2020-10-12

国家と文明の深層史(ディープ・ヒストリー)を探れ/『反穀物の人類史 国家誕生のディープヒストリー』ジェームズ・C・スコット


『環境と文明の世界史 人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ』石弘之、安田喜憲、湯浅赳男
『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』ユヴァル・ノア・ハラリ
『文化がヒトを進化させた 人類の繁栄と〈文化-遺伝子革命〉』ジョセフ・ヘンリック
『文化的進化論 人びとの価値観と行動が世界をつくりかえる』ロナルド・イングルハート
『家畜化という進化 人間はいかに動物を変えたか』リチャード・C・フランシス
『親指はなぜ太いのか 直立二足歩行の起原に迫る』島泰三
『人類史のなかの定住革命』西田正規

 ・定住革命と感染症
 ・群集状態と群集心理
 ・国家と文明の深層史(ディープ・ヒストリー)を探れ
 ・穀物が国家を作る

『小麦は食べるな!』ウイリアム・デイビス
『文明が不幸をもたらす 病んだ社会の起源』クリストファー・ライアン
『お金の流れでわかる世界の歴史 富、経済、権力……はこう「動いた」』大村大次郎
『脱税の世界史』大村大次郎
・『対論「所得税一律革命」 領収書も、税務署も、脱税もなくなる』加藤寛、渡部昇一
『人類と感染症の歴史 未知なる恐怖を超えて』加藤茂孝
『感染症の世界史』石弘之
『ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来』ユヴァル・ノア・ハラリ
・『近代の呪い』渡辺京二
『シリコンバレー式自分を変える最強の食事』デイヴ・アスプリー
『医者が教える食事術 最強の教科書 20万人を診てわかった医学的に正しい食べ方68』牧田善二
『医者が教える食事術2 実践バイブル 20万人を診てわかった医学的に正しい食べ方70』牧田善二

必読書リスト その四

クロード・レヴィ=ストロースは書いている。

文字は、中央集権化し階層化した国家が自らを再生産するために必要なのだろう。……文字というのは奇妙なものだ。……文字の出現に付随していると思われる唯一の現象は、都市と帝国の形成、つまり相当数の個人の一つの政治組織への統合と、それら個人のカーストや階級への位(くらい)付けである。……文字は、人間に光明をもたらす前に、人間の搾取に便宜を与えたように見える。

【『反穀物の人類史 国家誕生のディープヒストリー』ジェームズ・C・スコット:立木勝〈たちき:まさる〉訳(みすず書房、2019年)】

 秦の始皇帝が行ったのは文字・貨幣・暦・度量衡の統一である。秦(しん)は英語のChinaとシナの語源でもある。シナという呼称については以下のページに記した。

都市革命から枢軸文明が生まれた/『一神教の闇 アニミズムの復権』安田喜憲

 レヴィ=ストロースの絶妙なエピグラフから農耕革命の欺瞞を暴く驚愕の一書である。

 定住と最初の町の登場は、ふつうは灌漑と国家が影響したものだと見られていた。これも今はそうではなく、たいていは湿地の豊穣の産物だということがわかっている。また、定住と耕作がそのまま国家形成につながったと考えられていたが、国家が姿を現したのは、固定された畑での農耕が登場してからずいぶんあとのことだった。さらに、農業は人間の健康、栄養、余暇における大きな前進だという思い込みがあったが、初めはそのほぼ正反対が現実だった。以前は、国家と初期文明はたいてい魅力的な磁石として見られ、その贅沢、文化、機会によって人びとを引きつけたと考えられてきた。実際には、初期の国家はさまざまな形態での束縛によって人口を捕獲し、縛りをつけておかなければならず、しかも群集による伝染病に悩まされていた。初期の国家は脆弱ですぐに崩壊したが、それに続く「暗黒時代」には、実は人間の福祉が向上した跡が見られることが多い。最後に、たいていの場合、国家の外での生活(「野蛮人」としての暮らし)が、少なくとも文明内部の非エリートと比べれば、物質的に安楽で、自由で、健康的だったことを示す強い証拠がある。

 人類のコミュニティが部族から国家へ【進化した】との思い込みがくっきりと浮かび上がってくる。しかも我々はそれが自然の摂理であるかのように錯覚している。テキスト中の「暗黒時代」とは国家不在の時代を意味するのだろう。つまり集団を嫌ったアウトサイダーの方が豊かな生活をしていたというのだ。そこから導かれるのは国家を成り立たせたのは奴隷の存在であることだ。

