・『人間この信じやすきもの 迷信・誤信はどうして生まれるか』トーマス・ギロビッチ
・脳は神秘を好む
・言語概念連合野と宗教体験
・神は神経経路から現れる
・人工知能がトップダウン方式であるのに対し、動物の神経回路はボトムアップ方式
・『確信する脳 「知っている」とはどういうことか』ロバート・A・バートン
・『神はなぜいるのか?』パスカル・ボイヤー
・『なぜ、脳は神を創ったのか?』苫米地英人
・『隠れた脳 好み、道徳、市場、集団を操る無意識の科学』シャンカール・ヴェダンタム
・キリスト教を知るための書籍
・宗教とは何か?
・必読書 その五
宗教的な神秘体験が側頭葉で起こっていることは、既に多くの脳科学本で指摘されている。てんかん患者と似た状態らしい。LSDを服用すると同様の体験ができるとも言われている。トリップ、旅、「そうだあの世へ逝こう」JR。
いずれにせよ、人間という動物は「不思議」が大好きだ。これに異論を挟む者はあるまい。不思議は不可思議の略語で、大辞泉にはこうある――
1.どうしてなのか、普通では考えも想像もできないこと。説明のつかないこと。また、そのさま。
2.仏語。人間の認識・理解を越えていること。人知の遠く及ばないこと。
3.非常識なこと。とっぴなこと。また、そのさま。
4.怪しいこと。不審に思うこと。また、そのさま。
4が凄いよね。ストレンジ(strange)ですな。思議とは「あれこれ思いはかること。考えをめぐらすこと」。つまり、「想像を絶する」物語や世界に我々は憧れ、魅了されてしまうのだ。というわけで早速、説明責任という言葉を私の辞書から削除することにしよう(笑)。
西洋において宗教的な神秘体験は「神との邂逅(かいこう)」として現れることが多い。多分(←テキトー)。日本では「神がかり」と称される。お稲荷さんにはまると「狐憑き」。本当にピョンピョン跳ねるそうだよ。洋の東西に共通するということは、人間の本質に根差している証左といえよう。では、そこにどのような回路があるのか――
われわれは、宗教的な神秘体験、儀式、脳科学についての膨大なデータの山をふるいにかけて、重要なものだけを選び出した。パズルの要領でこれらのピースを組み合わせているうちに、徐々に意味のあるパターンが見えてきて、やがて、一つの仮説が形成された。それが、「宗教的な神秘体験は、その最も深い部分において、ヒトの生物学的構造と密接に関係している」という仮説だった。別の言い方をするなら、「ヒトがスピリチュアリティーを追求せずにいられないのは、生物学的にそのような構造になっているからではないか」ということだ。
【『脳はいかにして〈神〉を見るか 宗教体験のブレイン・サイエンス』アンドリュー・ニューバーグ、ユージーン・ダギリ、ヴィンス・ロース:茂木健一郎監訳、木村俊雄訳(PHP研究所、2003年)】
つまり、「脳がそのような仕組みになっている」ってことだ。ってこたあ、脳そのものが神秘的と言わざるを得ない。脳は“物語としての神話”を求める。起承転結の「転」には不思議な展開が不可欠だ。モチーフは「奇蹟的な逆転」だ。
そう考えると不思議とは希望の異名なのかも知れない。古来、人間は行き詰まるたびに起死回生を信じて、時には信じるあまり側頭葉をピコピコと点滅させ、“生の行き詰まり”を打開してきたのだろう。
一つだけはっきりしているのは、古本屋という商売には何の神秘も存在しないことだ。
・自我は秘密を求める/『伝説のトレーダー集団 タートル流投資の魔術』カーティス・フェイス
・江原啓之はヒンドゥー教的カルト/『スピリチュアリズム』苫米地英人
・必然という物語/『本当にあった嘘のような話 「偶然の一致」のミステリーを探る』マーティン・プリマー
・物語の本質〜青木勇気『「物語」とは何であるか』への応答
・脳は宇宙であり、宇宙は脳である/『意識は傍観者である 脳の知られざる営み』デイヴィッド・イーグルマン
・宗教学者の不勉強/『21世紀の宗教研究 脳科学・進化生物学と宗教学の接点』井上順孝編、マイケル・ヴィツェル、長谷川眞理子、芦名定道
・人間は世界を幻のように見る/『歴史的意識について』竹山道雄
・カーゴカルト=積荷崇拝/『「偶然」の統計学』デイヴィッド・J・ハンド