2019-06-23

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2019-06-20

マネーによる民主政/『デジタル・ゴールド ビットコイン、その知られざる物語』ナサニエル・ポッパー


『エンデの遺言 「根源からお金を問うこと」』河邑厚徳、グループ現代

 ・マネーによる民主政

・『今だからこそ、知りたい「仮想通貨」の真実』渡邉哲也
『次のテクノロジーで世界はどう変わるのか』山本康正
『ビッグデータの正体 情報の産業革命が世界のすべてを変える』ビクター・マイヤー=ショーンベルガー、ケネス・クキエ
『パーソナルデータの衝撃 一生を丸裸にされる「情報経済」が始まった』城田真琴
『マインド・ハッキング あなたの感情を支配し行動を操るソーシャルメディア』クリストファー・ワイリー
『無人の兵団 AI、ロボット、自律型兵器と未来の戦争』ポール・シャーレ
『データ資本主義 ビッグデータがもたらす新しい経済』ビクター・マイヤー=ショーンベルガー、トーマス・ランジ
『アフターデジタル オフラインのない時代に生き残る』藤井保文、尾原和啓
『あなたを支配し、社会を破壊する、AI・ビッグデータの罠』キャシー・オニール
『シリコンバレー最重要思想家ナヴァル・ラヴィカント』エリック・ジョーゲンソン

情報とアルゴリズム
必読書リスト その三

 新しいタイプの通貨を創るなどという考えは、多くの人には奇異で無意味な企てに思えるだろう。現代に生きるほとんどの人は当たり前のように、通貨とは各国が発行する紙幣や硬化だと思っている。通貨を発行する権限こそ、国家の有するもっとも重要な力の一つであり、それはバチカン市国やミクロネシアなどの小国であっても変わらない。
 しかし、これは比較的新しい現象なのだ。アメリカも南北戦争までは流通している貨幣の多くは民間銀行が発行したものであり、多種多様な貨幣が混在していた。そして発行元の銀行が倒産すれば紙屑になった。当時は多くの国が、他国が発行した硬貨を使っていた。
 金(きん)、貝殻、石片、桑白皮(ソウハクヒ)など、人類が飽くことなく通貨のよりよい形態を探すなかでは、こうした状況が長いあいだ続いてきた。
 通貨のよりよい形態を探すことは、身のまわりのモノの価値を測るための、より信頼性の高い、そして統一的方法を見つけることである。材木1本、1日分の大工仕事、森を描いた絵画など、さまざまなモノの価値を信頼性のあるかたちで比較できる単一の指標である。社会学者ナイジェル・ドッドの言葉を借りれば、よい通貨とは「さまざまなモノの質的違いを量的違いに転換し、交換できるようにするもの」だ。
 サイファーバンクのめざす通貨は、通貨のもつ標準化という特徴をとことん追求し、どこでも使える普遍的なものった。国境を越えるたびに両替しなければならないなどの制約の多い国ごとの通貨とは違う。

【『デジタル・ゴールド ビットコイン、その知られざる物語』ナサニエル・ポッパー:土方奈美〈ひじかた・なみ〉訳(日本経済新聞出版社、2016年)以下同】

 読んで直ぐ必読書に入れた。しばらくして外した。ビットコインの理念は崇高なものだが現在の金融システムを支配している連中が黙って見過ごすわけがない。実際に私は本書を読んで仮想通貨を購入し、更に渡邊本を読んでから売却した。直後に私が利用していた取引所のZaifで不正アクセスによる70億円の不正出金が発覚した。

 大衆消費社会では神を信じる人も神を信じないも、お金の価値だけはしっかりと信じている。マネーこそは現代の神であり誰もが疑うことのない常識だ。ところが我々は財布の中の紙幣や硬貨がどのような仕組みで生まれているかを知らない。金融機関に勤めている人でも信用創造を理解する人は稀だ。

