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2022-02-23

行動嗜癖を誘発するSNS/『僕らはそれに抵抗できない 「依存症ビジネス」のつくられかた』アダム・オルター


『浪費をつくり出す人々 パッカード著作集3』ヴァンス・パッカード
『クレイジー・ライク・アメリカ 心の病はいかに輸出されたか』イーサン・ウォッターズ
『依存症ビジネス 「廃人」製造社会の真実』デイミアン・トンプソン
『マインド・ハッキング あなたの感情を支配し行動を操るソーシャルメディア』クリストファー・ワイリー

 ・行動嗜癖を誘発するSNS

『快感回路 なぜ気持ちいいのかなぜやめられないのか』デイヴィッド・J・リンデン
『あなたを支配し、社会を破壊する、AI・ビッグデータの罠』キャシー・オニール
『もっと! 愛と創造、支配と進歩をもたらすドーパミンの最新脳科学』ダニエル・Z・リーバーマン、マイケル・E・ロング

 だが事実は違う。依存症は主に環境と状況によって引き起こされるものだ。スティーブ・ジョブズはそれをよく心得ていた。自分の子どもにiPadを触らせなかったのは、薬物とは似ても似つかぬ利点が数多くあるとはいっても、iPadの魅力に幼い子どもは流されやすいと知っていたからだ。
 ジョブズをはじめとするテクノロジー企業家たちは、自分が売っているツール――ユーザーが夢中になる、すなわち抵抗できずに流されていくことを意図的に狙ってデザインされたプロダクト――が人を見境なく誘惑することを認識している。依存症患者と一般人を分ける明確な境界線は存在しない。たった1個の製品、たった1回の経験をきっかけに、誰もが依存症に転落する。

【『僕らはそれに抵抗できない 「依存症ビジネス」のつくられかた』アダム・オルター:上原裕美子訳(ダイヤモンド社、2019年/原書、2017年)以下同】

 大袈裟だ、と思うのは私が甘いせいか。私がネット中毒に陥ったのは1999年頃である。自ら立ち上げた読書グループのホームページに設置した掲示板でyamabikoなる人物と毎日意見を戦わせていた。該博な知識にたじろぎながらも知的昂奮を抑えることができなかった。ログの一部が辛うじて残っている。

「安楽死」を問う! 1

 当時は掲示板とメーリングリストが主な交流の場であった。オンライン古書店を立ち上げてからは年に100人ほどの人と直接会ってきた。あの頃の賑やかさと比べると、SNSは明らかに温度が低かった。ただし私のネットデビューが1998年なので、遅れてやってきた人々にとっては革命的であったのだろう。掲示板はその後、修羅場と化す場面が増え、善男善女が去っていったのであった。

 2004年のフェイスブックは、楽しかった。
 2016年のフェイスブックは、ユーザーを依存させて離さない。

 フェイスブックの個人情報収集は当初から知っていたので私は殆ど利用することがなかった。あの頃は、茂木健一郎なんかが「実名でのネット利用」を吹聴していた。

 何らかの悪癖を常習的に行う行為――これを「行動嗜癖(しへき/behavioral addiction)」という――は昔から存在していたが、ここ数十年で昔よりずっと広く、抵抗しづらくなり、しかもマイナーではなく極めてメジャーな現象になった。
 昨今のこうした依存症は物質の摂取を伴わない。体内に直接的に化学物質を取り込むわけではないのに、魅力的で、しかも巧妙に【処方】されているという点では、薬物と変わらない効果をもたらす。

 それを仏教では業(ごう)と名づける。同じことを繰り返すところに人の心の闇が隠されている。悟りとは一回性のものだ。今この瞬間を生きることが瞑想である。私たちは往々にして過去の快楽を思っては同じ行為を繰り返してしまう。そうやって現在性を見失うのだ。

 何も持たずに旅をするのがいいかもしれない。若者よ、スマホを置いて見知らぬ土地を目指せ。自ら情報鎖国状態にすれば、忘れかけていた野生が蘇るに違いない。

2022-01-19

訓練の目的/『自覚 隠蔽捜査5.5』今野敏


『隠蔽捜査』今野敏
『果断 隠蔽捜査2』今野敏
『疑心 隠蔽捜査3』今野敏
『初陣 隠蔽捜査3.5』今野敏
『転迷 隠蔽捜査4』今野敏
『宰領 隠蔽捜査5』今野敏

 ・訓練の目的

『去就 隠蔽捜査6』今野敏
『棲月 隠蔽捜査7』今野敏
・『空席 隠蔽捜査シリーズ/Kindle版』今野敏
『清明 隠蔽捜査8』今野敏
・『選択 隠蔽捜査外伝/Kindle版』今野敏
・『探花 隠蔽捜査9』今野敏

 甘えるな、と叱られるかもしれないと思った。
 だが、竜崎は、拍子抜けするほどあっさりとした口調で言った。
「みんなの足を引っぱっていると言ったな? それが、私には理解できない」
「どうしてです? 私のせいで、みんなはいらいらしているはずです」
「訓練というのは、他人のためにやるものではない。たいていは単独で、非常事態に対処しなければならない。他の者が何を考えているかなど、気にする必要はない」
「それはそうですが、ある程度結果を出さなければならないと思います。ですが、他のメンバーと私の実力や体力が、あまりにも違い過ぎるのです」
「女性だから、仕方がないだろう」
「それが悔しいのです」
「悔しがる理由がわからない」
「それは、竜崎さんが、女性になったことがないからです」
「当たり前だろう」
「体力でも、技術でもかなわない。それが悔しいのです」
「不思議だな」
「何が不思議なんですか?」
「どうして、女性であることを利用しないのか、不思議なんだ」
 美奈子は、一瞬言葉を失った。
「言ったでしょう? 府警本部長や警備部長とお酒を飲みに行ったって……」
「それは、彼らが君を利用したに過ぎない。君が女性であることを利用したわけじゃない」
「私には、同じことのように思えますが……」
「腹を立てているようだから、はっきりと言っておく。私が女性だったら、それを最大限に利用するよ。それだけじゃない。キャリアの立場も利用するし、今なら、署長という立場も利用する。利用できるものは、何だって利用する。それが、人の特質というものだ」
「特質?」
「特質というのは、その人に与えられるものだ。訓練で周囲は男ばかりだと言ったな。それならば、君が女であることが特質だ。体力や技術で劣っていると、君は言った。劣っているところばかり見ていると、訓練の本質を見誤るだろう」
「訓練の本質ですか?」
「そうだ。訓練の目的は、疑似体験を通して新たな能力を身につけることだ。そして、先ほども言ったが、訓練は、自分自身のためにやるものだ。だから、人それぞれに成果は異なる。一つだけ言えるのは、体力を使うより頭を使うほうが、ずっと大切だということだ。頭を使ってこそのキャリアであり、体力を補うために頭を働かせてこその女性ではないのか?」
 それを訊いたとたんに、憑(つ)き物が落ちたように気分が軽くなった。

【『自覚 隠蔽捜査5.5』今野敏〈こんの・びん〉(新潮社、2014年/新潮文庫、2017年)】

「3」で竜崎が想いを寄せていた畠山美奈子が特殊訓練に耐えかねて電話で相談する場面だ。短篇集としては「3.5」より出来がいい。

 目的を見失うと余計なことが目につき始める。仕事の悩みは職場の人間関係に尽きる。待遇が問題であれば転職すればいいだけのことだ。その判断すらできないような人々は、家庭や交友関係も上手くいくことはないだろう。

 竜崎の合理主義は周囲の妄想を明らかにする効用がある。彼の言葉が「魔法」のように感じられるのは、複雑さを無視して、問題のテーマを単純化するためだ。

 10年ほど前に茂木健一郎がやたらと「プリンシプル」なる言葉を使っていたことがある(茂木健一郎(@kenichiromogi)さんの「プリンシプルなき者が、匿名性の裏に隠れる」 - Togetter)。たぶん白洲次郎著『プリンシプルのない日本』(新潮文庫、2006年)あたりの影響だったのだろう。原理原則を曖昧にして、なあなあでやっていくのが村社会の慣行である。二・二六事件の原因もそこにあった。

 談合文化は日本人の知恵から生まれたのだろう。だが国際競争に晒されるとそれは通用しなくなる。バブル景気崩壊をきっかけにして護送船団方式は終焉を告げた。終身雇用も破壊され、雇用が不安定となった結果、結婚する若者が激減した。少子化にも拍車がかかる。失われた20年のダメージは深刻だ。その間、国民は二度の大震災にも耐えてきた。

 本書が官僚小説の域を超えるとすれば、竜崎は何らかの政治的行動を取って、日本が独立するためにアメリカと対峙せざるを得ない。

2021-11-29

諸行無常と縁起の意味/『生物にとって時間とは何か』池田清彦


『正義で地球は救えない』池田清彦、養老孟司
『宇宙を織りなすもの』ブライアン・グリーン

 ・諸行無常と縁起の意味

時間論
必読書リスト その三

 生物の本質は物質とは独立の霊魂であるとの考えを採らなければ、生物は確かに物質のみで構成されている。しかし、たとえば細胞は、生きて動いている限り、決して構造が確定した物体ではない。ならば細胞とは何か。それは細胞を構成する物質(主として高分子)間の関係性であると、さしあたっては考えるより仕方がない。
 これは細胞に限らず、イヌでもネコでも同じである。プラトンはイヌをイヌたらしめて、ネコをネコたらしめているのは、物体から遊離独立した実在であるイデアであると考えた。これは単純明快で、この上なくわかり易い考えであるけれども、物体から独立して実存しているイデアなるものを、それ自体として研究することは、現代科学の枠組では不可能である。現代科学は、物体あるいは物質の実存性を基底とする研究枠組であり、関係性は、これらの間の関係性として措定されなければならないからだ。常に成立する関係性を明示的に記述できたとき、通常それは法則と呼ばれる。法則もまた不変で普遍の同一性である。たとえば重力法則は常に同一の形式で記述でき、しかも、いかなる時空においても成立しているとされる。
 物理学や化学などの現代科学は、物質と法則という二つの同一性を追求してきたのだ、と言ってよい。この二つの同一性は不変で普遍であり、ここからは時間がすっぽり抜けている。別言すれば、現代科学は理論から時間を捨象する努力を傾けてきたのである。恐らく、不変で普遍の同一性が、我々の存在とは独立に世界に自存するとの構図は錯覚であるが、この構図が大きな成功をおさめてきたのは事実である。

