンサント社は特許侵害の和解で1億700万~1億8600万ドルを集め、最高額はノースカロライナ農民に対しての305万ドル(約3億500万円)だったそうです。モンサント社は訴訟分野を強化するため、75人のスタッフを擁する、年間予算1000万ドルの新部門を設置したといいます(03年)。

 なぜ、これほど悪辣な企業が大手を振って歩いているのだろうか? それは多額の政治献金を行っているからだ。そして天下りも受け入れている。抜かりはない。

 また次の改定では、研究機関の新品種へのアクセスは、10年間禁止し、その後、登録とロイヤリティの支払いを求めるとしています。そしてこれを実行ならしめるため、種子銀行システムを構築するとしています。品種育成のために使用できる合法種子は、種子銀行から正式な手順に従って許可された種子だけとなり、それにはロイヤリティの支払いを伴うことになります。

 文字通り農業を根こそぎ私物化し、自分たちの言い値で販売する戦略だ。もはや戦略というレベルではなく、世界全体の植民地化といってよい。

 彼らは何を目指しているのか?

 この種子銀行システム構想の下敷きになっているのが、国際農業研究協議グループ(CGIAR)の遺伝子銀行やノルウェー領に建造された週末趣旨貯蔵庫ではないでしょうか。
 ビル・ゲイツのビルアンドメリンダゲイツ基金、ロックフェラー財団、モンサント社、シンジェンダ財団などが数千万ドルを投資して、北極圏ノルウェー領スヴァールバル諸島の不毛の山に終末趣旨貯蔵庫を建造し、2008年2月に活動を開始しています。ノルウェー政府によれば、それは、核戦争や地球温暖化などで趣旨が絶滅しても再生できるように保存するのが目的といいます。
 この貯蔵庫は、自動センサーと二つのエアロックを備え、厚さ1メートルの鋼鉄筋コンクリートの壁で出来ています。また爆発に耐える二重ドアになっています。北極点から約1000キロメートル、摂氏マイナス6度の永久凍土層深くに建てられた終末種子貯蔵庫には、さらに低温のマイナス8度の冷凍庫3室があり、450万種の趣旨を貯蔵できます。
 核戦争や自然災害など深刻な災害に世界の農業が見舞われたとき、果たして各国はこの貯蔵庫から種子を取り出し、食料生産を再開することができるのでしょうか。

終末の日の要塞 スヴァールバル世界種子貯蔵庫

 種子のマネー化である。農業の金融化。利息が利息を生んで自動的に増殖する仕組みだ。

信用創造のカラクリ
「Money As Debt」

 グローバリゼーションがニュー・ワールド・オーダー(新世界秩序)を目指したものであるならば、彼らは用意周到に恐るべき忍耐力を発揮しながら、それを必ず実現させることだろう。

 世界の仕組みを理解するための必読書であることは確かだが、如何せん最初から最後まで市民的な正義が全開となっており疲れを覚える。



モンサント社の世界戦略が農民を殺す
巨大企業モンサント社の世界戦略 遺伝子組換 バイオテクノロジー
遺伝子組み換えトウモロコシを食べる害虫が増殖中、米国
「遺伝子組換食品の脅威」ジェフリー・M・スミス
穀物メジャーとモンサント社/『面白いほどよくわかる「タブー」の世界地図 マフィア、原理主義から黒幕まで、世界を牛耳るタブー勢力の全貌(学校で教えない教科書)』世界情勢を読む会
資本主義経済崩壊の警鐘/『ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く』ナオミ・クライン
癌治療の光明 ゲルソン療法/『ガン食事療法全書』マックス・ゲルソン
アメリカの穀物輸出戦略/『この国の不都合な真実 日本はなぜここまで劣化したのか?』菅沼光弘

