2012-03-29

「騙された」~大飯原発安全性「妥当」評価に専門家批判






 原子力発電所の運転再開の判断の前提となるストレステストを審議している国の原子力安全・保安院の専門家による意見聴取会が20日開かれ、保安院が関西電力・大飯原発のテ­スト結果を「妥当」と評価したことについて、専門家から批判が相次いだ。

 福井県にある関西電力・大飯原発3号機と4号機のストレステストについて、原子力安全・保安院が専門家による審議を前回の8日の会議で打ち切り、「テスト結果は妥当だ」と­する最終評価をまとめ、安全委員会に提出していた。

 これに対し、20日開かれた保安院の意見聴取会で、2人の委員から「議論が尽くされておらず、強い不信感を覚えた」として批判する意見が相次いだ。

 東京大学名誉教授の井野博満委員は「議論が尽くされておらず、「だまされた」という強い不信感を覚えた」と発言。芝浦工業大学講師の後藤政志委員も「積み残している問題が­たくさんある」「あたかもやったかのごとく問題ないとするのは、ものすごく問題だ。それで事故が起きたら責任をどうするのか」と指摘。また、2次評価の報告を待たず、1次­評価だけで、「妥当」とする姿勢についても厳しく批判した。

2012-03-26

遊ぶ影

Shadowy Playground [explored]

 まるで、人と影が戯(たわむ)れているようだ。

松田武、斎藤明美、フランツ・カフカ、畑村洋太郎

4冊挫折。

戦後日本におけるアメリカのソフト・パワー 半永久的依存の起源』松田武(岩波書店、2008年)/大冊すぎて体力が持たなかった。

高峰秀子の流儀』斎藤明美(新潮社、2010年)/書き手が位置を誤っている。高峰に近づきすぎて読者を見失っている。

夢・アフォリズム・詩』フランツ・カフカ:吉田仙太郎編訳(平凡社ライブラリー、1996年)/ワン・センテンスが長すぎる。

未曾有と想定外 東日本大震災に学ぶ』畑村洋太郎〈はたむら・ようたろう〉(講談社現代新書、2011年)/良書。ただ私の興味が向かなかった。

イスラエルが指揮したパレスチナ難民虐殺 1982年





 レバノンの難民キャンプ、サブラとシャチラにおけるパレスチナ民間人虐殺は1982年9月16~18日、大統領暗殺への報復を口実にイスラエル軍の指揮のもとファランジ­スト党員によって行われた。

光の存在


The rage from within


 光はある。常に。どんな時でも。

キリスト教は仏教の影響を受けていた


2012-03-22

インドが世界最大の武器輸入国に、輸出は中国が上位に浮上

 スウェーデンのストックホルム国際平和研究所(SIPRI)がまとめた世界の武器取引に関する調査報告によると、インドが中国を抜いて世界最大の武器輸入国となる一方、武器輸出では中国が世界第6位に浮上した。

 2007~11年の武器輸入はインドが世界全体の10%を占め、次いで韓国(6%)、パキスタン(5%)、中国(同)、シンガポール(4%)とアジア各国が上位を独占した。

 輸出では米国、ロシア、ドイツ、フランス、英国に次いで、中国が世界6位に浮上。同国は主にインドと敵対するパキスタンなどに武器を供給している

 SIPRIの推計では、インドは今後15年で1000億ドル以上を武器に費やす見通し。同研究所の専門家は、「インドの武器調達はパキスタンとの緊張関係、および中国を潜在的脅威とする見方を強めていることと関係がある」と解説する。

 インドの英字紙ヒンドゥによると、同国の武器調達はジェット戦闘機と軍艦を中心に、装備の近代化に重点を置いているという。

 一方、中国は国防予算を増額し、ステルス戦闘機や空母開発の大規模プロジェクトに力を注ぐ。こうした兵器の国内生産に伴い、相対的な輸入は減少した。

CNN 2012-03-22

ザ・特集:フクシマで死を見つめて 自殺防止活動に取り組む僧侶・中下大樹さんに聞く

 東京を拠点に自殺や孤独死の防止活動を続けてきた僧侶、中下大樹さん(36)。この1年は福島県の仮設住宅に通い、自ら命を絶った人の遺族らと交流を重ねてきた。これまでに2000人以上の死の現場に立ち会ったという中下さんは、「フクシマ」で失われゆく命をどう見つめているのか。

岩手・宮城との違いは将来が見えないこと。原発の恩恵を受けてきた地域では、不安、不満を口にできないつらさもある。

「それはお受けできません。僕は、あの方たちと一生、お付き合いをしていくつもりなのですから」。東日本大震災と東京電力福島第1原発事故の二重災害に見舞われた福島県。そこで死を選ぶまでに追い詰められた人たちの苦悩を知りたいと、無理を承知で「同行取材させてほしい」と中下さんに申し入れた。その答えだった。家族の自殺について遺族が本音を打ち明けてくれる関係を築くまでに、半年以上かかったこと。その事実を近所にも隠している人が多いこと。中下さんの穏やかな、だがきっぱりとした言葉にうなずくしかなかった。

 中下さんは大学院でターミナルケア(終末期の医療や看護)を学んだ後、「死の問題を突き詰めたい」と僧侶になった。新潟県のホスピスに勤務して末期がん患者数百人をみとり、07年からは東京に活動を移し、貧しさから葬式を出せない家庭や孤独死した人のために葬儀を執り行う「葬送支援」、孤独死を防ぐために一人暮らしの人の家を月に数回訪ねる活動、さらに「死にたい」と訴える人からの電話相談にも応じる。明治大学で死生学を教える非常勤講師も務めた。

 東日本大震災の直後から被災地に入り、遺体安置所で読経をしたり、がれき撤去の手伝いなどもしながら、家族を失った人たちの声に耳を傾けてきた。この1年間に被災3県に延べ190日間入り、うち約100日を福島で過ごした。当初は仮設住宅を訪れても「よそ者は帰れ」と拒絶されるばかりだったが、5回、6回と重ねるうちに「泊まって行くか?」と声をかけられるようになった。

 やがて、親しくなった人たちと雑談する中で、気になる話を聞くようになる。「あの家の人は急に死んじゃったけれど、きっと自殺だよ。酒ばかり飲むようになって、様子がおかしいと思っていたら……」。まるでろうそくの火が消えるように、仮設住宅からいなくなる人たちがいた。

「多い場合には、約200世帯の仮設住宅で、自殺とみられるケースが3件もあった」と中下さん。内閣府が統計を取り始めた昨年6月以降、「震災関連自殺」は3県で56人。うち福島は10人と決して突出しているわけではないが、「原発や放射能への考え方の違いや、ふるさとに帰れない苦しみなどが相まって、より深刻なケースが多い。酒に溺れ、体を壊しても治療せずに亡くなる“緩慢な自殺”など統計に反映されない死も多数あります」と指摘する。

 では、具体的にどんな悲話があるのか。

 木々が葉を落とし始めた昨秋、富岡町出身の50代の男性が、仮設住宅で命を絶った。以前、中下さんが一緒に酒を飲んだこともある人だった。自営業を営んでいたが、原発事故で町が警戒区域に指定され、新たな土地で事業を再開するには設備投資が1億円近くかかる。しかも移住先は決まっていない。一生をかけて築き上げた事業を一からやり直さねばならないことに絶望を深め、やがてアルコールに依存し、うつ状態になっていたという。

 妻は仮設住宅に中下さんを招き入れ、お茶をふるまいながら「夫が死んだことはつらいが、苦しんでいたからホッとしていると思う」と語り、さらに「もう家には帰れないとあきらめている。除染にお金を使うより、早く移住先を確保してほしい」と亡き夫に代わって訴えたという。

「福島と岩手・宮城の違いは、何よりも“将来”が見えないこと。また、原発の恩恵を受けてきた地域では、今も原発や放射能への不安や不満を口にできないというつらさがある。それを言った途端、周囲に白い目で見られ、仮設で居場所がなくなったという話もよく聞きます」

 昨夏、福島県の内陸部にある仮設住宅に近い火葬場で、中下さんは80代男性のひつぎに向かってお経を唱えた。家族はなく、参列して手を合わせたのは、一緒に避難している古くからの知人3、4人だけ。葬儀と呼ぶにはあまりに簡素な別れの場面だった。

 亡くなった男性は、原発事故前まで浪江町で農業を営み一人で暮らしていた。放射線量が高く、事故直後にバスに乗せられ避難して以来、「生まれ育った町で人生をまっとうしたい」と切望していたという。仮設住宅から近所の人の目を盗むように一人で浪江町の自宅に戻り、納屋でひっそりと首をつった。〈迷惑をかけてごめんなさい〉と書かれた遺書が仏壇の前に残されていた。

「ロシア語に『サマショール』という言葉があります。旧ソ連のチェルノブイリ原発事故で、強制退去を命じられた地域に勝手に戻って暮らす人のことで、言うことをきかないわがままな人という意味です。同じように、地縁を大事にする土地柄の人たちは近所の目を気にし、一人だけ違う行動をとることに罪悪感を抱きがち。この男性も、避難を続けるようにという周囲の説得に従えない自分を“邪魔な存在”と感じ、追い詰められていったようです」

 環境の激変そのものがストレスとなり、死を選ぶ人もいる。中下さんによると、あるお年寄りの男性は、温暖な浜通りから、冬には雪が降り積もる内陸の会津地方に避難した。だが慣れない雪に外出しづらくなって家にこもるようになり、酒と睡眠薬を同時に飲むようになった。そしてある日、吐いた物をのどに詰まらせて死亡。「事故死」として処理されたが、中下さんは「自殺」とみる。

 寝る間も惜しみ被災地の自殺防止に奔走する中下さんだが、取材の最後に「でもね……」と言葉を切り、少しためらうように言った。「病気などで亡くなる方に比べ、自殺された方の死に顔は、安らかに見えることが多いんです。眉間(みけん)もきれいに開いていてね。不謹慎かもしれませんが、活動を続ければ続けるほど、自殺が本当に悪いことなのか、分からなくなってくるような気がして……」

