2008-10-02

民主的な議員選出法とは?/『民主主義という錯覚 日本人の誤解を正そう』薬師院仁志


 ・民主的な議員選出法とは?
 ・統治形態は王政、貴族政、民主政
 ・現在の議会制民主主義の実態は貴族政
 ・真の民主政とは
 ・理性の開花が人間を神に近づけた
 ・選挙と民主政
 ・貴族政=ミシュランガイド、民主政=ザガットサーベイ

『悪の民主主義 民主主義原論』小室直樹

 民主主義=善である。いつからそうなったのであろうか。全く覚えていない。いつの間にやらそうなっていたのだ。少年時代に読んだリンカーンの伝記の影響だろうか。はたまた、平等の価値観を押し付けた義務教育のせいかも知れない。

 だが、図らずもブッシュ大統領が本当の意味を教えてくれた。民主主義とは、アメリカが戦争を仕掛ける大義名分であり、異教徒や有色人種を殺戮する言いわけであることを。そして民主主義の目的は、独裁国家の体制を破壊して、国民が選挙によって議員を選び、自由競争を原則とする資本主義体制を構築し、ドル機軸通貨制度の支配下に組み込むところにある。

 アメリカが牛耳る世界では、アメリカに逆らう国が“世界の敵”と化す。つまり、実は米主主義(パックス・アメリカーナ)だったってことだわな。

 我々はいともたやすく民主主義という言葉を使う。殆どの場合、多数決という程度の意味合いで、議会制民主主義こそ民主主義の本道であると考えている。だが、そうではなかった――

【問題】括弧の中に入る言葉を、下記の1から6の中から選び、番号で答えなさい。

 モンテスキューやルソーは、議員や統治者を(   )によって選ぶことが民主政治の本質にかなうものだと論じた。

1.選挙 2.世襲 3.魚屋の意見 4.くじ引き 5.決闘 6.占い

 実は、この問題、それほど常識的なものでもなければ、学校のテストに出題されるような代物でもない。むしろ、こんな問題が出題されることは絶対にないだろう。選択肢がふざけたものであるからではない。正解が4、すなわち「くじ引き」だからである。何も怪しげな珍説を持ち出しているのではない。事実として、ルソーの『社会契約論』(1762年)には、次のように明記されているのである。

「抽籤(ちゅうせん)による選任法(suffrage par le sort)は民主政の本質にかなうものだ」と、モンテスキューは言っている。これはわたしも賛成である

 モンテスキューもルソーも、「抽籤」こそが「民主政の本質にかなう」と明言している。これは、厳然たる事実である。しかも、この見解が、枝葉末節に関わる問題ではなく、まさに「民主政の本質」として示されているということを軽視してはならない。

 たしかに、ルソーの発言は、我々の常識と相反するものであろう。だが、常識に反することは切り捨てるという態度は、思考停止の最たるものなのだ。

【『民主主義という錯覚 日本人の誤解を正そう』薬師院仁志〈やくしいん・ひとし〉(PHP研究所、2008年)】

 たまげた。あんぐりと口が開いたまま、3日間を経たような感覚に陥った。目が点になるどころか、それ以前の私の目にはウロコしかなかったと言ってもいいくらいだ。目からウロコが落ちると言うよりは、ウロコだらけの目が落ちたって感じだな。

 そしてルソーは、民主主義が正しいものとは考えていなかった。お前の名前は「ル嘘」に変えるべきだと私は思った。

 このテキストだけでは、その理由がわかりにくいことだろう。追って紹介する予定である。取り敢えず今日のところは、「民主政の本質=くじ引き」と覚えておけば宜しい。

明治以前、日本に「社会」は存在しなかった/『翻訳語成立事情』柳父章


 ・明治以前、日本に「社会」は存在しなかった
 ・社会を構成しているのは「神と向き合う個人」
 ・「存在」という訳語
 ・翻訳語「恋愛」以前に恋愛はなかった

・『「ゴッド」は神か上帝か』柳父章
・『翻訳とはなにか 日本語と翻訳文化』柳父章

 元始の言葉はどんなものであったのだろう。時折、そんなことを思う。叫び、祈り、歌――いずれにせよ、何らかの感動が込められていたに違いない。しかしながら残念なことに、最初の言葉は名詞であったという説が有力だ。ヘレン・ケラーが最初に発した言葉も「ウォーター(水)」だった。

