2008-07-24

眼の前で起こった虐殺/『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』レヴェリアン・ルラングァ


『ホテル・ルワンダ』監督:テリー・ジョージ
『生かされて。』イマキュレー・イリバギザ、スティーヴ・アーウィン

 ・眼の前で起こった虐殺
 ・ジェノサイドが始まり白人聖職者は真っ先に逃げた
 ・今日、ルワンダの悲劇から20年

『なぜ、世界はルワンダを救えなかったのか PKO司令官の手記』ロメオ・ダレール
『ルワンダ ジェノサイドから生まれて』写真、インタビュー=ジョナサン・トーゴヴニク
『戦場から生きのびて ぼくは少年兵士だった』イシメール・ベア
『それでも生きる子供たちへ』監督:メディ・カレフ、エミール・クストリッツァ、スパイク・リー、カティア・ルンド、ジョーダン・スコット&リドリー・スコット、ステファノ・ヴィネルッソ、ジョン・ウー
『メンデ 奴隷にされた少女』メンデ・ナーゼル、ダミアン・ルイス
『私の身に起きたこと とあるウイグル人女性の証言』清水ともみ
『命がけの証言』清水ともみ

必読書リスト その二

 ルワンダものを読むのは初めてのこと。私の知識は『ホテル・ルワンダ』で得たものしかなかった。『ホテル・ルワンダ』は国連平和維持軍に守られているエリアからの視点であった。一方、レヴェリアン・ルラングァは塀の外の大虐殺を目の前で目撃した。だが、目撃しただけではない。体験させられたのだ。2分とかからぬ間に43人の身内を殺され、彼自身も身体をマチューテ(大鉈)で切り刻まれ、左手を切り落とされ、虐殺を目撃した左眼をえぐり取られた。これが、15歳の少年の身に振りかかった現実であった。

 ジェノサイド(大量虐殺)といえば、ヒトラーによる600万人のユダヤ人殺戮が代名詞となっているが、ルワンダで起こったこととは決定的な違いがある。ルワンダでは、近隣の友人や知人が大鉈を振り回し、赤ん坊を壁に叩きつけたのだ。何と100日間という短期間の間に、100万人のツチ族が殺された。1日1万人、1時間で417人、1分間で7人……。ルワンダの大地は文字通り血まみれになったことだろう。

 錠が飛んだ。扉が半開きになる。小さな弟たちや従兄弟たちが泣き、従姉妹たちが悲鳴を上げる。最初に扉の隙間から顔をのぞかせた男は、私の知っている男だった。シモン・シボマナという、繁華街でキャバレーを経営している無口な男。(中略)
 シボマナは怒鳴った。
「伏せろ、さあ、早く。地面に伏せるんだ!」
 ふと側にいる伯父ジャンの存在に気が付く。伯父は少しだけ左向きに身体を起こし、頭をのけぞらせて彼を見つめている。シボナマは素早い動作で伯父の首を切り落とす。ホースから水が噴き出すように、血しぶきが笛の音のような音を立てて鉄板屋根までほとばしった。
 伯父ががっくりとくずおれた時、一人の子供がとりわけ大きな叫び声を上げた。9歳になる伯父の末子ジャン・ボスコだ。シボマナはマチューテの一撃で子供を黙らせる。キャベツを割るような音と共に、子供の頭蓋骨が割れる。続いて彼は4歳のイグナス・ンセンギマナを襲い、何故だか分からないがマチューテで切り付けた後で死体を外に放り投げた。(中略)
 血が血を呼ぶ。荒れ狂う暴力。シボマナは地面に横になっている祖母を踏んだ。暗くてよく見えなかったのだが、彼が祖母を殺そうとすると、祖母は断固とした口調で言った。
「せめてお祈りだけでもさせておくれ」
「そんなことしても無駄だ! 神様もお前を見捨てたんだ!」
 そして祖母を一蹴りしてから切り裂いた。
 私はその時何も感じていなかった。恐怖、恐怖、恐怖しかなかった。恐怖にとらわれて私の感覚は麻痺し、身動きすることさえできなかった。クモの毒が急に体温を奪うように。心臓がどきどきし、汗が至るところから噴き出す。冷え切った汗。
 シボマナは切って切って切りまくった。他の男たちも同じだ。規則的なリズムで、確かな手つきで。マチューテが振り上げられ、襲いかかり、振り上げられ、振り下ろされる。よく油を差した機械のようだった。農夫の作業みたいに、連接棒の動きのように規則的なのだ。そしていつも、野菜を切るような湿った音がした。

