2020-04-30

健康と病気はヒトの環境適応の尺度/『感染症と文明 共生への道』山本太郎


『感染症の時代 エイズ、O157、結核から麻薬まで』井上栄

 ・健康と病気はヒトの環境適応の尺度
 ・感染症とカースト制度

『感染症クライシス』洋泉社MOOK
『人類と感染症の歴史 未知なる恐怖を超えて』加藤茂孝
『続・人類と感染症の歴史 新たな恐怖に備える』加藤茂孝
『感染症の世界史』石弘之
『人類史のなかの定住革命』西田正規
『環境と文明の世界史 人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ』石弘之、安田喜憲、湯浅赳男

 農耕の開始は、それまでの社会のあり方を根本から変えた。
 第一に農耕は、単位面積あたりの収穫量増大を通して、土地の人口支持力を高めた。第二に、定住という新たな生活様式を生み出した。定住は、出産間隔の短縮を通して、さらなる人口増加に寄与した。狩猟採集社会における出産間隔が、平均4-5年であったのに対し、農耕定住社会における出産間隔は、平均2年と半減した。移動の必要がなくなり、育児に労働力を割けるようになったことが大きい。ちなみに、樹上を主たる生活場所とする他の霊長類を見てみれば、チンパンジーの平均出産間隔は約5年、オランウータンのそれは約7年となっている。

【『感染症と文明 共生への道』山本太郎(岩波新書、2011年)以下同】

 著者は医師である。俳優上がりのそそっかしい政治家と同姓同名だが誤解なきよう。

「新型コロナウイルスに負けない 私たちは人間だ」と書かれた幟(のぼり)が天神橋筋商店街に掲げられたという(産経フォト 2020-04-30)。進化論的には適応するかしないかだけのことだ。感染症や自然災害は「戦って勝てる相手」ではない。どうも日本人の精神性は「進め一億火の玉だ」から変わっていないようだ。

「農耕定住社会」という正確な記述が目を惹く。出産間隔が短くなったことが人口を増加させた事実は覚えておく必要がある。

 健康と病気は、ヒトの環境適応の尺度とみなすことができる。ここでいう環境とは、気候や植生といった生物学的環境のみでなく、社会文化的環境を含む広義の環境をいう。この考えは、次のリーバンの定義と重なる。
 「健康と病気は、生物学的、文化的資源をもつ人間の集団が、生存に際し、環境にいかに適応したかという有効性の尺度である」
 こうした考えの下では、病気とは、ヒトが周囲の環境にいまだ適応できていない状況を指すことになる。
 一方、環境は常に変化するものである。このことは、環境への適応には、適応する側にも不断の変化が必要になることを意味する。こうした関係は、小説『鏡の国のアリス』のなかで、「赤の女王」が発した言葉を想起させる。「ほら、ね。同じ場所にいあるには、ありったけの力でもって走り続けなくちゃいけないんだよ」
 環境が変化すれば、一時的な不適応が起こる。変化の程度が大きいほど、あるいは変化の速度が速いほど、不適応の幅も大きくなる。農耕の開始は、人類にとって環境を一変させるほどの出来事であった。長い時間のなかで、比較的良好な健康状態を維持していた先史人類は、農耕・定住を開始した結果、変化への適応対処に苦慮することになり、その苦慮は現在も続いている、ということなのかもしれない。

「社会文化的環境」から精神疾患が生まれる。ストレス理論の開祖はウォルター・B・キャノン(1914年)とハンス・セリエ(1936年)の二人である(『身体が「ノー」と言うとき 抑圧された感情の代価』ガボール・マテ)。PTSD(心的外傷後ストレス障害)が広く認知されるようになったのはベトナム戦争(1955-1975年)後のことだ。近代~大衆消費社会~高度情報化社会は「心の時代」と括ることができよう。

 農耕は自然を無理矢理ヒトの側に適応させる営みである。牧畜・魚介類の養殖も同様だ。ここでもまた病気を防ぐために様々な薬品が用いられる。人間の意図によって自然にかけられる負荷が自然にとってはストレスと化すのが当然だ。ブロイラーの実態を知ればケンタッキー・フライドチキンでニコニコできなくなる。

