2006-02-07

これが私のいる世界なのか?/『ホテル・ルワンダ』テリー・ジョージ監督


 ・これが私のいる世界なのか?

『それでも生きる子供たちへ』監督:メディ・カレフ、エミール・クストリッツァ、スパイク・リー、カティア・ルンド、ジョーダン・スコット&リドリー・スコット、ステファノ・ヴィネルッソ、ジョン・ウー
『生かされて。』イマキュレー・イリバギザ、スティーヴ・アーウィン
『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』レヴェリアン・ルラングァ
『なぜ、世界はルワンダを救えなかったのか PKO司令官の手記』ロメオ・ダレール
『ルワンダ ジェノサイドから生まれて』写真、インタビュー=ジョナサン・トーゴヴニク
『戦場から生きのびて ぼくは少年兵士だった』イシメール・ベア
『メンデ 奴隷にされた少女』メンデ・ナーゼル、ダミアン・ルイス

『ホテル・ルワンダ』を見てきた。いやはや、立川のシネマシティ/City2は凄い。これほど、スクリーンを大きく感じたのは生まれて初めてのこと。前から4列目に陣取ったのだが、真正面にスクリーンがある。音響もパーフェクト。

 インターネットでの署名活動によって、やっと公開にこぎつけた作品。1994年にアフリカのルワンダで100万人が殺戮された実話に基づいている。

「力」とは一体、何なのか――映画館を出た今も頭の中を去来する。街中で起きているチンピラ同士の喧嘩なんぞとは桁違いの軍隊による暴力。そして、それをコントロールする権力。更に、大量虐殺を放置したり、放置させたりする国際間のパワー・オブ・バランス。

 元々同じ種族でありながら、ベルギー人によって、“鼻の形の違い”でツチ族とフツ族に分けられ、いがみ合い、殺し合うアフリカの民。相手の種(しゅ)を絶つために、子供まで殺す徹底ぶりだ。

 政変が起こるまで、金の力で成り上がった主人公は、家族を守るために必死の行動をとる。それだけの内容で、私は全く感動を覚えなかった。それどころか、「自分の家族さえ助かればいいのか?」と嫌な気持ちにさせられたほどだ。

「これが私のいる世界なのか?」――この一点を思い知るために見るべき作品だ、と私は思う。

 見ている最中から、猛烈な無力感に苛(さいな)まれる。私に何ができるのだ? どうせ、何もできない。否、しようともしないだろう。

 それでも、見るべきなのだ。中国から廉価で輸入された鉈(なた)で殺される人々を。虫けらみたいにビストルで撃たれる人々を。殺される前に陵辱される女性達を……。

 何もしなくていい。ただ、罪もなく殺されていった100万の人々の無念を知れ。

2004-09-28

苦痛を味わう/『ダンサー・イン・ザ・ダーク』ラース・フォン・トリアー監督


 ・苦痛を味わう

『イノセント・デイズ』早見和真
『ドッグヴィル』ラース・フォン・トリアー監督・脚本

・監督、脚本:ラース・フォン・トリアー
・出演:ビョーク、カトリーヌ・ドヌーヴ

 一度見て度肝を抜かれた。いずれの方向にせよ人の心が動くことを感動というのであれば確かな感動があった。だがその一方で二度と見ることはないだろう、とも思った。この衝撃は一度見れば十分なもので何度も鑑賞する類いの作品ではない。

 所感を記そうとネット上の情報を物色していたところ、阿部和重がパンフレットに書いた一文に遭遇した。予想もつかない視点から物語を解き、映像の奥深くに込められたメッセージを鮮やかに読み取っていた。私は頭を殴られたようなショックを受けた。

 ネットで見つけた阿部のテキストは一部だったので、それからというもの、パンフレットを入手するまでに3ヶ月ほどを要した。

 そして、私はパンフレットを座右に置き、再びビデオを見た。阿部が汲み取ったものを見逃すまい、と。ビデオが終わって、パンフレットを初めて開いた。やっぱり負けた(笑)。

 二度目ではあったが、予想に反して、私は画面に釘づけとなった。カットの一つ一つが、しっかりと物語を構成していた。

 冒頭、シミのようなものが浮かび、図と地の区別がつかなくなる。

 ハンディカメラで撮影されていて、画面が常にブレている。ブレた分だけ見ている側に緊張感を強いる。あたかも人の視線に入り込んだような感覚にとらわれる。ライトも当てられず、極端な効果音やBGMもない。こうして、揺れる画面は自分の眼となり、観客は無理矢理、映画の中に引きずり込まれる。

