2015-11-14

田原総一朗×佐藤優×宮崎学「今なぜ"資本論"なのか!? 日本の未来とアベノミクス パート2」


 佐藤優の歴史認識は極めて正確である。特に大東亜戦争の件(くだり)では私が最近、『日本の戦争Q&A 兵頭二十八軍学塾』(兵頭二十八〈ひょうどう・にそはち〉、光人社、2007年)で初めて知った歴史的経緯もきちんと踏まえている。佐藤は返す刀で小林よしのりを批判するが、こうした印象付けの巧みさはスパイさながらだ。しかも田原が小林と親しい関係性にあることも知っているのだろう。また一貫して孫崎享〈まごさき・うける〉を小馬鹿にしているが稀に持ち上げることがある。持ち上げることで落差が際立つ。そのあたりも多分計算済みなのだろう。彼の言動がプロパガンダに見えてしまう瞬間である。どうせやるなら正面からきちんと批判すべきだろう。びっくりしたのだが宮崎学の劣化ぶりが酷い。新橋の呑み屋にいるサラリーマン以下に感じた。



資本主義の終焉と歴史の危機 (集英社新書)

SDRに人民元


人民元、基準通貨入りへ=30日決定-IMF

 国際通貨基金(IMF)は13日、準備資産「特別引き出し権(SDR)」の算定基準となる通貨に中国・人民元を加えるのが妥当との報告を正式発表した。IMF加盟国から大きな反対の声は上がっておらず、元は30日の理事会で、ドル、英ポンド、日本円、ユーロに続き、5番目の基準通貨に決定される見通しだ。
 元が基準通貨入りすれば、アジアインフラ投資銀行(AIIB)の創設を主導する中国が、国際金融で一段と存在感を強めることになる。  基準通貨への採用は「貿易での利用量」や「取引の自由度」が条件。IMFは報告で、中国が取り組む市場改革を評価し、理事会に「元は(量だけではなく)自由度でも条件を満たした」との見解を伝えた。
 ラガルドIMF専務理事は「報告を支持する」と明言。加盟国代表で構成する理事会に承認を仰ぐ意向を示した。
 元の基準通貨入りを要求する中国に対し、米国や日本は当初、警戒姿勢を示していた。しかし、中国との経済緊密化を狙う欧州諸国が賛成に傾いたため、日米も「基準を満たせば支持する」などと姿勢を軟化させた。
 SDRはIMF加盟国に出資額に応じて配分される仮想通貨で、外貨不足に陥った国は、手持ちのSDRを米ドルなどと交換できる。今年は5年ごとの構成通貨の見直し作業が行われた。

2015-11-14 時事通信



SDRに人民元:国際金融でも中国が「主要国」の地位に

 中国の人民元が、国際通貨基金(IMF)の特別引き出し権(SDR)の構成通貨に採用される見通しになったのは、日米欧が主導権を維持してきた国際金融の面でも、中国が「主要国」の地位を得ることを意味する。中国は存在感が拡大する一方で、人民元の為替相場を一定の変動幅に抑えていることや海外への持ち出し制限など依然残る規制について、一層の改革を求められることになる。
 人民元をSDRに採用することに関して、日米は当初慎重姿勢だったが、英国など欧州勢や新興国が支持を表明する中、IMFが妥当と判断すれば賛同する方向に姿勢を軟化させていた。実際に採用されるには、各国政府や中央銀行の準備が必要で、実施は来年10月になるとみられる。
 人民元の構成通貨入りは、主要国際通貨としての「お墨付き」を得るのに加えて、各国が外貨準備として人民元を持ちやすくなり、貿易取引に人民元を使う機会も増えるなど、中国が推進する人民元の国際化の追い風になるのは確実だ。アジアインフラ投資銀行(AIIB)の創設を主導する中国はSDR入りをテコに、人民元の国際化を進め、ドル依存からの脱却を目指すとみられ、第二次世界大戦後のドル基軸通貨体制にとって転機になる可能性を秘める。また、円は相対的に存在感が低下する可能性がある。
 一方、人民元が名実ともに主要通貨として認められるためには、国際社会の期待に沿って、為替取引などの人民元改革や資本規制改革を進めることが求められる。海外からの資金の出入りが増えれば、先進国と同様、バブル経済を呼び込んだり、金融危機を招いたりするリスクは高まる。中国国内には改革を遅らせようとする動きもあり、世界は改革の行方を注目している。