 そして、こう続けた。「裏を返せば、(安らかな死に顔は)生きているのが地獄の苦しみだったということ。被災者を支えるセーフティーネットが未整備だったり機能していないために、死ななくてもいいのに死を選ばざるを得ない人がたくさんいる。苦しむ人を孤立させないため、すべきことはまだあるはずです」

 中下さんは今、家族を亡くした人に声をかけ、仮設住宅の集会所などで同じ痛みを抱えた人同士が思いを分かちあう会を開いている。震災後、「絆」の大切さが叫ばれているが、福島で今、起きていることは従来の地縁や血縁に頼るだけでは解決できないと考えるからだ。

 悩み、苦しむ人を救うことは難しい。けれども、隣でうなずくことで、生きる力が回復するのを支えることはできるのかもしれない。

 時に迷い、時に共に涙を流しながら、中下さんは福島で痛みを抱える人の傍らに立ち続けようとしている。

◆主な相談先や関連サイト

◇寄り添いホットライン
 電話0120-279-338
 一般社団法人・社会的包摂サポートセンターが運営。自殺、仕事、住居、お金などの悩みに対応する電話相談。24時間対応、通話無料。

◇いのちと暮らしの相談ナビ
 http://lifelink-db.org
 自殺対策のNPO法人・ライフリンク(東京)が運営。失業、多重債務などの悩み別に、地域ごとの相談窓口を検索できるサイト。

毎日新聞 2012年3月22日 東京朝刊


悲しむ力 2000人の死を見た僧侶が伝える30の言葉

神戸・小学生連続殺傷事件:彩花さんの母・山下京子さん手記全文「どんな困難に遭っても、心の財だけは絶対に壊されない」


『淳』土師守
『彩花へ 「生きる力」をありがとう』山下京子
『彩花へ、ふたたび あなたがいてくれるから』山下京子
加害男性、山下さんへ5通目の手紙 神戸連続児童殺傷事件

 ・神戸・小学生連続殺傷事件:彩花さんの母・山下京子さん手記全文「どんな困難に遭っても、心の財だけは絶対に壊されない」

元少年A(酒鬼薔薇聖斗)著『絶歌』を巡って

 神戸市須磨区で97年に起きた小学生連続殺傷事件で亡くなった山下彩花(あやか)さん(当時10歳)の母京子さん(56)が、23日の命日を前に毎日新聞に手記を寄せた。全文は次の通り。



 竜が台小学校の正門前にたたずんでいる彩花桜が、今年も小さな蕾(つぼみ)をつけはじめています。自分の命よりも大切な彩花を亡くして以来、つらい季節になってしまった春が、彩花桜の成長とともにようやく優しい姿で身近なところに戻って来ました。

 あの日から丸15年。

 5年、10年、15年……。数字の上ではそれを区切りと呼ぶのでしょうが、大切な人を亡くした遺族にとっては心の区切りなどないような気がします。でも、一歩一歩積み重ねてきた時間がもたらす恩恵は、想像以上に大きく、苦しかった五千数百日の道のりを俯瞰(ふかん)できる力を与えてくれました。そして、彩花が居た時のように屈託なく笑うことや心の底から喜ぶことを思い出させてもくれました。

 突然、我が身に起きたあまりにも理不尽な出来事。身を切られるような苦しさと悲しみ。そのうえ、自宅で生活できないほどのマスコミの過熱報道……。まるで、真っ暗な闇に放り出されたような絶望的な日々が続き「彩花のところに行きたい」と何度願ったことでしょう。夫や息子がいなければ、そして、人との絆が無ければ、私はあの地獄のような日々を、とても耐えることはできなかったでしょう。

 その後、二度も病魔に襲われ死を覚悟した時にも、多くの支えの中で病気に立ち向かうことができました。ふり返れば、私たち家族を見守り、寄り添い、励まし、支え続けてくれたたくさんの温かい真心のおかげで今日という日があるのだと、あらためて感謝の思いがこみ上げてきます。

 昨年3月11日、東日本で未曾有の大震災が起きました。

 大切な人を突然亡くされ深い悲しみを抱えた人。家族の行方がわからず探し続ける人。生き残ったことに罪悪感を持っている人。家や仕事を失い途方にくれる人。住む家があるのに原発の影響で帰ることができない人。美しいふるさとを奪われた人……。津波や原発事故は私たちの国にあまりにも大きな爪(つめ)痕を残しました。決して取り戻すことができない尊い命を奪い、穏やかな生活を踏みにじってしまいました。

「どんな困難に遭ったとしても、心の財(たから)だけは絶対に壊されない」という大好きな言葉があります。

 この15年間、私たち家族は、日常の中で揺れ動きながら、時に絶望して泣きながらも目の前の壁に挑んできました。どんなに苦しくても、あきらめなければ必ず笑顔と幸せを取り戻すことができる。心の財さえ壊されなければ、人は再び、いえ、何度でも立ち上がることができる、ということを東日本大震災で被災された全ての人たちに身を持ってお伝えします。そして、私に出来る支援をこれからも続けていきたいと思っています。

 大きくなった彩花桜を見上げたら「ずっとそばに居るよ、姿は見えなくても」と、彩花の弾むような声が聴こえたような気がしました。

 山下京子

毎日新聞 神戸版 2012年3月21日

生きたまま捨てられた女子高生…火葬場搬送途中


 中国安徽(あんき)省で、暴漢に襲われて倒れていた高校3年の女子生徒が警察官に凍死体と判断され、生きたまま隣村に捨てられる事件があった。

 生徒は野外に2晩放置された末に救助され一命を取り留めたが、当局側の劣悪な対応に批判が高まっている。

 地元紙などによると、生徒は11日夕、学校から帰宅途中に暴漢に鈍器で後頭部を殴られたとみられる。12日夕、自宅から数キロ・メートル離れた水のない用水路に血だらけで倒れているところを村民が発見し、通報した。

 だが、凍死したホームレスと判断した警察は捜査を行わず、地元政府当局に連絡。当局者も確認せず、火葬場の車に搬送を指示し、運転手は約10キロ・メートル離れた隣村の溝に捨てたという。生徒は13日朝、村民に発見され病院に運ばれた。

 生徒を死者と判断した警官と役人ら4人は既に拘束され、責任を追及されるが、国内の報道機関やインターネットでは「当局の人命軽視」「ホームレスの遺体なら捨てるのか」との批判が噴出している。

YOMIURI ONLINE 2012年3月22日

特捜捜査の原点 造船疑獄事件~佐藤栄作とのコネクション


 特捜捜査の原点はここにある。誕生以来、常に一方の政治勢力と手を組んで自らの地位を守り、政治と裏取引をしながら、国民には「巨悪に挑戦する正義」として振る舞ってきた。それを終始支えてきたのが民主主義の原理を理解する能力のないメディアである。わずかな情報のエサに釣られて簡単に権力の走狗となってきた。そして情けないのは政治家も検察権力に迎合する事が自らを守る第一と考え、数々のでっち上げ捜査に口をつぐんできた。

「裁かれるのは日本の民主主義」田中良紹〈たなか・よしつぐ〉

ブルース・シェクター

1冊読了

 17冊目『My Brain is Open 20世紀数学界の異才ポール・エルデシュ放浪記』ブルース・シェクター:グラベルロード訳(共立出版、2003年)/ポール・ホフマンと内容が重複しており、うっかり同じ本を読んだのかと思ったほど。原著は双方ともに1998年となっている。中々難しいのだが、文章はこちらの方がよく、ホフマンの方がドラマ性は高い。特筆すべきは数学の記述で実に洗練されていること。そのうえ正確だ。翻訳でこれほど美しい文章はお目にかかったことがない。一つだけ合点がゆかないのだが、なぜタイトルと著者名を英語表記にしているのだろう?

パレスチナのビル・イン村 分離壁との戦い

Shai Carmeli Pollak  2006年。イスラエルが安全障壁として建設する分離壁はパレスチナ領土を併合・分断し国家成立を妨げる目的を持つ。国際法違反のこの政策により土地を奪われることに反対­するパレスチナの村の住民の非暴力的抵抗運動に参加するイスラエル人が撮影したドキュメンタリー。ビル・イン村の抵抗運動は功を奏し、2007年イスラエル最高裁はビル・­イン付近の壁のル-ト変更を命じ2011年6月壁の解体作業が開始した。

 イスラエルが不法に建設する安全障壁のためにパレスチナの村のオリーブの木が大量に破壊された。様々な手段で反対デモを鎮圧しようとするイスラエル軍とビル・イン村存続の­ために戦う活動家達。

 ドキュメンタリー2006年。イスラエルの隔離壁建設はビル・イン村の人々から土地と生計手段のオリーブを奪った。土地返還を求め様々な非暴力的手段でデモを行い続ける村­人と彼らに連帯するイスラエル人活動家の姿は世界の注目を集め始める。

 イスラエル人監督Shai Carmeli Pollak によるドキュメンタリー映画、2006年。イスラエルの分離壁建設のために土地を奪われたビル・イン村の粘り強い反対運動はイスラエルのメディアでも話題になる。ビル・イン­村は隔離政策に苦しむパレスチナ人の抵抗の象徴となる。イスラエル人活動家とパレスチナ人の団結と友情が僅かながら希望を感じさせる。

http://www.bilin-village.org/











 怒りに打ち震えながら見た。イスラエルは、パレスチナ人にとって命ともいうべき土地を奪い、丹精込めて育てたオリーブの木をチェーンソーで切断する。徴兵制を布(し)いているためイスラエルの全国民がパレスチナを虐げているといっても過言ではない。だが、そんな唾棄すべきイスラエルにも良心が存在した。人間もまだまだ捨てたものではない。

 デモの中に私服警官が紛れ込んで、わざと石を投げた。これがユダヤ人のやり方だ。更には障害者に向けて武器を発砲している。非暴力運動は広範さを必要とする。長い目で見れば勝ち目はないだろう。それゆえ私は、パレスチナが軍事力を持つべきだと考える。1948年から現在の状態が続いているのだ。インディアンやチベットのようになることを恐れる。

