2008-12-03

対話とはイマジネーションの共有/『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ


『身体感覚で『論語』】を読みなおす。 古代中国の文字から』安田登
『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ

 ・ユーザーイリュージョンとは
 ・エントロピーを解明したボルツマン
 ・ポーカーにおける確率とエントロピー
 ・嘘つきのパラドックスとゲーデルの不完全性定理
 ・対話とはイマジネーションの共有
 ・論理ではなく無意識が行動を支えている
 ・外情報
 ・論理の限界
 ・意識は膨大な情報を切り捨て、知覚は0.5秒遅れる
 ・神経系は閉回路

『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』ユヴァル・ノア・ハラリ
『ポスト・ヒューマン誕生 コンピュータが人類の知性を超えるとき』レイ・カーツワイル
意識と肉体を切り離して考えることで、人と社会は進化する!?【川上量生×堀江貴文】
『AIは人類を駆逐するのか? 自律(オートノミー)世界の到来』太田裕朗
『奇跡の脳 脳科学者の脳が壊れたとき』ジル・ボルト・テイラー
『あなたの知らない脳 意識は傍観者である』デイヴィッド・イーグルマン

必読書 その五

 第2部のコミュニケーション論より。

 コミュニケーションの上手な人は自分のことばかり考えたりしない。相手の頭に何があるかも考える。相手に送る情報が、送り手の頭にある何らかの情報を指し示していても、どうにかして受け手に正しい連想を引き起こさせなければ、それは明確さという点で十分とは言えない。情報伝達の目的は、送った情報に込められた〈外情報〉を通して、送り手の心の状態に相通ずる状態を、受け手の心に呼び起こすことだ。情報を送るときには、送り手の頭にある〈外情報〉に関連した何らかの内面的な情報が、受け手の心にもなければならない。伝えられた情報は、受け手に何かを連想させなければならない。

【『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ:柴田裕之〈しばた・やすし〉訳(紀伊國屋書店、2002年)】

「外情報」とは、トール・ノーレットランダーシュ独自の言葉で、意図的に割愛された情報という意味。多くの外情報があればあるほど、言葉のメッセージ性は深まるとしている。情報の余力といっていいだろう。あるいは奥座敷。

 言葉というものは大変便利であるが、自分が何かを話す時には単なる道具と化す。例えば、友人とレストランへ行ったとしよう。二人で口を揃えて「美味しい」と絶賛しても、言葉の内容は異なっているはずだ。また逆から考えてみれば、もっとわかりやすい。いかに美味なるご馳走であっても、それを言葉で表現するには限界がある。結局、「お前も一度食べてみろ」ってな結果となりやすい。なぜか? 感動が伝わらないからだ。

 わかり合えないからこそ、わかり合う努力が必要となる。だから人は意を尽くし、言葉を尽くす。それどころか、マルコム・グラッドウェルの『急に売れ始めるにはワケがある ネットワーク理論が明らかにする口コミの法則』(旧題『ティッピング・ポイント』)によれば、会話をしている人間同士は微妙なバイブレーションを起こしていて、ダンスを踊っている事実が検証されている。

 確かに、対話とはイマジネーションの共有といえそうだ。豊かな言葉と表現力と共に、「外情報」を増やすという奥床しさを説いているのが斬新。「理解し合える」ことは、ある種の「悟り」に近いものだと私は考えている。



飯島和一作品の外情報
コミュニケーションの第一原理/『プロフェッショナルの条件 いかに成果をあげ、成長するか』P・F・ドラッカー
死線を越えたコミュニケーション/『生きぬく力 逆境と試練を乗り越えた勝利者たち』ジュリアス・シーガル
コミュニケーションの可能性/『逝かない身体 ALS的日常を生きる』川口有美子

2008-11-30

アイルランドが生んだ天才数学者ウィリアム・ハミルトンの悲恋/『天才の栄光と挫折 数学者列伝』藤原正彦


『妻として母としての幸せ』藤原てい

 ・アイルランドが生んだ天才数学者ウィリアム・ハミルトンの悲恋

『祖国とは国語』藤原正彦
『国家の品格』藤原正彦
『日本人の矜持 九人との対話』藤原正彦
『日本人の誇り』藤原正彦

必読書リスト その三

 9人の天才数学者をスケッチした紀行風の評伝。明晰な文章が数学者らしい。また、いつもながら藤原正彦のユーモラスな頑固ぶりに、両親(新田次郎、藤原てい)の面影が偲(しの)ばれる。歴史に名を残した天才達の有為転変をすくい取り、成功に至るまでの苦心惨憺と、人生の不遇や悲哀まで描かれている。いずれも小説になりそうなほど劇的な生きざまである。不思議なまでに振幅が激しい点で共通している。