2020-10-12

国家と文明の深層史(ディープ・ヒストリー)を探れ/『反穀物の人類史 国家誕生のディープヒストリー』ジェームズ・C・スコット


『環境と文明の世界史 人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ』石弘之、安田喜憲、湯浅赳男
『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』ユヴァル・ノア・ハラリ
『文化がヒトを進化させた 人類の繁栄と〈文化-遺伝子革命〉』ジョセフ・ヘンリック
『文化的進化論 人びとの価値観と行動が世界をつくりかえる』ロナルド・イングルハート
『家畜化という進化 人間はいかに動物を変えたか』リチャード・C・フランシス
『親指はなぜ太いのか 直立二足歩行の起原に迫る』島泰三
『人類史のなかの定住革命』西田正規

 ・定住革命と感染症
 ・群集状態と群集心理
 ・国家と文明の深層史(ディープ・ヒストリー)を探れ
 ・穀物が国家を作る

『小麦は食べるな!』ウイリアム・デイビス
『文明が不幸をもたらす 病んだ社会の起源』クリストファー・ライアン
『お金の流れでわかる世界の歴史 富、経済、権力……はこう「動いた」』大村大次郎
『脱税の世界史』大村大次郎
・『対論「所得税一律革命」 領収書も、税務署も、脱税もなくなる』加藤寛、渡部昇一
『人類と感染症の歴史 未知なる恐怖を超えて』加藤茂孝
『感染症の世界史』石弘之
『ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来』ユヴァル・ノア・ハラリ
・『近代の呪い』渡辺京二
『シリコンバレー式自分を変える最強の食事』デイヴ・アスプリー
『医者が教える食事術 最強の教科書 20万人を診てわかった医学的に正しい食べ方68』牧田善二
『医者が教える食事術2 実践バイブル 20万人を診てわかった医学的に正しい食べ方70』牧田善二

必読書リスト その四

クロード・レヴィ=ストロースは書いている。

文字は、中央集権化し階層化した国家が自らを再生産するために必要なのだろう。……文字というのは奇妙なものだ。……文字の出現に付随していると思われる唯一の現象は、都市と帝国の形成、つまり相当数の個人の一つの政治組織への統合と、それら個人のカーストや階級への位(くらい)付けである。……文字は、人間に光明をもたらす前に、人間の搾取に便宜を与えたように見える。

【『反穀物の人類史 国家誕生のディープヒストリー』ジェームズ・C・スコット:立木勝〈たちき:まさる〉訳(みすず書房、2019年)】

 秦の始皇帝が行ったのは文字・貨幣・暦・度量衡の統一である。秦(しん)は英語のChinaとシナの語源でもある。シナという呼称については以下のページに記した。

都市革命から枢軸文明が生まれた/『一神教の闇 アニミズムの復権』安田喜憲

 レヴィ=ストロースの絶妙なエピグラフから農耕革命の欺瞞を暴く驚愕の一書である。

 定住と最初の町の登場は、ふつうは灌漑と国家が影響したものだと見られていた。これも今はそうではなく、たいていは湿地の豊穣の産物だということがわかっている。また、定住と耕作がそのまま国家形成につながったと考えられていたが、国家が姿を現したのは、固定された畑での農耕が登場してからずいぶんあとのことだった。さらに、農業は人間の健康、栄養、余暇における大きな前進だという思い込みがあったが、初めはそのほぼ正反対が現実だった。以前は、国家と初期文明はたいてい魅力的な磁石として見られ、その贅沢、文化、機会によって人びとを引きつけたと考えられてきた。実際には、初期の国家はさまざまな形態での束縛によって人口を捕獲し、縛りをつけておかなければならず、しかも群集による伝染病に悩まされていた。初期の国家は脆弱ですぐに崩壊したが、それに続く「暗黒時代」には、実は人間の福祉が向上した跡が見られることが多い。最後に、たいていの場合、国家の外での生活(「野蛮人」としての暮らし)が、少なくとも文明内部の非エリートと比べれば、物質的に安楽で、自由で、健康的だったことを示す強い証拠がある。