【『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』レヴェリアン・ルラングァ:山田美明〈やまだ・よしあき〉訳(晋遊舎、2006年)以下同】

 シボマナが大笑いして、私に近付いてきた。
「おやおや、そこで外に鼻を突き出しているのは、ツチの家族の長男じゃないか!」
 そう言うと非常に機敏な動作で、私の顔から鼻を削いだ。
 別の男が鋲(びょう)のついた棍棒で殴りかかってくる。頭をそれた棍棒が私の肩を砕き、私は地面に倒れ伏した。シボマナはマチューテを取替え、私たちが普段バナナの葉を落とすのに使っている、鉤竿(かぎざお)のような形をした刃物をつかんだ。そして再び私の顔めがけて襲いかかり、曲がった刃物で私の左目をえぐり出した。そしてもう一度頭に。別の男がうなじ目掛けて切りかかる。彼らは私を取り囲み、代わる代わる襲ってきた。槍が、胸やももの付け根の辺りを貫く。彼らの顔が私の上で揺れている。大きなアカシアの枝がぐるぐる回る。私は無の中へ沈んでいった……。

 元々、ツチ族とフツ族は遊牧民族と農耕民族の違いしかなかった。そこに勝手な線引きをしたのは植民地宗主国のベルギーだった。1994年の大虐殺もイギリスとフランスがそれぞれの部族にテコ入れしている。挙げ句の果てにはアメリカ(クリントン大統領)が、ルワンダ救援を阻止した。シエラレオネと全く同じ構図で、アメリカ人にとっては、アフリカで行われている殺し合いなど、昆虫の世界と変わりがないのだろう。

 ラジオでは毎日、「ツチ族を殺せ! ゴキブリどもを殺せ!」とディスクジョッキーが扇動する。フツ族の子供はラジオ番組に電話をし、「僕は8歳になったんですが、ツチ族を殺してもいいんですか?」と質問をした。実際にあったエピソードである。そして、フツ族の少女は笑いながら略奪に加わった。

ルワンダ大虐殺を扇動したラジオ放送

 果たして何が人間をここまで変えるのか? 善悪という概念は木っ端微塵となって、フツ族はあたかも狩りやスポーツを楽しむように、ツチ族の身体を切り刻む。しかも、フツ族はただ殺すだけでは飽き足らず、ツチ族が苦しむように一撃では殺さなかった。幼い子供達は足を切断して放置された。

 人は物語に生きる動物である。物語は情報によって変わる。嘘やデマと、誤信・迷信がマッチした瞬間から、憎悪の焔(ほのお)が燃え始める。結局、白人がでっち上げた歴史を鵜呑みにしたフツ族が、殺戮に駆り立てられた側面が強かったと思わざるを得ない。

 本書の後半からレヴェリアン・ルラングァの葛藤が描かれる。深い自省は静かな怒りとなって青白く燃え上がり、神に鉄槌を下す。その烈しさは、ニーチェをも圧倒している。

 母は最期まであなたのことを信じていました。それはよくご存知でしょう。母がいくら祈っても、私がお願いしても、全能の神であるはずのあなたは指一本たりとも動かすことなく、母を守ろうとしませんでした。私はその乳とあなたの言葉で育ててくれた母は、喉の渇きに苦しみながら死んでいきましたが、あなたは自分のしもべの苦痛さえ和らげようとせず、干からびた母の唇に清水の一滴も注ごうとはしませんでした。その唇は最後の最後まであなたの名を唱え、あなたを褒め称えていたというのに。

 伯父ジャンの喉元から血がほとばしり出た瞬間、私の信仰も抜け出ていきました。
 祖母ニィラファリのお腹から生命が逃げ去った瞬間、私の信仰も逃げていきました。
 叔父エマニュエルが串刺しにされた瞬間、私の信仰も串刺しにされました。
 殺戮の場と化した教会の壁にあの子供たちが打ち付けられて、その頭蓋骨が砕かれた姿を見た瞬間、私の信仰も砕かれました。
 私が愛した人々の命が燃え尽きた瞬間、私の信仰は燃え尽きました。
 鋲つきの棍棒で肩を粉々に砕かれた瞬間、私の信仰も粉々に飛び散りました。

