2018-10-17

日米安保条約と吉田茂の思惑/『重要事件で振り返る戦後日本史 日本を揺るがしたあの事件の真相』佐々淳行


『彼らが日本を滅ぼす』佐々淳行
『ほんとに、彼らが日本を滅ぼす』佐々淳行
『インテリジェンスのない国家は亡びる 国家中央情報局を設置せよ!』佐々淳行
『私を通りすぎた政治家たち』佐々淳行
『私を通りすぎたマドンナたち』佐々淳行
『私を通りすぎたスパイたち』佐々淳行

 ・日米安保条約と吉田茂の思惑

 思わず語気を強めて詰め寄った。
「憲法改正して再軍備をするのだと、そうおっしゃっていたじゃないですか。今後自衛隊をどうなさるおつもりですか」
「今は経済再建が第一である。経済力が復活しなくて再軍備などあり得ない。経済力がつくまで、日米安保条約によってアメリカに守ってもらうのだ」
 明確な返答には説得力があった。
 たしかに現在の経済力では、実効性のある自衛軍などとても持てない。経済は平和が確保できてこそ発展することは論を俟(ま)たない。冷静に国際情勢を考慮し、経済力に思いを至らせながら判断すると、平和の確保にはアメリカの力を借りるほかはないと理解できた。
 安保条約には反対していたわれわれは、「経済力がついたら憲法改正して自衛軍にするのだ。それまでの間は身を潜めていなくてはいかん」という吉田氏の言葉に納得して、安保条約支持派になったのだった。

【『重要事件で振り返る戦後日本史 日本を揺るがしたあの事件の真相』佐々淳行〈さっさ・あつゆき〉(SB新書、2016年)】

 伊藤隆に請われて佐々が90冊の手帳を国会図書館の憲政資料室に寄贈した。その佐々メモが元になっている。上記テキストは確か大学生の佐々が吉田茂と面会した時のやり取りである。

 吉田茂は二枚腰ともいえる粘り強い外交でマッカーサーを翻弄した。外部要因としては朝鮮特需(1950-55年)があったわけだが高度経済成長への先鞭(せんべん)をつけたのは吉田茂である。ところが自主憲法制定を党の綱領に謳った自民党は経済成長を遂げても憲法に手をつけようとはしなかった。タイミングとしては「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」(1953年/昭和28年)あたりでもよかったように思うが経済的にはまだまだ脆弱だった。日米安保が結ばれたのが1951年(昭和26年)のこと(発効は翌年)。そうすると学生運動の嵐が過ぎた頃からバブル景気の前くらいの時期で憲法改正するのが筋だろう。

 本来であれば憲法改正をする時に自民党は不祥事で揺れ続けた。その結果対米依存を強める羽目となり、大蔵省や郵便局の解体をアメリカの言いなりで行った。憲法改正を掲げて安倍晋三が登場したものの、敗戦から70年以上を経て国民の平和ボケは行き着くところまで行き着いた感がある。

 たとえ憲法が改正されなくとも戦争は起こる。既に中国が仕掛けてきているのだから時間の問題だ。その時に国民が目を覚ますのか、あるいは寝たフリをするのかが見ものである。



憲法9条に対する吉田茂の変節/『平和の敵 偽りの立憲主義』岩田温

二・二六事件で牧野伸顕を救った麻生和子/『私を通りすぎたマドンナたち』佐々淳行


『彼らが日本を滅ぼす』佐々淳行
『ほんとに、彼らが日本を滅ぼす』佐々淳行
『インテリジェンスのない国家は亡びる 国家中央情報局を設置せよ!』佐々淳行
『私を通りすぎた政治家たち』佐々淳行

 ・二・二六事件で牧野伸顕を救った麻生和子

『私を通りすぎたスパイたち』佐々淳行
『重要事件で振り返る戦後日本史 日本を揺るがしたあの事件の真相』佐々淳行

 有名なエピソードがある。1936年(昭和11年)の二・二六事件のときだ。神奈川県湯河原町の別荘として借りていた伊藤旅館の別棟にいた牧野伸顕のところに、早朝、反乱軍がなだれ込んできた。反乱軍から逃れ、庭続きの裏山に脱出しようとした彼が、銃殺されそうになったとき、和子さんは祖父を救うためにハンカチを広げて銃口の前に立ちはだかったという。
 彼女は聖心女子学院の出身だが、在学中に週刊誌主催のミス日本に選ばれたくらいの美人である。反乱軍兵士は、銃口の前に飛び出して祖父をかばった美女にさぞ驚いたに違いない。孫娘の気迫に気圧(けお)されて、牧野伸顕は命拾いしたといわれている。