「言葉(=名前)」がなければ、それは「存在」しないという考え方がある。例えば、苫米地英人の『夢をかなえる洗脳力』では、外国人が風鈴に気づかない様子が描かれている。日本人であれば、風鈴の音を聞くと涼しげな心持ちとなるのが普通だが、外国人には全く通用しない。それどころか、情報空間に存在すらしていないという。

 もちろん風鈴は実際に音を鳴らしている。だが、その概念や意味合いを知らなければ、脳内で情報として処理されることはないのだ。明治期に導入された翻訳語もこれと似ている。

 この「社会」ということばは、societyなどの西欧語の翻訳語である。およそ明治10年代の頃以後盛んに使われるようになって、1世紀ほどの歴史を持っているわけである。
 しかし、かつてsocietyということばは、たいへん翻訳の難しいことばであった。それは、第一に、societyに相当することばが日本語になかったからなのである。相当することばがなかったということは、その背景に、societyに対応するような現実が日本になかった、ということである。
 やがて「社会」という訳語が造られ、定着した。しかしこのことは、「社会」−societyに対応するような現実が日本にも存在するようになった、ということではない。そしてこのような事情は、今日の私たちの「社会」とも無縁ではないのである。そこで、societyの翻訳がいかに困難であるか、そのことを実感していた時代をふり返る必要がある、と私は考える。

【『翻訳語成立事情』柳父章〈やなぶ・あきら〉(岩波新書、1982年)】

 非常に抑制された慎重な文章である。まどろっこしいほどだ。

 それまでは、「世間」はあっても「社会」はなかったのだろう。何となく、いまだに「社会」は存在しないような気になってくる。どうも、なさそうだな。「世間」は確かに存在している。だって、不祥事があるたび、世間に向かって詫びを入れる面々がいるからね。そして、「世間」は狭い。更に、「渡る世間は鬼ばかり」である。

 でも、「世間」ってどの範囲を指しているんだろうね? よもや、日本全体ではあるまい。都道府県レベルでも広過ぎるだろう。多分、「ムラ」でしょうな。DNAに伝わる仮想空間としての「ムラ」である。日本人が恐れてやまない「村八分」が徹底できる範囲だ。

 共同体としての「ムラ」は実在しないから、極めて狭い人間関係となる。親戚、友人、同僚という程度か。つまり、日本人にとっての世間とは、せいぜい数十人程度の関係性を示すもので、そこでのルールは法律や道徳などではなく、「ムラの掟」だ。

「societyの翻訳」は、まだ終わっていない。



人間のもっとも原初的な社会は母子社会/『結社のイギリス史 クラブから帝国まで』綾部恒雄監修、川北稔編

2008-09-30

六月戦争以降、米国内でイスラエル関連のコラムが激増する/『ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』ノーマン・G・フィンケルスタイン


 ・目次
 ・エリ・ヴィーゼルはホロコースト産業の通訳者
 ・誇張された歴史を生還者が嘲笑
 ・1960年以前はホロコーストに関する文献すらなかった
 ・戦後、米ユダヤ人はドイツの再軍備を支持
 ・米ユダヤ人組織はなりふり構わず反共姿勢を鮮明にした
 ・第三次中東戦争がナチ・ホロコーストをザ・ホロコーストに変えた
 ・1960年代、ユダヤ人エリートはアイヒマンの拉致を批判
 ・六月戦争以降、米国内でイスラエル関連のコラムが激増する
 ・「ホロコースト=ユダヤ人大虐殺」という構図の嘘
 ・ホロコーストは「公式プロパガンダによる洗脳であり、スローガンの大量生産であり、誤った世界観」
 ・ザ・ホロコーストの神聖化
 ・ホロコーストを神聖化するエリ・ヴィーゼル
 ・ホロコースト文学のインチキ
 ・ビンヤミン・ヴィルコミルスキーはユダヤ人ですらなかった