 ハミルトンの神童ぶりが凄い。わずか5歳にして英語、ラテン語、ギリシア語、ヘブライ語を読解し、10歳までに10ヶ国語(イタリア語、フランス語、ドイツ語、アラビア語、サンスクリット語、ペルシア語)をマスター。10歳でユークリッドの『原論』を、12歳でニュートンの『プリンキピア』を読んだという(Wikipedia)。

 そんなハミルトンだったが、初恋は相思相愛であったものの途中で引き裂かれてしまった。彼女の父親が、資産のある中年牧師と強引に婚約させてしまったのだ。父親は、無一文の学生(ハミルトンは当時19歳)と娘を一緒にさせるつもりはなかった。

 その後、ハミルトンは別の女性と結婚。しかし、彼は初恋の人キャサリンに対する思慕を終生捨てることはなかった。苦心の末に刊行した『四元数講義』は難解過ぎて、誰からも理解されなかった。

 その中にあって彼の心を慰めたのは、初恋の人キャサリンの思い出だったかも知れない。彼は終生キャサリンへの愛を抱き続けたのだった。彼女が不幸な結婚生活を送りながら、ハミルトンをいまだに慕っていることを、友人である彼女の兄から聞いていただけに、なおさら想いが募ったのだろう。
 45歳の時には、キャサリンを見初めた、今ではすっかり朽ち果てた家を訪れ、黄昏の光の中、彼女が26年前に立っていた、その床に接吻をしたのである。

【『天才の栄光と挫折 数学者列伝』藤原正彦(新潮選書、2002年/文春文庫、2008年)以下同】

 そして3年後、キャサリンからのメッセージが届けられた。彼女は既に死の床に就いていた。ハミルトンは彼女の下へ走った。そこで二人は生まれて初めて静かに唇を合わせた。キャサリンは2週間後に黄泉路へ旅立った。死神が二人の再会を手引きした格好となった。

 締め括りの文章はこうだ――

 遥か届かぬ人への一途の想い、私は妙に胸が塞ぐままに天文台を辞し、待たせてあったタクシーで四元数発見のブルーム橋へ向かった。天文台から3キロほどの、田園を貫く運河にかかる小さな石橋であった。タクシーを止めると、歴史的発見の現場にたどり着いた興奮のためか、私は走り出した。橋のたもとの土手を下り、橋の直下に回ると、幅5メートルほどの小さな運河に面した壁に、碑文が埋め込まれてあった。
「ここにて、1843年10月16日、ウィリアム・ハミルトンは、天才の閃きにより、四元数の基本式を発見し、それをこの橋に刻んだ。i2乗=j2乗=k2乗=ijk=1」
 ハミルトン自身の刻んだ式は見つからなかったが、壁にそっと手を触れると、彼の人生における最大の歓喜が、指を通して電気のように私の胸まで伝わった。
 ハミルトンの散歩道だった運河沿いの一本道を、私は歩き始めた。歩きながら、この一本道は、ハミルトンの歓喜とともに、涙をも滲(にじ)ませた一本道であると思った。栄光と悲劇の一本道は、ハミルトンが通り、アイルランドが通った一本道であった。私は行きつ戻りつしながら、次第に足の重くなるのをしきりに感じていた。
 どのくらいたったろうか、どこかから「大丈夫ですか」という声が聞こえた。振り返ると橋の上で、タクシー運転手が私を見下ろしていた。黙ってうなずく私の表情に何かを察したのか、「いやごゆっくりどうぞ」と慌てて言うと、橋の向こうに消えた。

 絶品としか言いようがない。

迷信・誤信を許せば、“操作されやすい社会”となる/『人間この信じやすきもの 迷信・誤信はどうして生まれるか』トーマス・ギロビッチ


『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ

 ・誤った信念は合理性の欠如から生まれる
 ・迷信・誤信を許せば、“操作されやすい社会”となる
 ・人間は偶然を物語化する
 ・回帰効果と回帰の誤謬
 ・視覚的錯誤は見直すことでは解消されない
 ・物語に添った恣意的なデータ選択

『脳はいかにして〈神〉を見るか 宗教体験のブレイン・サイエンス』アンドリュー・ニューバーグ、ユージーン・ダギリ、ヴィンス・ロース
『なぜ、脳は神を創ったのか?』苫米地英人
『隠れた脳 好み、道徳、市場、集団を操る無意識の科学』シャンカール・ヴェダンタム
『ストーリーが世界を滅ぼす 物語があなたの脳を操作する』ジョナサン・ゴットシャル

必読書リスト その五

 何も考えたくない時がある。どうにでもなれ、と捨て鉢になることもある。私はないけどね。壁にぶち当たって行き詰まると、人は思考を意図的に停止させる。ま、今時は普段から停止しっ放しという若者も多いが。きっと、脳内がエコ・モードとなっているのだろう。節電。