文字は絶対王朝から生まれる/『白川静の世界 漢字のものがたり』別冊太陽


 ・■(サイ)の発見
 ・文字は絶対王朝から生まれる

『漢字 生い立ちとその背景』白川静

「あ!」と思った。

 日本に文字が出来なかったのは、絶対王朝が出来なかったからです。「神聖王」を核とする絶対王朝が出来なければ、文字は生まれて来ない。(白川静)

【『白川静の世界 漢字のものがたり』別冊太陽(平凡社、2001年)以下同】

 私は漢字のマンダラ性を見抜きながらも絶対性には思い至らなかった。しかもその理由が振るっている。

 神聖王朝というと、そういう異民族の支配をも含めて、絶対的な権威を持たなければならんから、自分が神でなければならない。神さまと交通出来る者でなければならない。神と交通する手段が文字であった訳です。
 これは統治のために使うというような実務的なものではない。(白川静)

 法の制定や布告のためかと思ったのだが完全に外れた。「呪」の義を想う。呪いと祝いは距離をはらみながらも同じ一点から生まれるのかもしれない。それは縦の直線なのだ。真上から見れば点と化すことだろう。

 権威とはそれ自体が「新しい世界」なのだ。人々が知り得ぬ世界観を提示することで権威は保たれる。私が「オーソリティ」(権威)と認めるのは、私の知り得ぬ世界を提示する人に限られる。すなわち「王」は「世界」であり、「世界」とは「王」が規定するのだろう。

 本書で一番面白かったのは岡野玲子(漫画家)との対談である。白川は「狂う」の語義について語る。

白川●「くるう」という言葉は、「くるくる回る」という場合の「くる」ね、あの「くるくる」と同じ語源で、獣が時に自分の尻尾を追い掛けるようにしてくるくる回ったりしますね、ああいう理解出来ん動作をする、それが「くるう」なんです。

 理解を超えたものが「新しい世界」を提示する。ああ、そうか。「世界」とは「理解」なのだ。自分のわかっている――あるいは「わかっている」と錯覚している――範疇(はんちゅう)こそが「世界」である。

白川●だから「狂」というのは本当に気が触れてしまったというのではなくて、一種の異常な力が自分の内にあると考えられる状態を、本当は「狂」という。本当に狂うてしまったのでは話にならんのでね。狂うたような意識の高揚された状態、それが「狂」なんです。平常的なものを全部否定する。平常的なものの中にある限りはね、ものは少しも改革されない。既成の枠の中にきちんと納まってしまっておって、これはもう力を失っていくだけであって、新たな力を発揮するということは出来ませんわね。そういう風な状態にある時に、「狂」という、新しい創造的な力というものがそれを打ち破る。

 つまり「狂」とは抑えきれないマグマなのだろう。最初の噴火があり、次々と大地が火を放つと、そこに「新しい山」ができる。これが「新しい世界」なのだ。人々が理解できるのはマグマが冷め、定まった形状になってからのことである。

 岡野の応答がまた凄い。

岡野玲子●それで、実際に笛をを吹いた時にどういう変化があるのかというのを知らなくてはと思って、神社にお参りして、自分で実際に笛を吹いてみる、歌を歌ってみる。そして歌う前と歌った後ではどう違うのかっていうのを自分で体験しました。
 実際に違うんです。笛を吹く前と吹いた後では、もう、その社から流れてくる力とか、その社に向かって見た時に、そこの社に見える色であるとかが、全部変わってくるんですね。

 あたかも、この世界を創造した神の発言のようだ。「息を吹き込むこと」で世界は作られるのだ。内部世界と外部世界をつなぐのは「呼吸」である。ヨガや瞑想で呼吸を重んじるのは当然だ。自律神経系で唯一コントロールできるのが「呼吸」なのだ。

 呼吸は有作(うさ)と無作(むさ)との間を行き来する。そして呼気と吸気の間に「死」が存在する。呼吸はそれ自体が生死(しょうじ)を表している。

 白川が自分の仕事を振り返る。

白川●いや自分でもね、ほんとうに僕が書いたのかなあって思う時がある。瞬(またた)く間にやったからな。『字統』は一年で書いてしまったでしょ。『字訓』も一年で書いてしまった。『字通』はね、用例などを吟味しておったから、それで手間がかかった。

 これが「狂う」ということなのだ。何かに取り憑(つ)かれ、何かに動かされ、気がつくと何かが出来上がっている。真の力とは自力と他力との融合である。内なる「狂」が外なる「秩序」と化す。ここに芸術が立ち現れる。

 白川は「ものが見えるということはね、一つの霊的な世界だから」と語り、「3200年昔。僕が見ておるのはな。3200年昔の世界なんや」と心情を吐露する。彼は漢字を通して3200年前の「人間」を見つめていたのだろう。空間ではなく時間を見つめる眼差しに畏怖の念を覚える。

白川静の世界―漢字のものがたり (別冊太陽)新訂 字統新訂 字訓字通

2012-03-18

リビアの先端医療技術 国民評議会に対する怒り





 2012年2月15日。カダフィ政権下で実現した先端技術を持つ医療センターの存在にも関わらず外国での治療を促進する国民評議会に対して医師が怒りを表明。

無実の非ユダヤ人殺害を正当化する「王のトーラ」 イスラエル


 2010年。人種差別・暴力的な宗教理論書を支持する二人の超民族主義者のラビの逮捕とそれに対する抗議デモ。超正統ユダヤ教とネタニヤフとの関係。

シリア情勢 2012年2月14日 ティエリ・メサン





 新たな力関係、ロシア主導の国際協定、ホムス戦闘の現実、フランス情報部(DGSE)の関与。独立記者ティエリ・メサン。

「白雪姫を毒リンゴから救おう」

華麗なゴール


Gorgeous


 偶然が生んだ物語。

ウガンダ反政府勢力の蛮行告発映画、「真実と違う」と地元民は猛反発


 米児童権利団体が制作しインターネットで反響を呼んでいる、ウガンダの反政府勢力「神の抵抗軍(Lord's Resistance Army、LRA)」のジョゼフ・コニー(Joseph Kony)司令官の身柄拘束を訴える動画に、当のウガンダの人びとが猛反発している。ウガンダ国内各地でこの短編映画の上映会を計画していた青少年支援団体は15日、初回上映を見た人々が激怒したため、計画を中止したと発表した。

「Kony 2012」と題された約30分の短編映画は、米児童権利団体「インビジブル・チルドレン(Invisible Children、見えない子どもたち)」が制作したもの。前週公開されて以来、インターネットを中心に大きな反響を呼んでいる。ウガンダではネットへ接続できる人が少ないことから、地元の青少年支援団体「アフリカン・ユース・イニシアチブ・ネットワーク(African Youth Initiative Network、AYINET)」が上映会を計画した。

「描かれているのは過去の姿」「実情伝えていない」

 ところが13日、同国北部(Lira)で行われた上映会では、映画が始まってすぐに人びとが怒り出し、投石を始めたため上映は中止に追い込まれた。会場に集まった数千人の観衆の多くは、LRAの兵士らに四肢を切断されるなど実際に被害を受けた人たちだった。

 AYINETのビクター・オチェン(Victor Ochen)代表によると、集まった人びとは映画の内容について「無神経で、ウガンダ北部の過去の姿しか描いていない」と非難。「なぜ、アメリカの白人の子どもたちを映して、(ウガンダ北部の)地元の人びとが置かれた真の現状を伝えないのか」と口々に批判したという。

 上映会計画の中止を発表したオチェン氏は、「どこへ行っても同じ反応だろうと判断した」と説明した。

 LRAはウガンダ北部で政府軍と20年にわたって戦闘を続け、民間人の手足を切断したり、子どもを誘拐して兵士や性奴隷にしたとして悪名高い。LRAのコニー司令官は、北部のアチョリ人で構成された反政府組織の実権を1988年に握り、聖書に書かれた十戒に基づく政権樹立を掲げて中央政府に対する抵抗を開始した。

 LRAは2006年にウガンダ北部から排除されたが、南スーダンなど周辺国で活動を続けている。国際刑事裁判所(International Criminal Court、ICC)は人道に対する罪などでコニー司令官に対する逮捕状を出しているが、身柄はまだ拘束できていない。

AFP 2012-03-16

KONY 2012/ジョゼフ・コニー逮捕キャンペーン
コニー 2012の正体~アフリカ侵略心理作戦
The Kony 2012 論争
KONY2012を支持する人々

2012-03-16

福島県教育委員会と福島県知事



正力松太郎というリトマス試験紙


【福島原発事故 その時私は】双葉病院長 鈴木市郎さん(77)

 続きを書く。情報の吟味、精査、検討という観点から正力松太郎〈しょうりき・まつたろう〉をリトマス試験紙にすべきである。

 元読売新聞社社主にして「原子力の父」と謳(うた)われた人物だ。

原発導入のシナリオ 冷戦下の対日原子力戦略
戦後、CIAは正力松太郎氏と協力して日本で原子力の平和利用キャンペーンを推進

 福島原発事故以降、国民感情としては反原発・脱原発に傾いていると思われるが、如何せん国民の意志を表明するシステムがない。解散総選挙となった場合、政治家は原発が争点になることをずる賢く回避すると思う。

 また国民投票や住民投票が実施されそうな気配もない。

 とすれば、だ。反原発・脱原発を表明する最も現実的で効果が高い行動は、読売新聞の購読を中止することだと私は考える。併せて日本テレビを見ないようにする。たったこれだけで日本の現状を動かすことは可能だ。

 関東大震災(1923年)が起こった際、朝鮮人が「井戸に毒を入れ、また放火して回っている」という流言が飛び交った。このデマを流布した首謀者が、時の警視庁官房主事で後に読売新聞社主となる正力松太郎であった。

関東大震災の日
読売新聞 3月11日付「編集手帳」

【福島原発事故 その時私は】双葉病院長 鈴木市郎さん(77)