『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン
『ヒトラーの経済政策 世界恐慌からの奇跡的な復興』武田知弘

『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン
『ヒトラーの経済政策 世界恐慌からの奇跡的な復興』武田知弘

 既に紹介済みだが六月戦争(第三次中東戦争)があったのは1967年6月のこと。これ以降、アメリカとイスラエルは急接近し、腕を組んで歩き始める。これがその辺の男女の仲であれば、「ヨッ、ご両人!」で済むところだが、そうは問屋が卸さない。

 メディアというものは、大なり小なり国家意思に基づいた報道を行う。その典型が戦争報道であろう。米国内では六月戦争以降、イスラエル関連のコラムが激増する。

 六月戦争以後の主流アメリカ・ユダヤ人組織は、アメリカ・イスラエル同盟を確かなものとすることにすべての時間を費やした。ADLの場合、イスラエルや南アフリカの情(諜)報部とともに広範な国内調査まで実施している。また1967年6月以降、『ニューヨーク・タイムズ』紙がイスラエルを取り上げる回数が劇的に増加した。『ニューヨーク・タイムズ・インデックス』を見ると、1955年も1965年もイスラエルの項目は60コラムインチだった。それが1975年には、260コラムインチにもなっている。1973年のヴィーゼルは、「いい気分になりたいときには『ニューヨーク・タイムズ』のイスラエルの記事を見ることにしている」と言っている。ポドレツと同様に六月戦争では多くの主流派アメリカ・ユダヤの知識人が「宗教」を発見した。ノヴィックによれば、ホロコースト文学の第一人者ルーシー・ダヴィドヴィッチは、かつては「イスラエル批判の急先鋒」だった。1953年には、一方で故郷を追われたパレスティナ人に対する責任を回避しながら他方でドイツに賠償金を要求することはできないため、「道徳性はそんなご都合主義のものであってはならない」と、イスラエルを痛烈に批判していた。それが六月戦争のほぼ直後には「熱心なイスラエル支持者」となり、「現代世界における理想的ユダヤ人像へ向けた組織的パラダイム」だとして、イスラエルを熱烈に称賛するようになるのである。

【『ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』ノーマン・G・フィンケルスタイン: 立木勝〈たちき・まさる〉訳(三交社、2004年)】

 まったく酷い話だ。昨日、ダウが777ドルという暴落を記録したが、きっと遅過ぎた天罰が下ったのだろう。ざまあみやがれってえんだ。私の懐が痛まない限り、好き勝手に放言させてもらうよ。

 そして、六月戦争以降、ナチ・ホロコーストはザ・ホロコーストへと変貌するのだ。米国内のユダヤ・エリートは、金に任せて歴史を書き換えたってわけだ。恐るべきは“金の力”だ。

2008-09-07

1960年代、ユダヤ人エリートはアイヒマンの拉致を批判/『ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』ノーマン・G・フィンケルスタイン


 ・目次
 ・エリ・ヴィーゼルはホロコースト産業の通訳者
 ・誇張された歴史を生還者が嘲笑
 ・1960年以前はホロコーストに関する文献すらなかった
 ・戦後、米ユダヤ人はドイツの再軍備を支持
 ・米ユダヤ人組織はなりふり構わず反共姿勢を鮮明にした
 ・第三次中東戦争がナチ・ホロコーストをザ・ホロコーストに変えた
 ・1960年代、ユダヤ人エリートはアイヒマンの拉致を批判
 ・六月戦争以降、米国内でイスラエル関連のコラムが激増する
 ・「ホロコースト=ユダヤ人大虐殺」という構図の嘘
 ・ホロコーストは「公式プロパガンダによる洗脳であり、スローガンの大量生産であり、誤った世界観」
 ・ザ・ホロコーストの神聖化
 ・ホロコーストを神聖化するエリ・ヴィーゼル
 ・ホロコースト文学のインチキ
 ・ビンヤミン・ヴィルコミルスキーはユダヤ人ですらなかった

『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン
『ヒトラーの経済政策 世界恐慌からの奇跡的な復興』武田知弘