飼育密度が高すぎる日本の鶏肉(ブロイラー)

「赤の女王」は遺伝子本でもよく引用されている。マット・リドレーに『赤の女王 性とヒトの進化』という作品がある。

真実在/『いかにして神と出会うか』J・クリシュナムルティ


 ・シンボルは真実ではない
 ・真実在

『気づきの探究 クリシュナムルティとともに考える』ススナガ・ウェーラペルマ

ジドゥ・クリシュナムルティ(Jiddu Krishnamurti)著作リスト 2

 もしわれわれが神の存在を信じるならば、その信仰は確実にわれわれのおかれた環境の結果である。子供の頃から神を否定するように訓練された人々もいれば、反対にわれわれのほとんどがそうであるように、神を信じるように教育を受けている人々もいる。このようにわれわれは各自の受けた教育や育った背景に従い、また好き嫌い、希望、恐怖といった個人的傾向に従って、神についての考えを作り上げる。そのため、われわれの思考過程をはっきりと理解しないかぎり、神についての単なる観念はまったく価値がない。そうではないだろうか?
 なぜなら、われわれの思考は、好きなものを何でも投影することができるからである。思考は神を創造することも、否定することもできる。人は誰もが、自分の傾向、快楽や苦難次第で、神を発明することも破壊することもできる。したがって、思考が活動し、組み立てたり発明したりしているうちは、時間を超えたものが発見されることはけっしてあり得ない。神あるいは真実在は、考えることをやめたときに初めて見出される。

【『いかにして神と出会うか』J・クリシュナムルティ:中川正生〈なかがわ・まさお〉訳(めるくまーる、2007年)】

 再読。「真実在」という言葉があちこちに出てくるのだが見るたびにイライラさせられる。「真理」「未知のもの」「神聖なもの」ならまだしも、「真実在」とは一体何なのだ? 「reality」の翻訳なのか?(クリシュナムルティと仏教の交照 玉城康四郎氏の誤読を正す1 藤仲孝司

真実在について

 仮に真実在がイデアを志向しているのであれば、それは真我論となる。クリシュナムルティはよもや「アートマン」と語ったわけではあるまい。

 言葉は当のものではなく、言(=事)の葉であるのは当然だが、人を煙に巻くような意味不明の翻訳は訳者の知的怠慢ではないのか?

 たとえこのテキストを読んだとしても神を否定する人と神を肯定する人とがいることだろう。それほどまでに神という概念は脳を汚染している。それが仏でも宇宙人でも幽霊でも一緒だ。確認し得ないものを存在させることにおいて脳はその力を最大に発揮する。ザ・妄想装置。

 長らく「必読書」に入れておいたのだが外した。代わりに『生と覚醒(めざめ)のコメンタリー クリシュナムルティの手帖より』を入れようと考えている。

2020-04-29

アフリカで誕生した人類はなぜ北へ向かったのか?/『コロンブスが持ち帰った病気 海を越えるウイルス、細菌、寄生虫』ロバート・S・デソウィッツ


 ・アフリカで誕生した人類はなぜ北へ向かったのか?

『感染症の時代 エイズ、O157、結核から麻薬まで』井上栄
『飛行機に乗ってくる病原体 空港検疫官の見た感染症の現実』響堂新
『感染症と文明 共生への道』山本太郎
『感染症の世界史』石弘之

 一部の病気は、つねに熱帯地域にだけ発生してきた。そのすべてとはいわないまでも、大部分は寄生虫、細菌、そしてウイルスによる感染症だ。これらの病原体の多くは、蚊や巻貝など無脊椎動物との精妙な生物学的依存関係のなかで、宿主から宿主へ媒介される。(中略)
 これらの病原体が現在熱帯地域に限局しているのは、おもにその宿主の生息地域が地理的にかぎられているせいである。

【『コロンブスが持ち帰った病気 海を越えるウイルス、細菌、寄生虫』ロバート・S・デソウィッツ:藤田紘一郎〈ふじた・こういちろう〉監修、古草秀子〈ふるくさ・ひでこ〉訳(翔泳社、1999年)】