【『生物にとって時間とは何か』池田清彦〈いけだ・きよひこ〉(角川ソフィア文庫、2013年)】

 少し癖のある文章が読みにくい。それでも虚心坦懐に耳を傾ければ池田の破壊力に気づく。関係性は動きの中に現れる。これすなわち時間である。我々はともすると有無の二元論に囚われ、存在を固定しようとする。ところが固定されたものは死物なのだ。なぜなら関係性が見捨てられているからだ。とすれば、クオリアが指す質感もイデアから滴り落ちた樹液の一雫(ひとしずく)なのだろう。

「長嶋茂雄っぽい感じ」とプラトンのイデア論/『脳と仮想』茂木健一郎

 イデアが志向するのはブラフマンだ。「究極で不変の現実」(Wikipedia)は画鋲で留められたあの世である。この世(此岸)との関係性が断ち切られている。

 諸行無常縁起(えんぎ)の意味が見えてくる思いがする。今まで読んできたどの宗教書よりも説得力がある。

2020-07-27

成人病が生活習慣病に変わった理由/『武術と医術 人を活かすメソッド』甲野善紀、小池弘人


『古武術介護入門 古の身体技法をヒントに新しい身体介助法を提案する』岡田慎一郎
・『古武術で毎日がラクラク! 疲れない、ケガしない「体の使い方」』甲野善紀指導、荻野アンナ文
『体の知性を取り戻す』尹雄大
『響きあう脳と身体』甲野善紀、茂木健一郎

 ・成人病が生活習慣病に変わった理由

・『日本人の身体』安田登

小池●かつて「成人病」という語がありましたが、あれが今は「生活習慣病」になっていますよね。名前が変わった理由は、成人だからかかるのではなく、「生活習慣が原因だから」というのが、表面的な理由ですが、実はもっと深い理由があります。
 それは成人になったら誰もがしようがなくかかってしまうものならば、国や他人が面倒を見なきゃいけない。けれども生活習慣病という概念になった途端、「おまえの生活習慣が悪いから病気になったのだから、おまえの責任だ」といえてしまえる。つまり、自己責任の時代が来たんだという意味があるというものです。これは当然医療経済的な意味もあるわけで、ただ単に原因論的な名前に変わったという以上の意味があるわけです。そして一方で「生活習慣」といわれても急に変えられる人は少ないのが実情です。そうなると理想とはうらはらに「自己責任」にもどついてクスリで何とかしようと考える人も出てくるわけです。「急がば回れ」の反対の姿勢です。すると生活改善による予防を目的とした数値が、いつしか薬物治療の目標値になってしまうわけです。
 そうなると反対に病気でもないのに無理やり病気みたいに扱われてしまうこともありえるわけです。

【『武術と医術 人を活かすメソッド』甲野善紀〈こうの・よしのり〉、小池弘人〈こいけ・ひろと〉(集英社新書、2013年)】

 厚生省(当時)が生活習慣病との改称を提唱したのは1996年12月18日のことである(生活習慣に着目した疾病対策の基本的方向性について(意見具申))。厚生大臣は菅直人(新党さきがけ)から小泉純一郎(自民)に変わった直後だ(11月7日就任)。大臣主導というよりは橋本内閣が掲げた「六つの改革」を踏襲したものだろう。

 但し、疾病の発症には、「生活習慣要因」のみならず「遺伝要因」、「外部環境要因」など個人の責任に帰することのできない複数の要因が関与していることから、「病気になったのは個人の責任」といった疾患や患者に対する差別や偏見が生まれるおそれがあるという点に配慮する必要がある。

生活習慣に着目した疾病対策の基本的方向性について(意見具申)

 つまり厚生省(当時)は「疾病原因は生活習慣に限らない」が「生活習慣病」と呼ぶよう促しているのだ。支離滅裂である。現在、健康診断などの問診票を見ても自己責任を問う内容が増えており、運動をしていない人には自己嫌悪を覚えるような代物となっている。

 玄米食に興味を抱いている時に読んだ本なので今見返すと随分印象が違う。玄米は解毒性が強いため長期間にわたって摂取するのは問題があると私は考える(玄米の解毒作用)。本当に玄米が体にいいのであれば糠(ぬか)を食べればいいだけのことだ。生野菜も勧めているが短期間の感覚を重視するのは極めて危うい。

 身体(しんたい)や病気に関することで「これが正しい」との主張は眉に唾をした方がよい。体は人によって違うのだから。

2020-07-26

混乱が人材を育む/『響きあう脳と身体』甲野善紀、茂木健一郎


『古武術介護入門 古の身体技法をヒントに新しい身体介助法を提案する』岡田慎一郎
・『古武術で毎日がラクラク! 疲れない、ケガしない「体の使い方」』甲野善紀指導、荻野アンナ文
『体の知性を取り戻す』尹雄大

 ・混乱が人材を育む

『武術と医術 人を活かすメソッド』甲野善紀、小池弘人
・『日本人の身体』安田登

身体革命

茂木●一方、私たちは科学者として生きているわけではなくて、生活者として生きています。科学で説明できないからといって、存在しないというわけではありませんから、科学で説明できない部分を何らかの形で引き受け、生活者として実践していかなくてはならない。
 そうすると結局、科学で説明できないことについては、自分の経験や感覚、歴史性を通して引き受けていくしかないんですね。世の中にある現象のうち、易しいものは科学で説明できるけれど、難しいものは科学で説明できない。でも、生きていくためには、科学で説明できない難しさのものも、たくさん活用していかなくてはいけない。生活者である私たちは、科学がすべてを解明するのを待つことはできませんから、「これは今のところ科学的には説明できない現象なんだ」と受け入れ、それ以外の説明を活用していくしかないということです。

【『響きあう脳と身体』甲野善紀〈こうの・よしのり〉、茂木健一郎〈もぎ・けんいちろう〉(バジリコ、2008年/新潮文庫、2010年)】

 中々言えない言葉である。まして科学者であれば尚更だ。複雑系科学不確定性原理ラプラスの悪魔を葬った。宇宙に存在する全ての原子の位置と運動量を知ったとしても未来は予測できない。

 科学者が合理的かといえば決してそうではない。彼らは古い知識に束縛されて新しい知見をこれでもかと否定する。アイザック・ニュートンは錬金術師であった。ケプラーは魔女の存在を信じていた。アーサー・エディントンはブラックホールの存在を否定した。産褥熱は産科医の手洗いで防げるとイグナーツが指摘したが医学界は受け入れなかった。オーストラリアのロビン・ウォレンとバリー・マーシャルがピロリ菌を発見し、これが胃潰瘍の原因だと発表した際も若い二人を医学界は無視した。

 科学は説明である。何をどう説明されたところで不幸な人が幸福になることはない。恋の悩みすら解決できないことだろう。

甲野●結局のところ、社会制度が整備化されて、標準化されることによって、つまらない人間が増えてきたということではないですか。たとえば明治維新後すぐの日本は、すべての制度が不備だった。会社や官僚組織なんかでも、ほとんどが縁故採用だったわけですが、多様な、ほんとうにおもしろい人材が育っていった。コネで採用するというのも選ぶ側に人を見る眼があると、けっこういい人材がそろうんですよね。
 ところが、日露戦争に勝ち、「日本は強くなった。成功した」という意識が広がり、いろんなインフラを整備して、社会がシステム化された結果、そういうシステムの中で採用されて育った人間が、太平洋戦争で大失敗してしまったわけですよ。やっぱり混乱期の、いろいろなことが大雑把で混乱している時のほうが、おもしろい人間が育ちやすいのではないかと思います。

 これは一つの見識である。さすが古文書を読んでいるだけのことはある。鎌倉時代から既に700年近く続いた侍は官僚と化していたのだろう。侍の語源は「侍(さぶら)ふ」で「従う」という意味だ。もともと侍=官人(かんにん)であるがそこには命を懸けて主君を守るとの原則があった。責任を問われればいつでも腹を切る覚悟も必要だった。ところが詰め腹を切らされるようなことが増えてくれば武士の士気は下がる。結局切腹という作法すら形骸化していったのだ。

 明治維新で活躍したのは下級武士だった。エリートは失うものが多いところに弱点がある。身分の低い者にはそれがない。まして彼らは若かった。明治維新は綱渡りの連続だった。諸藩の動向も倒幕・佐幕とはっきりしていたわけではなかった。戦闘行為に巻き込まれるような格好で倒幕に傾いたのだ。しかも財政は幕府も藩も完全に行き詰まっていた。外国人からカネを借り、贋金(にせがね)を鋳造し、豪商からの借金を踏み倒して明治維新は成った。

 実に不思議な革命であった。幕府を倒したという意味では革命だが西洋の市民革命とは様相を異にした。それまで日本の身分制度の頂点にいた武士が自ら権益と武器を手放したのだ。気がつけばいつの間にか攘夷の風は止んで開国していた。この計画性のなさこそが日本らしさなのだろう。

 果たして次の日本を担う人材は今どこで眠っているのだろうか?

