2015-08-28

大阪産業大学付属高校同級生殺害事件を小説化/『友だちが怖い ドキュメント・ノベル『いじめ』』南英男


大阪産業大学付属高校同級生殺害事件

 ・大阪産業大学付属高校同級生殺害事件を小説化

「矢吹がいる限り、わしらはどうにもならん。わし、もう我慢できんのや。夕べも、なんかくやしゅうて、よう眠れんかった」
「きのうは、わしも腹が立ってならんかったよ」
 幸夫が即座に応じた。(中略)
「ひとりじゃ無理かもしれんけど、ふたりなら殺(や)れると思うんや」登は言った。
「そうやな。ふたりだったら、なんぼ矢吹が強い言うても……」
「ああ、けど、まともに襲ったら、失敗するかもしれん。だから、殺(や)るときは不意討ちにするんや」
「そうやな。それで、どんな方法で殺(や)るんや?」
「金槌(かなづち)で頭を思いきりどついたら、どないやろ?」

【『友だちが怖い ドキュメント・ノベル『いじめ』』南英男(集英社文庫コバルトシリーズ、1985年)以下同】

 いじめに対する報復殺害事件である。事件の詳細についてはWikipedia削除記事を参照せよ。このやり取りは1984年11月1日8時半頃に京阪電鉄の駅で行われ、同日の19時40分に決行した。二人は10分間あまり70数回にわたって金槌で殴打。途中では釘抜きの方で目をつぶしたが相手はまだ死んでいなかった。その後川へ投げ込み、水死した。

 エスカレートするいじめを思えば、二人はやがて殺されていたかもしれない。そう考えると殺害は正当防衛であったと見ることもできよう。南英男はリベラルを気取って「そういう意味では、加害者のふたりも被害者の少年も現代社会の犠牲者といえそうだ」と書いているが、この論法でいけばあらゆる犯罪は「現代社会の犠牲者」として正当化し得る。

 ぼくは、被害者が自慰行為を強制したことと加害者たちが70数回も相手を金槌で殴打したことに“病(や)める時代”を感じないわけにはいかない。

「現代社会の犠牲者」とか「病める時代」だってさ(笑)。左翼が好むキーワードだ。相手が死んでなかったら、後に彼らは間違いなく殺されていたことだろう。想像力を欠いた作家の文章はナイーブに世を儚(はかな)んでみせ、ナルシスティックな憂鬱に浸(ひた)る。著者は冒頭にも次のように記している。

 それにしても、すさまじい仕返しだ。
 この烈(はげ)しい憎悪は何なのか。
 日ごとに陰湿化する弱い者いじめの背後には、いったい何があるのだろう? 何がきっかけで、いじめが起こるのだろうか。生(い)け贄(にえ)にされた者は、どんな苦しみを味あわされているのか。いじめを繰り返す者は、何かストレスをかかえているのではないか。もはや解決の道はないのだろうか。

 支離滅裂な文章である。2行目と3行目に脈絡がない。「もはや解決の道はないのだろうか」。ないね。あんたのような大人がいる間は。

 力の弱い者が協力して力の強い者をやっつけた。ここに民主主義の原点がある。民主主義は暴力から生まれた(『あなたのなかのサル 霊長類学者が明かす「人間らしさ」の起源』フランス・ドゥ・ヴァール)。すなわち一人の強者に対して弱者が力を合わせて対抗することが民主主義のメカニズムなのだ。

 更に人類は腕力よりも知恵によって生存率を高めてきた。平穏な生活からは想像しにくいが武器こそ知恵の結晶といえる。そもそもヒトが初めて作成した道具は小型の斧と考えられている。力弱きヒトは猛獣に対して火や石を使って身を防いだことだろう。スポーツの元型が狩りにあることを思えば、道具の発明が狩猟のシステム化に結びついたことは確実だ。

 二人は「環境に適応した」のだ。ゆえに生き残ることができた。ただしここで大きな疑問が湧く。適者生存が進化の現実であれば、「殺す側」が優位となってしまう。そこに歯止めをかけるのが「法」の役割なのだろう。

