2018-12-11

核拡散防止条約(NPT)の欺瞞/『腑抜けになったか日本人 日本大使が描く戦後体制脱却への道筋』山口洋一


『敗戦への三つの〈思いこみ〉 外交官が描く実像』山口洋一

 ・核拡散防止条約(NPT)の欺瞞

『植民地残酷物語 白人優越意識を解き明かす』山口洋一

日本の近代史を学ぶ

 ところが、(※国家とは異なり)国際社会はこのような公権力によって秩序が保たれる組織化された社会ではないので、個々のメンバーである各国は、国の安全を守り、権利を保全するのに、自国の軍隊で独自に防衛したり(自衛)、腕っ節の強そうな他の国と同盟を結んでお互いに守りあう(集団的自衛)ことをしないと存立し得なくなるのである。あたかも国内社会で、公権力が機能しない無法地帯では、一人ひとりが自分自身で刀やピストルを持って自衛したり、強そうなやくざやマフィアと手を結んで安全を期するしか生き延びていかれないのと似ている。

【『腑抜けになったか日本人 日本大使が描く戦後体制脱却への道筋』山口洋一(新風舎、2007年文芸社、2008年/文芸社文庫、2013年)】

 つまり第二次世界大戦における戦勝国の権利が核保有なのだ。実にわかりやすい話である。続きを紹介しよう。

 軍事大国の身勝手な論理が、あからさまに通っている典型的な例は核拡散防止条約(NPT)である。在来兵器に比べて桁違いの威力をもつ核兵器が拡散して、各国がこれを持つようになると、世界の平和維持が著しく不安定になるどころか、それこそ地球が木っ端微塵になり、人類全体の破滅を招く事態となりかねない。核兵器がテロリストの手に渡る危険も増大する。

 今日、人類が到達した科学技術の水準からすれば、国が核兵器を持っているかどうかは、刀やピストルを持っている人と丸腰の人との違いと変わらない。190人余りの後世ん(国家)がいる社会(国際社会)で、5人だけがピストルを持ち、他の者たちに「お前らには鉛筆削りのナイフも持たせない、素手でいろ」と命じて、監視の目を光らせ、やりたい放題の振る舞いを許しているのがこの条約なのである。しかもこの5人は国連安保理で拒否権をもった常任理事国なので、国連での重要な決定を自由自在に妨げることができ、一人が「ノー」と言えば国連は動きがとれなくなってしまう。こんな実情に国際社会からのブーイングすら起きていないのが不思議でならない。
 もっとも「核拡散防止条約」にも言い分はある。これがなければ190人余りのそれぞれが、各自飛び道具を手にして争うことになり、そうなると大変なことになる。地球が破滅してしまうという理屈だ。だから、核兵器保有国が悪兵器を他国に移譲しない義務を負い(NPT条約第1条)、核保有国が核兵器を受領せず、製造せず、製造について援助を求めたり、受けたりしないと約束すること(同第2条)は、重要であるように思える。
 確かに、無制限、無秩序に核軍備競争が進む状況に比べれば、なんらかの歯止めがあった方がいいという理屈は、一見もっともに聞こえる。しかし飛び道具を独占している5人が「正義」を実現してくれるという保証はどこにもない。彼が唱える「正義」は、彼らの独善による身勝手な言い分に過ぎず、彼ら自身が「ならず者国家」に変身する危険は常に覚悟していなければならない。

 ここで忘れてならないのは、飛び道具独占を正当化するこの理屈は、あくまで最終的には、核兵器保有国も核兵器廃絶に向かうことを前提にしたものだということである。そうでなく、保有国が未来永劫に核兵器を保有し続けるのであれば、軍事面における保有国の、非保有国に対する有利な立場を決定的に固定化してしまうこととなる。
 現にNPT条約の前文には「……核兵器の製造を停止し、並びに諸国の軍備から核兵器及びその運搬手段を除去することを容易にするため、国際間の緊張の緩和及び諸国間の信頼の強化を促進することを希望し、……」この条約を締結することが謳われており、また第6条には「各締約国は、各軍備競争の早期の停止及び各軍備の縮小に関する効果的な措置につき、並びに厳重かつ効果的な国際管理の下における全面的かつ完全な軍備縮小に関する条約について、誠実に交渉を行うことを約束する」と明記されている。
 ところが、この世から核兵器が廃絶に向かう気配は一向にない。