2020-07-20

体と思考/『体の知性を取り戻す』尹雄大


 ・体と思考

『響きあう脳と身体』甲野善紀、茂木健一郎
『武術と医術 人を活かすメソッド』甲野善紀、小池弘人
『身体構造力 日本人のからだと思考の関係論』伊東義晃

身体革命

 体よりも思考が重視されている世の中では、現実と出会うのはなかなか難しい。私たちが「これが現実だ」と言うとき、他人とのあいだで共通認識が取り結べ、必ず頭が理解できる程度のものになっているからだ。いわば【頭の理解に基づく社会的な現実】と言っていい。それは【体にとっての現実】とは違う。
 体の現実とはつかの間、感覚的にのみ垣間見えるものかもしれない。たとえば火にかけた薬缶(やかん)に触れてパッと手を離すとき、のんびりと「熱い」などと認識していないはずだ。手を離す行為と感覚が現実の出来事にぴたりと合っていて、そこに「熱い」という判断の入る余地はない。
 それでも私たちは「熱いと感じて、思わず手を離した」と自分や他人に向けて言う。それは常に後から振り返った説明なのだ。「感じた」と言葉で言ってしまえるのは、リアルタイムではなく、認識された過去の出来事にすぎない。というのは、現実は「~してから~した」といった悠長な認識の流れで進んではいないからだ。「間髪を入れず」というように、髪の毛ほどの隙間もないのが現実だ。
 つまり私たちにとっての現実は、常に言葉にならない感覚の移ろいでしかない。わずかにその変化を掴むことで、現実の一端を知ることができる。

【『体の知性を取り戻す』尹雄大〈ユン・ウンデ〉(講談社現代新書、2014年)】

 入力しながら気になったのだが一般的には「手放す」と書くので「手を離す」は誤字かと思いきや、そうではなかった(「離す」と「放す」 - 違いがわかる事典)。

 尹雄大〈ユン・ウンデ〉はスポーツ選手のインタビュアーを生業(なりわい)としているが、格闘技や武術を嗜(たしな)んでいるので思考の足がしっかりと地についている。全体的には社会に対する違和感を体の緊張として捉え、哲学的に読み解こうとしている。

「頭の理解に基づく社会的な現実」や「認識された過去の出来事」といった表現に蒙(もう)を啓(ひら)かれる思いがする。脳は妄想装置である。その最たるものが政治や軍事におけるリアリズムであろう。民意や国際合意の捉え方次第でクルクル動く現実だ。認識が過去であるならば唯識は現在性を見失っていることになる。識とは受信機能である。しかも知覚は常に遅れを伴う(『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ)。

 悩みは過去であり、希望は未来である。どちらも現在性を見失った姿だ。人は過ぎ去った過去と未だ来ない未来を想像し苦楽を味わう。存在しないものを信じるという点では一神教の神とよく似ている。信ずる者は掬(すく)われる。足元を。

 おしなべて思考のトレースがわかりやすい言葉で書かれていて着眼点も鋭い。必読書に入れようと思ったのだが「あとがき」に余計な一言があったのでやめた。

2020-06-27

キリスト教の教えでは「動物に魂はない」/『人類の起源、宗教の誕生 ホモ・サピエンスの「信じる心」が生まれたとき』山極寿一、小原克博


『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ
『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ
『あなたの知らない脳 意識は傍観者である』デイヴィッド・イーグルマン
『人間この信じやすきもの 迷信・誤信はどうして生まれるか』トーマス・ギロビッチ
『脳はいかにして〈神〉を見るか 宗教体験のブレイン・サイエンス』アンドリュー・ニューバーグ、ユージーン・ダギリ、ヴィンス・ロース:茂木健一郎訳
『なぜ、脳は神を創ったのか?』苫米地英人
『解明される宗教 進化論的アプローチ』 ダニエル・C・デネット
『宗教を生みだす本能 進化論からみたヒトと信仰』ニコラス・ウェイド
『神はなぜいるのか?』パスカル・ボイヤー
『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』ユヴァル・ノア・ハラリ
『環境と文明の世界史 人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ』石弘之、安田喜憲、湯浅赳男
『道徳性の起源 ボノボが教えてくれること』フランス・ドゥ・ヴァール
『ママ、最後の抱擁 わたしたちに動物の情動がわかるのか』フランス・ドゥ・ヴァール

 ・経済が宗教を追い越していった
 ・キリスト教の教えでは「動物に魂はない」

『一神教の闇 アニミズムの復権』安田喜憲

キリスト教を知るための書籍
宗教とは何か?
必読書リスト その五

山極●聖書によれば、動物には魂はないのですか。

小原●そうです。

山極●なるほど。だからね、それは農耕牧畜とともに生まれたんだと思うんですよ。狩猟採集民の世界というのは、動物に魂があるか、人間に魂があるかという話ではなくて、動物と人間は対等ですから、動物と会話ができていたわけですね。

小原●そうですね。狩猟採集の時代にあった動物と会話できるという感覚は、その後、形を変えながらも、様々な神話や物語の中に引き継がれてきたと思います。日本の昔話では、動物と人間が会話を交わす物語がたくさんありますし、さらに言えば、動物にだまされたり、助けられたり、「鶴の恩返し」のように動物と結婚したり、いろいろなバリエーションがありますね。動物が人間をどう見ていたかはともかくとして、少なくとも人間の側からは、長きにわたって、動物は会話できる対象と見られてきたのではないでしょうか。

【『人類の起源、宗教の誕生 ホモ・サピエンスの「信じる心」が生まれたとき』山極寿一〈やまぎわ・じゅいち〉、小原克博〈こはら・かつひろ〉(平凡社新書、2019年)】

 日本人ならすかさず「一寸の虫にも五分の魂がある」と反論するだろう。一神教は神の絶対性を強調する。その神に似せて造ったのが人間だ。人間は神に最も近い動物であるが神には絶対になれない。この断絶性が「動物に魂はない」とする根拠になっているのだろう。

 具体的には南極観測隊の犬の扱い方が好例だ。日本は15頭の犬を南極に置き去りにした(1958年)。イギリスでは「日本人はなんと残酷な民族か!」と糾弾され、「イギリス犬の日本輸出を中止せよ!」という声まで上がった。翌年、奇蹟的に2頭の生存が確認された。これがタロとジロである。一方、イギリス隊は1975年、帰還を余儀なくされた時、100頭の犬を薬物で殺害した。「犬を殺すのが一番経済的だ」という理由で。こうした二面性は神の愛を説きながら殺戮(さつりく)を繰り返してきた彼らの歴史に基づく性質だ。彼らは一方で戦争を行いながら、もう一方で慈善活動を行うことができる。

 かつての捕鯨もそうだ。欧米は鯨油だけを採ってクジラの遺体は捨てた。黒船ペリーが開国を迫ったのは捕鯨船の補給地を確保するためだった(『環境と文明の世界史 人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ』石弘之、安田喜憲、湯浅赳男)。日本の場合、食用で尚且つ骨からヒゲに至るまでを活用する。そんな連中が「クジラは知能が高い」という理由で日本を始めとする捕鯨国を口汚く罵っているのだ(『動物保護運動の虚像 その源流と真の狙い』梅崎義人)。日本は「動物に魂はあるのか?」と反論すべきであった。

   日本人がキツネに騙されなくなったのは高度経済成長の真っ只中で昭和40年(1965年)のことだ(『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』内山節)。暮らしが豊かになり我々は自然との交感を失ったのだろう。

2019-11-12

経済が宗教を追い越していった/『人類の起源、宗教の誕生 ホモ・サピエンスの「信じる心」が生まれたとき』山極寿一、小原克博


『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ
『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ
『あなたの知らない脳 意識は傍観者である』デイヴィッド・イーグルマン
『人間この信じやすきもの 迷信・誤信はどうして生まれるか』トーマス・ギロビッチ
『脳はいかにして〈神〉を見るか 宗教体験のブレイン・サイエンス』アンドリュー・ニューバーグ、ユージーン・ダギリ、ヴィンス・ロース:茂木健一郎訳
『なぜ、脳は神を創ったのか?』苫米地英人
『解明される宗教 進化論的アプローチ』 ダニエル・C・デネット
『宗教を生みだす本能 進化論からみたヒトと信仰』ニコラス・ウェイド
『神はなぜいるのか?』パスカル・ボイヤー
『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』ユヴァル・ノア・ハラリ
『環境と文明の世界史 人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ』石弘之、安田喜憲、湯浅赳男

 ・経済が宗教を追い越していった
 ・キリスト教の教えでは「動物に魂はない」

キリスト教を知るための書籍
宗教とは何か?
必読書リスト その五

山極●貨幣が、モノの流通が宗教を追い越していった。(90ページ)

【『人類の起源、宗教の誕生 ホモ・サピエンスの「信じる心」が生まれたとき』山極寿一〈やまぎわ・じゅいち〉、小原克博〈こはら・かつひろ〉(平凡社新書、2019年)】

神は、脳がつくった 200万年の人類史と脳科学で解読する神と宗教の起源』(E・フラー・トリー:寺町朋子訳、ダイヤモンド社、2018年)がつまらなかったので、さほど期待してなかった。むしろ批判的に読もうとすら思っていた。ところがどっこい引きずり込まれた。これはキャスティングの勝利だろう。霊長類学者(山極)と神学者(小原)の組み合わせが弦楽器と鍵盤のようなハーモニーを生んでいる。若い小原が下手に出ているのが功を奏している(写真を見れば一目瞭然だ。顎の位置に注目せよ)。更に小原の正確なキリスト教知識が驚くほど勉強になる。『環境と文明の世界史 人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ』を直前に入れるのが私の独創性だ。

2018-12-05

身体革命


     ・キリスト教を知るための書籍
     ・宗教とは何か?
     ・ブッダの教えを学ぶ
     ・悟りとは
     ・物語の本質
     ・権威を知るための書籍
     ・情報とアルゴリズム
     ・世界史の教科書
     ・日本の近代史を学ぶ
     ・虐待と精神障害&発達障害に関する書籍
     ・時間論
     ・身体革命
     ・ミステリ&SF
     ・クリシュナムルティ著作リスト
     ・必読書リスト その一
     ・必読書リスト その二
     ・必読書リスト その三
     ・必読書リスト その四
     ・必読書リスト その五