 そこである感覚が要求してくる――わたしたちが定住し、穀物を栽培し、家畜を育てながら、現在国家と呼んでいる新奇な制度によって支配される「臣民」となった経緯を知るために、深層史(ディープ・ヒストリー)を探れ、と。

 私は元々群れや集団に関心があり、人類のコミュニティがダンバー数の150人から国家に至ったのは必然であり、国家を超えるコミュニティの誕生は難しいと考えてきた。ヒトが動物の頂点に君臨したのは知恵があるためだ。腕力では動物に敵わないが人類は武器とチームワークで動物を打ち負かした。武器は手斧(ちょうな)に始まり、投石、弓矢、火、火薬、刀剣、火砲そして銃(13世紀後半、中国で誕生)へと発展した。第一次世界大戦(1914-18年)では機関銃が使われ、第二次世界大戦(1939-45年)ではミサイル(ドイツのV2ロケットが嚆矢〈こうし〉)と原子爆弾が開発された。あらゆる集団は組織化された暴力(軍隊・警察)に膝を屈する。つまり国家とは人々の暴力を制御するところに生まれるものなのだ。これが私の基本的な考えで「国家とは軍隊なり」と言えるかもしれない。ところが食糧を基軸に考えると全く異なる人類の姿が現れる。

 さらに〈飼い馴らし〉の「最高責任者」であるホモ・サピエンスについてはどうだろう。〈飼い馴らされた〉のはむしろホモ・サピエンスの方ではないだろうか。耕作、植え付け、雑草取り、収穫、脱穀、製粉といったサイクルに縛りつけられているうえ(このすべてがお気に入りの穀物のためだ)、家畜の世話も毎日しなければならない。これは、誰が誰の召使いかという、ほとんど形而上学的な問いかけになる――少なくとも、食べるときまでは。

 安定した食糧生産を支えるのは安定した労働力である。ここで考える必要があるのは狩猟・漁撈(ぎょろう)との比較だ。労働生産性からいえば明らかに農耕の方が分が悪い。労働時間はもとより、天候リスクや戦争リスクを思えば収穫までの期間が種々のリスク要因となる。すなわち農耕の背景には何らかの強制があったのだろう。

〈飼い馴らし〉は、ドムス周辺の動植物の遺伝子構造と形態を変えてしまった。植物と動物と人間が農業定住地に集まることで新しい、非常に人工的な環境が生まれ、そこにダーウィン的な選択圧が働いて、新しい適応が進んだ。新しい作物は、わたしたちがつねに気をつけて保護してやらなければ生きていけない。「でくのぼう」になってしまった。家畜化されたヒツジやヤギについてもほぼ同じことがいえて、どちらも野生種と比べると小柄だし、おとなしい。周囲の環境への意識も低く、性的二形性〔雌雄差〕も小さい。こうした文脈のなかで、わたしは、同様のプロセスがわたしたちにも起こっているのではないかと問いかける。ドムスによって、狭い空間への閉じこめによって、過密状態によって、身体活動や社会組織のパターンの変化によって、わたしたちもまた、〈飼い馴らされて〉きたのではないだろうか。

「ドムス複合体」なるキーワードが提示されるが、domesticate(飼い馴らす)された環境で育てられた家畜や農産物と、定住を開始したヒトが相互に飼い馴らされて生物学的変化を遂げてゆく様相を意味する。切り取られた自然環境の中で新たな進化――あるいは退化――が起こる。

 ではなぜ人類は農耕の道を選んだのか? 国家と文明の深層史(ディープ・ヒストリー)は見たこともない相貌を現す。

2020-10-08

群集状態と群集心理/『反穀物の人類史 国家誕生のディープヒストリー』ジェームズ・C・スコット


『環境と文明の世界史 人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ』石弘之、安田喜憲、湯浅赳男
『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』ユヴァル・ノア・ハラリ
『文化がヒトを進化させた 人類の繁栄と〈文化-遺伝子革命〉』ジョセフ・ヘンリック
『文化的進化論 人びとの価値観と行動が世界をつくりかえる』ロナルド・イングルハート
『家畜化という進化 人間はいかに動物を変えたか』リチャード・C・フランシス
『親指はなぜ太いのか 直立二足歩行の起原に迫る』島泰三
『人類史のなかの定住革命』西田正規