『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン
『ヒトラーの経済政策 世界恐慌からの奇跡的な復興』武田知弘

 1960年代初頭は、まだ「ナチ・ホロコースト」(歴史上のホロコースト)だった。そして、イスラエルは米国を利する存在にはなっていなかった。1967年6月の第三次中東戦争(六月戦争)までは。

 1960年代初頭のイスラエルは、アイヒマンを拉致したことで、AJC元代表のジョゼフ・プロスカウアー、ハーヴァード大学の歴史学教授オスカー・ハンドリン、ユダヤ人が社主を務める『ワシントン・ポスト』紙など、各方面のユダヤ人エリートからさんざんな批判を浴びた。精神分析学者で社会学者のエーリッヒ・フロムは、「アイヒマンの拉致は、まさにナチが犯した罪とまったく同じ不法行為である」と述べた。

【『ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』ノーマン・G・フィンケルスタイン: 立木勝〈たちき・まさる〉訳(三交社、2004年)】

 こうした事実が、「ザ・ホロコースト」(金儲け、及び政治的プロパガンダとしてのホロコースト)へと歴史を捏造(ねつぞう)した有力な証拠である。ただし、ユダヤ人エリート以外がどのような反応を示したのかはわからない。

 当時、アメリカにとってはイスラエルよりもドイツとの同盟関係が重きをなしていた。エーリッヒ・フロムが政治に沿った発言をしたのだとすれば、彼の思想・信条は眉唾物であると言わざるを得ない。

 価値関係からしても、巨悪を撃つための小さな悪ならば、善となるはずだ。

2008-08-30

第三次中東戦争がナチ・ホロコーストをザ・ホロコーストに変えた/『ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』ノーマン・G・フィンケルスタイン


 ・目次
 ・エリ・ヴィーゼルはホロコースト産業の通訳者
 ・誇張された歴史を生還者が嘲笑
 ・1960年以前はホロコーストに関する文献すらなかった
 ・戦後、米ユダヤ人はドイツの再軍備を支持
 ・米ユダヤ人組織はなりふり構わず反共姿勢を鮮明にした
 ・第三次中東戦争がナチ・ホロコーストをザ・ホロコーストに変えた
 ・1960年代、ユダヤ人エリートはアイヒマンの拉致を批判
 ・六月戦争以降、米国内でイスラエル関連のコラムが激増する
 ・「ホロコースト=ユダヤ人大虐殺」という構図の嘘
 ・ホロコーストは「公式プロパガンダによる洗脳であり、スローガンの大量生産であり、誤った世界観」
 ・ザ・ホロコーストの神聖化
 ・ホロコーストを神聖化するエリ・ヴィーゼル
 ・ホロコースト文学のインチキ
 ・ビンヤミン・ヴィルコミルスキーはユダヤ人ですらなかった

『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン
『ヒトラーの経済政策 世界恐慌からの奇跡的な復興』武田知弘

『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン
『ヒトラーの経済政策 世界恐慌からの奇跡的な復興』武田知弘

 第三次中東戦争は「六日戦争」とも呼ばれ、わずか6日間の戦闘でイスラエルは占領地域を4倍にまで拡大した。

 すべてが変わったのは、1967年6月の第三次中東戦争(六月戦争)からだ。誰に聞いても、ザ・ホロコーストがアメリカ・ユダヤ人の生活と切っても切れないものになったのはこの紛争後のことだという意見がほとんどだ。標準的な説明では、この変化は、六月戦争におけるイスラエルの極度の孤立と脆弱さがナチによる絶滅計画の記憶を蘇らせたため、とされている。しかし実際は、この分野は当時の中東における力関係を表わしてはいないし、アメリカ・ユダヤのエリートたちとイスラエルの間の深まりゆく関係の本質も伝えてはいない。
 主だったアメリカ・ユダヤ人組織は第二次世界大戦後、冷戦でのアメリカ政府の優先事項に従ってナチ・ホロコーストを軽視した。そしてそれとまったく同じ理由から、イスラエルに対する姿勢についても、彼らはアメリカの政策と歩調を合わせたのである。アメリカ・ユダヤのエリートたちは最初、ユダヤ人国家というものに根深い不安を抱いていた。その最たるものは、ユダヤ人国家が「二重の忠誠心」という嫌疑を裏付けることになるのではないかという恐れだった。(※イスラエルは国家成立後、西側陣営に加わったものの、イスラエル指導層のほとんどが東ヨーロッパ系の左翼であったため、ソヴィエト陣営につく懸念を払拭できなかった。当時はアメリカもイスラエルとは距離を置いていた)

