・『アドラー心理学入門 よりよい人間関係のために』岸見一郎
・「原因論」と「目的論」の違い
・『幸せになる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教えII』岸見一郎、古賀史健
・『失敗の科学 失敗から学習する組織、学習できない組織』マシュー・サイド
・『手にとるようにNLPがわかる本』加藤聖龍
・『NLPフレーム・チェンジ 視点が変わる〈リフレーミング〉7つの技術』L・マイケル・ホール、ボビー・G・ボーデンハマー
・『未処理の感情に気付けば、問題の8割は解決する』城ノ石ゆかり
・『マンガでわかる 仕事もプライベートもうまくいく 感情のしくみ』城ノ石ゆかり監修、今谷鉄柱作画
・『ザ・ワーク 人生を変える4つの質問』バイロン・ケイティ、スティーヴン・ミッチェル
・必読書リスト その二
哲人●そこでアドラー心理学では、【過去の「原因」ではなく、いまの「目的」】を考えます。
青年●いまの目的?
哲人●ご友人は「不安だから、外に出られない」のではありません。順番は逆で「【外に出たくないから、不安という感情をつくり出している】」と考えるのです。
青年●はっ?
哲人●つまり、ご友人には「外に出ない」という目的が先にあって、その目的を達成する手段として、不安や恐怖といった感情をこしらえているのです。アドラー心理学では、これを「【目的論】」と呼びます。
青年●ご冗談を! 不安や恐怖をこしらえた、ですって? じゃあ先生、あなたはわたしの友人が仮病(けびょう)を使っているとでもいうのですか?
哲人●仮病ではありません。ご友人がそこで感じている不安や恐怖は本物です。場合によっては割れるような頭痛に苦しめられたり、猛烈な腹痛に襲われることもあるでしょう。しかし、それらの症状もまた、「外に出ない」という目的を達成するためにつくり出されたものなのです。
青年●ありえません! そんな議論はオカルトです!
哲人●違います。これは「原因論」と「目的論」の違いです。あなたのおっしゃる話は、すべてが原因論に基づいています。【われわれは原因論の住人であり続けるかぎり、一歩も前に進めません】。
【『嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え』岸見一郎〈きしみ・いちろう〉、古賀史健〈こが・ふみたけ〉(ダイヤモンド社、2013年)】
読む量が多すぎて書く量が少なすぎると書評した本がわからなくなる。挙げ句の果てには自分で検索して「おかしいな」を連発する有り様だ。本書は古賀史健が岸見一郎の『アドラー心理学入門』を対話という形式でわかりやすく解説したものである。にもかかわらず軽々と岸見本を凌駕している。古賀は言うならばリライト名人なのだろう。ただ、丁寧や端正が行き過ぎて鼻につく嫌いがある。
哲人●【アドラー心理学では、トラウマを明確に否定します】。ここは非常に新しく、画期的なところです。たしかにフロイト的なトラウマの議論は、興味深いものでしょう。心に負った傷(トラウマ)が、現在の不幸を引き起こしていると考える。人生を大きな「物語」としてとらえたとき、その因果律のわかりやすさ、ドラマチックな展開には心をとらえて放さない魅力があります。
しかし、アドラーはトラウマの議論を否定するなかで、こう語っています。「いかなる経験も、それ自体では成功の原因でも失敗の原因でもない。われわれは自分の経験によるショック――いわゆるトラウマ――に苦しむのでやなく、経験の中から目的にかなうものを見つけ出す。【自分の経験によって決定されるのではなく、経験に与える意味によって自らを決定するのである】」と。
私の頭が悪くてスッと入ってこないのだが、ブッダやクリシュナムルティに通じる価値観の転換がある。特に最後の一言は重要だ。これをもっと簡明かつダイナミックにしたのがバイロン・ケイティである。
自分の幸せを望むところに真の不幸がある。
— 小野不一 (@fuitsuono) April 6, 2019
意味とは妄想である。不幸も幸福も妄想だ。脳という錯覚装置が織り成す感情のタペストリーを我々は人生と名づける。
妄想は無明から生まれる。本書は無明を自覚させてくれる良書である。