置き去りにされた 救助の遅れ 亡くなった高齢者50人

 地震で停電になったが、すぐ復旧すると思っていました。原発が危ないと知ったのは翌12日の早朝。「急いで避難しろ」と大熊町の防災無線の放送があった。町役場に助けを求めるとバスが来て、患者209人と全職員が乗り込みました。

 残されたのは患者129人と私一人。職員には「残ってくれ」と言いたかったが、津波で家が流された人もいた。「自分は最後の一人を送るまで残る」と笑って見送った。すぐに後続のバスが来ると思ってました。

 ところが午後に1号機が爆発した。役場を見に行くと、人の気配がない。「置いていかれた」と思った。

 近くに系列の介護老人保健施設「ドーヴィル双葉」があって、入所者98人と職員二人も取り残された。電話もテレビも使えません。不安でしたが、夜になって自衛隊員が来て「明日には車を手配できる」と言ってくれました。

 一晩ならなんとかなる。でも、停電で真っ暗だから、顔色も分からない。頬に自分の頬を寄せて無事を確認しました。患者のそばを離れられなかった。

 翌日、救助は来ませんでした。車で助けを求めて周辺をさまよっていると、パトカーに出合った。「早く助けてくれ」と頼んだ。また裏切られるかも…と思い、名前や車のナンバーを確認した。

 後で双葉署長が病院に来てくれました。でも、車の手配が難しいからと、「今日の救出は無理」って告げられた。思わず「このままでは100人亡くなる」と怒鳴っていました。

 その夜、衰弱で一人目の患者が亡くなりました。翌朝には二人。このままだと本当に数十人単位で亡くなると思いました。

 14日朝。突然、自衛隊から救助のバスが来ました。患者34人とドーヴィルの入所者98人全員が避難した。隊員は「すぐに後続が来る」と言ってくれた。だけど、3号機が爆発。隊員は「(現地対策拠点の)オフサイトセンターに行かなくては」と言っていなくなり、また約束は破られました。

 このバスが避難所のいわき光洋高校に到着したのは夜です。直線で30キロの距離を230キロ、10時間かけて移動しました。バスの車内で3人、到着後の高校の体育館で11人が亡くなった。除染のためいったん北上した後、100人を超える患者を収容できる施設を求めて原発を避けるように移動したためだと、後で聞きました。

 結局、全員が避難したのは翌15日から16日にかけて。当時、私は警察から「緊急避難だ」と原発から20キロ離れた割山峠まで連れ出されていた。「2号機が危ない」という情報が福島県警に入っていたそうです。

 救助後、県は私たちが「患者を置き去りにした」と発表した。

 私は1号機の爆発も3号機の爆発も気付きませんでした。とにかく無我夢中だった。

 31日までにドーヴィルと合わせて、436人の高齢者のうち50人が亡くなりました。原発から5キロ圏には、ほかに双葉厚生病院と大野病院がありますが、両方とも13日までに避難している。どうしてうちの救助が遅れたか。どうして230キロの移動になったか。

 あの後、弁護士に依頼して調査を始めましたが、いまだに分からない。50人は救えた命だった。もう1年たちますが、まだ現在進行形なんです。

TOKYO Web 2012-03-12

 高度情報化社会における情報の重要度は言うまでもない。ましてや災害時においては「情報が命」に直結する。かような局面で「救助後、県は私たちが『患者を置き去りにした』と発表した」。

 このようなケースを法的に裁くシステムが求められる。そうでないといつまで経っても権力者やメディアはデマを流し続けるからだ。嘘は罪である。嘘を言った者は重罪に科し、嘘を広めた者も罪に問うべきだ。

 twitterを始めとするインターネット情報は拡散しやすい。であれば情報が誤っていた場合、デマ元にさかのぼる動きを心掛けたい。拡散に対して収束という方向性も必要だ。

◎正力松太郎というリトマス試験紙

フォトジャーナリスト・広河隆一氏 記者会見 2011年12月1日












暴走する原発  チェルノブイリから福島へ これから起こる本当のこと 福島 原発と人びと (岩波新書) チェルノブイリ報告 (岩波新書) パレスチナ新版 (岩波新書)


 嘘まみれの世界に慄然とした。結局のところ情報の隠蔽・管理・操作によって民主主義は骨抜きにされているのだ。質問をしているのはフリーランスばかりで大手新聞社は皆無だ。ここに日本の原発を取り巻く情況があらわれていると思う。

2012-03-15

中村元、田辺和子、國分康孝


 2冊読了。

 15冊目『ブッダ物語』中村元〈なかむら・はじめ〉、田辺和子(岩波ジュニア新書、1990年)/良書である。児童向けの書籍でありながら記述が正確だ。人物や歴史、概念のアウトラインをつかむには岩波ジュニア新書が有益である。ただし2ヶ所だけ、余計な印象と思える文章があった。詳細は書評にて。

 16冊目『カウンセリングの技法』國分康孝〈こくぶ・やすたか〉(誠信書房、1979年)/よもやこんなところに、という場所に隠れていた。このため読了まで1年以上もかけてしまったことになる。30年前に刊行された本だが内容は全く色褪せていない。名著。國分康孝のプレゼンテーション能力は天才的だ。教育関係者、マネジメントを行う管理職、後輩を育成する学生などは座右に置くべき一書である。更に子を持つ親にも勧めたい。私はコミュニケーション論として読んだ。

カタールがフランスを買う





 2012年1月30日放送。フランスの同盟国カタールはリビア戦争で叛徒へ資金提供し現地に軍隊を送りNATO軍の側で戦った。カタールのテレビ局アルジェジーラも偽装報­道で情報戦争に加わった。シリア内乱でも反対派へ資金援助している。アラブ系移民の多いフランス郊外へのカタ-ルの支援投資は、中東紛争に関してイスラム教徒を懐柔する意­図もあろう。付録カタール首長のイスラエル訪問。

チャベス 銀行を国の発展に奉仕させよう





 2012年1月29日。ベネズエラ大統領ウゴ・チャベス。

9.11テロ 第7ビル崩壊に関してシルバースタインへ質問





翻訳訂正

 誤訳の指摘を頂きました。

1.あなたの答えはより多くの人を呼ぶ
→あなたの答えはもっと多くの疑惑を呼び起こしました。

2.あなたの公式な答えは消防士がやったということでした
→あなたの説明は「消防士のことを言ったんだ」でしたが、あ­なたが建物(を爆破すること)を意味したのは明らかです。消防士たちは、送水管が壊れていたので正午までにはビルの外に出ていたんですから。

2012-03-14

入佐明美

1冊読了。

 14冊目『地下足袋の詩(うた) 歩く生活相談室18年』入佐明美〈いりさ・あけみ〉(東方出版、1997年)/泣いた。私の嫌いな大阪とキリスト教がセットになっているにもかかわらず。入佐は釜ヶ崎でケースワーカーをしている女性だ。25歳から18年間にわたってドヤ街を歩き回り、男たちの話に耳を傾け、病院やアパートの世話をしてきた。描かれる様々な人間模様は「詩」そのものである。入佐はもともと看護師で将来、ネパールへ渡ることを夢見ていた。それがひょんなことから釜ヶ崎で働くこととなる。いつしか夢を実現する舞台は釜ヶ崎に変わっていた。10代、20代の人は必読のこと。奈路道程〈なろ・みちのり〉のイラストも実に素晴らしい。

2012-03-13

雪景色


1063


 まるでスクリーンだ。広い開口部が外と内との境界を曖昧にする。自然を取り込もうというあざとさは感じられない。ただ四季の移ろいを愛(め)でようとしたのだろうか。暗がりの中で緋毛氈(ひもうせん)が紫色に見える。茶器が二つ。言葉ではなく、時間を共有するコミュニケーション。作法や手順にはそんな意味があったはずだ。京都・大原の里、宝泉院

大野晋、宮本常一、岩波貴士、岩田義一、中村元、三枝充悳

4冊挫折。

東日本と西日本 列島社会の多様な歴史世界』大野晋〈おおの・すすむ〉、宮本常一〈みやもと・つねいち〉、ほか(日本エディタースクール、1981年/洋泉社MC新書、2006年)/論文の寄せ集めだった。大野晋の著作に当たるべきであった。

人にはちょっと教えたくない「儲け」のネタ帳』岩波貴士(青春文庫、2008年)/良書。200ページほどで様々な情報を網羅。ウェブ情報まで掲載されており有益。ただ、五十の坂に届こうとする私が読むべき本ではない。

偉大な数学者たち』岩田義一〈いわた・ぎいち〉(ちくま学芸文庫、2006年)/これも良書。文章がいい。横書きなのでやめた。

バウッダ[佛教]』中村元〈なかむら・はじめ〉、三枝充悳〈さいぐさ・みつよし〉(小学館、1987年/講談社学術文庫、2009年)/入門書であった。500ページ近くあり、堅牢な内容だと思われる。

■(サイ)の発見/『白川静の世界 漢字のものがたり』別冊太陽


 ・■(サイ)の発見
 ・文字は絶対王朝から生まれる

『漢字 生い立ちとその背景』白川静

 そろそろ白川静〈しらかわ・しずか〉に手をつけねば、と本書を選んだ。

 この手の雑誌もどきの本はおしなべてレイアウトがよくない。ヴィジュアル中心のため文字の読みやすさが置き去りにされている。特に私が憎悪の対象としているのは『別冊ニュートン』だ。

 はっきり言えば総花的で散慢な印象を受けた。白川静という人間に迫っていない。企画が一つの焦点に向かっておらず、杜撰(ずさん)なパッチワークとなっている。だが、それでも写真を見るだけの価値がある。

 1970年、そのことは、広く世間に知られることとなった。
■(サイ)〕の発見である。
 岩波新書としてその年、出版された『漢字』という一冊の本は衝撃的な■(サイ)のデビューとなる。
 ■(サイ)は、1970年を遥かに遡る時代に発見されている。
 発見者はもちろん「白川静」。

【『白川静の世界 漢字のものがたり』別冊太陽(平凡社、2001年)以下同】

sai
(甲骨文におけるサイ)