 1971年8月15日のニクソン・ショックによってブレトン・ウッズ体制は崩壊した。兌換(だかん)紙幣の終焉はマネーの仮想化を意味する。金(ゴールド)の裏づけを失った紙切れを信用の名の下で交換する行為はまさに宗教的である。

 エリックがビットコインの世界に飛びこんだ理由はカネであってカネではなかった。フェイスブックの投稿でビットコインの存在を知った直後から、その価値が天文学的ペースで成長するだろうと予測できた。しかしそうした成長は、ビットコインの複雑なソースコードによって、ウォール街の金融機関や各国政府など既存の権力構造が覆(くつがえ)された結果、実現するものだとずっと信じていた。インターネットが郵便制度やメディ業界にもたらした変化が、金融世界でも起きると思っていた。ビットコインが成長すれば金持ちになれるだけでなく、政府が勝手に戦争にカネを出すようなまねはできなくなり、個人が自分のおカネと運命を管理できる、もっと正しく平和な社会が実現するのだと見ていた。

 つまりビットコインの理念はマネーによる民主政といってよい。インターネットは距離と時間の革命であった。通貨を管理するのは国家であり、国内で使用すれば税が課され、外国と取引すれば為替レートに振り回され、更に両替手数料が発生する。第二次世界大戦以降は米ドルが基軸通貨となっておりオイルや兵器の支払いは米ドルで行われれる。サダム・フセインは原油のユーロ決済を認めたことで殺された。

「お金とは何か?」を我々は教えられてこなかった。税についても同様である。日本国憲法では納税が国民の義務と規定されているが、政府や官僚には何の義務も課されておらず血税を湯水の如く無駄遣いする温床となっている。

 アメリカの金融とメディアを牛耳っているのはユダヤ資本である。アメリカの中央銀行であるFRB(連邦準備銀行)は日銀などとは異なり完全な民間会社である。アメリカ政府は一株も持っていない。FRBがドルを印刷して米国債を購入する。FRBは紙と印刷代だけで国債の利息を手に入れるのである。つまり発行されるドルはそのまま米国民の債務となる。銀行券ではなく債券証書なのだ。

 大統領のリンカーンやケネディは政府による通貨発行を企てて暗殺された。とすればビットコインがどれほど優れた技術に裏づけられたとしてもドル基軸体制を揺るがすことは考えにくい。

 正真正銘の良書である。ただし仮想通貨には手を出すな。

2019-06-18

地獄の牧馬峠(相模湖側)


牧馬峠に挨拶
牧馬峠(道志みち側)を制覇

 ・地獄の牧馬峠(相模湖側)

雨の牧馬峠

 敢えて昨日一日を疲労回復のために空けて早朝5:00前に出発した。途中で太陽が顔を出したがまだ肌寒い。ペダルを踏む脚も何となく重かった。


【宮ヶ瀬湖。朝早く手前はまだ暗い】


 ファミリーマート津久井宮が瀬店で補給。道路を登ってくるダンプカーが多い。しかも運転が荒っぽい。いつも食べているミニシュークリームが売り切れていたため気分が優れない。当初は意気揚々と牧馬峠を往復するつもりであったが道志みち側から攻めると明らかに形勢は不利だ。三ケ木(みかげ)から相模湖側を目指すことにした。


【串川】

 反対側の牧馬峠(まきめとうげ)は地獄と化した。「よもや彼女にこんな裏の顔があったとは……」――そんな気分になった。最初の厳しさはまだ受け容れられるものだった。そして恐れていた輪っか(真空コンクリート滑り止め舗装)が現れた。



 それまで振るわれていたのは愛の鞭であったが、ここからはSMプレイの鞭に変わった。「さほど長くないはずだ」と思ったのは下り道の錯覚だった。速度は4km台前半。歩くスピードと変わらない。ちょっとよろめくと足を着いてしまうだろう。輪っかの振動が登坂を一層困難にする。ローソクを垂らされているような感覚に陥る。牧馬峠が「ひざまずいて私の足をお舐め」と囁いた。辛うじて呼吸法は保っているが酸欠で目眩(めまい)がした。と、その時、峠の看板が見えた。一羽の鳥が低い位置を滑空してきて道路に留まった。生まれて初めて見るオオルリだった。世一〈よいち〉が出迎えてくれたのだろうか(『千日の瑠璃』丸山健二)。私にとっては忘れ得ぬドラマとなった。