 人類のコミュニティが部族から国家へ【進化した】との思い込みがくっきりと浮かび上がってくる。しかも我々はそれが自然の摂理であるかのように錯覚している。テキスト中の「暗黒時代」とは国家不在の時代を意味するのだろう。つまり集団を嫌ったアウトサイダーの方が豊かな生活をしていたというのだ。そこから導かれるのは国家を成り立たせたのは奴隷の存在であることだ。

 そこである感覚が要求してくる――わたしたちが定住し、穀物を栽培し、家畜を育てながら、現在国家と呼んでいる新奇な制度によって支配される「臣民」となった経緯を知るために、深層史(ディープ・ヒストリー)を探れ、と。

 私は元々群れや集団に関心があり、人類のコミュニティがダンバー数の150人から国家に至ったのは必然であり、国家を超えるコミュニティの誕生は難しいと考えてきた。ヒトが動物の頂点に君臨したのは知恵があるためだ。腕力では動物に敵わないが人類は武器とチームワークで動物を打ち負かした。武器は手斧(ちょうな)に始まり、投石、弓矢、火、火薬、刀剣、火砲そして銃(13世紀後半、中国で誕生)へと発展した。第一次世界大戦(1914-18年)では機関銃が使われ、第二次世界大戦(1939-45年)ではミサイル(ドイツのV2ロケットが嚆矢〈こうし〉)と原子爆弾が開発された。あらゆる集団は組織化された暴力(軍隊・警察)に膝を屈する。つまり国家とは人々の暴力を制御するところに生まれるものなのだ。これが私の基本的な考えで「国家とは軍隊なり」と言えるかもしれない。ところが食糧を基軸に考えると全く異なる人類の姿が現れる。

 さらに〈飼い馴らし〉の「最高責任者」であるホモ・サピエンスについてはどうだろう。〈飼い馴らされた〉のはむしろホモ・サピエンスの方ではないだろうか。耕作、植え付け、雑草取り、収穫、脱穀、製粉といったサイクルに縛りつけられているうえ(このすべてがお気に入りの穀物のためだ)、家畜の世話も毎日しなければならない。これは、誰が誰の召使いかという、ほとんど形而上学的な問いかけになる――少なくとも、食べるときまでは。

 安定した食糧生産を支えるのは安定した労働力である。ここで考える必要があるのは狩猟・漁撈(ぎょろう)との比較だ。労働生産性からいえば明らかに農耕の方が分が悪い。労働時間はもとより、天候リスクや戦争リスクを思えば収穫までの期間が種々のリスク要因となる。すなわち農耕の背景には何らかの強制があったのだろう。

〈飼い馴らし〉は、ドムス周辺の動植物の遺伝子構造と形態を変えてしまった。植物と動物と人間が農業定住地に集まることで新しい、非常に人工的な環境が生まれ、そこにダーウィン的な選択圧が働いて、新しい適応が進んだ。新しい作物は、わたしたちがつねに気をつけて保護してやらなければ生きていけない。「でくのぼう」になってしまった。家畜化されたヒツジやヤギについてもほぼ同じことがいえて、どちらも野生種と比べると小柄だし、おとなしい。周囲の環境への意識も低く、性的二形性〔雌雄差〕も小さい。こうした文脈のなかで、わたしは、同様のプロセスがわたしたちにも起こっているのではないかと問いかける。ドムスによって、狭い空間への閉じこめによって、過密状態によって、身体活動や社会組織のパターンの変化によって、わたしたちもまた、〈飼い馴らされて〉きたのではないだろうか。

「ドムス複合体」なるキーワードが提示されるが、domesticate(飼い馴らす)された環境で育てられた家畜や農産物と、定住を開始したヒトが相互に飼い馴らされて生物学的変化を遂げてゆく様相を意味する。切り取られた自然環境の中で新たな進化――あるいは退化――が起こる。