 40分ほどが経過してリズムが奏でられ、主人公セルマが踊り出す。場面がミュージカルとなると、映像はピタリと揺れなくなる。現実は揺れ動き、空想は完成された世界だ。

 セルマは歌う。「もう見るべきものはない。何もかも見た」と。

 セルマは踊る。「ミュージカルでは恐ろしいことは起こらないわ」と。

 シナリオはメッセージを主張することなく、見る者に思索を強要する。

 空想シーンであるミュージカルと現実がラストで一致する。セルマは獣のような声で叫び歌う。「これは、最後の歌じゃない!」。

 現実の世界でセルマがステップを踏むと、彼女は宙に舞う。真っ直ぐな姿勢で。運命と戦い、病苦(主演女優の名前とダブって仕方がない)と戦い、世の中の矛盾と戦ったセルマは、遂に自由を手に入れた。

【付記】余談になるが、二度目の方が私は泣けた。特に、獄中のセルマと面会するジェフの姿は、私が知る限りでは、究極のラブシーンである。また、セルマの同僚がカトリーヌ・ドヌーヴであることも後から知った。大女優であることを気づかせないほどの抑制された名演である。また、ミュージカルの曲が好評を博しているようだが、私の趣味とは全く合わないものだ。それでも、お釣りがくるほど堪能できた。尚、パンフレットに掲載されている阿部和重の「反転する世界」は類い稀なレビューである。そっくり紹介したい気持ちに駆られるが、やはり、少々苦労はしても、直接、入手された方がよろしい。

 

2003-03-19

物静かな語り口から発せられる警鐘の乱打/『9.11 アメリカに報復する資格はない!』ノーム・チョムスキー


 ・物静かな語り口から発せられる警鐘の乱打

『武装解除 紛争屋が見た世界』伊勢崎賢治
『メディア・コントロール 正義なき民主主義と国際社会』ノーム・チョムスキー
『エコノミック・ヒットマン 途上国を食い物にするアメリカ』ジョン・パーキンス
『ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く』ナオミ・クライン
『アメリカの国家犯罪全書』ウィリアム・ブルム
『アメリカ民主党の崩壊2001-2020』渡辺惣樹
『第三次世界大戦はもう始まっている』エマニュエル・トッド

 読んでから随分と時間が経ってしまったが、今、書かずして後悔することを恐れてキーボードに向かう。

 百数十ページの薄っぺらい文庫本である。だが、その内容の重さは純金にも匹敵するものだ。

 本書は、米国で起きた同時多発テロから1ヶ月後の2001年10月15日にセヴン・ストーリーズ・プレス社という小さな出版社から発行された。日本語版は11月30日に発刊。米国ではテロへの怒りによってもたらされた“国家主義”が大手を振って歩き回っていた頃である。そんな時期に、宣伝もせず、書評欄に取り上げられ ることもなかった本書が、大方の予想を覆して売れ行きを伸ばした。22ヶ国でペーパーバック版となり、その内、5ヶ国ではベストセラーになっている。

 収録されているのは9月19日から10月15日までに行われた各メディアによるチョムスキーへのインタビュー。著名な言語学者であるチョムスキーが淡々とインタビューに答える内容は、米国が世界で行ってきた事実を検証し、テロの根っこをさらけ出し、「目には目を!」と叫ぶ面々の頭に、バケツの水をぶっ掛ける様相を呈している。

 チョムスキーの良心は「エスカレートする暴力の悪循環という世界中でおなじみの力学」を阻止せんとの決意に満ちている。インタビュアーが問い掛ける内容は、マスメディアが世界に発信している情報を拠り所としており、我々が日常、常識と考えているものである。チョムスキーは実に簡潔な言葉で問題の的を射てみせる。彼の言葉によって見つけ出されるのは、己(おの)が思考回路の迷妄に尽きる。以下、引用――

問●アラブ人は、定義上、必然的に原理主義者ですが、西側の新たなる敵でしょうか?

チョムスキー●もちろん違う。まず第一に、ひとかけらでも理性を持った人ならアラブ人を「原理主義者」などとは定義しない。第二に、米国と西側は一般に宗教的な原理主義自体に何ら反対はしていない。事実、米国は世界における、最も過激な宗教的原理主義文化の一つなのだ。国ではなく、大衆文化が。イスラム世界では、タリバンを別にすれば、最も過激な原理主義国家はサウジアラビアである。この国は、建国以来、米国の顧客国家(クライアント)である。タリバンは事実上イスラム教のサウジ版から生まれている。
 よく「原理主義者」と呼ばれる過激なイスラム教徒は、1980年代米国のお気に入りだった。手に入る最高の人殺しだったから。当時、米国の主要な敵はカトリック教会だった。教会は、ラテンアメリカで「貧者の優遇権」(1980年代に中南米で盛んになった解放神学の主張)を採択することによって極悪非道の大罪を犯し、そのおかげでひどい目に遭っていた。西側は敵の選び方において極めて普遍的、世界的である。判定基準は、服従しているか否かであり、権力へ奉仕しているか否かであって、宗教の如何ではない。このことを証明する例はほかにも数多くある。