 峠で止まることなく一気に下った。道志みち手前では長い上り坂が待ち構えている。


【青馬橋(あおばばし)から道志川を見下ろす】


 最後の坂は大したことがなかった。最近多いのだが峠道を走っているとサグ部で登りの勾配が急に見える。眼の錯覚だと思うが「あちゃー」とか「ドッヒャ~~っ」と口にする割には意外とすんなり走れてしまうのだ。

神奈川県のヒルクライムランキング

 私の実感とはかなり違う。折角なんで発表しておこう。

 1位 牧馬峠(相模湖側)
 2位 半原越往復(愛川町から)
 3位 半原越(愛川町経由)
 4位 牧馬峠(道志みち側)
 5位 大山
 6位 土山峠
 7位 半原越(清川村経由)
 8位 八菅神社
 番外 相模野カントリークラブ(道路崩落のため途中までしか登れず)

 断トツで牧馬峠(相模湖側)がきつい。帰宅後シャワーを浴びて横になったら2時間も寝ていた。腕には薄くじん麻疹が出ていた。疲労困憊というよりはボロボロである。何もする気が起きない。このまま廃人になるかもしれない。

牧馬峠[相模湖]~勾配12%の看板に騙されてはいけない

2019-06-16

牧馬峠(道志みち側)を制覇


牧馬峠に挨拶

 ・牧馬峠(道志みち側)を制覇

地獄の牧馬峠(相模湖側)

 何か食べてから出発しようと思ったのだが、卯の花(おから)しかなかった。冷凍にした魚と野菜はあるが調理をするのが面倒だ。朝食は卯の花とコーヒー2杯で終了。もちろん砂糖は多目に入れる。

 今日はサイクリストが多かった。土山峠で30人ほどに抜かれた。みんな速いよね。まあ、いい。他人と競争しているわけではないのだから。脚が少し出来てきた実感はあるのだが、どうも土山峠が楽にならない。とにかく自分で編み出した呼吸法をしっかりと意識し、フォームを崩さず、蟻を踏まないよう細心の注意を払いながら登っていった。

 ファミリーマート津久井宮が瀬店で補給をしようとしたところ物凄い人で賑わっていた。満員御礼だ。自転車ラックにはロードバイクがずらりとぶら下がり、外のテーブルではカラフルなサイクルウェアを身にまとったローディー達が歓談していた。人混みが苦手なので通り過ぎた。県道64号と道志みちの丁字路にある自販機コーナーも人で溢れていた。「確かこの先にセブン-イレブンがあったはずだ」と牧馬峠入口をやり過ごして道志みちを走った。

 どんどん人里離れて周囲は明らかに山また山となった。


 この橋を見て「まずいな」と呟いた。間もなく神奈川と山梨の県境に差し掛かる。しっかりと地図を確認しなかった私が悪い。何となく見た覚えはあったのだが(帰宅して確認したところ、もうちょっと先だった)。取り敢えず引き返した。補給しないと大変なことになる。通りすがりにチェックしていた自動販売機ですかさずコカ・コーラを飲んだ。

 折角だから牧馬峠(まきめとうげ)を途中まで行ってみることにした。コカ・コーラには角砂糖10ヶ分ほどの糖分が入っているからハンガーノックにはなるまい。最初は緩い下りが続く。下り切ると結構な坂が立ちはだかる。慎重にゆっくりとペダルを踏む。左側はほぼ崖である。時折清流が見える。途中から下りとなった。「エ、もう終わり?」と思いきや、その先にまだ登りがあった。峠の位置がわからないので騙し討ちに遭う。

 何とか登り切った。この峠はインターバルがあるのでトレーニングにうってつけだ。半原越よりも情けを感じた。峠から相模湖方面に向かった途端、輪っかのコンクリート舗装が続く。これは逆方向からの方がはるかにきつそうだ。


