2018-10-06

「空気」と「事実」/『日本教の社会学』小室直樹、山本七平


『新戦争論 “平和主義者”が戦争を起こす』小室直樹

 ・「空気」と「事実」

『消費税は民意を問うべし 自主課税なき処にデモクラシーなし』小室直樹
『小室直樹の資本主義原論』小室直樹
『日本国民に告ぐ 誇りなき国家は滅亡する』小室直樹
『日本の敗因 歴史は勝つために学ぶ』小室直樹
『悪の民主主義 民主主義原論』小室直樹
『日本人のための宗教原論 あなたを宗教はどう助けてくれるのか』小室直樹
『数学嫌いな人のための数学 数学原論』小室直樹
『日本人のための憲法原論』小室直樹

必読書リスト その四

山本●つまり、「空気」をつぶす方法というのは一つしかないんです。事実を事実としていうことです。重要なことは、「空気」が規範化されればドグマになるというような前提のもとでいえば、ある場合には事実をいうことが日本教の背教になる。

小室●そこに「空気」の恐ろしさがある。また「事実」と「実情」との連関でいえば、実情というのは「空気」を通してみた事実でなければならないのであって、生(なま)の事実をいったら背教です。

(中略)

小室●ですから、日本人の嘘つきの定義と、欧米人の嘘つきの定義は全然違う。欧米では事実と違うことをいう人が嘘つき。日本でなら「実情」が「事実」と異なる場合には、事実と違うことをいっても嘘つきとはいわれない。これが、日本人が欧米人に誤解される大きなポイント。

【『日本教の社会学』小室直樹〈こむろ・なおき〉、山本七平〈やまもと・しちへい〉(講談社、1981年学研、1985年/ビジネス社、2016年)】

「日本教」は山本七平の造語で、「空気」もまた山本が息を吹き込んだキーワードである(『「空気」の研究』1997年)。

 私は長らく山本七平を嫌悪していた。10代後半で本多勝一を読んだためだ。1980年代といえばまだまだ左翼が猛威を振るっていた頃である。『貧困なる精神』で「菊池寛賞を返す」(『潮』1982年1月号)を読んだ時は「これぞ男の生き方だ」と友人のシンマチにも無理矢理読ませたほどだ。その後、私は『週刊金曜日』を創刊号から購読し、首までどっぷりと戦後教育の毒に浸かりながらいつしか50歳となっていた。四十で惑いの中にいた私が五十で天命を知る由(よし)もない。

 少しばかり変わったのは3.11の震災後、天皇陛下に対する敬愛の念が深まったことである。道産子で皇室に関心を抱く人は少ない。日教組が強いこともあって国歌を歌う機会もほぼ無い。不敬を恐れず申し上げれば、かつての私にとっては先進国の国家元首よりも影の薄い存在だった。それがどうだ。国民へのメッセージを読み上げる陛下のお姿を拝見した途端、心の底から日本人の魂が噴き出した。それは噴火といってもよい激情だった。

 自虐史観に気づいたのはつい4年前のことだ。菅沼光弘の著作が私の迷妄を打ち破った。それから山本七平も読むようになったのだが文章が馴染めず読了できない。文体が粘ついていて虫唾が走る。その点、対談なら読みやすい。

「空気を読めよ」という言葉は漫才ブーム(1980年)の頃に出てきたと記憶する。その後2000年代になって「KY」として復活した時、吃驚仰天した覚えがある。「その場の空気」には脈絡があり、共有される感情が流れている。日本人にとってはそこに「合わせる」のが一種の礼儀と見なされる。

「事実を事実としていうこと」を山本は「水を差す」との一言で表す。確かに「それを言っちゃあおしまいよ」という発言を我々は極度に恐れる。やはり日本人は論理よりも情緒を重んじるためなのか。

 会社の会議であればまだしも、戦争の決定すら空気が支配していたという。日本は外交において「信義を貫けば相手も応える」と思い込んでいて、特にヨーロッパ諸国の権謀術数に振り回された。平沼騏一郎首相は「今回帰結せられたる独ソ不侵略条約に依り、欧州の天地は複雑怪奇なる新情勢を生じた」との談話を発表し内閣は総辞職した(1939年)。