【『9.11 アメリカに報復する資格はない!』ノーム・チョムスキー:山崎淳訳(文春文庫、2002年)】

「9.11テロに対して、ブッシュ政権は何をすべきか?」との質問にはこう答える――

 もしこの質問について真剣に考えたいのなら、われわれは、世界の大半において米国が、十分な根拠をもって、『テロ国家の親玉』と見なされている事実を認めるべきである。例えば、1986年に米国は国際司法裁判所で『無法な力の使用』(国際テロ)の廉(かど)で有罪を宣告されたうえ、すべての国(すなわち米国)に国際法遵守を求める安全保障理事会の決議に拒否権を発動したことを想起すべきかもしれない。これは無数にある例のうちのたった一つである。

 では以下に本書で取り上げられているいくつかの事実を列挙してみよう――

(1)1980年代のニカラグアは米国による暴力的な攻撃を蒙った。何万という人々が死んだ。国は実質的に破壊され、回復することはもうないかもしれない。この国が受けた被害は、先日ニューヨークで起きた悲劇よりはるかにひどいものだった。彼らはワシントンで爆弾を破裂させることで応えなかった。国際司法裁判所に提訴し、判決は彼らに有利に出た。裁判所は米国に行動を中止し、相当な賠償金を支払うよう命じた。しかし、米国は、判決を侮りとともに斥(しりぞ)け、直ちに攻撃をエスカレートさせることで応じた。そこでニカラグアは安全保障理事会に訴えた。理事会は、すべての国家が国際法を遵守するという決議を検討した。米国一国がそれに拒否権を発動した。ニカラグアは国連総会に訴え、そこでも同様の決議を獲得したが、2年続けて、米国とイスラエルの2国(一度だけエルサルバドルも加わった)が反対した。

(2)1985年、レーガン政権はベイルートで爆弾テロを仕掛けた。イスラム教の聖職者を暗殺することが目的だったが、これに失敗。モスクの外に爆弾トラックを配備し、最大の死傷者が出るようタイミングを計ったため、礼拝を終えて一斉に帰る人々が殺された。死者80名。負傷者250名。(47p)

(3)イスラエルのレバノン侵攻を支持。これが自衛のためでなかったことをイスラエルは直ぐに認めている。レバノンとパレスチナの一般市民18000人が殺される。

(4)1990年代、米国はトルコに対し、南東部に住むクルド人への反乱鎮圧戦争に際し、兵器の80%を供給。何万人も殺し、200〜300万人を家から叩き出し、3500の町や村を破壊し(NATOの爆撃によるコソボの7倍)、想像できる限りの残虐行為を行った。トルコがテロ攻撃を始めた1984年に武器の流れが急に増え、テロがほぼ目標を達成した1999年にやっと元のレベルに戻った。1999年、トルコは米国兵器の主な受取人(イスラエルとエジプトを除く)の地位をコロンビアに譲った。コロンビアは南半球における1990年代の最悪の人権侵害国家であり、一貫したパターンにより、米国の兵器と訓練の主要受取人として群を抜いている。

(5)1998年、ケニアとタンザニアで起こった米大使館爆破事件に関して主犯をオサマ・ビンラディンと特定。スーダンとアフガニスタンを攻撃した。スーダンのアル−シーファ薬品工場を「化学兵器工場」であとして破壊。スーダンは、国連に爆撃の正統性を調査するよう求めたが、それすら米国政府は阻止した。それから1年後の報道によれば、「命を救う薬品(破壊された工場)の生産が途絶え、スーダンの死亡者の数が、静かに上昇を続けている……こうして、何万人もの人々――その多くは子供である――がマラリア、結核、その他の治療可能な病気に罹(かか)り、薬がないため死んだ。[アル−シーファは]人のために、手の届く金額の薬を、家畜のために、スーダンの現地で得られるすべての家畜用の薬を供給していた。スーダンの主要な薬品の90%を生産していた……スーダンに対する制裁措置のため、工場の破壊によって生じた深刻な穴を埋めるのに必要なだけの薬品を輸入することができない……1998年8月20日、米国政府が取った作戦行動はいまだにスーダンの人々から必要な医薬品を奪い続けている」(ジョナサン・ベルケ『ボストン・グローブ』1999年8月22日号)

 イドリス・エルタイエブ博士は、スーダンの一握りの薬学者の一人でアル−シーファの会長だ。「あの犯罪は」と博士は言う。
「ツイン・タワーのテロと等しいテロ行為である――ただ一つ違うのは、やったのは誰かわれわれが知っていることだ。私は[ニューヨークとワシントンで]人命が失われたことをとても悲しく感じる。しかし、数という点で言うなら、また、貧しい国に負わされた相対的なコストの大きさで言うなら、〔スーダンの爆撃の方が〕ひどい」