 ・定住革命と感染症
 ・群集状態と群集心理
 ・国家と文明の深層史(ディープ・ヒストリー)を探れ
 ・穀物が国家を作る

『小麦は食べるな!』ウイリアム・デイビス
『文明が不幸をもたらす 病んだ社会の起源』クリストファー・ライアン
『お金の流れでわかる世界の歴史 富、経済、権力……はこう「動いた」』大村大次郎
『脱税の世界史』大村大次郎
・『対論「所得税一律革命」 領収書も、税務署も、脱税もなくなる』加藤寛、渡部昇一
『人類と感染症の歴史 未知なる恐怖を超えて』加藤茂孝
『感染症の世界史』石弘之
『ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来』ユヴァル・ノア・ハラリ
・『近代の呪い』渡辺京二
『シリコンバレー式自分を変える最強の食事』デイヴ・アスプリー
『医者が教える食事術 最強の教科書 20万人を診てわかった医学的に正しい食べ方68』牧田善二
『医者が教える食事術2 実践バイブル 20万人を診てわかった医学的に正しい食べ方70』牧田善二

必読書リスト その四

 最初の文字ソースからはっきりわかるのは、初期のメソポタミア人が、病気が広がる「伝染」の原理を理解していたことだ。可能な場合には、確認された最初の患者を隔離し、専用の地区に閉じこめて、誰も出入りさせないというステップを踏んでいる。長距離の旅をする者、交易商人、兵士などが病気を運びやすいことも理解していた。分離して接触を避けるというこの習慣は、ルネサンス時代に各地の港に設置されたラザレット〔ペスト患者の隔離施設〕を予見させるものだった。伝染を理解していたことは、罹患者を避けるだけでなく、その人の使ったカップや皿、衣服、寝具なども回避したことからも示唆される。遠征から還ってきて病気が疑われる兵士は、市内に入る前に衣服と盾を焼き捨てるよう義務づけられた。分離や隔離でうまくいかなければ、人びとは瀕死の者や死亡者を置き去りにして、都市から逃げ出した。もし還ってくるとしたら、病気の流行が過ぎてから十分に期間をおいてからだった。またそうするなかで、逆に病気を辺境へと持って行ってしまうことも多かったに違いない。そのときには、また新たな隔離と逃避が行われたのだろう。わたしは、初期の、記録のない時期に人口密集地が放棄されたうちの相当多くは、政治ではなく病気が理由だったと考えてまず間違いないと思う。

【『反穀物の人類史 国家誕生のディープヒストリー』ジェームズ・C・スコット:立木勝〈たちき:まさる〉訳(みすず書房、2019年)】

 やはりコロナ禍であればこそ感染症に関する記述が目を引く。「初期のメソポタミア人」とは紀元前3000年とか4000年の昔だろう(メソポタミア文明)。恐るべき類推能力といってよい。脳の特徴はアナロジー(類推、類比)とアナログ(連続量)にあるのだろう。

 ここでの目的のために、この群集と病気の論理を適用するのはホモ・サピエンスだけにしておくが、今の例のように、この論理は、病気傾向のあるあらゆる生命体、植物、あるいは動物の群集に容易に適用できる。これは群集に伴う現象だから、鳥やヒツジの群れ、魚の集団、トナカイやガゼルの群れ、さらには穀物の畑にも同じように適用できる。遺伝子が類似しているほど(=多様性が少ないほど)、すべての個体が同じ病原菌に対して脆弱になりやすい。人間が広範に異動するようになるまでは、おそらく渡り鳥が――1カ所にかたまった営巣することや群集して長距離を移動することから――遠くまで疾患を広める主要な媒介生物だっただろう。感染と群集との関係は、実際の媒介生物による伝播が理解されるずっと前から知られていて、利用されてきた。狩猟採集民はそのことを十分にわかっていたから、大きな定住地には近寄らなかったし、各地に離れて暮らすのも、伝染病との接触を避ける方法だと見られていた。

 渡り鳥から他の動物に感染する規模は限られる。ましてその動物と人間が接触する可能性は更に限られる。人間にとって低リスクということはウイルスや微生物にとっては高リスクとなる。奴らが生き延びる可能性は乏しい。

 もう一つ別のシナリオを考えてみよう。寄生生物は宿主(しゅくしゅ)を操る(『心を操る寄生生物 感情から文化・社会まで』キャスリン・マコーリフ)。ひょっとすると寄生生物の操作によって人類は都市化をした可能性もある。リチャード・ドーキンスは「生物は遺伝子によって利用される乗り物に過ぎない」と主張した(『利己的な遺伝子』1976年)が、「寄生生物によって利用される乗り物」ということもあり得るのだ。