 戦前の日本はヒトラーを礼賛する声が多かった。極東という地理的要因も疎外感を生んだのかもしれない。日本の宿敵ソ連と手を組むとは何事かという思いは理解できる。今となってはあまりにもウブな外交認識が嘲笑の的となっているがあながち的外れでもなかった。内閣総辞職からひと月も経たぬうちにドイツとソ連はポーランドを侵攻した。ソ連はポーランドの将校・官僚・聖職者・大学教授を収容所へ送り、半年後に4000人以上を殺戮した。カティンの森事件(1940年)である。ソ連を攻めたドイツが遺体を発見したが、あろうことかソ連は「ドイツによる虐殺だ」として戦後のニュルンベルク裁判でもこれを告発した。戦争に敗れたドイツは強く抗弁することができなかった。ナチスの暗号を解読していたイギリスは真実を知りながらも沈黙を保った。戦勝国としてソ連の嘘に加担したわけである。ソ連が自らの蛮行を認めたのは何と1990年になってからのことである。

 話を戻そう。日本人の言論空間が「空気」に支配されているのであれば、「空気」を薄める努力をするべきだ。「空気」は抑圧として働くので自由な発言が損なわれる。地域活性の鍵を握るのは「若者、馬鹿者、よそ者」と言われるが、固定観念に囚われない人、既成の枠に収まらない人、今までのやり方を知らない人を巧く配置することが望ましい。

 要はリーダーが何でも話し合える雰囲気を作れるかどうかに掛かっている。「場を弁えろ」などという居丈高な姿勢であれば決まりきった結論しか出ない。

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2018-10-03

人の音曲の中心はその人固有のメロディー/『春風夏雨』岡潔


『天上の歌 岡潔の生涯』帯金充利
『春宵十話』岡潔
『風蘭』岡潔
『紫の火花』岡潔

 ・人の音曲の中心はその人固有のメロディー

『人間の建設』小林秀雄、岡潔

 真珠湾攻撃は、私は北海道でラジオで聞いたのですが、全く寝耳に水でした。私は直ぐに、しまった、日本は亡びたと思いました。しかし今から思えばこのころはまだよかったのです。終戦になりますと、それまで死なばもろともといっていた同胞が、急に食料の奪いあいを始めました。私は生きるに生きられずに死なれぬ気持になって、最後の存在の地を仏道に求めたのでした。(はしがき、1965年6月1日)

【『春風夏雨』岡潔(毎日新聞社、1965年/角川ソフィア文庫、2014年)以下同】

 タイトルは「しゅんぷうかう」と読む。はしがきの末尾には「このまま推移すれば、60年後の日本はどうなるだろうと思うと慄然とならざるを得ません」との有名な一言がある。我々は7年後にその60年後を迎える。多分新しい戦争が起こり、その戦争は終わっていることだろう。

 先日、『人間の建設』を再読したのだが初めて読んだ時には気づかなかったことが次々と見えて、己(おの)が眼(まなこ)の節穴ぶりを恥じ入った。敗戦後、「僕は政治的には無智な一国民として事変に処した。黙って処した。それについて今は何の後悔もしていない。(中略)僕は無智だから反省なぞしない。利巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか」(雑誌『近代文学』の座談会「コメディ・リテレール 小林秀雄を囲んで」1946年〈昭和21年〉1月12日)と啖呵を切ってみせた小林秀雄が「あなた、そんなに日本主義ですか」と問い、岡が「純粋の日本人です」と応じる件(くだり)がある。思わず吹き出した。小林は天才数学者の愛国心に驚いたのだろう。ただし岡はその辺にゴロゴロしている愛国者とは風貌を異にした。単なる政治・経済といったレベルから離れて、岡は日本人の情緒が破壊されることに我慢ならなかったのである。

