2009-10-27

理性の開花が人間を神に近づけた/『民主主義という錯覚 日本人の誤解を正そう』薬師院仁志


 ・民主的な議員選出法とは?
 ・統治形態は王政、貴族政、民主政
 ・現在の議会制民主主義の実態は貴族政
 ・真の民主政とは
 ・理性の開花が人間を神に近づけた
 ・選挙と民主政
 ・貴族政=ミシュランガイド、民主政=ザガットサーベイ

『悪の民主主義 民主主義原論』小室直樹

 西洋史における中世は魔女狩り(15-17世紀/及び異端審問、12世紀-)という狂気で終焉を告げる。近代への扉を開けたのは、イタリア・ルネサンス(14-16世紀)と宗教改革(16世紀)であった。ただし注意が必要で、魔女狩りに関してはルター派の方が熱を上げていた。

 教会の権威が肥大化を極め、神の名の下で罪なき人々が火あぶりにされる中で(魔女は生木でゆっくりと焼かれた/『魔女狩り』森島恒雄)、科学・数学の大輪の花が次々と咲いた。まさに百花繚乱といったところ。この頃、グーテンベルクが活版技術を完成(1445年頃)させたが、印刷は宗教書に限られていた。

 つまり中世まで、学問・芸術は教会の管理下に置かれていたということだ。このため、学問をするためには教会関係者になる必要があった。中世の科学者のほぼ全員が神学を収めているのはこうした時代背景による。ただし、当時の科学者の殆どは魔女の存在を信じて疑わなかった。人間は時代の支配から免れない、ということだ。

 ただし、17世紀において、世界に冠する科学的な認識は、キリスト教的な枠組の外へ出ることはなかった。そこでは、神が支配する世界における人間の位置づけが変わっただけである。すなわち、神のみが全てを知るのではなく、人間もまた、理性によって、世界に関する知識を持ち得ると考えられるようになったのである。しかし、世界を知り得るようになっただけで、世界を創り、それを支配するのは神であるという前提は変わらなかった。実際、万有引力の法則で有名なニュートンにしても、科学者であったと同時に、熱心な聖書研究者でもあった。当時、世界を知るためには、神の教えを知らねばならないと考えられていたからである。

【『民主主義という錯覚 日本人の誤解を正そう』薬師院仁志〈やくしいん・ひとし〉(PHP研究所、2008年)】

 神は全知全能だ。そこには人間の理想が込められていた。古代の人々はきっと「無知の知」を自覚していたのだろう。知の発見と遭遇するたびに、人間は世界の広さを知り、その調和に驚くあまり「創造者」を思い描いたとしても不思議ではない。

 フン、笑わせるじゃないか。全知全能だと? じゃあ私が昨日の夜食べたものを当ててみせろよ。アン? 数年前に買ったばかりの自転車で私が激しく転倒した場所を言ってみろよ。大体だな、あんたが本当に存在するなら、一度でも下界に降臨して姿を見せたらどうなんだ?

 西洋で総合的な学問が実ったのは他でもない。この世界が「神によって創られたこと」を証明するためだった。中世に至るまで教会はアリストテレスにしがみ続けた(チャールズ・サイフェ『異端の数ゼロ 数学・物理学が恐れるもっとも危険な概念』)。

 理性の開花が人間を神に近づけた。ゲーデルの不完全性定理は、神の姿を蜃気楼のように淡いものとしてしまった。しかしながら、西洋において神の影が薄くなった形跡はない。結局、理性と感情とは別物なのだ。

 アメリカ大統領は就任する際、聖書に手を置いて宣誓する。完全な政教一致だ。キリスト教が世界で幅を利かせている間は、十字軍や魔女狩りがなくなることはない。



魔女狩りの環境要因/『魔女狩り』森島恒雄

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