「白川静」と言えば、〔■(サイ)〕の発見である。現在の漢字の「口」は、口耳の「口」のみの意であるが、古代中国においては、「口」には二つの意があり、口耳の“口”に対して、もう一つ神への申し文(もうしぶみ/人が神に願事〈ねぎごと〉をするために書かれた手紙)を入れる“器”という意味があった。
 それが白川静、曰(い)うところの〔■(サイ)〕である。
 この〔■(サイ)〕の発見は、従来の漢字の意味を解く法を完全にひっくり返した。
 そればかりではない。その〔■(サイ)〕という“器”を通すと、漢字の背後のものがたり、民俗が象(かたち)として見えてくる。

「祝詞(のりと)を収める箱の形」と口部を読むことで漢字の統一的解釈が可能になる――と白川は独創した。古代中国は宗教社会の面持ちで新たな姿を現した。

 ■(サイ)――この象(かたち)を何と呼ぶか、何と読むか。
 その名付け親も白川静である。

 何が凄いかって、数千年間にわたって誰も読むことができなかった文字を、白川ただ一人が「読んだ」のである。これはもう「悟り」としか言いようがない。

 甲骨文は最古の漢字で(いん/紀元前17世紀頃-紀元前1046年)の時代に使われた。次に登場するのが金文である。これらの文字から白川は「■(サイ)」を導き出した。

 白川によって現代人と古代中国人のコミュニケーションが可能となったのだ。私はその偉業に「縁起的世界」を感じてならない。彼が開いた扉は新しい漢字世界に通じていた。

縁起に関する私論/『仏教とはなにか その思想を検証する』大正大学仏教学科編

zomon

 神々は、花に坐す。木に坐す。風に坐す。山に坐す。川に坐す。海に坐す。
 食事の器にも時々降って宿っています。あなたの掌の中にもいます。
 古代人は、神々をそう捉えてきた。神はスピリット、精霊、総ての“もの”に宿っている、と。
 だから病も神。
 白川静曰(いわ)く、
「風邪も、“ふうじゃ”という神さんです」

 日本に根づいているアニミズムの源流が窺える。仏教が漢字で翻訳された時点でアニミズムの影響は避けられなかったことだろう。そして白川は漢字の本質をこう言い切る。

 白川静の或る言葉とは――
【「呪的儀礼(じゅてきぎれい)を文字として形象化(けいしょうか)したものが漢字である」】

 これ、マンダラである。もともと「呪」と「祝」は同じ意味であった。また「呪(まじな)い」とも読む。「呪」の起源が定かではないが、人々の強い情念、願い、希望などが混じり合った意味を感じる。

白川●本来は「道」そのものが、そのような呪術的対象であった訳。自己の支配の圏外に出る時には、「そこには異族神がおる、我々の祀る霊と違う霊がおる」と考えた、だから祓いながら進まなければならん訳です。

梅原猛●実際に生首を持って歩いた。生々しいなあ。

 これは「道」のツクリが文字通り生首を示すという話。物語とは「その時代の合理性」であることを見失ってはなるまい。古代の人々を支配していた恐怖感が伝わってくる。未知とは恐怖の異名なのだ。文明や科学の発達が恐怖を解消する役目を担ってきた。

 ■(サイ)に祝詞(のりと)を入れた形が「曰」となる。「曰(いわ)く」。言葉には神への誓いが込められていた。「呪」(じゅ)なる世界を失うことで、我々の言葉は木の葉のように軽くなってしまった。そんな気がしてならない。

教育の機能 1/『子供たちとの対話 考えてごらん』J・クリシュナムルティ

白川静の世界―漢字のものがたり (別冊太陽)

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占いは未来への展望/『香乱記』宮城谷昌光
人種差別というバイアス/『隠れた脳 好み、道徳、市場、集団を操る無意識の科学』シャンカール・ヴェダンタム

パレスチナを買うユダヤ人大富豪アーヴィング・モスコビッチ イスラエル


 エルサレムのアラブ人地区(パレスチナ領)の家や土地を次々に買い取りユダヤ人を入植させるアメリカのカジノ経営者アーヴィング・モスコビッチ。エルサレム分割を望まない­この人物の活動は中東和平への大きな障害となりつつある。2010年。

読売新聞 3月11日付「編集手帳」


 使い慣れた言い回しにも嘘(うそ)がある。時は流れる、という。流れない「時」もある。雪のように降り積もる◆〈時計の針が前にすすむと「時間」になります/後にすすむと「思い出」になります〉。寺山修司は『思い出の歴史』と題する詩にそう書いたが、この1年は詩人の定義にあてはまらない異形の歳月であったろう。津波に肉親を奪われ、放射線に故郷を追われた人にとって、震災が思い出に変わることは金輪際あり得ない。復興の遅々たる歩みを思えば、針は前にも進んでいない。いまも午後2時46分を指して、時計は止まったままである◆死者・不明者は約2万人…と書きかけて、ためらう。命に「約」や端数があるはずもない。人の命を量では語るまいと、メディアは犠牲者と家族の人生にさまざまな光をあててきた。本紙の読者はその幼女を知っている。〈ままへ。いきてるといいね おげんきですか〉。行方不明の母に手紙を書いた岩手県宮古市の4歳児、昆愛海(こんまなみ)ちゃんもいまは5歳、5月には学齢の6歳になる。漢字を学び、自分の名前の中で「母」が見守ってくれていることに気づく日も遠くないだろう。成長の年輪を一つ刻むだけの時間を費やしながら、いまなお「あの」ではなく「この」震災であることが悔しく、恥ずかしい◆口にするのも文字にするのも、気の滅入(めい)る言葉がある。「絆」である。その心は尊くとも、昔の流行歌ではないが、言葉にすれば嘘に染まる…(『ダンシング・オールナイト』)。宮城県石巻市には、市が自力で処理できる106年分のがれきが積まれている。すべての都道府県で少しずつ引き受ける総力戦以外には解決の手だてがないものを、「汚染の危険がゼロではないのだから」という受け入れ側の拒否反応もあって、がれきの処理は進んでいない。羞恥心を覚えることなく「絆」を語るには、相当に丈夫な神経が要る◆人は優しくなったか。賢くなったか。1年という時間が発する問いは二つだろう。政権与党内では「造反カードの切りどきは…」といった政略談議が音量を増している。予算の財源を手当てする法案には成立のめどが立っていない。肝心かなめの立法府が違法状態の“脱法府”に転じたと聞くに及んでは、悪い夢をみているようでもある。総じて神経の丈夫な人々の暮らす永田町にしても、歳月の問いに「はい」と胸を張って答えられる人は少数だろう◆雪下ろしをしないと屋根がもたないように、降り積もった時間の“時下ろし”をしなければ日本という国がもたない。ひたすら被災地のことだけを考えて、ほかのすべてが脳裏から消えた1年前のあの夜に、一人ひとりが立ち返る以外、時計の針を前に進めるすべはあるまい。この1年に流した一生分の涙をぬぐうのに疲れて、スコップを握る手は重くとも。

「編集手帳」/読売新聞 2012-03-11

 読売新聞は異例の紙面となっていた。いつもより長文の「編集手帳」が一面トップに配され、以下の画像が紙面を覆った。

多くの人が訪れた荒浜地区の慰霊碑。雪の降る中、しゃがみ込み祈る人もいた

 コラムというよりは叙情に傾いた散文というべきか。

「羞恥心を覚えることなく『絆』を語るには、相当に丈夫な神経が要る」との一文に膝を打った。福島で原発事故が発生した際、大手新聞社の記者は一人残らず退避した。



 そして記者クラブはフリーランスを記者会見から排除し、官僚と東電の広報と化している。

 そもそも日本に原子力発電を導入したのは正力松太郎(元読売新聞社社主)である。

 ああ、そうか。コラム子(し)は自分の太い神経を自慢したのだな。

 言葉というものは実に便利である。いつでも自由に嘘を書くことができる。

【追記】確か4面だと思ったが、石原伸晃(自民党幹事長)のインタビュー記事があり、中央に「政治をリセット」という見出しが付いていた。1~3面で震災を強調し、自民党支持へ誘導するような紙面づくりに呆れ果てた。

正力松太郎というリトマス試験紙

アフガン米兵乱射に住民激怒、「酔って遺体に火」との証言も

 アフガニスタン南部カンダハル州で11日未明に発生し、16人が死亡した米兵による銃乱射事件で、父親と姉妹1人を殺害されたジャン・アグハさん(20)らが、当時の様子を証言した。

 アグハさんによると、父親はカーテンの合間から外の様子を見ていたところ、突然喉と顔を撃たれ即死。その後、複数の米兵が自宅に侵入してきた。米兵が自宅にとどまっている間、アグハさんは床に寝そべり、死んだふりをしていたという。

「とても怖かった」と語るアグハさんは「母は目と顔を撃たれた。見た目で母と分からないほどだった。兄弟は頭と胸を撃たれ、姉妹も殺された」と説明した。

 アグハさんの証言では、「複数の」米兵が事件に関与しており、酒に酔った複数の米兵が事件を起こしたとの別の目撃者の証言もある。これに対し、ワシントンの米国防総省高官は、単独犯の可能性が高いとしている。

「私に向けて銃を撃ってきた。弾は壁に当たった」。こう話すアグハ・ララさんは、米兵の様子について「彼らは笑っていた。普通の状態ではなく、酔っているように見えた」と証言した。

 その上で「これは大量虐殺だ。多くの銃弾を浴びた遺体が散乱していた。カーテンか毛布と一緒に燃やされたようだった」と怒りをあらわにし、「これが米国人が言う支援部隊なのか。彼らは野獣で人間性のかけらもない。タリバンの方がまだましだ」と非難した。

 子ども9人と女性3人を含む計16人が死亡した今回の事件で、北大西洋条約機構(NATO)が主導する国際治安支援部隊(ISAF)は、事件に関与したとして米兵1人を拘束し、取り調べを続けている。