 ミサイル攻撃の直前に、スーダンは大使館を爆破した容疑者2名を拘束。米国政府に通報したが、米国はこの協力の申し出を拒否。スーダン側はこれに怒って容疑者を釈放。この中には、「オサマ・ビンラディンとそのアル−カイダ・テロリスト・ネットワークの主要メンバー200人以上に関する今日までの大量のデータベースが入っていた。また、「ファイルには、ビンラディンの幹部たち多くの者の写真や詳しい経歴や、地球上の多くの場所にあるアル−カイダの財政的関係機関の重要な情報が入っていた」。

 驚愕の事実が我々に教えてくれるのは、米国が国益という名の下(もと)に多くの罪無き人々を殺戮(さつりく)していることだ。マスメディアによってもたらされる情報は良識ある市民をつんぼ桟敷へ追いやろうとしている。

 事実を淡々と述べるチョムスキーの姿に骨太の知性を垣間見る。感情的な嫌米主義とは全く質を異にしている。もっと言えば、チョムスキーのメッセージを支えているのは純然たる愛国心かも知れない。

 チョムスキーによって、米国が真に自由の国であることを知る。米国によるイラク攻撃の戦端が開かれようとしている今、本書の価値が一層高まることは間違いない。



9.11テロは物質文明の幻想を破壊した/『パレスチナ 新版』広河隆一
『世界反米ジョーク集』早坂隆
『武装解除 紛争屋が見た世界』伊勢崎賢治

2002-11-25

新しい生き方を切り開いて全てを「価値」に変えていく/『彩花へ 「生きる力」をありがとう』山下京子


『「疑惑」は晴れようとも 松本サリン事件の犯人とされた私』河野義行
『淳』土師守

 ・絶望を希望へと転じた崇高な魂の劇
 ・無限の包容力
 ・新しい生き方を切り開いて全てを「価値」に変えていく

・『彩花へ、ふたたび あなたがいてくれるから』山下京子
・『心にナイフをしのばせて』奥野修司
・『生きぬく力 逆境と試練を乗り越えた勝利者たち』ジュリアス・シーガル
・『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』V・E・フランクル:霜山徳爾訳
・『それでも人生にイエスと言う』V・E・フランクル
『アウシュヴィッツは終わらない あるイタリア人生存者の考察』プリーモ・レーヴィ
『イタリア抵抗運動の遺書 1943.9.8-1945.4.25』P・マルヴェッツィ、G・ピレッリ編
・『石原吉郎詩文集』石原吉郎

必読書リスト その一

 これほどまでに生きる事の美しさを描いた本を私は知らない。わずか数センチの中に有り余るほどの愛情で紡ぎだされた生命(いのち)の言葉の数々に、幾度も胸を締め付けられ、感動し、涙を流した。

 どのページのどの文字にも生命(いのち)の崇高さを感じた。憎しみを慈愛に変え、絶望を生きる喜びと希望、そして感謝の心に変えていった母の偉大さに胸を打たれた。

 事件を知ったのは何気なくつけたテレビのニュースからだった。我家から程近い町で小学生の二人の女の子が立て続けに何者かに襲われたらしい……。犯人は捕まっていない。

 何か言いようのない怒りと恐怖が町中を覆いはじめたのはその頃からだった。様々な噂が飛び交い犯人像がまことしやかに囁かれはじめた。小学生達は集団登下校となり、保護者達は皆交代で通学路の道々に見張りに立った。下校後、外で遊ぶ子供達は日増しに減っていった。そんな不安が増していく中で、信じられない残忍な凶行が新たに報道された。そして、少女の一人が亡くなった事を知った。

 連日その話題でどこもかしこももちきりであった。あの時ほど人間不信に陥った事はなかった。そう、町中が人間不信の坩堝(るつぼ)の中に入り込んでいった。犯人はまだ見つからない。事件の起こった町では人影をつくる木という木は切り取られ、空にはヘリコプターが飛び交い、町を歩く自衛官や警察官の数は相当なものであった。そんな中でマスコミ人らしい人影が妙に活気を帯びて、なんともいえない違和感を感じていた。

 近くの町に住む私達も、子供を外で遊ばせる事を一切やめてしまった。公園に行っても人っ子一人姿を見せなかった。そして、登下校の見張りは益々熱を帯び、その後、数ヶ月続いた。黒い車、中年男性、がっちりした体型等、犯人像の噂は具体性を増し、またも、まことしやかに流れはじめ、通りすがりの男性にも警戒心を抱くようになっていった。

 そんな中で、やっと犯人が捕まった。それは、日本中を揺るがせる程の衝撃だった。 誰がこんな結末を予想しただろうか。日本中が暗雲立ち込める中、メディアはお祭り騒ぎであった。被害者の方々やそのご家族に思いを馳せたなら、胸が悪くなるような報道の数々。日本のマスコミの悪辣さを思い知ったのだった。