 定住とそれによって可能となった群集状態は、どれほど大きく評価してもしすぎにはならない。なにしろ、ホモ・サピエンスに特異的に適応した微生物による感染症は、ほぼすべてがこの1万年の間に――しかも、おそらくその多くは過去5000年のうちに――出現しているのだ。これは強い意味での「文明効果」だった。これら、天然痘、おたふく風邪、麻疹、インフルエンザ、水痘、そしておそらくマラリアなど、歴史的に新しいこうした疾患は、都市化が始まったから、そしてこれから見るように、農業が始まったからこそ生じたものだ。ごく最近まで、こうした疾患は人間の死亡原因の大部分を占めていた。定住前の人びとには人間固有の寄生虫や病気がなかったというのではない。しかし、その時期の病気は群集疾患ではなく、腸チフス、アメーバ赤痢、疱疹、トラコーマ、ハンセン病、住血吸虫症、フィラリア症など、潜伏期間が長いことや、人間以外の生物が保有宿主であることが特徴だった。
 群集疾患は密度依存性疾患ともよばれ、現代の公衆衛生用語では急性市中感染症という。

 つまり感染症は人類の業病ではなく都市化による禍(わざわい)なのだ。移動しない群れで私が思いつくのは蟻(あり)くらいなものだ。定住・農耕革命は人類を蟻化する営みなのかもしれない。

 いずれにせよ国家システムが進化の理に適っているのであれば人類は感染症と共生できるだろう。そうでなければ感染症によって死に絶えるか、あるいは国家以外のシステムを築いて生き延びるしかない。

 群集状態には感染症リスクが伴うが、群集心理には付和雷同・価値観の画一化・教育やメディアを通した洗脳などの問題があり、こちらの方が私は恐ろしい。

定住革命と感染症/『反穀物の人類史 国家誕生のディープヒストリー』ジェームズ・C・スコット


『環境と文明の世界史 人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ』石弘之、安田喜憲、湯浅赳男
『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』ユヴァル・ノア・ハラリ
『文化がヒトを進化させた 人類の繁栄と〈文化-遺伝子革命〉』ジョセフ・ヘンリック
『文化的進化論 人びとの価値観と行動が世界をつくりかえる』ロナルド・イングルハート
『家畜化という進化 人間はいかに動物を変えたか』リチャード・C・フランシス
『親指はなぜ太いのか 直立二足歩行の起原に迫る』島泰三
『人類史のなかの定住革命』西田正規

 ・定住革命と感染症
 ・群集状態と群集心理
 ・国家と文明の深層史(ディープ・ヒストリー)を探れ
 ・穀物が国家を作る

『小麦は食べるな!』ウイリアム・デイビス
『文明が不幸をもたらす 病んだ社会の起源』クリストファー・ライアン
『お金の流れでわかる世界の歴史 富、経済、権力……はこう「動いた」』大村大次郎
『脱税の世界史』大村大次郎
・『対論「所得税一律革命」 領収書も、税務署も、脱税もなくなる』加藤寛、渡部昇一
『人類と感染症の歴史 未知なる恐怖を超えて』加藤茂孝
『感染症の世界史』石弘之
『ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来』ユヴァル・ノア・ハラリ
・『近代の呪い』渡辺京二
『シリコンバレー式自分を変える最強の食事』デイヴ・アスプリー
『医者が教える食事術 最強の教科書 20万人を診てわかった医学的に正しい食べ方68』牧田善二
『医者が教える食事術2 実践バイブル 20万人を診てわかった医学的に正しい食べ方70』牧田善二