 ところで、心の琴線の鳴り方であるが、自覚するにせよしないにせよ、たたけばともかく鳴るようになっており、好きな音だけ鳴らしていやな音を避けることはほとんどできない。だから、タイプライターを打ち続けるというようなこと、つまり微弱な、きれぎれの意志を働かせ続けるのは、絶えず細かな振動を心の中心に与えていることになる。きれぎれの音は不調(ママ)和音であり雑音である。しかも小さい細菌ほど防ぎにくいように、微弱な意志の雑音ほど防ぎにくい。
 人の音曲の中心はその人固有のメロディーで、これを保護するために周りをハーモニーで包んでいると思われる。そんなデリケートなものだから、たえず不調和音を受け取っていると、固有のメロディーはこわされてしまう。そうすれば人の生きようという意欲はなくなってしまうのであろう。
 してみれば、人の生命というものもその人固有のメロディーであるといえるのではないか。(中略)
 生命というのは、ひっきょうメロディーにほかならない。日本ふうにいえば“しらべ”なのである。そう思って車窓から外を見ていると、冬枯れの野のところどころに大根やネギの濃い緑がいきいきとしている。本当に生きているものとは、この大根やネギをいうのではないだろうか。

 仕事で計算機やタイプライターを扱う人が自殺した話を聞いて、岡の直観は生命の真相にまで迫る。人間の機械化に対する警鐘である。合理化を推し進めるのは分業だ。一人ひとりの人間にミクロな部分が押しつけられ単調な作業が繰り返される。そこに生きる喜びはない。労働対価は時間と賃金のみで計算され喜怒哀楽は含まれない。マーケティングや会計などが高度に発達すると軍事的な様相すら帯びてくる。戦略が奏功すればライバル企業には死屍累々と失業者が横たわるわけだ。

 頭がよくても尊敬できない人物は多い。私は長らく自分の嫌悪感が不思議でならなかった。元々幼い頃から好き嫌いが激しい性分なのだがそれにはきちんとした理由があった。言葉や表情、はたまた振る舞いや行動から人間性が透けて見えるのだ。私はネット上ですら人間関係を誤ったことがない。

 私の疑問は岡の著作を読んでいっぺんに解けた。頭の良し悪しよりも情緒の濃淡にその人の正体があるのだ。かつて宮台真司〈みやだい・しんじ〉が「援助交際を研究テーマにしたことで様々な批判を受けたが、小室直樹先生だけがそれを認めてくれた」という趣旨の話をしていた。宮台の頭の強さは凡百の学者を軽々と凌駕していると思うが私は彼をどうしても好きになれない。確かに社会学的には女子高生や女子大生がさしたる自覚もないままに売春行為に至る経緯から社会を読み解くことに意味はあるのだろう。だがその前に「売春はダメだ。ダメなものはダメだ」と言い切るのが大人の役割ではないのか? 長ずるにつれて必ず後悔することは火を見るよりも明らかだ。妊娠や性病というリスクもある。行き過ぎた自由の観念が「他人に迷惑を掛けなければ何をしても構わない」との放縦を許してしまった。一昔前なら恋愛に関しても一定の慎重さがあった。親の反対を押し切って付き合うのであれば駆け落ちする覚悟が求められた。小遣い目当ての売春行為に覚悟や決断があるとは到底思えない。

 気が合う友達や心の許せる友人は人生の宝である。しかしながらそれが自分を高めてくれる人間関係かどうかを吟味する必要があろう。尊敬できる人物の有無が人生の彩りを決定する。あの人に倣(なら)おうとする心が規範となって自分の弱さを克服する原動力となる。

「人の音曲の中心はその人固有のメロディー」であるならば曲そのものを変えることは難しい。要はきれいに響かせるかどうかである。

春風夏雨 (角川ソフィア文庫)
岡 潔
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2018-10-02