 軍事力があればどのような理窟でも通ってしまう。国際社会といっても所詮は力が支配するのである。力がなければ崇高な理念も絵に描(か)いた餅だ。

 かつてNPT条約に関心を抱いたことは一度もなかったが、このように説明されるとその理不尽さがひしひしと伝わってくる。かような状況を打ち破るためには新たな世界大戦を待つ他ないような気がする。

 核保有国に常識や公正さがあればもちろん戦争する必要はない。だが彼らが増長し、覇権を拡大しようと非保有国に爪を伸ばす時、有事が勃発することはあり得る。特に昨今は中国の動きが活発化しており、南シナ海や尖閣諸島あたりで戦火の上がる確率が高い。

 北朝鮮と中国という脅威がありながらも日本の国会ではまともな防衛議論が行われていない。野党は学校の許認可や土地売買の質問に終始している。憲法改正の気運も低迷しつつある。

 核拡散防止条約がどれほど欺瞞に満ちていようとも直ちにゲームのルールを変えることはできない。とすればしばらくの間は日米安保を重視するのが正道なのだろう。

腑抜けになったか日本人 日本大使が描く戦後体制脱却への道筋
山口 洋一
文芸社
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ソ連の予審判事を怒鳴りつけた石原莞爾/『石原莞爾 マッカーサーが一番恐れた日本人』早瀬利之


『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』増田俊也

 ・天才戦略家の戦後
 ・ソ連の予審判事を怒鳴りつけた石原莞爾

『昭和陸軍謀略秘史』岩畔豪雄

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 5月27日は、ソ連の予審判事が3人やってきた。陰湿な男で、いきなり満州事変について質問した。
 石原は昭和8年ジュネーブでの国際連盟臨時総会に出席する途中、招かれてソ連のエゴロフ総参謀長と会ったことを話した。するとソ連の検事は顔色を変え、一瞬言葉に詰った。相手が余りにも大物だったからである。
 ソ連の検事は「国体」について尋問した。石原は「天皇中心とした国家でなければ日本は治まらない」と理由を説明した。ところが共産党国家の検事はせせら笑って、スターリンのソ連国体を持ち出した。その時、石原はムッとして、
「自分の信仰を知らずして、他の信仰を嘲笑うような下司なバカ野郎とは話したくない。帰れ!」と激怒した。通訳官が慌てて、「この人は、ソ連では優秀な参謀です。話をすれば分かると思います。ぜひ進めてください」と頼んだ。
 すると石原は、「バカなことを言うな。こんなのはソ連では参謀で優秀かも知れんが、日本には箒で掃き出すほどいる。こんなバカとは口をききたくない、帰れ」と突っぱねた。
「分かるように話してやる。君らはスターリンといえば絶対ではないか。スターリンの言葉にはいっさい反発も疑問も許されないだろう。絶対なものは信仰だ。どうだ判ったか。自分自身が信仰を持っていながら、他人の信仰を笑うようなバカには用はない。もう帰れ」
 それきり、石原は口を固く閉じた。

【『石原莞爾 マッカーサーが一番恐れた日本人』早瀬利之(双葉新書、2013/双葉文庫、2016年)】

 天才とは規格外の才能を意味する。凡人が理解できるのは秀才までで天才が放つ光は時に「狂」と映る。やや礼賛に傾きすぎていて人物の描き方は浅いと言わざるを得ないが、それでもかつての日本にこうした人物がいたことを知る必要があろう。

 石原莞爾〈いしわら・かんじ〉は満州事変の首謀者で、1万数千名の関東軍を率いて23万人を擁する張学良〈ちょう・がくりょう〉軍を打ち破った。その名は軍事的天才として世界に知れ渡った。二・二六事件では単身で鎮圧に乗り出し、凄まじい剣幕で反乱軍兵士を怒鳴りつけ、青年将校にピストルを突きつけられても微動だにすることがなかった。

