・SION
2013-08-04
2012-10-13
原田芳雄「only my song」
イントロを聴いてSIONの「薄紫」かと思った。原田芳雄は類稀なブルース・ミュージシャンの一人であった。「薄紫」に匹敵する名曲だ。東京の風景が見事に曲を引き立てている。
2012-08-20
転倒老人 助けない見物人と大泣きする外国人女性=上海
上海新華路淮海西路で、10日午前、後頭部から血を流した老人が、路上で倒れていたにもかかわらず、周りの見物人は誰一人助けようとしないため、最初に老人を助けた外国人女性が見物人を罵倒した。
この事が起きたのは、午前8時頃で、当時周りに見物人がおり、救急通報をした者もいたが、老人を助け起そうとする者は1人もいなかった。救急側も電話で、救急に出せる車がないと返事し、通報者が緊急事態と要求したところ、「じゃ、待ってろ」と適当にあしらったそうだ。
ちょうど通りかかった外国人女性が最初に老人を助け起し、自分の白いスカーフを老人の頭の下に敷いた。老人を助けようとしない周りの見物人に激怒し、罵倒した後、大泣きした。さらにこの女性は、自分の財布からお金を出し、周りの見物人に老人の医薬費にと渡した。救急車が来たのは、30分も経ってからだった。
倒れていた老人は銭という名字で、今年87歳になる。軽い脳梗塞による眩暈で倒れ、頭部にけがを負ったが、医者から救急措置を施され、いま無事回復した。
倒れている人、怪我をしている人を見ても助けず見て見ぬふり。同じような事が中国で頻発している。昨年、広東省で2歳児が車に轢かれ、18人もの通行人が無視した結果、子供が重傷で亡くなった事件もまだ記憶に新しい。
「無視」する理由の一つに、人助けをした人が、被害者から加害者であると密告され、多額の慰謝料をゆすられる事件が多く発生していることにあるという。中に、多額の慰謝料を払えず、自殺した者もいた。
「心は痛むけど、本当に怖くて助けることができない。高1の時におばあちゃんを助けたら、ゆすられて一カ月間毎日、その家族全員が私を学校まで付き纏い、お母さんを仕事場まで付き纏った」という恐い体験談を寄せるネットユーザーや「助けないじゃなく、助けられない。助けたら99%ゆすられる」「私たちも元から悪いわけではない。小学生の時から困っている人を見たら助けると知っているけど、この汚い社会が私たちを変えた。良い環境は悪い人を改善する、悪い環境は良い人を悪くする」と、傍観者の心情をつづる書き込みも多く寄せられている。
【大紀元 2012-08-15】
・【中国交通事故】冷酷18人の通行人2歳の女児を助けず/「曇り空、ふたりで」SIONと福山雅治
2012-04-10
2012-03-20
2011-12-19
バッハをキリスト教に閉じ込めてはならない/『J・S・バッハ』礒山雅
私は、バッハにおけるキリスト教の役割を軽視する考えには、絶対に反対である。バッハにとってこれほど大切だったものを尊重し、その内容を知り、その影響を考えることは、正しいバッハ理解のための不可欠の条件であると思う。その意味では、聖書の勉強がたいへん役に立つ。
だが、だからといってバッハを、キリスト教に閉じ込めてはならない。バッハを教会で聴くのはいいものだが、演奏の場を教会に限るべきではないだろう。それと同じように、バッハのメッセージも、当時の教会の教えにすべて還元されるべきではない。むしろわれわれは、バッハがその教えの上に立ちながら、いかに国境と時代を超えた作品を作り出したかに、目を注ぐべきである。
バッハの人間理解に深さが感じられるのは、彼が人間の概念を、いつも人間を超えたものとの関係においてとらえているからではないだろうか。
【『J・S・バッハ』礒山雅〈いそやま・ただし〉(講談社現代新書、1990年)】
我が音楽の嗜好は20代でロックからブラックミュージックへと進み、ワールドミュージックを経て沖縄ポップスに辿り着いた。そして40代の後半になってTha Blue HerbとSIONの歌声に耳を委ねている。そんな私だが「一曲だけ選べ」と言われたら、迷わず『マタイ受難曲』と答える。バッハと出会ったのは丸山健二の小説でのこと。