【『私を通りすぎたマドンナたち』佐々淳行〈さっさ・あつゆき〉(文藝春秋、2015年/文春文庫、2018年)】

 麻生和子吉田茂の娘で、麻生太郎の母。武家の育ちであるとはいえ、いざという時に行動できるかどうかは日常の覚悟の賜(たまもの)といってよい。「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」(『葉隠』)との寸言は、命の捨て時に迷わぬ精神を示す。ここにおいて「捨てる」とは「最大限に燃焼し尽くす」ことと同義である。日常の中で死を意識することが生の深き自覚となる。武士が望むのは長寿や安穏ではない。名を上げることこそ彼らの望みであり、名を惜しむためには死をも辞さない。

 江戸時代において武家の子女は必ず懐剣(かいけん)を持っていた。用途は二つ。護身と自決である。自決する場合は喉内部や心臓を突いた。

 残念なことに立派な女性が立派な母親になるとは限らない。野中広務〈のなか・ひろむ〉(魚住昭『野中広務 差別と権力』、角岡伸彦『はじめての部落問題』)が引退してから麻生太郎はタガが外れたように態度がでかくなった。公私を弁えぬ言葉遣いは肥大した自我の為せる業でみっともないことこの上ない。

私を通りすぎたマドンナたち (文春文庫 さ 22-20)
佐々 淳行
文藝春秋 (2018-04-10)
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2018-10-16

細川護煕の殿様ぶり/『私を通りすぎた政治家たち』佐々淳行


『彼らが日本を滅ぼす』佐々淳行
『ほんとに、彼らが日本を滅ぼす』佐々淳行
『インテリジェンスのない国家は亡びる 国家中央情報局を設置せよ!』佐々淳行

 ・細川護煕の殿様ぶり

『私を通りすぎたマドンナたち』佐々淳行
『私を通りすぎたスパイたち』佐々淳行
『重要事件で振り返る戦後日本史 日本を揺るがしたあの事件の真相』佐々淳行

(※細川護煕〈もりひろ〉氏は)日本新党のとき、政治的知名度も新鮮さもあったが、殿様だからお金はなかった。政治資金がなくて日本新党は大変苦しんだ。私が冗談半分で「細川家代々の文化財をお売りになれば1億ぐらすぐ出来るでしょう」と言うと、「いや、戦災で消失してしまって」と言われる。「京都は戦災を免れたではないですか」と問うと、「いや、応仁の乱で」とのお答え。どうも浮世離れしていて、やはりお殿様だと思ったものだ。

【『私を通りすぎた政治家たち』佐々淳行〈さっさ・あつゆき〉(文藝春秋、2014年/文春文庫、2017年)】

 応仁の乱は500年以上前の歴史である。「京都は戦災を免れた」という歴史を知っていればこそ生まれた諧謔(かいぎゃく)に富むエピソードだろう。抱腹絶倒ではなくジワリと来るだけに余韻が長い。

 洒落っ気はあるものの佐々はやはり新党ブームに業を煮やしていたのだろう。自民党は長期政権で腐敗し、その上中道左派的な政策を推進してきた。日本の安全や安定を思えば少々政治が腐敗しているくらいが国民にとっては丁度いいのかもしれない。

私を通りすぎた政治家たち (文春文庫)
佐々 淳行
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コレステロールは「安全」/『コレステロール値が高いほうがずっと長生きできる』浜崎智仁


『コレステロール 嘘とプロパガンダ』ミッシェル・ド・ロルジュリル

 ・コレステロールは「安全」

『シリコンバレー式自分を変える最強の食事』デイヴ・アスプリー
『医者が教える食事術 最強の教科書 20万人を診てわかった医学的に正しい食べ方68』牧田善二
『医者が教える食事術2 実践バイブル 20万人を診てわかった医学的に正しい食べ方70』牧田善二
『医学常識はウソだらけ 分子生物学が明かす「生命の法則」』三石巌
『DNA再起動 人生を変える最高の食事法』シャロン・モアレム

「栄養」を考えるうえでの基本――人間にとって、昔は入手できなかったものは不要である。
 この基本さえ覚えておけば、あとはすべて自分で判断できる。実に簡単だ。大昔「食べていなかった」もの、それは、栄養学的には「要らないもの」なのである。
 たとえば植物油。太古の昔にコーン油、オリーブ油、ゴマ油などの植物油があっただろうか? もちろん、なかった。だから食べなくても大丈夫なのだ。
(中略)
 なぜ、大昔に食べていないものは不要といいきれるのだろう。
 古来、人間は、「その土地で入手できるもの」だけを食べて生きてきた。生活するために必要なものが得られない場所では、人は死に絶えていた。たとえば、飲料水が毎日入手できないような場所には人は住んでいない。逆に、昔から人が住んでいた土地で入手できるものだけあれば、人は生きていけるのだ。