ロイター 2012-03-12


アフガン乱射の米兵はイラクに3度派遣、子ども3人の父親=当局

 アフガニスタン南部カンダハル州で11日未明、米兵が民家3軒で銃を乱射し、アフガン当局によると、子ども9人と女性3人を含む計16人が死亡した。コーラン焼却をめぐり反欧米感情が高まっているアフガンで、新たな火種となる可能性がある。

 米軍は事件に関与した容疑で米兵1人を拘束した。複数の当局者によると、この兵士はワシントン州の部隊に所属する陸軍2等軍曹で、イラクで3度の任務を務めた後、アフガンに派遣された。結婚しており、3人の子どもがいるという。

 事件は午前2時ごろ、同州西部のパンジワイ地区で発生。現場周辺の住民や犠牲者の親族によると、複数の米兵が民家に次々と侵入し、銃を乱射したという。兵士は酒に酔った状態で笑いながら犯行に及んだとの証言があるほか、子どもを殺害されたという男性は、兵士が薬品を遺体に火を付けたと語った。

 一方、ワシントンの米国防総省高官は、複数の酔った米兵が事件に関与しているとの目撃者証言を否定し、単独犯との見方を示した。北大西洋条約機構(NATO)が主導する国際治安支援部隊(ISAF)の広報官は、拘束された米兵は歩いて基地に戻ってきたと明らかにした。

 この事件を受け、アフガンのカルザイ大統領は「意図的な殺人だ」と激しく非難し、米国側に説明を要求。また、オバマ米大統領も声明を出し、「この悲劇的でショッキングな事件は、米軍の優れた特性とわれわれがアフガンに対して抱く尊敬の念を示すものではない」と憂慮した。また、オバマ大統領はカルザイ大統領に電話をかけ、早急に真相を究明し、「関与した者の責任を完全に追及する」と約束した。

 アフガンでは駐留米軍基地でのコーラン焼却をめぐる反欧米感情が高まっており、米軍などを狙った攻撃や抗議行動で少なくとも30人が死亡。カブールの米大使館は、今回の事件で新たな報復攻撃が起きる可能性があるとしている。

 反政府武装勢力タリバンはメディアに宛てた電子メールで、事件への報復攻撃を行うと表明した。

ロイター 2012-03-12

2012-03-11

ハワード ジン


 1冊読了。

 13冊目『学校では教えてくれない本当のアメリカの歴史(上) 1492-1901年』ハワード ジン、レベッカ・ステフォフ編:鳥見真生〈とりみ・まさお〉訳(あすなろ書房、2009年)/第二次世界大戦以降を「アメリカの時代」とすれば、世界の病根はアメリカの歴史に尋ねるべきであるというのが私の持論だ。本書はまさにうってつけの基本テキスト。上巻ではインディアン虐殺、黒人奴隷制度、文明の発達に伴う格差社会をスケッチしている。文字が大きく、ルビも丁寧に振られているので中高生向けと思われる。ハワード・ジンはアメリカの良心であると言ってよい。

東日本大震災から一年 死者1万5846人、行方不明者3317人


2012-03-10

革命

「あんたらの革命など糞食らえだが、私自身のは別だ。」
Mar 08 via twittbot.net Favorite Retweet Reply



神の裁きと訣別するため (河出文庫 (ア5-1))

「ケア」の語源

イラク戦争の死者よりも多い日本の自殺者

14年連続で自殺者3万人。前々から、ここでは書いてるけど、イラク戦争より死者を出してるんじゃないか? 日本は今、内戦状態だよ。実弾が飛んでこないから実感がわかないけど、自殺する人の大半は、紙幣に被弾して亡くなっていくんだよな
Mar 09 via web Favorite Retweet Reply

「現状に打ち勝てない」 福島から避難後、夫自殺(神戸新聞)


 あの原発事故さえなければ、幸せな日々が続いていたはずだった。東日本大震災の後、福島県二本松市から兵庫県内に妻と娘と避難してきた男性(38)が、昨年末、最愛の2人を残して自ら命を絶った。仕事を失い、兵庫で再起を期したが、将来への不安を拭えずうつ病を発症。残された遺書には「現状に打ち勝つ気力がもうない」と殴り書きされていた。

 兵庫に移り住んで半年が過ぎた昨年11月。尾崎裕子さん(36)は長女の理彩さん(7)と帰宅して、夫の遺体を見つけた。取り乱す裕子さんに、理彩さんが泣きながらすがりついた。「早く病院に連れて行ってあげて」

 二本松市に暮らし、国際機関の講師として働いていた男性。震災後、職場が避難所となったため職を失い、勤務先から提供されていた住居からの退去も迫られた。さらに、目に見えない放射能への不安も募った。

 男性は向上心が強く、昨春には通信制大学院への入学を計画していた。だが希望は一気に暗転。兵庫で職を見つけて転居したが、狂った歯車は元に戻らない。「眠れない」とこぼし、表情に疲れがにじんだ。優しかった男性が娘を怒鳴りつけ、後で自己嫌悪に陥っていたこともあった。

 男性が精神科医のカウンセリングを受け、薬の処方を受けていることが、秋になって初めて分かった。「真面目な人だから家族を守りたい、心配はかけられない、と思っていたんだと思う」

 理彩さんは葬儀後、悲しみを表に出さなかったが、浴室で隠れて泣いていた。働き始めた裕子さんの帰宅時には、駅まで迎えに行く。「お母さんは私が守るから」。母と娘で遊びに行った場面の絵には、今も必ず「家族3人」の姿を描く。

 震災から1年。次々と降りかかる災いを顧みる余裕もなく走った。ふと立ち止まり、夫の死が震災を原因とした「関連死」に当てはまるのでは、との思いが膨らむ。

「なぜ夫が隣にいないのか、と寂しさが噴き出す瞬間がある。あの原発事故さえなければ、元のまま暮らせていたんです」。それまでこらえていた涙がこぼれ落ちた。

神戸新聞 2012-03-07

2012-03-08

KONY 2012/ジョゼフ・コニー逮捕キャンペーン








少女を性奴隷、少年を戦闘兵に、ソーシャルで告発する「KONY 2012」とは?
ジョゼフ・コニー
コニー 2012の正体~アフリカ侵略心理作戦
The Kony 2012 論争
ウガンダ反政府勢力の蛮行告発映画、「真実と違う」と地元民は猛反発
KONY2012を支持する人々
「欧米人が仕掛ける罠」武田邦彦、高山正之

 画面右下から「YouTube」サイトへ移動→画面右下の赤いボタン「cc」をクリック→音声を文字に変換→字幕を翻訳→「日本語」を選択。正確な翻訳ではないが、あらましは理解できるだろう。(※日本語訳に差し替えた。3月14日)

村上重良、廣澤隆之

2冊挫折。

世界の宗教 世界史・日本史の理解に』村上重良〈むらかみ・しげよし〉(岩波ジュニア新書、1980年)/古すぎる。「民族宗教」(5ページ)という語句に疑問あり。民俗宗教、あるいは部族宗教とすべきだろう。これは古い本だから仕方がないといえる。

図解雑学 仏教』廣澤隆之〈ひろさわ・たかゆき〉(ナツメ社、2002年)/初心者向けのテキストは時折、不正確な記述が紛れ込んでいる。悪くはないが、かといってよくもない本だ。右ページにイラストを配しているため、横書きとなっている。横書きは本当に苦手だ。読む気が失せる。

サートン

1冊挫折。

科学史と新ヒューマニズム』サートン:森島恒雄訳(岩波新書、1938年)/手元にあるのは1974年発行の29刷であるが旧仮名・旧漢字であった。撃沈。

南英男


 1冊挫折。

友だちが怖い ドキュメント・ノベル『いじめ』』南英男(集英社文庫コバルトシリーズ、1985年)/大阪産業大学付属高校同級生殺害事件が取り上げられている。それで読んだわけだが、Wikipediaに劣る内容であった。古い本のため、左翼教師が説くような手垢まみれの道徳観が綴られている。現実のいじめを解決し得ない者が、殺害という解決法を実行した彼らを論じることに意味は見出せない。1章と最終章だけ読んだ。

星の教団と鈴木大拙

神智学協会日本支部長だった鈴木大拙も幸徳人脈に属し、もしも海外滞在中でなかったら、大逆事件に連座していたはずだ。イギリスやロシアのスピリチュアリズムと社会主義運動の関係は、もっと研究されていい。
Mar 01 via web Favorite Retweet Reply


神智学内のクリシュナムルティを世界教師と仰ぐ教団としてアニー・ベサントの肝入りで〈星の教団〉が設立されたが、鈴木大拙はこの参加は拒んでいる(今東光は参加)。クリシュナムルティ自身が「自分は世界教師でない」と教祖の座を拒み、アムステルダムでの結成式が解散式になってしまった。
Mar 02 via web Favorite Retweet Reply


 鈴木大拙のことは知らなかった。

神智学協会が日本に与えた影響
安藤礼二氏「明治期の神智学問題におけるチベット・モンゴル学の影響」
星の教団解散宣言~「真理は途なき大地である」/『クリシュナムルティ・目覚めの時代』メアリー・ルティエンス
ヘンリー・ミラー「クリシュナムルティは徹底的に断念した人だ」/『ヘンリー・ミラー全集11 わが読書』ヘンリー・ミラー
神智学協会というコネクター/『仏教と西洋の出会い』フレデリック・ルノワール

石原慎太郎と野口健 遺骨収集活動










 いやあ凄い。あの石原慎太郎が神妙な顔つきで耳を傾けている。生の本質に迫る言葉の数々が襟を正さずにはおかない。

 8000mを超えた世界には匂いや色、音がないとの指摘が興味深い。仏教では物質的存在を「色法」(しきほう)と名づける。野口の言葉に「いろは歌」を思い出した人も多いのではないか。