 それにつけても、山下さんの母としての偉大さは、それらとあまりにもかけ離れ、 対照的であった。人間はこれほどまでに美しく気高く、崇高になれるものだろうか。残虐な手によって、幼い命は傷つけられたが、最後の命の炎を燃やしこの世の生を全うした魂。それは春に舞う桜の花吹雪のように、美しく美しく。そして、その生を終える時、まさに漆黒の闇から旭日が昇らんがごとく威厳に満ちた光を帯びて宇宙に帰っていった。

「少年の凶行は彩花の命の力が自ら選択した『きっかけ』にすぎず、彩花は粛々と自分自身の寿命の最終章にすすんでいくのです」

 まさに、突き抜けるような苦しみの中で、どうにもあらがえなかった運命を価値あるものに変えていかれたのだった。それは、想像を絶する苦しみの中で荘厳ともいえる光景であったに違いない。

 私は、何があっても顔を上げて生きるという決意を彩花に伝えようと、集中治療室に戻りました。
 するとどうでしょう、決意した私の心をすでに知っていたように、彩花は今までとは比べものにならないほど、にっこりと微笑んでいるではありませんか。目もとには明らかな笑い皺ができ、口の両脇にも笑った皺が出来ていました。
 それは、
「お母さん、よかったね。大事なものを手に入れることができたね。これで、彩花は安心できた。お父さん、お母さん、本当にありがとう」
 そう語りかけるかのような、信じがたい笑顔でした。
 そして、それから3時間ほど経った午後7時57分、彩花はこぼれるような笑顔のまま、悠然と旅立ったのです。

【『彩花へ 「生きる力」をありがとう』山下京子(河出書房新社、1997年/河出文庫、2002年)】

 事件直後すぐにでも生きを引き取ってもおかしくない状態からの奇跡ともいえる彩花ちゃんの様子を思い描き、私は感動で体中が身震いするのを感じた。

 その柱にも、畳にも、この道、あの公園、そこかしこに彩花ちゃんの息づかいを感じる。彩花ちゃんは生き生きとした輝きを放って確かに生きていた。それを証明するように、最後に笑顔で旅立った。

 どのような苦痛がこの世にあったとしても、これほどの苦しみはありえないと思った。あまりにも衝撃的な事件であり、それはあの震災に匹敵するものだった。私には到底読めないと思っていた。けれど、それはとんでもない間違いであった。もっと、もっと早くに読むべきだったと心から後悔した。

 私の父の死に思いを巡らせ、それを価値あるものとして受け入れる事を教えて下さった。あの時突然父は居間で倒れた。すぐに救急車で病院に運ばれ、ありとあらゆる手を尽くしていただいた。「生きて、生きて、死なないで」と、ほとんど意識のない父の背中をさすり父の回復を祈った。けれど、程なく父は霊山へと旅立った。確かに父は体調を悪くしていた。けれど、それほどまでに悪化していた事を全く気付いてやれなかった。そんな自分を何年も何年も責め続けていた。そんな苦痛の日々を送ってきた過去を、山下さんは暖かく価値あるものとして教えて下さった。私はこの本のお陰で、乗り越えられなかった過去に決別する事ができた。

 気高く昇華された人の心は何をもってしても決して悪に犯されることはないのだと実証して下さった。

 京子さんは今も彩花ちゃんを思うとき、涙を流しておられるに違いない。けれど、その涙は無数にきらめく星々のごとく、あまねく照らす月の光のように多くの人々の心に染み渡り、暖かく癒す涙となった。

 憎しみとあきらめを乗り越えて、私たちは前に進むしかないのです。新しい生き方を切り開いて、全てを「価値」に変えていくしかないのです。

 いかなる行きづまりをも打ち破る、自分の内なる「生きる力」に目を開き、耳を傾けなければなりません。

 これらの言葉の数々は、今後の私の人生の大いなる目的となるでしょう。

 強く雄々しく生きていくことの素晴らしさを教えて下さった、山下京子さんと、彩花ちゃんに心より感謝申し上げます。本当にありがとうございました。

【Ryoko】

 

2002-02-19

本のない未来社会を描いて、現代を炙り出す見事な風刺/『華氏451度』レイ・ブラッドベリ


『すばらしい新世界』オルダス・ハクスリー:黒原敏行訳
『一九八四年』ジョージ・オーウェル:高橋和久訳

 ・本のない未来社会を描いて、現代を炙(あぶ)り出す見事な風刺

『われら』ザミャーチン:川端香男里訳
『とうに夜半を過ぎて』レイ・ブラッドベリ
SFの巨匠レイ・ブラッドベリ氏が死去、91歳
『アメリカン・ブッダ』柴田勝家

必読書 その五

 十数年振りの再読にも堪(た)える好編である。有名な作品だけに読まれた方も多いだろう。ブラッドベリの長編の中では一番好きな作品である。

 未来社会のある国。ここでは本を読むことが禁じられていた。文明の発達によって、建築材は完璧な防火処理がなされていて火災が起こることはない。消防士を意味した「ファイアーマン」の仕事は焚書(ふんしょ/本を焼くこと)であった。