 考えることと考えないことの間には、知性と欲望の川が流れている。欲望に身を任せれば、あっと言う間に川下に流されてしまう。知性は明確な意思に基づいて川上を目指す。

 こんなことは誰でも考えつくことだ。もう一歩考えてみよう。欲望という言葉だと誰もが否定的になるが、これを熱狂と言い換えると妙な引力が働く。人は心のどこかで熱狂を求めている。そう。祭りだ。熱狂の坩堝(るつぼ)。リオのカーニバル。

 私が東京で暮らすようになってから最初に驚かされたのも祭りであった。北海道には御輿(みこし)を担ぐという文化がない。多分。日本人が住むようになってから1世紀あまりしか経ってないことが、先祖や土地への呪縛を薄めているのだろうと個人的に解釈している。

 元来は「祀(まつ)り」であった。それが、「祭り」となり「政(まつりごと)」と変化してきた。では、何を祀っていたのだろうか? そりゃあ、生き物に決まってるわな。何らかの犠牲を伴った方が、神仏からの見返りも大きいと考えるのが普通だよ。当然、若い人間を生贄(いけにえ)にした時代もあったことだろう。生と死は暴力を実感する中で自覚される。そして、熱狂と暴力は同じアパートに住んでいるのだ。

 例えば、ヒトラー支配下のナチス・ドイツ。あるいは、マッカーシズムが旋風を巻き起こしたアメリカ。はたまた、魔女狩りが横行した中世のヨーロッパ。いずれも熱狂と暴力が同居していた時代だ。「考えない」代償はこれほど大きい。

 誤信や迷信を許容していると、間接的にではあるが、別の被害を受けることになる。誤った考えを許容し続けることは、初めは安全に見えてもいつのまにかブレーキが効かなくなる「危険な坂道」なのである。誤った推論や間違った信念をわずかとはいえ許容し続けているかぎり、一般的な思考習慣にまでその影響が及ばないという保証が得られるだろうか? 世の中のものごとについて正しく考えることができることは、貴重で困難なことであり、注意深く育てていかなければならないものなのである。私たちの鋭い知性を、いたずらに正しく働かせたり働かせなかったりしていると、知性そのものを失くしてしまう恐れがあり、世の中を正しく見る能力を失くしてしまう危険がある。さらには、ものごとを批判的にみる能力をしっかり育てておかないと、善意にもとづくとは限らない多くの議論や警告にまったく無抵抗の状態になってしまう。S・J・グールドは、「人々が判断の道具を持つことを学ばずに、希望を追うことだけを学んだとき、政治的な操作の種が蒔かれたことになる」と述べている。個人個人が、そして社会全体が、迷信や誤信を排除するよう努めるべきである。そして、世の中を正しく見つめる「心の習慣」を育てるべく努力すべきであると私は考える。

【『人間この信じやすきもの 迷信・誤信はどうして生まれるか』トーマス・ギロビッチ:守一雄〈もり・かずお〉、守秀子〈もり・ひでこ〉訳(新曜社、1993年)】

 祭りは「ハレ」の日だ。つまり非日常。現代の非日常といえば、そりゃあテレビに決まってるわな。そして、メディアは情報を加工・修正し、時に粉飾・デフォルメを加え、日常的な操作を行っている。

 一枚の木の葉にも光の鼓動が脈打っている。北極星の輝きは430年もの旅を経て我々の瞳に届けられたものだ。思議し難いが故に不思議。そして、不思議に魅了される内なる不思議。本物の感動はそこにある。

 メディア情報を鵜呑みにしているタコ野郎は、必ずやいつの日かヒトラーのような政治家に一票を投じることになるだろう。



カーゴカルト=積荷崇拝/『「偶然」の統計学』デイヴィッド・J・ハンド

2008-11-16

ゲーデルの生と死/『ゲーデルの哲学 不完全性定理と神の存在論』高橋昌一郎


『死生観を問いなおす』広井良典

 ・ゲーデルの生と死
 ・すべての数学的な真理を証明するシステムは永遠に存在しない
 ・すべての犯罪を立証する司法システムは永遠に存在しない
 ・アインシュタイン「私は、エレガントに逝く」
 ・クルト・ゲーデルが考えたこと

『理性の限界 不可能性・確定性・不完全性』高橋昌一郎
『知性の限界 不可測性・不確実性・不可知性』高橋昌一郎
『感性の限界 不合理性・不自由性・不条理性』高橋昌一郎

宗教とは何か?
必読書 その三

 ゲーデルの不完全性定理入門。これは良書。新書でこれだけの内容を盛り込めるのだから、高橋昌一郎の筆力恐るべし。ただ、読点が多過ぎるのが気になった(「、ゲーデルが、」が目立つ)。