 二・二六事件のとき、石原は東京警備司令部の一員でいた。そこに荒木貞夫がやって来たとき、石原は「ばか! お前みたいなばかな大将がいるからこんなことになるんだ」と怒鳴りつけた。荒木は「なにを無礼な! 上官に向かってばかとは軍規上許せん!」とえらい剣幕になり、石原は「反乱が起こっていて、どこに軍規があるんだ」とさらに言い返した。そこに居合わせた安井藤治東京警備参謀長がまぁまぁと間に入り、その場をなんとかおさめたという。

Wikipedia

 後に昭和天皇は「一体石原といふ人間はどんな人間なのか、よく分からない、満洲事件の張本人であり乍らこの時の態度は正当なものであった」と述懐している(『昭和天皇独白録 寺崎英成御用掛日記』文藝春秋、1991年)。

 石原は満州国を建国した後は一貫して平和主義者の態度を変えていない。しかしながらさすがの彼も関東軍の暴走を抑えることはできなかった。ここが凡人にはわかりにくいところである。暴走した石原の腹心は石原の行動に倣(なら)っているつもりであったのだ。

 大東亜戦争の戦線拡大に反対し続けた石原は遂に犬猿の中であった東條英機〈とうじょう・ひでき〉の暗殺にゴーサインを出す。その時刺客を務めることになったのが木村政彦であった(『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』増田俊也)。また東京裁判の酒田出張法廷に出廷する際、病に伏していた石原をリヤカーに乗せて運んだのは大山倍達〈おおやま・ますたつ〉であったと伝えられる。

 極端から極端へと走る姿がいかにも日蓮主義者らしい。同時期の国柱会信者には宮沢賢治がいた。

2018-12-09

大東亜戦争は武士の時代から商人の時代へと日本を変えた/『日本永久占領 日米関係、隠された真実』片岡鉄哉


『國破れて マッカーサー』西鋭夫
『日本の秘密』副島隆彦

 ・大東亜戦争は武士の時代から商人の時代へと日本を変えた

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 総体的に、日本の保守政治は、選挙区への利益誘導と、その海外への延長である利権ばら撒きしかないのである。それ以外のことは無関心で、全部アメリカに任せてある。
 いま、ブッシュ政権に憎悪され敵視されているのは、この体制なのである。
 日本は悪いことはしないと誓いを立て、悪いことを避けるのを最大限の目標にして生きてきた。戦争は最大の悪だから、絶対これを避ける。自衛の戦争は、することになっているが、領海3マイルから外では、何が置きても関知しない。これを国家の最大限の目標にしてきたのである。
 そうしているうちに、日本は萎縮した。矮小化した。卑俗化した。気品を失った。
 大きなこと、美しいこと、善いこと、勇敢なこと、ノーブルなこと。これらのすべてを日本は拒否するようになったのである。
 戦争と軍隊は手段であり、悪にも善にも奉仕する。ところが、日本人は、戦争と軍隊を悪に見立てることによって、【悪と善の双方を避けるようになったのである】。

【『日本永久占領 日米関係、隠された真実』片岡鉄哉〈かたおか・てつや〉(講談社+α文庫、1999年/講談社、1992年『さらば吉田茂 虚構なき戦後政治史』の改訂増補版)】

 ノーブル(noble、英語)とは高貴さのこと。ノブレス・オブリージュ(noblesse oblige、高貴なる者の義務)のノブレス(フランス語)と同じ意味だ。

 片岡鉄哉のスケッチは実にわかりやすい。55年体制が自民党内に腐敗を生み、社会党は時代の変化に対応することなく野党の位置に甘んじてきた。この体制を38年間にわたって国民は支持した。かつては武士道のイメージで見られた日本人は、貧相な顔と体そして眼鏡とカメラというアイコンに変わり果てた。戦時中から敗戦後に抱えた「生活さえよければ」との願望はバブル景気に至っても止(や)むことがなく、バブル崩壊後長い低迷期を経てますます強くなっている感がある。日本人が目指したのは飽食だったのだろう。国家を顧みる人はいなかった。

 大東亜戦争は武士の時代から商人の時代へと日本を変えた。経済的成功者を英雄と見なす風潮がはびこった。政治家や官僚、学者や僧侶までもが商人と堕した。いかにマネーを獲得するかというゲームが現代の狩猟である。

 かつては投資=利殖ではない時代があった。タニマチのような存在が各所にいた。まだ若く貧しかった勝海舟を見込んだ渋田利右衛門〈しぶた・りえもん〉は初めて会ったその日に200両もの大金を渡して「あなたの好きな本を買って、読み終えたら私に送って下さい」と申し出た(『氷川清話』勝海舟:江藤淳、松浦玲編)。かような金満家は現在いるだろうか?