【沢の跡】



【沢の跡から見上げた空】



【篠原川】


 道路脇を篠原川が流れており涼風が肌を冷やしてくれる。ガードレールがないため少しハンドル操作を誤れば渓流の中に突っ込むことも可能だ。峠を越えた後もアップダウンが続く。



 あまり綺麗に撮れてないのだが、どうもこういう景色に騙されてしまうんだよね。木々の隙間から空が見えたら普通は頂上だと思うわな。

 国道412号に出ると正面にさがみ湖リゾート プレジャーフォレストの高速インターみたいな入口が見えた。国道を南下し最初に見つけたファミリーマートで補給をする。一息ついた途端、極度の疲労に襲われた。意を決してサドルにまたがる。

 412号は無情にも登りで私を迎え入れた。一瞬だが生まれてきたことを後悔した。きつい、辛い、苦しい。「生きることは苦である」というのが仏教の命題である。「何のために走っているんだ?」と自分に問いかけながら、「走るために走ってんだよ!」と即答する自分がいる。

 今日は6時間で85km。今はまだ距離よりも坂を優先したい。

しおいんですけど : 峠超えたら雪国、 “ヒルクラわんこそば”の末に現れた牧馬峠に挑む!!

2019-06-15

マッカーサー「東京裁判は間違いだった」/『パール判事の日本無罪論』田中正明


『アメリカの鏡・日本 完全版』ヘレン・ミアーズ
・『東京裁判とその後 ある平和家の回想』B・V・A・レーリンク、A・カッセーゼ
・『東京裁判 フランス人判事の無罪論』大岡優一郎

 ・マッカーサー「東京裁判は間違いだった」

・『ゴーマニズム宣言SPECIAL パール真論』小林よしのり
・『パール博士「平和の宣言」』ラダビノード・パール
・『共同研究 パル判決書』東京裁判研究会
・『東京裁判 全訳 パール判決書』ラダビノード・パール

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 この裁判を演出し指揮したマッカーサーは、裁判が終わって1年半後、ウェーク島でトルーマン大統領に「この裁判は間違いだった」と告白し、さらに3年後の5月3日、アメリカに戻って上院軍事外交委員会の席上で、「日本があの戦争に飛び込んでいった動機は、安全保障の必要に迫られたためで、侵略ではなかった」と言明したのである。

【『パール判事の日本無罪論』田中正明(小学館文庫、2001年/小学館新書、2017年/慧文社、1963年『パール博士の日本無罪論』改題)】

 小学館文庫は巻頭に小林よしのりの「推薦のことば」があり、新書の新版には百田尚樹の解説がある。腑に落ちない改版だ。皇位継承の女系容認をしたあたりから小林のファンが離れた経緯はあるにせよ、『戦争論』『天皇論』の功績を無視することはできない。

 ウェーク島会談は1950年10月15日に行われた。米国議会上院の軍事外交合同委員会の聴聞会は1951年5月3日のこと。東京裁判(極東国際軍事裁判)が終わったのは1948年11月12日である。

 これは原文でわずか4行のテキストだが説明能力に問題があり、しかも誤謬が紛れ込んでいる。マッカーサーが「侵略ではなかった」と言明した事実はない(対訳 マッカーサー証言)。せめて括弧書きにするべきである。田中正明は松井石根〈まつい・いわね〉大将の秘書を務めた人物で、南京大虐殺が嘘の歴史であることを証明しようと精魂を傾けた(『「南京事件」の総括』他)。多分そうした強い思いが筆を滑らせてしまうのだろう。気持ちはわからないでもない。だが「文を書く行為」に慎重さを欠いてしまえば、嘘を批判するために嘘をつくような真似となってしまう。

 中島岳志〈なかじま・たけし〉が『パール判事 東京裁判批判と絶対平和主義』(白水社、2007年/白水Uブックス、2012年)で「パール判決書は日本無罪論ではない」と主張した。ここに「パール判決論争」が勃発した。