「黒人は温かい地域に住んでいるので鼻が低く横に広がっていて、白人は寒い場所で暮らしているので鼻が高くほっそりしている」。小学生のとき読んだ本にそう書かれていた。雑なイラスト付きで。私は中程度のショックを受けた。「なぜこんな簡単な事実に気づかなかったのだろう?」と。と同時に「アフリカで誕生した人類はどうして北へ向かったのか?」という疑問が群雲のように湧いてきた。約半世紀を経てやっとわかった。人類は感染症を避けて北へ向かったのだろう。目安になるのは食物が腐敗する速度だ。

 不思議なことだが日本と西欧の緯度はほぼ一致している。


 共に温暖の決め手となっているのは海流である。四季の色合いを思えば日本の気候が好ましいが、その代わり地震と津波のリスクがある。地震の少ないヨーロッパは石材を使った建築物が多い。

乾極と湿極の地政学/『新・悪の論理』倉前盛通

 倉前は更に「二十世紀以降の主要文明は、海流流線の集中点近くに栄えるであろう」という仮説のテーゼを示している(『悪の論理 ゲオポリティク(地政学)とは何か』倉前盛通)。

 色々と考え合わせると日本の首都が京都から江戸へ移ったのも得心がゆく。もしも遷都(せんと)をするなら次は東北か北海道が望ましい。無論、感染症対策だ。

 宿主(しゅくしゅ)であるヒトが長距離の移動を可能にするとウイルスも世界中に拡散する。ウイルスにとって人体は大地や海のようなものだ。科学技術によってウイルスを撲滅するよりは、ウイルスに適応する進化を遂げるのが自然の摂理にかなっているだろう。

2020-04-27

遺伝子多様性の小さい集団は伝染病に弱い/『感染症の時代 エイズ、O157、結核から麻薬まで』井上栄


『コロンブスが持ち帰った病気 海を越えるウイルス、細菌、寄生虫』ロバート・S・デソウィッツ

 ・遺伝子多様性の小さい集団は伝染病に弱い

『飛行機に乗ってくる病原体 空港検疫官の見た感染症の現実』響堂新『感染症と文明 共生への道』山本太郎
『人類と感染症の歴史 未知なる恐怖を超えて』加藤茂孝
『続・人類と感染症の歴史 新たな恐怖に備える』加藤茂孝
『感染症の世界史』石弘之

 遺伝子多様性の小さい集団は伝染病に弱い。特にウイルス病に対して弱い。通常、人がウイルスの感染を受けても、病気に(ママ)なりやすさは個人個人で異なる。個人個人の感染に対する遺伝的感受性が異なるからである。しかし、ウイルス感染を起こしやすくする遺伝子が個人個人で同じであった場合には、そのような人々が密集して居住する都市にいったんそのウイルスが侵入したら、あっという間に感染が広がってしまう。マクニールによれば、1520年、メキシコ地域の人口は2500万から3000万であったのが、100年後には10分の1以下になってしまった。これは戦争よりも、旧世界人が持ち込んだ天然痘および麻疹による死亡の影響の方が大なのである。
 新大陸文明の次の大きな特徴は、家畜がいなかったことである。牛、山羊、羊、馬、豚はいなかった。ヒト伝染病ウイルスは、もともとは動物から来たものと考えられる。新大陸には動物から人(ママ)へうつる病原体はたくさんあるが、ヒトだけに感染するように変化したウイルスはなかった。

【『感染症の時代 エイズ、O157、結核から麻薬まで』井上栄〈いのうえ・さかえ〉(講談社現代新書、2000年)】

 感染症の本には大抵インディアンの歴史が書かれている。スペイン人を中心とするヨーロッパ人にインディアンは虐殺されたが、最も多かったのは感染症による死亡であった。家畜文明をもつヨーロッパ人はウイルスにさらされてきたのだろう。そのヨーロッパ人がアメリカで移されたのは梅毒であった。病気のフェアトレードだ。

 こうした歴史からも明らかなように感染症を起こす最大の原因は人の移動である。特に交通機関が発達してから人や食料、更には動物や昆虫の類いまでもが世界を駆け巡るようになった。日本が辺境(ヨーロッパから見て)の島国であることにネガティブな感情を抱く人も多いと思うが、人類が感染症と戦ってきた歴史を思えば海で隔てられているのは大きな利点である。また日本の国土は縦に長いため一定の遺伝子多様性があるようにも思う。

