2014-03-20

誤解、曲解、奇々怪々


 楽しいエッセイを読んだ。以下に一部を引用する。

 大学に入学した頃、学生運動はなかなりし時代とあって、学内でアジ演説を聴く機会が多かった。演説の中で「味噌ひき労働者」という言葉がよく出てきた。「我々学生は味噌ひき労働者と連携して云々(うんぬん)」。零細企業で働く虐げられた労働者と手をたずさえてというほどの意味だろうと推測した。石臼で味噌豆をひく働きづめの老女の姿を思い浮かべ、含蓄のある言葉だなあと一人感じ入ったものである。その後何かの折に都会地出身の友人に話したところ、怪訝(けげん)な顔で「未組織労働者ではないのか」と言われ、驚くやら恥ずかしいやら。我が田舎では「ひ」と「し」の区別もあやしかったのである。

【あすへの話題:「味噌ひき労働者」元宮内庁長官・羽毛田信吾〈はけた・しんご〉/日本経済新聞 2014年3月19日付夕刊】

 聞き間違いが想像力を刺激し具体的な物語を生む。楽しいだけではない。行間には左派学生と一線を画したことまで滲(にじ)ませている。羽毛田は山口県出身のようだ。エッセイ冒頭では「ぞ」を「ど」と発音することも紹介されている。

 不意に昔の記憶が蘇った。勤め人をしていた頃、私は勤務中の空いた時間を使って事務所の周りに花壇をつくった。確か四つほどつくったはずだ。勢いあまって10本ほどの枝垂れ桃と数本のムクゲも植えた。花や木は私の相方を務める事務のオバサンが自宅から持ってきてくれた。このオバサンから花のことを随分教わった。

 ある日のこと、見慣れない花があったので私は尋ねた。「これ、何ていう花なの?」と。すかさず「おだまり!」と返ってきた。3秒ほど沈黙を保った。「で、何ていう名前なの?」「おだまり!」。私は困惑した。そして「花の名前くらい教えてくれたっていいだろうが!」と気色ばんだ。「だから、コデマリって二度も言ったでしょ!」。

 私の場合は聞き間違いから怒りの物語が生まれたわけだが、いずれにしても物語は「情報の受け手」が作成しているところに注目したい。つまり物語とは情報処理の異名なのだ。そこに誤解や曲解があれば奇々怪々の物語が生まれる。検証不可能という点で宇宙人・幽霊・神様は一致している。良質な想像力とは思えない。単なる空想だ。

 賢明さとは低い物語を高い物語に書き換える智慧のことだろう。仮に誤っていたとしても、新たな事実を知ることで更新可能な余裕をもちたい。頑迷な人物が豊かに見えないのは、やはり物語性が貧しいためか。


(コデマリ)

2014-03-19

クリシュナムルティの三法印/『自我の終焉 絶対自由への道』J・クリシュナムルティ


クリシュナムルティはアインシュタインに匹敵する
コミュニケーションの本質は「理解」にある
クリシュナムルティ「自我の終焉」
・クリシュナムルティの三法印

 ですから、非難もせず、正当化もせず、自己を他のものと同一化もせずに、【あるがままのもの】を【あるがまま】に認識したとき、私たちはそれを理解することができるのです。自分自身がある一定の条件と状況のもとに置かれていることを知ることが、すでに自己解放の過程にあるということです。これに反して、自分が置かれている条件や、内なる葛藤を自覚していない人間は、自分とは別の人間になろうとして、その結果、それが習慣になってしまうのです。そういうわけですから、ここで次のことを銘記しておきましょう。私たちは【あるがままのもの】を【あるがままに】考察し、それに偏向を加えたりせずに、実際にある通りのものを観察し、認識したいのだということを。【あるがままのもの】を認識し追求していくためには、きわめて鋭敏な精神と柔軟な心を必要とします。というのは、【あるがままのもの】は絶え間なく活動し、絶えず変化し続けているからなのです。そしてもし精神が、信念や知識というようなものに束縛されていたりすれば、その精神は追求をやめ、【あるがままのもの】の素早い動きを追わなくなってしまいます。【あるがままのもの】は、決して静的なものではなく、厳密に観察してみると分かるように、絶えず活動しているのです。そしてその動きについてゆくには、非常に鋭敏な精神と柔軟な心の働きが必要なのです。ですから精神が静止していたり、信念や先入観に囚(とら)われていたり、自己を対象と同一化してしまっていると、そのような働きが出てこないのです。また干からびた精神や心は、【あるがままのもの】を素早く敏捷に追っていくことができません。