必読書リスト その四

 紀元前1万年の世界人口は、ある慎重な推定で約400万だった。それから丸5000年が過ぎた紀元前5000年でも、わずかに増えて500万人だった。新石器革命の文明的達成である定住と農業が行われていたとはいえ、これでは人口爆発とはとてもいえない。ところが対照的に、その後の5000年で世界人口は20倍の1億人超にまでなっている。このように、新石器時代への移行期である5000年間は人口統計学上のボトルネックのようなもので、繁殖レベルはほぼ横ばいだったことを示している。人口増加率が人口置換水準をわずかに(たとえば0.015パーセント)上回るだけでも、総人口はこの5000年で2倍以上になっていたはずだ。人類の生業技術は進歩したように見えるのに、長期間にわたって人口が停滞してしまったこのパラドックスの有力な説明は、疫学的に見てこの時期が、おそらく人類史上で最も致死率の高い時期だったということだ。メソポタミアの場合でいえば、まさしく新石器革命の効果によって、この地域に慢性、急性の感染症が集中し、人口に繰り返し壊滅的な打撃を与えたのである。
 ただし、考古学的記録の証拠はほとんど役に立たない。こうした病気は栄養不良と違って、その痕跡が骨に残ることはまずないからだ。思うに伝染病は、新石器時代の考古学記録で「最も声の大きい」沈黙だ。考古学が評価するのは掘出しものだけだから、この場合は、たしかな証拠を越えた部分まで推測するしかない。それでも、最初期の人口センターの多くが突如として崩壊した理由を壊滅的な伝染病だったと考えるだけの証拠は十分にある。それまで人口の多かった場所が突然、ほかに説明のつかない理由で放棄された証拠が繰り返し見つかっている。気候の悪化や土壌の塩類化によっても人口は減少すると予測されるが、そうしたことは地域全体で起こるだろうし、もっとゆっくり進むだろう。もちろんこれ以外にも、人口の多い場所が急にもぬけの殻になったり消えたりしてしまったりしたことの説明は可能だ。内戦、征服、洪水などがそうなのだが、伝染病は、新石器革命のまったく新しい群集状態によって初めて可能になったものだ。その甚大な影響は、文字記録が利用可能になって以後の時代の記述を見ても明らかだから、やはり最も有力な容疑者だろう。また、この文脈での伝染病は、ホモ・サピエンスのものだけにとどまらない。伝染病は、同じように後期新石器時代復習種再定住キャンプに閉じ込められていた家畜動物や作物にも影響した。なにかの疾患で家畜の群れや穀物畑が全滅してしまったら、疫病で人間が直接脅かされたときと同じくらいかんたんに、人口は激減しただろう。

【『反穀物の人類史 国家誕生のディープヒストリー』ジェームズ・C・スコット:立木勝〈たちき:まさる〉訳(みすず書房、2019年)】

 人類がアフリカから発祥したとすれば最も遠くまで移動したホモ・サピエンスはインディアンで、次が日本人となる。インディアンはたぶんアイヌ同様、縄文人の末裔(まつえい)だろう。アメリカへ渡ったインディアンはウイルスに晒(さら)されることが少なかった。そのためヨーロッパ人が持ち込んだ感染症によって千万単位の死亡者を出した。

 紀元前1万~5000年は日本だと縄文時代(紀元前16000~3000年)である。世界最古の土器は青森県大平山元(おおだいらやまもと)遺跡から出土したもので約1万6500年前に作られた無文土器である(No.1078 なぜ世界最古の土器が日本列島から出土するのか?: 国際派日本人養成講座)。因(ちな)みに日本列島が大陸から分離したのが2000年前である(日本海がどうしてできたか知っていますか?(海洋研究開発機構) | ブルーバックス | 講談社)。

 農耕革命・定住革命・食料生産革命を併せて新石器革命という。ここで注意を要するのは我々の思考が革命=進歩という社会主義的観念に毒されていることだ。本書は国家というメカニズムに異を唱え、人類が穀物栽培を選んだのは徴税しやすいためだったと指摘している。

 感染症は過密な人口に対する地球からの警鐘なのだろう。



累進課税の起源は古代ギリシアに/『ソクラテスはネットの「無料」に抗議する』ルディー和子
栄養と犯罪は大きく深く関わっている/『食事で治す心の病 心・脳・栄養――新しい医学の潮流』大沢博
炭水化物抜きダイエットをすると死亡率が高まる/『宇宙生物学で読み解く「人体」の不思議』吉田たかよし

