2022-03-12

傑人/『湖底の城 呉越春秋』宮城谷昌光


『天空の舟 小説・伊尹伝』宮城谷昌光
・『太公望』宮城谷昌光
『管仲』宮城谷昌光
『重耳』宮城谷昌光
『介子推』宮城谷昌光
・『沙中の回廊』宮城谷昌光
『晏子』宮城谷昌光
『子産』宮城谷昌光

 ・術と法の違い
 ・策と術は時を短縮
 ・人生の転機は明日にもある
 ・天下を問う
 ・傑人
 ・明るい言葉
 ・孫子の兵法
 ・孫子の兵法 その二
 ・人の言葉はいかなる財宝にもまさる

『孟嘗君』宮城谷昌光
『楽毅』宮城谷昌光
『青雲はるかに』宮城谷昌光
『奇貨居くべし』宮城谷昌光
『香乱記』宮城谷昌光
・『草原の風』宮城谷昌光
・『三国志』宮城谷昌光
・『劉邦』宮城谷昌光

「伍子胥(ごししょ)は傑人ですね。かれが動けば、風が生じます。その風は、父上にとって、かならず順風になりましょう」(三巻)

【『湖底の城 呉越春秋』宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(講談社、2010年/講談社文庫、2013年)】

 下書きが多すぎて順番を誤った。

 オーラの語源は「風」「香気」「輝き」であるという(Wikipedia)。色だと思っていたよ。江原啓之や美輪明宏に騙された感がある(「オーラの泉」)。

 風とは威風であり薫風であろう。子胥の影響力の強さを端的に述べたものである。稀に「気」を感じさせる人物がいる。体から放たれる波動を感じて襟を正すことがある。老若はあまり関係ない。自信に満ちた生きる姿勢から生まれたものか。あるいは修羅場を知る者の覇気が伝わってくるのだろう。

 そんな伍子胥も季子〈きし〉や晏嬰〈あんえい〉が放つ風にはかなわないのだから面白い。

孫子の兵法/『湖底の城 呉越春秋』宮城谷昌光


『天空の舟 小説・伊尹伝』宮城谷昌光
・『太公望』宮城谷昌光
『管仲』宮城谷昌光
『重耳』宮城谷昌光
『介子推』宮城谷昌光
・『沙中の回廊』宮城谷昌光
『晏子』宮城谷昌光
『子産』宮城谷昌光

 ・術と法の違い
 ・策と術は時を短縮
 ・人生の転機は明日にもある
 ・天下を問う
 ・傑人
 ・明るい言葉
 ・孫子の兵法
 ・孫子の兵法 その二
 ・人の言葉はいかなる財宝にもまさる

『孟嘗君』宮城谷昌光
『楽毅』宮城谷昌光
『青雲はるかに』宮城谷昌光
『奇貨居くべし』宮城谷昌光
『香乱記』宮城谷昌光
・『草原の風』宮城谷昌光
・『三国志』宮城谷昌光
・『劉邦』宮城谷昌光

 夜、子胥はじりじりと音をたてる燭台(しょくだい)のもとで、その兵法書を熟読した。
 贅肉(ぜいにく)がそぎ落とされた文体で、文の単純さはあじきなさを感じさせるが、読み返してみると、
 ――いや、いや、ずいぶん深い。
 と、気づいた。おそらく孫武は文をふやすことよりも、文を削ることに日数をついやしたのだ。おどろくべきことに、再読したときより三読したときのほうが、新鮮さに強く打たれ、また孫武の思想の窈窕(ようちょう)さにふれたというおもいが烈しくなった。
 ――これは、おなじ書物なのか。
 と、子胥はいぶかったくらいである。すなわち、この書物は読むたびに新しくなる。あるいは、読むたびに深みを増す。(五巻)

【『湖底の城 呉越春秋』宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(講談社、2010年/講談社文庫、2013年)】

 amazonの大きな画像リンクが貼れなくなった。スマホ対応なのだろうか? あるいはKindle版を優位にする策を弄したものか。面倒なので今後は中サイズで統一しようと思う。

 いよいよ満を持して伍子胥が孫武に将軍職のオファーを申し出る。ただし子胥の一存では決められない。判断を下すのは呉王・闔廬〈こうりょ〉である。そこで子胥は話が通りやすくするため、孫武に兵法を記して欲しいと申し出た。これが後に『孫子』として伝えられる。

