2016-05-06
島田彰夫、アルボムッレ・スマナサーラ、J・クリシュナムルティ、酒井與喜夫、山村武彦、他
4冊挫折、6冊読了。
『呼び覚まされる 霊性の震災学』金菱清〈かねびし・きよし〉(ゼミナール)編、東北学院大学 震災の記録プロジェクト(新曜社、2016年)/幽霊で話題を読んでいる一冊である。金菱ゼミ本はとにかく高い。学生に著作権料を支払っているのだろうか? それとも別の理由があるのか? ゼミの取り組みとしては評価できるが、読み物としては出来が悪い。金菱の理屈も巧みすぎて鼻につく。
『密約 日米地位協定と米兵犯罪』吉田敏浩(毎日新聞社、2010年)/『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』で知った本。さほどイデオロギーの悪臭は放っていないが吉田も多分リベラル左翼だろう。新聞記事よりも固い文章で読むのに難儀。悪い本ではないと思う。
『ブラッドランド ヒトラーとスターリン 大虐殺の真実(上)』ティモシー・スナイダー:布施由紀子訳(筑摩書房、2015年)/凄絶なエピソードが次から次へと出てくる。大虐殺はドイツとソ連の間で起こった。これを著者はブラッドランド(流血地帯)と名づけた。ウクライナ、ベラルーシ、ポーランドである。ヒトラーとスターリンによって殺された人々の数はなんと1400万人に上るという。その殆どが餓死であった。親が子を喰い、子が親を喰う修羅場が日常の光景として現れる。エピソードはいずれも秀逸だが、歴史の描き方が平板に感じた。ハリソン・E・ソールズベリー著『攻防900日』を先に読むといい。
『人はなぜ逃げおくれるのか 災害の心理学』広瀬弘忠(集英社新書、2004年)/二度目の挫折である。やや抽象度が低く、教科書的な記述が目立つ。
54冊目『伝統食の復権 栄養素信仰の呪縛を解く』島田彰夫(東洋経済新報社、2000年/不知火書房、2011年)/面白かった。『「食べもの神話」の落とし穴 巷にはびこるフードファディズム』→『給食で死ぬ!! いじめ・非行・暴力が給食を変えたらなくなり、優秀校になった長野・真田町の奇跡!!』→本書の順番で読むといい。踏ん反り返っている栄養学の正体がよくわかる。びっくりしたのだが、ヨーグルトを与え続けたマウスは白内障になるという結果があるようだ。早速ヨーグルを断つ(笑)。島田は乳離れした後は一切の乳製品を摂るべきではないと主張する。白人以外は乳糖不耐症のため、乳糖を分解できず下痢をする。もっとわかりやすい事実は、日本人が牛乳を積極的に飲み始めたのは戦後のことであるが、骨粗しょう症が社会の表面に現れたのは最近のことである。牛乳を飲む人ほど骨折しやすいという逆転現象があり、これをカルシウム・パラドックスという。昔の日本人が食べていた玄米は分づき米であったという考察も鋭い。ご飯と味噌汁の量を増やし、おかずを減らすよう訴えている。
55冊目『怒りの無条件降伏 中部教典『ノコギリのたとえ』を読む』アルボムッレ・スマナサーラ、日本テーラワーダ仏教協会出版広報部編(日本テーラワーダ仏教協会、2004年)/「パーリ仏典を読む」シリーズ。スマナサーラの講話を編んだ作品。中部経典21「ノコギリの喩え」(鋸経)の解説である。ノコギリで足を切られたとしても怒ってならない。それどころか慈悲の瞑想を行え、と。ブッダの教えに「目には目を歯には歯を」はない。我々の日常ではやられたらやり返すのが当然である。私の場合、倍返しも珍しくはない。ところがブッダの教えは「因果の連鎖」を断ち切るところに眼目があると思われる。因果とは時間である。人生は時間という束縛から逃れることはできないが、洞察(悟り)は一瞬の出来事である。不幸の根本的な原因は被害者意識にあるのだろう。「なぜ私がこんな目に遭うのか?」との疑いが人生を苛(さいな)む。人類の歴史において昂然と胸を張って死に相対した人々が確かに存在した。彼らこそは人類の模範であろう。死の恐怖を超越すれば、怒りの生命は吹き払われる。
56冊目『ブッダとクリシュナムルティ 人間は変われるか?』J・クリシュナムルティ:正田大観〈しょうだ・たいかん〉、吉田利子訳、大野純一監訳(コスモス・ライブラリー、2016年)/テーラワーダの学僧ワルポラ・ラーフラとの対話である。必ず『ブッダが説いたこと』を先に読んでおくこと。いやはやこれは凄かった。クリシュナムルティの問いかけには全く遠慮がない。ワルポラ・ラーフラは若い頃からクリシュナムルティの著作を読み続け、「あなたはブッダと同じことを話しておられる」と言う。すかさず「なぜ対比するのですか?」とクリシュナムルティが応じ、火花を散らせる。5日間にわたる座談を通してクリシュナムルティの四諦と十二縁起が説かれる。高度すぎる内容を恐れたためか、正田大観は80ページ余りの講話を付け加えた。これが結果的には功を奏している。大野純一の「監訳者あとがき」は蛇足で不要だ。「参考資料」もやや牽強付会な部分がある。クリシュナムルティ本は「解説」や「あとがき」という名の自己主張が多過ぎる。ワルポラ・ラーフラは身構え過ぎていて対話の妙味は薄い。だが内容は超弩級である。
57冊目『カマキリは大雪を知っていた 大地からの“天気信号”を聴く』酒井與喜夫〈さかい・よきお〉(人間選書、2003年)/農山漁村文化協会という出版社。酒井は市井の研究者である。電気店を営みながら30年以上にわたってカマキリの卵嚢(らんのう)の位置と降雪の関係を調査してきた。この研究で工学博士の学位を取得。民間伝承を科学的に証明した格好だが、安藤喜一弘前大学名誉教授によって完全否定されている。学問の世界ではこうしたことがよくある。更なる研究で降雪量のメカニズムが解明されればよいと思う。読み物としては決して悪くない。
58冊目『新・人は皆「自分だけは死なない」と思っている』山村武彦(宝島社、2015年/宝島社、2005年『人は皆「自分だけは死なない」と思っている 防災オンチの日本人』改訂版)/2005年に鳴らされたこの警鐘を真剣に受け取っていれば、東日本大震災の被害も随分と違っていたことだろう。今からでも決して遅くはない。全ての日本人が本書を開くべきだ。「多数派(集団)同調バイアス」と「正常性バイアス」によって我々は日常の延長線上から抜け出ることが難しい。災害という緊急時にあっても周囲の人々の動きに自分を合わせ、異常をも正常と錯誤してしまうのだ。危機的状況においては五感情報を超えた視点が必要となる。災害は常に進化している。過去のデータを鵜呑みにするのも極めて危険である。一家に一冊必携のこと。
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