 巻頭でゲーデルの人生がスケッチされているが、これまた秀逸。一気に引き込まれる――

 クルト・ゲーデルは、1978年1月14日、71歳で生涯を閉じた。死亡診断書に記載された死因は、「人格障害による栄養失調および飢餓衰弱」である。身長5フィート7インチ(約170センチメートル)に対して、死亡時の体重は65ポンド(約30キログラム)にすぎなかった。死の直前のゲーデルは、誰かに毒殺されるという強迫観念に支配された。そのため、食事を摂取できなくなり、医師の治療も拒否して、自らを餓死に追い込んだのである。彼は、椅子に座ったまま、胎児のような姿勢で亡くなっていた。
 3月3日、ゲーデルの追悼式典が、プリンストン高等研究所で開催された。司会を務めた数学者アンドレ・ヴェイユは、「過去2500年を振り返っても、アリストテレスと肩を並べると誇張なく言えるのは、ゲーデルただ一人である」と述べた。このような賛辞は、ゲーデルにとって生存中から珍しいものではない。
 すでに1950年代、高等研究所所長だったロバート・オッペンハイマーは、入院中のゲーデルの担当医師に向かって、「君の患者は、アリストテレス以来の最大の論理学者だからね」と声をかけている。70年代には、物理学者ジョン・ホイーラーが、「アリストテレス以来の最大の論理学者と呼ぶくらいでは、ゲーデルを過小評価しすぎだ」と述べている。天才的と呼ばれる数学者や物理学者にとっても、ゲーデルは、さらに別格の天才だったのである。
 1929年、23歳のゲーデルは、ウィーン大学博士論文で「完全性定理」を証明した。この定理は、古典論理の完全性を表したもので、アリストテレスの三段論法に始まる推論規則が完全にシステム化されることを示している。つまり、ゲーデルは、完全性定理によって古典論理学を完成させたのであり、この時点でアリストテレスと肩を並べたと言っても、過言ではない。
 その翌年、24歳のゲーデルは、「不完全性定理」を証明した。この定理は、古典論理とは違って、自然数論を完全にシステム化できないことを表している。一般に、有意味な情報を生み出す体系は自然数論を含むことから、不完全性定理は、いかなる有意味な体系も完全にシステム化できないという驚異的な事実を示したことになる。オッペンハイマーが「人間の理性一般における限界を明らかにした」と述べたように、不完全性定理は、人類の世界観を根本的に変革させたのである。

【『ゲーデルの哲学 不完全性定理と神の存在論』高橋昌一郎〈たかはし・しょういちろう〉(講談社現代新書、1999年)】

 で、不完全性定理だ。昨今の科学本には、量子力学と共に必ず登場する。いやはや私も衝撃を受けた。心底驚いたよ。

 本物の学説は、それまでの研究成果を台無しにする破壊力に満ちている。それは、まさしく「革命」の名に値する。何とはなしに、「ブッダやイエスが説いた教えを初めて聞いた人々も、こんな衝撃を受けたんだろうな」と思ってしまうほど。

 数学が神の領域に達する様相は、実にスリリングで脳味噌が激しく揺さぶられる。



アルゴリズムとは/『史上最大の発明アルゴリズム 現代社会を造りあげた根本原理』デイヴィッド・バーリンスキ
論理万能主義は誤り/『国家の品格』藤原正彦

2008-11-15

自分の位置を知る/『「わかる」ことは「かわる」こと』佐治晴夫、養老孟司


 大物同士の対談ということで期待していたのだが、とんだ肩透かしを食らった。初心者向けの内容であった。「ためになる茶飲み話」といった印象だが、それでもキラリと光る言葉が散りばめられている。

佐治●われわれが迷子になるときになぜ不安になるのかというと、自分の位置づけがわからなくなるからですよね。窓際族なんてまさにそれでしょう。その人の位置づけをわからなくさせるってことだから。

【『「わかる」ことは「かわる」こと』佐治晴夫〈さじ・はるお〉、養老孟司〈ようろう・たけし〉(河出書房新社、2004年)】

 理論物理学者がこう言うと、「ほほう、地球が太陽系の軌道を回っているうちは、迷子じゃないってわけですな」と返したくなる。ミクロの世界だと電子の軌道とかね。

 座標軸がなければ自分の位置がわからない。コンパスがなければ進むべき方向も定まらない。

 じゃあ、我々は一体どうやって自分の位置を特定しているのだろう。家族や友人、思想・信条、仕事や趣味といったところか。

 例えば若い時分だと、「母親を悲しませてはならない」と誰もが思う。これなんかは、母親を座標軸として自分の位置関係を確認していることになろう。時に両親を失った若者が捨て鉢な生き方をすることも決して珍しくはない。

 自分へとつながっている“見えない糸”が確かにある。その本数や太さが、確かな自分を築き、人生に彩(いろど)りを添えるのだ。