 あなたには、無垢な人々を救う手さえないのですか?
 自分の子供の不幸も見えないほど目が悪いのですか?
 彼らの叫び声も、助けを求める声も、悲嘆の声も聞こえないほど耳が悪いのですか?
 彼らをずたずたに切り裂こうと襲ってくる汚らしいやつらを踏み潰す足さえないのですか?
 涙を流す人々と共に、涙を流す心さえ持っていないのですか?
 か弱き者や小さき者を守るはずなのに、ゴキブリたちさえ守ることができないほど無力なのですか?
 つまりあなたは、闇の中にいて盲目の眼差しで私を見つめるだけの無力な神なのですね?
 しかしそんなことはどうでもいいのです。私の心の中では、あなたはもう死んでいるのですから。

 テレビを消して、この本と向き合おう。我々がメディア情報に振り回されている内は、いつでもフツ族になる可能性があるからだ。善と悪との間に一線を画すためには、「嘘を見抜き、嘘を否定する」ことである。



暴力と欲望に安住する世界/『既知からの自由』J・クリシュナムルティ
縁起と人間関係についての考察/『子供たちとの対話 考えてごらん』 J・クリシュナムルティ
ルワンダ大虐殺の爪痕
ラス・カサスの立ち位置/『インディアスの破壊についての簡潔な報告』ラス・カサス
集団行動と個人行動/『瞑想と自然』J・クリシュナムルティ
会津戦争の悲劇/『ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書』石光真人

2008-05-23

平和とは究極の妥協/『武装解除 紛争屋が見た世界』伊勢崎賢治


『9.11 アメリカに報復する資格はない!』ノーム・チョムスキー
『ダイヤモンドより平和がほしい 子ども兵士・ムリアの告白』後藤健二
『戦場から生きのびて ぼくは少年兵士だった』イシメール・ベア

 ・平和とは究極の妥協

『NHK未来への提言 ロメオ・ダレール 戦禍なき時代を築く』ロメオ・ダレール、伊勢崎賢治
『なぜ、世界はルワンダを救えなかったのか PKO司令官の手記』ロメオ・ダレール
『メンデ 奴隷にされた少女』メンデ・ナーゼル、ダミアン・ルイス

 威勢がいい。喧嘩も強そうだ。国際NGOに身を置き、世界各地で紛争処理の指揮を執ってきた人物である。白々しい理想もなければ、七面倒な平和理論もない。伊勢崎氏は素早く現実を受け入れ、具体的に武装解除を行う実務家である。平和は「説くもの」ではない。明治維新において数々の調停をこなしてきた勝海舟を思わせる。

「組織は所属し自分のために利用するが絶対に帰属しない」というスタンスはその後、今の今までずっと続いている。

【『武装解除 紛争屋が見た世界』伊勢崎賢治(講談社現代新書、2004年)以下同】

 やや日本人離れした印象を受けるのは、徹底して個人であろうとしているためだろう。

 人は、明日の糧を想い、子供たちの明日を想い、たとえ慢性的な飢餓の状態であっても、ぎりぎりの状態まで、来季植えるはずの種に口をつけるのをためらう。この営みを「開発」という。「開発」とは、明日を想う人々の営みである。だからこそ、どんなに貧しい人々であろうとも、それぞれの地にとどまり、なけなしの種を蒔(ま)き、雨を待つ。未来への投資。まことにちっぽけなものであるが、それこそが自らの「開発」に向けての意欲である。僕たち国際協力業界の人間は、その意欲に寄り添い、それが倍倍速で進むよう追加投資をするのだ。しかし、「紛争」は、それを根こそぎ、人々の社会秩序、伝統文化、人間の倫理を含めて、すべて破壊し、人々を地から引き裂く。人々の「開発」の営みが、その積年の集積が、そして僕たち「部外者」が他人の生活のうえに描く理想郷が、一瞬にして廃墟と化す。