【『コレステロール値が高いほうがずっと長生きできる』浜崎智仁〈はまざき・ともひと〉(講談社+α新書、2011年)以下同】

『コレステロール 嘘とプロパガンダ』より端的にエビデンスが示されていて理解しやすい。浜崎は翻訳を手掛けた人物で医学博士。植物油を批判した上記テキストは不思議にも地産地消を示していて興味深い。海外の大規模農業や低賃金が輸送コストを加えても安価な農産品となって市場に出回っている。消費者が注目するのは価格で、たとえ内容を吟味としたとしても買う買わないは価格で判断する。しかも食品は毎日のように買う必要があるため消費者のコスト意識は極めて高い。よく言われることだが数円安い卵を買うために数キロ先のスーパーへゆくことも主婦はよしとする。

 日本動脈硬化学会が発表している「動脈硬化性疾患予防ガイドライン」は総コレステロール値を重視していたが、総死亡率との関係で不都合が生じてきたため、悪玉コレステロール(LDL-コレステロール)を重要視になる。だが総死亡率との関連性は明らかになっていないという。大体「日本動脈硬化学会」なんて名称自体が利益団体にしか見えない。

 2007年度版の「ガイドライン」では、「LDL-コレステロール値が高いと心筋梗塞になる」という疫学(えきがく)調査がないどころか、いくつかの疫学調査により「LDL-コレステロールは高くても、総死亡率から見れば問題ない」ことが判明してしまっている。(中略)
 せっかく乗り換えた「悪玉」LDL-コレステロールも、こうして情けない結末を迎えることになり、早くも次の「悪玉」を出す準備をしないといけないわけだ。

 これに乗じた健康食品の広告もツイッターのタイムラインで最近よく見掛ける。宗教と製薬会社は不安産業といってよい。「不安を解消したければカネを払え」というのが彼らの論法である。

 結論からいおう。もともとコレステロールは【安全】なのだ。動物に【必要】な、細胞膜の構成成分なのだから、どこまでいってもきりがない。
「コレステロール悪玉説」を唱える人たちが、こうして次から次へと方針を変えることになるのは、いったいなぜなのだろう。
 その理由は、恐ろしいことに、コレステロール=悪玉としておいたほうが、圧倒的に経済効果が高いからだ。コレステロール値を低下させる「スタチン」という薬だけで、日本では年に2500億円も使用されている。全世界だとその金額は3兆円に上る。
 そうなると、スタチンの関係者にとって「コレステロール【無害】説」など許せるはずがない。大量の「情報」を発信して、反対派の声をかき消さなければならないことになる。コレステロールの是非に関して何十年も決着がつかないのは、間違った理論を守るために巨大な金銭的バックがついているからである。

 非科学的といえば真っ先に浮かぶのが栄養学であるが、2位には医学を推薦したい。私は55年生きてきたが頭のよい医者は一人しかお目にかかったことがない。他は見るからに不勉強で本業は「金儲け専門」といった印象を受けた。

 医学は裁判と似ていて、ただ単に過去の判例に基づいて判断を下しているだけだ。患者や体そのものを直接見ようとはしない。医師は薬を処方するだけの小役人に成り下がってしまった。

 幼い子供がいる家庭では大変かもしれないが、マーガリンではなくバターを、植物油ではなくラードを使った方がいいだろう。

百田尚樹著『日本国紀』が予約開始でベストセラー1位に


 11月15日発売。西尾幹二著『国民の歴史』を超えるかどうか。空前のベストセラーになりそうな予感。西尾や中西輝政、伊藤隆といった大御所はもちろんだが、私が幻冬舎の社長であれば佐藤優、小林よしのり、宮台真司に書評を依頼する。

日本国紀
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2018-10-15

現実の虚構化/『コレステロール 嘘とプロパガンダ』ミッシェル・ド・ロルジュリル


『精神疾患は脳の病気か? 向精神薬の化学と虚構』エリオット・S・ヴァレンスタイン
『〈正常〉を救え 精神医学を混乱させるDSM-5への警告』アレン・フランセス
『クレイジー・ライク・アメリカ 心の病はいかに輸出されたか』イーサン・ウォッターズ
『うつ消しごはん タンパク質と鉄をたっぷり摂れば心と体はみるみる軽くなる!』藤川徳美