【『ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』ノーマン・G・フィンケルスタイン:立木勝〈たちき・まさる〉訳(三交社、2004年)】

 中東におけるイスラエルと、極東における日本は地政学上無視できない位置にあるという点で似ている。しかしながら決定的に異なるのは、日本人が黄色人種であることだ。日本にとっての外交はアメリカが大半を占めているが、アメリカにとっての日本は数多い同盟国の一つに過ぎない。

 第三次中東戦争でイスラエルが圧倒的な勝利を収め、米国のユダヤ・エリートは同盟関係を深めることに全力を注いだ。アメリカという国は、「世界の警察」というよりは、「暴力にものを言わせるボス」という存在だが、民主主義の宗主国である以上、世論を無視することは絶対にできない。そこで、自分達が描いた物語に誘導するべく、情報操作が始まる。

2008-08-28

残酷なまでのユーモアで階層社会の成れの果てを描く/『ピーターの法則 創造的無能のすすめ』ローレンス・J・ピーター、レイモンド・ハル


『反社会学講座』パオロ・マッツァリーノ

 ・残酷なまでのユーモアで階層社会の成れの果てを描く

『パーキンソンの法則 部下には読ませられぬ本』C・N・パーキンソン
『新版 人生を変える80対20の法則』リチャード・コッチ

必読書リスト その三

 階層社会におけるエントロピー増大の法則といった内容。教育学博士であるローレンス・J・ピーターが編み出した法則とは以下のもの――

 階層社会では、すべての人は昇進を重ね、おのおのの無能のレベルに到達する。

【『ピーターの法則 創造的無能のすすめ』ローレンス・J・ピーター、レイモンド・ハル:渡辺伸也訳(ダイヤモンド社、2003年、新装版、2018年)以下同】

 やがて、あらゆるポストは、職責を果たせない無能な人間によって占められる。

 仕事は、まだ無能レベルに達していない者によって行なわれている。

 管理職が無能な理由が明快に解き明かされている。人間には無限の可能性が秘められているが、不特定多数の人々は人間には限界があることを雄弁に物語っている(笑)。文章にするとピーターの法則は、悪い冗談のように思えるが、極めて数学的な概念である。社長や代表取締役までの段階は数える程度しかないものの、サラリーマンにとっては無限に続く階段のようなものだろう。

 この世に生を享けた以上、人は必ず老いる。太陽も必ず沈む。その意味でローレンス・J・ピーターが奨励する“創造的無能”は、太陽を正午の時間で止めてしまうような無謀さを露呈している。しかしながらその本意は、欲望に任せて昇進を遂げるよりは、自分の才能を発揮しながら楽しい人生を歩むよう促しているのだろう。

 パオロ・マッツァリーノ著『反社会学講座』と併せて読めば、社会学の天才になれるかもよ。

2008-08-24

米ユダヤ人組織はなりふり構わず反共姿勢を鮮明にした/『ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』ノーマン・G・フィンケルスタイン


 ・目次
 ・エリ・ヴィーゼルはホロコースト産業の通訳者
 ・誇張された歴史を生還者が嘲笑
 ・1960年以前はホロコーストに関する文献すらなかった
 ・戦後、米ユダヤ人はドイツの再軍備を支持
 ・米ユダヤ人組織はなりふり構わず反共姿勢を鮮明にした
 ・第三次中東戦争がナチ・ホロコーストをザ・ホロコーストに変えた
 ・1960年代、ユダヤ人エリートはアイヒマンの拉致を批判
 ・六月戦争以降、米国内でイスラエル関連のコラムが激増する
 ・「ホロコースト=ユダヤ人大虐殺」という構図の嘘
 ・ホロコーストは「公式プロパガンダによる洗脳であり、スローガンの大量生産であり、誤った世界観」
 ・ザ・ホロコーストの神聖化
 ・ホロコーストを神聖化するエリ・ヴィーゼル
 ・ホロコースト文学のインチキ
 ・ビンヤミン・ヴィルコミルスキーはユダヤ人ですらなかった