 平和活動家にありがちな自己讃美は皆無だ。「開発」という言葉の重みを見事に表現している。

 9.11、世界貿易センターでの犠牲者は3000人余。
 シエラレオネで、殺人より残酷と言われる手足の切断の犠牲者になった子供たちの数は、数千人。10年間の内戦の犠牲者は、5万とも、50万人とも言われる。この内戦の直接的な指導者は、フォディ・サンコゥ。
 過去の虐殺を犠牲者の数だけで比較するのは不謹慎かもしれない。しかし、3000人しか死んでないのに、なぜそんな大騒ぎを、というのが、1000人単位で市民が犠牲になる身近なニュースに馴れたアフリカ人の率直な感想だろう。そして、3000人しか殺していない(それも自爆テロという勇敢な方法で)オサマ・ビンラディンが“世界の敵”になり、量的にその何十倍の残虐行為(それを無知な子供を少年兵として洗脳し、親兄弟を殺させ、生きたまま子供の手足を切断し、妊婦から胎児を取り出し、目をえぐり、焼き殺す)を働いた首謀者フォディ・サンコゥが、どうしてシエラレオネの副大統領になるの? というのが、前述のBBCの番組に生の声の出演をした名もないシエラレオネ人婦人の本音であったろう。

 この鬼畜の如き人物を副大統領にしたのは米国であった。BBCのラジオ国際放送に電話で参加したリスナーの女性は、「オサマ・ビン・ラディン氏を米国の副大統領にすべきだ」と主張した。

 米連合軍の司令官クラスと日常的に接する著者は、日本の資金的貢献が評価されていることを実感する。

 つまり、相手はちゃんと評価しているのに、評価していないと、その相手がいない日本国内で、日本の政治家たちは騒ぎ立ててきたのだ。
 本来、国際協力の世界では、金を出す者が一番偉いのだ。
 それも、「お前の戦争に金だけは恵んでやるから、これだけはするな、それが守れない限り金はやらない」という姿勢を貫く時、金を出す者が一番強いのだ。
 しかし、日本はこれをやらなかった。「血を流さない」ことの引け目を、ことさら国内だけで喧伝し、自衛隊を派兵する口実に使ってきた。
 ここに、純粋な国際貢献とは別の政治的意図が見え隠れするのを感じるのだ。

 議論巧者とは全く異質の説得力がある。さすが、「紛争屋」を名乗るだけのことはある。

2008-05-20

病気になると“世界が変わる”/『壊れた脳 生存する知』山田規畝子


『「自分で考える」ということ』澤瀉久敬

 ・病気になると“世界が変わる”
 ・母と子の物語

・『壊れた脳も学習する』山田規畝子
『「わかる」とはどういうことか 認識の脳科学』山鳥重
『脳は奇跡を起こす』ノーマン・ドイジ
『脳はいかに治癒をもたらすか 神経可塑性研究の最前線』ノーマン・ドイジ
『奇跡の脳 脳科学者の脳が壊れたとき』ジル・ボルト・テイラー

必読書 その五

 カバー装丁がまるでダメだ(講談社版)。もっとセンスがよければ、ベストセラーになっていたはずだ。出版社の怠慢を戒めておきたい。

 どんな剛の者でも病気にはかなわない。権力、地位、名誉、財産も、病気の前には無力だ。幸福の第一条件は健康なのかも知れない。普段は意に介することもない健康だが、闘病されている方の手記を読むと、そのありがたさを痛感する。まして、私と同い年であれば尚更のこと。

「病気になると“世界が変わる”」――決して気分的なものではない。脳に異変が起こるとそれは現実となるのだ。医師である山田さんはある日突然、高次脳機能障害となる。

 当時、私は医師として10年ほどの経験を積み、亡き父の跡を継いで、高松市にある実家の整形外科病院の院長を務めていた。子どものころから成績はともかく、勉強は嫌いではなかったのし、知識欲も人一倍あったほうだと思う。とくに記憶することは得意で、自分の病気についても、教科書に書いてある程度のことはだいたい頭に入っていたつもりである。
 だが私の後遺症、のちに「高次脳機能障害」と聞かされるこの障害は、これまで学んだどんなものとも違っていた。
 最初は自分の身に何が起こったのか、見当もつかなかった。
 靴のつま先とかかとを、逆に履こうとする。
 食事中、持っていた皿をスープの中に置いてしまい、配膳盆をびちゃびちゃにする。
 和式の便器に足を突っ込む。
 トイレの水の流し方が思い出せない。
 なぜこんな失敗をしでかすのか、自分でもさっぱりわからなかった。