『速トレ 「速い筋トレ」なら最速でやせる!』比嘉一雄
スロトレ完全版 DVDレッスンつき
『動ける強いカラダを作る! ケトルベル』花咲拓実
『悲鳴をあげる身体』鷲田清一
『ことばが劈(ひら)かれるとき』竹内敏晴
『臓器の急所 生活習慣と戦う60の健康法則』吉田たかよし
『小麦は食べるな!』ウイリアム・デイビス
『「食べない」健康法 』石原結實
『医者が教える食事術 最強の教科書 20万人を診てわかった医学的に正しい食べ方68』牧田善二
『医者が教える食事術2 実践バイブル 20万人を診てわかった医学的に正しい食べ方70』牧田善二
『医学常識はウソだらけ 分子生物学が明かす「生命の法則」』三石巌
『若返るクラゲ 老いないネズミ 老化する人間』ジョシュ・ミッテルドルフ、ドリオン・セーガン
『サピエンス異変 新たな時代「人新世」の衝撃』ヴァイバー・クリガン=リード
『クレイジー・ライク・アメリカ 心の病はいかに輸出されたか』イーサン・ウォッターズ
『アルツハイマー病は治る 早期から始める認知症治療』ミヒャエル・ネールス
『あなたの体は9割が細菌 微生物の生態系が崩れはじめた』アランナ・コリン
『免疫力が10割 腸内環境と自律神経を整えれば病気知らず』小林弘幸、玉谷卓也監修
『自分で治せる!腰痛改善マニュアル』ロビン・マッケンジー
『ひざの激痛を一気に治す 自力療法No.1』
『新正体法入門 一瞬でゆがみが取れる矯正の方程式』橋本馨
『調子いい!がずっとつづく カラダの使い方』仲野孝明
『寝たきり老人になりたくないなら大腰筋を鍛えなさい』久野譜也
『気功革命 癒す力を呼び覚ます』盛鶴延
『「疲れない身体」をいっきに手に入れる本 目・耳・口・鼻の使い方を変えるだけで身体の芯から楽になる!』藤本靖
『5つのコツで もっと伸びる カラダが変わる ストレッチ・メソッド』谷本道哉、石井直方
『ヒモトレ革命 繋がるカラダ動けるカラダ』小関勲、甲野善紀
『勝者の呼吸法 横隔膜の使い方をスーパー・アスリートと赤ちゃんに学ぼう!』森本貴義、大貫崇
間違いだらけ! 日本人のストレッチ - 大切なのは体の柔軟性ではなくて「自由度」です - (ワニブックスPLUS新書)
『だれでも「達人」になれる! ゆる体操の極意』高岡英夫
頭が必ずよくなる!「手ゆる」トレーニング
『ひざの激痛を一気に治す 自力療法No.1』
『足・ひざ・腰の痛みが劇的に消える「足指のばし」』湯浅慶朗
『5秒 ひざ裏のばしですべて解決 壁ドン!壁ピタ!ストレッチ』川村明
『「筋肉」よりも「骨」を使え!』甲野善紀、松村卓
『病気の9割は歩くだけで治る! 歩行が人生を変える29の理由 簡単、無料で医者いらず』長尾和宏
『病気の9割は歩くだけで治る!PART2 体と心の病に効く最強の治療法』長尾和宏
『ウォーキングの科学 10歳若返る、本当に効果的な歩き方』能勢博
『高岡英夫の歩き革命』高岡英夫:小松美冬構成
『あらゆる不調が解決する 最高の歩き方』園原健弘
『あなたの歩き方が劇的に変わる! 驚異の大転子ウォーキング』みやすのんき
・『膝を痛めない、疲れない Q&Aでわかる山の快適歩行術』野中径隆
『人生、ゆるむが勝ち』高岡英夫
『究極の身体(からだ)』高岡英夫
『フェルデンクライス身体訓練法 からだからこころをひらく』モーシェ・フェルデンクライス
『体の知性を取り戻す』尹雄大
『響きあう脳と身体』甲野善紀、茂木健一郎
『ウィリアム・フォーサイス、武道家・日野晃に出会う』日野晃、押切伸一
『武学入門 武術は身体を脳化する』日野晃
『生命力を高める身体操作術 古武術の達人が初めて教える神技のすべて』河野智聖
『気分爽快!身体革命 だれもが身体のプロフェッショナルになれる!』伊藤昇、飛竜会編
『棗田式 胴体トレーニング』棗田三奈子
『月刊「秘伝」特別編集 天才・伊藤昇と伊藤式胴体トレーニング「胴体力」入門』月刊「秘伝」編集部編
『火の呼吸!』小山一夫、安田拡了構成
・『鉄人を創る肥田式強健術』高木一行
『表の体育裏の体育 日本の近代化と古の伝承の間(はざま)に生まれた身体観・鍛錬法』甲野善紀
『ナンバ走り 古武術の動きを実践する』矢野龍彦、金田伸夫、織田淳太郎
『ナンバの身体論 体が喜ぶ動きを探求する』矢野龍彦、金田伸夫、長谷川智、古谷一郎
『ナンバ式!元気生活 疲れを知らない生活術』矢野龍彦、長谷川智
『すごい!ナンバ歩き 歩くほど健康になる』矢野龍彦
『本当のナンバ 常歩(なみあし)』木寺英史
『健康で長生きしたけりゃ、膝は伸ばさず歩きなさい。』木寺英史
『常歩(なみあし)式スポーツ上達法』常歩研究会編、小田伸午、木寺英史、小山田良治、河原敏男、森田英二
『スポーツ選手なら知っておきたい「からだ」のこと』小田伸午
『トップアスリートに伝授した 勝利を呼び込む身体感覚の磨きかた』小山田良治、小田伸午
『トレイルズ 「道」と歩くことの哲学』ロバート・ムーア
『足裏を鍛えれば死ぬまで歩ける!』松尾タカシ、前田慶明監修
『「疲れない身体」をいっきに手に入れる本 目・耳・口・鼻の使い方を変えるだけで身体の芯から楽になる!』藤本靖
『血管マッサージ 病気にならない老化を防ぐ』妹尾左知丸
『いつでもどこでも血管ほぐし健康法 自分でできる簡単マッサージ』井上正康
『「血管を鍛える」と超健康になる! 血液の流れがよくなり細胞まで元気』池谷敏郎
『血管指圧で血流をよくし、身心の疲れをスッと消す! 秘伝!即効のセルフ動脈指圧術』浪越孝
『実践「免疫革命」爪もみ療法 がん・アトピー・リウマチ・糖尿病も治る』福田稔
『人は口から死んでいく 人生100年時代を健康に生きるコツ!』安藤正之
『長生きは「唾液」で決まる! 「口」ストレッチで全身が健康になる』植田耕一郎
『ずっと健康でいたいなら唾液力をきたえなさい!』槻木恵一
『免疫力を上げ自律神経を整える 舌(べろ)トレ』今井一彰
『舌をみれば病気がわかる 中医学に基づく『舌診』で毎日できる健康セルフチェック』幸井俊高
『あなたの老いは舌から始まる 今日からできる口の中のケアのすべて』菊谷武
『肺炎がいやなら、のどを鍛えなさい』西山耕一郎
『誤嚥性肺炎で死にたくなければのど筋トレしなさい』西山耕一郎
『つらい不調が続いたら 慢性上咽頭炎を治しなさい』堀田修
『ムドラ全書 108種類のムドラの意味・効能・実践手順』ジョゼフ・ルペイジ、リリアン・ルペイジ
『ストレス、パニックを消す!最強の呼吸法 システマ・ブリージング』北川貴英
新しい呼吸の教科書 - 【最新】理論とエクササイズ - (ワニプラス) トップアスリートが実践 人生が変わる最高の呼吸法
『呼吸による癒し 実践ヴィパッサナー瞑想』ラリー・ローゼンバーグ

2017-11-19

人間の知覚はすべて錯覚/『しらずしらず あなたの9割を支配する「無意識」を科学する』レナード・ムロディナウ


『デカルトの誤り 情動、理性、人間の脳』アントニオ・R・ダマシオ:田中三彦訳
『隠れた脳 好み、道徳、市場、集団を操る無意識の科学』シャンカール・ヴェダンタム
『意識は傍観者である 脳の知られざる営み』デイヴィッド・イーグルマン
『予想どおりに不合理 行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」』ダン・アリエリー
『たまたま 日常に潜む「偶然」を科学する』レナード・ムロディナウ
『感性の限界 不合理性・不自由性・不条理性』高橋昌一郎

 ・人間の知覚はすべて錯覚

必読書リスト その五

 哲学者は何世紀ものあいだ、「現実」の正体について、および、わたしたちが経験している世界は現実なのか幻影なのかという問題について論じてきた。しかし現代の神経科学によれば、人間の知覚はある意味、すべて錯覚とみなすべきだという。わたしたちは、知覚による生データを処理して解釈することで、この世界を関節的にしか認識しない。その作業は無意識による処理がやってくれていて、それによってこの世界のモデルがつくられている。あるいはカントが言うように、「物自体」と、それとは別に「わたしたちが知る物」が存在するのだ。
 たとえば、周囲を見回せば、自分は三次元空間を見ているという感覚を抱く。しかし、その三つの次元を直接感じ取っているのではない。網膜から送られた平坦な二次元のデータ配列を脳が読み取って、三次元の感覚をつくりだすのだ。無意識の心は映像をとてもうまく処理してくれるため、目のなかに映る映像を上下反転させる眼鏡をかけても、しばらくすると再び上下正しく見えるようになる。眼鏡を外すと再び世界が上下逆さまに見えるが、それもしばらくのあいだでしかない。このような処理がおこなわれているため、「私は椅子を見ている」という言葉は、実際には、「脳が椅子のメンタルモデルをつくりだした」という意味にほかならない。
 無意識は、知覚データを単に解釈するだけでなく、それを増幅する。増幅する必要があるということだが、それは、知覚から送られるデータがかなり質が悪く、使えるものにするには手を加えなければならないからだ。

【『しらずしらず あなたの9割を支配する「無意識」を科学する』レナード・ムロディナウ:水谷淳〈みずたに・じゅん〉訳、茂木健一郎解説(ダイヤモンド社、2013年)】

 53歳から54歳になってわかったことだが中年期後半の疲労がジワジワとはっきりした形で生活に現れる。疲れは気力を奪う。そして激しい運動をすると体のあちこちに痛みが生じる。私の場合だとバドミントンで右ふくらはぎを立て続けに3回肉離れを起こし、よくなったと思ったら膝痛が抜けなくなった。もう4ヶ月ほど経つ。更に左手親指の付け根が内出血したまま痛みが引かない。こちらもひと月以上になる。