『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン
『ヒトラーの経済政策 世界恐慌からの奇跡的な復興』武田知弘

『人種戦争 レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン
『ヒトラーの経済政策 世界恐慌からの奇跡的な復興』武田知弘

 第二次世界大戦後、米ソの冷戦構造が世界を支配した。アメリカでは反共ヒステリーともいうべきマッカーシズム旋風が吹き荒れ、赤狩りに血道をあげた。米ユダヤ人組織は、反共の旗幟(きし)を鮮明にして同胞であるユダヤ人をも生贄(いけにえ)として差し出した。

 アメリカ・ユダヤのエリートたちのあいだで最終的解決の話題がタブーだったのには、もう一つ理由がある。左翼のユダヤ人が、冷戦でドイツと同盟してソヴィエト連邦と対峙することに反対で、こちらはナチの問題を持ち出すことをやめなかったからである。ナチ・ホロコーストの記憶は共産主義の理想と結びついた。ユダヤ人と左翼を同一視するステレオタイプの見方に縛られて――実際に1948年の大統領選挙では、進歩派候補ヘンリー・ウォーラスの得票数の3分の1はユダヤ人によるものだった――アメリカ・ユダヤのエリートたちは躊躇なく、同胞のユダヤ人を生贄として反共産主義の祭壇に捧げたのである。危険分子と疑われたユダヤ人の名簿を政府機関に提供することで、AJCとADLは積極的にマッカーシーの魔女狩りに協力した。AJCはローゼンバーグ夫妻の死刑を容認する一方で、月間機関誌『コメンタリー』に、夫妻は「本当の」ユダヤ人ではないという社説を掲載した。
 国内外の左翼とつながっていると見られることを恐れた主流ユダヤ人組織は、反ナチだったドイツ社会民主党との協力にも反対し、ドイツ製品の不買運動や元ナチ党員の合衆国入国に反対する大衆デモへの協力までも拒んだ。その一方で、プロテスタント牧師で反ナチ運動の指導者だったマルティン・ニーメラーは、ナチ強制収容所で8年を過ごし、当時は反共産主義運動に参加していたにもかかわらず、訪米中にアメリカ・ユダヤの指導者たちから誹謗中傷された。ユダヤのエリートたちは、自分たちの反共姿勢の信用度を上げようと躍起になり、ついには「共産主義と闘う全米会議」のような右翼過激派組織に参加して財政的に支えるようになり、ナチ親衛隊の元隊員の入国も見てみぬふりをしたのである。

【『ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』ノーマン・G・フィンケルスタイン: 立木勝訳(三交社、2004年)】

 訳文が拙く、途中でわかりにくくなっているが、米国内で極右の立場になることで保身を図ったのだろう。「だが、なぜ?」という疑問が湧いてくる。そこまで、ユダヤ・エリート達が臆病にならざるを得なかった理由は何なのか?

 ただ、共産主義者という新たなスケープゴートが狩りの対象となったことで、ナチスによる迫害の記憶がまざまざと甦ったことは容易に想像がつく。人類の歴史はいつだって犠牲者を必要としてきた。暴力という本能をいまだにコントロールできないところを踏まえると、人類の宿命と言っていいのかも知れない。

 ユダヤ人にとっては、率先して赤狩りに取り組むことが、自分達にとっての保険だったのだろう。ただし、このことがユダヤ人組織に限られたことかどうかは確認する必要がある。狂った風が吹けば、身を屈めてじっとしているか、風に吹かれてよろけるのが人の常。殊更、非難すべきこととは思えない。

 米国のユダヤ・エリートが大博打を打つのは、もう少し後のことである。