・丸山健二と『マタイ受難曲』/『虹よ、冒涜の虹よ』丸山健二
直ちに名演との誉れ高いカール・リヒター指揮の1958年盤を取り寄せた。丸山の形容は決して大袈裟なものではなかった。
礒山のリベラルな精神が見事にバッハを捉える。リベラルとは中途半端を意味しない。常に別の可能性を模索し得る柔軟な精神性を指すのだ。
世界はイデオロギーという絵の具で色分けされている。つまり「所属」を通して人間を判別するのだ。どの国家、どの宗教、どの政党、どの学校、どの企業、どの地域に所属しているのか? 氏素性(うじすじょう)というのも一緒である。
我々はありのままの人間を見つめる前に敵か味方かを問うのだ。これは多分本能に基づいているのだろう。石器時代であれば、「騙(だま)される」ことは死を意味する。
それゆえ世界の挨拶は「味方であること」を示すサインとなっている。握手は利き腕に武器を持っていない証拠であるし、日本のお辞儀は人間の急所である頭部を相手に差し出す行為だ。ハグも攻撃され得る距離に身を委ねる営みである。
例えば礒山とは反対にクリスチャンとしてのバッハを論じることも可能だろう。しかしバッハという人物の幅を狭めることで、多くの共感を獲得することは困難であろう。
礒山が見つめるのは「人間バッハ」である。視点の高さがバッハという地平を豊かに広げる。
・バッハはリズム、モーツァルトはメロディ、ワーグナーはハーモニー/『J・S・バッハ』礒山雅
・バッハ「マタイ受難曲」カール・リヒター指揮
・「ヨハネ受難曲」「マタイ受難曲」バッハ
2011-10-22
【中国交通事故】冷酷18人の通行人2歳の女児を助けず/「曇り空、ふたりで」SIONと福山雅治
中国:ひき逃げされ放置の女児死亡
中国広東省仏山市で車にひかれ、通行人18人に救助されず素通りされた後、瀕死(ひんし)の状態で搬送された女児(2)が事故から9日目の21日未明、搬送先の病院で死亡した。地元紙、南方日報が同日、短文投稿サイト「微博」の公式ページで伝えた。
「悦悦ちゃん」と呼ばれる女児は、自宅近くの商店街で13日夕方、ワゴン車にひき逃げされた。血を流して苦しんでいるのに通行人に見て見ぬふりをされ、後から来たトラックにも両脚をひかれた。その後病院に運ばれ、意識不明のまま懸命の治療が続いていた。(共同)
【毎日jp 2011-10-21】
・キティ・ジェノヴェーゼ事件~傍観者効果/『服従実験とは何だったのか スタンレー・ミルグラムの生涯と遺産』トーマス・ブラス
閲覧注意のこと。私は一度見たが、正視するに耐えず途中でやめた。尚、SIONの曲は彼の熱烈なファンである福山雅治がギターを弾いている。亡くなった2歳女児と歌詞が重なる。
回答者87%「倒れた高齢者助けないのは後が恐いから」=中国
首都経済大学など中国の3大学は17日、社会における信用問題に関連する民意調査の結果を発表した。中国で多発している「街頭で倒れた高齢者を、だれも助けない」現象について「後が怖いと考えるから」と回答した人が全体の87.4%にのぼった。中国新聞社が報じた。
7.2%が「ひとごとなので冷淡になる」、5.3%が「医学的知識がないから」と回答した。
「倒れた高齢者を助けるべきか」との質問に対しては64.8%が「助けるべき」、26.9%が「何とも言えない。状況による」、8%が「助けるべきでない」と回答した。
同調査を実施した関係者は「社会における道徳概念はいまだに存在するものの、社会から信用が失われていることが人々の道徳心を損ねている」と述べた。
◆解説◆
中国では、道路などで倒れた高齢者を見て助けたところ、本人や家族から「あなたのせいで転倒して負傷した」などと治療費を請求されるトラブルが発生している。そのため、倒れた高齢者の回りに多くの人が集まったがだれも助けようとせず、急病だった高齢者が死亡するケースも発生している。
【サーチナ 2011-10-19】
・傷つき、困っている人を助けてはいけない 親切心を踏みにじる判決が示した“正しい処世術”
中国人の驚きの交通マナー?