 中島岳志は山口二郎の弟子で、リベラル保守を名乗りながら日本共産党を応援するような手合いである。私は9年前に中島のツイッターをフォローしていたのだが少し経って「ああ、これはダメだな」と気づいた。その後、師匠の山口二郎が大きく左旋回し「アベ政治を許さない!」とやり出す。私の鼻が「尊皇の精神を語る佐藤優」と同じ匂いを嗅ぎ取った。2ちゃんねらーからは「善人面したひき逃げ詐欺師」「飛んで火に入る生け贄詐欺師」「保守ヲタクの薄らサヨク詐欺師」「逃走する新進気鋭詐欺師」と呼ばれているようだ(笑)。

amazonレビュー:星1つ評価

「この本には、戦後世代を覚醒させる力がある」(小林よしのり)。同感だ。少々の誤謬(ごびゅう)があったとしても、やはり本書は読んでおくべき一書である。日本人であればラダビノード・パールという恩人を知らずに生きることは許されないと思う。

 パール判事の死去に際し、田中は次のように詠んだ。「汝(な)はわれの子とまで宣(の)らせ給ひける 慈眼の博士京に眠りぬ」。「君は私の子だ」とまで寄せた信頼を軽んじてはなるまい。

 検索したところ有益な資料が多いため、ここからは他人の褌(ふんどし)で相撲を取る。

 10月15日にウェーク島で、トルーマンとマッカーサーは朝鮮戦争について協議を行った。トルーマンは大統領に就任して5年半が経過していたが、まだマッカーサーと会ったことがなく、2度にわたりマッカーサーに帰国を促したが、マッカーサーはトルーマンの命令を断っていた。しかし、仁川上陸作戦で高まっていたマッカーサーの国民的人気を11月の中間選挙に利用しようと考えたトルーマンは、自らマッカーサーとの会談を持ちかけ、帰国を渋るマッカーサーのために会談場所は本土の外でよいと申し出た。トルーマン側はハワイを希望していたが、マッカーサーは夜の飛行機が苦手で遠くには行きたくないと渋り、結局トルーマン側が折れて、ワシントンから7,500 km、東京からは3,000kmのウェーク島が会談場所となった。

 トルーマンが大いに妥協したにもかかわらず、マッカーサーはこの会談を不愉快に思っており、ウェーク島に向かう途中もあからさまに機嫌が悪かった。同乗していた韓国駐在大使ジョン・ジョセフ・ムチオに、「(トルーマンの)政治的理由のためにこんな遠くまで呼び出されて時間の無駄だ」と不満をもらし、トルーマンが自分の所(東京)まで来てしかるべきだと考えていた。トルーマンの機を先に着陸させるために島の上空でマッカーサー機が旋回していた、会談に1時間遅れて到着したためトルーマンが激怒して「最高司令官を待たせるようなことを二度とするな。わかったか」と一喝したなどのエピソードが流布されているがこれは作り話である。実際にはマッカーサーはトルーマン機の到着を滑走路上で出迎え、そのまま共に会談が行われた航空会社事務所に向かっている。

 その後の会談ではマッカーサーが、「どんな事態になっても中共軍は介入しない」「戦争は感謝祭までに終わり、兵士はクリスマスまでには帰国できる」と言い切った。トルーマンは「きわめて満足すべき愉快な会談だった」と言い残して機上の人となったが、本心ではマッカーサーの不遜な態度に不信感を強め、またマッカーサーの方もよりトルーマンへの敵意を強め、破局は秒読みとなった。

ダグラス・マッカーサー - Wikiwand

 マッカーサーは52年の大統領選に共和党から出馬し、民主党候補として再選を狙うであろうトルーマンを完膚なきまでに叩き潰す腹づもりだったのだ。演説でも「私の朝鮮政策だけが勝利をもたらす。現政権の政策は長く終わりのない戦争を継続するだけだ」とトルーマンを批判した。