 動物由来の感染は触れたり食べることで移るケースと、ダニやノミを介して移るケースとがある。動物には害がなくとも人間を死に至らしめるウイルスも少なくない。

 ウイルスは生物と非生物の間に存在しており単独で生きることはできない。つまり人間を殺してしまえばウイルスも心中する羽目となるのだ。ウイルスと人間は共生系である。ウイルスを撲滅することは不可能ゆえ、互いに進化する他ない。

微生物の耐性遺伝子は垂直にも水平にも伝わる/『感染症の世界史』石弘之


『環境と文明の世界史 人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ』石弘之、安田喜憲、湯浅赳男
『人類史のなかの定住革命』西田正規
『人類と感染症の歴史 未知なる恐怖を超えて』加藤茂孝

 ・人口過密社会と森林破壊が感染症拡大の原因
 ・微生物の耐性遺伝子は垂直にも水平にも伝わる

『感染症の時代 エイズ、O157、結核から麻薬まで』井上栄
『感染症と文明 共生への道』山本太郎
『ワクチン神話捏造の歴史 医療と政治の権威が創った幻想の崩壊』ロマン・ビストリアニク、スザンヌ・ハンフリーズ
『病が語る日本史』酒井シヅ
『あなたの体は9割が細菌 微生物の生態系が崩れはじめた』アランナ・コリン
『心を操る寄生生物 感情から文化・社会まで』キャスリン・マコーリフ
『土と内臓 微生物がつくる世界』デイビッド・モントゴメリー、アン・ビクレー
『失われてゆく、我々の内なる細菌』マーティン・J・ブレイザー
『反穀物の人類史 国家誕生のディープヒストリー』ジェームズ・C・スコット

 抗生物質によってほとんどの細菌は死滅するが、耐性を獲得したものが生き残って増殖を開始する。細菌は抗生物質を無力化する酵素をつくりだし、自身の遺伝子の構造を変えて攻撃に耐えられるように変身できるからだ。
 とくに、人と微生物の世代交代の時間と変異の速度を考えると、抗生物質と耐性獲得のこの追いかけっこは圧倒的に微生物側に分がある。ヒトの世代交代には約30年かかるが、大腸菌は条件さえよければ20分に1回分裂をする。ウイルスの進化の速度は人(ママ)の50万~100万倍にもなる。現生人類の歴史はせいぜい20万年だが、微生物は40億年を生き抜いてきた強者(つわもの)だ。
 この耐性の獲得は「親から子へ」という「垂直遺伝」だが、非耐性の菌が別の菌から耐性遺伝子を受け取る「水平遺伝」も耐性菌の勢力拡大の強力な武器である。

【『感染症の世界史』石弘之〈いし・ひろゆき〉(角川ソフィア文庫、2018年/洋泉社、2014年『感染症の世界史 人類と病気の果てしない戦い』を加筆修正)】

 遺伝子の水平伝播は初めて知った。こりゃ、かなわんな。我々人類はウイルスに対してまず白旗を掲げるのが正しい所作なのかもしれない。

 恋愛感情を支えているのは遺伝子だ。美人(あるいはハンサム)がモテるのは顔が遺伝的優位性を示しているためだ(『なぜ美人ばかりが得をするのか』ナンシー・エトコフ)。体型も同様である。多くの男性がくびれた腰を好むが、「ウェストとヒップの黄金比率は7対10。この比率、実は女性の健康と深い相関関係がありました。この比率から離れれば離れるほど、女性は病気にかかりやすくなり、妊娠力にも深い関係があることがわかっています」(女性の魅力…男性が「腰のくびれ」を好む深い理由! | NotesMarche (ノーツマルシェ))。

 口づけの真の目的は細菌の交換にある。それでもヒトの遺伝子が水平に伝わることはない。せいぜいエピジェネティックな変化が関の山だ。

 結局のところ大小の犠牲を払いながらウイルスに適応するしか道はなさそうだ。