 ではなぜ人類は農耕の道を選んだのか? 国家と文明の深層史(ディープ・ヒストリー)は見たこともない相貌を現す。

2021-10-23

アルゴリズムという名の数学破壊兵器/『あなたを支配し、社会を破壊する、AI・ビッグデータの罠』キャシー・オニール


『デジタル・ゴールド ビットコイン、その知られざる物語』ナサニエル・ポッパー
『次のテクノロジーで世界はどう変わるのか』山本康正
『ビッグデータの正体 情報の産業革命が世界のすべてを変える』ビクター・マイヤー=ショーンベルガー、ケネス・クキエ
『データの見えざる手 ウエアラブルセンサが明かす人間・組織・社会の法則』矢野和男
『パーソナルデータの衝撃 一生を丸裸にされる「情報経済」が始まった』城田真琴
『マインド・ハッキング あなたの感情を支配し行動を操るソーシャルメディア』クリストファー・ワイリー
『無人の兵団 AI、ロボット、自律型兵器と未来の戦争』ポール・シャーレ
『データ資本主義 ビッグデータがもたらす新しい経済』ビクター・マイヤー=ショーンベルガー、トーマス・ランジ
『アフターデジタル オフラインのない時代に生き残る』藤井保文、尾原和啓

 ・アルゴリズムという名の数学破壊兵器
 ・有害で悪質な数学破壊兵器のフィードバックループ
 ・オペレーションズ・リサーチの破壊力

『AI監獄ウイグル』ジェフリー・ケイジ
『快感回路 なぜ気持ちいいのかなぜやめられないのか』デイヴィッド・J・リンデン
『もっと! 愛と創造、支配と進歩をもたらすドーパミンの最新脳科学』ダニエル・Z・リーバーマン、マイケル・E・ロング
『新しい資本主義 希望の大国・日本の可能性』原丈人

情報とアルゴリズム
必読書リスト その三

 すべての負け犬たちに捧ぐ

【『あなたを支配し、社会を破壊する、AI・ビッグデータの罠』キャシー・オニール:久保尚子〈くぼ・なおこ〉訳(インターシフト、2018年/原書、2016年)以下同】

 巻頭のエピグラフである。原題は『Weapons of Math Destruction : How Big Data Increases Inequality and Threatens Democracy:数学破壊兵器 ビッグデータがどのように不平等を拡大し、民主主義を脅かすか』。著者は数学者でハーバード大学で博士号を取得し、コロンビア大学の終身在職付き教授となる。その後、クオンツ(金融工学の専門家)に転身し大手ヘッジファンドで働く。リーマンショックを経て、「ウォール街を占拠せよ」運動にコミットした。

 かつて私を保護してくれた数学は、現実世界の問題と深く絡んでいるだけではなかった。数学が問題を大きくしてしまうことも多いという事実を、この経済崩壊はまざまざと見せつけてくれた。住宅危機、大手金融機関の倒産、失業率の上昇――いずれも、魔法の公式を巧みに操る数学者によって助長された。それだけではない。私が心から愛した数学は、壮大な力をもつがゆえに、テクノロジーと結びついてカオスや災難を何倍にも増幅させた。いまや誰もが欠陥があったと認めるようなシステムに、高い効率性と規模拡大性を与えたのも数学だった。
 なぜあの時、冷静な頭で考えられなかったのか。経済が崩壊した時点で一歩引き返し、なぜ数学が誤った使われ方をしたのか、将来起こりうる同様の大惨事を防ぐために何かやれることはないかと考えることもできただろう。しかし、経済危機の後も、私たちは立ち止まらなかった。これまで以上に人々を熱狂させる新たな数学的手法が次々に生み出され、その応用領域は今も拡大し続けている。