 というわけで今年は読書日記もままならず書評も思うように書けなかった。ついでと言っては何だが、2017年に読んだ本を振り返ってみよう。

 1位は文句なしで『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』ユヴァル・ノア・ハラリ。

 2位は『ビッグデータの正体 情報の産業革命が世界のすべてを変える』ビクター・マイヤー=ショーンベルガー、ケネス・クキエ、『〈インターネット〉の次に来るもの 未来を決める12の法則』ケヴィン・ケリー、そして本書が拮抗している。

 続いて『世界をつくった6つの革命の物語 新・人類進化史』スティーブン・ジョンソン、『人類を変えた素晴らしき10の材料 その内なる宇宙を探険する』マーク・ミーオドヴニク、あたりか。

 その次に、『春宵十話』岡潔、『群れは意識をもつ 個の自由と集団の秩序』郡司ぺギオ-幸夫、『日本教の社会学』小室直樹、山本七平、『シドモア日本紀行 明治の人力車ツアー』エリザ・R・シドモア。

 武田邦彦が以前こう語った。「工学の世界はある程度のレベルに達すると女性がついてこれなくなる。そして更に高いレベルになると韓国人や中国人の男性もついてこれなくなる。世界を見渡すと工学の世界で通用するのは自動車産業が強いアメリカ人、ドイツ人、日本人に絞られる」。もちろん一般論として語ったものであるが「言われてみればそうだな」と私は思った。後で知ったのだがイギリスは産業革命以降、木材の工作機械までは世界をリードしていたが、鉄鋼の工作機械においてアメリカに水を開けられた(『「ものづくり」の科学史 世界を変えた《標準革命》』橋本毅彦〈はしもと・たけひこ〉)。マザーマシンとしての工作機械(機械の部品を作る工作機械)の分野はドイツと日本が世界を席巻している。また3ヶ国は戦争に強い共通点も見逃せない。

 日本語については言語環境の優位性を挙げることができよう。日本語は特殊な言語であるが世界の知が翻訳されており、別段英語を学ぶ必要がないと言われるほどである。たぶん250年余りに渡る鎖国の反動が今尚続いているのだろう。

 だが、1位や2位に挙げた本を読んでいるうちに一つの疑問が湧いてきた。「果たして日本人にこれほどの内容を書ける者がいるだろうか?」と。そして「文字禍」中島敦の書評を書きながら、「日本人は俳句や短歌に代表される文学性で勝負するしかなさそうだ」と思うにまで至った。

 武田の言葉が正しいとすればそれは能力の問題ではない。きっと教育環境の劣悪さが彼我の差を生んでいるのだ。

 認知科学が面白いのは人の数だけ世界があることが示されているためだ。仏教用語の世間とは差別・区別の謂(いい)である。それをレナード・ムロディナウは「世界とは個々人の脳が五感情報をモデル化したもの」と表現する。つまり文字通り「あなたは世界」(クリシュナムルティ)なのだ。

しらずしらず――あなたの9割を支配する「無意識」を科学する
レナード・ムロディナウ
ダイヤモンド社
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2016-12-28

アンドリュー・ニューバーグ、ユージーン・ダギリ、ヴィンス・ローズ


 1冊読了。

 175冊目『脳はいかにして〈神〉を見るか 宗教体験のブレイン・サイエンス』アンドリュー・ニューバーグ、ユージーン・ダギリ、ヴィンス・ローズ:茂木健一郎監訳、木村俊雄訳(PHP研究所、2003年)/再読。訳者の名前を明記していないのはPHP研究所の片手落ちだ。茂木の名前で商売をしようとの魂胆が見え見え。神経科学から悟りにアプローチした労作で後に花開く認知科学に与えた影響は大きい。再読して気づいたのは量子論的視点を欠いていることと、受動的なアプローチ(絶対的一者)と能動的アプローチ(神秘的合一)の論述に混乱が見られる。尚、前者は仏教で後者は人格神宗教を示す。巧緻な文章と研究に関する自負が強い割には視点の飛躍がない。「すべてのスピリチュアル体験は、瞬間的に大発生した電気化学的な刺激が脳の神経経路を駆けめぐる現象に還元できてしまう」という地点にとどまっている。いずれにせよ本書が突きつけたテーマに関して全ての宗教が応答を求められている。既に書評済みである。

2016-07-31

河野義行、他


 6冊挫折、1冊読了。

ロボットとは何か 人の心を映す鏡 』石黒浩(講談社現代新書、2009年)/確か茂木健一郎の講演で石黒を知った。視点がユニーク。ところどころ飛ばしながら最後まで読む。

カルチャロミクス 文化をビッグデータで計測する』エレツ エイデン、ジャン=バティースト・ミシェル:阪本芳久訳、高安美佐子解説(草思社、2016年)/要は文化を望遠鏡で見つめる試みである。総花的で主題がつかみにくい。TEDの講演も声が甲高くて耳障りだ。

説き語り日本書史』石川九楊〈いしかわ・きゅうよう〉(新潮選書、2011年)/中ほどまで読む。やはり石川にはゴリゴリの硬い文体が合う。読みやすい分だけ魅力が薄い。

つなみ 被災地の子どもたちの作文集 完全版』森健(文藝春秋、2012年)/子供たちが避難所で書いた原稿がそのまま掲載されている。元は『文藝春秋』臨時増刊号で18万部も売れたという。大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。『文藝春秋増刊「つなみ 5年後の子どもたちの作文集」』、『「つなみ」の子どもたち』と続く。

東北ショック・ドクトリン』古川美穂(岩波書店、2015年)/文章に嫌な匂いを感じる。タイトルも読者をミスリードしている。特定の政治的スタンスや思想を感じる。

日本共産党研究 絶対に誤りを認めない政党』産経新聞政治部(産経新聞出版、2016年)/出来はよくないが1404円なので目をつぶる。「朝日新聞は読む気もしないが、かといって産経新聞を読むほど知的に落ちぶれてはいない」というのが我が心情である。左と右を代表する新聞に共通するのは「拙さ」である。朝日の慰安婦問題捏造発覚以降、毎日やローカル紙は完全に左旋回している。読売は中身がないし、日経はアメリカ万歳だ。つまり日本にはまともな新聞がない。日本共産党が秘めている破壊活動に警鐘を鳴らすのは結構だと思うが、角度が浅い。4分の3ほど読んだ。

 113冊目『「疑惑」は晴れようとも 松本サリン事件の犯人とされた私』河野義行(文藝春秋、1995年/文春文庫、2001年)/「必読書リスト」のチェックを行っている。再読に堪えないものはどんどん削除していくつもりだ。報道被害を知る上で絶対に欠かすことのできない一冊である。それにも増して市井にこれほどの人物がいることに驚く。常識とはバランス感覚なのだろう。『妻よ! わが愛と希望と闘いの日々』(潮出版社、1998年)もおすすめである。

2016-07-19

必読書リスト その五


     ・キリスト教を知るための書籍
     ・宗教とは何か?
     ・ブッダの教えを学ぶ
     ・悟りとは
     ・物語の本質
     ・権威を知るための書籍
     ・情報とアルゴリズム
     ・世界史の教科書
     ・日本の近代史を学ぶ
     ・虐待と精神障害&発達障害に関する書籍
     ・時間論
     ・身体革命
     ・ミステリ&SF
     ・必読書リスト その一
     ・必読書リスト その二
     ・必読書リスト その三
     ・必読書リスト その四
     ・必読書リスト その五