 ジョージ・オーウェルの『一九八四年』(ハヤカワ文庫)と同様、人間が徹底的に管理されているという社会背景になっている。本書の主役は本である。書物が持つ意味をSFという物語を借りて堂々と謳い上げている。タイトルとなっている「華氏四五一度」とは紙が燃え出す温度を示している。

 火の色は愉しかった。
 ものが燃えつき、黒い色にかわっていくのを見るのは、格別の愉しみだった。真鍮の筒先をにぎり、大蛇のように巨大なホースで、石油と呼ぶ毒液を撒きちらすあいだ、かれの頭のうちには、血管が音を立て、その両手は、交響楽団のすばらしい指揮者のそれのように、よろこびに打ちふるえ、あらゆるものを燃えあがらせ、やがては石炭ガラに似た、歴史の廃墟にかえさせるのだった。

【『華氏451度』レイ・ブラッドベリ:宇野利泰〈うの・としやす〉訳(早川書房、1964年/ハヤカワ文庫、1975年/ 南井慶二〈みない・けいじ〉訳、元々社、1956年『華氏四五一度』/伊藤典夫訳、ハヤカワ文庫、2014年)以下同】

 これが冒頭の書き出し。火は破壊の象徴であり、ホースから放出される「毒液」は権力の象徴に他ならない。破壊を「愉しむ」姿にぞっとするような人間の黒い心が垣間見える。

 ファイアーマンのガイ・モンターグは、近所に住むクラリスという少女と出会う。クラリスは「水のようにきれいに澄んでいる」瞳を持った不思議な少女だった。クラリスの知的な質問にモンターグは徐々にイライラを募らせてゆく。

「たしかにあたし、あんたの知らないことを知っているわね。夜あけになると、そこら一面、草の葉に露がたまるのを知っていて?」
 いきなりそういわれても、かれにはそれが、知識のうちにあるかどうかさえ思い出せなかった。

 別れ際にクラリスは「あんた幸福なの?」と問いただす。その一言が彼を動揺させた。

「人間とは、たいまつみたいなものだ。燃えあがり、光輝をはなつが、燃えつきりまでの存在なんだ。他人のくせに、おれを捕らえ、おれにおれ自身の考えを投げつけてよこす! それも、ひとに知られず、内心のいちばんおくふかくでふるえている考えを」

 未来社会の快適な生活は幸福を保証するものではなかった。

「あかるい場所でのかれは、幸福の仮面をかぶっているにすぎない。それをあの少女が、ひきはがしてしまったのだ」

 モンターグはクラリスとの出会いによって変化の軌道を歩み出す。今まで考えようともしなかったことを考え始め、常識を疑い、自分の人生を自分の手に引き寄せようとする。

 深く自分自身を見つめ直したモンターグは少しずつ変わってゆく。

「あんたの笑い声、まえよりは、ずっとあかるくなったわよ」

 ある焚書現場でモンターグは好奇心に逆らうことができずに1冊の本を隠し持つ。本を発見された家の老婆は本と共に自ら炎の中に留まった。

 家に持ち込んだ本の存在を知ったモンターグの妻は狂乱状態となる。妻は快適な生活に毒されて、自分の頭でものを考えることができなくなっていた。

「本のなかには、なにかあるんだ。ぼくたちには想像もできないなにかが――女ひとりを、燃えあがる家のなかにひきとめておくものが――それだけのなにかがあるにちがいない」

「あの女は、きみやぼくたちと同様に、まともな人間だった。いや、ぼくたち以上に、ちゃんとした人間だったかもしれない。それなのに、ぼくたちは彼女を焼き殺した」

 モンターグは遂に目覚めた。

 ファイアーマンという立場を捨てたモンターグは、本を知るフェイバー教授と知り合う。自分を導いてくれる知遇を得てモンターグは走り出す。

 フェイバーは言う――

「すぐれた著者は、生命の深奥を探りあてる。凡庸な著者は、表面を撫でるにすぎん。劣悪な著者となると、ただむやみに手をつけて、かきまわすだけのこと、であとはどうなれと、捨て去ってしまうんです」

 人間とは思想に生きる動物であろう。感覚的な快楽を追い求めるようになると、人間は自分でものを考えなくなる。本書に書かれた世界が遠い先のことだなどと誰が言えるだろう? 本を読むという行為は他人の思想に触れることに他ならない。コミュニケーション・ツールはどんどん発達しているものの、そこで交わされるのは意味のない会話であり、他愛のないデジタル文章である。映像文化は圧倒的な情報量を洪水のように溢れさせ思考を停止させる。燃やさずして本は消え去ろうとしているように思うのは私の錯覚であろうか?