【『壊れた脳 生存する知』山田規畝子〈やまだ・きくこ〉(講談社、2004年)/角川ソフィア文庫、2009年)】

 脳の機能障害で、立体像を認識することができなくなっていた。入院直後には中枢神経抑制剤を投与され、正常な認知ができずベッドから転落した。「暴れる患者」と判断され、「精神異常者」として扱われた。医師や看護師すら、この病気を正しく認識していなかった。

 それでも、山田さんの筆致はユーモラスで明るい。以前とは性格まで変わってしまった自分を振り返ってこう言い切ってしまうのだ。

 いろいろな自分に会えるのも、考えようによっては、この障害の醍醐味である。

 また、山田さんを取り巻く医師の言葉が、何とも味わい深い。まるで、哲学者のようだ。

「高次脳機能障害は、揺れる病態です。同じ病巣(びょうそう)の患者さんをつれてきても、必ずしも同じ症状ではない。今日できたことが、明日もできるとはかぎらない。患者さんは揺れています。だから診(み)る方も、いつも揺れていないと診られない」(山鳥重〈やまどり・あつし〉教授)

 ある日の朝礼で、私の上司であり、主治医でもある義兄が、全職員を前にして言った。
「ここに入ってこられる方は、病気やけがと闘って、脳に損傷を受けながらも生き残った勝者です。勝者としての尊敬を受ける資格があるのです。みなさんも患者さんを、勝者として充分に敬ってください」

 山田さんは、不自由な生活を強いられながらも社会復帰を果たす。

 3歳の時、一緒に救急車に乗って以来、子息は山田さんを支え続けた。最後に「いつもお母ちゃんを助けてくれたまあちゃんへ」と題して、20行のメッセージが書かれている。私は、溢れる涙を抑えることができなかった。何度となく読んで、何度となく泣いてしまった。

人間とは「ケアする動物」である/『死生観を問いなおす』広井良典
リハビリ

天声人語

 たとえば地下鉄の階段の前で立ちすくむ。上りなのか、下りなのかがわからない。時計の針を見ても左右の違いがわからず4時と8時とを取り違えてしまう。靴の前と後ろとの区別がつかない。
 脳卒中をたびたび経験した医師の山田規畝子(きくこ)さんが自らの体験をつづった『壊れた脳 生存する知』(講談社)は、後遺症の症状を実に冷静に観察している。「脳が壊れた者にしかわからない世界」の記録である。「病気になったことを『科学する楽しさ』にすりかえた」ともいう。
 脳の血管がつまったり破れたりする脳卒中の患者は多い。一昨年10月時点で137万人にのぼる。高血圧の699万人、歯の病気487万人、糖尿病の228万人に次いで4番目だ。
 この病気が厄介なのは、いろいろな後遺症が現れることだ。極めて複雑な器官の脳だけに、現れ方も千差万別らしい。医師にも個々の把握は容易ではない。視覚に狂いが出た山田さんも、何でもないような失敗を重ねて「医者のくせに」と、冷たい目で見られたこともあった。
 リハビリが大事である。山田さんは生活の中で試行錯誤を続けた。階段の上り下りにしても「目で見て混乱するなら見なければいい」と足に任せた。足は覚えていた、と。とにかく無理は禁物だという。育児をしながらの毎日、しばしば「元気出して。がんばって」と励まされる。しかし「元気出さない。がんばらない」と答えるようにしている。
 脳梗塞(こうそく)で先日入院した長嶋茂雄さんも、リハビリを始めるらしい。無理をしないで快復をめざしてほしい。

【朝日新聞 2004-03-09】



ラットにもメタ認知能力が/『人間らしさとはなにか? 人間のユニークさを明かす科学の最前線』マイケル・S・ガザニガ

2008-05-19

美は生まれながらの差別/『なぜ美人ばかりが得をするのか』ナンシー・エトコフ


『迷惑な進化 病気の遺伝子はどこから来たのか』シャロン・モアレム、ジョナサン・プリンス

 ・美は生まれながらの差別

整形手術の是非あるいは功罪
『売り方は類人猿が知っている』ルディー和子
『あなたのなかのサル 霊長類学者が明かす「人間らしさ」の起源』フランス・ドゥ・ヴァール
『ママ、最後の抱擁 わたしたちに動物の情動がわかるのか』フランス・ドゥ・ヴァール