 兵術が具体的であるのに対して、兵法は抽象的である。戦場は千差万別であり、具象がすぎると別の戦闘では使えなくなってしまう。つまり、あらゆる戦争に共通したエッセンスを取り出したのが兵法なのだ。子胥は孫武の思想を知っていたからこそ理解できた。だが闔廬の理解に収まるかどうかはわからない。

 闔廬〈こうりょ〉は孫武を試した。「この書を読んだ者は、では実際にどのように兵を動かせばよいのか、とかならず問いたくなるであろう。そこで中庭に兵をそろえておいた。孫武よ、実際に兵を動かしてみよ」と闔廬は命じた。中庭にいたのは、後宮の美女であった。その数180人。

 孫武は「それがしを将軍に任じた、というあかしをたまわりたい」と静かに願い出た。闔廬は速やかに許可した。

 ここからが本書の白眉である。孫武は将軍としての断乎たる態度を示して、居並ぶ呉人(ごひと)を震撼させる。この時、「将は、軍に在(あ)りては、君命をも受けざる所有(あ)り」との名言を吐くのである。孫武は軍規に魂を吹き込んだ。

泣いて馬謖(ばしょく)を斬る」との俚諺(りげん)があるが、泣かずに行うのが孫武流である。

明るい言葉/『湖底の城 呉越春秋』宮城谷昌光


『天空の舟 小説・伊尹伝』宮城谷昌光
・『太公望』宮城谷昌光
『管仲』宮城谷昌光
『重耳』宮城谷昌光
『介子推』宮城谷昌光
・『沙中の回廊』宮城谷昌光
『晏子』宮城谷昌光
『子産』宮城谷昌光

 ・術と法の違い
 ・策と術は時を短縮
 ・人生の転機は明日にもある
 ・天下を問う
 ・傑人
 ・明るい言葉
 ・孫子の兵法
 ・孫子の兵法 その二
 ・人の言葉はいかなる財宝にもまさる

『孟嘗君』宮城谷昌光
『楽毅』宮城谷昌光
『青雲はるかに』宮城谷昌光
『奇貨居くべし』宮城谷昌光
『香乱記』宮城谷昌光
・『草原の風』宮城谷昌光
・『三国志』宮城谷昌光
・『劉邦』宮城谷昌光

 翌日から暴風と猛雨(もうう)がつづき、晴天がもどってきても、破損した船の修理などがあって、すぐに出発できなかった。
「さいさきが悪い」
 と、公子光(こうしこう)は顔をしかめた。だが、子胥(ししょ)は、
「地が水びたしになっても人は生きられますが、地から水が消えたら、人は死にます。大いなる天からの水は、吉兆(きっちょう)ですよ」
 と、いって、不吉さを払った。
「ことばで邪気(じゃき)を払ってくれるのか……。王はふたたび占いをおこなわせ、吉日を選んで発(た)つことになろう」(四巻)

【『湖底の城 呉越春秋』宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(講談社、2010年/講談社文庫、2013年)】

 公子光は後の闔廬(こうりょ)である。占いとは、事の成り行きや吉凶を亀甲(きっこう)のひび割れや筮竹(ぜいちく)に仮託する行為である。つまり目の前の偶然に将来を重ね見るわけだ。現在のトランプやサイコロにも通じる。私が子供の時分は、「あーした、天気になあーれ」と履いている靴を放り投げて翌日の天気を占ったものだ。

 占いは廃(すた)れたようで廃れていない。星座・血液型占いもさることながら、ギャンブルと名を変えて多くの人々が手を染めている。宝くじを始めとする富くじの類いも同様だ。投資も占いに堕した感がある。

 言葉の呪力は呪う方向にも祝う方向にも作用する。もともとは吉凶を占うだけの行為であったが、凶を吉に転じる言葉を編み出した占い師が出現したのだろう。脳に備わる智慧は複数の事をつなぎ合わせて光らせる不思議な性質をはらんでいる。「ことばで邪気を払」うところに占い師の本領があったと考えられまいか。

 言葉には脳を束縛する力がある。宮城谷作品を読む時、私の脳は作者によって完全に支配されている。私の感情はフィクション(小説)の中で翻弄されるのだ。本を読まぬ人は歌の歌詞を思えばよい。

 善(よ)き言葉は人の背中を押して自由へと誘(いざな)う。悪しき言葉は妄想の罠に人を閉じ込める。世の中を照らすのは「明るい言葉」であろう。