 サブプライムショックが2007年の7月25日である。私は日経先物で大損をしたのでよく憶えている。だが社会的に深刻の度合いが深かったのは翌年のリーマンショックである。あの時点で「資本主義が終わった」と指摘する書籍も多い。大半は隠れ左翼の願望であるが、長年に渡る金融緩和でもデフレを脱却できない現状を見ると、満更デタラメとも言い切れない。

 ロングターム・キャピタル・マネジメントが破綻(1999年)しても金融工学は死ななかった。ブラック–ショールズ方程式は現在でも有効とされている。続いてエンロンが倒産した(2001年)。ITバブル~住宅バブルに向かう中で現れた重要な指標であった。

 リーマンショック以降、緩和マネーが株式相場を押し上げ、新型コロナショックで緩和の蛇口は更に緩められた。

 でも、私には弱点が見えていた。数学のちからで動くアプリケーションがデータ経済を動かすといっても、そのアプリケーションは、人間の選択のうえに築き上げられている。そして、人間は過ちを犯す生き物だ。モデルを作成する際、作り手は、最善の意図を込め、良かれと思って選択を重ねたのかもしれない。それでもやはり、作り手の先入観、誤解、バイアス(偏見)はソフトウェアのコードに入り込むものだ。そうやって創られたソフトウェアシステムで、私たちの生活は管理されつつある。神々と同じで、こうした数理モデルは実体が見えにくい。どのような仕組みで動いているのかは、この分野の最高指導者に相当する人々――数学者やコンピューターサイエンティスト――にしかわからない。モデルのよって審判が下されれば、たとえそれが誤りであろうと有害であろうと、私たちは抵抗することも抗議することもできない。しかも、そのような審判には、貧しい者や社会で虐げられている者を罰し、豊かな者をより豊かにするような傾向がある。

 TEDでも「アルゴリズムとはプログラムに埋め込まれた意見なのです」と喝破している。


 アルゴリズムという名の数学破壊兵器が社会を分断し、富の偏重を加速させ(世界の最富裕層1%、富の82%独占 国際NGO)、貧困を固定化する。

 中盤からエピグラフに込めた思いが行間で谺(こだま)し始める。キャシー・オニールは数学者として「AI・ビッグデータの罠」を追求しながらも、ポリティカル・コレクトネスの罠に嵌(はま)っている。ポリティカル・コレクトネスは白人による人種差別を覆い隠すために編み出された概念だ(『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン)。声高な主張は明らかな民主党支持の言葉となって幻滅させる。それでもAIやビッグデータを新時代の夢のように語る書籍が巷間(こうかん)に溢れている事実を思えば、耳を傾けるべき警鐘であろう。

 チャイナは共産党の一党独裁で管理社会を築き、自由の象徴であるアメリカはAI・ビッグデータで管理社会を実現しつつある。国家というアルゴリズムが目指すのは『一九八四年』(ジョージ・オーウェル)の世界なのだろうか? 完全に合理化された社会が現れれば、生きるに値しないと認定される人々が出てくることだろう。つい数十年前にドイツでは実際に行われた。

 しかもアルゴリズムやシステム、およびデータを格納するウェブ上の膨大なスペースは限りある資源だ。その対価を誰かが支払う必要がある。とても広告クリックで賄(まかな)えるような代物ではあるまい。犠牲になるのは中小零細企業と貧困者だ。アメリカでは犯罪の再犯予測や就職でAIが活用されている。この結果に異論を唱えたり抗議をすることは許されない。なぜならアルゴリズムの内容を誰も知らないためだ。もはやアルゴリズムは神と変わらない。ただ振り下ろされる鉄槌を御業(みわざ)と受け止めるしかないのだ。こうした状況に「待て!」と両手を広げて立ち塞がったのがキャシー・オニールその人である。