【『自我の終焉 絶対自由への道』J・クリシュナムーティ:根木宏〈ねぎ・ひろし〉、山口圭三郎〈やまぐち・けいざぶろう〉訳(篠崎書林、1980年)以下同】

 諸法実相を覚知するためには諸法無我が前提となり、あるがままのものは諸行無常である。つまり諸法の実相を見ることが涅槃寂静なのだ。専門用語をひとつも使うことなく三法印をあますところなく説いている。

 ブッダとクリシュナムルティの不思議なる一致に私は恐れをなす。仏とはたぶん人を意味するのではない。それは「現象」なのだ。法が人の姿を通して現れた現象なのだろう。我々の瞳は光を捉えることができない。目に映るのは可視光線だけだ。月光や稲妻は塵(ちり)などに当たった光の反射であろう。ブッダとクリシュナムルティは人類にとって光であった。それゆえ「捉えた」(=わかった)と錯覚してはなるまい。

 我々は「【あるがままのもの】を【あるがまま】に認識」できない。その事実が延髄に衝撃を走らせる。アントニオ猪木の蹴りでさえ、これほどの衝撃を与えることはできない。私は「私」というフィルターを通して世界を見ているのだ。色眼鏡は暗く、鏡は歪んでいる。思考・解釈・類推が私の世界だ。不幸な者にとって世界は忌むべき対象であり、幸福な者にとっては揺りかごみたいな場所なのだろう。

 では「私」を通すことなく世界を見つめることは可能だろうか? 「可能だ」とクリシュナムルティは説く。ならばグズグズ理屈をこねることなく実践しようではないか。諸法無我に至った時、諸法実相が見える。その内容は『クリシュナムルティの神秘体験』に詳しく描かれている。

自我の終焉―絶対自由への道
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2014-03-17

横田夫妻とキム・ウンギョンさんの面会が実現/『家族』北朝鮮による拉致被害者家族連絡会


 何ということであろうか。横田夫妻が失った時間はあまりにも長かった。初めて孫の存在を知った時、彼女は失踪した当時のめぐみさんと同じ年頃であった。そして遂に面会が実現すると、孫には小さな娘ができていた。横田夫妻の時計はめぐみさんが13歳の時から止まったままであった。孫のキム・ウンギョン(※後述)さんは26歳になっていた。


 偶然にも私は本書を読んでいる最中であった。本書は手記ではなくノンフィクションである。やはり手記だと感情がまさってしまう。北朝鮮による拉致被害は1963年の寺越昭二〈てらこし・しょうじ〉、外雄〈そとお〉、武志さん失踪に始まる。横田めぐみさんが忽然(こつぜん)と姿を消したのは1977年のことであった。その後1983年まで被害は続いた。「めぐみさんが北朝鮮にいる」と横田夫妻が知らされたのは1997年。失踪から既に20年を経過していた。それ以降も苦労は深まる一方であった。動かぬ政府、まともに取り合ってくれない官僚、そして絶えざる噂。読みながらこれほど泣いたのは東京HIV訴訟原告団著『薬害エイズ原告からの手紙』(三省堂、1995年)以来か。

 安明進〈アン・ミョンジン〉氏は後に名前も出して、北朝鮮の実態を暴く著書を出している。その中には、件(くだん)の実行犯から聞いた話として次のような話も登場する。

《……体格も一見して子供のようには思えなかったから拉致したと(その教官は)言った。ところが船に乗せると彼女があまりにも騒がしく泣き叫び抵抗するので、彼らはたまらず船倉に閉じ込めて清津(チョンジン=編集部注)まで帰還したという。船倉でも少女はずっと「お母さん、お母さん」と叫んでおり、出入口や壁などをあちこち引っかいたので、着いてみたら彼女の手は爪が剥がれそうになって血だらけだったという。少女が暗黒の船倉に一人きりで40時間以上も閉じ込められていたことを考えると、どんなに恐ろしかったことかと思わずにはいられない》

 この部分を読んだとき、早紀江は嘔吐(おうと)しそうになった。めぐみは、こんな酷(ひど)い目に遭いながら、よく生きていた。どうやって我慢したんだろう。だが、涙は流さなかった。心の奥底からわいてきたのは、深い深い怒りだった。