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2018-10-01

李承晩の反日政策はアメリカによる分割統治/『この国を呪縛する歴史問題』菅沼光弘


『日本はテロと戦えるか』アルベルト・フジモリ、菅沼光弘
『この国を支配/管理する者たち 諜報から見た闇の権力』中丸薫、菅沼光弘:2006年
『菅沼レポート・増補版 守るべき日本の国益』菅沼光弘:2009年
『この国のために今二人が絶対伝えたい本当のこと 闇の世界権力との最終バトル【北朝鮮編】』中丸薫、菅沼光弘:2010年
『日本最後のスパイからの遺言』菅沼光弘、須田慎一郎:2010年
『この国の権力中枢を握る者は誰か』菅沼光弘:2011年
『この国の不都合な真実 日本はなぜここまで劣化したのか?』菅沼光弘:2012年
『日本人が知らないではすまない 金王朝の機密情報』菅沼光弘:2012年
『国家非常事態緊急会議』菅沼光弘、ベンジャミン・フルフォード、飛鳥昭雄:2012年
『この国はいつから米中の奴隷国家になったのか』菅沼光弘:2012年
『誰も教えないこの国の歴史の真実』菅沼光弘:2012年
『神国日本VS.ワンワールド支配者』菅沼光弘、ベンジャミン・フルフォード、飛鳥昭雄
『この世界でいま本当に起きていること』中丸薫、菅沼光弘:2013年
『日本を貶めた戦後重大事件の裏側』菅沼光弘:2013年

 ・李承晩の反日政策はアメリカによる分断統治

『日本人が知らない地政学が教えるこの国の進路』菅沼光弘 2015年

 李承晩がアメリカの承認を得て大統領になった1948年当時は、当然のことながら韓国国民はみな日本統治時代のことを知っていたわけで、それゆえ過去を懐かしむということも多々あったわけですが、そうした親日的な人々が次々に投獄されることなった。李承晩が大統領に就任してからの2年間に、こうした政治的弾圧によって投獄された人々の数は、日本統治時代を通じて投獄された人々の総数を超えるほどだったといわれています。
 もちろん学校教育においては反日教育が徹底的に行われました。日本の出版物やテレビドラマ、歌謡曲などの大衆文化も「公序良俗に反する」として輸入や放送が規制されました。こうした規制は延々半世紀にわたって続き、部分的ながら開放されるようになったのはつい最近のことにすぎないのです。

【『この国を呪縛する歴史問題』菅沼光弘(徳間書店、2014年)以下同】

 韓国の民主化・自由化が実現したのは金大中〈キム・デジュン〉大統領の時代で1997年のことである。李承晩の後を継いだ朴正熙〈パク・チョンヒ〉~全斗煥〈チョン・ドゥファン〉は軍事クーデター政権で、盧泰愚〈ノ・テウ〉も軍出身者だった。続く金泳三〈キム・ヨサンム〉は文民だが旧軍事政権と選挙協力をしていた。

 義務教育で反日教育を施しているのは中国と韓国であり、戦争を前提とした準備行動であると考えるのが妥当だ。反日デモや反日行動が報じられるようになり日本人の反中・反韓感情が一気に高まった。フリー・チベット運動によって眼(まなこ)を開いた人も多いことだろう。私もその一人だ。

 東アジアを不安定なまま維持するのがアメリカの防衛戦略である。自らの覇権のために他国を混乱させるのがアングロサクソン流だ。

 反共はともかく、なぜ李承晩はこれほどまで徹底して反日政策をとったのかといえば、それが取りも直さずアメリカの政策にほかならなかったからです。アメリカは朝鮮半島が日本の領土であることを認識していました。それゆえ日本と韓国を分割統治する上で、韓国における日本の残滓(ざんし)を一掃しなければならないと考えました。とりわけ韓国国民に染みついた過去の日本式教育をアメリカの意思にかなったものに改革しなければならない。そうでなければ日本と韓国を切り離すことができないからです。それにはまず徹底的に反日感情を植えつけて両国を離反させる、というのが当時のトルーマン大統領によるアメリカの韓国占領政策であり、それはまたディバイド・アンド・ルール(分割統治)の原則でした。そしてそれを忠実に実践したのが李承晩という傀儡だったわけです。

 分割統治は大英帝国のお家芸である。相手国の少数派を特権階級化して植民地経営を行うのを基本とする。反英感情を防ぐ盾(たて)のようなものだ。ルワンダで同じ民族の人々をツチ族とフツ族に分けたのもベルギーによる分割統治であった。それがあのルワンダ大虐殺にまで発展するのだ。