行動嗜癖を誘発するSNS/『僕らはそれに抵抗できない 「依存症ビジネス」のつくられかた』アダム・オルター

2016-04-03

少女監禁事件に思う/『父、坂井三郎 「大空のサムライ」が娘に遺した生き方』坂井スマート道子


『国民の遺書 「泣かずにほめて下さい」靖國の言乃葉100選』小林よしのり責任編集
『大空のサムライ』坂井三郎

 ・日常生活における武士道的リスク管理
 ・少女監禁事件に思う
 ・高いブロック塀は危険

『新編 知覧特別攻撃隊 写真・遺書・遺詠・日記・記録・名簿』高岡修編
『今日われ生きてあり』神坂次郎
『月光の夏』毛利恒之
『神風』ベルナール・ミロー
『高貴なる敗北 日本史の悲劇の英雄たち』アイヴァン・モリス

日本の近代史を学ぶ

 災いを招くような行動をしないように気をつけていても、災いはいつどこでふりかかってくるか分かりません。しかし、常に心を引き締めて、覚悟していれば、より冷静に対応できると、父は言います。
「辻斬りは必ず後ろから、自転車で来るぞ」(中略)
「自転車辻斬り」(父はひったくりのことをそう呼んでいました)に、ハンドバッグをひったくられそうになっている時、ただ「きゃあ!」と叫んでも、無駄なことです。
「そんな暇があったら、相手の自転車を蹴れ!」
 反撃に驚いた相手が手を緩めたら、すかさずバッグを取り返し、逆方向に走れというのです。(中略)
 もし「辻斬り」と格闘になってしまったら?
 肥後守も懐剣も、持ち歩く時はバッグの底にあって、とっさには手に取れません。そういう場合は、ペンでも鍵でもハイヒールでも、手近のとがった備品で応戦できるように心の準備をしておくのが、父に言わせれば、サムライの娘のたしなみです。
「指輪もいいぞ!」
 そして後は、気迫です。
「殺されても、相手を無傷で帰すな。相手の首も取る気合で戦え」
 そのためにも、「手の爪は伸ばしておけ」と言われました。いざとなれば、それで相手をバリバリひっかくのです。その逆襲で相手を一瞬でもひるませたら、それこそバッグの底の懐剣や手近なとんがり備品でもって、首を取る気迫で応戦しろということです。
 父から見れば、この10本の爪は、いつも身につけていられる格好の武器なのです。

【『父、坂井三郎 「大空のサムライ」が娘に遺した生き方』坂井スマート道子(産経新聞出版、2012年/光人社NF文庫、2019年)以下同】

 坂井は娘の道子が小学校に上がるとナイフで鉛筆を削ることを教えた。長じてからは「護身用にもなる」と肥後守(ひごのかみ/折りたたみ式の片刃のナイフ)を渡した。学校もまだそれほどうるさくなかった時代の話である。それから刃渡り7cmほどの懐剣を持たせた。道子は現在でもベッド脇に置き、父からもらった砥石(といし)で手入れを行っているという。

 窃盗犯は音を立てるバイクを使わないと坂井は言ったが、バブル崩壊以降はバイクによる窃盗の方が目立つようになった。外国人の犯罪集団や窃盗団が日本に侵入してくることまでは予想できなかったことだろう。

「相手の首も取る気合で戦え」との一言に娘を持つ父親の杞憂(きゆう)が窺える。女性は性犯罪の対象となる。人類が行ってきた戦争の歴史は強姦の歴史でもあった。

 先日、大学生による少女監禁事件の被害者が2年振りに保護された。

 娘を持つ父親は必ず本書を読むべきだ。

(2階から)駆け下りてきた父は、古くなって色焼けした新聞紙を食卓に広げます。一面に、大きく一枚の写真が載っていました。(中略)
「これは、社会党委員長の浅沼稲次郎を、17歳の山口二矢(おとや)が壇上で刺殺せんとするところの図だ」(中略)
 なぜ時代劇から山口二矢の事件が飛び出してきたのか、父は熱心にその説明を始めました。山口が浅沼委員長を刺殺した動機について、世間では右翼思想にかぶれたためだと言われているが、そうではなくて、実のところは親の仇討ちだというのです。
 山口の父親は自衛官でした。そして当時の社会党は、自衛隊廃止論を盛んに展開していました。自衛隊を廃止するということは、山口にとっては自分の父親が職を失うということです。