『イスラム教の論理』飯山陽
『「自分で考える」ということ』澤瀉久敬
『壊れた脳 生存する知』山田規畝子
『「わかる」とはどういうことか 認識の脳科学』山鳥重
『世界はありのままに見ることができない なぜ進化は私たちを真実から遠ざけたのか』ドナルド・ホフマン
『ウィリアム・フォーサイス、武道家・日野晃に出会う』日野晃、押切伸一
『物語の哲学』野家啓一
『精神の自由ということ 神なき時代の哲学』アンドレ・コント=スポンヴィル
『完全教祖マニュアル』架神恭介、辰巳一世
『宗教は必要か』バートランド・ラッセル
『無責任の構造 モラルハザードへの知的戦略』岡本浩一
『原発危機と「東大話法」 傍観者の論理・欺瞞の言語』安冨歩
『服従の心理』スタンレー・ミルグラム
『権威の概念』アレクサンドル・コジェーヴ
『一九八四年』ジョージ・オーウェル:高橋和久訳
『「絶対」の探求』バルザック
『絶対製造工場』カレル・チャペック
『華氏451度』レイ・ブラッドベリ
『われら』ザミャーチン:川端香男里訳
『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ
『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ
『あなたの知らない脳 意識は傍観者である』デイヴィッド・イーグルマン
『人間この信じやすきもの 迷信・誤信はどうして生まれるか』トーマス・ギロビッチ
『予想どおりに不合理 行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」』ダン・アリエリー
『隠れた脳 好み、道徳、市場、集団を操る無意識の科学』シャンカール・ヴェダンタム
『しらずしらず あなたの9割を支配する「無意識」を科学する』レナード・ムロディナウ
『マインド・ハッキング あなたの感情を支配し行動を操るソーシャルメディア』クリストファー・ワイリー
『アメリカ民主党の崩壊2001-2020』渡辺惣樹
『確信する脳 「知っている」とはどういうことか』ロバート・A・バートン
『集合知の力、衆愚の罠 人と組織にとって最もすばらしいことは何か』 アラン・ブリスキン、シェリル・エリクソン、ジョン・オット、トム・キャラナン
『動物感覚 アニマル・マインドを読み解く』テンプル・グランディン、キャサリン・ジョンソン
『ポスト・ヒューマン誕生 コンピュータが人類の知性を超えるとき』レイ・カーツワイル
『〈インターネット〉の次に来るもの 未来を決める12の法則』ケヴィン・ケリー
・『LIFE3.0 人工知能時代に人間であるということ』マックス・テグマーク
『ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来』ユヴァル・ノア・ハラリ
『苫米地英人、宇宙を語る』苫米地英人
『数学的にありえない』アダム・ファウアー
『悪の民主主義 民主主義原論』小室直樹
『死生観を問いなおす』広井良典
『日本人のための宗教原論 あなたを宗教はどう助けてくれるのか』小室直樹
『君あり、故に我あり 依存の宣言』サティシュ・クマール
『脳はいかにして〈神〉を見るか 宗教体験のブレイン・サイエンス』アンドリュー・ニューバーグ、ユージーン・ダギリ、ヴィンス・ロース:茂木健一郎訳
『なぜ、脳は神を創ったのか?』苫米地英人
『宗教を生みだす本能 進化論からみたヒトと信仰』ニコラス・ウェイド
『神はなぜいるのか?』パスカル・ボイヤー
『人類の起源、宗教の誕生 ホモ・サピエンスの「信じる心」が生まれたとき』山極寿一、小原克博
『人間の本性について』エドワード・O ウィルソン
『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』ユヴァル・ノア・ハラリ
『ハキリアリ 農業を営む奇跡の生物』バート・ヘルドブラー、エドワード・O・ウィルソン
『徳の起源 他人をおもいやる遺伝子』マット・リドレー
『遺伝子 親密なる人類史』シッダールタ・ムカジー
『若返るクラゲ 老いないネズミ 老化する人間』ジョシュ・ミッテルドルフ、ドリオン・セーガン
『音と文明 音の環境学ことはじめ』大橋力
『トレイルズ 「道」と歩くことの哲学』ロバート・ムーア
『潜在意識をとことん使いこなす』C・ジェームス・ジェンセン
『こうして、思考は現実になる』パム・グラウト
『こうして、思考は現実になる 2』パム・グラウト
『自動的に夢がかなっていく ブレイン・プログラミング』アラン・ピーズ、バーバラ・ピーズ
『あなたという習慣を断つ 脳科学が教える新しい自分になる方法』ジョー・ディスペンザ
『ゆだねるということ あなたの人生に奇跡を起こす法』ディーパック・チョプラ
『同じ月を見ている』土田世紀
『ブッダは歩むブッダは語る ほんとうの釈尊の姿そして宗教のあり方を問う』友岡雅弥
『反応しない練習 あらゆる悩みが消えていくブッダの超・合理的な「考え方」』草薙龍瞬
『手にとるようにNLPがわかる本』加藤聖龍
『怒らないこと 役立つ初期仏教法話1』アルボムッレ・スマナサーラ
『怒らないこと2 役立つ初期仏教法話11』アルボムッレ・スマナサーラ
『人生の短さについて』セネカ:茂手木元蔵訳
『怒りについて 他一篇』セネカ:茂手木元蔵訳
『怒りについて 他二篇』セネカ:兼利琢也訳
『中国古典名言事典』諸橋轍次
『奇跡の脳 脳科学者の脳が壊れたとき』ジル・ボルト・テイラー
『悟り系で行こう 「私」が終わる時、「世界」が現れる』那智タケシ
『わかっちゃった人たち 悟りについて普通の7人が語ったこと』サリー・ボンジャース
『ザ・ワーク 人生を変える4つの質問』バイロン・ケイティ、スティーヴン・ミッチェル
『タオを生きる あるがままを受け入れる81の言葉』バイロン・ケイティ、スティーヴン・ミッチェル
『シッダルタ』ヘルマン・ヘッセ
『小説ブッダ いにしえの道、白い雲』ティク・ナット・ハン
『ブッダの真理のことば 感興のことば』中村元訳
『ブッダのことば スッタニパータ』中村元訳
『子供たちとの対話 考えてごらん』J・クリシュナムルティ
『生と覚醒(めざめ)のコメンタリー クリシュナムルティの手帖より 1』J・クリシュナムルティ
『生と覚醒(めざめ)のコメンタリー クリシュナムルティの手帖より 2』J・クリシュナムルティ
『生と覚醒(めざめ)のコメンタリー クリシュナムルティの手帖より 3』J・クリシュナムルティ
『生と覚醒(めざめ)のコメンタリー クリシュナムルティの手帖より 4』J・クリシュナムルティ
『生の全体性』J・クリシュナムルティ、デヴィッド・ボーム、デヴィッド・シャインバーグ

2015-10-05

渡邊博史、他


 10冊挫折、1冊読了。

決定力を鍛える チェス世界王者に学ぶ生き方の秘訣』ガルリ・カスパロフ:近藤隆文訳(NHK出版、2007年)/やはりルールがわからないのが難点。

宇宙論と神』池内了〈いけうち・さとる〉(集英社新書、2014年)/文章が冴えない。

もう日は暮れた』西村望〈にしむら・ぼう〉(立風書房、1984年/徳間文庫、1989年)/霧社事件を描いた小説。ぱっとせず。

ギリシア人ローマ人のことば 愛・希望・運命』中務哲郎〈なかつかさ・てつお〉、大西英文(岩波ジュニア新書、1986年)/これほど酷い箴言集は初めてのこと。見開き冒頭に掲げた言葉にさほど価値を見出だせない。岩波ジュニア新書は当たり外れが大きい。

シッダールタ』ヘルマン・ヘッセ:岡田朝雄〈おかだ・あさお〉訳(草思社、2006年)/手塚富雄訳を超えるものではない。

白川静さんに学ぶ漢字は怖い』小山鉄郎〈こやま・てつろう〉(共同通信社、2007年/新潮文庫、2012年)/半分ほど読む。前著より勢いに欠ける。

働かないアリに意義がある』長谷川英祐〈はせがわ・えいすけ〉(メディアファクトリー新書、2010年)/冗長。

最後の言葉 戦場に遺された二十四万字の届かなかった手紙』重松清、渡辺考〈わたなべ・こう〉(講談社、2004年/講談社文庫、2007年)/NHKのテレビ番組を書籍化したもの。一粒で二度おいしいってわけだ。実は重松清が苦手である。ま、茂木健一郎との対談しか読んだことがないのだが。テレビ局としてはいい仕事をやり遂げたとの手応えがあったのだろう。書籍に価値は感じられない。

インドネシアの人々が証言する日本軍政の真実 大東亜戦争は侵略戦争ではなかった。』桜の花出版編集部(桜の花出版、2006年)/イデオロギーに基づく出版社と判断した。今後「桜の花出版」の本は読まない。デヴィ夫人の文章だけ読む。

子ども虐待という第四の発達障害』杉山登志郎〈すぎやま・としろう〉(学研のヒューマンケアブックス、2007年)/杉山は発達障害の権威らしい。海外の研究や事例も豊富だ。しかし人間性が伝わってこない。そもそも書籍タイトルが致命的な失敗で本来なら「被虐という第四の発達障害」にすべきである。私は当初「児童虐待をする親が発達障害なのか」と思い込んだ。高橋和巳と一緒に読んだのが運の尽きであった。

 122冊目『生ける屍の結末 「黒子のバスケ」脅迫事件の全真相』渡邊博史〈わたなべ・ひろふみ〉(創出版、2014年)/昨日の夕方手に取ってそのまま読了。まさに「巻を措く能(あた)わず」状態。お笑い芸人が芥川賞を受賞する時代である。犯罪者に直木賞を与えてもよかろう。それほどの衝撃があった。私はネットで渡邊の最終意見陳述書を知り、あまりの面白さに目を剥(む)いた。そして本書を開きシンクロニシティに驚愕した。渡邊は私が今紹介している高橋和巳著『消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ』を拘留中に読み、自分の過去の物語を上書き更新したのだ。彼は親から虐待され、学校ではいじめられ続けた。いじめは塾でも行われたという。『創』編集長の篠田博之から本の差し入れの相談を受けた香山リカが薦めたのが上記杉山本と高橋本であった。渡邊は高橋本を読むことで秋葉原無差別殺傷事件の加藤被告の動機まで理解できたと語る。高橋が「異邦人」というキーワードで被虐者の心象を示したのに対し、渡邊は「生ける屍」「埒外の民」「浮遊霊」「無敵の人」という造語に置き換える。彼が犯罪に手を染めるきっかけになったのは「上智大学」という言葉であった。言ってみれば言葉に翻弄された男が言葉によって過去から解放されるドラマが描かれている。説明能力の高さ、語彙の豊富さからも渡邊の頭のよさが伝わってくる。時折見せる剽軽(ひょうきん)さに終始笑いを抑えることができなかった。私が渡邊だったら、いじめた相手か小学校の教師を殺しに行ったことだろう。

2015-07-14

甲野善紀、茂木健一郎、山川菊栄、鈴木明、藤原美子、中西輝政、他


 8冊挫折、5冊読了。

大君の通貨 幕末「円ドル」戦争』佐藤雅美(講談社、1984年/講談社文庫、1987年/文藝春秋改訂版、2000年/文春文庫、2003年)/冒頭1ページの文章が酷すぎる。「外交官」だらけ。

石原莞爾 満州国を作った男』(別冊宝島、2007年)/Wikipediaの記事は本書からの引用が多い。尚、私も知らなかったのだが〈いしわら・かんじ〉と読むのが正しい。戦時において規格外の天才ぶりを発揮した人物として知られる。満州事変の首謀者であるが、そこに収まるような大きさではない。雑誌サイズのムック版で内容はまとまりを欠く。「宝島社も落ちぶれたもんだな」との印象を拭えず。

歴史をつかむ技法』山本博文(新潮新書、2013年)/教科書的で面白くない。

霧社事件 台湾高砂族の蜂起』中川浩一〈なかがわ・こういち〉、和歌森民男〈わかもり・たみお〉編著(三省堂、1980年)/初公開の資料に基づく力作なのだが左翼的文章が散見されたのでやめた。ま、1960年代から80年代にかけてはさほど意識しなくとも「日本を貶める」のがあたかも知性のように思われていた。五十を過ぎると残された時間に限りがあるため、イデオロギーや思想の悪臭を発する本は読む気になれない。

右であれ左であれ、わが祖国日本』船曳建夫〈ふなびき・たけお〉(PHP新書、2007年)/タイトルはオーウェルから流用したもの。中途半端というよりは眠くなるような代物でスピード感を欠く。文章にも鋭さがない。

