2017-11-09

自分の手に病を取り戻す営み/『べてるの家の「当事者研究」』浦河べてるの家


『死と狂気 死者の発見』渡辺哲夫
『オープンダイアローグとは何か』斎藤環著、訳
『悩む力 べてるの家の人びと』斉藤道雄
『治りませんように べてるの家のいま』斉藤道雄
『ベリー オーディナリー ピープル とても普通の人たち 北海道 浦川べてるの家から』四宮鉄男

 ・自分の手に病を取り戻す営み

『石原吉郎詩文集』石原吉郎

虐待と知的障害&発達障害に関する書籍
必読書リスト その二

「当事者研究」とは何か

 浦河で「当事者研究」という活動がはじまったのは、2001年2月のことである。きっかけは、統合失調症を抱えながら、“爆発”を繰り返す河崎寛くんとの出会いだった。入院していながら親に寿司の差し入れや新しいゲームソフトの購入を要求し、断られたことへの腹いせで病院の公衆電話を壊して落ち込む彼に、「一緒に“河崎寛”とのつきあい方と“爆発”の研究をしないか」と持ちかけた。「やりたいです!」と言った彼の目の輝きが今も忘れられない。
「研究」という言葉の何が彼の絶望的な思いを奮い立たせ、今日までの一連の研究活動を成り立たせてきたのだろう。その問いを別のメンバーにすると、「自分を見つめるとか、反省するとか言うよりも、『研究』と言うとなにかワクワクする感じがする。冒険心がくすぐられる」と答えてくれた。
「研究」のためには、「実験」が欠かせない。そして、その成果を検証する機会と、それを実際の生活に応用する技術も必要になってくる。その意味で統合失調症などの症状を抱える当事者の日常とはじつに数多くの「問い」に満ちた実験場であり、当事者研究で大切なことは、この「問う」という営みを獲得することにある。(向谷地生良〈むかいやち・いくよし〉)

【『べてるの家の「当事者研究」』浦河べてるの家(医学書院、2005年)以下同】

「精神科や心療内科ほどデタラメな仕事はない」――精神疾患となった十数人を見てきてた私の結論である。とにかく医師に何の見識もなく、ただ症状に薬を当てはめるだけの作業だ。これほど気楽な稼業もない。患者が通院先を変更すると薬の種類がガラリと変わることも珍しくない。しかも病状によっては数十種類の薬が処方される。エリオット・S・ヴァレンスタイン著『精神疾患は脳の病気か? 向精神薬の化学と虚構』を読んで私の所感は確信となった。

 ソーシャルワーカーの向谷地生良〈むかいやち・いくよし〉はべてるの家を設立した一人でそのユニークさが異彩を放つ。浦河べてるの家は労働・生活・ケアを共有する精神障碍者のコミュニティである。自治を病状の寛解に結びつけた稀有な試みで、「先進的な取り組みがなされており、世界中から毎年2500人以上の研究者・見学者が訪れる」(Wikipedia)。

“「問う」という営みを獲得すること”は自分の手に病を取り戻す営みである。被害者意識にとらわれた浅い疑問であれば病院や医師あるいは薬物に依存することを避けられない。深刻な悩みを抱えた者同士であれば現実的な対応が可能となる。当事者研究は精神疾患を抱える者が自らの足で立ち上がろうとする行為であり、病院の無力さを郵便に物語っている。では具体的にご覧いただこう。

 今回、べてるしあわせ研究所では、経験者10名(男性2名、女性8名)による「摂食障害研究班」を立ち上げ議論を重ねた。その結果浮かび上がってきたのが、「どうしたら摂食障害になれるか」という視点であった。
 いままで、「いかに治すか」に腐心しながらも結果として食べ吐きに走り、罪悪感に苛まれてきた経験者たちにとって、「どうしたらなれるか」という視点は大いに受け、議論も盛り上がった。

 べてるを特徴づけているのはこの「センス」である。ユーモアは現実を笑い飛ばす精神の力から生まれる。エリート官僚が発想の転換を苦手とするのは彼らの精神が貧しいからだ。

 浦河ではみんなが自己病名をつけているので、ぼくも自分の苦労に合わせて「統合“質”調症・難治性月末金欠型」と名づけた。
 この“質”というのは「質屋」の質からとった。ぼくが浦河に来ていちばん最初にデイケアの仲間に聞いたのが「浦河って質屋はあるんですか?」だったのが、すっかり有名になってしまった。

 いかなる名医であってもこれほど秀逸な病名は思い浮かばないだろう。いつも金欠病の彼は借金の仕方をレクチャーする。マイナスをプラスに捉え直すのがべてる流だ。幼い子をもつ親御さんに是非とも読んで欲しい所以である。