 モンターグが快適な生活を捨て、安定した職業を捨て、何も疑おうとすらしなかった自分を捨て、そうしてまで見つけようとしたものは何か。それは本当の自分であり、本来の自分の姿であろう。これこそ真の自由であり、そこにモンターグが戦う理由があったのだ。

「建設に従事しない男は、破壊を仕事にすることになる。(中略)それが古い真理ですからな」

 破壊は一瞬、建設は死闘だった。モンターグの生き方に魅力を覚えるのは、自由であろうとすることが人間の幸福に直結していることを示しているからであろう。自分が何かに束縛されているのではと考えさせずにおかない本書を、生きている間にあと数回は読んでおきたい。

2001-09-03

無限の包容力/『彩花へ 「生きる力」をありがとう』山下京子


『「疑惑」は晴れようとも 松本サリン事件の犯人とされた私』河野義行
『淳』土師守

 ・絶望を希望へと転じた崇高な魂の劇
 ・無限の包容力
 ・新しい生き方を切り開いて全てを「価値」に変えていく

・『彩花へ、ふたたび あなたがいてくれるから』山下京子
・『心にナイフをしのばせて』奥野修司
・『生きぬく力 逆境と試練を乗り越えた勝利者たち』ジュリアス・シーガル
・『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』V・E・フランクル:霜山徳爾訳
・『それでも人生にイエスと言う』V・E・フランクル
『アウシュヴィッツは終わらない あるイタリア人生存者の考察』プリーモ・レーヴィ
『イタリア抵抗運動の遺書 1943.9.8-1945.4.25』P・マルヴェッツィ、G・ピレッリ編
・『石原吉郎詩文集』石原吉郎

 彩花ちゃん、今ごろあなたは既に生まれ変って、どこかお母さんの近くにいるのでしょうね。

 あなたのお母さんが綴った本を読みました。あなたが亡くなったことは、全国を揺るがせた悲しく許し難い事件で、わたしも知っていました。そのお母さんのお心はどれほどのもであるか察するに余りあるものでしょう。手記を読むことでわたしが少しでもその悲しみを共有することができれば、と思って手にとってみたのです。わたしにも彩花ちゃんと同い年の娘がいます。あなたのお母さんがあなたを大事に思うのと同じように、わたしも娘をとても愛していて、自分の命より大事だと思っています。その娘が、ある日突然他人の手によってその生を永遠に奪われてしまう、これほど辛く悲しい出来事はありません。けれど、どんなに想像してみても、本当の悲しみは当事者でなければわからないことでしょう。そのことに申し訳なさを感じながら読み始めてみました。ところがね、驚いてしまったの。悲しみを共有するどころか、反対に私のほうが励まされ、読み終えた今では子供達へのますますの愛情や自分の中にある勇気を信じる力、そして明日からまた続いていく未来への希望、そんなもので心の中は今いっぱいになっているのです。

 嬉しいことに読み始めてすぐ、わたしとお母さんには共通点があることがわかりました。それは、「息子も娘も、偶然にわが家に生まれてきたのではないと思っています。この二人は、まぎれもない私たちとの『縁』によって、遠いところから間違いなく夫と私を選び取り、私のお腹を借りてやってきてくれたのだと信じています。決して、誰でもよかったのではありません」とお母さんが考えているところです。わたしも、うちの子ども達はわが家に必要なメンバーだったから、お互いに呼び合って、私たちを家族と選んで生まれて来てくれたと思っています。生まれたてのくにゃくにゃの赤ちゃんを抱いて「やっと会えたね、ずっと待ってたのよ」と声を掛けチュッとしたあのホッペのあたたかさ柔らかさは今でも覚えています。きっと彩花ちゃんのお母さんも同じ気持ちだったでしょうね。

 そんな大事な娘を他人に奪われた悲しみ、悔しさ、怒り、苦しみ、そのような状況の中へ一人にしてしまった後悔、自分を責め、なぜこんな事件があったのか、なぜ彩花ちゃんでなければいけなかったのか、彩花ちゃんの身に起きたこと、自分に降り掛かってきた事を受け止めなければならないこと、自分の中に受け入れなければならないこと。どうやって納得して心に収めていくのか、この問題は実は私にとっても意味のあることでした。この事件から逃げることや忘れることをせず、しっかり目を開け、心を開いて立ち向かっていったお母さんは立派でしたね。恐ろしいことにも目を背けずに臨む姿勢は、人間として見習わなければいけないことだと気づかされました。