毎日新聞 2015-11-14

国旗の重み 海洋国家日本の海賊退治

2015-11-13

渡辺美里シングルヒストリー


 パンチのあるストレートな声が懐かしい。元気印を絵に描いたような歌い手だった。もう一度、小室哲哉に作曲を依頼してはどうだろう。





Song is BeautifulM・Renaissance~エム・ルネサンス~

2015-11-12

ロシア革命の実態はユダヤ革命/『世界を操る支配者の正体』馬渕睦夫


『日本の敵 グローバリズムの正体』渡部昇一、馬渕睦夫
『国難の正体 世界最終戦争へのカウントダウン』馬渕睦夫

 ・ロシア革命の実態はユダヤ革命

 ロシア革命について、もちろん私たちは歴史の教科書で学んだわけですが、残念ながら真実は隠されていました。そもそもロシア革命という名称自体が誤解を招く元です。ロシア革命はロシア皇帝の圧政に苦しむロシア人が蜂起して帝政を転覆した革命では決してありません。ロシアの少数民族ユダヤ人を解放するために、国外に亡命していたユダヤ人がロンドン・シティやニューヨークのユダヤ系国際金融勢力の支援を受けて起こした革命であったのです。その意味で、ロシア革命ではなく「ユダヤ革命」と言うのが正しいのです。

【『世界を操る支配者の正体』馬渕睦夫〈まぶち・むつお〉(講談社、2014年)以下同】

 アメリカのウッドロー・ウィルソン大統領は新生ソ連に対して「素晴らしい民主主義国家が誕生した」と賛美した。ウィルソンといえばパリ講和会議(1919年)で日本が提案した人種的差別撤廃提案に対して、唐突に「全会一致が望ましい」と言い出し、国際連盟の議長権限で否決した人物である。さしずめ有色人種の人権は軽くユダヤ人の人権は重いといったところか。

「ユダヤ系国際金融」と聞けば陰謀論めいているが、キリスト教が利息を禁じていたため金融業はユダヤ人が行ってきたヨーロッパの歴史がある。信用創造や株式による投資を編み出したのも彼らであった。

 では、ウィルソン大統領はなぜロシア革命を礼賛したのでしょうか。その理由は、彼の周囲を固めていた側近たちが皆社会主義者であったということです。ウィルソン大統領が第二の自分とまで呼んで信頼していたエドワード・マンデル・ハウス大佐は社会主義者でした。ハウス大佐は一介のユダヤ系民間人にすぎませんが、ホワイトハウス内に執務室を与えられていました。ウィルソン大統領の側近中の側近の補佐官であったのです。このように、議会の承認を必要としない、いわば令外官(りょうげのかん)がアメリカ大統領に最も影響を与える地位に就くことができるのです。
 この方程式は現在まで続いています。有名なヘンリー・キッシンジャー大統領補佐官(1923年~)は、私人の身分でニクソン大統領の外交政策を牛耳りました。カーター大統領の安全保障担当補佐官であったズビグニュー・ブレジンスキー(1928年~)は、オバマ大統領の外交顧問を務めたほど、長期にわたり民主党の外交政策に影響を与え続けました。


「エドワード・マンデル・ハウス」で検索したところこの動画を見つけた。どうやら社会主義よりも国際主義に重きがあるようだ。

 当時の米ソを理解するために欠かせないのはアーマンド・ハマー(1898-1990年)だろう。共産主義のシンボルである「鎌とトンカチ」がそのまんま名前となっている(アーム・アンド・ハンマー)。



「ハマーの父親ジュリアスはロシアから移住してきたユダヤ人医師で、アメリカで最初に『共産党』を組織した男だった」(石油王Dr.ハマー 米ソ貿易で巨利を得たユダヤ大富豪)。正確には「アメリカ共産党の元となった社会主義労働党の創設者」である。「冷戦時代に東西両陣営を股にかけて活躍し、米ソ外交の“影の主役”として歴史に名を残した」(アメリカで活躍するユダヤ人)。更に中国への出入りも自由であった。彼は自家用ジェット機で晩年に至るまで世界を飛び回った。

 ソ連建国が1922年。ウッドロー・ウィルソン政権下でFRB(連邦準備制度)の設立が1913年である。「J・P・モルガンが所有するジキル島クラブで秘密会議が開かれ」「多くの上院議員が休暇で不在の隙を突いて12月23日にワシントンD.C.に駐在する連邦準備制度理事会と12地区に分割された連邦準備銀行により構成される連邦準備制度が成立した」(Wikipedia)。きな臭い匂いがプンプンする。

 後にソ連のスパイであったハリー・デクスター・ホワイトによってIMFが設立された(『秘密のファイル CIAの対日工作』春名幹男、2000年)ことを考えると、FRB設立はユダヤ人によるアメリカ乗っ取りシステムの構築と考えていいだろう。ハマーの資金が投じられたという説もあるが年齢を踏まえると父親によるものか。