Assassination of Asanuma


 ここで父は改めて、写真の中の山口の姿を私に示しました。
「この足のふんばりを見てみろ」
 父によれば、興奮して包丁を振り回すような人は全く腰が入っていませんが、山口は外足を直角にふんばり内足は相手に向け、短刀の束を腰骨にあてがい、戦闘の構えが理屈にかなっていると言うのです。武道の訓練を受けていたのかもしれませんが、それにしてもこの若さでこの構えはなかなかできない。山口の構えには覚悟が見えると。
 父はこの写真を通じて、本当の覚悟というものを私に教えたかったのではないかと思います。(中略)
 さて、このお説教の後、父は不意に「お前も練習だ」と言い出しました。「七つ道具」から出した竹の定規を私に握らせ、山口を同じ構えをせよ、と言います。
 もう難しい話は終わったようだと見計らって戻ってきた母が、「まあ、そんなことまで娘にさせるなんて」と眉をひそめますが、父は耳を貸しません。
「士族の娘なら、十三を過ぎれば敵と刺し違える技や覚悟、乱れない死に方ぐらいは心得ているものだ」
 その練習がしばらく続き、戸惑う自分と妙に興奮する自分に、不思議な感覚が走ったのを覚えています。嫌ではなかったのです。最後には、二人とも笑ったりしたものですが、山口二矢をお手本に「ふんばり」と「腰の突っ込み」を手ほどきしてくれた父の真剣な眼差しが忘れられません。

「武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり」(『葉隠』)。死ぬ覚悟は殺す覚悟とセットであろう。我々は微温的な生活の中で「殺される可能性」を見抜く力を失いつつある。DVやいじめなどで殺されるケースや自殺に追い込まれるのもそのためだ。

 少女をさらった時点で相手は一線を踏み越えている。次の一線はもっと容易に踏み越えることだろう。この段階で「命に関わる問題」として受け止める必要がある。パワハラやいじめもそうだが、単に面子を潰されたとか、プライドを傷つけられたという次元を超える瞬間がある。そこを見極めることができないと殺される可能性が高まる。

 オウム真理教などの宗教犯罪にも同じメカニズムが働いている。逆らうことのできない人々が犯罪に加担してしまうのだ。彼らの顔つきはいじめを傍観する者と変わりがないことだろう。

 誘拐された場合、とにかく直ぐに逃げ出す機会を伺うことだ。自動車であれば運転を邪魔したり、いっそのこと飛び降りる。次に軟禁されたとしても相手が単独犯であれば恐れる必要はない。寝込みを襲えばいいのだ。鈍器で思い切り頭部を殴るか、包丁で頸動脈を切るのが手っ取り早いだろう。これを躊躇(ちゅうちょ)すれば殺される。殺されてしまえば相手はまんまと逃げおおせるかもしれない。そして次の被害者が生まれる。閉ざされた環境に身を置くと判断力がどんどん低下してゆく。ゆえに最初の果断が大事なのだ。私に娘がいれば、「殺される可能性を感じたら、迷うことなく殺せ」と教える。また、「仮に強姦されたとしても生きる支障とはならない。ただし相手が罪の発覚を恐れて殺す可能性があるのだ」とも教える。

 ジョナサン・トーゴヴニク著『ルワンダ ジェノサイドから生まれて』には強姦された後、便器のように扱われた女性の声が紹介されている。プーラン・デヴィ著『女盗賊プーラン』やジェーン・エリオット著『囚われの少女ジェーン ドアに閉ざされた17年の叫び』も参考図書として挙げておく。