必読書リスト その三

「まともなコラムニストが読めば、死ぬまでネタには困らないだろう」――と思わせるほど、てんこ盛りの内容だ。タイトルはやや軽薄だが、内容は“濃厚なチョコレートケーキ”にも似ていて、喉の渇きを覚えるほどだ。著者は心理学者だが、守備範囲の広さ、興味の多様さ、データの豊富さに圧倒される。アメリカ人の著作は、プラグマティズムとマーケティングが根付いていることを窺わせるものが多い。

 人びとは美の名のもとに極端なことにも走る。美しさのためなら投資を惜しまず、危険をものともしない。まるで命がかかっているかのようだ。ブラジルでは、兵士の数よりエイヴォン・レディ(エイヴォン化粧品の女性訪問販売員)のほうが多い。アメリカでは教育や福祉以上に、美容にお金がつぎこまれる。莫大な量の化粧品――1分あたり口紅が1484本、スキンケア製品2055個――が、売られている。アフリカのカラハリ砂漠のブッシュマンは、旱魃(かんばつ)のときでも動物の脂肪を塗って肌をうるおわせる。フランスでは1715年に、貴族が髪にふりかけるために小麦粉を使ったおかげで食糧難になり、暴動が起きた。美しく飾るための小麦粉の備蓄は、フランス革命でようやく終わりを告げたのだった。

【『なぜ美人ばかりが得をするのか』ナンシー・エトコフ:木村博江訳(草思社、2000年)以下同】

 もうね、最初っから最後までこんな調子だよ(笑)。学術的な本なんだが、「美の博物館」といった趣きがある。雑学本として読むことも十分可能だ。それでいて文章が洗練されているんだから凄い。

 手っ取り早く結論を言ってしまうが、「美人が得をする」のは遺伝子の恵みであり、進化上の勝利のなせる業(わざ)だった。

 美は普遍的な人間の経験の一部であり、喜びを誘い、注意を引きつけ、種の保存を確実にするための行動を促すもの、ということだ。美にたいする人間の敏感さは本性であり、言い換えれば、自然の選択がつくりあげた脳回路の作用なのだ。私たちがなめらかな肌、ゆたかで艶(つや)のある髪、くびれた腰、左右対称の体を好ましく感じるのは、進化の過程の中で、これらの特徴に目をとめ、そうした体の持ち主を配偶者に選ぶほうが子孫を残す確率が高かったからだ。私たちはその子孫である。

 科学的なアプローチをしているため、結構えげつないことも書いている。例えば、元気で容姿が可愛い赤ちゃんほど親に可愛がられる傾向が顕著だという。つまり、見てくれのよくない子に対しては本能的に「劣った遺伝情報」と判断していることになる。更に、家庭内で一人の子供が虐待される場合、それは父親と似てない子供である確率が高いそうだ。

 ビックリしたのだが、生後間もない赤ん坊でも美人は判るらしいよ。実験をすると見つめる時間が長くなるそうだ。しかも人種に関わりなく。するってえと、やはり美は文化ではなく本能ということになる。

 また背の高さが、就職や出世に影響するというデータも紹介されている。

 読んでいると、世間が差別によって形成されていることを痛感する(笑)。そう、「美は生まれながらの差別」なのだ。ただし、それは飽くまでも「外見」の話だ。しかも、その価値は異性に対して力を発揮するものだ。当然、「美人ではあるが馬鹿」といったタイプや、「顔はキレイだが本性は女狐(めぎつね)」みたいな者もいる。男性であれば、結婚詐欺師など。

 人びとは暗黙のうちに、美は善でもあるはずだと仮定している。そのほうが美しさに惹かれるときに気持ちがよく、正しい世界に感じられる。だが、それでは人間の本性にある矛盾や意外性は否定されてしまう。心理学者ロジャー・ブラウンは書いている。「なぜ、たとえばリヒャルト・ワーグナーの謎に関する本が2万2000種類も書けるのか。その謎とは、崇高な音楽(『パルジファル』)や高貴でロマンチックな音楽(『ローエングリン』)、おだやかな上質のユーモアにあふれる音楽(『マイスタージンガー』)を書けた男が、なぜ熱心な反ユダヤ主義者で、誠実な友人の妻(コジマ・フォン・ビューロー)を誘惑し、嘘つき、ペテン師、策士、極端な自己中心主義者、遊蕩(ゆうとう)者でもあったかということだ。だが、それがいったい意外なことだろうか。本当の謎は、経験を積み、人格や才能にはさまざまな矛盾がまじりあうことを承知しているはずの人びとが、人格は道徳的に一貫しているべきだと信じている、あるいは信じるふりをしていることだ」

