2016-05-10
歌詞の乱れに歌を解く鍵がある/「ホームにて」中島みゆき
中島みゆきの「ホームにて」を繰り返し聴いている。「わかれうた」のB面だったとは知らなかった。上島竜兵が号泣しながら歌い、有吉弘行が思わず声を詰まらせる曲でもある。
どうも腑に落ちなくて歌詞を調べた。私はずっと「もうやる瀬ない」だと思い込んでいたのだが、実際は「燃やせない」だった。で、もっとびっくりしたのは帰郷の歌ではなかったことだ。これは実に複雑な歌詞である。
「巨大ターミナル上野駅で駅長が自らホームにて呼びかけることはないと思います」との疑問が湧くのも当然だ。同じような質問が他にもある(駅長はなぜ街なかに叫ぶ?)。そこで不詳わたくしが解説を試みる。
実は歌詞の乱れに歌を解く鍵がある。シングルが発売されたのは中島みゆきが25歳の時だ。
先ほど紹介した二つ目の質問にある「乗れる人」という言葉は当初、北海道に多い「ら抜き言葉」かと思ったがそうではない。明らかにおかしな言葉である。この冒頭で早くも自分が「乗れない人」であることを示唆しているのだ。
「やさしい声の駅長」が「叫ぶ」のもおかしい。駅のアナウンスを主観で捉えた表現なのだろう。「振り向けば」――主人公はこの期に及んでも汽車に背を向けている。車内が明るいのは「灯り」のせいではない。家族の元に向かう人々の浮き立つような心境によるものだ。
「かざり荷物」とは田舎に帰れば必要ではないものだろう。
変則的な歌詞で1番の後半が2番の前半となっている。「白い煙」で汽車が蒸気機関車を意味していることに気づく。北海道では国鉄を汽車と称する。Wikipediaの3番目に該当する。地方では珍しくないようだ(鉄道の呼称としての汽車・電車・列車)。
「ネオンライト」も正しくは「ネオンサイン」だろう。しかしながらライトに照らされた乗車券の存在感が伝わってくる。なぜ「燃やす」のか? なぜ千切って捨てないのか? まだ、くすぶっている思いがある。やり残した何かがある。それを成し遂げるまでは、やみ難い望郷の思いを「燃やし尽くす」必要があるのだ。ただ単に帰りたくても帰れない事情があるのではなく、「まだ帰らない」との覚悟を静かに歌っているのだ。だからこそ「乗れない」し、乗らなかったのだ。それでも尚、心はふるさとへ向かう。
ふるさとには自分の居場所がある。都会には職場しかない。心を許せる友達もそう簡単には見つからない。そんな寄る辺ない孤独な青春の心情を歌い上げているのだ。
最後に秀逸なレビューを紹介しておく。
・「ホームにて」あれこれ (1): 今ゆくべき空へ
・「ホームにて」あれこれ (2): 今ゆくべき空へ
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