 幻聴さんにジャックされる人とされない人の違いについて、仲間同士の議論のなかから出た意見を★2にまとめてみた。
 幻聴ジャックに苦しむ人は、左欄のような状態に陥っている人たちであるというのが、わたしたちの経験から出た結論である。このような話し合いができるところに、幻聴さんレスキュー隊の存在意義がある。(※以下左欄のみ)

【ジャックされる人】
 自分に自信がない人
 つけこまれるスキがある人
 幻聴とのなれあい状態……依存
 自分に無関心
 いつも自分を責める
 理解者がいない
 人間関係が悪い
 自分を大事にできない
 淋しさや孤独感が強い
 対処方法を知らない
 自分が嫌い

 幻聴は統合失調症に顕著な症状であるが、他人の意見に左右されやすい人も参考になるのではないか。ま、私からすればテレビを見て泣いたり笑ったりしているような人々はテレビに心をジャックされたも同然で、知らぬ間に価値観までテレビに毒される。

 この項目の反対ならよいのかというと決してそうではあるまい。精神が統合された状態は中庸を目指す。

 べてるが精神疾患を笑いと研究にまで高めた功績は大きい。多数のイラストも実に素晴らしい。文章がこなれているのは編集をした医学書院の白石正明の功績だろう。

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「文字禍」/『中島敦』中島敦


『廃市・飛ぶ男』福永武彦
『物語の哲学』野家啓一

 ・「文字禍」

必読書 その一

 ナブ・アヘ・エリバは最後にこう書かねばならなかった。「文字ノ害タル、人間ノ頭脳ヲ犯シ、精神ヲ麻痺セシムルニ至ッテ、スナワチ極マル。」文字を覚える以前に比べて、職人は腕が鈍り、戦士は臆病になり、猟師は獅子を射損なうことが多くなった。(中略)ナブ・アヘ・エリバはこう考えた。埃及(※エジプト)人は、ある物の影を、その物の魂の一部と見做(みな)しているようだが、文字は、その影のようなものではないのか。(「文字禍」)

【『中島敦』中島敦(ちくま日本文学、2008年)以下同】

 新潮(218ページ)・角川(256ページ)・岩波(421ページ)からも文庫版が出ているが筑摩(480ページ)以外の選択肢はない。なぜなら「文字禍」が収められているからだ。

 中島は旧制一高(現在の東大)に入ってから小説を書き始めた。喘息の発作に苦しみながらもペンを執(と)った情熱を思わずにはいられない。その後高校の教員をしながら書き続けた。活字となったのは、『山月記』、『文字禍』、『光と風と夢』のわずか3作品で、亡くなる直前に2冊の本が刊行された。喘息のため33歳で逝去。名を遂げることはなかったが作品は今も尚生き続け、多くの人々が親しむ。本物の芸術家は時代に先駆けるゆえ正当な評価は遅れてやってくる。

「文字を覚える以前に比べて、職人は腕が鈍り、戦士は臆病になり、猟師は獅子を射損なうことが多くなった」――1942年(昭和17年)の『文學界』5月号に掲載されたということは多分31歳で書いた作品だと思われる。文明の発達と肉体の衰えを捉えて見事な一文である。漢籍の素養が日本語の抽象度を高め、矢の如く一直線に迫ってくる。しかもメタフィクション的な手法を使いながら、学者が文字を否定するというジレンマがユーモラスな興趣を添える。

 至為(しい)は為す無く、至言は言を去り、至射は射ることなし(「名人伝」)

 こうなると老荘思想や仏教の空に近い。中島敦にとって小説とは書くことで完結した行為であったのだろう。名誉やカネ目当てでは戦争の真っ最中に小説を書くことなど出来ない。

 そんなある日、敦が珍しく台所にいる妻に創作の報告をした。「人間が虎になった小説を書いたよ」。何て恐ろしいことと感じたが、後にこの小説「山月記」を読む度に妻は夫を思った。「あの虎の叫びが主人の叫びに聞こえてなりません」

中島敦「何故こんな運命になったか……」/YOMIURI ONLINE 2016年08月08日

 しかし、なぜこんな事になったのだろう。分らぬ。全く何事も我々には判らぬ。理由も分らずに押付けられたものを大人しく受取って、理由も分らずに生きて行くのが、我々生きものの【さだめ】だ。(山月記)

 中島の中には虎が生きていたのだろう。抑え切れない猛々しさが彼を原稿に向かわせたのだ。ペンは剣(つるぎ)と化した。その自在な動きの痕跡を我々は読むことができるのだ。偉大な人物は偉大であるというだけで人々を幸福にする。



70年の時を経て、中島敦の遺稿を〝リマスタリング〟
人間の知覚はすべて錯覚/『しらずしらず あなたの9割を支配する「無意識」を科学する』レナード・ムロディナウ