 色はにほへど 散りぬるを
 我が世たれぞ 常ならむ
 有為の奥山  今日越えて
 浅き夢見じ  酔ひもせず

 諸行無常がこの世の実相であれば、8000mから上は変化をも許さない「死の世界」なのだろう。地獄とは地の底にあると思い込んでいたが、どうやら違ったようだ。

 五感という知覚そのものが、縁起という相関関係を構成していることがわかる。

野口健が聞いた英霊の声なき声―戦没者遺骨収集のいま 自然と国家と人間と (日経プレミアシリーズ)

野口健が戦ってきたもの

2012-03-05

野口健が戦ってきたもの

野口健〈のぐち・けん〉と佐々木かをりの対談を読んだ。

◎佐々木かをり対談 win-win 第59回 野口健さん

 32ページに渡る記事が一冊の読書に等しいほど面白い。まず野口の言葉は率直で嘘や飾りがない。開けっ広げな性格が窺える。twitterで紹介するだけではもったいないので覚え書きを残しておこう。

 まずは、8000m級の山々がアルピニストの内臓にダメージを与えることに驚かされた。心臓の弁が閉まらなくなる、腸に穴が空く、肝機能低下……。

 で、酸欠になると、肝機能が低下するわけです、脳が鈍るんで。だから登山家の人は血が汚いんですよ、みんな。ドロドロしちゃって。で、血が汚いところから病気っていうのは生まれてくるんで、病院に行ったら僕の血は汚すぎてね、人には輸血できないって言うんですよ。見てわかるくらい、他の人と違うんです。

 今日、以下のニュースを偶然見つけた。

雑記帳:植村直己さん「最後の日記」 出身地で展示

 北米マッキンリー山で84年に消息を絶った冒険家、植村直己さん(当時43歳)の「最後の日記」が出身地・兵庫県豊岡市の植村直己冒険館でパネル展示されている。
 捜索隊がマッキンリーの雪洞内で見つけた。84年2月1~6日の日付がある。ノート16ページに、雪をかき分けて登る様子や凍ったトナカイの肉を食べる食事が克明に記されている。展示は13日まで。
「孤独を感じない」「何が何でも登るぞ」とも書いていた。冒険館は「日記は色あせていっても、植村のチャレンジ精神はあれから28年たっても色あせていない」。

毎日jp 2012-03-05

 実はこの日記が気になり検索したところ、「植村直己さんの最後の日記」のページがヒットした。

 私は唸(うな)った。死を目の当たりにしてきた野口の直観にたじろいだ。同じ世界に身を置いた者同士でなければ不可能なコミュニケーションが成立していたからだ。「この『何がなんでも』っていう言葉は素人が使う言葉なんです」と言い切るには一つや二つくらいの修羅場を経たくらいでは無理だ。

 あるテレビ番組で野口は、エベレスト山頂付近では文字通り屍(しかばね)を踏み越えて進んだ経験を語っていた。また石原慎太郎との対談では、エベレスト登頂直後にパートナーの最期を看取ったことを紹介していた。

 8000mという死線を超えた者だけにわかる世界がきっとある。そこは生きること自体が「有り難い」世界なのだ。

 長年ヒマラヤに行っていつも見てるんですが、ゴミを捨てる隊ってあるんです。ゴミを捨てる隊と遭難者を出す隊がね、重なってくるんですよ。

 だから、今、韓国隊、中国隊、ロシア隊がぼろぼろですよ。失敗したらたたかれるから、絶対に帰れないって、危なくても突っ込んで死んでしまう。そういう隊は、ほかに気も回らないから、ゴミも出す。ほかの隊に比べて余裕がないからゴミも多いんです。

 心の余裕とか精神のゆとりと書くと、いかにも陳腐だ。しかし山を思いやれない人々が、他者を思いやれないのは当然だ。漢字では「思い遣り」と書く。「思い」を「遣(つか)わす」ことが本義であろう。周囲からの厳しさがエゴの温床となる場合があるという指摘は頷ける。

 野口は最初のエベレストアタックに失敗。帰国後の記者会見で「いやあ、登頂できなかったのも辛かったけどね、エベレストに日本のゴミがあって、日本は三流とか、日本を否定された。あれも辛かったなあ」と漏らした。これをマスコミが大きく報じた。日本山岳会が野口に猛烈な圧力をかける。尊敬していた登山家の先輩からは「ゴミを見なかったことにしろ」と告げられる。そして日本山岳会の最高責任者であった橋本龍太郎との対決にまで漕ぎ着ける。

 組織の力学はリンチであり、いじめであることが明らかだ。私の場合、暴力性で乗り切ってきたが、野口は強い精神力と果敢な行動力で乗り越えている。中々できることではない。

 富士山のゴミ拾いでは完全な政治問題にコミットしている。そして散々自分を叩いてきたメディアを今度は逆に利用する。

 バラエティに出る時は条件として、「富士山の話ができるなら出ますよ」って言ったら、全部OKだったんですよね。

 やり方が聡明だ。鮮やかである。そんな野口が育った家庭環境についても述べられている。実にユニークな父親だ。日本人外交官とエジプト人女性の間に生まれ、世界を渡り歩いてきた彼ならではの独立した気風から学ぶことは多い。

◎公式サイト
◎石原慎太郎と野口健 遺骨収集活動
◎『僕の名前は。 アルピニスト野口健の青春』一志治夫
◎野口健は日本航空を利用しない


落ちこぼれてエベレスト (集英社文庫) 確かに生きる 落ちこぼれたら這い上がればいい (集英社文庫) 100万回のコンチクショー (集英社文庫) それでも僕は現場に行く








松尾剛次


 1冊挫折。

仏教入門』松尾剛次〈まつお・けんじ〉(岩波ジュニア新書、1999年)/日本仏教的な視点が気に入らず。この手の解説は既に時代遅れだ。

世界情勢を読む会、ペニー・ルクーター、ジェイ・バーレサン


 3冊挫折。

面白いほどよくわかる 世界の紛争地図 紛争・テロリズムから危険地帯まで、「世界の危機」を読み解く』世界情勢を読む会編著(日本文芸社、2002年/改訂新版、2007年)/硬質な文章でこれは見っけものかと思ったが、パックスアメリカーナに順ずる記述があったのでやめた。実に惜しまれる。日本文芸社が刊行している「学校で教えない教科書」シリーズは、大人の読書に応えられるものがないと判断した。

面白いほどよくわかる 世界地図の読み方 紛争、宗教から地理、歴史まで、世界を読み解く基礎知識』世界情勢を読む会編著(日本文芸社、2002年/改訂新版、2007年)/というわけで自動的にこちらも中止。

スパイス、爆薬、医薬品 世界史を変えた17の化学物質』ペニー・ルクーター、ジェイ・バーレサン:小林力〈こばやし・つとむ〉訳(中央公論新社、2011年)/3ヶ月前の発行にもかかわらず品切れが続いている本。私の知識では無理だった。ハードカバーにした心意気は買うが、紙質が悪いので元も子もない。昔のパルプマガジンを思わせる紙だ。

ネオ=ロゴスの妥当性について/『死と狂気 死者の発見』渡辺哲夫


『物語の哲学』野家啓一

 ・狂気を情緒で読み解く試み
 ・ネオ=ロゴスの妥当性について

『新版 分裂病と人類』中井久夫
『アラブ、祈りとしての文学』岡真理
『プルーストとイカ 読書は脳をどのように変えるのか?』メアリアン・ウルフ
物語の本質~青木勇気『「物語」とは何であるか』への応答
『ストーリーが世界を滅ぼす 物語があなたの脳を操作する』ジョナサン・ゴットシャル
『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ
『奇跡の脳 脳科学者の脳が壊れたとき』ジル・ボルト・テイラー
『オープンダイアローグとは何か』斎藤環著、訳

必読書リスト

 我々が生を自覚するのは死を目の当たりにした時だ。つまり死が生を照射するといってよい。養老孟司〈ようろう・たけし〉が脳のアナロジー(類推)機能は「死の象徴化から始まったのではないか」と鋭く指摘している。

アナロジーは死の象徴化から始まった/『カミとヒトの解剖学』養老孟司

 ま、一言でいってしまえば「生と死の相対性理論」ということになる。

 前の書評にも書いた通り、渡辺哲夫は本書で統合失調症患者の狂気から生の形を探っている。

 歴史は死者によって形成される。歴史は人類の墓標であり、なおかつ道標(どうひょう)でもある。たとえ先祖の墓参りに行かなかったとしても、歴史を無視できる人はいるまい。

 死者たちは生者たちの世界を歴史的に構造化し続ける、死者こそが生者を歴史的存在者たらしめるべく生者を助け支えてくれているのだ、(以下略)

【『死と狂気 死者の発見』渡辺哲夫(筑摩書房、1991年/ちくま学芸文庫、2002年)以下同】

 渡辺は狂気を生と死の間に位置するものと捉えている。そして狂気から発した言葉を「ネオ=ロゴス」と名づけた。

統合失調症患者の内部世界

「あの世で(あの世って死んだ事)子供(B男)が不幸になっています  十二歳中学二年で死にました  私(母親の○○冬子)がころしました
 目が見えません  目玉をくりぬいて脳の中に  くりぬいた目の中から小石をつめ けっかんをめちゃめちゃにして神けいをだめにして 息をたましいできかんしをつめて息ができません  又くりぬいための中に ちゅうしゃきでヨーチンを入れ目がいたくてたまりません  また歯の中にたましいが入ってはがものすごく痛くがまんが出来ません
 又体の中(背中やおなかや手足)の中に石田文子のたましいが入って具合が悪く立っていられない  それをおぼうさんがごういんにおがんで立たしておきます
 又ちゅうかナベに油を入れいっぱいにしてガスの火でわかして一千万度にして三ばいくりぬいた目の中に入れ頭と体の中に入れあつすぎてがまんが出来ません
 又たましいの指でおしりの穴をおさえて便が全然でません又おしっこもおしっこの出る穴をおさえてたましいでおさえて出ません
 又B男のほねをおはかからたましいでぬすんでほねがもえるという薬をつかってほねをおぽしょて ほねをもやしてその為にB男のほねは一本もありません
 又きかんしに石田文子がたましいできかんしをつめて息が出来ません又はなにもたましいでつめて息が出来ません  だから私(冬子)母親のきかんしとB男のきかんしをいれかえて下さい」(※冬子の手記)