 でも、幸福の要因は「美しい心」「美しい振る舞い」「美しい生きざま」にあるのだと思う。



「虐待の要因」に疑問あり/『消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ』高橋和巳
秘教主義の否定/『アドラー心理学入門 よりよい人間関係のために』岸見一郎
シリーズ中唯一の駄作/『疑心 隠蔽捜査3』今野敏

2008-05-12

ティッピング・ポイントの特徴と原則/『急に売れ始めるにはワケがある ネットワーク理論が明らかにする口コミの法則』(旧題『ティッピング・ポイント』)マルコム・グラッドウェル


『複雑系 科学革命の震源地・サンタフェ研究所の天才たち』M・ミッチェル・ワールドロップ
『新ネットワーク思考 世界のしくみを読み解く』アルバート=ラズロ・バラバシ
『複雑な世界、単純な法則 ネットワーク科学の最前線』マーク・ブキャナン

 ・ティッピング・ポイントの特徴と原則
 ・ティッピング・ポイント
 ・高い地位にある階層の人口が5%を割ると青少年の退学率と妊娠率が跳ね上がる

『歴史は「べき乗則」で動く 種の絶滅から戦争までを読み解く複雑系科学』マーク・ブキャナン

 何という安直なタイトルか。せっかくの名著復刊が台無しだ。ま、テレビCMを大量に流す「マーケット覇権主義」企業の出版部門だから仕方がないか(ソフトバンク文庫)。

「読書は昂奮だ!」というエキサイティングな日々を過ごすようになったのも、元はと言えばネットワーク理論によるところが大きい。『複雑な世界、単純な法則 ネットワーク科学の最前線』→『新ネットワーク思考 世界のしくみを読み解く』→本書という順番で読んできたが、多分私は天才になっていることだろう(笑)。と、錯覚するほど面白い。やはり、本を読めば世界が広がる。固定概念の一角が破壊されて、青空が見えるような感覚がある。

 何かを広めたい人、広がるさまに興味がある人は必読。マーケティング+心理学+メディア+社会事象で、流行の原因を鋭く分析している。ユニークな発想、多様な事例、洗練された思考に圧倒される。本書そのものが、ネットワーク理論のティッピング・ポイントとなっていることは疑問の余地がない。

ティッピング・ポイントの特徴

・感染的だということ。
・小さな原因が大きな結果をもたらすこと。
・変化が徐々にではなく劇的に生じる。

ティッピング・ポイントの原則

 少数者の法則――いかに社交的か、いかに活動的か、いかに知識があるか、いかに仲間うちで影響力があるか。

 媒介者(コネクター)、通人(メイヴン)、セールスマン。

・一見すると些細なことが大きな違いにつながる。
 ・何かを語るときにそれを取り巻いている状況のほうが語られた内容よりも重要になる場合がある。
  ・説得というものが自分たちの与(あずか)り知らないところで作用する。
  ・感情や気分を上手に表現できる人は、他の人よりもはるかに感情の感染力が強い。

 粘りの要素――発信するメッセージが「記憶に粘りつく」強い印象があるか。

・余白に小さな工夫を加える。  ・「セサミ・ストリート」と「ブルーズ・クルーズ」。

 背景の力――環境の条件や特殊性。

・感染は、それが起こる時と場所の条件と状態に敏感に反応する。
 ・「割れた窓」理論。
 ・犯罪を解決するには大問題を解決する必要はない→ニューヨークの地下鉄。
 ・スタンフォード大学で行われた模擬監獄の実験。(※映画「es[エス]」)