生命誕生 地球史から読み解く新しい生命像』中沢弘基〈なかざわ・ひろもと〉(講談社現代新書、2014年)/私の見込み違いであった。

日本が戦ってくれて感謝しています アジアが賞賛する日本とあの戦争』井上和彦(産経新聞出版、2013年)/聞き覚えのある名前だと思ったら、この人だった。テレビで見たまんまの印象を受けた。軽い。内容は重いのだが文章が軽いのだ。タイトルも軽薄だと思う。

ヴェノナ』ジョン・アール・ヘインズ、ハーヴェイ・クレア:中西輝政監訳、山添博史〈やまぞえ・ひろし〉、佐々木太郎、金自成〈キム・ジャソン〉訳(PHP研究所、2010年)/素人が読むには辛い。中西は自著で「ヴェノナ文書が公開されたことで、マッカーシズムが実は正しかったことが証明された」というようなことを書いている。ただしちょっとわかりにくい。ソ連のスパイが多かった事実がそのまま赤狩りのヒステリー現象を正当化することにはならないだろう。

 79冊目『日本人としてこれだけは知っておきたいこと』中西輝政(PHP新書、2006年)/中西の本気が伝わってくる。思わず感動した。靖国神社の意味と意義も初めて知った。東京裁判が行ったのは天皇陛下と靖国神社という日本のアイデンティティを完全に否定することであった。彼らの戦略は確かに成功した。しかし日本人は1990年代から近代史の呪縛を解く作業を始めた。保守論壇で孤軍奮闘してきた中西はその功労者の一人である。

 80冊目『夫の悪夢』藤原美子〈ふじわら・よしこ〉(文藝春秋、2010年/文春文庫、2012年)/名前は知っていた。『月の魔力』(東京書籍、1984年)の共訳者として。しっかし、びっくりしたなー、もう。藤原正彦の奥方がこれほどの美人だったとは。エッセイや講演では鬼嫁みたいな言い方をしている。しかも才色兼備。藤原正彦の宿六亭主ぶりを暴露する。あっけらかん。新田次郎や藤原ていのエピソードも出てきて本当に面白かった。ユーモアという点では藤原に引けをとらない。1日で読了。

 81冊目『高砂族に捧げる』鈴木明(中央公論社、1976年/中公文庫、1980年)/霧社事件で日本軍と戦った高砂族(台湾原住民)がなぜ高砂義勇隊となったのかを追うルポ。文章に心血を注いだ跡が窺える。霧社事件の背景は複雑なことがよくわかった。

 82冊目『武家の女性』山川菊栄〈やまかわ・きくえ〉(岩波文庫、1983年)/やはり渡辺京二が紹介していた部分が一等面白かった。銭湯に登場する伝法なかみさんのエピソード。寅さんも真っ青のべらんめえ調が凄い。塾の様子も忘れ難い。後半は会津藩の天狗党にまつわる内容が目立つ。文章の調子が古き日本への郷愁を掻き立ててやまない。

 83冊目『響きあう脳と身体』甲野善紀、茂木健一郎(バジリコ、2008年)/面白かった。甲野の豊富な知識に驚かされる。甲野がずんずん斬り込んでゆき、茂木は受けに回っている。筋トレ否定論はもっと注目されるべきだ。誰か甲野とイチローを対談させる人がいないかね?

2014-10-02

土俗性と普遍性/『涙の理由』重松清、茂木健一郎


【茂木】普遍性が、ある種の土俗性を切り捨てたところに成り立っている。そこに、忸怩(じくじ)たるものを感じるのかもしれない。

【『涙の理由』重松清、茂木健一郎(宝島社、2009年/宝島SUGOI文庫、2014年)】

 茂木健一郎が精力的に対談本を出し、佐藤優がそれに続いたような印象がある。「どれどれ」と思いながら開いたところ、そのまま読み終えてしまった。初対面の中年男二人がちょっとぎこちない挨拶を交わし、茂木がリードしながら会話が進む。この二人、実は少年時代から抱えている影の部分が似ている。

 茂木の指摘は小説に対するものだが、そのまま宗教にも当てはまる。民俗信仰(民俗宗教)が世界宗教に飛躍する時、儀式性よりも理論が優先される。ここで民俗的文化が切り捨てられる。それを個性と言い換えてもよかろう。つまり味を薄めることで人々が受け入れやすい素地ができるのだろう。これが妥協かといえば、そう簡単な話でもない。

 唐突ではあるが結論を述べよう。私はインディアンのスピリチュアリズムは好きなのだが、ニューエイジのスピリチュアリズムは否定する。両者の違いは奈辺にあるのだろうか? それが土俗性であり、もっと踏み込めばアニミズムということになろう。

 一神教や大衆部(大乗仏教)は神仏を設定することで土俗性を破壊する。そして必ず政治的支配(権力)と結びつく。日本が仏教を輸入したのも国家戦略に基づくものであった。

 そう考えるとよくわかるのだが、ブッダやクリシュナムルティの教えは最小公約数的な原理を示しているだけで、特定の神仏への帰依を強要するものではない。手垢まみれになった宗教という言葉よりも、根本の道というイメージに近い。

2014-08-08

物語に添った恣意的なデータ選択/『人間この信じやすきもの 迷信・誤信はどうして生まれるか』トーマス・ギロビッチ


『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ

 ・誤った信念は合理性の欠如から生まれる
 ・迷信・誤信を許せば、“操作されやすい社会”となる
 ・人間は偶然を物語化する
 ・回帰効果と回帰の誤謬
 ・ギャンブラーは勝ち負けの記録を書き換える
 ・知覚の先入観
 ・視覚的錯誤は見直すことでは解消されない
 ・物語に添った恣意的なデータ選択

『脳はいかにして〈神〉を見るか 宗教体験のブレイン・サイエンス』アンドリュー・ニューバーグ、ユージーン・ダギリ、ヴィンス・ロース
『動物感覚 アニマル・マインドを読み解く』テンプル・グランディン
『ストーリーが世界を滅ぼす 物語があなたの脳を操作する』ジョナサン・ゴットシャル

必読書リスト その五

 重要な点はまさにここにある。後づけでならば、どんなデータでも最も特異な部分を見つけて、そこにだけ都合のいい検定法を施すことができるのである。しかしながら、正しい教育を受けた科学者は、(あるいは、賢明な人であれば誰でも)こうしたことを行なわない。というのも、統計的な分析を事後的に行なうと偶然の要因を正しく評価することができず、分析そのものが意味のないものになってしまうことをよく理解しているからである。科学者たちは、上述のような見かけ上の偏りからは仮説を立てるにとどめ、その仮説を独立な一連のデータによって検証しようとする。こうした検証に耐えた仮説だけが、真の仮説として真剣に検討されるのである。
 不都合なことに、一般の人々の直感的な判断は、こうした厳密な制約を受けることがない。ある結果にもとづいて形成された仮説が、その同じ結果によって検証されたと見なされてしまうのである。ここでの例がそうであるように、人々は、データを事後的に、また選択的に読み取ることにより、見かけ上の特異性を過大評価し、その結果、何もないところに秩序を見つけ出すことになってしまうのである。

【『人間この信じやすきもの 迷信・誤信はどうして生まれるか』トーマス・ギロビッチ:守一雄〈もり・かずお〉、守秀子訳(新曜社、1993年)】

 内容は文句なしなのだが翻訳が悪い。文末が「ある」だらけで文章のリズムが最悪。茂木健一郎に新訳をお願いしたいところ。

 トヨタの自動車を購入した人の殆どはホンダ車の優れた情報には注目しない。それどころか過小評価をする傾向がある。つまり我々は常に「自分の選択が正しかった」ことを証明する目的で情報の取捨選択を行っているのだ。

 もっとわかりやすい例を示そう。ロシアにおけるスターリン、中国における毛沢東の評価だ。このご両人は人類史上最大の殺戮者である。社会主義国では党が価値観を決定する。ま、資本主義の場合はメディアが価値観を決めているわけで、それほど大差はない。錯覚としての自由があるかないかだけの話だ。

 特定の思想や信仰、はたまた理想や強い憧れを抱く者ほど「物語に添った恣意的なデータ選択」を行う。結婚詐欺師に惚れてしまった女性を説得することは難しい。我々の眼はアバタをエクボと認識することが可能なのだ。

 相関関係は因果関係ではない(『精神疾患は脳の病気か? 向精神薬の化学と虚構』エリオット・S・ヴァレンスタイン)。ところが我々は「火のないところに煙は立たない」はずだと確信して評判や噂話の類いを真に受け、縁起を担ぎ、名前の画数や星座・血液型に運勢を委ねる。朝、目が覚めて枕元にプレゼントがあればサンタクロースの存在を信じるような判断力だ。

 思考も複眼でなければ距離感をつかめない。プラスだけではなくマイナスをも考慮し、誤差にまで目を配り、外側だけではなく内側からも見つめ、ひっくり返して裏側を確認するのが合理性なのだ。群盲が象を撫でても象の全体像は浮かび上がってこない。

 得られる情報は常に限定されている。それを自覚するだけでも錯誤を防ぐことができるはずだ。



カーゴカルト=積荷崇拝/『「偶然」の統計学』デイヴィッド・J・ハンド

2014-07-05

読書人階級を再生せよ/『人間の叡智』佐藤優


労働力の商品化
・読書人階級を再生せよ

 そこで私が必要を強く感じるのが、階級としてのインテリゲンチャの重要性です。かつての論壇、文壇は階級だったわけです。編集者も階級だった。その中では独特の言葉が通用して、独特のルールがあった。ギルド的な、技術者集団の中間団体です。国家でもなければ個人でもなく、指摘な利益ばかりを追求するわけでもない。自分たちの持っている情報は、学会などの形で社会に還元する。
 時代の圧力に対抗するにはこういう中間団体を強化するしか道はない。なんでもオープンにしてフラット化すればよい、というものではありません。
 新書を読むような人はやはり読書人階級に属しているのです。ものごとの理屈とか意味を知りたいという欲望が強い人たちで、他の人たちと少し違うわけです。読書が人間の習慣になったのは新しい現象で、日本で読書の広がりが出てきたのは円本が出版された昭和の初め頃からでしょうから、まだ80年くらいのものではないですか。円本が出るまでは、本は異常に高かった。いずれにせよ、現代でも日常的に読書する人間は特殊な階級に属しているという自己意識を持つ必要があると思います。
 読書人口は、私の皮膚感覚ではどの国でも総人口の5パーセント程度だから、日本では500~600万人ではないでしょうか。その人たちは学歴とか職業とか社会的地位に関係なく、共通の言語を持っている。そしてその人たちによって、世の中は変わって行くと思うのです。