【『家族』北朝鮮による拉致被害者家族連絡会(光文社、2003年)】

 早紀江さんは20年間にわたって泣き明かしてきた。街角で娘と似た女性を見つけては声をかけた。娘とよく似た絵を見ては画家の元まで押し寄せた。いつめぐみさんが帰ってくるかわからないから家を空けることもできなかった。滋さんの転勤も引き延ばしてもらった。そしていよいよ引っ越す際には心を引き裂かれる思いで移転先の住所を貼りつけておいた。心の穴ではない。この人たちは文字通り穴の中で生きてきたのだ。闇はどこまでも暁(あかつき)を退けた。

 早紀江は、話を聞くうちに、この安明進氏もまた国家によって工作員に仕立てあげられ、いまは亡命して北朝鮮に残してきた両親と兄弟を案ずる、“体制の犠牲者”なのだと感じた。別れ際、早紀江は彼にこう声をかけた。
「めぐみのことを、よく話してくださいました。私は毎日めぐみちゃんのことを祈っていますが、これからは、安さんのご家族のことも一緒にお祈りさせていただきます」
 早紀江が後に聞いたところによると、この日、安明進氏は拉致被害者の両親に会わせられるのだということを直前に知って、その場から逃げ出そうとしたという。自分は実行犯ではないが、かつて同じ組織にいた経歴の持ち主として、とても両親には会えないという思いだったのだろう。そして、面会後、安明進氏は早紀江の最後の言葉に号泣したという。この出会いが彼が自分の顔を出して拉致を語ろうと決意する大きなきっかけとなった。

 早紀江さんはクリスチャンとなっていた。涼やかな声からも人柄がしのばれる。傷つき痛みを知る者は人を思いやることができる。そして出会いが人の心を変える。

 そのキム・ヘギョンちゃんとの対面をめぐって、滋と早紀江、滋と息子たちの意見は対立している。滋の言葉からは情が滲(にじ)み出る。「家族会としては訪朝しないということになっていますが、個人的には、孫ですから会いたいし、私が向こうに行って会えば、めぐみのことについても、何らかのことは聞けると思うんです。最善のケースは、私の帰国と一緒に日本に連れてこられることなのですが……」。


 キム・ウンギョンちゃんはめぐみさんとよく似ていた。今26歳となった彼女に横田夫妻は成長しためぐみさんの面影を見たに違いない。そしてウンギョンちゃんは母親になっていた。何という天の配剤であろうか。子を持ったことで彼女は横田夫妻の気持ちを察することができただろう。今回の面会についてあれこれ詮索すべきではないと私は思う。もうこれ以上被害者の家族を傷つけることはあるまい。真相は不明のままだ。しかし祖父母と孫が見つめ合う視線の中に自(おの)ずから明らかな何かが通ったことだろう。それだけでよい。ただそれだけで。

家族

2014-03-16

戦後民主主義は民主主義に非ず/『悪の民主主義 民主主義原論』小室直樹


『新戦争論 “平和主義者”が戦争を起こす』小室直樹
『日本教の社会学』小室直樹、山本七平
『消費税は民意を問うべし 自主課税なき処にデモクラシーなし』小室直樹
『小室直樹の資本主義原論』小室直樹
『日本国民に告ぐ 誇りなき国家は滅亡する』小室直樹