「……言葉がトギレトギレになって溶けちゃうんです……言葉が溶けて話せない……聴きとれると語尾が出て心が出てくるんですね、語尾がないとダメダメ……秋子の言葉になおして語尾しっかりさせないと……流れてきて、わたしが言う他人の言葉ですね……わたしの話は死人に近い声でできてるからメチャクチャだって……死人っていうのは、思わないのに言葉が出てくる不思議な人体……言葉が走って出てくるんですね。飛び出してくる、……言葉が自分の性質でないんです。デコボコで、デコボコ言葉、精神のデコボコ……」(※秋子)

 筒井康隆が可愛く見えてくる。通常の概念が揺さぶられ、現実に震動を与える。このような言葉が一部の人々に受け容れられた時に新たな宗教が誕生するのかもしれない。

アジャパー!!」「オヨヨ」「はっぱふみふみ」といった流行語にしても同様だろう。


 デタラメな言葉だとは思う。しかし意味に取りつかれた我々の脳味噌は「言葉を発生させた原因」を思わずにはいられない。渡辺は実に丁寧なアプローチをしている。

 ところが冬子にとっての「たましい」たる「B男」は彼岸に去ってゆかない。あの世もこの世も超絶した強度をもって実態的に現前し続ける。生者を支えるべく歴史の底に沈潜してゆくことがない。つまり、「たましい」は、死者たちの群れから離断された“有るもの”であり続ける。「たましい」は冬子の狂気の世界のなかで、余りにもその存在強度を高めてしまったのである。死者たちの群れに繋ぎとめられない「B男」は、死者たちの群れの“顔”になりようがない。逆に「B男」という「たましい」は、死者たちを圧殺するような強度をもってしまう。「たましい」は、生死を超越して絶対的に孤立している。否、「B男」の「たましい」は、死者たちでなく冬子に融合してしまっている。「B男」は、死者たちの群れを、祖先を、歴史の垂直の軸あるいは歴史の根幹を圧殺し、母たる生者をも“殺害”するほどの“顔”なのである。これはもう“顔”とは呼べまい。「B男」という「たましい」は、死者たちの群れに絶縁された歴史破壊者にほかならない。冬子も「B男」も、こうして本来の死者たちの支えを失っているのである。

 つまり「幽明界(さかい)を異(こと)に」していないわけだ。生と死が淡く溶け合う中に彼女たちは存在する。むしろ存在そのものが溶け出していると言った方が正確かもしれない。

 仏教の諦観は「断念」である。しがらむ念慮を断ち切る(=諦〈あきら〉める=あきらか、つまびらかに観る)ことが本義である。それが欲望という生死(しょうじ)の束縛から「離れる」ことにつながった。現在を十全に生きることは、過去を死なすことでもある。

 他者という言葉は多義的である。私は常識の立場に戻って、この多義性を尊重してゆきたいと思う。
 まず第一に、他者は、ほとんどの他者は、死者である。人類の悠久の歴史のなかで他者を思うとき、この事実は紛れもない。現世は、生者たちは、独力で存立しているのではない。無料無数の死者たちこそ、事物や行為を名づけ、意味分節体制をつくり出し、民族の歴史や民俗を基礎づけ、法律や宗教の起源を教えているのだ。否、教えているという表現は弱過ぎよう。最広義における世界存在の意味分節のすべてが、死者たちの力によって構造的に決定されているのである。言い換えれば、他界は現世の意味であり、死者たちは、生者たちという胎児を生かしめて(ママ)いる胎盤にほかならない。知覚や感覚あるいは実証主義的思考から解放されて、歴史眼をもって見ることが必要である。眼光紙背に徹するように、現世を現世たらしめている現世の背景が見えてくるだろう。
 死者が他者であることに異論の余地はない。それゆえ、他者は、現世の生者を歴史的存在として構造化する力をもつのである。
 第二に、他者は、自己ならざるもの一般として、この現世そのものを意味する。歴史的に意味分節化されたこの現世から言葉を収奪しつつ、また新たな意味分節世界を喚起し形成しつつ、生者各人はこの他者と交流する。この他者は、ひとつの意味分節として、言語のように、言語と似た様式で、差異化され構造化されている。この他者を、それゆえ、以後、言語的分節世界と呼ぶことにしたい。自己ならざるもの一般の世界が言語的分節世界としての他者であるならば、他者は、言葉の働き方に関するわれわれの理解を一歩進めてくれる。
 言うまでもなく、言葉は、各人の脳髄に内臓されているのではない。一瞬一瞬の言語行為は、発語の有無にかかわらず、言語的分節世界という他者から収奪された言葉を通じて遂行される。否、収奪そのものが言語行為なのだ。では、言語的分節世界という他者は、言語集蔵体(ママ)の如きものなのであろうか。もちろん、そうではない。言葉は、言語的分節世界という他者の存立を可能ならしめている死者たちから、彼岸から、言わば贈与されるのである。生者が収奪する言葉は、死者が贈与する言葉にほかならない。この収奪と贈与が成功したとき、言葉は、歴史的に構造化された言葉として力をもつのである。それゆえ、われわれの言葉は、意識的には、主体的に限定された他者の言葉なのであるが、無意識的には、歴史的に限定された死者の言葉なのである。死者の言葉は、悠久の歴史のなかで、死者たちの群れから生者たちへと、一気に、その示差的な全体的体系において、贈与され続ける。それゆえに、言語的分節世界としての他者は歴史的に構造化され続けるのである。

 言語集蔵体とは阿頼耶識(あらやしき/蔵識とも)をイメージした言葉だろう。茂木健一郎が似たことを書いている。

「悲しい」という言葉を使うとき、私たちは、自分が生まれる前の長い歴史の中で、この言葉を綿々と使ってきた日本語を喋る人たちの体験の集積を担っている。「悲しい」という言葉が担っている、思い出すことのできない記憶の中には、戦場での絶叫があったかもしれない、暗がりでのため息があったかもしれない、心の行き違いに対する嘆きがあったかもしれない、そのような、自分たちの祖先の膨大な歴史として仮想するしかない時間の流れが、「悲しい」という言葉一つに込められている。
「悲しい」という言葉一つを発する時、その瞬間に、そのような長い歴史が、私たちの口を通してこの世界に表出する。

【『脳と仮想』茂木健一郎(新潮社、2004年/新潮文庫、2007年)】

 ここにネオ=ロゴスが立ち上がる。

 言い換えるならば、言語的分節世界という他者から排除され、言葉を主体的に収奪限定する機会を失ってしまった独我者が、自力で創造せんとする新たなる言葉、ネオ=ロゴスこそ独語にほかならない。主体不在の閉鎖回路をめぐり続ける独語に、示差的機能を有する安定した体系を求めるのは不可能であろう。それにもかかわらず、他者から排除された独我者は、恐らくは人間の最奥の衝動のゆえに、ネオ=ロゴスを創出しようとする。もちろんここに意識的な意図やいわゆる無意識的な願望をみることなど論外だろう。もっと深い、狂気に陥った者の人間としての最も原初的かつ原始的な力動が想定されねばなるまい。



 ネオ=ロゴスは、死者を実体的に喚起し創造し“蘇生”させると、返す刀で狂的なる生者を“殺害”するのである。これが先に述べた、ネオ=ロゴスの死相の二重性にほかならない。ネオ=ロゴスは、全く新奇な“死者の言葉”あるいは“死の言葉”であると言っても過言ではない。

 スリリングな論考である。だが狂気に引き摺り込まれているような節(ふし)も窺える。はっきり言って渡辺も茂木も大袈裟だ。無視できないように思ってしまうのは、彼らの文体が心地よいためだ。人は文章を読むのではない。文体を感じるのだ。これが読書の本質である。

 言葉や思考は脳機能の一部にすぎない。すなわち氷山の一角である。渡辺の指摘は幼児の言葉にも当てはまる。そして茂木の言及は幼児の言葉に当てはまらない。

 生の営みを支えているのは思考ではなく感覚だ。我々は日常生活の大半において思考していない。

 どうすればできるかといえば、無意識に任せればできるのです。思考の無意識化をするのです。
 車でいえば、教習所にいたときには、クラッチを踏んでギアをローに入れて……、と、順番に逐次的に学びます。
 けれども、実際の運転はこれでは危ないのです。同時に様々なことをしなくてはなりません。あるとき、それができるようになりますが、それは無意識化されるからです。
 意識というのは気がつくことだと書きましたが、今気がついているところはひとつしかフォーカスを持てないのです。無意識にすれば、心臓と肺が勝手に同時に動きます。
 同時に二つのことをするのはすごく大変です。けれどもそれは、車の運転と同じで慣れです。何度もやっていると、いつの間にかその作業が無意識化されるようになってくるのです。
 無意識化された瞬間に、超並列に一気に変わります。

【『心の操縦術 真実のリーダーとマインドオペレーション』苫米地英人〈とまべち・ひでと〉(PHP研究所、2007年/PHP文庫、2009年)】

 結局、「生きる」とは「反応する」ことなのだ。思考は反応の一部にすぎない。そして実際は感情に左右されている。ヒューリスティクスが誤る原因はここにある。

自我と反応に関する覚え書き/『カミとヒトの解剖学』 養老孟司、『無責任の構造 モラル・ハザードへの知的戦略』 岡本浩一、他

 意外に思うかもしれないが、本を読んでいる時でさえ我々は無意識なのだ。意識が立ち上がってくるのは違和感を覚えたり、誤りを見つけた場合に限られる。スポーツを行っている時はほぼ完全に無意識だ。プロスポーツ選手がスランプに陥ると「考え始める」。

 渡辺と茂木の反応は私の反応とは異なる。だからこそ面白い。そして学ぶことが多い。

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圧縮新聞
物語る行為の意味/『物語の哲学』野家啓一
『カミの人類学 不思議の場所をめぐって』岩田慶治
ワクワク教/『未来は、えらべる!』バシャール、本田健