【『人間の叡智』佐藤優〈さとう・まさる〉(文春新書、2012年)】

 読者の心をくすぐるのが巧い。しかも本書が文庫化されないことまで見通しているかのようである(笑)。ニンマリとほくそ笑んだ挙げ句に我々は次の新書を求めるべく本屋に走るという寸法だ。

 佐藤優は茂木健一郎の後を追うような形で対談本を次々と上梓している。茂木と異なり佐藤の場合は異種格闘技とも思える相手が目立つ。その目的はここでも明言されている通り「中間団体の強化」にある。佐藤なりの憂国感情に基づく行動なのだろう。

 共通言語に着目すれば佐藤のいう中間団体はサブカルチャー集団とも考えられる。共通言語から文化が生まれ、規範が成り立つ(下位文化から下位規範が成立/『消費税は民意を問うべし 自主課税なき処にデモクラシーなし』小室直樹)。人々の行動様式(エートス)を支えるのは法律ではなく村の掟、すなわち下位規範である。佐藤は驚くべき精力でそこに分け入る。

 佐藤の該博な知識は大変勉強になるのだが、どうも彼の本心が見えない。イスラエル寄りの立場が佐藤の存在をより一層不透明なものにしている。



問いの深さ/『近代の呪い』渡辺京二

2014-06-28

岩本沙弓、原島嵩、ブライアン・ジョセフソン、安保徹、他


 5冊挫折、3冊読了。

プリーモ・レーヴィへの旅』徐京植〈ソ・キョンシク〉(朝日新聞社、1999年)/前々から読みたかった一冊であっただけに期待外れ感が大きい。在日朝鮮人によるユダヤ人利用としか読めない。

検事失格』市川寛〈いちかわ・ひろし〉(毎日新聞社、2012年)/佐賀市農協事件で冤罪をつくりあげた検事が内情を暴露した本。良書だが弱い。

夢見られた近代』佐藤健志〈さとう・けんじ〉(NTT出版、2008年)/遂に佐藤の著作は一冊も読了できず。

ノーベル賞科学者ブライアン・ジョセフソンの科学は心霊現象をいかにとらえるか』ブライアン・ジョセフソン:茂木健一郎、竹内薫訳(徳間書店、1997年)/読めず。

免疫革命』安保徹〈あぼ・とおる〉(講談社インターナショナル、2003年/講談社+α文庫、2011年)/典型的なトンデモ本。相関関係を因果関係に摩り替えた代物。体験談に基づく手法が健康食品販売を思わせる。新潟大学医学部教授という肩書に驚かされる。

 37冊目『最後のバブルがやってくる それでも日本が生き残る理由 世界恐慌への序章』岩本沙弓〈いわもと・さゆみ〉(集英社、2012年)/36冊目と順番を間違えた。こちらを先に読了。岩本沙弓に外れなし。

 38冊目『経済は「お金の流れ」でよくわかる: 金融情報の正しい読み方』岩本沙弓〈いわもと・さゆみ〉(徳間ポケット、2013年)/アベノミクスの盲点は資源高という指摘が腑に落ちる。元為替ディーラーだけあって浮ついた理論に流されない足腰の強さが窺える。

 39冊目『誰も書かなかった池田大作・創価学会の真実』原島嵩〈はらしま・たかし〉(日新報道、2002年)/創価学会の元教学部長による告発手記。矢野絢也の著作と比べるとかなりレベルが落ちる。池田の女性問題にまつわる部分は印象に傾きすぎていて危うい。

2014-06-08

信ずることと知ること/『学生との対話』小林秀雄:国民文化研究会・新潮社編


『小林秀雄全作品 25 人間の建設』小林秀雄
『小林秀雄全作品 26 信ずることと知ること』小林秀雄

 ・信ずることと知ること

 僕は信ずるということと、知るということについて、諸君に言いたいことがあります。信ずるということは、諸君が諸君流に信ずることです。知るということは、万人の如く知ることです。人間にはこの二つの道があるのです。知るということは、いつでも学問的に知ることです。僕は知っても、諸君は知らない。そんな知り方をしてはいけない。しかし、信ずるのは僕が信ずるのであって、諸君の信ずるところとは違うのです。現代は非常に無責任な時代だといわれます。今日のインテリというのは実に無責任です。例えば、韓国の或る青年を救えという。責任を取るのですか。取りゃしない。責任など取れないようなことばかり人は言っているのです。信ずるということは、責任を取ることです。僕は間違って信ずるかも知れませんよ。万人の如く考えないのだから。僕は僕流に考えるんですから、勿論間違うこともあります。しかし、責任は取ります。それが信ずることなのです。信ずるという力を失うと、人間は責任を取らなくなるのです。そうすると人間は集団的になるのです。自分流に信じないから、集団的なイデオロギーというものが幅をきかせるのです。だから、イデオロギーは常に匿名です。責任を取りません。責任を持たない大衆、集団の力は恐ろしいものです。集団は責任を取りませんから、自分が正しいといって、どこにでも押しかけます。そういう時の人間は恐ろしい。恐ろしいものが、集団的になった時に表に現れる。本居宣長を読んでいると、彼は「物知り人」というものを実に嫌っている。ちょっとおかしいなと思うくらい嫌っている。嫌い抜いています。
 彼の言う「物知り人」とは、今日の言葉でいうとインテリです。僕もインテリというものが嫌いです。ジャーナリズムというものは、インテリの言葉しか載っていないんです。あんなところに日本の文化があると思ってはいけませんよ。左翼だとか、右翼だとか、保守だとか、革新だとか、日本を愛するのなら、どうしてあんなに徒党を組むのですか。日本を愛する会なんて、すぐこさえたがる。無意味です。何故かというと、日本というのは僕の心の中にある。諸君の心の中にみんなあるんです。会を作っても、それが育つわけはないからです。こんな古い歴史を持った国民が、自分の魂の中に日本を持っていない筈がないのです。インテリはそれを知らない。それに気がつかない人です。自分に都合のいいことだけ考えるのがインテリというものなのです。インテリには反省がないのです。反省がないということは、信ずる心、信ずる能力を失ったということなのです。(「講義 信ずることと知ること」昭和49年8月5日 於・鹿児島県霧島)

【『学生との対話』小林秀雄:国民文化研究会・新潮社編(新潮社、2014年)以下同】

 私が書き起こしたもの(集団行動と個人行動/『瞑想と自然』J・クリシュナムルティ)と比べると微妙に違うが、まあよしとしよう。小林秀雄の講演CDを聴いた者なら本書を待ち望んでいたことだろう。

 国民文化研究会が主催した「全国学生青年合宿教室」(4泊5日)に小林は5回参加している。

 実をいえば、この講義がこうしていまも聴けるということは、奇跡にちかいことなのです。小林秀雄は、講演であれ、対話・座談の類であれ、自分の話を録音することは固く禁じていました。(中略)小林が録音を禁じた理由のひとつは、自分の知らないところでそれが勝手に使われ、書き言葉ではない話し言葉をもとに小林秀雄論など書かれたりしては困るからです。(池田雅延)

 小林はとにかく遠慮を知らぬ男で、酔っ払って正宗白鳥に絡んだり、対談で柳田國男を泣かせたりしている(『直観を磨くもの 小林秀雄対話集』)。

 講演CDの白眉をなすのが「信ずることと知ること」である。個と普遍、感情と理論を見事に語り切ってあますところがない。しかもそれを集団の力と結びつけることで個の喪失をも暴き出している。小林は「私」(わたくし)を重んじた。「信ずる心、信ずる能力を失った」という指摘は新興宗教にも向けられたものだ。小林が創価学会池田大作と会ったのは昭和46年(1971年)のこと。

 現代社会は信じる力も知る力も弱まった。どちらも強制されているためであろう。我が子がいじめられていた事実を自殺した後で親が初めて気づくような時代である。子が親を信じることもできず、親が子を知ることもない恐ろしさ。

 逆説的ではあるが信じる力は疑うことで養われる。懐疑を経ていない信は脆弱(ぜいじゃく)なものだ。信と疑は真偽に通じ、これを峻別することで感性が磨かれる。薄っぺらい信と知は軽薄な生き方を示すものだ。

学生との対話小林秀雄講演 第2巻―信ずることと考えること [新潮CD] (新潮CD 講演 小林秀雄講演 第 2巻)小林秀雄全作品〈26〉信ずることと知ること脳と仮想 (新潮文庫)小林秀雄講演 第1巻―文学の雑感 [新潮CD] (新潮CD 講演 小林秀雄講演 第 1巻)小林秀雄講演 第3巻―本居宣長 [新潮CD] (新潮CD 講演 小林秀雄講演 第 3巻)現代思想について―講義・質疑応答 (新潮CD 講演 小林秀雄講演 第4巻)小林秀雄講演 第5巻―随想二題 本居宣長をめぐって [新潮CD] (新潮CD 講演 小林秀雄講演 第 5巻)小林秀雄講演 第6巻―音楽について [新潮CD] (新潮CD 講演 小林秀雄講演 第 6巻)小林秀雄講演 第7巻―ゴッホについて/正宗白鳥の精神 [新潮CD] (新潮CD 講演 小林秀雄講演 第 7巻)小林秀雄講演 第8巻―宣長の学問/匂玉のかたち [新潮CD] (新潮CD 講演 小林秀雄講演 第 8巻)

「長嶋茂雄っぽい感じ」とプラトンのイデア論/『脳と仮想』茂木健一郎
政党が藩閥から奪った権力を今度は軍に奪われてしまった/『重光・東郷とその時代』岡崎久彦