 米国内のマッカーサー人気は絶大だった。愛機「バターン号」がサンフランシスコに到着した際は50万人以上が出迎え、ワシントン、ニューヨーク、シカゴ、ミルウォーキーの各地で行われたパレードには総勢数百万人が集まった。逆に「英雄」を解任したトルーマンに世論は冷ややかで、マッカーサーの第二の人生は順風満帆に見えた。

   × × ×

 米上院軍事・外交合同委員会はマッカーサーを聴聞会に召喚した。テーマは「極東の軍事情勢とマッカーサーの解任」。背景にはトルーマン政権に打撃を与えようという共和党の策謀があった。

 マッカーサーは快諾した。大統領選の指名争いに有利だと考えたからだ。狙い通り、世界中のメディアが聴聞会の動向に注目し、事前から大々的に報じた。

 5月3日の聴聞会初日。証言台に立ったマッカーサーは質問に誠実に応じ、1950年6月に勃発した朝鮮戦争の経緯をよどみなく説明し続けた。

 質問者の共和党上院議員、バーク・ヒッケンルーパーは「赤化中国を海と空から封鎖するという元帥の提案は米国が太平洋で日本を相手に勝利を収めた際の戦略と同じではないか」と質した。

 マッカーサーの戦略の正当性を補強するのが狙いだったが、マッカーサーの回答は予想外だった。

「日本は4つの小さい島々に8千万人近い人口を抱えていたことを理解しなければならない」

「日本の労働力は潜在的に量と質の両面で最良だ。彼らは工場を建設し、労働力を得たが、原料を持っていなかった。綿がない、羊毛がない、石油の産出がない、スズがない、ゴムがない、他にもないものばかりだった。その全てがアジアの海域に存在していた」

「もし原料供給を断ち切られたら1000万~1200万人の失業者が日本で発生するだろう。それを彼らは恐れた。従って日本を戦争に駆り立てた動機は、大部分が安全保障上の必要に迫られてのことだった」

 会場がどよめいた。証言通りならば、日本は侵略ではなく、自衛のために戦争したことになる。これは「侵略国家・日本を打ち負かした正義の戦争」という先の大戦の前提を根底から覆すどころか、東京裁判(極東国際軍事裁判)まで正当性を失ってしまう。

 もっと言えば、5年8カ月にわたり日本を占領統治し「民主化」と「非軍事化」を成し遂げたというマッカーサーの業績までも否定しかねない。

 この発言は共和党の期待を裏切り、激しい怒りを買った。マッカーサー人気はこの後急速にしぼみ、大統領の夢は潰えた。

【産経新聞 2015年12月24日 【戦後70年~東京裁判とGHQ(5完)】「老兵・マッカーサーはなぜ「日本は自衛の戦争だった」と証言したのか…」石橋文登、花房壮、峯匡孝、加納宏幸、森本充、今仲信博、田中一世】

 リンクが切れているので1~4も紹介しよう。

戦後70年~東京裁判とGHQ 1
戦後70年~東京裁判とGHQ 2
戦後70年~東京裁判とGHQ 3
戦後70年~東京裁判とGHQ 4

 マッカーサーが大統領になれなかったのはこの証言が原因であったというのだ。これは知らなかった。共和党の反応は、GHQと本国の日本に対する認識の違いまで示唆しているように思われる。

 吉本貞昭著『東京裁判を批判したマッカーサー元帥の謎と真実 GHQの検閲下で報じられた「東京裁判は誤り」の真相』(ハート出版、2013年)から抄録した以下の動画も参照されたい。


 マッカーサーは絶大な権力を有していたが本国からの指示を無視できる立場ではなかった。日本の首相であった吉田茂はマッカーサーを崇拝しながらも密かに利用した。日本国民は鬼畜米英の旗を下ろしてマッカーサーに親愛の情を示した。歴史の細部は政治的行動に染まっている。そう考えると「真実の歴史」など存在しないことがわかる。ただ、嘘の歴史と新しい事実が交錯する中で我々の史観が練り上げられるのだろう。

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