2016-03-03

新刊『ブッダとクリシュナムルティ 人間は変われるか?』J・クリシュナムルティ:正田大観、吉田利子訳、大野純一監訳(コスモス・ライブラリー、2016年)

ブッダとクリシュナムルティ―人間は変われるか?

著名な仏教学者らとの白熱の対話録

「あなたはブッダと同じことを言っているのではありませんか?」という第一対話を皮切りに、第一部「五回の対話」ではスリランカのテーラワーダ仏教の学僧ワルポラ・ラーフラや理論物理学者デヴィッド・ボームらとクリシュナムルティとの間に、自我のない心の状態、自由意志、行動、愛、自己同一化、真理、死後の生について、洞察に満ちた対話が展開されている。第二部「なぜわたしたちは変われないのか?」には、人間の意識の根源的な変化・変容を促すための講話と質疑応答が収録されている。

2013年12月05日(木)のツイート

白金(しろかね)


 作家今東光は、谷崎潤一郎と話していて、うっかり「芝のしろがね町の……」と発言したために、「芝はしろかね。白金と書いてしろかねと言うんだ」「牛込のはしろがね。白銀と書いてしろがねと発音するんだ。明治になってから、田舎っぺが東京へ来るようになって、地名の発音が次第に滅茶苦茶になってきたな」と怒鳴りつけられたとのこと(『十二階崩壊』中央公論社、1978年。p.250)

Wikipedia

十二階崩壊 (1978年)

2016-03-01

福田恆存


 1冊挫折。

人間の生き方、ものの考え方 学生たちへの特別講義』福田恆存〈ふくだ・つねあり〉:福田逸〈ふくだ・はやる〉・国民文化研究会編(文藝春秋、2015年)/昭和37、41、50、55年に行われた学生向け講演4本を収録。『学生との対話』小林秀雄と併読するのがよい。小林に比べるとやはり地味な印象を受けるが、亀の歩みにも似た安定感がある。福田と小林は戦後保守の二代巨頭的存在だが、本書は保守の教科書ともいうべき内容で、温厚な精神を感じた。佐伯啓思〈さえき・けいし〉著『「欲望」と資本主義 終りなき拡張の論理』の回りくどさは、福田の言葉に対する考え方を踏襲しているのだろう。マルクス主義の旋風に殆どの知識人が靡(なび)く中で、日本を見失うことのなかった人物の一人が福田恆存であった。

探し求めてきた時間の答え


 若い時分から探し求めてきた「時間」の答えを見つけた。それは、『生と覚醒のコメンタリー クリシュナムルティの手帖より 2』J・クリシュナムルティ:大野純一訳(春秋社、1984年/新装版、2005年)の17ページから22ページのたった5ページの間に余すところなく記されていた。

生と覚醒のコメンタリー―クリシュナムルティの手帖より〈2〉

月並会第1回 「時間」その一
月並会第1回 「時間」その二
時間と空間に関する覚え書き
あらゆる蓄積は束縛である/『生と覚醒(めざめ)のコメンタリー 2 クリシュナムルティの手帖より』J・クリシュナムルティ

J・クリシュナムルティ、井上豊夫、兵頭二十八、他


 3冊挫折、3冊読了。

神社は警告する 古代から伝わる津波のメッセージ』高世仁〈たかせ・ひとし〉、吉田和史〈よしだ・かずし〉、熊谷航〈くまがい・わたる〉(講談社、2012年)/ダメ本。テレビ番組の二次創作的内容。「ジン・ネット」(高世が経営するテレビ番組制作会社)を始めとする余計な情報が文章の邪魔をしている。3人がバラバラで書いているのも読みにくくてしようがなかった。取材という事実に引きずられて、情報の抽象化がきちんとできていない。

幕末最大の激戦 会津戦争のすべて』会津史談会編(新人物文庫、2013年)/これまたダメ本。会津礼賛・会津万歳本である。6人の著者は全員福島生まれ。150年を経ても新機軸を打ち出せないところに会津藩の真の敗因があるように思われる。お国自慢のレベルを脱していない。

日米戦争を起こしたのは誰か ルーズベルトの罪状・フーバー大統領回顧録を論ず』加瀬英明、藤井厳喜〈ふじい・げんき〉、稲村公望〈いなむら・こうぼう〉、茂木弘道(もてき・ひろみち)(勉誠出版、2016年)/鼎談(166ページ)だけ読む。各論文に興味なし。加瀬の序文が酷い代物で、まるで選挙の遊説カーさながらである。「フーバーは」の連呼。老いの厳しい現実か。これまたダメ本の典型で、チャンネル桜を見ているような気分にさせられる。フーバー大統領回顧録(邦訳未刊)という都合のいい情報にしがみついただけの書籍。姿勢が左翼と一緒。確固たる視点がない。兵頭二十八が真珠湾奇襲を侵略戦争だと断じているが、これを否定し得るほどの説得力はどこにもない。

 24冊目『予言 日支宗教戦争 自衛という論理』兵頭二十八〈ひょうどう・にそはち〉(並木書房、2009年)/最終章だけ飛ばしたが読了本としておく。兵頭が古い本を読み漁っているせいだと思われるが、時折古めかしい言い回しが見受けられ、嫌な匂いを放つ。最終章はまるで2ちゃんねらーが書いたような代物。タイトルが内容に相応しくない。

 25冊目『果し得ていない約束 三島由紀夫が遺せしもの』井上豊夫〈いのうえ・とよお〉(コスモの本、2006年)/著者は楯の会で副班長をしていた人物。130ページ足らずの手記で、さほど期待していなかったのだが意外な発見が多かった。

 26冊目『生と覚醒(めざめ)のコメンタリー クリシュナムルティの手帖より 1』J・クリシュナムルティ:大野純一訳(春秋社、1984年/新装版、2005年)/再読。時間の流れが止まる。映像さながらの風景描写が冒頭にあり、個別のやり取りが紹介される。最初に読んだ時は創作かとも疑ったのだが、やはり事実に基づいているのだろう。クリシュナムルティの対機説法である。ブッダの場合、相手の機根(法を受け止めるレベル)に応じて説いたため真の悟りは披瀝していないとの通説がある。「人を見て法を説け」という俚諺(りげん)となって今日にまで伝わる。だがこれは嘘だ。本書を読めば立ちどころに理解できよう。わずか3~4ページでクリシュナムルティは深遠な教えを説いている。対話の妙はクリシュナムルティ・マジックとしか言いようがない。原題を直訳すれば「生の注釈書」。オルダス・ハクスリーに勧められ、クリシュナムルティが初めて書いた著作である。参照:「ただひとりあること~単独性と孤独性/『生と覚醒(めざめ)のコメンタリー 1 クリシュナムルティの手帖より』J・クリシュナムルティ