 アーマンド・ハマーは池田大作中丸薫とも親交を重ねた。まったくユダヤ人は恐ろしいものだ。



元ソ連外交官が語る「ロシア-ユダヤ闘争史」の全貌
ロシアとウクライナのユダヤ人の悲史
ロシア・ユダヤ人実業家の興亡
歴史という名の虚実/『龍馬の黒幕 明治維新と英国諜報部、そしてフリーメーソン』加治将一
ネオコンのルーツはトロツキスト/『「米中激突」の地政学』茂木誠

兵頭二十八講演会 in 宇都宮







文庫 「日本国憲法」廃棄論 (草思社文庫)文庫 日本人が知らない軍事学の常識 (草思社文庫)日本の戦争Q&A―兵頭二十八軍学塾ニッポン核武装再論

2015-11-11

国産発のジェット旅客機MRJが初飛行/『始祖鳥記』飯嶋和一


『汝ふたたび故郷へ帰れず』飯嶋和一
『雷電本紀』飯嶋和一
『神無き月十番目の夜』飯嶋和一

 ・時代の波を飛び越え、天翔けた男の物語
 ・国産発のジェット旅客機MRJが初飛行

『黄金旅風』飯嶋和一
『出星前夜』飯嶋和一
『狗賓童子(ぐひんどうじ)の島』飯嶋和一

 暮し向きが定まれば、所帯を持つことを人は考える。子をもうけ、妻子を養うために日々を送って年老いてゆく。腕のいい表具師と言われ、他国木綿の移入で財をなした商才のある者と呼ばれ、あるいは運がいいと噂される。通常人が望むものが目の前にあっても、その時に幸吉がまず感じたものは耐えがたい腐臭だった。

【『始祖鳥記』飯嶋和一〈いいじま・かずいち〉(小学館、2000年/小学館文庫、2002年)以下同】

 日本で初めて空を飛んだとされるのは備前岡山の浮田幸吉〈うきた・こうきち〉(1757-1847年)である。7歳で父を亡くし傘屋へ奉公に出され、のち表具師となる。後年には晒(さら)し木綿商人となり、更には時計の修繕と義歯の製作も行った。

 一度目は失敗。幸吉は足を骨折した。初めて飛んだのは旭川にかかる京橋で天明5年(1785年)8月21日のこと。それ以降、「岡山の幸吉」「鳥人幸吉」と呼ばれた。折しも天明の大飢饉で各藩は世情の動向に目を光らせていた。幸吉の飛行は「天狗が出た!」と大騒ぎになり、当局はこれを見逃さなかった。世を騒がせ人々を不安に陥れたとして所払いの処分を受ける。

 人々にとって空は眺めるものであった。だが幸吉にとって空は翔(か)けるものであった。飛ぶ情熱は埋み火のように胸の底で燃え続けた。幸吉が感じた腐臭は、敗戦後の日本が国家として独立する力を奪われ、平和という名の下で高度経済成長を遂げてきた姿と重なる。平和は澱(よど)み、腐臭を放っている。

 マッカーサーは日本の再軍備を認めなかった。それだけではない。零戦(ぜろせん)の技術力を恐れたGHQは日本に飛行機をつくることも許さなかった。70年という歳月を経て、やっとジェット旅客機が日本の空を飛んだ。戦後レジームからの確かな脱却といってよい。ひょっとするとイランの核合意と同じ文脈にあるのかもしれない。


 50歳になった幸吉は再び空を目指した。

 飛ぶことは、すべてを支配している永遠の沈黙に抗(あらが)う、唯一の形にほかならなかった。

「飛ぶことは、すべてを支配しているアメリカに抗う、一つの形にほかならなかった」と思いたいところだが現実はそれほど甘いものではない。アメリカの国防戦略は日本を軍事化し、南沙諸島で中国軍にぶつける方針なのだろう。核保有国同士が戦争をすることは考えにくい。日本の世論はぬるま湯に浸かった状態から抜け切れないので、米軍はゆくゆく沖縄から撤収するに違いない。

 アメリカのジャパン・ハンドラーズに操られているだけなのか、それともアメリカの手のひらに乗ったと見せかけておいて実は別の戦略があるのかは、5年以内に判明することだろう。

 尚、幸吉初飛行の2年後の1787年には琉球国で飛び安里(あさと)が断崖から飛んだとされている。二宮忠八がゴム動力による模型飛行器を製作したのが100年後の1890年(明治23年)で、ライト兄弟の初飛行は1903年である。