それよりもっと恐ろしいのが人身事故を起こしたときの中国人の行動です。
中国では事故を起こして相手が怪我や後遺症を負った場合何年にもわたり多額の治療費を請求されるそうです。しかし相手が死亡した場合はその治療費が要らなくなます。少しでも安く済ませたい中国人は被害者を2度、3度と轢いて確実に殺します。
日本ならこれは殺人です。しかし中国ではただの交通事故でしかないんです。
【びーこのブログ】
・5歳男児ひき逃げ事件も起きていた(中国)
・中国の交通事故映像集
・中国 ひき逃げされた男性死亡 車41台が素通り
・転倒老人 助けない見物人と大泣きする外国人女性=上海
・SION
ロバート・クワインとルー・リード、トム・ウェイツ、SION
何と私の大好きなミュージシャンに共通点があった。ロバート・クワインというギタリストだ。尚、ロバート・クインという表記が多いが、彼の親戚に哲学者のウィラード・ヴァン・オーマン・クワインがいるため、「クワイン」としておく。
・魔法と喪失 2 イカれた保険外交員の青春
・SION
2011-09-11
去りゆく季節への哀感/「夏の終わり」SION
・歌詞
好きなものについて書くのは中々難しい。ともすると「ただ好きなんだ」となってしまいがちだ。批評には一定の距離感が求められる。その意味で私が書く書評やレビューは感情に走り過ぎるきらいがある。
SIONは以前から知っていたが、胸に突き刺さるようになったのは「同じ列車に乗ることはない」(『住人 Jyunin』収録)という曲を聴いてからのことだ。
同じ頃からTha Blue Herbも聴くようになった。両者に共通するのは岩をも砕くような振動の力だ。私は耳をひねり上げられているような心情になるのが常だ。
八王子では昨日からツクツクボウシが鳴き始めた。去りゆく夏を「つくづく惜しい」と告げるかのように。
この曲に耳を傾けながら、「ああ、俺の人生の夏も終わったのか」と不意打ちを食らった。48歳にもなれば正真正銘の中年である。あと10年もすれば初老の領域だ。気づかぬうちに肉体は衰え、かつてできたことが段々とできなくなってゆくのだろう。
風の色が変わる瞬間がある。そこで初めて我々は季節の変化を知る。人生の春秋にもそんな時が訪れる。
五行思想では青春の後に朱夏(しゅか)、白秋(はくしゅう)、玄冬(げんとう)と続く。
冬は死の季節だ。そして老境を錦秋の如く迎える人はあまりにも少ない。美しく老いることは至難の業(わざ)だ。そもそも「老い」という言葉自体が醜さを示している。我々は花に目を奪われて木の全体を見ることがない。
中年期になると自分の周りで死者が増える。親は順序からいって当たり前だが、先輩や友人が亡くなることも珍しくない。烈風に耐え抜くだけの体力がなければ無気力の穴に陥る。
時は移ろい、去りゆく季節と訪れる季節の間に現在がある。我が生命に去来するリズムが反響して人生の彩りを決める。
アフマド・シャー・マスードは48歳で死んだ。周囲が思うほど彼に悔恨はなかったことだろう。完全燃焼しながら生きている人物は何ものにも執着することがないからだ。
・SION
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