 ・戦後民主主義は民主主義に非ず

『日本人のための宗教原論 あなたを宗教はどう助けてくれるのか』小室直樹
『数学嫌いな人のための数学 数学原論』小室直樹
『日本人のための憲法原論』小室直樹

 戦後民主主義は、占領軍による強制というおよそ民主主義にふさわしくない方法で導入された。この尖鋭な矛盾が、「民主主義」の実質をその正反対のものに転化させた。これを「虚妄(きょもう)の民主主義」と称した人がいたが、「虚妄」などの生易(なまやさ)しいものではない。似而非(えせ)民主主義でもない。少しも似ていないからである。
 もっと悪いことに、日本人は少しも、この民主主義が、その正反対のものになりはてたことに気付いていないのである。また、「民主政治」最悪の衆愚政治に堕落したことを痛感していないのである。
 そのために、「平等」「自由」「人権」「議会」などの意味がとんでもなく誤解され、この誤解が教育の無間地獄をつうじて、おそろしい惨禍(さんか/わざわい)をまきちらしているのである。
 たとえば、「平等」の誤解は、「どの生徒にも同じことをさせる」という結果を生み、受験戦争を最終戦争にした。知的エリートを根絶させ、優者の責任(ノーブレス・オブリージュ)を埋没させて無責任体制を完成させた。「自由」の誤解は、権威と規範を失わせ若者を本能のままに放置する放埒(ほうらつ)となった。「人権」の誤解が殺人少年をのさばらせている。「議会」の誤解が、政治家を役人の傀儡(かいらい)にしている。
 民主主義教育の惨禍(さんか)は、新左翼の無目的殺人、カルト教団の無差別殺人と、とめどもなくエスカレートしていったが、ついに日本の舵(かじ)取りたる官僚制の究極的腐朽(ふきゅう)にいたった。この惨禍を激化しているのが凶悪犯罪の低年齢化である。
 今の日本にとっての急務(イマージェンシー)は、民主主義の真の理解である。

【『悪の民主主義 民主主義原論』小室直樹(青春出版社、1997年)以下同】

「架空デモクラシーは日本を廃人国家へと導く!」との帯が目を惹く。小室直樹の原論シリーズにはハズレがない。合理的かつ科学的である。

 私は民主制を信じていない上、悪しき制度であると考えている。そもそも「民主主義」という言葉自体が誤訳であろう。デモクラシーに「イズム」は付いていないのだから。住民自治程度の単位であれば民主制で構わないと思う。

 一応、選挙の投票と義務教育の学級会やホームルームで行われているのが民主制である。その他ではお目にかかったことがない。ただし民主制とはいえ、自由意志で投票判断することは考えにくい。業界団体や職場、あるいは教団の指示に従って投票しているだけのことだ。学校ではやはり友人の視線を気に掛けながら賛否を決めることだろう。コミュニティとは利益を共有する共同体であるため損得が優先される。政(まつりごと)はもともと祭り事であった。村から追い出されてしまえば祭りに参加することは不可能だ。村八分。

 民主とは名ばかりで、かつて私が主(あるじ)になったのは小学校4~6年生で学級代表を務めた時だけだ(笑)。そう。主には権力が必要なのだ。憲法すら形骸化するこの国で民が主となれるわけがない。

「民主主義」(デモクラシー)は、プラトン、アリストテレスの昔からずっとマイナス・イメージであった。それが、ウイルソン米大統領による第一次世界大戦における対独宣戦布告文にある「この世界をしてデモクラシーが住みよい所にするために」という宣言から、俄然(がぜん)プラス・イメージに転じたのであった。

 デモクラシーを鼓吹した連中も殆どが貴族制を支持していた(『民主主義という錯覚 日本人の誤解を正そう』薬師院仁志)。

 民主主義が華々しい服装で登場したのは20世紀になってからとは知らなかった。以下のページが参考になる。

『民主主義』(8) デモクラシーと進歩主義|Generalstab

 ただしアメリカの説く民主制はアメリカ独自のものでアメリカン・デモクラシーといってよい。学問的にも分けて考えられている。それも当然だ。インディアンを大量虐殺し、黒人奴隷を保有していた連中が説く「民主」なんて誰も信じないに決まっている。

 民主制が群衆の叡智(集合知は群衆の叡智に非ず/『集合知の力、衆愚の罠 人と組織にとって最もすばらしいことは何か』 アラン・ブリスキン、シェリル・エリクソン、ジョン・オット、トム・キャラナン)を意味するなら、議会制を廃止してその都度インターネット国民投票で決めればよいことだ。運営コストも格段に安くなることだろう。

 私は政党政治にも嫌悪感を抱いている。党議拘束で所属議員を縛りつける政党が国民を縛るのは当然であろう。

 議論が成立する人数はどの程度であろうか? 私は20~30人くらいだと思う。だから政治家の数もその程度でよいのではないか? で、参議院は少し人数を増やして50人にすればよい。政党は廃止。賢人会議のようにする。議会はカメラが入り放題。議員は人口構成の世代別に準じて選別する。更に政治家は官僚の人事権を完全に掌握する。このくらいやらないと日本はまともな独立国になれない。官僚ファシズムは権力者の顔が見えない。そこが恐ろしい。

悪の民主主義―民主主義原論
小室 直樹
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