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2020-10-06

メタフィクションが表す真実/『シッダルタ』ヘルマン・ヘッセ


 ・メタフィクションが表す真実

『小説ブッダ いにしえの道、白い雲』ティク・ナット・ハン

ブッダの教えを学ぶ
必読書リスト その五

 シッダルタは端坐して呼吸を少なくすることを学んだ。わずかの呼吸で事足りることを学んだ。呼吸を止めることを学んだ。彼は呼吸から始めてさらに心臓の鼓動を制御することを学んだ。その鼓動を減らしてその数を少なくし、ついにはほとんど鼓動なきに至ることを学んだ。
 沙門の大長老に教えられてシッダルタは新しい沙門の定めに従って滅我を修め、観想を行(ぎょう)じた。一羽の鷺(さぎ)が竹林の空を飛んだ――とシッダルタはその鷺を自己の魂の中におさめ、森と山の上空を飛び、みずからすでに鷺そのものであり、魚を食らい、鷺の飢えを飢え、鷺の叫びを叫び、鷺の死を死んだ。一匹の豹(ひょう)が砂浜に横たわっていた、とシッダルタの魂はたちまちその亡骸(なきがら)に忍び入り、死せる豹として砂浜に横たわり、ふくれ上がり、臭(にお)いを発し、腐り、鬣狗 ( ハイエナ )に肉を食(は)まれ、禿鷹(はげたか)に皮を剥(は)がれ、骸骨となり、塵(ちり)となり、広野へ飛び散った。そして再びシッダルタの魂はもとに戻った。それはすでに一(ひと)たび死滅し、腐り、塵と化して、輪廻(りんね)の物悲しい陶酔を味わってきたものである。そして再び、新しき渇きに駆られて、輪廻の輪から脱(のが)れうべき隙間、因果の鎖が終わり、悩みなき永劫が始まるべき隙間を、猟師のように狙(ねら)うのであった。彼は五官の覚えを殺し、記憶を殺し、自我を脱け出て数限りない他の行像に忍び入り、獣となり、腐肉となり、石となり、木となり、水となった。そしてそのたびごとに覚醒めてまたその自己を見出した。日は照り、月は輝いていた。彼は再び彼であった。輪廻の中をめぐり、渇きを覚え、渇きに克(か)った。そしてまた別の新しい渇きを覚えた。

【『シッダルタ』ヘルマン・ヘッセ:手塚富雄〈てづか・とみお〉訳(岩波文庫、2011年/『シッタルタ』三井光弥訳、新潮社、1925年/『ジッタルタ 印度の譚詩』芳賀檀訳、人文書院、1952年/『悉達多』手塚富雄訳、『ヘッセ全集』三笠書房、1941年、のち角川文庫/『内面への道 シッダールタ』高橋健二訳、1959年、新潮文庫/『シッダールタ』岡田朝雄訳、草思社、2006年:草思社文庫、2014年/『ヘルマン・ヘッセ全集12 シッダールタ・湯治客・ニュルンベルクへの旅 物語集VIII 1948-1955』日本ヘルマンヘッセ友の会・研究会編訳、臨川書店、2007年/ 原書は1922年)】

 革新的な小説である。現代であれば実験的手法と評されることだろう。主人公のシッダルタはブッダではない。そうでありながらも悟る以前のシッダルタを踏襲しているのだ。「ブッダを描く」という構想から更なる構想が生まれたのだろう。すなわち手法としてのメタフィクションを選んだわけではなく、真実を表現するためにメタフィクションとならざるを得なかったのだ。私はそう読んだ。

 もう一つの読み方としてはタイムトラベルと受け止めればいい。つまりシッダルタは己心のブッダに邂逅(かいこう)したのだ。こう考えると法華経如来寿量品第十六における釈尊と久遠仏(くおんぶつ)の関係に近い。

 構想は神の視点で行われる。映画監督や小説の書き手は文字通り神の役割を果たす。登場人物の一言一句から生殺与奪まで意のままだ。ところが生命を吹き込まれたキャラクターが勝手に歩き出すことがある。創作の醍醐味はここにあるのだろう。ヘッセが本書で行ったのは一神教的構想の打破ではあるまいか。

「事実は小説より奇なり」(バイロン)と言うがそうではない。いかなる事実であれ、言葉に置き換えられた瞬間にそれは解釈された物語となる。解釈は構想に支えられ、構想は解釈によって膨(ふく)らみを増す。思考は時間に則(のっと)る。因果が示すのは時系列だ。歴史は過去から未来に向かって流れる。人生は川の流れに喩(たと)えられる。しかし川の外側に立ち、はるか上空の視点から川全体を眺めれば現在から過去や未来までを見渡すことができる。これが悟りだ。

 見たものに同化する、相手の内部世界を観じる――あるいは感じる――のはクリシュナムルティも書いている。

「観察」のヒント/『生と覚醒(めざめ)のコメンタリー 3 クリシュナムルティの手帖より』J・クリシュナムルティ

 後期仏教(大乗)ではこれを「同苦」と表現する傾向があるが、共感的な側面よりも、ありありと苦を見つめる意味合いが強いと私は考える。安っぽい慈悲の物語よりも現実に即した理知と受け止めるべきだろう。