『世界!ニッポン行きたい人応援団』を見ると、日本の伝統工芸が落ちぶれてゆく様子がありありとわかる。売れない物は淘汰されてゆくのが資本主義の原則である。篤志家がいないのであれば国が補助金を出すべきだと思うのだが、クールジャパンに出すカネはあっても伝統工芸に回すカネはないようだ。

 人を育て才を伸ばすために喜捨されたカネがどれほど日本を豊かにしてきたことか。現代のスポンサーシップはメディアに向かってのみ発揮される。新聞・テレビが新たな利殖の温床と化し、広告代金を分配するシステムが構築されている。芸人と呼ぶのも躊躇(ためら)われるようなお笑いタレントが数千万円~数億円もの年収を稼ぐ時代となった。世も末である。

2018-12-07

片岡鐵哉『さらば吉田茂』の衝撃/『日本の秘密』副島隆彦


『暴走する国家 恐慌化する世界 迫り来る新統制経済体制(ネオ・コーポラティズム)の罠』副島隆彦、佐藤優

 ・片岡鐵哉『さらば吉田茂』の衝撃
 ・『田中清玄自伝』は戦後史の貴重な資料

『日本永久占領 日米関係、隠された真実』片岡鉄哉
『國破れて マッカーサー』西鋭夫

 国立公文書館に通うかたわら、私はワシントンのいわゆる“Kストリート”と呼ばれる地区に散在する戦略研究所(シンクタンク)を回って、紹介者を介して東アジア専門の戦略研究の学者・研究員たちの部屋を訪ねた。
 そのうちのひとつであるケイトリー研究所の安全保障問題(ナショナル・セキュリティ/軍事・防衛)の責任者であるテッド・ガレン・カーペンターに面会して話した。そのとき「自分は今、敗戦直後の国務省の対日本占領政策関係の文書を読んでいる」と私が話すと、「日本人学者の本でいい本があるぞ。それはカタオカという人の本だ。知らないのか」と教えられた。その本を出して来て見せてくれた。
“The Price of A Constitution,1991,by Tetuya Kataoka”という本だった。勝手に直訳すれば『ある憲法の代償』あるいは『ある政治体制が支払った代償』というタイトルの本である。
 私は東京に帰ってからこの本には邦訳があることを知った。『さらば吉田茂』(文藝春秋、1992年刊)である。著者の片岡鐵哉(てつや)氏はスタンフォード大学フーバー研究所上級研究員である。前は筑波大学や埼玉大学の教授をしておられた。(中略)
 私はこの本を読んで驚愕した。読みながら本当に手足が震えるのを感じた。自分が知りたかった日本の敗戦後の政治秘話が正確に書かれていたからだ。

【『日本の秘密』副島隆彦〈そえじま・たかひこ〉(弓立社、1999年/PHP研究所新版、2010年)】

 副島隆彦は『日本の秘密』で本書を取り上げ、「自民党内の凄まじい権力闘争」と書いているが、私はそうは思わない。むしろ敗戦後、国体を守ることができた事実に安堵し、瑣末な駆け引きの中で安全保障を見失ったように見える。やはり敗戦のショックが日本をバラバラにしたのだろう。民主化の虚しさを感じてならなかった(読書日記)。片岡本の読後感想だが今となっては思い出すことも難しい。スタンフォード大学フーバー研究所つながりで西鋭夫〈にし・としお〉と併せて読むことを奨(すす)める。

 私が驚いたのはアメリカの情報収集能力の高さである。「一体どこまで網を広げているのか?」というレベルである。やはりキリスト教文化は世界を把握する意識が抜きん出ている。

 副島本を先に読んでから片岡本に取り組むのがよい。で、再び副島本を読み返す。

 戦前戦後の流れを俯瞰すると、大正デモクラシー~軍部暴走=政党政治の挫折~戦争という流れの中で外交畑出身の幣原喜重郎〈しではら・きじゅうろう〉と吉田茂が果たした役割は大きい。