2015-08-24

作り物の世界/『それでも夜は明ける』スティーヴ・マックイーン監督


 懐かしい名前と思いきや、まったくの別人であった。英語の綴りは一緒だが日本語名は俳優を「スティーブ」と表記する。19世紀半ばにあった実話で原作は本人による手記。自由黒人であったソロモン・ノーサップが白人に騙され奴隷となる。英語タイトルは原作と同じで『Twelve Years a Slave』(12年間、奴隷として)。尚、余談ではあるが奴隷を「slave」というのは白人奴隷であったスラブ人に由来する。スティーヴ・マックイーン監督は黒人である。彼はソロモン・ノーサップの体験を知って衝撃を受けた。

 狭い小屋の中で奴隷たちが雑魚寝をしている。隣で寝ていた女が主人公に口づけをし、手をつかんで股間に導く。が、男は拒んだ。冒頭の場面だが意味が理解できない。最初の違和感が別の違和感につながり、主人公が背伸びした状態で木に吊るされているシーンで私はDVDを止めた。前代未聞のことである。奴隷たちにリアリティを感じない。どう見ても作り物の世界である。

「除名されたのはCityArtの編集者アルモンド・ホワイト。彼はマックィーン監督が受賞スピーチをしている間、『お前なんかしがないドアマンか清掃作業員だ。ファック・ユー、俺のケツにキスでもしてろ』と叫んだという」(シネマトゥデイ)。アメリカの人種差別は根深い。私としては白禍論を唱えざるを得ない。世界を混乱に導いてきたのは白人とキリスト教だ。マニフェスト・デスティニーに取り憑かれた彼らは自分の姿を省みることがない。



それでも夜は明ける コレクターズ・エディション(初回限定生産)アウターケース付き [DVD]

2015-08-21

世界で最も美しいオパール

われわれは将来のために貯蓄したり、投資したりしている人々を滅ぼしつつある


Q:今は普通の時代ではないのだろうか

A:現在起きていることは歴史的にも異例なことだ。過去数千年の歴史において、金利が0%だったり、マイナス圏に突入するなどということは一度もなかった。われわれは将来のために貯蓄したり、投資したりしている人々を滅ぼしつつある。そうした人々は、仕事もしていないのに4、5軒の家を頭金なしで購入した人々の犠牲となって破綻しかけている。われわれは歴史上のすべての社会が最も必要としてきた人々に大打撃を与えているのだ。

 投資をしたり貯蓄をしたりしている人々が大損害を被っているとき、その社会、経済、国には問題がある。米国はまさにそうしたことをしてきたのだ。将来のために貯蓄してきた人々のことを考えてみてほしい。彼らはバカみたいに見えるし、バカみたいだと感じてもいる。借金をした友人たちは、彼らの犠牲で救われているのだ。

ジム・ロジャーズ氏が不人気な資産を買っている理由

吉田たかよし、早瀬利之、松原久子、パオロ・マッツァリーノ、笹本恒子、川島小鳥、他


 7冊挫折、8冊読了。

首斬り人の娘』オリヴァー・ペチュ:猪股和夫訳(ハヤカワ・ポケット・ミステリ、2012年)/1ページで挫ける。3人称で書いておきながら、息子の視点が混ざったりする。致命傷といってよい。

秘録 東京裁判』清瀬一郎(読売新聞社、1967年/中公文庫、2002年)/清瀬一郎は東京裁判で東條英機の弁護人を務めた人物。後半は飛ばし読み。基本的なテキストなので「日本の近代史を学ぶ」には入れてある。

好奇心ガール、いま97歳』笹本恒子(小学館、2011年)/笹本恒子は日本の報道カメラマンの草分け。カメラウーマンとすべきか。ま、本にするほどの生き方とは思えない。

サイコパス 秘められた能力』ケヴィン・ダットン:小林由香利訳(NHK出版、2013年)/心理学者が書いたインチキ本だと思う。サイコパスをきちんと定義もせずに「サイコパス」を連発する。パーソナリティ障害や発達障害との区分けについても触れていない。サイコパスを肯定的に捉えた内容。