 ざっとまとめてみたが、この本の魅力を示すことは困難極まりない。その辺の本の10冊分の面白さと言っておこう。

 付箋だらけになっている中から出血大サービスで一ヶ所だけ紹介しよう。

 残る唯一の結論は、ジェニングズ(ABCのニュースキャスター)はレーガンに対する「意図的かつ顕著なえいこひいきを顔の表に」出したということになる。
 さて、この研究はここから佳境に入る。ミューレンの心理学チームは、3大ネットワークの夜のニュースをいつも見ている全米各地の有権者に電話をかけ、どちらの候補者に投票したかをアンケート調査した。すると、ヘニングズによるABCのニュースを見ている人でレーガンに投票した人の数は、CBSやNBCを見ている人よりもはるかに多いことが判明した。
 たとえばクリーヴランドではABCの視聴者の75%が共和党を支持したのに対し、CBSやNBCの視聴者は61.9%にとどまった。マサチューセッツ州のウィリアムズタウンでは、ABC視聴者の71.4%がレーガン支持で、他の二つの全国ネット視聴者は50%だった。ペンシルヴァニア州のエリーでは、この格差は73.7%対50%とさらに開いた。ジェニングズの顔に出た巧妙なレーガンびいきの表情は、ABC視聴者の投票行動に影響を与えたようである。(中略)
 信じがたい話だ。多くの人は直感的に因果関係を逆にすることができるのではないかと思うかもしれない。つまり、もともとレーガンを支持している人がジェニングズのえこひいきに惹かれてABCを見ているのであって、その逆ではないだろうと。だがミューレンは、それは妥当性を欠くと明言する。
 というのも、他のもっと明白なレベル――たとえばニュース原稿選択のレベル――では、ABCは他局よりも反レーガン色の濃いテレビ局であることが明らかであり、筋金入りの共和党支持者ならABCなど見向きもしないことが十分想像されるからだ。
 さらには、この調査結果が偶然にすぎないものかどうかに答えるために、4年後のジョージ・ブッシュ対マイケル・デュカキスの選挙戦でもミューレンは同じ実験を繰り返し、まったく同じ結果が出ているのだ。
「ジェニングズは共和党候補に言及するとき、民主党候補に対するよりも多く笑顔をつくった」とミューレンは言う。「そしてふたたび電話調査をしたところ、ABCの視聴者はブッシュにより多く投票したという結果が出た」
 さてここで、説得の機微に関するもう一つの例をお目にかけよう。
 ハイテク・ヘッドフォンの製造会社による市場調査だという名目で、大人数の学生が招集された。学生たちはヘッドフォンを渡されると、使用者が動いているとき――たとえばダンスしたり、頭を振ったりしているとき――どんな影響が出るかを調べるのが目的だと言われた。
 まずべすての学生にリンダ・ロンシュタットとイーグルスの歌を聴いてもらい、それから自分たちが所属する大学の授業料を現在の587ドルから750ドルに上げるべきだと主張するラジオの論説を聞かせた。
 ただし、論説を聞くにあたっては、3分の1の学生にはたえず頭を上下に振るように、次の3分の1の学生は頭を左右に振るように、残る3分の1は頭を定位置に保つように指示が出された。
 これが終わると、歌の音質と頭を振ったときにどんなふうに聞こえたかを問う短い質問票がすべての学生に配られ、その最後にこの実験の本当の目的である質問が添えられた。「学部の妥当な授業料の額についてどう思いますか?」
 この質問に対する返答は、ニュース番組の世論調査に対する返答と同じくらい信じがたい。
 頭を動かさないように指示された学生は番組の主張にも動かされなかった。彼らが適正だと感じた授業料の額は582ドル、ほぼ現行の額に一致した。
 頭を左右に振るように指示された学生は――たんにヘッドフォンの質を試す実験だと言われているにもかかわらず――授業料の増額に反発し、平均すると年間の授業料を467ドルに下げるのが妥当だと答えた。
 ところが、頭を上下に振るように言われた学生は、この論説に説得力を感じたのである。彼らは授業料の増額に賛成し、平均して646ドルに上げるべきだと答えた。建前としては他の理由があるにせよ、たんに頭を上下に振るという行為が、自分たちの身銭を切らされる政策に賛同する結果をもたらしたのである。
 ただうなずくことが、1984年の大統領選挙でピーター・ジェニングズが演じた笑顔と同様、大いに影響を与えたわけだ。

【『急に売れ始めるにはワケがある ネットワーク理論が明らかにする口コミの法則』マルコム・グラッドウェル:高橋啓訳(SB文庫、2007年/飛鳥新社、2000年『ティッピング・ポイント いかにして「小さな変化」が「大きな変化」を生み出すか』改題)】

 この後、人が会話をする際、話を聞いてる側がダンスをしている様子が検証されている。つまり、ボディランゲージ。「言葉の始まりは歌だった」という私の持論が補強されたような気がして、ニンマリ。

・六次の隔たり
・相関関係−因果関係
・必須音/『音と文明 音の環境学ことはじめ』大橋力
信じることと騙されること/『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』内山節