 わたしには子どもの頃、とても悲しく辛いことがたくさんありました。2歳の時に母と別れたので、母のわたしを呼ぶ優しい声やあたたかい抱っこの記憶がありません。寂しさに加え、一緒にいた父には、わたしの存在は怒りの対象にしかならなかったのです。その事がどうしても悔しくて悲しくて、あった事をみんな心の奥深くにしまってしまいました。心がザワザワするよりは忘れた振りをしている方がずっと楽なのです。そうして結婚するまでずっと、楽しいことが全く無い家庭で暮らしてきました。この気持ちは誰にも打ち明けず、外では「明るい笑顔のわたし」で過ごしてきました。けれども、いくら忘れた振りをしていてもその事実が無くなったわけではありません。ときどきフッと浮かんできてはとても悲しい気持ちになります。特に子どもが生まれてからは「こんな可愛いわが子を、どうしてお母さんは置いていったのかしら」「どうしてわたしだったのかしら」「本当なら違う暮らしをしていたはずなのに」と、たまらなく悔しくてあきらめきれない怒りに襲われて、その気持ちがどうにも処理できず、すっかり疲れ切ってしまうことも度々ありました。事実を許さず受け入れず、そのことに囚われて自分のことを哀れんでばかりいました。けれどもある日、そんな親をわたし自身が選んで生まれてきたんだと気づいたのです。そして今度はその理由を探したくなりました。そんな時、彩花ちゃんのお母さんの本を読んだのです。

 運命が動いていくときというのは、人間があらがってもあらがってもどうしようもないくらい、すべてがひとつの方向に流れていきます。人間は、定められた運命や宿命というものの前では、まったく無力なのでしょうか。私は今、人間を貫く運命というものの巨大な力を思い知らされながら、しかし、ときに人間は、流されてしまったように見えるなかにも、運命を乗り越えて勝ってみせることができるのだと信じられるのです。

【『彩花へ 「生きる力」をありがとう』山下京子(河出書房新社、1997年/河出文庫、2002年)】

 このくだりでは勇気と希望を感じることができました。わたしに起きた納得できない、取り戻すことの出来ないわたしに向けられるべき母の愛、この悔しさや悲しさに立ち向かい、乗り越えて、心からの笑顔を取り戻すことが本当にできるのかも、という希望です。母からの愛情を渇仰したわたしが、今、溢れ出る愛情で子ども達を包んでる。そうしてわたしの心が満ちていくことを確かに感じていました。それでも心の中には常に暗いものがあったままでした。でも、そこにとうとう希望のひかりが射したのです。

 わたしがもっとも心を打たれたのは、どんな状況にあってもそこに留まらず、前進しなければいけない、という考えです。彩花ちゃんのお母さんに、手を取ってもらって歩き出したような気がしました。

 運命だからあきらめよう、というあきらめの思想でも、私たちは悲しみの現場に置き去りにされてしまいます。生きる勇気を奪われてしまいます。憎しみとあきらめを乗り越えて、私たちは前に進しかないのです。新しい生き方を切り開いて、すべてを「価値」に変えていくしかないのです。

 わたしは自分にあった出来事を、変えられないならあきらめようと自分に課していました。あきらめればすっきりした気分で歩き出せると信じて疑わなかったのです。けれど、それはまったくの誤りで、間違っていたからこそ、どうにもこうにも前へ進めず苦しばかりがつきまとっていたことに気づいたのです。わたし自身に起きたことは、わたしにとって必要不可欠な出来事で、これを自分の「価値」として「栄養」に変えていくことこそが、わたしの課題だったのです。

 苦しみながら立ち止まっていては何も生まれません。悲しみや辛さだけで心は一杯になってしまいます。それと同じく愛情や優しい気持ちで、心を一杯にすることもできるはずです。それどころか、わたしが溢れるほどの愛情をもって子ども達を抱き締めても、心の中にはまだあり余る愛情が溢れてきます。母もきっと、そんな気持ちで遠く離れて暮らすわたしを思っていてくれただろうと、今ではとても自然に信じられるのです。そして、わたしが幸せにならなければ、もちろん母の幸せもあり得ないと気づいたのです。今はとてもゆったりとしたあたたかいもので、心の中が満たされています。進んでいく道が開けたので、もうそれほど苦しむこともないでしょう。

 彩花ちゃんを亡くしたお母さんの苦しみにはほど遠いものですが、わたしの問題もまた、わたしにとっては抱え切れない苦しみでした。けれどもお母さんの気持ちに、わたしの気持ちを重ねて読み進んでいくうちに、不思議な力が湧いてくるのがわかりました。この先なにか大変なことがあっても、頑張って乗り越えていける力だと信じています。幸せに向かって歩き続け、努力する力です。こんな素晴らしいことを教えてくれた彩花ちゃんとお母さんに感謝の気持ちを伝えたくてこうして手紙を書きました。とうとうわたしを抱き締めることなく、去年亡くなったわたしの母の分のお礼もつけ加えます。本当にありがとう。

 最後に、加害者の少年に対して「共に苦しみ、共に闘おう。あなたは大切なわたしの息子なのだから」と手を差し伸べる山下さんには心から敬意を表します。母性というものは、無限の包容力に支えられていることを知りました。

 彩花ちゃんへ。それから、いつか母になる娘へ――。

【のり】