音のない記憶 ろうあの天才写真家井上孝治の生涯』黒岩比佐子(文藝春秋、1999年)/表紙を飾っているのは私の大好きな写真だ。著者が「私」を語りすぎていて読むに堪えない。

他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』若泉敬〈わかいずみ・けい〉(文藝春秋、1994年/新装版、2009年)/新装版に手嶋龍一が寄稿している。若泉敬は佐藤栄作の密使として沖縄返還の交渉に当たった大学教授である。核密約の責任をとって本書の英訳版が完成した翌日、毒を飲んで自裁した。ほんの一部を飛ばし読み。大冊すぎて手のつけようがない。

経費で落ちるレシート・落ちないレシート』梅田泰宏(日本実業出版社、2013年)/タイトルの勝利。内容はそれほどでもない。っていうか平均以下だと思う。

 94冊目『未来ちゃん』川島小鳥〈かわしま・ことり〉(ナナロク社、2011年)/未来ちゃんは佐渡ヶ島に住む仮名の少女である。どこをどう見ても1970年代の昭和の匂いがプンプンしている。これほどの洟垂れ小僧はもう何十年も見ていないような気がする。眺めているだけで幸せな気分に浸れる。

 95冊目『恒子の昭和 日本初の女性報道写真家が撮影した人と出来事』笹本恒子(小学館、2012年)/話題となった写真展を書籍化。やはりこの人は文章よりも写真がいい。著名人を撮影した作品が多いが中でも浅沼稲次郎の写真が目を惹く。

 96冊目『小学館版学習まんが 八田與一』許光輝:監修、平良隆久:まんが、みやぞえ郁雄:シナリオ(小学館、2011年)/内容は劣るのだが図や写真で初めてダムの全容がわかった。子供向けながら細君の死にもきちんと触れている。

 97冊目『誰も調べなかった日本文化史 土下座・先生・牛・全裸』パオロ・マッツァリーノ(ちくま文庫、2014年/二見書房、2011年『パオロ・マッツァリーノの日本史漫談』を加筆改題、文庫化)/似非イタリア人は相変わらず読ませる(笑)。副題を見てもわかる通り、「誰も調べねーよ」と言いたくなるテーマばかりだ。パオロ・マッツァリーノの本は社会学的センスを学ぶ入門書と捉えるべきだ。

 98冊目『臓器の急所 生活習慣と戦う60の健康法則』吉田たかよし(角川SSC新書、2009年)/吉田たかよしは東大で量子化学を専攻し、東大大学院で分子細胞生物学を学び、NHKアナウンサーとなる。その後NHKを退職し、北里大学医学部を卒業。加藤紘一元自民党幹事長の公設第一秘書を経て、現在は開業医をしながら東京理科大学客員教授も務める。医学と科学に関してはポスト池上彰になるかもね。中高年は本書を座右に置くべし。というわけで「必読書」入り。

 99冊目『言挙げせよ日本 欧米追従は敗者への道』松原久子(プレジデント社、2000年)/私は松原久子の文体(スタイル)に惹かれる。どうしようもなく惹かれる。近代化で失った日本の心を復興すると同時に、白人による禍(わざわい)を世界に知らしめる必要があろう。これも「必読書」入り。

 100冊目『石原莞爾 マッカーサーが一番恐れた日本人』早瀬利之(双葉新書、2013年)/心を撃たれた。やや筆が走りすぎるきらいはあるものの行き過ぎた礼賛の一歩手前にとどまっている。これほどの日本人がいたとは。その天才ぶりと豪胆を仰ぎ見る。「俺を戦犯にしろ。裁判で言いたいことがある」と石原は言い切った。これまた「必読書」入り。

 101冊目『世界は「ゆらぎ」でできている 宇宙、素粒子、人体の本質』吉田たかよし(光文社新書、2013年)/吉田たかよしは説明が巧みである。しかもわかりやすい。諸行無常とは変化の謂(いい)であるが、諸法の実相は「ゆらぎ」である。宇宙はゆらぎから生まれ、人体の臓器もゆらいでいる。