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『新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論』小林よしのり
・『
新ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論 2』小林よしのり
・『
新ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論 3』小林よしのり
・少国民世代(昭和一桁生まれ)の反動
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天皇は祭祀王
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『戦争論争戦』小林よしのり、田原総一朗
・『
ゴーマニズム宣言SPECIAL パール真論』小林よしのり
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『世界史で読み解く「天皇ブランド」』宇山卓栄
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『〔復刻版〕初等科國史』文部省
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日本の近代史を学ぶ
ところが本土においても、戦後のマスコミや左派知識人はこう言ってきた。
戦前の天皇は「神」として君臨していた。国民は誰もが「現人神」(あらひとがみ)と教えられ、絶対神だと思っていて、「天皇陛下」の名前が出たら直立不動だった。
天皇の名において戦争したのだから、天皇に戦争責任がある。
だから戦後はGHQによって「人間宣言」をさせられた。
天皇は戦後、人間になった。(中略)
しかしどうやら上のように言う左派知識人たちは「少国民世代」の人たちなのだと、気づいた。
「少国民」(しょうこくみん)とは、昭和16年(大東亜戦争開戦の年)に「小学校」を「国民学校」に改称したのと同時に、「学童」を改称した名称である。
ヒトラーユーゲントで用いられた「Jungvolk」の訳語らしい。
「少国民世代」を厳密にいうならば、「国民学校に行っていた世代」つまり「大東亜戦争中に小学生だった世代」ということになる。
田原総一朗(終戦時11歳)
筑紫哲也(当時10歳)大江健三郎(当時10歳)
本多勝一(当時13歳前後)
大島渚(当時13歳)井上ひさし(当時10歳)
石原慎太郎(当時12歳)西尾幹二(当時10歳)
この辺が「少国民世代」である。わしの母もこの世代に入る。
少国民世代は、戦時中は大人たちから「日本は神国だ! いざとなれば神風が吹く!」…と教えられ軍人に憧れた者が多かった。
戦後、その同じ大人たちが豹変して、「これからは民主主義の時代です。天皇は人間です。象徴に過ぎないんです!」…と教え始めた。
その大人たちの露骨な態度の変化を見て、国家や天皇というものに懐疑的になった者が少国民世代には多いようだ。(中略)
実を言うと、天皇を心底「神」と思い込んでいたのは「少国民世代」だけなのだ。
【『ゴーマニズム宣言SPECIAL 天皇論』小林よしのり(小学館、2009年/平成29年 増補改訂版、2017年)】
「ゴーマニズム宣言SPECIAL」シリーズは『戦争論』で花火のように舞い上がり、『
昭和天皇論』に至るまで鮮やかな色彩を空に描き、そして『
新天皇論』で跡形もなく消えた。女系天皇容認を表明した『新天皇論』で
小林から離れていったファンが多い。
私が小林の漫画や著作を読んだのは最近のことで、よもやこれほどのスピードで転落するとは予想だにしなかった。元々自分自身を美化する小林の画風が好きになれなかった。甲高い声も耳障りだ。公の場で「わし」という言葉遣いも大人とは言い難い。それでも一定の敬意を抱いたのは早くから慰安婦捏造問題に取り組むなど、期せずしてオピニオンリーダーの役割を果たしてきたように思えたからだ。その姿は文字通り孤軍奮闘であった。
一時期小林と親(ちか)しかった有本香は「先生」と小林を呼んでいた。かつてはそれほどの見識を持っていた。そして有本も小林の元から去っていった。
「昭和一桁生まれが戦争を知っていると語るのは誤りだ」という指摘は少なからず他にもある。だが「少国民世代」と名づけたのは卓抜なセンスだ。
終戦後、「神も仏もあるものか」という言葉が人口に膾炙(かいしゃ)した。その一方で精神の空隙(くうげき)を埋めるべく雨後の筍(たけのこ)みたいに現れた新興宗教に日本人は飛びついた。これまた「反動」と言ってよい。大半の知識人が左傾化したのも同じ現象であろう。
日本は戦争に敗れたもののまだ亡んではいなかった。だが国体を見失って経済一辺倒に走り出した時、この国は国家であることをやめたのだろう。敗戦から半世紀以上に渡って「愛国心」という言葉はタブーとされた。
昭和一桁世代には
不破哲三(昭和5年生まれ)や
池田大作(昭和3年生まれ)もいる。戦後、大衆を糾合し得た共産党と創価学会のリーダーがこの世代であるのも興味深い。