 ・現実の虚構化

『コレステロール値が高いほうがずっと長生きできる』浜崎智仁

 コレステロールとスタチン(訳注:世界中でもっとも売られているコレステロール低下薬、総称名)の問題は、どう見ても、途方もない医学的・科学的詐欺である。しかも現代社会、ポストモダン社会で前例のない詐欺である。これが私の結論だ。
 大多数の専門家や一般大衆に非常識な考えを認めさせるために、恐ろしく手の込んだプロパガンダと情報操作が行われたのである。(序文)

【『コレステロール 嘘とプロパガンダ』ミッシェル・ド・ロルジュリル:浜崎智仁〈はまざき・ともひと〉訳(篠原出版新社、2009年)以下同】

 コレステロール値が低ければ低いほどよいとする考えを支持する科学的データはないという。つまりコレステロールという名の悪魔を作り出すことに製薬会社は成功したわけだ。当たり前のことだが薬はもともと毒である。健康な人が服用することはない。毒をもって毒を制すのが薬の役割だ。著者の指摘が正しければ副作用を避けられないことだろう。

 20世紀末には、もっと手の込んだプロパガンダが登場した。これはコレステロール学説の不合理な成功を理解するうえでも興味深い。このプロパガンダのテクニックを用いた新たなマーケティングは【ストーリーテリング】と呼ばれる。この悪夢を理論的に解明しているクリスティアン・サーモンは以下のように説明している。
「人間の想像力に対してピストルを突きつけることであり、合理的理性に取って代わるしゃべる機械である…この新たな『語りの秩序』は、思考を罠にかけるメディア的ニュースピーク(訳注:新語法ともいう。ジョージ・オーウェルの小説『一九八四年』に描かれた架空の言語。作中の全体主義体制国家が英語を基に作っている新しい英語である。その目的は、国民の語彙や思考を制限し、党のイデオロギーに反する思想を抱かないようにして、支配を盤石なものにすることである)の創造以上のものとなるだろう。つまり、この『語りの秩序』が画一化しようとする個人とは、架空の世界に呪いをかけられ、そこに埋没した人たちなのだ。その世界では知覚は検閲され、感情は刺激され、行動や思考は枠に嵌められている」
 コレステロールの問題、およびその問題が消費者ばかりか医師の側にも引き起こした行動は――私たちの社会で今日観察される行動――この「現実の虚構化」に対する顕著な反応である。「現実の虚構化」は私たちの日常のいたるところで、日々発生している事態だ。ホワイト・ハウスの【スピン・ドクター】たちは戦争を正当化するためにイラクの大量破壊兵器をでっち上げた。一方、製薬業界の【スピン・ドクター】たちも彼らの戦争を正当化するためにコレステロールを不倶戴天の敵としてでっち上げた。バーチャル・リアリティを創り上げ、疑う能力を停止させること、これが【ストーリーテリング】によるプロパガンダの真骨頂である。

 製薬会社は「患者を消費者」に変えるマシンだ。そのために「投薬=治療」という物語を編み出す。更には病気という不安をこれでもかと煽り立て、溺れる者に藁(わら)を示すのだ。患者が望むのは治癒であるが消費者が求めるのは購入に過ぎない。しかも薬には一定のプラシーボ(偽薬)効果が認められる。恐ろしいことに高価な薬になればなるほどプラシーボ効果は高まる。つまり効果は高価というわけだ。

『一九八四年』は全体主義を戯画化した傑作だが、我々が生きる社会(群れ)は大なり小なり全体主義化を避けることができない。民主政は少数の犠牲の上に多数の幸福を築くシステムである。日本の安全保障のためには沖縄県民に我慢してもらう必要があるというわけだ。政治がわかりにくいのは政治家が「国民」を語りながら、特定の利益団体のために働いているからだ。彼らもまた「現実の虚構化」を試み、一部の問題があたかも全体の問題であるかのように絵を描き、言葉巧みに飾り立てた政策を喧伝する。財務省にとっては増税こそ正義であり、大企業にとっては安価な労働力としての移民政策が理想となる。

 政治・経済・学術・教育のありとあらゆる社会で「現実の虚構化」が繰り広げられる。最もわかりやすいのは宗教であろう。そして罪と罰を規定し幸福と恩寵を与える彼らが望むのもまたカネである。布施・寄付・賽銭・喜捨を不要とする宗教は存在しない。

 一切は経済化する。そこに流通する最大の情報は「マネー」である(『浪費をつくり出す人々 パッカード著作集3』ヴァンス・パッカード)。我々が普段考える情報はマネーにとっての付加価値でしかない。ここに「現実の虚構化」=プロパガンダの目的がある。我々は「カネがなければ生きてゆけない」と信じて疑うことがない。もはや完全なマネー教徒である。とすれば騙される度合いの問題であって、被害の大小が幸福のバロメーターと化すことだろう。