 韓国の建国が1948年(昭和23年)である。アメリカの反日政策はキッシンジャーの米中外交(1971年)にまで脈々と引き継がれた。周恩来に魅了されたキッシンジャーは在日米軍を「ビンの蓋(ふた)」に例え、飽くまでも日本の軍事的膨張を防ぐところに目的があると言明した。文化大革命を生き延びた周恩来からすればキッシンジャーなど青二才同然であったことだろう(『この世界でいま本当に起きていること』中丸薫、菅沼光弘)。

 キッシンジャーはいまだ健在である。トランプ政権を陰で支えているのだ。現在アメリカでは軍産複合体を支配するユダヤ人旧勢力とユダヤ人新勢力の綱引きが激化している。米国内の主導権が変わったところでキッシンジャーが絵を描いている以上、東アジア戦略は変わることがないだろう。今後、韓国が北朝鮮に飲み込まれる形で統一されれば、日本の立ち位置はかなり危うくなる。台湾・フィリピン・ASEAN諸国と連携するしか道はない。

 韓国が埋め込まれた反日感情に自ら気づくことは難しいだろう。とすれば日清戦争と同じ状況が再びやって来るに違いない。

コミンテルンの物語/『幽霊人命救助隊』高野和明


『13階段』高野和明
『グレイヴディッガー』高野和明

 ・コミンテルンの物語

『ジェノサイド』高野和明

「私がここに来たのは他でもない。諸君に、天国へ行くチャンスを与えてやろうというのだ」神は、天を指して繰り返した。「天国だ。いい所だぞ」
「私たち、天国に行けるの?」と、美晴が胸の前で両手を組み合わせて訊いた。彼女の瞳は、信心深い尼僧(にそう)のようにきらめいていた。
「だがその前に」と神は一同を見廻した。「諸君に償いをしてもらいたい。粗末にした命の償いをな」
 4人は、不安げに顔を見合わせた。

【『幽霊人命救助隊』高野和明(文藝春秋、2004年/文春文庫、2007年)以下同】

『ジェノサイド』の書評を既にアップしていたことを失念していた。どうもBloggerの検索は甘いような気がする。

 私が読んだのは降順である。つまり『ジェノサイド』から遡(さかのぼ)って『13階段』に至った。本書だけ読了していない。3分の1ほどで放り投げた。

 私はこれまでにおそらく万という桁の本を読んだはずである。そのなかで、この本はつまらない本とはいえない。でも読後につまらなかったと思うなら、だれかにプレゼントすればいい。それなら買っても損にならない。プレゼントした相手によっては、喜ばれると思う。なぜかというと――それは内容を読んでもらえばわかる。(文庫版解説:養老孟司〈ようろう・たけし〉)

 養老孟司といえばミステリの愛読者として知られる。著作は面白いのだが「解説」は実に下手くそで斜(しゃ)に構えた態度も様になっていない。それはともかくとして読み巧者の養老が評価するほどの「構成」と考えていいだろう。

 私が読んできた本の数は数千冊である。多分2000~3000冊の間だろう。今から毎年200冊読んだとしても1万冊に届くのは難しい。そんな私からしても本書は駄作であると思う。

 4人の幽霊は自殺をした人々だった。そんな彼らの前に神が姿を現し、「天国へゆきたいなら、自殺志願者100人を救え」と命じる。彼らには自殺志願者を見つけ出すための不思議な道具も用意される。ま、再生の物語なのだろう。幽霊たちは「救う」行為によって自分たちが「救われる」のだ。舞台設定や道具立てが安易なため再生の中身が問われることになる。読者は「癒(いや)し」という褒美(ほうび)にありつけるわけだ。

 ところが、である。『ジェノサイド』で高野和明の左翼史観に気がつけば、本書はコミンテルンの指示で共産主義国家を作ろうとする人々と同じ構図であることが見えてしまうのだ。全体主義を批判した『一九八四年』(ジョージ・オーウェル著)とは逆のベクトルで「信頼」をテーマにした娯楽作品としたのは読みやすさで読者を獲得するためだろう。

 餌(えさ)に釣られて働くという点ではサラリーマンと変わりがないわけだが、「充実した仕事」そのものが一種の報酬として機能している。神と幽霊を戯画化して描いたのも実に左翼的である。